先月のことですが、
「佐野の家」の現場から脚を延ばして、
足利学校を訪ねました。
堀と土手の向こうに見える大きな茅葺きの屋根。
城の堀割や石垣のように大仰でない感じが
とても好ましい景観になっています。
このような環境が街中にあるのは、とても羨ましいです。
好い土手だなぁ‥
敷地内にも築山があって、緑の斜面が景観を楽しくしています。
建物の中では、今でも論語の講座が開かれるなど、
市民の施設としても、上手に使われているようです。
足利の街は、他にも多くの寺社や古い建物が残っていて、
見どころはたくさんありそうです。
現場通いは終わってしまいましたが、
機会があればゆっくりと歩いてみたいところです。
「スターウォーズ・フォースの覚醒」が、いよいよ今日、
日本公開と言うことで、世間は盛り上がっております。
今夜はTV地上波でエピソードⅣを放送するようなので、
我が家の10歳児を引き込もうかと‥。
そんな「スターウォーズ」シリーズのロケ地として知られるのが
北アフリカの国 ”チュニジア”です。
2003年、レミングハウスの所員旅行に混ぜてもらい、
一週間ほど旅行する機会がありました。
ブログを書き始める前の事だったので、
この機会にちょっと書いてみようかと思います。
首都チュニスとその周辺の他に、
南部の砂漠地帯まで脚を延ばしたのですが、
そここそが、スターウォーズのロケ地だったわけですね。
いくつかツアーコースに入っていたので、
立ち寄ることができました。
まずは、Ksar Hadada という場所。
エピソード1でアナキンが生活した奴隷地区らしい。
「らしい」という位の記憶しかない‥
スターウォーズは全部観ていて好きな映画ではありますが、
マニアではないので。
Ksar Medenine
こちらも、エピソード1のアナキンの家の入口として、
母との別れのシーンに使われた(らしい)。
Matmata のホテル(穴居住宅)
エピソードⅣとエピソードⅡで、
ルークの家(ラーズ家)内部の場面で使われた。
ここは、セットが残っているので解りやすいです。
今夜はテレビを観ながら、
この場面を探してみようか‥。
ロケ地以外のチュニジアについては、また。
つづく
日光東照宮を参拝した後、
中禅寺湖畔まで脚を延ばし、
「イタリア大使館別荘記念公園」へ行ってきました。
1928年、アントニン・レーモンドの設計で建てられたこの別荘は、
1997年まで歴代イタリア大使が使用した後、
栃木県が買い取り、修理と復元を行って一般公開されています。
レーモンド→吉村順三→宮脇檀・中村好文と続く系譜の中にいると考えると、
私の大師匠にあたる建築家の一人です。
紅葉の名所としても知られているようですが、
もうすっかり枯木立になっていました。
まずは、往時の歴史を紹介する国際避暑地歴史館になっている副邸へ。
杉皮を竹の押し縁で押さえるという特徴的な外壁。
日本の古民家から拝借したと思われる工法を、
上手くモダンに昇華して使っています。
そして石積みの暖炉、木製建具。
手仕事の持つ親密な空間が出来上がっています。
そして本館。
だいぶ色褪せましたが、杉皮が一松模様に張ってあるのが判ります。
枯れた風景にも、よく馴染んで、
好い佇まい。
気持ちの好い広縁から、湖がすぐ近くに見えます。
内装も杉皮で統一されています。
なんと天井まで。
間の作り様は日本的です。
スケールと陰影の具合が実に好いです。
何となく、懐かしさも感じます。
寝室・階段室
レーモンドの建築というと、
屋根架構を積極的に表現した空間が多いのですが、
ここでは、徹底して杉皮というマチエールで覆われています。
比較するものではありませんが、
東照宮を見た後に来ると、
なんと清々しい建築なのかと‥
日光東照宮の話しを書いたところで、
この初夏に訪れた”もう一つの東照宮・久能山”のことを。
「清水の家」の現場に通っているうちに、
行ってみようと思っていた久能山。
現場も終わる頃になって、
漸く行く事ができました。
奇しくも、家康御鎮座400年の年。
山の上にあるのに、
現在のメインアクセスは日本平からのロープウェイなので、
下ってアプローチする感じになります。
地図だけ見ていると高低差が解りにくいので、
ちょっと奇妙な感覚。
ロープウェイが着くのは楼門の下。
社殿まで、100段ほどの階段を上がります。
緑に埋もれた境内、振り返れば駿河湾。
素晴らしいロケーション。
日光と比べると控え目に見えますが、
「さすが東照宮」という意匠。
社殿から更に奥に進んだ所にあるのが、家康の神廟。
境内全体は富士山に軸泉が向いていているのに、
廟は西を向いています。
ロープウェイでのアプローチだと、
参道の途中からになってしまうわけですが、
久能山体験の半分は、その下にあるとも言えます。
海岸沿いから”つづら折り”に登る表参道の石段。
ロープウェイが無かった頃は、
このルートしか無かったわけですから、
なにかと大変だったと思われます。
社殿までの石段の数、1159段。
こちらが一ノ門。
ここからの海の眺めがすばらしいです。
石段で上がってきた方が、断然感動できると思います。
体力と時間のある方は、こちらがお薦め。
時代を感じる石段も良い。
さて、この久能山、家康が最初に葬られた場所ですが、
日光東照宮との位置関係が興味深いことでも知られています。
久能山の境内は、富士山の方角に軸線を合わせて建てられており、
その久能山から富士山の頂上を通過した線と、
江戸から北極星の方向に引いた線の交点に日光があります。
更に、久能山から真西に線を延ばすと、
家康の生母 於大の方が子授け祈願をおこなった三河の鳳来寺、
更に先の岡崎の大樹寺は徳川家の菩提寺、
更に先には崇伝の寺である南禅寺金地院があると言います。
スゴい!
いろいろと謎もある家康の廟に関する話。
その一端に触れられて面白かったです。
足場が外れました。
外壁の色も木部の塗装色も好い感じになりました。
(ワンパターンと言われそうですが‥)
内装材も全て決まりました。
部屋数が多いので、内部の工事には
まだ暫く時間が掛かりそうですが、
一段落というところです。