まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q.どこからが哲学なんですか? (その2)

2011-04-30 19:25:39 | 哲学・倫理学ファック
「Q.どこからが哲学なんですか?」 に対する第2バージョンのお答えです。
授業のなかでも代表質問に対してお答えしたとおり、
哲学のはじまり、出発点は 「何にでも疑問を持ち自分で考えること」 でした。
これは人類にとって偉大な一歩だったと言えるでしょう。
この一歩を踏み出さなければ、私たちは未だに神話の世界に住んでいたかもしれません。
そして、この一歩は学問の始まりの第一歩でもありました。

ギリシア語の 「フィロソフィア」 は日本語では 「哲学」 と訳されていますが、
この訳語は 「フィロソフィア」 の元の意味である 「知への愛」 の感じを、
うまく表現できていないのではないかと私は思っています。
そのことは 「Q.哲学って何ですか?」 のところに少し書いておきました。
「哲」 という漢字がどういう意味であるかを知っている人は少ないので、
「哲学」 と言われてなんらかのイメージを持てる人はまずいませんし、
それは 「知への愛」 のことなんだよと説明したとしても、
日本人には 「知=疑」 であるという図式もなかなか理解してもらえないのです。
そこで私は 「フィロソフィア」 を 「学問」 と訳すべきだったんじゃないかと提唱しています。
「学問」 とは 「問いを学ぶ」、「問うことを学ぶ」 と書きます。
二字熟語のなかに 「疑問」 を表す言葉が入っているのは、
とてもうまく 「フィロソフィア (知への愛)」 の感じを表現できているように思うのです。

しかも、実際に長い歴史のなかで、フィロソフィアはずっとすべての学問のことを意味していました。
その点については昨年、NHK文化センターの 「哲学って何だろう?」 という講座で話しましたので、
まずはその第2回講座のブログを読んでみてください。
そこでは19世紀の初めくらいまではフィロソフィアはすべての学問を意味していた、
ということを書いておきました。
ですから、フィロソフィアを 「哲学」 なんて呼ばないで 「学問」 と訳せばよかったんだ、
という私の主張はあながち間違ってはいないだろうと思うのです。

しかし、19世紀以降、フィロソフィアはちょっと変わっていきます。
というか、フィロソフィアが変わったというよりも、学問が変わっていってしまったのです。
そのあたりのことは第3回講座のブログに書きました。
そのなかの 「3.科学の発展史」 のところを読んでみてください。
学問がたんに、与えられた答えを疑い自分で新たな答えを考え出す試みであったあいだは、
みんながそれぞれ自説を述べあうばかりで何が正しいという決着はなかなかつかずにいたのですが、
観察や実験に基づいて 「実証する」 という手法が採り入れられることによって、
学問はものすごい勢いで進歩し始めることになりました。
「実証化」 によってみんなが納得できる正しい答えがどんどん獲得されていきましたので、
学問は一気に高度化し、それによって 「分業化」 もせざるをえなくなりました。
実証化によって分業化した学問が 「科学」 です。
16世紀頃から、さまざまな科学が哲学のなかから独立していきました。
それでも18世紀くらいまではあいかわらず、
科学も含めてすべての学問は哲学と呼ばれていたのですが、
19世紀に入ると科学は哲学から完全に独立して、
「実証科学」 という名の、哲学とは別の学問群を形成することになりました。

したがって、19世紀以降の哲学は、
科学がどんどん分離独立化してしまったあとに残された学問のことだけを指すようになります。
つまり、実証化できなかった学問が哲学として残ったのです。
実証化できないというのは、観察や実験によっては答えが出せないということです。
実証化は学問の発展にとっては不可欠の要素でしたが、
しかし、すべての問題が観察や実験によって答えが出せるとは限らないのです。
そうでない問題はたくさんあります。
例えば、死んだらどうなるのかということは経験によって知ることはできません。
神様がいるかどうかということも観察によって答えが出るようなことではありません。
よい生き方、悪い生き方はどういうものかというのも、
アンケート調査して答えがわかるというような性質の問題ではありません。
このように実証的には答えの出せない問題はまだまだいくらでも残っているのです。
それを扱っているのが現在の哲学なわけです。
実証的には答えが出せないので、あいかわらずみんながそれぞれ自説を述べあうばかりで、
何が正しいという決着を出せずにいるため、
他の諸科学に比べて、何やってるのかよくわからないという印象を与えてしまっていますが、
しかし人間は実証的に答えが出せない問題もやはり考えていかなくてはならないのです。
というわけで、第2バージョンの答えとして次のように答えておきたいと思います。

A-2.実証的に答えの出せない問題について深く考え続けていくのが哲学です。

ホントはもうちょっと付け加えたいところですが、
今日のところはこれくらいにしておきましょう。

二歩前進

2011-04-28 19:38:05 | お仕事のオキテ
4月23日までの休講期間も終わり、まだ大学は始まっていませんが、
学生さんたちはしだいに福島に戻ってきつつあります。
倫理学ゼミの卒論生も、公務員試験等もあり福島に帰ってきてくれました。
待ってました、という感じです。
4月の初めに書いた 「一歩前進」 という記事では、
今後の復興計画の全体像が見えてきたと書いたのですが、
そのアクションプランの中には、次のような工程が含まれていました。

「右壁面の木製の本棚は、全体が少し動いてしまい、
 コンセントを圧迫してしまっていますから、一度全部本を外に出して、
 皆さんに手伝ってもらいながら、本棚を元の位置に戻さなければなりません。」

これはどう考えても1人でできるような作業ではなかったので、
どうしても学生さんたちの力を借りなければならなかったのですが、
みんな福島にいないためにこの作業に手をつけられずにいたわけです。
というわけで、学生さんたちが戻ってきてくれたところで、
ようやく懸案の作業に取りかかれることになり、昨日決行いたしました。
卒論生のほかにもう1人地域生活文化クラスの4年生に来てもらい、3人で作業です。

まずは木製の本棚から本を取り出し、廊下に積み上げていきます。
左壁面のスチール本棚よりは収納力が低く、
それほど本は入っていないのではないかと思っていましたが、
とんでもない、けっこうたくさん入っています。
しかも、アリストテレス全集やら和辻哲郎全集などなど、
分厚い全集ものがごっそり入っていますので、1冊1冊が重いのなんの。
予想以上に時間がかかりましたが、なんとか全部撤去することができました。



しかし、これで終わりではなく、
さらにこの危険な状態 ↓ になっているスチール製の書庫のなかの、



書類なども全部いったん廊下に出して、
この書庫そのものを撤去してしまわないとなりません。
そうしないと、木製の本棚を元の位置に戻すことができないのです。
この書庫の中にも、要るのか要らないのか後生大事に取ってある、
大学時代のノートやら昔の書類などが大量に入っていて、
書庫が崩壊しないように注意しながら全部取り出していくのは大変な作業でした。
しかし、若者のパワーに助けられながらなんとか無事にやり遂げました。



すると、廊下はもうたいへんなことになってしまいました。
自分の研究室の前に並べるだけでは収まりきれず、
お隣の部屋や向かいの部屋の壁際にも並べさせていただきました。



木製の本棚に入っていた全集類はこのあとすぐに元に戻すつもりですので、
皆さまには一時待避ということでご勘弁願います。
木製の本棚を元の位置に動かすという大仕事は完全に若者に委ね、
私は、もうちょっと右へとか、もっと壁に寄せてなど口で指示するだけの老人に徹しました。
そして、正しい位置に戻せたところで、本を再び収納していきます。
たいへんな作業でしたが、なんとか2人のおかげで終えることができました。

これで本棚の修復はほぼ終了です。
あとは歪んでしまったスチール製書庫の代替品が届くのを待って、
書類を元に戻すだけですが、これが届くのはいつのことになるかわかりません。
どういう経費で購入すればよいのかも当分は決まらないでしょう。
というわけで、私の研究室の前はあいかわらず避難中の書類が積み上げられたままです。
さすがにお向かいさんの壁際は使わずにすんでいますが、
授業が始まってもしばらくのあいだはこのままではないでしょうか。
皆さまにはご不便をおかけいたしますが、なにとぞよろしくお願い申し上げます。

第1回 「てつがくカフェ@ふくしま」 再開催決定!

2011-04-27 22:54:24 | 哲学・倫理学ファック
第1回 「てつがくカフェ@ふくしま」 が延期されていましたが、開催が決定いたしました!

詳細はこちらをご覧ください。



    第1回 「てつがくカフェ@ふくしま」

テーマ:「いま、〈ふくしま〉で哲学するとは?」

日 時:2011年5月21日(土) 15:00~17:00

場 所:パセナカミッセ・地域交流スペース(福島市置賜町8-8)



当初予定していた 「友だちとは誰か?」 よりもちょっと重い議題になってしまいましたが、

まあそんなに構える必要はありませんので、

これから哲学カフェをどうやってやっていこうかを相談するという程度と思って、

軽い気持ちでご参加ください。

ファシリテーターのぢゅんちゃんがどれほど気合いを入れているかはよくわかりませんが、

私的には、終了後の二次会のほうに力点を置いておりますので、

参加される方はぜひ二次会にも合流してください。

パセナカMisse のどこぞの店で福島復興に貢献しましょう!

Q.どこからが哲学なんですか? (その1)

2011-04-26 06:08:01 | 哲学・倫理学ファック
今回はちょっと本格的な問いを取り上げます。
正確にはこんなふうに質問していただきました。
「Q.ふだんの生活の中でもいろいろ悩んで深く物事を考えていくことがあると思うのですが、
 どこからが哲学なんですか?」
この問いは、私のほうから哲学に関してまだ説明しないうちにいただいた質問です。

私の授業では一番最初に、
「今現在あなたがもっている哲学という学問に対するイメージ」 を聞いています。
これが出発点になるわけです。
すると、看護学校の生徒さんたちはだいたい、
「難しそう」、「硬そう」 とか、「眠くなりそう」 というイメージを抱いていて、
なによりも 「自分には関係のない学問」 だと思っている人がけっこういます。
こうしたイメージを払拭してもらいたいというのが私の願いですので、
哲学とは 「何にでも疑問をもち自分で考えていく学問」 なんだから、
意外とみんなの身近にあって、みんなもすでにやっていることなんだよ、
ということを強調するようにしているわけです。
しかしながら、その私からの説明を受けて、最後にこんなことを感想として書いてくれた人もいました。

「私ははじめ哲学は、
 今までの哲学者の考えてきた事をもとに論文などを書いたりしているのだと思っていたが、
 そうではなく、何にでも疑問を持ち、考えていく学問であると感じた。
 結論は同じになってしまっても自分なりの答えを考えるのが哲学であると感じた。」

こんなふうに思っていただけたというのは、私の狙いどおりなので万々歳ではあるのですが、
学者としては、ちょっとやりすぎてしまったな、ウソを教えてしまったのかもしれない、
と反省せざるをえないわけです。
この方がはじめに抱いていた哲学のイメージ、
「今までの哲学者の考えてきた事をもとに論文などを書いたりしている」 というイメージは、
現在の哲学 (学問としての哲学研究) がやっていることを正確に表現していますので、
そのイメージを変更させてしまってはいけないのです。
うーん、わかりやすく説明するのって難しい…。

最初の質問に戻ると、今回の質問者の方は、私が説明する前から、
「ふだんの生活の中でもいろいろ悩んで深く物事を考えていくこと」 があり、
そういうことは自分だってやっているということはわかった上で、
その営みと、哲学という学問が現在最先端でやっている営みとはどう違うのか、
ということを聞いてくださっているのだと思われます。
哲学に対する最初のイメージ、出発点が、私の想定しているレベルとはまるっきり違うわけですね。
これに対してはやはり真摯にお答えしなければいけないでしょう。
しかし、今回1回でお答えしきれるかどうかわかりませんので、
今後、何回かこの問いは引っ張っていくことになるかもしれません。
それにしてもどうお答えしたらいいんでしょうか、ふーむ…。

ひとつには、ここ ↓ で書いたことを利用して答えられるかもしれません。

「Q.哲学を一言でいうと何ですか?」

このなかで私は、「哲学とは根本的 (ラディカル) に考えることです」 と書いています。
「ただ考える」 ことと、「根本的に考える」 ことの違いが、
「どこからが哲学なんですか?」 という問いに対する答えになるような気がします。
つまり、ふだん人は物事を深く考えるといっても、
人間が生きていく上で当然のこととして前提しているようなことまで疑ったりはしていません。
他人にも心はあるのかとか、外界は本当に存在しているのかとか、時間って何だろうとか…。
そういう根本的な問題を考えるのが哲学なんです、というので答えになっているでしょうか?
例えば、医師や看護師たちは、病気は悪いもので、病気を治すのはよいことだと信じ前提した上で、
どうやったら病気を治せるだろうかということについて深く考えています。
これに対して哲学 (や倫理学) は、そもそも病気とは何なのか、
はたして病気を治すことは本当によいことなのか、という根本的な問題を考えていきます。
そこで、第1バージョンとして、次のように答えてみることにしましょう。

A-1.たんに 「How To」 の問いではなく、
    「そもそも」 という根本的な問いを立てるところからが哲学です。

このような答え方は、
他の学問に比して哲学がどれほど変わっているかということを強調することになります。
まあ、これはこれで哲学の奇妙さを表していていいのかなとも思いますが、
私が当初伝えたかった、哲学はみんなの身近なものなんだよ、というところからは、
どんどん離れていってしまっているかもしれません。
そこで、以下のブログ ↓ で書いたことを利用して、

「Q.哲学って何ですか?」

第2バージョンの答えも考えてみることにしたいと思います。
このなかでは、「哲学とはすべての学問のことでした」 と説明しています。
そうなんです、ほんの200年ぐらい前までは、すべての学問が哲学と呼ばれていたのです。
そういう歴史を踏まえると、あまり他の学問と哲学との違いを強調しすぎるのは、
それはそれでまた誤解を与えてしまうことになりかねません。
というわけで、哲学とはすべての学問のことであったということを踏まえて、
第2バージョンのお答えも披露してみたいと思いますが、
そのためには、長い哲学の歴史について話さなければいけないので、
それはまた別の機会にということにいたしましょう。

不安定なメーター

2011-04-23 12:06:28 | ドライブ人生論
うちのクルマのガソリンメーターってもともと不安定だったんです。
私は 「クルマは買わない」 というモットーをもっていますので、
いつも人からもらってばかりいるのですが、
今乗っているクルマは、もらった時にすでに17万キロを超えていましたので、
あっちこっちガタが来ていました。
そのせいなのか、あるいはベンツってもともとそうなのかは知りませんが、
当時からガソリンメーター (燃料の残量を計るやつ) の針が安定せず、
ピクピクとよく動いていて、正確な残量がよくわからないなあという感じだったのです。

それが最近になってひどくなってきました。
針のブレが著しくなってしまったのです。



これが4月22日の13時34分に撮った写真です。
一番上がガソリンメーターですが、この時点では半分以上残っていることになっています。
ずっと針はピクピク動いていますので、
この写真よりももうほんの少し右寄り (残量多目) を指したりもしていました。
これだけ残っていれば相馬ドライブ (往復130キロくらい) も安泰という感じでしょう。
ところが、このほんの数十秒後、したがってまだ13時34分なんですが、
こんなこと ↓ になっていました。



ちょっと! ちょっとちょっと!
これだと給油は必須じゃないですか。
ほんの数十秒走っただけでこんなにガソリンを使うはずはありませんから、
やはりこのメーターがいかれているわけです。
それにしても、どっちを信じればいいんですか?
まあ、前回満タンにしてから500キロ以上走っていますので、
ガソリンが半分以上残っているなんてありえないわけです。
(たぶんこのクルマのガソリンタンクは満タンで60リットル強ぐらい入ると思われます。)
とはいえ、ガソリンメーターがこれだけ怪しいのだとすると、
走行距離メーターだって正しいかどうかも眉唾ものです。
実際、写真の右手に見えるエンジンオイルメーターは、
この2枚の写真では半分強ぐらいの同じ位置を指していますが、
同日にふと気づくと満タンの3のところを指していたりもするのです。
こうなってくると何を信じてよいのやらわけがわからなくなります。

機械の運転をしているときって、思った以上にこうしたメーター類に頼っているところがありますね。
スピードメーターなんかもドライブの時には完全に依存していますが、
はたしてあれが指しているスピードが本当の正しい速度であると、
どうやったら確認できるのでしょうか?
そして、メーターが正確でないなんてことになったら、
安心して機械を操作することができなくなってしまいます。

福島第一原発では原子炉内の様子をモニターするための様々なメーターが機能していなかったそうで、
それはもう完全に視界をさえぎられたままドライブしていたようなものでしょう。
その後、電源の復旧に伴ってメーター類が復活してきているようですが、
そのメーターが指している数値は本当に正しい数値なのでしょうか?
そこを疑いだすともう八方塞がりになって何もできなくなってしまいますが、
ちょっと老朽化した自動車のメーターでさえああなのですから、
その倍以上老朽化していて、しかも地震で揺さぶられ津波に浸水した原発のメーター類を、
にわかに信じることはできません。
そんなメーターからのデータを頼りに仕事をしなくてはならない人々には、
心から同情申し上げたいと思います。

Q.見たい夢を見るにはどうしたらいいですか?

2011-04-22 17:54:53 | 哲学・倫理学ファック
正確にはこういう質問でした。
「Q.夢に出てきてほしい人、または、見たい夢があるときはどうしたらいいですか?」
昨日の哲学者の血液型に関する質問もそうでしたが、
哲学をやってる人はこういうことに答えられるはずだと思われているのでしょうか?
なんだかものすごく誤解されているのかもしれません。
哲学とはほとんどなんの関係もない問いですが、常識の範囲内で答えられてしまうので、
私のほうから今日も、身も蓋もない答えをしてしまうことにいたしましょう。

A.見たい夢を見ることはできません。

だって夢なんだもん。
夢っていうのは眠っているときに無意識によって見るものなんだもん。
だから、意識的にこういう夢を見たいといくら考えても、
意識の思うとおりには操れないんだよね。
というわけで、「残念ながらムリです」 というのがお答えです。

でも、これで終わっちゃうのは申しわけないので、
いくつか俗説をご紹介しておきましょう。
ひとつは私のお気に入りのブログ 「うちの3姉妹」 の中で紹介されていた方法です。
こちら ↓ をご覧下さい。

「いい夢を」

見たい夢を紙に書いてマクラの下、あるいはマクラカバーの中に入れておくという方法だそうです。
ただし、これは3姉妹のお父さんが子ども相手にテキトーなことを言っただけのようで、
効果のほどは定かではありません。
というか、こちら ↓ を見てみると、

「今年も自由人」

まったく効果がなかったということがわかります。
やはり見たい夢を見るのは難しいのでしょう。

質問の前半部分 「夢に出てきてほしい人」 に登場してもらうにはどうしたらいいのでしょうか?
一般的に言うならば、無意識の中でも浮かんできてしまうくらい、
ずーっとその人のことを考え続けたり、その人と長い時間を過ごしていたら、
その人の夢を見る可能性は高くなるような気がします。
もちろん、夢の内容は思い通りに決められないでしょうが、
その人のことを深く強く想い続けていれば、
いい夢であれ悪い夢であれ、いい役であれ悪い役であれ、
なんらかの形でその人の夢を見ることができるんじゃないかなあとは思います。
しかし、せっかく夢に出てきてくれたのに、
ケンカする夢だったり、お別れする夢だったりするとちょっと悲しいですね。
どうせ出てくれるのであれば、いい夢の内容のときに出てきてもらいたいものです。

ところで上記の方法は、こちらが相手のことを強く想っていると相手の夢を見ることができるという、
ある意味ごく常識的な夢見の捉え方だと思いますが、
高校時代、古文の授業である短歌を習ったときに、
昔の日本人は夢見に関してそれとは別の考え方を抱いていたということを知って、
ものすごく驚いたことがあります。
どんな短歌だったかはっきり覚えていないのですが、こんな内容の短歌です。
私はあなたのことがこんなに好きなのに、あなたは私の夢の中にすら出てきてくれない、
私のことなんて全然想ってくれていないのね、という恨み節の短歌なのです。
つまり逆なんですね。
相手の夢を見るというのは、相手が私のことを想ってくれているからである、
反対に、相手のことを強く想っていると、相手の夢の中に自分が出ることができる、
というふうに捉えられていたそうなのです。

高校生の頃ですら、そんなことあるはずないじゃん、と瞬間的に思いました。
もしもそんなことがあったら、例えばあなたが嵐の松潤とかが大好きで熱狂的なファンの場合に、
あなたが松潤の夢を見るのではなく、松潤があなたの夢を見てくれるということになってしまいます。
そんなわけないよなあと、私の常識は判断したのですが、
しかし、これって逆転の発想でものすごく面白い考え方だよなあとも思いました。
そして、もしもそうだったらステキだよなあとも思いました。
相手のことを強く想っていると相手の夢の中に出ることができる、
相手の夢を見たのだとすると、それは相手が私のことを想ってくれているからである。
なんかいいじゃないですか。
ぼくはマドンナの夢を見たことがあるので、きっとマドンナはぼくのことが好きなんだろうなあ。
このあいだジャンボ尾崎の夢を見てしまったのは、ジャンボがぼくに気があるからなんだよなあ。
あんなにエロい夢を見ちゃうなんて、ジャンボはなにをねらっているんだろう?
それはちょっとノーサンキューだけど…。
などなど、アホな妄想がふくらんでしまうのでした。
ですので、まったく信じてはいないのですが、こんな答えもいちおう書いておくことにしましょう。

A.夢に出てきてほしい人に、私のことを強く想ってくれるように頼んでみて、
  相手が本当に自分のことを想ってくれたら、夢で会えるかもしれません。



P.S.
ところで、リンクを張るために 「うちの3姉妹」 のブログを見に行ってみたら、
なんと2011年4月19日付けの記事をもって 「うちの3姉妹」 は終了していました。
うう、突然の別れだ
トップバナーでは3姉妹が 「あねとーね!!」 と叫んでいます。
「あねとーね」 とは、まだ正しく日本語の使えない子どもたちの言葉で、
「ありがとうね」 を意味しています。
こちらこそ 「あねとーね」 と言いたいです。
昨年末に知ったばかりでしたが、十分楽しませてもらいました。
特に、震災直後の重苦しい時期に私の生活に笑いをもたらしてくれました。
松本ぷりっつさん、本当にあねとーね

Q. 哲学者の人は何型が多いですか?

2011-04-21 07:53:24 | 哲学・倫理学ファック
「先生の血液型は何ですか?」 という質問は例年いただくことがあるのですが、
今回のような一般化された質問は初めていただきました。
基本的には、何でも考えることが哲学ですが、
学問としての哲学は、個別的な事柄よりも、普遍化された一般的な事柄を扱いますので、
このほうがより哲学的 (あるいは学問的) な問いだと言えるでしょう。
この問いに対しては大まじめに次のように答えておくことにいたしましょう。

A.哲学者の血液型に関する研究やデータがないのでわかりません。

申しわけありませんが、本当にわからないのです。
まず基本的に知っておいてほしいのは、
血液型占いをこんなに信じているのは日本人くらいだ、ということです。
そして、血液型と性格の関連性を実証することはできないということが、
心理学者の方々の研究によって明らかにされています。
現在の心理学は、にもかかわらずなぜ人は血液型占いを信じてしまうのか、
ということも研究しているようです (こちらのブログを参照)。
私も以前に先輩たちからの質問にお答えして、
血液型占いに限らず、占いは当たるのかどうかということについて、
ブログに書いたことがありますので、そちらもご覧ください。
「Q. 占い師の占いは本当に当たるのか?」

さて、心理学はそもそも血液型と性格に関連性はあるのかといったことを研究しますので、
血液型占いによる分類を前提として、それぞれの職業の人には何型の人が多いか、
みたいなことを研究している人はめったにいません。
たまに、スポーツ選手には何型の人が多いかみたいなことを研究 (?) している、
怪しい心理学者もどきの人がいないわけではありませんが、
そういう人も、マスコミに取り上げてもらえないような少数派の人たちのことを調べたりはしませんので、
哲学者の血液型に関する研究というのは見当たらないわけです。

心理学者による研究がなかったとしても、
哲学者どうしで話をしていて、なんとなくこの血液型の人が多いよね、
ということがわかったりはしないのでしょうか?
残念ながら、そういうデータもありません。
なぜでしょうか。
哲学者は何でも疑ってかかる人たちで、
理性によって説明のつかない非合理的なことはほとんど信じることがありません。
特に占いや超常現象の類はまったく信じていませんので、
哲学者が集まって学会を開いたり飲み会をしたときに、
血液型占いの話が話題に上ることはまずありえないからです。
今回この質問をいただいてちょっと考えてみたのですけれど、
友人の哲学研究者がたっくさんいますが、彼らが何型なのかまったく知りません。
聞いてみたことがないのです。
また、私はカントという哲学者が大好きで、その研究をしていますが、
カントの血液型が何なのかなんてことも今まで考えてみたことがありませんでした。
たぶん私以外のカント研究者の皆さんも知らない、というか、知りたくもないんじゃないかなあ。
というわけで、先ほどの答えをもう少し書き換えておくことにしましょう。

A.哲学者は血液型占いを信じていないので、哲学者の血液型に関するデータはありません。

ちなみに私は昔とあるお店で、血液型を尋ねられて次のような会話をしたことがあります。

「まさおさまの血液型はなに?」
「なんだと思う?」
「うーん、B型?」
「ブーッ、残念でした。」
「じゃあ、O型?」
「違います。」
「エーッ、じゃあA型なの?」
「はっずれー!」
「ふーん、AB型なんだぁ。やっぱりねぇ、そうだと思った。」

どこがやっぱりやねん、まるっきりハズレとるやないかい、
と心の中で思いっきりツッコミを入れましたが、
たぶんこの人は私の血液型がなんであったとしても、
「やっぱりねぇ、そうだと思った」 と思ったことでありましょう。
血液型占いってそれくらいのもんだと思うのですがいかがでしょうか?

再起 ・ 再開

2011-04-19 07:20:10 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
先日の日曜日には予告通り 『モリノネ』 のイベントに行き、ブログも書いたはずなのですが、
下書き状態のまままだアップしていなかったことに今ごろ気づきました。
酔っぱらって帰ってきて書いたブログというのはこんな憂き目にあうことがよくあります。
若干時期を逸してしまった感が否めませんが、いちおう本日付けでアップしておきます。


予告通り 『モリノネ』 のイベントに行って参りました。
正眼寺というのは初めて訪れるお寺ですが、なんとか迷いつつたどり着きました。
なんとなく勝手に、お寺の境内でオープンスペースでやっているものと思い込んでいたのですが、
そうではなく、イベントはお寺の建物の中で1階と2階を使って開催されていました。
いろいろなショップをざっくり見て回ったあと、
当初の予定通り、橘内さんの酒屋スペースに行ってみます。
一度、相当酔っ払っているときにお会いしただけでお顔もよく思い出せなかったのですが、
橘内さんのほうから声をかけてくださいました。
声をかけられても一瞬よくわからなかったのは、顔中にヒゲを生やされていたからです。
震災後の断水の中でヒゲを剃れずに伸ばしてしまったとのことですが、
頭の中でヒゲを消去してみると、あの日にお会いした人懐っこい笑顔と重なりました。

まずは生ビールからスタートします。
2時に現地で集合しようねと言っていたぢゅんちゃんたちがなかなか来なかったので、
1人で生ビールをおかわりしたあと、
さらに日本酒からワインへとどんどん突き進んでいきました。
途中、私のブログを読んで来てみたという 「天ぷら ひら井」 の平井さん親子に会ったり、
2年前に 「文化創造論」 を取ってくれた美術の学生さんに会ったりしながら、
すでにいい気分になっていきます。
そうこうしているうちにやっとぢゅんちゃんたちが合流しました。
フランクフルトやゴマせんべいなどつまみになるようなものをゲットしながら、
さらにアルコール量は増えていきます。
まわりを見てみると、買い物を中心とした親子連れがほとんどのようで、
こんなに腰を据えて飲みまくっているのは私たちくらいのようです。
その後も相当長時間飲んで十分復興に寄与したところで退散することにいたしました。

正眼寺を後にしようとしたとき、そういえばまだ桜を見ていなかったことに気づきました。
イベント会場となったお堂からは桜の樹は見えなかったのです。
「モリノネでお花見」 というコンセプトだったのにとんだ大失態です。
グルッと回り込んで境内を見てみると、本当に桜は満開でした。



酔った勢いでそのまま夕食を食べに行こうということで、
ぼくもぢゅんちゃんも2人とも目を付けていた、
パセナカMisse の中の 「スペインバル カメレオン」 になだれこみました。
この頃にはもう完全にアルコールが回っていて、
メニューを指して 「ここからここまで全部」 みたいなムチャな注文をして、
エビ料理が何品も出てきてしまったりしましたが、
呂律が回らないながらに震災以降のことをいろいろと語り合い楽しく過ごしました。

そして、理性も失いアルコールに曇らされた頭で、
「そうだ、福島の町も再起しつつあるんだっ。てつがくカフェも再開するぞっ
と詳細は何も詰めないまま、
とにかく 「てつがくカフェ@ふくしま」 を開催することだけを誓い合い、解散しました。
2時から飲んでいるのでもうベロベロですが、帰ってきてみたらまだほんの8時くらいでした。
さっそくブログ記事をということでここまで書いてきたら、もう10時近くになっていますが、
「てつがくカフェ@ふくしま」 のブログを覗いてみたら、
ぢゅんちゃんはもう再開の告知をアップしているではありませんか。
それを読んで、そうかそういうテーマにすることにしたんだったのかと記憶を新たにしつつ、
ずっと沈み込みがちの日々でしたが、ちょっと前向きな気分になれたお花見の1日となりました。

38日後の松川浦

2011-04-18 21:02:37 | 幸せの倫理学
福島大学よりも一足先に、相馬の看護学校が今日から授業開始になりました。
相馬の看護学校は3月11日も授業をやっていて、授業中に被災し、
そのまま昨年度は終了し、今日がそれ以来の再開&再会だそうです。
その授業再開の初日にさっそく 「哲学」 の授業です。
あんな大災害があったあとですが、「哲学」 の授業はいつも通りに始めることになりました。
「哲学の先生に聞きたいこと」 もやりましたので、
追い追い 「哲学ファック」 にもお答えしていきたいと思います。

さて今日は授業の前に、松川浦に寄ってきました。
いつもなら松川浦に行ったら、美味しい地場の魚料理を食べたり、
市場で魚を買ったりしていたのですが、
その松川浦も大きなダメージを受けてしまいました。
あれから40日近くが経っていますが、今どうなっているのか、
相馬に行くこの機会に、サッとでもいいので見ておきたかったのです。

115号線で相馬にたどりついたら、そのまま市街地を抜けて松川浦方面に向かうのですが、
まだ市街地のうちにこんな光景に出くわしました。



ここらあたりはまだだいぶ内陸ですので、地震による被害でしょう。
車庫になっていた家屋の手前部分が倒壊して車を押しつぶしてしまったのでしょうか。
やはり私たちが中通りで体験したのとはレベルの違う揺れに襲われたのだと思われます。

そのまま直進し、6号線を横切ってさらに海に向かいます。
相馬の市街地から松川浦まではけっこう距離があります。
まだまだ海岸は先だよなあと思っていたら、突然道路の横にこんな光景が見えてきました。



なんでこんなところまでというぐらい、このあたりはまだまったく海の気配のないところです。
これでビックリしていたら、そのすぐ先にもっと驚くべき光景がありました。



よくわかりにくいですね。
帰りがけに反対側から撮ったのがこれです。



先ほどのはボートというくらいの大きさでしたが、こちらは完全に漁船でしょう。
ものすごい大きさです。
それがこんなところまで流されてきてしまっているのです。
これには唖然としてしまいました。
そのエネルギーはまったく測りしれないほどです。

さらにしばらく走ってやっと松川浦に着きました。
道もあちこち損傷していて、スムーズには走れない状況です。
ただ、海辺の家屋などはもちろんその多くはダメージを受けているのですが、
根こそぎ流されてしまっているというほどではないようです。
松川浦という地形が津波からある程度守ってくれたのかもしれません。
とはいえ、先ほどの漁船があんなところまで流されてしまったくらいの被害はあったわけですから、
やはりその爪痕はあちこちに残されています。



左側が海 (内海?) ですが、左側の船も座礁しているのですが、
道をはさんで右側にも船が上陸してしまっています。
さらに目を転じると松川浦の中にこんな光景が…。





言葉を失います。
震災から1ヶ月以上が経ってもなお、
こんなショッキングな光景を目の当たりにするとは思っていませんでした。
ほんのわずかのあいだ見て回っただけですが、
その威力の凄まじさにすっかり憔悴してしまいました。

しかしながら、もっと驚いたのは、
これだけのダメージを受けながらも、松川浦の人々がこの地で生活再建を始めていることでした。
海辺にある家屋では多くの方々が瓦礫の片づけをしていました。
その近くでは集団下校の子どもたちの列ともすれ違いました。
地震にも津波にも負けることなく、少しずつ普通の暮らしが再開され始めているのです。
自然の力の脅威とともに、人間の力の逞しさも感じられた松川浦探訪でした。

ジャンボ尾崎のNEWグリップ

2011-04-15 02:01:03 | 性愛の倫理学
今日はちょっとお下劣なのでその手の話が嫌いな方は御遠慮ください。

プロゴルファーのジャンボ尾崎さんのお店に行ってきました。
ゴルフショップという感じはまったくしなくて、
なんかバーカウンターみたいなものまであり、その上にも雑然とゴルフ練習器具が並べられています。
私はそのカウンターのスツールに座って、グリップを鍛える小さな器械を試していたのですが、
するといつの間にか、ジャンボさんが私の前 (カウンターの中) に来ているではありませんか。
おおジャンボさん店にいたんだと思う間もなく、なんだか親しげに、
「オレなんか親指一本でこれをやれちゃうよ」 と言って、
ハンドグリッパーを本当に親指一本で (残りの4本はただ支えているだけ)
閉じたり開いたりするのを得意げに見せてくれました。

その様子をカウンターのちょっと離れた席からニヤニヤ笑いながら見ている2人がいます。
よく見てみると、芹澤信雄プロと樋口久子プロではありませんか。
うわあ、ものすごいところに来ちゃったなあと思っていたら、
芹澤プロが樋口プロに向かって勢い込んで話しかけました。
「こないだの試合のときのジャンボのグリップ見た?
 両手をできるだけ広げる形に変えてたよね。
 あれ試してみたらすごくいいんだよ。」
それに対して樋口プロは、自分でも真似てみせながら、
「そうなのよね。でもあれって相当握力ないとムリなんじゃない?
 あの歳でグリップ変えるなんてジャンボはチャレンジャーよね。」
と答えます。

2人の会話を聞いていたジャンボさんはうれしそうに笑いながら、
ぐるっと回ってカウンターから出てきました。
「なんだ、なんだ。あれを見せてほしいのか?」
と言いながら、カウンターからちょっと離れたところに立って、
アドレスの構えに入り、クラブは持たないまま、その新しいグリップの形を披露してくれます。
自分でもまだ完全に納得していなくて試行錯誤中なのか、
両手を組み合わせたままモゾモゾ動かしてベストポジションを探っているような感じです。

そうしたらふと気づくと、さっきまで何も持たずにグリップしていたはずなのに、
今は両手の中に何かが握られています。
えっ、何だろうと思ってよく見てみると、
なんとジャンボさんはいつの間にかズボンのチャックを開けていて、
黒いブリーフに包まれた自分のイチモツをクラブ代わりに握っているではありませんか。
何やってんだよこの人は、と呆れてしまいましたが、
ゴルフやったことある人ならわかると思いますけど、
ゴルフのアドレスの姿勢って、腰と手の位置はけっこう離れているんです。
したがってその姿勢で自分のイチモツを握れるっていうことは、
相当デカイというか長くなければそんなことはできません。
噂には聞いていたけどホントにすっげーなあとちょっと感心していたのですが、
悪ノリしたジャンボさんはそれでやめずに、
樋口プロに見せつけるようにさらにしごき続けていきます。
そのうちブリーフに収まりきれなくなって、とうとうもろにその全体像が姿を現してしまいました。
それはもう洋ピンでしか見たことないようなグロテスクなほどに巨大なイチモツです。
すっかり屹立してしまったためにもはやアドレスの姿勢を保つことはできず、
むしろ背中を反らせてその巨大な物をなんとか両手と背筋で支えている感じです。
すると、突然ジャンボさんはその自分の身体を抜け出し、
スッと前に回ってひざまずいて前から自分のイチモツを支え始めたのです。
えっ? なに、なに?
この身体はジャンボさんじゃなかったの?
どっちがジャンボさん?
えっ、これってマジック????






























「これってマジック?」 と思ったところで目が覚めました。
毎度おなじみの夢オチで申しわけありません。
しかもお下劣な夢で…
なんでこんな夢を見てしまったのでしょうか?
その日も大きな余震があり、壁やら柱やらがギィギィ、ミシミシときしんでいて、
いつか倒壊するんじゃないかとものすごく不安な気持ちでなかなか寝つけずにいたのです。
だから、こんなファンキーな夢を見ていられるような精神状態ではなかったはずなのです。
なのに、なぜジャンボのイチモツ
目覚めて我ながら爆笑してしまいました。
夢の内容もおかしいけど、なんで自分はこんな夢をみているんだよ、と。
夢を見て笑ったのは久しぶりです (あのインフルエンザのとき以来?)。
緊張の連続で笑いが足りていなかったということなのでしょうか。
「うちの3姉妹」 も全部読み終わってしまいましたし…)
うーん、それにしても意味不明だあ

『モリノネ』 でお花見

2011-04-14 15:15:40 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
日本酒の師匠のお店 「麦のはな」 で知り合って、
メアドを交換しあったお酒屋さん橘内さんから、
イベントのお知らせをいただきました。
今度の日曜日17日です。
以下、引用させていただきます。



始めに、この度の震災で被災された皆様に心からお見舞いを申し上げますm(__)m


本日は、去年からミーティングを重ねながら計画を立ててきたイベント 『モリノネ』 の
ご案内とお誘いです


『森と人との合間に響く、たくさんの音。
ふくしまを愛する職人たちの音が自然の音となって、響き合う…森の音 (モリノネ)』


福島市内のショップ仲間が集まり、
森合の 『正眼寺』 でその日一日限りのオリジナルショップを開きます

こんな時だから、福島の復興、皆の元気、皆の笑顔に出会える一日にしたい思いで、
一度は中止にしたこのイベントですが、あえて開催の決意をしました


森合の一盃森、『正眼寺』 の敷地内はこの日 『』 も満開です
お花見がてら、散歩がてら、気分転換や家族サービスに是非遊びに来て下さい(^0^)/

当店も、当日はオリジナルの日本酒 『モリノネ』 の試飲販売の他、生ビール、福島県の地酒、
ゆずや桃、ヨーグルトなどの果実酒を販売いたします


日時:4月17日 (日) 10時30分から~20時ぐらいに終了。

場所:森合一盃森内 正眼寺にて。 (森合プール、森合小学校より徒歩一分)

入場料:無料

駐車場:約50台あり。ですが、自転車か飯坂電車の 『美術館図書館駅』 で降りていただき、
お花見がてらお酒とビールを飲んでいって下さい(^0^)/


~~~参加ショップ~~~

~food~
・sushi bar 江戸政
・鉄板焼 うらには、
・curry dining 笑夢
・La Selvatica
・なまず亭
・イカポッポ海賊団ワンピース
・来音

~alcohol&drink~
・橘内酒店
・シークレットスペシャル酒屋(当日発表します)

~cafe&tea~
・珈琲舎 雅
・sotto cafe×Cooco
・茶楽
・あづま製菓

~shop&workshop~
・町工房おりをり
・total plants bloom
・Lapel
・Redwagon classic mart
・うつわの店ちゃぶだい
・Tsukuribito丸太屋
・陶工房 Le pote
・OPTICAL YABUUCHI
・PICK UP&Barns
・2u+2u=4u
・チャルラ


以上、皆さん元気があるショップさんばかり
食べて飲んで遊んで 新たなる福島を盛り上げていきましょう

最後に、モリノネは今回の売り上げの一部を福島市の復興支援として寄附させていただきます。

それでは、皆さんのご来場お待ちしておりますm(__)m

南沢又の隠れ酒屋
橘内酒店

橘内賢哉



以上です。
ブログはこちら
今週末は福島は桜が満開だろうなあ
花見山も全然観光客が来ていないっていうし、
自粛なんてしてないで、福島市民はみんなでパーッとお花見だあっ

レベル7

2011-04-12 19:48:46 | 生老病死の倫理学
やっぱりレベル7だったそうです。

はは。

なんかもう全然驚かなくなってる自分のほうがよっぽどコワイ。



「福島原発事故、最悪「レベル7」 チェルノブイリ級に」

「福島原発「チェルノブイリ級」か 最悪の「レベル7」へ引き上げ」

「福島第一原発事故、レベル7に引き上げ」

「福島第1原発事故「レベル7」引き上げ 3月15~16日に大量の放射性物質放出か」

「迷走した事故評価、政府の対策も後手に」

「住民「いまさら引き上げても」「はらわた煮えくりかえる」怒りと不安」

半歩後退?

2011-04-11 23:53:55 | お仕事のオキテ
震災一ヶ月後の今日、また大きな余震がありました。

4月7日の余震ほど揺れは大きくなかったように思いますが、

揺れている時間が長かったのと、その後何度も大きな揺れが来たのが、

最初の地震を彷彿とさせて、とてもイヤな感じでした。

研究室の本は今回は数冊落ちたぐらいですみました。

しかし、せっかく福島まで復旧していた東北本線は、

案の定また黒磯以北が運転見合わせになってしまいましたし、

明日に予定されていた、東北新幹線の福島までの復旧もまた延期のようです。

「JR東日本列車運行情報」

福島原発も一時、外部電源が断たれたそうだし、

放射性物資を多量に含んだたまり水の撤去作業も中断したようだし、

なかなかスムーズに進ませてもらえませんね。

そして、この余震とは別に、今日新たに 「計画的避難区域」 という新しい概念の下に、

避難区域の拡張が決定されました。

「福島第一原発から20km圏外の一部を「計画的避難区域」に設定」

「緊急時避難準備区域」 という概念も付け加えられて、

昨日まで安全と言われていた地域が急に危険区域の仲間入りさせられています。

今回は同心円上に幾何学的に拡張しているのではなく、

放射線の実測値に基づいて北西方面へ向けて危険区域の拡張が行われているのが不気味です。

発災以来、避難区域の範囲は広がることはあれ、

一度も狭まったり避難指示が解除されたりしたことはありません。

うーん、やはり遠い道のりだあ

一歩後退

2011-04-08 14:12:58 | お仕事のオキテ
やっと一歩前進して先が見えてきたかなあと思ったら、

昨晩また大きな余震が来てしまいました。

昨日も予告通りちゃんと飲んでいたんですが、

時間は短いものの、3.11のときと同じくらい強い揺れで、

お店の中は一瞬、騒然としました。

幸い、そのお店ではグラスが1個割れたくらいで大した被害はなくすみました。

しかし、街の様子を偵察に行ってきてくれた子の報告によると、

「さんかく (=陣場町のヘアーサロン) の向こうはまた停電してるよ」 とのこと。

それって絶対うち含まれてるじゃんと暗い気持ちで帰宅してみたら、

案の定、停電&断水AGAINでした。

歯も磨けないまま懐中電灯片手に眠る暮らしに逆戻りです。



一晩明けて朝には停電も断水も復旧していましたが、

そうなると今度は研究室が心配です。

けっきょくこんな感じでした。







まあ、ふりだしに戻るというほどではありませんが、

またもや一歩後退です。

なんだかなあ

自然の脅威はもう十分身に沁みてわかりましたので、

そろそろ復旧に専念させてくれないかな。

福島大学震災義援金

2011-04-07 15:33:23 | 幸せの倫理学
昨日の記事に対してコメントを頂戴しました。

「福島大学震災義援金」 が発足したという情報提供でした。

これは震災詐欺とかではなくちゃんとした正式のお話です。

福島大学の公式ホームページで確認することが可能です。


「福島大学震災義援金の受け入れについて」(PC版)

「福島大学震災義援金の受け入れについて」(携帯版)


コメントにもあったとおり、これは福島大学の復興のみを目的としている義援金ですが、

賛同いただける方はなにとぞ御協力のほどよろしくお願い申し上げます。

たしかに私、このところ毎晩飲み歩いております (誰に見られてるんだろう)。

これは、経済的に壊滅的な被害を被った福島の飲食店街の復興支援のためにやっていることなので、

力の続くかぎり (金力、体力、肝臓力…) がんばっていきたいと思いますが

それはそれとして、私も本学の学生のために微力ながら協力できればと思っております。