レイチェル・カーソンは、「センス・オブ・ワンダー」の中で
次のようなことを書いています。
*****
子どもといっしょに自然を探検するということは、
まわりにあるすべてのものに対して
あなた自身の感受性にみがきをかけるということです。
それは、しばらくつかっていなかった感覚の回路をひらくこと、
つまり、あなたの目、耳、鼻、指先のつかい方を
もう一度学びなおすことなのです。
私たちの多くは、周りのほとんどを視覚を通して
認識しています。
しかし、目にはしていながら、本当に見ていないことも
多いのです。
見過ごしていた美しさに目を開くもうひとつの方法は
自分自身に問いかけてみることです。
「もし、これがいままでに一度もみたことがないものだったら?
もし、これが二度と再び目にすることができないとしたら」
このとき、レイチェル・カーソンは、自分に残された命が
残り僅かであることを知っていたと言われています。
ここでもまた「想像力」が必要になります。
想像力がなければ「もし?」は考えることが出来ません。
想像力のない人には、表面的な美しさはわかっても、
自然の持つ、不思議さ、素晴らしさはわからないと思います。
私自身わかっているかどうか自身がありませんが、
子どもたちとさまざまなことを「発見」することが出来たら
素敵だと思います。
今日の、自然教育園でみかけたさまざまなものが、
息子たちにとって「不思議で興味惹かれる発見」だったら、
いいなと思っています。
次のようなことを書いています。
*****
子どもといっしょに自然を探検するということは、
まわりにあるすべてのものに対して
あなた自身の感受性にみがきをかけるということです。
それは、しばらくつかっていなかった感覚の回路をひらくこと、
つまり、あなたの目、耳、鼻、指先のつかい方を
もう一度学びなおすことなのです。
私たちの多くは、周りのほとんどを視覚を通して
認識しています。
しかし、目にはしていながら、本当に見ていないことも
多いのです。
見過ごしていた美しさに目を開くもうひとつの方法は
自分自身に問いかけてみることです。
「もし、これがいままでに一度もみたことがないものだったら?
もし、これが二度と再び目にすることができないとしたら」
このとき、レイチェル・カーソンは、自分に残された命が
残り僅かであることを知っていたと言われています。
ここでもまた「想像力」が必要になります。
想像力がなければ「もし?」は考えることが出来ません。
想像力のない人には、表面的な美しさはわかっても、
自然の持つ、不思議さ、素晴らしさはわからないと思います。
私自身わかっているかどうか自身がありませんが、
子どもたちとさまざまなことを「発見」することが出来たら
素敵だと思います。
今日の、自然教育園でみかけたさまざまなものが、
息子たちにとって「不思議で興味惹かれる発見」だったら、
いいなと思っています。
![]() | センス・オブ・ワンダーレイチェル・L. カーソン新潮社このアイテムの詳細を見る |