まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q.哲学者って哲学的に告白したりしますか?

2012-06-30 21:28:10 | 哲学・倫理学ファック
これは相馬の看護学校でいただいていた質問です。
質問が一般論になっていますので、いろいろとリサーチしなければいけないかと思って、
ずっと先送りしていたのですが、質問をよく見てみると正確には次のように問われていました。

「哲学者って哲学的に告白したりしますか? 決めゼリフ的なものはありますか?」

後半の質問はどう考えても私個人に対する質問でしょう。
そこから判断するに前半の 「哲学者」 も哲学者一般ではなく、
私個人を意味していると判断するべきでしょう。
一般に哲学者の皆さんが哲学的に告白しているのかどうかを調べるのは容易ではありませんので、
とりあえず私個人の場合に限ってお答えすることにいたしましょう。

A.哲学的に告白したりはしません。
  決めゼリフなんてありません。

以上です。
つまらないお答えですが、なにか?
それにしても哲学者って告白のときまで哲学的だと思われているんですね。
因果な商売です。
あるいは、私以外の哲学者の皆さんは哲学的に告白しているのでしょうか?
たしかに大学院の後輩のSさんなんかは哲学的な決めゼリフとか持ってそうな気もします。
しかし、私の予想で言うと、先日書いたように
哲学の話で盛り上がれるのは哲学を専門にやっている者どうしくらいですから、
哲学者 (哲学研究者) どうしのカップルというのでない限り、
哲学的な決めゼリフを言ったとしても 「はあ?」 と何のことやら理解してもらえないか、
変人扱いされるかのどちらかではないだろうかと思います。

そして、自分を振り返ってみると、
いつもは授業であれだけロゴス (ことば) が大事と言ってるわりには、
そういう場面であまりロゴスを用いた記憶がありません。
とりあえず黙ってキスをするというパターンが多かったような気がします。
もちろん、まったく初対面の相手にそんなことしたりはせず、
もともとなんらかの知り合いで、デートというほどでなくとも2人でどこかに行ったことがあって、
ある程度、相手も自分に好意をもってくれているんだろうなあと読めている場合に限っての暴挙です。
大学時代に初めてこれをやって意外と上手くいったので、その後もこれに頼ることが多くなっています。
そこそこの確率で成功しているのではないでしょうか。
ロゴスを操る者としてはこの実力行使はいかがなものかという気もしますが、
言葉で表現するのは本当に難しいですからね。
まあ、下手な哲学的表現を試すよりは、このほうがいいんじゃないでしょうか。
どなたか (特にSさん)、なにか素敵な哲学的決めゼリフがあったら、
こっそりメールで教えてください。

Q.超古代文明はあったと思うか?

2012-06-29 19:20:57 | 哲学・倫理学ファック
A.まだ解明されていないのでわからない、というのが公式見解ですが、

  どう思うかという個人的予想としては、超古代文明はなかったのではないかと思います。

この質問をしてくれた方は、超古代文明とかにハマッている方のようです。

それに対して私は近代合理主義を貫いて生きていこうと思っている人間ですので、

できるだけ怪しげなものを信じたりしないようにしたいと思って日々暮らしております。

もちろん、昔からずーっとそうだったわけではなく、

前にも書いたことがありますが、高校以来、『ノストラダムスの大予言』 にハマり

1999年には世界が滅亡すると信じ、そのために道を誤ってしまったということがありますし、

大学時代にはある宗教に入信していたこともあります。

そうした苦い経験を経て、現在では実証的に証明されたことのみを信じ、

未だ解明されていないことに関しては、わからないものはわからないままに保留することにしているのです。

超古代文明とかUFOとかの類いは、死後の世界や前世などと同様、

未だ解明されておらず、証明も反証もされていませんので、

とりあえず結論は保留しておくというのが合理的な態度というものでしょう。

たんに予想としてということで言えば、今のところ怪しい論拠しか提出されていませんので、

たぶんないんだろうなあというのが正直な感想です。

まあ、死後の世界の問題と同様、これはあくまでも個人的な見解に過ぎませんので、

私が信じていないからといって、超古代文明仮説の価値が下がるわけではありませんからご心配なく。

看護教員養成講座・ 終了!

2012-06-28 19:31:54 | 哲学・倫理学ファック
5回にわたって3時間ずつ開催してきた 「看護学校教員養成講座」 の 「哲学」 の授業ですが、
昨日、無事終了いたしました。
看護学校で90分×14回でやっている授業を圧縮して再現していましたので、
時間がキツキツで、最後に授業アンケートとかを取る余裕もありませんでしたが、
最後のワークシートに書いていただいた感想をいくつか紹介してみることにしましょう。


「学生時代には、死について考えることもあったが、就職してからは、日々の業務をこなすことに一生懸命で、患者の死についても、一人一人違う人間であるが、いつも同じような関わりになっていた。また、死を見ても何も感じなくなっていた。今回の授業で、考えることで、生きていることは、本当に凄いことだったんだと改めて気付くことができた。このことはこれからの看護師としての生き方、在り方、一人の人間としての生き方に活かしてこそ、考えた意味があると思う。」

「正直、哲学の講義が終わるとどっと疲れが出ていました。それはまた普段どれだけ自分が様々な事に対し考えてないのかという事を知ることができました。あらためて考えを文章化すると新たな自分の思いや考えに気付き、また他の人の意見を読むことで、自身の思いや考えが深まり、答えが出ないものだけれども、看護を行う上では、哲学というものを深めていかなければならないと思いました。」

「とても役立つ授業でした。今までの自分の人生観や死生観をふりかえることができて、そして、これから自分の考えをおしつけることなく、学生や患者さんに向きあい、看護を提供するための本質を考えさせられる授業でした。」

「この授業を受けることによってたくさんのことを考えさせられました。答えがないものを考え続けること、それはこれからも必要なことなんだと思います。人間とは、死生観などとてもスケールが大きいですが、それに関わり続けるのが私たち看護師なんだと思います。改めて、看護師という職業を選んでよかったと思える授業でした。ありがとうございました。」

「哲学と看護はどう関連があるのか始めはあまりわからず、哲学は難しいものであると思っていた。しかし、人間や生命、死について学んでいく中で、自分の看護観であったり、死生観、患者観が明確になっていった。そして、それが看護師につながった時、哲学は大事なんだと強く感じた。常に物事に対して探求すること、考えて深めることをしていきたい。レポートを回し読みすることで、他の人との考え方の違いや、自分にはない思いを知ることができてとても良かった。私も授業でやろうと思う。」

「今回の授業で、自分が今まで正面から向き合ったことがなかったについて考えることで、答えがこれと決まらなくても考え続けることが重要なのだとわかりました。授業構成もとてもわかりやすく、関連づけがされていたり、熟考の上で一言一言が準備されているとわかりました。授業はこうでなければならないのだと学べました。ありがとうございました。」

「私達は学生に教えていく立場になるので、授業でそれをやる目的とかまでわかりやすく言葉で教えていただきとても参考になりました。難しい 『死の教育』 を集中してうけることができました。この授業で私の死生観も形が見えてきた気がします。ありがとうございました。当たり前なことに感謝することを忘れないようにしたいです。」


皆さん、リップサービスも含めてなんでしょうが、
全体として身に余るお褒めの言葉を頂戴し、たいへん有り難く思っております。
そんな中で唯一こんなふうに書いてくださった方がいらっしゃいました。


「哲学はよくわかりません。看護師が哲学者でなければならないのであれば、私は看護師をやめたいと思いました。看護師が身体・魂の世話をするのは当たり前ですが…。この講義を受けての哲学者のイメージが私の中でよくないので、納得ができません。それから、言語に関しても納得できません。こじつけにしか思えません。私は私の捉え方や感性を大切にしたいと思います。」


この講義全体の結論が 「看護師は哲学者でなければならない」 だったのですが、
それに真っ向から異を唱えてくださいました。
言語云々の話は、動物には言語はなく人間だけが言語をもっていると私が述べたのに対して、
ワークシートの中で何回かやりとりをしたことを指しています (言語についてはそのうち書きます)。
私の 「哲学」 の授業、ならびに、哲学そのものに対する厳しい批判、懐疑が表明されたわけですが、
これを読んで私はとてもうれしくなってしまいました。
哲学の根本にあるのは 「懐疑の精神」 であり、誰かが言ったことを鵜呑みにするのではなく、
師匠であれ、偉い人であれ、大学教員であれ、どんな人の言葉をも疑ってかかるのが哲学である、
だから自分はスーツを着ることによって自分の講義を権威づけるようなことはせず、
ちゃらけた服装で授業をして、自分の話をあまり真に受けたりされないようにしているのだ、
と第1回目の質疑応答の時に話させていただきました。
この方はまさにその 「懐疑の精神」 でもって私の哲学の授業に臨んでくださったのです。
まあ、これを書いてくださった方自身は、
せっかく勇気を奮って書いた、哲学や哲学の講師に対する拒絶の言葉を、
こんなふうに再び哲学 (や小野原の哲学の講義) の中に回収されてしまうのは、
不本意きわまりないであろうと思いますが、
私としてはこういう批判的な聴衆を得ることができたことをたいへん有り難く思っております。
苦々しい思いばかりが募る15時間だったかもしれませんが、
最後までお付き合いくださり本当にありがとうございました。

さて、3年前の講習のときは講師も含めての飲み会というのが設定されたのですが、
今年もあるのでしょうか?
皆さんとの再会を楽しみにしたいと思います。
なお、皆さんからいただいた質問にはこれからもゆるゆるとお答えしていくかもしれませんので、
ときどきこのブログをご覧いただければと思います。

なぜそこ?

2012-06-26 20:11:34 | グローバル・エシックス
<消費増税法案> 衆院通過 民主反対57人

だそうだ。

大飯原発の再稼働に関してはなんの造反も関心もなかったようだが、

消費税増税にはこんなに真剣になるんだね。

反原発よりも反増税のほうが票に直接つながると思っているのでしょうか?

なめられてるな日本国民。

いや、それとも日本国民のマジョリティは実際にその通りなんだろうか?

悲しい…。


エスパル再開

2012-06-23 14:03:44 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
今日は久しぶりにピンキーでカット。
次回の予約を入れておくのを忘れると、学期中はなかなか行くヒマがなく、
急に時間ができても予約が取れなかったりする。
そんなこんなでボサボサに伸びまくって限界を超えてから予約を入れ、
取れたのはそれから10日後だったりして、やっとのことで散髪できることになった。
今日の午後は 「本 de てつがくカフェ」 なので、さっぱりした頭で皆さんに再会できる。
開店早々の10時の予約。
10時5分前頃に駅前を歩いていると、福島駅東口に大行列ができていた。



この行列は延々と続き、最後尾はミスドの先のほうであった。



何事かと思えば、今日は駅ビル 「エスパル」 1階のリニューアルオープンの日。
そうそう、もうかれこれ1ヶ月半以上、エスパル1階は改装のため休んでいた。
福島駅東口利用者としてはここの休業はひじょうにツライ。
特に、輸入食材店 「ジュピター」 は、ワインやチーズ、オリーブ、オリーブオイル、パスタ類など、
なんちゃってイタリアンの私にとって生命線の食材の宝庫。
残念ながら FOODMAX では代替が利かないのである。
長期の不便を強いられた末、やっと今日再開してくれてホッとした。

カット後、さっそくチェックに。
ジュピターは店舗の場所は移動するものの、またここで営業してくれることはわかっていた。
他の店はどうだろうかと大混雑のエスパルを訪れてみると、大幅な模様替えが行われていた。
変わっていないのはマツモトキヨシくらいか。
一番の変化は、これまでまったく別の場所で個別に営業していて、そのため別途会計だった、
魚屋と八百屋と肉屋が一箇所にまとめられて、レジも統一化されていた。
生鮮食品に限定だが、ある種スーパーのような使い方ができるようになっていた。
それは消費者としては歓迎すべき点だが、出店している店が全部変わっているようで、
今までのお店がそれなりに気に入っていた私としては、ちょっと不安材料である。
エスパルはどこも高いけれどもいい食材が手に入ることで重宝していたからである。
その点は、今日は買い物をしなかったけれど、追い追い確かめていくことにしよう。

なんにせよ、ジュピターが再開してくれたことによって、
これでまた我が家でのホームパーティも再開できる。
オシャレな食材が揃わないと人寄せをする気にもなれないし、
わざわざ遠くまで買い出しに行くというのは、キリギリスの私には似合わないので、
歩いて行けるところに安心して買い物ができる店が必要なのである。
ただ心配なのは、このエスパルの人出がいつまで続くのかということである。
たぶんオープン記念のこの3日間だけの喧噪だと信じたいが、
いつもこんなに人がいるようだとゲンナリしてここで買い物する気は失せてしまうだろう。
「福島大好きっっっ!」 の理由の1つに、人が少ないというのは確実に入っているので、
経営者の皆さんには申しわけないが、エスパルも早く平時の福島に戻ってもらいたいものである。

Q.哲学の話は人との会話の中で盛り上がることはできますか?

2012-06-22 20:15:44 | 哲学・倫理学ファック
のっけから結論を言ってしまいましょう。

A.人によりけりです。

それにしてもこの質問って反語表現なんでしょうね。

哲学の話で盛り上がれるのだろうか (いや、けっして盛り上がることはあるまい)。

哲学ってそんなふうに見られているのでしょうね。

でも、哲学研究者どうしであればもちろん哲学の話で盛り上がれるんですよ。

以前にその手の質問を頂戴してお答えしたことがあるので、そちらをご参照ください。

まあこれはすべての専門について言えることですので、哲学に限った話ではありません。

専門家どうしはその専門の話で盛り上がれるに決まっているのです。

問題は専門家どうしではない場合です。

哲学に限らず、なんらかの学問をやっている方々となら、

けっこう哲学の話で盛り上がることができます。

これは、もとはといえば哲学はすべての学問を含んでいたからだと言えるでしょう。

哲学はすべての学問とどこかでつながっているものなのです。

したがって、いろいろな学問をやっている方々は多かれ少なかれ哲学に関心をもっていますし、

哲学をやっている人間も、すべての学問と何かしらのつながりを感じています。

そこらへんが共鳴しあってわりと哲学の話で盛り上がることができるのです。

学問とは無縁の方の場合は本当に難しくなります。

ふだんからものを考えている人となら少しは盛り上がれるかもしれません。

それはこちら側の力量にもよりますね。

難しい専門用語を使わずとも、わかりやすい実例とかを持ち出しながら話せるかどうか。

そういうことができるならば、ふだんからいろいろ考えている人を、

さらに深い思索に誘うような会話ができるかもしれません。

あまり物事を深く考えたりしない人、

知り合いからの情報や、マスコミ上に流れる情報をただキャッチするのに精一杯で、

それらを取捨選択しようとか、真偽を確かめようと思わないごくフツーの人とだと、

哲学の話で盛り上がるのは相当難しいんじゃないかと思います。

そういう人たちに対しては、哲学者の話とかしても見向きもされないのは明らかです。

そのような場合、ソクラテスのように、いろいろと質問を投げかけていく問答法によって、

哲学の問いへと誘っていくのが正攻法なんでしょうけれども、

自分が当たり前と思っている前提や常識をどんどん問い質されていくと、

しだいに頭に来てケンカになったりするのが落ちだろうと思います。

じっさいソクラテスもそうやって敵を作っていったあげくに告訴され、

最後は死刑に処せられてしまったわけですし。

と考えると、フツーの人との会話の中で、哲学の話で盛り上がるのは至難の業だという気がします。

ちなみに私は自分の家族と哲学の話をしたことはほとんどありません。

うちの母親は 「あんたいつ教授になるの」 とか 「いつ博士号取るの」 とかは聞いてきましたが、

「あんた何研究してんの」 と聞いてきたことは一度もありません。

私としても母を相手にカントの話を面白おかしく語ってみせる自信はありませんし。

というわけで、哲学の話で盛り上がれるかどうかは相手によりけりなんだと思います。

Q.福島は好きですか?

2012-06-20 17:24:10 | 幸せの倫理学
こんな直球の質問は初めていただいたような気がします。

やはりあんなことがあり、こんなことになっている最中だからでしょうか?

他にも 「Q.福島の現状を哲学の先生から見てどう思いますか?」 というような質問もありました。

相馬の看護学校でも 「Q.今の現状をどう思いますか?」 という質問をいただいていて、

何の現状のことか何にも書かれてないのでこちらで勝手に解釈するしかないのですが、

おそらくこれも 「福島の現状をどう思いますか?」 というような意味だったのでしょう。

今の福島をどう思いますかと問われると、もう言いたいことが山のようにあって、

自分の頭の中が整理しきれないくらいですので、これについては追い追い書かせていただきます。

今日のところは標題に掲げた質問に対してのみお答えしておきます。

そして、これもクローズド・クエスチョンではありますが、

たぶんお知りになりたいのはその理由のほうなんだろうと思います。

しかし、その理由もやっぱり山のようにありすぎて、頭の中を整理しきれません。

しかも今日はこのあと飲み会があるので、そろそろ出かけなければならず、

ゆっくりブログを書いている余裕がありません。

というわけで、今回は先取り的に結論だけ申し述べさせていただくことにいたします。






A.福島、大好きっっっ!





それでは、福島の夜の街に行ってきま~す

強制の空気から自由の空気へ

2012-06-19 17:14:17 | グローバル・エシックス
すでに Facebook 上ではご紹介したのですが、
URLだけだと、いつ中身が消えてしまうかもしれませんので、
記録のためブログのほうにも、全文を引用して留めておきたいと思います。

たまたまMLで知った、ある政治家の格調高い文章です。
長野県上伊那郡中川村の村長さん、曽我逸郎氏。
小中学校の入学式や卒業式で国旗に向かって一礼していないことを議会で問題にされ、
それへの答弁の原稿が中川村のHPに、「村長からのメッセージ」 のひとつとして掲載されています。
とかくギスギスしがちな論題ですが、質問者への感謝のことばから入って、
熱い想いを冷静に諄々と説いていっています。
ガンジーの言葉遣い (非暴力コミュニケーション) にも通じるものがありますね。
経歴を見るとこの方は哲学を専攻されていたようですが、やはり哲学を修めた人が政治をやると、
扇動政治家 (デマゴーグ) による衆愚政治とはひと味違った味わい深い政治になるのでしょうか?
プラトンの哲人政治論はあまり好きではなかったのですが、
こんな世の中ではちょっと藁をもつかみたい気持ちになってしまいました。


「村議会6月定例会 「国旗と国歌について村長の認識は」 との一般質問を頂きました。」

 中川村議会6月定例会で、高橋昭夫議員から、「国旗と国歌について村長の認識は」 という一般質問を頂いた。
 一問一答方式のため、受け答えはやりとりの流れに応じた “アドリブ” になっていき、正確に再現することは難しいので、頂いた通告と私の答弁原稿を以下に掲載する。

<一般質問通告>
 小・中学校の入学式や、卒業式の席で、村長は (壇上に上る際、降りる際に) 国旗に礼をされていないように思います。このことについて村長のお考えをお聞きしたい。

<答弁原稿>
 たいへんありがたい質問を頂戴しました。ご質問の件については、村民の皆さん方の中にも、いろいろ想像して様々に解釈しておられる方がおられるかもしれません。説明するよい機会を与えていただきました。感謝申し上げます。

 私は、日本を誇りにできる国、自慢できる国にしたいと熱望しています。日本人だけではなく、世界中の人々から尊敬され、愛される国になって欲しい。
 それはどのような国かというと、国民を大切にし、日本と外国の自然や文化を大切にし、外国の人々に対しても、貧困や搾取や抑圧や戦争や災害や病気などで苦しまないで済むように、できる限りの努力をする国です。海外の紛争・戦争に関しても、積極的に仲立ちをして、平和の維持・構築のために働く。災害への支援にも取り組む。
 たとえて言えば、日の丸が、赤十字や赤新月とならぶ、赤日輪とでもいうようなイメージになれば、と思います。
 世界中の人々から敬愛され信頼される国となることが、安全保障にも繋がります。

 これは、私一人の個人的見解ではなく、既に55年以上も前から、日本国憲法の前文に明確に謳われています。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 そして、憲法前文は、次のような言葉で締めくくられています。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。

 しかし、現状はまったく程遠いと言わざるを得ません。日本国は、名誉にかけて達成すると誓った理想と目的を、本気で目指したことが、一度でもあったのでしょうか。

 東京電力福島第一原発による災害では、国土も、世界に繋がる海も汚染させました。たくさんの子ども達が、かつての基準なら考えられない高汚染地域に放置されています。そしてまた、安全基準も確立しないまま、目先の経済を優先して、大飯原発の再稼動を急いでいます。放射性廃棄物をモンゴルに捨てようとしたり、原発の海外輸出まで模索しています。
 明治になって日本に組み入れられた琉球は、抑止力のためという本土の勝手な理屈で多くの米軍基地を押し付けられ、さらにまた美しい海岸をつぶして新たな米軍基地を造ろうとする動きがあります。イラク戦争に協力し、劣化ウラン弾で子どもたちが苦しめらることにも、日本は加担しました。兵器輸出の緩和さえ模索しています。
 他にも、福祉を削り落として、貧困を自己責任に転嫁するなど、言い出せばきりがありません。ともかく今の日本は、誇りにできる状態から程遠いと言わざるを得ません。

 しかしながら、誇りにできる状態にないから、国旗に一礼をしない、ということではありません。完璧な理想国家はあり得ないでしょう。しかし、理想を目指すことはできる。しかし、そのそぶりさえ日本にはない。それが問題です。
 
 もっと問題なのは、名誉にかけて誓った理想を足蹴にして気にもしない今の日本を、一部の人たちが、褒め称え全面的に肯定させようとしている点です。この人たちは、国旗や国歌に対する一定の態度を声高に要求し、人々をそれに従わせる空気を作り出そうとしています。
 声高に主張され、人々を従わせようとする空気に従うことこそが、日本の国の足を引っ張り、誇れる国から遠ざける元凶だと思います。
 人々を従わせようとする空気に抵抗することによって、日本という国はどうあるべきか、ひとりひとりが考えを表明し、自由に議論しあえる空気が生まれ、それによって日本は良い方向に動き出すことができるようになります。
 人々に同じ空気を強制して現状のままの日本を肯定させようとする風潮に対して、風穴を開け、誰もが考えを自由に表明しあい、あるべき日本、目指すべき日本を皆で模索しあうことによって、誇りにできる日本、世界から敬愛され信頼される日本が築かれる。日本を誇りにできる国、世界から敬愛される国にするために、頭ごなしに押しつけ型にはめようとする風潮があるうちは、国旗への一礼はなるべく控えようと考えております。

<以上、初回答弁の原稿>


<一問一答のやりとりの最後 (要旨)>
Q : 村長は子供たちが国旗に礼をしないようになる方がいいと考えているのか?
A : 教育内容について行政から口を挟むことは控えるべきだと考える。なにをどう教えるかは、教育委員会の管轄である。国旗に対して、どういう態度を取るべき、とか、取るべきでない、とか、これまでも申し上げたことはないし、今後も申し上げるつもりはない。

<新聞記者 (信濃毎日新聞、長野日報) との取材でのやりとりの最後 (要旨)>
Q : 子どもたちには、どうあって欲しいと思っているのか?
A : いろいろな人がいて、いろいろな考え方があるのだな、と感じてもらえれば嬉しい。その上で、自分はどう考えるのか、じっくり検討して欲しい。こういう態度を取らねばならないと、ただひとつの形しか提示しないのは問題。型にはめようとするのはよくない。「まぁ、この場は空気を読んでこう振る舞うのが大人だし…」 というような対応を積み重ねた結果、曾て、場の空気に絡め取られ戦争に向けて後戻りできない状況に陥り、後悔したのではなかったか。どういうものであれ、自分の感じ方、思いを気安く表明できる 「空気」 を創っていくことが大事。それによって、互いに議論が深まり、理想の日本、あるべき日本、目指すべき日本が模索され、その結果が皆に共有されていけば嬉しい。

2012年6月12日 曽我逸郎


【 6月18日加筆 】
 思いがけず大きな反響を呼び、驚いています。今日、朝の時点で、役場アドレスには40通のメールを頂いており、一通を除いて、すべて共感・賛同・応援でした。(一通は、「子ども達がかつてなら考えられない高汚染地域に放置されている」 とは事実でない。風評被害や差別偏見を助長するので再考と猛省を…との内容)
 twitterでもフォロワーが二百数十人急増しました。フォロー即ち賛同ではありませんが、多くのtweetにも、攻撃的なものはこれまで私の見た限りひとつもなく、共感の声ばかりです。
 また、多くの方が軋轢を心配して下さいましたが、それも特にはありません (私が鈍感なだけ?)
 地元紙の報道だけをご覧のおふたりから、私の不在中、役場に批判の電話があったそうです。
 それにしても、これだけ反響があったということは、なにか変だと感じつつ、それを口にしにくいもやもやした雰囲気が日本に漂っているということでしょうか。今後とも、言いたい事を言って、言いたい事を言える 「空気」 を生み出していきたく、みなさんお互い半歩前へ、頑張りましょう。
 
 

将来の選択

2012-06-18 08:40:13 | 教育のエチカ
うちの姪っ子の話。

高2の彼女、先日、三者面談があってお母さん (私の義妹) と一緒に行ってきたそうです。

そうしたら、彼女は将来なりたいものが決まっていなくて、

まだ決まってないなんて遅すぎると担任の先生にひどく怒られたんだそうです。

母親まで何やってるんですかと叱られて、2人でシュンとして帰ってきたとか。

おいおいおい、いい加減にしろよ、と。

むしろ高2で将来なりたいものが決まってるほうが気色悪いだろう。

高2ぐらいで安易に決められるような将来の職業なんて教員ぐらいのものじゃないんですか、先生?

あんたと同じ物差しですべての人間を計れると思うなよ。

あるいは、たんに進路指導で手ぇ抜きたいだけなんじゃないかとまで勘繰ってしまいたくなります。

もちろん進学ではなく就職を考えているのであればそろそろ考えておかなくてはなりませんが、

うちの姪っ子の場合はとりあえず進学を目指しているのですから、

まだ将来の像がはっきり描けていなかったとしても、それは怒ったり叱ったりするようなことではなく、

じっくり相談に乗ってあげるのが教育者というものでしょう。

大学生がどれほど進路に悩んでいるか見せてあげたいものです。

うちなんて元教育学部ですから、高校時代に教員になりたいと決めて入学してきた人が多いんです。

それでもみんな悩んでいるんです。

ましてや教員目指して教育学部に進学しようとしているのではない大多数の受験生たちは、

高校生の段階でなりたいものが決まっていなかったとしてもなんら不思議ではありません。

あの元気な姪っ子がシュンとなっていたと聞いてちょっと熱くなってしまいましたが、

将来の選択というのは一生に数度しかない大事な機会なんですから、

結論を急がせず、ゆっくりじっくり考えさせてあげてほしいものだと思うのでした。

Q.お酒のおつまみは何が好きですか? (その2)

2012-06-17 08:27:40 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
まさかの第2弾です。
今日はワインと焼酎に合うおつまみです。
まずワインから行きましょう。

ワインに合うおつまみといったら、キリスト教2000年の歴史に敬意を表して、
まず最初にパンを挙げておきたいと思います。
聖餐の秘跡においてワインはイエスの血、パンはイエスの身体です。
まあ私はキリスト教とは何の関係もありませんが、
ワインを育んだヨーロッパの歴史と文化には深く感謝しておりますので、
やはりワインといったらパンでしょう。
パン類は大体全部好きで、お米よりもはるかにパンの摂取量のほうが多いのですが、
とりわけワインに合うのはフランスパンだと思います。
わりと大きめに切って軽く焼き、オリーブオイル+バルサミコ酢+クレイジーソルトに浸けて食べます。
薄く切って、パテをつけたり、トマト系のディップをつけるブルスケッタも美味しいですが、
パンそのものの味や香りを堪能するにはそのまま行くのが一番だと思います。
フランスパンは皮が命ですので、私は一番両端の部分が好きです。
たいていの日本人は皮ではなく白い中身のほうが好きですので、
私は誰とバッティングすることもなく一番美味しい部分を独占することができます。
究極、美味しいワインとパンさえあれば、十分素敵なディナーになると思います。

とはいえパンだけでは味気ないので、もう一品用意するとしたらオリーブかなあ。
瓶詰めでもいいし缶詰でもいいし、種付きでもいいしスタッフトでもいいですが、
オリーブがあるとワインが進みますね。
食卓に出すときはオリーブをオリーブオイルに浸けて、オレガノやバジルなどをふりかけて出します。
これだけでなんだかヨーロピア~ンな感じになりますね。

それからちょっと変わったところではイチゴやブルーベリーなんかもお気に入りです。
その昔に流行った 『プリティ・ウーマン』 という映画で、
リチャード・ギアがシャンパンにはイチゴが合うよとジュリア・ロバーツに勧めていました。
あのシーンはモエ・エ・シャンドン社の広告戦略として挿入されたそうですが、
実際、シャンパンばかりでなく白ワインでも赤ワインでも合いますので、
うちではデザートではなくおつまみとして最初から他の料理と一緒にテーブルに出しておいたりします。
同様にブルーベリーなんかもワインのお供として最適だと思います。

ワインとチーズの組み合わせも鉄板ですが、まだあまり詳しくありません。
チーズも勉強しなきゃいけないんですが、奥の深い世界ですね。
今のところは 「ジュピター」 で白カビチーズと青カビチーズとミモレットあたりを買ってきて、
テキトーに切って並べて出しているだけという段階です。
最近、東京のフレンチレストランではデザートの代わりにチーズを出してくれて、
コーヒーではなく赤ワインで締めるということをさせてくれる店があります。
甘いものになんの執着もない人間としては、
こういうサービスが日本中に広まってくれることを心より期待しております。

あとワインのおつまみというと、私の場合はイタリアン全般になるでしょうか。
たんにフランス料理は作ることができないという意味で、
自分で作るとしたら、見よう見まねで作るなんちゃってイタリアンぐらいしか用意できないわけです。
牛肉ではなく白身魚やホタテなどで作るカルパッチョとか、
野菜類をトマトで煮込んだ料理とか、野菜を蒸したり焼いたりしてオリーブオイルを回しかけるみたいな、
いわゆるもこみち流の料理はワインに合うのでよく作りますし、
外でワインを飲むときも美味しいイタリアンのお店を選びがちです。
飲むワインもニューワールドが主ですし、その意味ではまだワインは駆け出しにすぎません。
というかワインを本格的に楽しもうと思うと、
それなりのフレンチレストランに行って、料理と同額くらいのフランスワインを開けて、
チーズにもけっこうな金額をかけなきゃいけないし、今の稼ぎじゃムリかなあ。
今は身の丈に合ったワイン・ライフを楽しみたいと思います。

さて、次に焼酎に合うおつまみですが、
焼酎に合うおつまみというと、私の場合、日本酒に合うおつまみと完全に重なっていて、
和食全般がそれに当たります。
ジャンキーな食べ物はビール、それ以外の和食は焼酎・日本酒という棲み分けになっています。
それ以上、焼酎にはこれがいいっていうメニューは特に思い当たらないなあ。
そうやって考えてみると、若い頃は完全にビール党だったし、就職してからは基本ワイン派で、
焼酎を飲むようになったのは二日酔いで翌日の仕事に差し支えるのを気にするようになってからだし、
それまで体質的に苦手だった日本酒を飲めるようになったのも日本酒の師匠に出会ってからだから、
焼酎や日本酒は駆け出しというレベルにすら至っていないんでしょうね。
うーん、まだまだこれからだな。
人生やっと3分の1を過ぎたところ、ゆっくりじっくり勉強していかなければっ!

なぜこうなるっ!?

2012-06-16 07:12:45 | グローバル・エシックス
こういう流れ↓のなかで、

「<脱原発>「さようなら原発」運動、再稼働反対署名750万人 衆院議長に180万人分提出」
(2012年6月13日(水)13:00)

「<福井・大飯原発>再稼働問題 「再考を」民主119人が署名 小沢元代表や鳩山元首相も」 (2012年6月14日(木)13:00)

「大江健三郎さんら、脱原発署名を首相あてに提出」 (2012年6月15日(金)17:06)

「首相官邸前に1万1000人!「再稼働を許すな!官邸前行動」」 (2012/06/15 17:16)


なぜこう↓なるっ !?

「政府、大飯再稼働を決定へ=原発事故後で初、来月にも運転―知事同意受け・閣僚会合」 (2012年6月16日(土)05:04)

Q.お酒のおつまみは何が好きですか?

2012-06-15 17:45:04 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
今回の看護教員養成講座も飲んべえの人がけっこういらっしゃるみたいですね。
第1回のときに偏愛マップを書いてもらいましたが、
学生よりはお酒とのつきあいも長い分、
好きなものとして 「お酒」 というカテゴリーが設けられている人が多かったです。
好きなお酒の種類や銘柄についても質問を頂戴していましたが、
今日はまずおつまみに関する質問にお答えしておきましょう。
ワークシートにはこんなふうに書かれていました。

「お酒のおつまみは何が好きですか。ビールの時、ワインの時、焼酎の時。」

お酒の種類によってそれに合うつまみが変わってくるというのは酒飲みには常識ですが、
学生たちにはそういう発想はまだ育っていない場合が多いです。
もちろんそれぞれのお酒の銘柄によってさらに合う、合わないは変わってきてしまうのですが、
そこまで細かい話はさておき、今日のところはざっくりとお答えしておきましょう。

ビールの時はまずなんといっても鶏の唐揚げですね。
鶏の唐揚げは私の中で好きなおつまみというよりも好きな食べ物として上位にランキングされています。
金谷川駅前の 「たんぽぽ」 という食堂では必ず鶏の唐揚げが含まれる定食を食べています。
居酒屋に行ってもまず間違いなく頼みます。
鶏の唐揚げは焼酎でもいいですが、やはりビールのほうが合うんではないでしょうか。
だいたいビールにはジャンキーな食べ物が合うと思います。

おつまみと言えるかどうかわかりませんが、ジャンキーつながりで言うと、
ビールにポテトチップって合うと思います。
昼間っからポテチにビールという背徳的な組み合わせで飲んでいると幸せになります。
DVD見るときもポテチとビールは離せません。
指が油っぽくなってしまうのもそれはそれでいいのですが、
ソファを汚したくないときなどはお箸を使ってポテチを食べることもあります。
ポテトチップは厚切りでジャガイモ本来の旨味を味わえるものを選びたいところです。

ビールのおつまみとしてさらに定番なのはソーセージです。
噛んだときに肉汁が飛び散るようなソーセージにビール。
甘いカクテルしか飲めないような草食系の男子どもには絶対にわからない快楽です。
もちろんソーセージにはたっぷりの粒マスタードを添えたいところです。
粒マスタードを添えていなかったりケチったりしている店では2度とソーセージは頼みません。
ビールとソーセージというのは、本場ドイツ伝来の正統的な組み合わせです。
私はカントというドイツの哲学者を研究しているのですが、
一度もドイツに行ったことはありませんし、特に行きたいとも思いません。
カントが書いたものには興味あるのですが、
カントが育ったところ (実はドイツではなく現在のロシヤですが…) にはまったく興味ないのです。
しかし、ドイツに留学した友人たちの話を聞いていると、
本場のビールとソーセージはものすごく美味しそうなので惹かれてしまいます。
本場の正統的組み合わせを楽しむために1度行ってみてもいいかなという気がしてきました。

ソーセージ同様、餃子とビールの組み合わせも鉄板だと思います。
しかし、これはビールのおつまみとして餃子! なのではなく、
餃子を食べるときはビール! なんだと思います。
ですので、居酒屋で餃子を頼むことはそれほどありません。
美味しい餃子を食べられる店に行ったときにビールを注文する、という関係になっています。
アツアツの餃子を頬張りながらキンキンに冷えた生ビールを飲む、これはサイコーです。
ところで、宇都宮は餃子の街として知られていますが、
宇都宮の餃子屋さんってビールを置いていない店が多いのです。
これはまったく意味がわからないですね。
宇都宮の餃子はどこの店も安いので、
お客さんの回転率を上げなければお店がやっていけないのだろうということはわかりますが、
餃子とビールのあの蜜月の関係を断ち切ってしまうなんて、根本的な戦略ミスとしか思えません。

同様に、これもビールのおつまみとしてというよりも、
鉄板の組み合わせとして、タン塩とビールというのもあると思います。
これは塾で働いていた頃の同僚に教えてもらいました。
焼き肉屋に入ったらとりあえずタン塩と生ビールだけ注文します。
タレのものと一緒に焼くと網が汚れてしまうからです。
タン塩は焼くのもそんなに時間かかりませんから、緊急に小腹を落ち着かせるのにも最適です。
生ビールをガツンと飲んで、レモン汁につけたタン塩をパクリ。
うーん、焼き肉屋に行きたくなってきたぞ。

なんだかビールだけですでに長々と書いてしまいました。
もっと短く、すべてにお答えできるかと思っていたのに、
よけいな解説を付け加えるからいけないんですね。
とりあえず今日のところはこれくらいで勘弁してあげましょう。
ワインと焼酎のおつまみについては次回に一括してお答えすることにいたします。

Q.ジョン・レノンに似ていると言われたことはありますか?

2012-06-14 12:30:04 | 哲学・倫理学ファック
この質問は看護学校関係の授業では初めていただきました。

まあ、看護教員を目指そうという皆さんはともかく、

看護学校の学生さんたちはジョン・レノンなんて知っているとしても、

音楽の教科書で 「イマジン」 の楽譜を目にしたことがあるくらいで、

きっと顔なんて知らないか、興味ないんでしょうね。

それと比べると、今回の看護教員養成講座では2人からこの質問が出されていたので、

パッと見若く見えるようでいて、やはり皆さんは私の世代に近いのでしょうか?

それはさておき、この質問にはとっとと答えておくことにしましょう。


A.ごくたまーにジョン・レノンに似ていると言われることはあります。


でもホントに少ないですね。

例のあの人 (ヴォルデモートかっ!) に比べるとはるかに少なくて、

生涯で5回も言われたことないくらいです。

だから今回一気に 「言われた回数」 が増えてしまいました。

私はジョン・レノン・ファンですから、学生の頃は自分では少し意識していて、

そのため丸めがねを買ってかけたりしていたこともあったのですが、

それでも人から似ているとは言ってもらえませんでした。

むしろ歳を取ってから少し言われるようになった感じですかね。

まあでもけっきょくメガネの問題なんじゃないでしょうか?

あんまり顔立ちが似ているわけではなくて、

メガネをかけているところが似ているというくらいなのではないでしょうか。

しかし、ジョン・レノンに似ていると言っていただけるのは素直にうれしいです。

あの人くらいのメッセージを発信できるようになりたいものだと思います。

Q.金縛りは現実体験ですか? 他

2012-06-13 20:06:31 | 哲学・倫理学ファック
今日の看護教員養成講座では 「臨死体験」 の話を読んでもらい、
それが現実体験なのか脳内現象にすぎないのかについて考えてもらいました。
その説明のときに夢の話をしたからでしょうか、
金縛りに関する質問を複数の方からいただいてしまいました。
これについては以前に別の形で質問をいただいたことがありますので、
まずはそこを読んでみてください。

  「Q.金縛りについてどう思いますか?」

この記事の本文で私自身は、「A.恐かったです」 としか書いていないので、
今回の質問にはお答えしたことにならないのですが、
以前、福島大学にいらっしゃった福田一彦先生のホームページを紹介しておきました。
3年前の看護教員養成講座のときは福田先生が教育心理学を担当していらっしゃって、
講師も招いての皆さんの飲み会に一緒に招待され、
2人とも似たような黒いポロシャツで着ていって、
お互いに 「マネしないでよ」 と言い合ったことがあります。
そんなことはどうでもいいんですが、福田先生のHPの中に 「金縛りについて」 という記事があり、
そこでは簡潔に、金縛りが現実体験ではないことが説明されています。

なお、先ほど紹介した私のブログのコメント欄では、
福田先生が 「明晰夢」(夢だとわかる夢) についても詳しく説明してくださっていますので、
関心のある方はそちらも読んでみてください。

今日のテーマは 「死んだらどうなるのか?」 でしたので、こんな質問も頂戴しました。
「Q.先生は幽霊を信じますか?」
これに対してもすでに解答ずみですのでそちらをご参照ください。

  「Q.人は死んだらどこへ行くのだと思いますか?」

また、今日の授業の中ではやりませんでしたが、
看護学生たちには、患者さんに 「死んだらどうなるんでしょうか」 と聞かれたらなんと答えるか、
というグループワークをやってもらっているという話をしました。
それに関する話もブログに書いてあるので、興味があったら読んでみてください。

  「Q.『死んだらどうなるの?』 と聞かれたら」

答えはわからないけれども、どうしても気になっちゃう問いってありますね。
哲学は心理学みたいにバシッと答えを教えてあげることができませんが、
答えのない問いをうじうじと考え続けるのも楽しいのではないでしょうか。

和解のテクニック

2012-06-12 12:20:45 | 幸せの倫理学
野口嘉則さんの 『鏡の法則』 という本を読みました。

号泣です

100ページ足らずの短い本ですので、山形から福島に帰ってくる新幹線のなかで、

米沢駅あたりから読み始めて福島駅に着く前に読み終わってしまったのですが、

満員の新幹線の中でおいおい泣きながら読んでいましたので、恥ずかしいことこの上なかったです。

隣の人が爆睡してくれていたことだけが救いです。

前半3分の2が実話に基づくあるケースの紹介、残り3分の1が簡単な補足解説になっています。

この実話の部分が泣かされてしまうんだなあ。

副題は 「人生のどんな問題も解決する魔法のルール」 です。

昨年の 「戦争と平和の倫理学」 の授業で 「非暴力コミュニケーション」 を紹介しましたが、

それとはちょっとタイプの違う、

コーチング理論に基づいた、人間関係の問題解決方法を教えてくれる本です。

「ゆるせない」 と思っている人がいる方々にぜひお勧めしたい本ですし、

そうでなくても人間関係で悩んでいる人、困っている人に読んでもらいたいです。

実話部分を読んでいるだけで十分おもしろいですが、

解説部分では、「ゆるせない」 人と和解するための具体的なテクニックが、

8段階に分けてまとめられています。

途中、若干勇気を必要とするステップもありますが、ほとんどは簡単にできる作業です。

こんなことで 「人生のどんな問題も解決する」 なら試してみない手はありません。

人間関係で困っている人はぜひやってみてください。