まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

ソファベッドあげます!

2017-07-27 16:32:48 | お仕事のオキテ
身辺整理第3弾です。

これもやはり Facebook のほうで募っても希望者が現れなかったので、

ブログで全世界に向けて募集をかけます。

(すでに引き渡しずみの第2弾はこちら。第1弾は Facebook で成立した BMW。)

今回はうちのソファベッドを差し上げます。

こんなやつ。



このソファ状態で大きさは、W120×D80×H74 です。

これは、折りたたみ可能なマットレスがこういう簡単な枠組み↓のなかに収められたものです。



マットレスを取り出して広げるとこう↓なります。



これで W120×D200 のセミダブルベッドになります。

オレンジ部分と黒部分の間に若干段差ができるので、

この上にさらに布団を敷いて用いたりしていました。

黒いほうを頭側にして寝るのがオススメ。

さほど新しいものではありませんが、お客様用として買ったので、

けっきょくソファとしてもベッドとしてもほとんど使用しておらず、

特にヘタったりはしていません。

また、常にカバーをかけた状態で置いていましたので (こんな感じ↓)、



マットレス自体も汚れたり傷んだりはしていないと思います。

今回も前回のコタツと同様、

直接自宅まで取りに来ていただけるか、私のクルマでお届けできる程度の、

近隣の方に限られてしまうかと思いますが、ぜひどなたかもらってやってください。

直接メールかメッセージかコメントでお申し込みください。

早い者勝ちです!

思わず耳を疑う女子高生たちのまさかな会話・第4弾

2017-07-21 17:10:35 | 性愛の倫理学
1年半ぶりくらいに例のまとめサイトを見に行ってみたら、

またまた傑作がたくさんたまっていました。

前期の授業もそろそろ終わりかけてきたところだし、

私のお気に入りをご紹介してみましょう。



●女子高生の妹との会話 妹 「今PK」 僕 「PK? なにそれ?」 妹 「パンツくいこんでる」 僕 「パンツくいこんでる…」 普通に皆使うって言われたけど、今の女子高生すげーな…


●さっき電車で私の前に女子高生が3人立ってたんだけど1人がずっと自分の胸のことを話してて明らかに2人がしらけてるからハラハラしながら聞いてたんだけど案の定その巨乳の子が降りた瞬間 「あいつ乳の話しかしねぇ」 って言ってて友情が崩れ落ちていく音を聞いた


●くそ寒いのに今日女子高校生が二人制服ミニに生足で歩いててご苦労さん…とねぎらいながら横を通りこしたら 「寒いよねえ~、下にジャージ履きたいけどさ~~うちのお父さんも超ハゲてんのに絶対帽子かぶんないから私も負けらんなくてさ~~」 て会話しててねぎらいの対象がお父さんに変わった


●女子高生A 「うちの学校の三大七不思議知ってる????」 B 「えっ、21個もあるの!?」 聞いてて吹きそうになった


●旦那さんが電車で聞いた女子高生の会話 「逃げ恥の恋ダンスさー、可愛いよね」 「うん可愛い。だから鏡の前で踊ってみたのよね」 「ほう」 「あれは可愛いガッキーが踊るから可愛いのよ。踊りは別に可愛くない。私が踊ったら鏡の中 《シャーマン》 おったわ」 「シャーマン」 「何らかの呪術をかけてたわ」


●バスで女子高生が話しとって聞こえてんけど A 「成宮くん引退やって!」 B 「え、ほんまに?! やっぱり薬物しとんやろなー」 A 「いやしてないやろ〜。この何? カフェイン?」 コカインやから (笑)


●売り場で女子高生が商品見て可愛い可愛い言いながら 「超、文房具理解した」 って言ってた言葉が理解できませんでした。


●バスにいた女子高生の 「宮沢賢治ってジブリだっけ?」 にそれは違うよ! って言いたい


●隣の女子高生が 「写真で盛れても現実ブスなら意味なくね?」 「あいつマスクとったらめっちゃブスだよ」 「犬で盛れてもぜんぜん嬉しくないんだけど」 などと話しながら、どの写真アプリがいちばんかわいく撮れるかを検証している。


●「まじ目からコロモなんだけどー!!」 って電車で横の女子高生達が話してるんですけど最近の女子高生は目からコロモとか出ちゃうんですか?


●ベンチに座ってゆっくりしてたら 隣のベンチの女子高生たちが 「ナチスにそっくりだからって叩くの無くない?」 「マジかわいそー」 て話してて あーアイドルなーと思ってたら 「ナチス何か悪いことしたわけ?!」 と言ってておい待てその鞄には教科書入ってねーのかお前ら


●バスで後ろ座ってた女子高生達が 「世界史ではもう戦争とかしてる頃に日本史って稲作とかヤバくない? wwwwwwww 日本悠長すぎ wwwwwwwwwwww」 って尋常じゃない程の爆笑してて若さって良いなとおじさんは思いました。


●電車にて 女子高校生A 「今日世界史でテストあるじゃーんやばーい アメリカって何処だっけ?」 女子高校生B 「カナダの下じゃないっけ」 女子高校生A 「あっ、そっかぁ! カナダって何処だっけ?」 女子高校生B 「アメリカの上だよ」 女子高校生A 「うわまじか覚えられないわ」 今年一番笑った


●コンビニで女子高生が菓子パンを眺めながら友達に 「なんでパンの重さ150gとかしかないのに、これ食べると1kgぐらい太っちゃうの? ワケわかんないよね? お腹のなかでパンが育ってるの?」 って言っていたのを思い出して今頃じわじわ来てる


●女子高生らしき2人組の会話 A 「今日焼肉ってのはどーよ」 B 「んーそれもてんしん」 って言っててどないこっちゃ... と思ったが頭をフル回転させたら てんしん = 天津 = 天津木村 = あると思います! = ありだね。 って事ではないだろうか!! 俺も使お


●電車で女子高生が iPhone7 について話してる。 A子 「今度の iPhone 何がちがうの?」 B美 「ヘッドフォン要らないらしいよ」 A子 「マジで?! 耳に直接届くんだ、iPhone ヤバイね」 それはヤバイ(つД`)ノ


●学食で1人でご飯食べてると近くのテーブルの女子高生が 「30過ぎてから男子高校生と付き合って放課後に高級車で学校まで迎えに行ったりしたい」 とか言ってるのが聞こえてたのしいんだ


●駅で隣にいる女子高生 アナウンス 「列車は2番乗り場を ”4両” で出発いたします」 JK 「4秒? 4…3…2…1」 吹いたwww


●スタバで女の子たちが 「え…カップにCJって書いてある… “中学生女子” ?! 高校生なんだけど…?!」って小声で怖がってるけど、君たちが飲んでるコーヒージェリー&クリーミーバニラフラペチーノの略だと思うの。安心して。


●バスの中で女子高生ふたりが話してたんだけど、1人 (A) が恋愛についてマシンガントークしててもう片方 (B) は相槌打ってたんだけど、 A 「男ってなんでみんな浮気するかな?!」 B 「お腹すいてんだよ」 って言ってて乗客が一瞬何人か女子高生Bをガン見してた


●auショップの前で女子校生が A 「イギリスで au が撤退するらしいよwww」 B 「docomo と SoftBank あるから平気じゃねwww」 A「たしかにwww」 と話していて世界の終わりを感じた。


●電車内で、ふと耳に入ってきた 「それって、普通のカルピスじゃなくて、水で薄めるやつ?」 という女子高生の会話に、今、僕の中で 「普通」 の定義が揺れている。


●女子高生が話してたんだけど 「男って Bluetooth みたいだよ」 って。 なに言ってんだ? と思って聞いてたら 「近くにいる時は繋がってるのに遠くに行くと通信が切れちゃって、他の人と繋がってる」って言ってて納得した。


●地方から来たっぽい女子高生が切符売り場の路線図見てて、「原宿ってどこ?」 「あった、佐々木の隣!」 代々木だ


●いま電車の中で女子高生が 「うち絶対洋式トイレ使えない〜 知らない人と間接ケッツとかできないもん〜」 って言ってたんだけど間接ケッツってなんやねん。間接キスみたいに言うなやw


●コンビニでタバコ吸ってたら女子高生同士の会話が聞こえたんだけど、 結婚するなら正社員じゃなくてフリーターがいい、だって休みとか自由に取れるし、遊びに行くなら平日とかがいい だそうです、なんか、、、時代なのかねぇ


●電車での女子高生同士の会話 女子高生A 「○○先生病気になったらしいよ」 女子高生B 「まじ? クズじゃん」 女子高生A 「じゃけ明日の6限ないんだって!」 女子高生B 「まじ!? 神じゃん☆」 クズが神となった話に出会えた(((o(*゚▽゚*)o)))


●「人間の体はほとんど肉でできてるんだよ!」 ってレジの前で友達と話してる女子高生、とても頭が悪いなって思った。


●とあるトイレなう。 後から入ってきた女子高生 (的な声の子) が大声で、 「あたし座敷ムリ!! まじ座敷ムリ!! 座敷はムリだからさ!!」 「あのさ、和式だから。」 「あ。・・・・」 相方、超冷静wwww


●お寿司食べに行ったときに隣のテーブルの女子高生達が 「サーモンってさあ、毒々しい色してるよね?」 「中身オレンジの魚って珍しいよね」 「あ、でも鮭もオレンジじゃん!珍しくないのか〜」 という会話をしてたけど わたしは止めれなかった

てつカフェ170722ポスター完成!

2017-07-19 08:22:30 | 哲学・倫理学ファック
次回てつカフェはもう今週末に迫ってきてしまいました。

今回はいつもの卒業生さんがお忙しいとのことで、

自分でポスターを作らなければならなくなりました。

そのヒマがなかったんですよねえ。

このところビックリするくらい講演会等が重なっていて、

あさか開成高校の国際理解講座、須賀川第一中学校の人権セミナー、

そして、教員免許更新講習ともう引っ張りだこでした。

その講座の準備がギリギリまでできていなかったわけですから、

ずっと先のポスターなんて作るヒマあるわけありません。

で、ずっと先と思っているうちに3日後に迫ってきてしまうという…。

というわけで、なんとかやっつけで作ってみました。



「これは特別編7のポスターを使い回しているだけじゃないのか」 ですって?

その通りですが、なにか?

どうせみんな4ヶ月も前のポスターなんて覚えてるわけないから大丈夫でしょう。

しかも、プリントアウトしてみたらこんなに上下の明暗がはっきり出なくて、

一面みず色~っていう微妙な仕上がりになってしまいましたが、

もはやこれを修正する時間も技術もありません。

とりあえず各所に張り出しておきました。

今度の土曜日、てつカフェですっ

ぜひ皆さまお誘い合わせの上 (もちろんお一人でも) ご来場ください

共通領域 「倫理学」 の単位が欲しい人はゼッタイに来てね

大学で哲学カフェ 「脳死は人の死か?」

2017-07-12 06:54:22 | 生老病死の倫理学
先週の共通領域 「倫理学」 の授業の中で哲学カフェを行いました。

一昨年から初めて取り入れて今回が2回目です (この授業は隔年開講)。

一昨年は急に思いついたため、哲学カフェのために割ける時間が30分しかなかったこと、

それしか時間がないにもかかわらずお題を、

「脳死と臓器移植をめぐる倫理学的諸問題に対してどのような価値判断を下すか」

という幅広いものにしてしまったことによって、

議論が拡散してしまってなかなか話が深まっていきませんでした。

そこで今年は最初から哲学カフェに1コマ当てることを織り込みつつ、

例年よりもこちらからの講義を前倒しで圧縮して前時までで終わらせておき、

テーマも臓器移植の問題は切り捨てて、「脳死は人の死か?」 に絞って話し合ってもらいました。

そのおかげか、けっこう突っ込んだ議論が展開されたように思います。

はじめのうちなかなか誰も話し出さなかったのは一昨年と同じでしたが、

ひとりが勇気をもって発言してくれてからは、途切れることなくカフェは進行していきました。

いつも通り、キーワードしか書き留めることはできませんでしたが、

だいたいこんな感じの議論が交わされました。



右側部分だけ拡大するとこうです。



そして左側部分。



話は右から左へと進んでいったわけではなく、あっちこっち行ったり来たりしながらでしたが、

だいたいこんな感じのことが話し合われました。

当日は哲学カフェ終了後、考えが深まったことややってみての感想を書いてもらっただけで、

私のほうからみんなの議論に対して何かコメントしたりはせずにそのまま解散しました。

みんなの感想はまた近いうちにアップしたいと思いますが、

明後日にテストがありますので、このブログを見てくれている人だけに、

テストで解答する際に気をつけてもらいたい論点をお知らせしておきたいと思います。

「脳死は人の死か?」 という問いに対してはやはり様々な答えがありうるわけで、

人の死として認めるという意見もあれば認めないという意見もあり、

また脳死の定義をどれにするかということに関しても様々だったわけですが、

それを承けて当日の議論の大勢は、脳死や人の死に関しては個人で決めていい、

すなわち、 本人や家族の自己決定に委ねられるべきだという方向に傾いていました。

もちろん、脳死の定義は全世界で統一すべきであるという意見や、

人の死に関しては社会として一義的に決定すべきだという意見も出されていましたが、

どちらかというとそれらは少数意見で、本人や家族の選択を認めるべきという意見が多かったです。

みんながそう考えたくなる気持ちは十分理解できるのですが、

それはひじょうに危険な議論だと私は考えています。

死の定義・判定の問題と死の受容の問題とを混同してしまっているように見受けられるからです。

以前に書いたことがありますが、死の定義・判定の問題と死の受容の問題は、

密接に絡み合ってはいますが、基本的には別個の問題なので、分けて論じなくてはなりません。

死亡診断は医学的・客観的な問題 (=事実判断) であり、

それ (特に家族の死) を受け入れられるかどうかというのは主観的な問題 (=価値判断) です。

事実判断が価値判断に先行していなければなりません。

価値判断に引きずられて事実判断がゆるがせにされてはならないのです。

たとえ心臓死であったとしても、家族がその死を受け入れられないということはあるでしょう。

突然の事故死や事件による死の場合は、家族はなかなかその死を受け入れられないものです。

しかし、死を受容できないからといってまだ生きているということにはならないのです。

また今回の議論のなかでは善意の家族 (本人にとっての最善を願う家族) が前提されていましたが、

この世にはそういう善意の家族ばかりではないということも念頭に置いておく必要があります。

その人の死によって遺産や保険金が手に入るからできるかぎり早い死を望む家族とか、

逆に生き続けてもらうことによって年金が入り続けるために延命を望む家族とかもいるのです。

そういう善意でない家族の価値判断によって生きてるか死んでるかが決められていいでしょうか?

人の死の問題を個人の判断 (個人の価値観) に委ねてしまうのはひじょうに危険なのです。

回復不能な状態に陥ったときに延命治療を停止するかどうかとか、

脳死になったときに臓器を提供するかどうかという問題は、

個人や家族の判断に委ねてもかまわない主観的な問題です。

しかしそのことと、生きているか死んでいるかという客観的な問題とは、

はっきりと分けて考える必要があるのです。

テストでは以上を踏まえて答えてもらいたいと思います。

もちろん、これも私の個人的な意見と言えばそうですので、

これと対立する意見 (「人の死や脳死の定義は自己決定に委ねるべき」) を書くことは自由です。

しかしながら、その場合は以上の私の主張と論拠をひとつひとつ全部覆すつもりで、

徹底的に論じ尽くしてもらいたいと思います。

生半可な知識や浅薄な感情論に基づいて答えると辛い採点になるかもしれないのでご注意を。

はてさて、このブログを読んだ上できちんと答えてくれる人がどれくらいいるか楽しみです。


P.S.

書き忘れましたが、議論のなかでは経済的負担 (家族の、ないしは社会の) を考慮した上で、

人の死は何かを決めるべきだという意見もいくつか出されていました。

これも価値判断に合わせて事実判断を変えてしまうという過ちを犯しています。

家族や社会の経済的負担を考慮して延命治療を続けるか否かを決めるということはありえます。

それは価値の問題であり選択に委ねてよい問題だからです。

(もちろんこれはこれでいろいろ問題含みではありますが…)

しかしながら、生きているか死んでいるかという医学的・客観的判断に、

経済的事情が入り込むことはあってはならないのです。

これだとお金持ちならまだ生きているけど、貧乏人の場合は死者として扱うというような、

けっしてあってはならない差別が生じてしまう可能性があるからです。

事実判断のなかに価値判断を潜り込ませないようにすること、

テストではぜひその点に十分気をつけてください。