まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

運の無駄遣い

2016-01-31 20:03:44 | 幸せの倫理学
お昼に 「緑のたぬき」 を食べようと思ったんですよ。

お湯を沸かしフタを開けてみたら、あれっ?

何か異物が混入しています。



何でしょう?

これはまた何か事件なのでしょうか?

スープの袋とその下の異物を取り出してみました。



なんとカードでした。



ドラゴンボールのカードですね。

『ドラゴンボール』 は一度も読んだことも見たこともありませんが、

孫悟空やかめはめ波くらいはクールジャパニーズの常識として知っています。

きっと裏にも何か書いてあるんでしょうね。



カードゲームはまったく知らないので、何のことやらさっぱりわかりません。

それよりもなんでこんなものが 「緑のたぬき」 に入っていたのでしょうか?

と疑問に思ってからフタに何か書いてあるのに気づきました。



なんだかよくわからないけど、超SUPERキャンペーンのようです。

「カードが入っていれば当たり!」 ってことはこれは当たりだったのかな?

このカードを現金か何かと交換してもらえるのでしょうか?

と、ちょっとウキウキしていたら、フタの裏に詳しい説明がありました。



要するにカードが入っていれば当たりで、入っていなければハズレ、

カードそのものが景品で、カードは1種類しかないから、

孫悟空でかめはめ波だからラッキーということではない、

このカードは 「ドラゴンボールヒーローズ」 というデジタルカードゲームで使えるらしい、

等々のことがわかりました。

たしかに一緒に買ったもう1個も開けてみたところそちらには入っていませんでした。

キャンペーン始まって最初の 「緑のたぬき」 でみごと当たりを引き当ててしまったようです。

どうでもいいわっ

こんなカードもらってどないせえっちゅうんじゃい

これが当たって私が喜ぶとでも思いましたか?

なんか日本の資本主義は迷走している気がするなあ。

史上初のマイナス金利らしいし。

何のことかまったくわからないけど…。

誰かこのカード欲しい人いらっしゃいませんか?

袋入りの新品で~す。

ゴッドアビリティ (?) 付きですよ。

お安くお譲りしますよ。

でもみんな持ってるんだろうなあ。

なんせ2,000,000名様に当たるみたいだし。

あーあ、新年早々運の無駄遣いしちゃったなあ。

Q.結婚とは何か?(その1)

2016-01-30 15:07:17 | 性愛の倫理学
看護学校で 「Q.結婚をする意味は何ですか?」 という質問をいただいていました。
この質問に答えるためには、まず 「Q.結婚とは何か?」 という問いに答えておかなくてはならず、
かつてその質問には答えたことがあったような気がして、過去ログを探していたんですが、
一向に見つからないうちに、いただいた質問のこともすべてすっかり忘れておりました。
誠に申しわけありません
看護学校の皆さんはもうぼくのブログなんてご覧になっていないだろうと思いますが、
せっかく思い出したので書き留めておこうと思います。

結婚とは何かについてすでに答えたことがあるような気がしていたのは、
たぶん代表質問として授業内で聞かれることが多く、口頭でお答えしてしまっていたから、
ブログには残っていなかったのでしょうね。
ブログ内で 「結婚とは」 で検索してみると、「愛と尊敬のバランス」 という記事がヒットします。
これは授業のなかでお話ししたカントの友情論を紹介した記事ですが、
カントの友情論は結婚論にも転用できるので、最後にこう結論づけておきました。
「結婚とは、互いに異なる二つの人格が、相互に等しい愛と尊敬によって結ばれることである。」

カッコいいんですが、カントにとってみるとこれはあくまでも友情について論じたことだったわけで、
じゃあカント自身は結婚について何と言ってるかというと、聞いて驚きますよ。
「結婚とは、両性が相手の性的特性 [=生殖能力] を生涯にわたって占有し合うための結合である。」
うわー、夢がねぇ。
友情論の格調の高さに比べるとゲスの極みですよね。
まあ、18世紀という時代を考えれば、これでも十分リベラルで進歩的ではあるのですが、
結婚とはお互いの性器を使用し合うことである、だなんてちょっと結婚式の祝辞では言えません。
どうせ使うのなら友情論のほうを改作して言ってあげたくなる私の気持ちもわかってもらえるでしょ?

さて、それではカントを離れて私自身の言葉として結婚をいかなるものと定義するのか。
これまで代表質問として聞かれてよく答えていたのは次のような答えでした。

Aー1.結婚とは他人と一緒に暮らすことである。

これもまあ夢がないっちゃあないんですが、
結婚に対して夢を抱きすぎている若者に (特に女性)、
現実を突きつけるつもりでいつもこのセリフを口にしています。
とりわけ夢見る女の子たちは、結婚というと結婚式をイメージしてしまうかもしれませんが、
あんなものは結婚の入り口に用意されたほんの一瞬の華やかなセレモニーにすぎません。
結婚の本質はその後に何年も何十年も続いていく結婚生活のなかにこそあるのです。
その結婚生活を一言で表すとするならば、それはやはり他人と一緒に暮らすこととなるでしょう。

これに対して 「結婚とは好きな人と一緒に暮らすことだと思います」 と、
ちゃんと自分の頭で考えた対案をもらったことがあります。
教員の言うことだからってそのまま鵜呑みにしないで、
自ら考え、自らの意見をきちんと表明するその姿勢には感銘しましたが、
残念ながら内容的には同意できませんでした。
「好きな人と一緒に暮らすこと」 というのはとてもロマンティックでいいのですが、
すべての結婚を言い表したものではないように思います。
というのも、今でこそ恋愛結婚が主流になってしまっていますが、
それとは別にお見合い結婚というのもまだちゃんと残っているわけですし、
家制度が色濃く残っていた時代には政略結婚のような愛の微塵もない結婚が普通にあったのです。
さらに言えば、恋愛の延長上で結婚したとしても、
いつまでもその恋愛が長続きするわけではありません。
あんなに愛し合っていたのに何かのきっかけで愛が冷めてしまうということは普通にあるでしょう。
そうなったとしても離婚してしまわないかぎりはその相手と一緒に暮らさなきゃいけないわけです。
そう考えると 「好きな人と一緒に暮らすこと」 というのは、
結婚というよりも同棲のほうに当てはまる定義であって、
結婚というのはやはり 「他人と一緒に暮らすこと」 だと思うのです。

「他人と一緒に暮らす」 という言い方で私が表したいのは、
それぞれ別の家庭で育ち、別の生活習慣を育み、別の価値観 (常識) を持っている者どうしが、
新たに同じ屋根の下で一緒に暮らし、新しい家庭を築いていかなければならない、ということです。
恋愛結婚の場合は、恋愛期間中に相手のことを理解し、相手と自分が似ていると思えたから、
結婚に踏み切ったという場合が多いかもしれません。
しかし、恋愛期間中にいくら意気投合し、
「考えてること、感じていること、そう、本当に似てるねぇ♪」 と思って結婚したとしても、
一緒に生活を始めてみると本当に小さな細々した事柄でふたりの常識 (=当たり前) が全然ちがう、
ということを痛感させられることになるでしょう。
歯の磨き方、洗濯物の干し方、掃除の作法、料理の味付けその他、
ほんのちょっとした日々のすれ違いが無限に生じてくるのです。
ここに家族の問題が絡んでくるとさらに事態は複雑化していきます。
相手の親族との集まりでは目を疑うような言動に振り回されることもしばしばでしょう。
あれだけ気が合うと思っていた相手も、実家では全然別人格に変身してしまうかもしれません。
このように、どれだけ好きで結婚した相手であってもつまるところは他人なのです。

結婚とは他人と一緒に暮らすこと、結婚するすべての人間にはこの覚悟が必要だと思います。
そのような戒めを込めて、若い人たちにはこの結婚の定義を語ってきました。
しかしながら、冷静に考えてみると、この定義はまだ広すぎて、
結婚以外の事柄をいろいろと含んでしまっています。
例えば、養子縁組というのも他人と一緒に暮らすことですし、
今流行りのルームシェアも他人と一緒に暮らすことに含まれるでしょう。
というわけで、今日のこの第1段階の答えではまだ結婚のことを精確に言い当てられてはいません。
もう少し丁寧に定義する必要があるのですが、それはまた次回以降に持ち越すことにいたしましょう。

時間を大切にするとは?

2016-01-27 17:15:40 | お仕事のオキテ
このところセンター試験がらみの話題と、SMAPがらみの話題を交互に繰り出していますが、

今日はまたセンター試験がらみのお話です。

というかセンター試験に限らず、試験監督をしているといつでも感じることなんですが、

特にセンター試験のときに強く思うことがあります。

時間を大切にするっていうのは、時間を忘れることだよなあ、と。

センター試験中って、受験生も試験監督もとにかく時間を気にしてピリピリしています。

受験生は黒板の上のアナログ時計の秒針を、

試験監督は教卓の上の電波時計を、それはもう食い入るように見ています。

人生の中でこんなに時計を見ていたことないんじゃないかっていうくらいガン見しています。

センター試験は全国一斉に行われますから、50万人超を同一の条件で受験させる必要があります。

そのために試験の進行は厳密に定められています。

解答用紙や問題冊子を配ったり、受験番号や氏名を書き込んでもらったり等、

全国一律のタイムスケジュールに則って細かい指示に従ってもらって、試験開始を待ちます。

1日目の1時間目のテストだと、各自の写真にシールを貼ってもらったり、

写真照合用の写真票を集めたりなど、やることがいろいろあるのでいいのですが、

2時間目以降になると試験前にやってもらうことが減るので、

一通り氏名や受験番号を書き込んでもらったりし終わると、

試験開始までけっこう時間が余ってしまったりします。

5分以上時間が余るなんていうこともざらにあります。

この試験開始までの待ち時間って壮大なムダだなあ、と思うんです。

受験生も試験監督もお互いに何にもやることがありません。

受験生にしてみれば5分あれば単語だって公式だっていくつか覚えられそうなものじゃありませんか。

試験監督にしたって、本の1~2ページ読んだり、事務メールの1本も送ったりできるかもしれません。

だけどお互いに何にもしちゃいけないのです。

かといってボーッとしているわけにもいきません。

特に試験監督のほうは 「解答はじめ」 の号令を忘れたり遅れたりしようものなら、

即全国ニュースものの大騒ぎになりますので、息を詰めて時計を見守っていなくてはなりません。

本当にこの時間って時計を見る以外にやることがなくって、

これだけ1分1秒の経つのをじーっと待っていることって人生においてほかにないだろうと思うのです。

こんなにみんなで時間のことを気にしているのに、その時間ってドブに捨ててるようなものですよね。

そうやって過ごしてる人が全国で60万人近くいるんです。

(今年の受験生は56万人。各教室が50人収容可能として、そこに3人ずつの試験監督がつくから、

 試験監督は33,600人となり、合わせると60万人弱となるわけです。)

その人たちの5分を全部足すと300万分になります。

300万分=5万時間=2,083日=5年8ヶ月半。

たった1科目でこれですから、2日間10科目で50年分の時間が奪われるわけです。

(全科目受験する人は少ないのでここまではいかないと思いますが…)

これだけの莫大な時間が何にも使われずに捨てられているのです。

ああ、もったいない。

別にだからどうしろと言いたいわけではありません。

ただ、時計を見ながら時間が過ぎゆくのをじーっと見守っている時間って、

最も時間を気にしていながら、最も時間を大切にしていない時間だよなあ、と思ったということです。

逆に言うと、時の経つのを忘れて何かに打ち込んでいるときというのが、

一番時間を大切にしているっていうことなんだろうなあ、とも考えたのでした。

それとも、時間についてこうして考察を深められたんだから、

あの時間もまんざらまったくのムダだったっていうわけではないのかなあ?

草彅鍋作ってみました (Unicode修正版)

2016-01-25 09:16:39 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
※注記
昨日の記事は思惑通り新たな大量アクセスを獲得し、このところ少しずつ右肩下がりだったアクセス数をみごとに回復に転じてくれました。そこで邪悪な私はさらにあこぎなまねをしてみたいと思います。あの1月14日の記事Unicode に修正して再アップしてみようと思うのです。しかも、あの記事を直接修正するのではなく、別記事として保存してみようかと思います (だってそうしないと昨日の記事の意味が失われてしまいますし)。すると単純に考えてもアクセス数は3倍に増えてくれるのではないでしょうか。下手をすると相乗効果で2倍、3倍ではすまないお化けアクセス現象が生じるかもしれません。まるで、アクセスを 「国民から吸い上げる」 邪悪な 「アベノミクスの3本の矢」 のようではありませんか。ふっふっふっ、どうなることか乞うご期待!



SMAP解散かというニュースが日本中を駆けめぐった昨日 [2016年1月13日]

まさかそんなタイムリーな話題になるとは思わずに、

たまたま前日 [1月12日] の深夜番組で紹介されていて美味しそうだったので、

草彅鍋を作ってみました。 [←どうどう? ちゃんとあの漢字が表示されてる?]

その番組に草彅剛さんが出演して、得意の鍋料理のレシピを紹介していたのです。

[例のあの注は削除しました!]

何の番組か知らないまま見ていましたが、

「草彅鍋」 で検索してみたら 「中居正広のミになる図書館」 という番組だったようです。

このブログを書くために今検索してみただけで、

料理を作るときにはわざわざググってレシピを確認する必要もないほど、作り方はシンプルでした。

まずは鍋にしじみを入れます。



あ、すいません。

1人鍋をするときは本物の鍋ではなく卒業生からもらったマルチ・グリル・ポットを使用しています。

番組では2パックぐらいと言われていましたが、1人鍋ですので1パックにしました。

そこに貝がかぶるくらいの水を張ります。



その上に昆布を入れて火にかけます。



レシピなんか確認せずとも作り方全部覚えているさと思っていましたが、

ここでニンニクを1個 (1欠ではない) 入れなければいけないことを完全に忘れていました。

丸々1個分のニンニクって相当強烈なはずですから、

それを忘れてしまったということはもはや今回のものは草彅鍋とは言えないのかもしれません。

というか、番組では実はこのレシピは草彅さんのオリジナルではなく、

メイクアップアーティストのピカ子さんのレシピをパクった上に勝手にアレンジを加えた、

「ピカ子鍋劣化版」 であったということが暴露されていましたので、

はなっから草彅鍋でも何でもなかったのかもしれません。

まあそれでも十分に美味しかったのでよしとしましょう。

フタをして火にかけ、一煮立ちしたら白菜を投入します。



またフタをして待ち、再び沸騰してきたら完成です。



あとはこのスープで豚肉をしゃぶしゃぶして食べていきます。



食べるときは2種類のタレを用意します。



オリーブオイル+岩塩 (本当はトリュフ塩がいいらしいがそんなものはない) と、



できたスープにポン酢を加えたものの2種類です。



本家草彅鍋 (=ピカ子鍋劣化版) ではポン酢に生卵を入れたものが推奨されていましたが、

ちょっと勇気がなくて今回はピカ子推奨のタレだけにしておきました。

これはどちらというよりも、両方あったほうがより楽しめると思います。

素材の味そのものを楽しむためにはオリーブオイルがいいと思いますが、

フツーの鍋に馴染んでいる人にとってはポン酢ダレのほうが安心できるでしょう。

いずれも絶品です。

何と言っても出汁がサイコーですので、最後はスープをすべて飲み干すことをオススメします。

以上が草彅鍋 (ピカ子鍋?) の全体像です。

とても簡単お手軽、レシピも覚えやすいでしょう?

(ニンニクのことを忘れてしまいましたが…)

ただまあこれくらいシンプルでもいいのですが、

うちの場合は前の日の残りの鍋材料があったので、しめじや豆腐も投入してしまいました。



ピカ子さんからすれば完全に邪道ということになるんでしょうが、

草彅さんなら許してくれそうな気がします。



私は豆腐にオリーブオイルと塩をかけて食べるというのは以前からやっていましたので、

こういうふうになっても特に違和感はありません。

けっこうな量がありましたがペロリと平らげ、スープも一滴残らず飲み干しました。

今度はぜひニンニク入りバージョンに挑戦してみたいと思います。

私、SMAPには微塵も思い入れがないので今回の騒動がどうなろうと知ったこっちゃないのですが、

唯一 「ぷっすま」 だけは続いてほしいと思っております。

今回の草彅鍋も元はと言えば 「ぷっすま」 でピカ子さんが披露したものだったそうですし…。

しかし、SMAPが解散となると少なくとも 「ぷっすま」 という番組名は使えなくなるでしょうね。

その場合は 「彅スケ」 とかにでも改名して何とか番組の存続を図っていただきたいものです。

草なぎ剛問題についての書きにくい話

2016-01-24 10:19:55 | 人間文化論
ちょうど 「SMAP独立・解散か?」 という報道が流れた翌日に

「草なぎ鍋作ってみました」 という記事を書いたところ、

これがものすごいアクセス数を稼いでくれていますので、そのおこぼれに与るべく、

この騒ぎが沈静化してしまう前に 「草なぎ剛問題」 について連投しておきたいと思います。

ただちょっと今日の問題、ひじょうにこのブログでは書きにくい話題であります。

奥歯に物のはさまったような表現になることも多々あるかと思いますが、

その点お含みおきいただきながら読んでいただければと思います。



先の記事で私は、彼のことを一貫して 「草なぎ剛」 と表記してきました。

で、こんな注記も付けておきました。

「(※草なぎのなぎは弓ヘンに前の旧字の下に刀)」

この注記はどこかのウェブニュースにあったものをそのままパクってきたものです。

私は当初あの記事を書くとき、「なぎ」 の字は正しい漢字に変換して書いていました。

「くさなぎ」 から一発変換はされませんでしたが、何番目かにはあの字が出てきて、

編集画面上ではそれがきちんと表示されていました。

ところが記事を公開する前にプレビュー画面で確認してみたところ、

彼の名前がことごとく文字化けしてしまっていたのです。

これからやってみますね。

《草剛》

今 《   》 の中には彼の名前を正しい漢字表記で打ち込み、

編集画面上ではそれが正しく映し出されています。

しかし、これをプレビュー画面で見てみると、《   》 の中の 「草」 と 「剛」 の間に、

ちょっと縦長の長方形と、儒教の 「儒」 の字が並んで表示されてしまうのです。

スマホ (特にiPhone) で見ている人にはまた違う見え方をしていて、

アルファベットや数字が並んだコード番号 (JIS+792C) が表示されているかと思います。

とまあこんな具合に正しい漢字を入力しているにもかかわらず文字化けしてしまうのです。

そんなわけですので、あの記事を公開する前に表記はすべて 「草なぎ剛」 に改めたのでした。

あのときはプレビュー画面での文字化けに怖じ気づいて実際にウェブ公開はしませんでしたが、

今回試行してみたところ、プレビュー画面で文字化けしていても気にせずにウェブ公開してしまえば、

Windowsパソコンで見る限りはきちんと 「なぎ」 の漢字は表示されていました。

( 《   》 内の漢字が正しく読めた人はここから先読んでも面白くないかもしれません。)

しかし、やはりスマホ (iPhone?) だと文字化けしてしまうようです。

プレビュー画面というのはブログを執筆している私にしか見えませんので、

読者の皆さんには関係ありませんね。

しかし、スマホ (特にiPhone) でご覧になっている方は大勢いらっしゃると思うので、

この文字化け現象は由々しき問題です。

(スマホでも文字化けしていないとか、パソコンだけど文字化けしているという方は、

 どんな環境でお使いかコメント欄でお知らせいただけると幸いです。)

それにしても、スマホ (iPhone?) になるとなぜ文字化けしてしまうのでしょうか?

彼の名前がなぜウェブ上で 「草なぎ剛」 と表記されるのかという点に関しては、

以前から多くの人が疑問に思っていたようで、YAHOO!知恵袋等にその答えが散見されます。


「草なぎ剛の 「なぎ」 はなんでいつもひらがななのですか?」

「草なぎ剛の 『なぎ』 って、何故漢字で変換出来ないの?」


これらの問いに対する回答はそれはそれで納得できましたが、

私の知りたいこととはちょっとずれているようにも思えます。

私の場合、漢字変換はできているし、ブログ編集画面上ではきちんと表示もされています。

それがプレビュー画面やiPhoneで見ると文字化けしてしまうのです。

どうもよくわかりません。

試しに他のSNSだとどうなるのか、彼の名前を正しく入力・変換しアップしてみました。

すると Facebook でも Twitter でも正しい文字が表示されていました。

なんだ、そっちは大丈夫なのか。

それじゃあこの場合はどうでしょうか?

私のブログは Facebook と Twitter に連携していて、

ブログをアップすると両SNSに投稿通知が自動的にアップされるようになっています。

その際に、gooブログの編集画面上で一言書くと、それがSNSへのコメントとして付加されます。

そのコメントの中に彼の名前を書いてみるとどうなるのでしょうか?

これも試しにやってみました。

すると Facebook のコメント欄では 「草剛」 と 「なぎ」 の漢字はなかったものとされていました。

Twitter では 「草?剛」 と半角のクエスチョンマークに文字化けしていました。

(試行後すぐにブログの投稿もSNSの投稿も削除したので今はもう見られません。)

やはりいろんな環境によって文字化けしたりしなかったりしてしまうみたいですね。

誰がどんな環境で見てくださるかわからない以上 「草なぎ剛」 で行くしかなさそうです。

…と思ってあきらめかけていたんですが、先ほどググっていたときにこんなサイトを発見しました。


「HTMLで難しい漢字を表示させる」


このサイトは素晴らしくって、まさに 「草なぎ剛」 という文字列を例に出しながら、

この 「なぎ」 という漢字をどんな環境でも正しく表示させる方法を解説してくれていました。

言ってる内容は専門的すぎてほとんど理解できませんでしたが、

唯一、Unicode という世界共通の文字コードを使えばいいらしい、ということだけは理解できました。

そうするための具体的方法として、草なぎの 「なぎ」 という漢字であれば、

「24389」 というのが Unicode 上の対応する数字で、その前に半角の「&」 と 「#」、

その後ろに半角のセミコロン 「;」 を付けてあげると、あの漢字が表示されるというのです。

ではやってみますよ。

それっ!

《草彅剛》

いかがですか?

ちゃんと表示されていますか?

パソコンの人もスマホの人もアップルの人もちゃんと 《草彅剛》 になっていますか?

編集画面上ではあくまでも 「草」 と 「剛」 の間にあるのは記号と数字だけなんです。

ああ、今度は逆にこの編集画面上でどう打ち込んであるのかをお伝えできないな。

こうしてみましょう。

《草彅剛》

半角の記号と数字だったものを全角に置き換えてみました。

これならこのまま表示されていることでしょう。

編集画面上では、これらの記号と数字が打ち込んであるだけなんです (半角で)。

でも、皆さんの画面上ではあの 「なぎ」 という漢字が正しく表示されているんじゃないですか?

もう一度やってみますよ。

《草彅剛》

おおっ、素晴らしいっ

これでもうパソコンで見ようがiPhoneで見ようが、

誰が見ても正しい漢字で彼の名前を表記することができるのですね。

おめでとう草彅さん、おめでとうSMAP



というところでこの話題、終了かと思っていたんですが、まだ少し問題が残っていました。

この記事、一気に書き上げることができずに何度か下書として保存しながら書いているのですが、

一度下書として保存したものを再び立ち上げると、

以前の編集画面では 《草彅剛》 と入力していたはずが (記号・数字は半角)、

新たに開いた編集画面では正しく 《草彅剛》 と変換されてしまっているのです。

なんだ、いいじゃないかと思われるかもしれませんが、

これを再び公開するとまた文字化けしてしまって 《草剛》 となってしまうのです。

(おわかりかと思いますが、このへん私はこの間に学んだシステムを逆手にとって入力しています。)

つまりこの記事は再編集するたびに、

正しく表示されていたはずの6ヶ所の 「彅」 の字 (ここも含む) が文字化けに戻ってしまうのです。

どういう仕組みかわかりませんが、とにかくそういうシステムのようです。

したがってこの記事は一度公開したら、もう手を入れ直したりせずそのまま放っておくか、

どうしても手直ししたい場合には、そのつどあの6ヶ所を Unicode に修正しなくてはいけないようです。

うーん、大変だ

私はけっこうあとから読み返して何度も文章に手を入れるタイプなので、

この記事もつい 「てにをは」 とかを直してしまうかもしれません。

そのたびに Unicode 修正のことを思い出せるのかどうか、はなはだ心配です。

この記事を読んでみて文字化けだらけで意味が通じないということがありましたら、

文章に手を入れたときに Unicode 修正のことを忘れたのだと思うので、ぜひ私までご一報ください。

以上、ウェブ上では書きにくい 「草彅剛問題」 でした。

(おっと、これで修正箇所は7ヶ所になった。)

まさおさまカップ

2016-01-23 09:17:56 | 人間文化論
別に橘高校会場に限った話ではないのですが、

センター試験監督の風物詩といえば紙コップがあります。

監督控え室にはちょっとしたお菓子やミカンが並べられていて自由に食べることができ、

またスティックタイプのインスタントコーヒーやお茶とともにポットが置かれていて、

(数年前までは瓶入りのインスタントコーヒーとティーバッグでしたが…)

紙コップに入れて各自自由に飲むことができるようになっています。

そして例年のことなのですが、紙コップのところには次のような注意書きが張り出されています。

「紙コップは1人1日1個でお願いします。

 マジックで名前を書いてご利用ください。」

エコですね。

1杯飲むたびに捨ててしまったりしてはいけないわけです。

その指示に従って皆さん自分の苗字やフルネームなどをささっと書き込んで使うわけですが、

私はもうだいぶ以前から決まったやり方でサインするようになりました。

ぱっと見これが誰のカップか皆さんにはわからないだろうなと思いますが、

他の人にとっては自分のカップではないということさえわかればいいのだし、

私だけが私のカップだとわかればいいのだから、このサインけっこう気に入っています。

ご覧いただきましょう。

まずは平仮名で 「ま」 と書いてあります。



そこから90°回すと 「さ」 の文字が見えてきます。



さらに90°回して 「お」。



そしてまた 「さ」。



で、最後に90°で 「ま」 に戻ってきます。



このあと何回でもぐるぐる回して 「まさおさま」 の無限ループにはまることができるわけです。

そしてなんとこれは反対回りも可能です。

最初の 「ま」 でしょ。



90°左側に回して 「さ」 でしょ。



次が 「お」 でしょ。



また 「さ」 でしょ。



で、「ま」 に戻ってこられるわけです。



もちろんこのあといくら回していっても無限に 「まさおさま」 は続いていきます。

右回りで読んでも左回りで読んでも 「まさおさまさおさまさおさま…」 なわけです。

もうおわかりだと思いますが、平仮名は4つしか書いていません。

普通に 「まさおさま」 と書けば5文字になるはずなのですが、

回文であるがゆえに 「ま」 をひとつ省略できるのです。

実は先日 「はじまりの美術館」 で作った作品 「まさおさま無限ループ」 の発想の原点は、

この 「まさおさまカップ」 にあったのです。



このカラフルな作品は、その後てつカフェ常連のコアなファンの方に贈呈いたしました。

たぶん私が死んだ後ものすごい価値が出て、一財産築けるものと思われます。

今回の 「まさおさまカップ」 のほうは芸術作品として制作したわけではなく、

あくまでも日用品ですので、試験期間中に作製した2個のカップは使用後廃棄いたしました。

しかしながらこれにも芸術的価値を認めてぜひとも欲しいという方がいらっしゃいましたら、

こちらは大量生産可能ですのでいつでもお申しつけください。

センター試験会場では黒一色のものしか作製できませんでしたが、

ご希望に応じてカラフルな作品に仕上げることも可能ですのでお好みの色をご指定ください。

あ、今度のてつカフェのときに会場で販売してもいいかもしれないな。

あ、いやダメか。

全員が 「まさおさまカップ」 を持ってるとどれがぼくのカップだかわかんなくなっちゃうな。

ふーむ、残念。

今年の上履き

2016-01-22 08:57:58 | お仕事のオキテ
センター試験の監督、去年と今年は橘高校会場でした。

昨年もブログに書きましたが、橘高校はセンター試験の会場としてはサイコーで、

家から歩いて行けるし、教室も控え室も温度管理がしやすくて居心地がいいし、

教室が広すぎないので受験者数が適度で、解答用紙や問題冊子等の配布・回収がラクだし、

教室と控え室の距離が近くて休み時間とかの移動もすぐにできるし、

何と言ってもここで受ける受験生がみな試験慣れしているから全然手がかからずにすむし、

そして試験終了後はすぐに街に繰り出せるし、いいことずくめです。

なんだったらこれからもずーっと橘高校で開催してくれてもいいくらいです。

ただひとつ唯一の難点は上履きを持参しなければならないことでした。

で、昨年は上履き用の安い靴を買ってそれを履き、今年も橘高校だとわかっていたので、

それを普段用に下ろしてしまわずに1年間温存しておいたのでした。



ところがこの年末年始、特に自分が新しい靴を買いたかったわけではないのですが、

たまたま靴屋に行く機会があり、そこで前から欲しいと思っていた靴を見つけてしまったのでした。

これです。



以前にもこれと同じデザインの靴を持っていたんです。

最初に買ったのはリーガルの靴でした。

それはリペアなどしてもらいながらけっこう長く履いていました。

その後、靴の安売り屋で別のメーカーの廉価版を見つけて、しばらくそれを使っていました。

去年、それもダメになってしまったのでまた似たやつが欲しいなあと思っていた矢先のことでした。

今回見つけたのはホーキンス製でした。

前回のやつみたいに激安ではありませんでしたが、リーガルのほど高くもありませんでした。

この手の靴の何が好きって、デザイン的に気に入ってるというのもあるんですが、

何よりも足音を完全に消すことができるんですよ。

厚い靴底のゴム的な部分がいいんでしょうね。

それって試験監督にはピッタリじゃないですか。

実際これまでも、福島大学で試験監督をするときは、定期試験であれ入学試験であれ、

たいていこれを選んで履くようにしていました。

大学入試センターから足音に関する警告が発せられる以前から、

私は監督時の足音問題には自分なりに細心の注意を払っていたのです。

去年はまだ前の廉価版が健在でしたから、

この2年間だけのために上履き用にもう一足これを買う気にはなりませんでしたが、

その後ダメになってしまい、ちょうどこのタイミングで見つかったというのは何かの縁だったのでしょう。

消音効果という点では去年買った上履きなんかとは断然比べものになりませんので、

このホーキンスの靴を今年の上履きとすることにし、

センター試験の日が来るまではまだ使わずに大事に取っておいたのです。

おかげさまでセンター試験中、教壇や床のきしむ音自体は避けられませんが、

(もちろんそういう音もできるだけ立てないように、どこがきしむのかは覚えておきます)

靴音に関しては完全に消し去ることに成功していたのではないでしょうか。

はたして受験生の皆さんは、試験監督の大学教員が、

そこまで気を使って試験監督に臨んでいたということに気が付いてくれていたのでしょうか?

(私以外の先生たちのことは知りませんが…。)

名残惜しいですが、橘高校でのセンター試験も今年限りですので、

この靴も去年の靴も普段用に下ろすことにしたいと思います。

結果的には1年に1足上履きを買ったことになりますね。

クソーッ、これってやっぱり大学入試センターか福大の入試課が支払ってくれるべきじゃないですか?

せめて確定申告のときに経費で落とせるといいんだけどなあ。

肩のために模様替え

2016-01-21 09:21:17 | 生老病死の倫理学
昨年末に 「肩が冷える」 という記事を書きました。

年明け早々には 「肩の守りはお前に任せた」 という記事も書きました。

くまモンのおかげで肩の冷え問題には一定の決着がついていたのですが、

このたびさらに抜本的な解決策として寝室の模様替えを断行いたしました。

これまで寝室のベッドは窓の真下に頭が来るような配置で置いてありました。

まさかブログネタにすると思っておらず、模様替え前の写真を撮っておかなかったもので、

ちょっとわかりにくいかもしれませんが、昨年のプロフェッショナル大掃除のときの写真をご覧ください。



窓枠の掃除をしている方のことは無視して、ベッドの配置だけご覧ください。

この部屋には西側に面した窓があるわけですが、そちら側を頭にしてベッドを置いていました。

しかもベッドの右側にもカーテンが見えますね。

そちら側も見ていただきましょう。



これも、換気口の掃除をしている人のことは無視して、その向こう側にのみご注目ください。

この位置に全面ガラス製のドアがあり、その先はホントに小さなバルコニーがあって、

そこにはエアコンの室外機が置かれているだけで、

そのバルコニーに出ることはまったくと言っていいほどないのですが、

(エアコンを買い換えた時にエアコン取り付け業者の人が出たのと、

 原発事故後数年経ってから補修工事の人と除染作業の人が出ただけ)

このベッドのすぐ脇の所に (五十肩になった左肩側に) 開かずのドアが厳然と存在していたのです。

この窓とドアから冬場は冷気が侵入してくるわけです。

これまでは頭がヒンヤリしていいなというくらいにしか思っていませんでしたが、

肩が冷えてくまモンに守ってもらわなければならなくなった現在、

寝室のこの位置にベッドを置き続けるメリットはもはやないと言えるでしょう。

というわけでここに引っ越して以来初めての模様替えを断行することにいたしました。

いろいろと、暖かさとか使いやすさとかベッドサイドテーブルの配置等を考えながら試してみましたが、

けっきょくベッドの大きさと寝室の狭さとの兼ね合いで、

以前の置き方以外の配置方法は一択しかありませんでした。

まず、以前ベッドを置いていた位置に来客用のソファベッドを移動しました。



このソファベッドはほとんどマットレスを折り畳んだだけでできているようなもので大した重さもなく、

お客さんがいらしたときにはリビングに持っていってそこに広げて使いますので、

この位置に置かれていても何の問題もありません。

(もちろんこの位置に横に広げて使うことも可能ですが、

 あまりスギッチやM先生と同じ部屋で寝たくはありません。)

そして肝心のベッドは、窓とは反対側のこの位置に移動させました。



これによってだいぶ部屋の雰囲気が変わりました。

以前はこの位置にソファベッドが置かれていたわけです。

模様替え後はベッドサイドテーブルをベッドの両脇に置くことができなくなりましたし、

片側にしか置けないベッドサイドテーブルが、

入口入ってすぐのものすごく落ち着かない場所に位置せざるをえないという欠点はありますが、

暖かさという点においてはこれまでと比較にならないくらい改善されました。

なんだ、最初っからこうしておけばよかったじゃんというくらいの快適さです。

もはや雪がしんしんと降る日でもない限り、くまモンに登場してもらう必要もないくらいです。

ちょっとまだこの配置に慣れておらず、

目覚まし時計が鳴ったときに壁のほうに手を伸ばして突き指したりしていますが、

夜中に肩が冷えて目が覚めるということはなくなりました。

肩の冷えるジイサンはしばらくこの配置で寝てみることにしたいと思います。

これで肩の冷えは完全に解消されるのか、やはり身体の内部から根治する必要があるのか、

しばらく様子を見てからまたご報告したいと思います。

看護学校 「倫理学」 レポート&テスト・「倫理学の授業での学び」

2016-01-20 08:50:14 | 哲学・倫理学ファック
昨年末、白河と郡山の看護学校のレポートや試験の採点をしているという話を書きました。

あれがけっきょく年内には終わらずに年越ししてしまっていました。

例年苦しめられてはいましたが、ここまで苦しんだのは初めてのことです。

年明けて半月以上も経ち、やっと採点を終えることができました。

看護学校の先生方や学生の皆さんには本当に申しわけない限りです。

今回も3名の方のレポートやテストからそれぞれ一部を抜粋してご紹介しましょう。

いずれも 「倫理学」 の授業での学びについて書いてくれているのですが、

私がこの授業を通して最も伝えたかったことを受け止めてくれていたので、

たいへん講師冥利に尽きました。


Dさん
 患者の内部意識と受け手とのズレについて考えた時に思い出されたのは、10年前に他界した祖父の事だった。私の祖父は脳梗塞とパーキンソン病に侵され、排痰がうまく出来なくなった為、気管切開術と胃瘻をつくる手術を受けていた。若い頃は料理人をしており、食べることが大好きだった祖父にとって食べ物を経口で摂取できない事は非常に辛かっただろうと今でも考える。だが、倫理学の授業を受けるまでは祖父の気持ちの細部にまでは思慮が及ばなかった。また、祖父を長生きさせるためには仕方のない事だと思っていた。私の考え方に足りなかったのは、相手はその行為を望んでいたのかという視点だった。祖父の件に限らず、友人と接する中でも自分を中心にして相手が喜ぶであろうことをしたり言ったりしていた。今まで良いと思って行ってきたことや振る舞い方も、自分本位な押し付けのような行為であったのかもしれないがこれまでその様な事を意識したことはなく、自分が思う事や感じる事は相手にも共通することであると考えていた部分があった。もしかすると祖父は、最後まで食事を経口で行いたいと思っていたのかもしれないし、話したい事も沢山あったのかもしれない。だが、亡くなってしまった今では祖父の思いを知ることは出来ない。もっと注意深く祖父の仕草や時々発する声に気付けていたら、本人にとってよりよい治療を行うことが出来たのかもしれない。また、本人には分からないだろうと自分の中だけで判断してしまい、然るべき説明を怠っていた医療従事者にも問題はあったのではないかと思う。理解できているかどうかは、本人にしかわからないことであるのだから、憶測だけで必要な情報を伝えないのはただの決めつけであると思う。また、看護学の授業の中で当学院の先生が病棟に勤務していた頃のエピソードを話してくれたことがあった。当時入院されていた方が脳幹出血で心停止になってしまったのだが、その時に奧さんが声を必死でかけ続けていたところ奇跡的に意識を取り戻したそうだ。その後も家族の意向に沿って回復に向けた看護を提供し、最終的には経口で飲食することや歩行が可能になったという。その話を聴いた時に、倫理学の授業を思い出すと同時に患者の可能性を信じ諦めないことが大切であると再認識した。
 以上の事から医療現場において、自分の考え方を相手に押し付けることは時に取り返しのつかない事態を招くのだと知った。これから看護師をしていく上で、自分の思いを上手く表現できない患者と出会う事もあるだろう。そんな時は持てる能力をすべて使い、患者の思いを汲み取れる様な看護をしていきたい。また、最初からきっとできないと諦めてしまうのではなく、患者を最善の状態まで回復させたいという気持ちを大切にしていきたい。


Eさん
 最初の説明で、「ワークシートはグループメンバーも見ることになる」と聞いた時、恥ずかしいと感じたり、本当の意見は書けなさそうだと思った。しかし、ワークシートの交換をしてみると、それぞれがしっかりした意見を書いていた。これにより、意見は自信を持って自分なりの答えを書くことが大切だと気付くことができた。また、色々な人の意見に目を通して、皆複雑な思考をしているし、自分が浅い考えをしてしまっていた時に、深い視点から物事を考えて意見を出していた人は尊敬することができた。また、普段の言動では考えられないような意見を持っている人もいたため、人は見た目ではないとこの場でも実感することができた。このことから、意見交換の重要性を学ぶことができた。また、グループで考えをまとめる際、様々な考えがある中で、どれが最善かを全員で考えることが難しく、楽しくもあった。4、5人という少ない人数でもあり、ひとりひとりの意見が重要であったため、いつもより積極的に話し合いに参加することができた。また、グループメンバー内で最善の答えを出したと思っても、他のグループの考えの方が納得できたり、優れていると感じたり、人数が増えれば増えるほど多様な考えが出てくるのだと実感した。実習でカンファレンスなど、自分の意見が必要になる際、しっかり自分の意見を伝えることと、他人の意見に耳を傾けることに応用できると感じた。カンファレンスでは自分が患者の今後の方向性という責任を負っているため、威圧に負けないよう、しっかり主張していきたいと思うことができた。


Fさん
 どのようにすれば患者やその家族の思いや考えを汲み取れるのだろうか。また、そのためには何が必要になってくるのだろうか。何が必要になるかは、他の授業のなかでも学んできた。特に言われたものは、コミュニケーション能力、患者や家族に大して誠実であること、医療行為やその補助における根拠、理由を理解すること、患者や家族の話を傾聴する、といったものがほとんどだった。実際に、病院実習に行ったときも、これらの能力は必要だと思っていた。看護師に求められるものは何かと、グループワークのときに話し合ったときにも、すぐに挙がる程だった。しかし、先生の「考え続ける力」という言葉も、大切だと思った。確かに、この患者には何が必要か、最善策は何かというのは、考え続ける必要がある。しかし、それだけではないのだ。この案は本当に必要なのか、患者に合っているのかと、一度立ち止まり考える力も必要なのだ。そのためには、もちろん専門的な知識も必要になってくる。そして、自分の考えだけではなく、一番尊重するべきなのは、患者の意志だ。本当に患者が欲しているものや望んでいることを汲み取る、もしくは聞き出さねばならない。そのためには患者に信頼してもらうこと、話してくれる環境も重要になってくる。これらを得るためには、など様々なことを考え続けなければならないのだ。
 以上のように様々な疑問や考えが浮かんできた。一度出た考えや常識を疑うのが倫理学であるように、看護でもこれは正しいのか、本当に必要なのかを疑わねばならない。一つだけの考えに縛られず、様々な視点から物事を見ること。これが今回倫理学で学んだ中で、一番心に残ったことだ。様々な考えや生き方をもつ人に接するとき、その人を色んな視点、角度から見ることが大切なのだと分かった。視点を広げるには、よくその人や物を知ること、それらをまとめるだけの知識も必要になってくる。これからも学び、そして考え続けていくことが大切なのだ。


皆さん、「倫理学」 の授業とレポートorテスト、お疲れさまでした。

これからも考え続け、理想の看護師になってください!

草なぎ鍋作ってみました

2016-01-14 17:09:27 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
SMAP解散かというニュースが日本中を駆けめぐった昨日、

まさかそんなタイムリーな話題になるとは思わずに、

たまたま前日の深夜番組で紹介されていて美味しそうだったので、草なぎ鍋を作ってみました。

その番組に草なぎ剛さんが出演して、得意の鍋料理のレシピを紹介していたのです。

(※草なぎのなぎは弓ヘンに前の旧字の下に刀)

何の番組か知らないまま見ていましたが、

「草なぎ鍋」 で検索してみたら 「中居正広のミになる図書館」 という番組だったようです。

このブログを書くために今検索してみただけで、

料理を作るときにはわざわざググってレシピを確認する必要もないほど、作り方はシンプルでした。

まずは鍋にしじみを入れます。



あ、すいません。

1人鍋をするときは本物の鍋ではなく卒業生からもらったマルチ・グリル・ポットを使用しています。

番組では2パックぐらいと言われていましたが、1人鍋ですので1パックにしました。

そこに貝がかぶるくらいの水を張ります。



その上に昆布を入れて火にかけます。



レシピなんか確認せずとも作り方全部覚えているさと思っていましたが、

ここでニンニクを1個 (1欠ではない) 入れなければいけないことを完全に忘れていました。

丸々1個分のニンニクって相当強烈なはずですから、

それを忘れてしまったということはもはや今回のものは草なぎ鍋とは言えないのかもしれません。

というか、番組では実はこのレシピは草なぎさんのオリジナルではなく、

メイクアップアーティストのピカ子さんのレシピをパクった上に勝手にアレンジを加えた、

「ピカ子鍋劣化版」 であったということが暴露されていましたので、

はなっから草なぎ鍋でも何でもなかったのかもしれません。

まあそれでも十分に美味しかったのでよしとしましょう。

フタをして火にかけ、一煮立ちしたら白菜を投入します。



またフタをして待ち、再び沸騰してきたら完成です。



あとはこのスープで豚肉をしゃぶしゃぶして食べていきます。



食べるときは2種類のタレを用意します。



オリーブオイル+岩塩 (本当はトリュフ塩がいいらしいがそんなものはない) と、



できたスープにポン酢を加えたものの2種類です。



本家草なぎ鍋 (=ピカ子鍋劣化版) ではポン酢に生卵を入れたものが推奨されていましたが、

ちょっと勇気がなくて今回はピカ子推奨のタレだけにしておきました。

これはどちらというよりも、両方あったほうがより楽しめると思います。

素材の味そのものを楽しむためにはオリーブオイルがいいと思いますが、

フツーの鍋に馴染んでいる人にとってはポン酢ダレのほうが安心できるでしょう。

いずれも絶品です。

何と言っても出汁がサイコーですので、最後はスープをすべて飲み干すことをオススメします。

以上が草なぎ鍋 (ピカ子鍋?) の全体像です。

とても簡単お手軽、レシピも覚えやすいでしょう?

(ニンニクのことを忘れてしまいましたが…)

ただまあこれくらいシンプルでもいいのですが、

うちの場合は前の日の残りの鍋材料があったので、しめじや豆腐も投入してしまいました。



ピカ子さんからすれば完全に邪道ということになるんでしょうが、

草なぎさんなら許してくれそうな気がします。



私は豆腐にオリーブオイルと塩をかけて食べるというのは以前からやっていましたので、

こういうふうになっても特に違和感はありません。

けっこうな量がありましたがペロリと平らげ、スープも一滴残らず飲み干しました。

今度はぜひニンニク入りバージョンに挑戦してみたいと思います。

私、SMAPには微塵も思い入れがないので今回の騒動がどうなろうと知ったこっちゃないのですが、

唯一 「ぷっすま」 だけは続いてほしいと思っております。

今回の草なぎ鍋も元はと言えば 「ぷっすま」 でピカ子さんが披露したものだったそうですし…。

しかし、SMAPが解散となると少なくとも 「ぷっすま」 という番組名は使えなくなるでしょうね。

その場合は 「ナギスケ」 とかにでも改名して何とか番組の存続を図っていただきたいものです。

新年の頂き物

2016-01-12 23:43:36 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
新年早々、皆さまから美味しいものをいただきました。

ひとつは同僚からいただいたゴディバのチョコレートです。



おや、これは何でしょう?

チョコや包み紙にサルが描かれています。

ゴディバってベルギーのメーカーじゃなかったでしたっけ?

ベルギーにも干支ってあるのでしょうか?

ベルギーでも今年は申年なんですか?

それとも先日のリーガルと同様、

ゴディバにも日本固有の会社があって日本向けに独自に商品開発しているのでしょうか?

私としてはあまりそういうことはしてもらわずに、

ベルギーのチョコ屋さんならチョコ屋さんらしく、純粋なチョコで勝負してくれればいいんですが、

まあこのサルはサルで可愛かったし、チョコはゴディバらしく正統派の味でした。

どうもありがとうございました。

もうひとつはぢゅんちゃんから頂いたお土産です。



ぢゅんちゃんは年末年始を海外で過ごすことが多いのですが、

今年はメキシコに行ってきたそうです。

というわけでメキシコと言えばテキーラです。

なんだか素敵な瓶です。

この真ん中にある青い飾りはテキーラの原料である竜舌蘭を表しているのではないでしょうか。

カッコいいですね。

もったいなくて、たぶん飲み終わっても棄てられないような気がします。

テキーラってあまりそのままでもカクテルでも飲むことはありませんが、

せっかく頂いたので、美味しい飲み方を調べてテキーラを楽しんでみたいと思います。

どうもありがとうございました。

明日はささき牛乳を飲みながらてつカフェだあっ!

2016-01-08 17:29:29 | 哲学・倫理学ファック
いよいよ明日9日は今年第1回目のてつカフェです。

すでにお伝えしてあるとおり、【現場/当事者から考えるシリーズ・第2弾】として、

(有)ささき牛乳の佐々木光洋さんをお迎えして、まずは佐々木さんからお話しいただき、

それを踏まえて 「ルーツとアイデンティティ」 について哲学的に語り合っていきたいと思います。

佐々木さんとは、映画 『ある精肉店のはなし』 でのシネマdeてつがくカフェのときに、

ゲストスピーカーとしてお越しいただいて以来のお付き合いです。

そういえばあのシネマカフェのときは、ささき牛乳を飲みながら話し合ったのでした。

そこで今回も、佐々木さんと、会場を提供してくださる 「イヴのもり」 さんにお願いしてみたところ、

御快諾いただけたので、ささき牛乳を飲みながらてつカフェを行えることになりましたっ!



飲み物代は300円で変わらず、「イヴのもり」 さんからも美味しいコーヒーをご提供いただけます。

それにプラスしてささき牛乳もドリンクの選択肢として加わるという豪華なカフェ布陣です。

牛乳を飲みながら佐々木さんのお話をうかがい、対話時間にはコーヒーに切り替えるもよし、

コーヒーに牛乳を加えてカフェオレにしていただくもよし、

いつもとは違うてつがくカフェをお楽しみください。

スーパーで売ってる牛乳とは一味も二味も違います。

シネマてつがくカフェのときに試飲してすっかり気に入ってしまい、

その後定期購入されている方もいらっしゃるほどです。

ささき牛乳を街なかで試飲できる機会なんてめったにありませんので、

ぜひこの機会にささき牛乳とてつがくカフェをお試しあれ。

東京のお正月飾り

2016-01-06 23:45:56 | 人間文化論
昨年末、東京のクリスマス・ディスプレイについてご報告したので、

東京のお正月ディスプレイについてもさくっとご報告しておきましょう。

まずは玄関。



これは2年前にスーパーで買ってきたやつを使い回しているだけです。



玄関入って正面。



上部の飾りも前からあったものですが、今回はこのように飾り付けられていました。



下部には南天を配した花瓶。



その横に並べられているのは、2年前にはトイレに飾られていた七福神たちです。



玄関脇に置かれた薬棚には可愛らしい獅子舞。



獅子舞の飾り物って2個並べることは少ないと思いますが、2つあると何となく可愛いです。

リビングに入って左手、デスクまわりのごちゃごちゃしたところに、

2年前は玄関に飾られていた獅子舞の木彫り。



その横ではクリスタル・ファウンテンの下の観葉植物が正月っぽくディスプレイされていました。



リビング入って右手側の和箪笥の上。



左側はやはり南天。



涙型の置物はどういう仕組みでだかお天気がわかる物らしいですが、

その脇に何となく正月っぽい雰囲気のするものが。



リビングの隅にある梵字の掛け軸の下にもうひとつクリスタル・ファウンテンがあり、



その前に何だかよくわかりませんがやはり正月っぽいものが。



紙製の新製品ですが、折り鶴っぽい感じの何かです。

ソファ前のローテーブルの下には以前トイレのなかに飾られていた布製のお重。



リビングの反対側の壁際にあるローチェストの上には本物のお重のなかにネズミ的な何かが。



今年はネズミ年ではありませんが、ネズミも何となく縁起いい感じですよね。

その横にはウサギ的な何かを含む、何となくおめでたそうなグッズの一群。



そして、トイレ。



正面のパネルは2年前にも使われていましたが、お義母さんがそれにちょっと手を加えたそうです。



菊やら鶴やらはオリジナルにはなかったはずです。

前回お伝えしたトイレ内手洗い場がこちら。



ここにも一対の獅子舞が。



昨年は1歳児に気を取られて記録するのを忘れていましたが、

一昨年と比べてみると小物が少しずつ増えているのがよくわかります。

おかげでさくっと報告するつもりが長くなってしまいました。

特に今年はペアの獅子舞がフィーチャーされていたのが特徴的でした。

獅子舞って別に2人一組でやるものじゃないと思うのですが、

こうやって2つセットで並んでいると、ひな人形みたいで可愛かったです。

来年はさらにどう進化を遂げていくのか静かに見守りたいと思います。

「中華蕎麦こばや」 のルーツとアイデンティティ

2016-01-05 16:05:42 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
昨年の10月の頭ごろだったでしょうか、Facebookで下記のような写真と記事が流れてきました。
元はといえば廣田裕介という方の9月29日の投稿ですが、
私は廣田さんとは直接のFacebook友達ではないので、
友達の友達つながりで誰かが 「いいね!」 か 「シェア」 したものが目に止まったのでしょう。

(以下引用)

日本蕎麦じゃなく中華蕎麦専門店やります♪
僕は何でも屋ではなく穀物屋ですが製粉屋の実家で生まれ身近に粉を挽く、麺を打つことの環境があり、実はずっとラーメン屋と蕎麦屋をやることを志しておりまして…
実家を継いだ兄の下で二年。当時僕との方向性の違いもあり、一人旅立ち実家の眠っている歴史を新たに掘り起こしながらたなつもの創業十年。実家の看板無しでもやりたいことを形にしていこうとトライ。しかし当初は厳しい現実の壁が多々。その度に支えてくれたのはやはり実家の看板と両親そして長男という立場で自由奔放な僕を影でサポートしてくれた兄。今スタッフのみんなに支えられ今の自分があることに感謝感謝ですが、実家とそれを守ってくれる兄、そして両親御先祖があってこその自分と常々思って生きとります。その恩と想いを込め、僕の最終的な落とし所は実家の屋号を使って自分のイメージする店舗をやること…なので迷惑はおかけしませんので兄上そろそろお許し下さいな。
と言うことで今回のコンセプトも農食発信たなつものスタイルにて、
自家栽培
自家製粉
自家製麺
を目指し美味しい感じの一杯にします♪
暫く厨房に立ち、さらに自分を追い込み、そして自分を磨き上げます。
食の師匠である阪田博昭先生はじめ県内外でラーメンイベント活動を共にしてきた福島ラーメン組獅子奮迅隊の山本一平初代代表と海野信一現代表には腕もない職人でもない経験も浅い自分に対しまして色々と御指導と御勉強をさせて頂いて来ましたことに心から感謝申し上げます。
場所は御縁があり福島市の名店「麺やうから家から」さんの跡地でやらせて頂きます。
ようやく僕の想い描いて来た製麺屋ロードがここからスタートします♪
因みに木羽屋(こばや)は初代創業から百三十年余です…



(引用おわり)

金谷川駅前の 「うから家から」 が閉店するだかしたという話は耳にしていましたが、
この投稿を読んで初めて、その跡地に新しい店がオープンすることを知ったのでした。
この文章、なかなか素敵ですよね。
実家の木羽屋の歴史、家族との関わり、師匠や同志たちとの交流、そして自分自身の信念と活動…。
なんだか行ってみたい気にさせます。
ただし私は、できるかぎり昼は糖質制限をするようにしていますので、
大学近辺にラーメン屋さんが開店してもあまり嬉しくはないのです。
「うから家から」 のラーメンも大好きでしたが、
よっぽどのことがないかぎり立ち寄らないようにしていましたし、
そのために閉店に追い込んでしまったんではないかと良心の呵責を感じているくらいですから、
新店がオープンしたからといってそうおいそれと顔を出すわけにはいかないのです。
ところが、またも突然の思いつきで、1月の 「てつがくカフェ@ふくしま」 のテーマを、
「ルーツとアイデンティティを問う」 と決めてしまいましたので、
そうなってくると俄然、あの中華蕎麦こばや開店の挨拶が気になりだしました。
というわけで、これはたんなる昼食のためではなく、
あくまでも次回てつカフェのための情報収集ということを主たる目的として、
「中華蕎麦こばや」 を訪れてみることにしました。
入口はシンプルにこんな感じです。



お店に入ってみると、ルーツを感じさせるディスプレイでいっぱいでした。
入口入って正面の壁にはこれ。



「先代の想いを継承し 歴史と名を掘り起こす」 です。
これぞまさに 「ルーツとアイデンティティを問う」 にほかならないじゃないですか。
さらにカウンターを見上げてみると、その先代たちの足跡が1枚1枚のパネルに記されています。



みごとです。
こちらのお店は水曜が定休日のようで、土曜のてつカフェに参加していただくことは難しそうですが、
できることならゲストスピーカーとして一席ぶっていただきたいくらいです。
さて、てつカフェのための取材はこれくらいにして、ラーメンをいただいてみることにしましょう。
こちらがメニューです。



シンプルにメニューは2種類のみ。
煮干中華蕎麦か中華蕎麦の二択です。
それぞれ麺が手揉み太縮れ麺か中細ストレート麺かに決められており、
これはスープとの相性でそうなっているのでしょう。
基本、麺とスープだけで勝負する本格的なお店のようです。
チャーシュー麺とか味玉ラーメンといったメニューは用意しておらず、
それらはトッピング (「載物」) として処理するようです。
麺の量に関しては 「うから家から」 の伝統を引き継いでか、
並盛り、中盛り、大盛りが同料金で選べるようです。
(たくさん食べたい人にはいいシステムかもしれませんが、
 糖質制限ダイエットを実行している人間にとってはなんか損してる感が否めません。)
ただ、このシンプルなメニュー表のなかで、
【麺物】 の次に 【載物】 が来ないで 【飯物】 が来ているのは特筆すべき点でしょう。
小鉢付きの日替御飯というのが相当な押しのようです。
(これも立地が金谷川駅前で大学生が主たる客層であるための戦略なのかもしれませんが、
 炭水化物+炭水化物なんて考えられな~いという今どきのヘルシー客相手にはどうなのでしょう?)
さて、メニュー表の裏も見てみます。



使用している食材がすべて記されていました。
こんなラーメン屋さん、他に知りません。
またいい物ばかり使っています。
これぞまさにルーツのなせる業なんでしょうね。
しかも、福島の食材ばかり。
〈3.11〉 以後、私たちは食物の残留放射性物資を気にしなければいけなくなりましたが、
あれから5年が経とうとしている現在、正しいルートを通したものであれば、
日本中の農産物のなかで福島産の物が最も安全なのではないかと私は考えています。
他県でここまで徹底的に検査しているところはないですからね。
美味しくて安全 (しかも安価、これは手放しでは喜べませんが…) だとするならぱ、
これを選ばない手はありません。
もちろん安心できないという人にむりやり食べさせるべきものではありませんが、
いくら福島第一原発から遠いところで採れたからといって、
放射線検査もしていない農作物を口にしている人たちの方が私にとってはチャレンジャーに思えます。
おっと話が逸れてしまいました。
とにかく 「農食発信たなつもの」 のプロが厳選し抜いた食材で作られているようです。
まずはやはり基本の 「中華蕎麦」 よりもイチ押ししているらしい 「煮干中華蕎麦」 を頼んでみます。



誠に申し訳ありませんが、ネギ抜きバージョンです。
これは絶品です。
煮干のスープが濃厚です。
この写真でもそうですがスープが濃厚で麺がほとんど見えません。
実際に食べてみるともっと驚くと思いますが、ほとんど食べ終わり、
スープもほとんど飲み干して底の方にほんのわずかしか残っていないという状態になったとき、
麺の切れっ端がちょっとだけ残っていて、麺好きはそれも全部すくって食べようとするじゃないですか、
その麺も見えないんです。
わずかに残っているスープが濃厚なので、下から何cmか残っているだけでもう麺は見えないのです。
今はスープの色のことだけ説明しましたが、それと比例して味も濃厚です。
このスープには手揉み太縮れ麺がまたよく合っていました。
これはクセになる味です。

さて、1回目の訪問のときは店が混み合っていたので思うように写真を撮れませんでした。
しかしながらこのブログを書くためには写真も必要だと判断したので、
その後もう2回ほど、あくまでも昼食のためではなく取材のために訪れてみました。
(入口や店内パネルの写真は実は3回目の訪問のときに撮ったものです。)
2回目のときは基本の 「中華蕎麦」 にして 「半熟煮玉子」 をトッピングしてもらいました。



たしかに前回の 「煮干中華蕎麦」 のスープと比べると味はあっさりめに感じられますが、
それはあくまでもあれとの相対評価であって、これだけ味わえば十分に濃厚なスープです。
クセがない分こちらのほうが好きという人も多いのではないでしょうか。
それよりも何よりも中細ストレート麺というのが得も言われぬ味わいでした。
表面はツルンツルンで、噛むとプリプリの歯ごたえがあり、小麦粉の味が濃いのです。
手揉み太縮れ麺も美味しかったんですが、すすって食べる麺の食感はこちらのほうが抜群です。
できれば麺とスープの逆の組み合わせも試してみたいところですが、
私としては中細ストレート麺にやられてしまいましたので 「中華蕎麦」 に軍配を上げたいと思います。
そして、「半熟煮玉子」 も美味しかったです。
これはぜひ載せたほうがいいでしょう。
ところで、この玉子、何だか気になりますね。
よく見てみましょう。



お?
これは双子卵ではないですかっ!
ひょっとしてたまご舎の 「さおりとさやか」 を使っているのでしょうか?
しかし先ほどの食材一覧には 「笹やか地鶏と卵」 とは書いてありましたが、
「たまご舎のさおりとさやか」 とは書いてありませんでした。
「笹やか地鶏と卵」 もけっこうこのへんじゃ有名な食材で、
金谷川駅前にあるカフェたまごが同じ鶏と同じ卵を使用しています。
笹やか卵も二卵性の卵というのを売りにしているのでしょうか?
気になったので、けっきょく確認のために (あくまでも確認のためであって昼食のためではない)、
もう一度お店を訪れてみることにしました。
3回目も2回目と同じく中華蕎麦・中盛り・ネギ抜きの半熟煮玉子載せにしてみました。
すると…。



煮卵はフツーでした。
前回の双子卵はただの偶然だったんですね。
なんだ、ああビックリした。
以上、「中華蕎麦こばや」 のレポートでした。
福島にはこうやって何代にもわたって地域と結びついて活動していらっしゃる方が多いですね。
今度じっくりお話をうかがってみたいものです。
(3回も訪問したのに一度も直接話をうかがうことはなく、
 ただラーメンを食べて写真だけ撮って帰ってきてしまいました。テヘ)