こんちわー。
仕事前に考え込んで、瞑想して、手伝いあんまり出来てない僕であります。
なんか理解が進まないから瞑想してみたら、凄い想念の固まりが(苦笑)
僕は、これか?
これか?
これなんかー!?
みたいに断定したくて仕方がない自我君(爆笑)
心に虚空があって、そこに想念が様々なものを反映させている。
そして、この何れかに自己同一化して、これが僕だとか言うわけですが、しかし、僕が消え去らない。
なぜ消え去らないのか分かりました。
消え去らなくてはいけない僕は、身体=僕という想念体の僕なのですね。
心の虚空に、あらゆる存在が明滅して、それを意識光が照らし出している。
何れに分断された者も僕ではない。
至福というのは、形有る世界(映像)、形のない世界(意識)に共通する状態を指す言葉ではないかと推測しました。
観る者が心に溶け去るというのは、心の虚空に溶け去る。
この虚空というものがイリュージョンの世界で、ありとあらゆるものが存在しているにも関わらず一である。
この一を見ているのが意識である。
この意識が悩み苦しむのであるが、この虚空の中に自己を探すからである。
心の虚空全体が僕なのだ。
しかも、この虚空に描かれた真我の光の影を意識しているのも僕なのだ。
つまり、存在-意識-至福の分断されない、ありとあらゆる一切すべてが、僕である。
この僕は、ハッキリ言って、理解不能(爆笑)
つまり思考で理解できるような代物でもないし、言葉で表すこともできない。
理論的には真我の光-心の虚空-意識は、すべて別々で展開していると考えると分かりやすいのですが、そうじゃなく、全て同時なのです。
しかも、すべてが一つなので、僕と認識できる者はない。
無いにも関わらず、常にある。
これは発狂してしまいますね(爆笑)
有ると無い、カオスの世界が、変幻無限の世界が、心の虚空にあって、これが明滅、変転しているのだが、そのどれもが区別無く、意識に照らされた自分であって、分離無く、しかも、祝福されている。
この祝福の『何とも言い表し難い』感覚は、創造の奇跡の内に消え去ることで実現されるのではないだろうか!?
それでも『私は-在る』
私は-在るを消去することは絶対に不可能だ。
これが、絶対者だ。
ぜったいに、きえないのだ!!!!
仕事前に考え込んで、瞑想して、手伝いあんまり出来てない僕であります。
なんか理解が進まないから瞑想してみたら、凄い想念の固まりが(苦笑)
僕は、これか?
これか?
これなんかー!?
みたいに断定したくて仕方がない自我君(爆笑)
心に虚空があって、そこに想念が様々なものを反映させている。
そして、この何れかに自己同一化して、これが僕だとか言うわけですが、しかし、僕が消え去らない。
なぜ消え去らないのか分かりました。
消え去らなくてはいけない僕は、身体=僕という想念体の僕なのですね。
心の虚空に、あらゆる存在が明滅して、それを意識光が照らし出している。
何れに分断された者も僕ではない。
至福というのは、形有る世界(映像)、形のない世界(意識)に共通する状態を指す言葉ではないかと推測しました。
観る者が心に溶け去るというのは、心の虚空に溶け去る。
この虚空というものがイリュージョンの世界で、ありとあらゆるものが存在しているにも関わらず一である。
この一を見ているのが意識である。
この意識が悩み苦しむのであるが、この虚空の中に自己を探すからである。
心の虚空全体が僕なのだ。
しかも、この虚空に描かれた真我の光の影を意識しているのも僕なのだ。
つまり、存在-意識-至福の分断されない、ありとあらゆる一切すべてが、僕である。
この僕は、ハッキリ言って、理解不能(爆笑)
つまり思考で理解できるような代物でもないし、言葉で表すこともできない。
理論的には真我の光-心の虚空-意識は、すべて別々で展開していると考えると分かりやすいのですが、そうじゃなく、全て同時なのです。
しかも、すべてが一つなので、僕と認識できる者はない。
無いにも関わらず、常にある。
これは発狂してしまいますね(爆笑)
有ると無い、カオスの世界が、変幻無限の世界が、心の虚空にあって、これが明滅、変転しているのだが、そのどれもが区別無く、意識に照らされた自分であって、分離無く、しかも、祝福されている。
この祝福の『何とも言い表し難い』感覚は、創造の奇跡の内に消え去ることで実現されるのではないだろうか!?
それでも『私は-在る』
私は-在るを消去することは絶対に不可能だ。
これが、絶対者だ。
ぜったいに、きえないのだ!!!!