先日、「相馬看護13期生に病気が教えてくれたこと」 と題して、
各グループの代表作品をアップいたしましたが、
ワークシートの採点を終え、全員のエッセイを読ませていただきましたので、
今回は代表作品にはノミネートされなかったものの、
グループ編成次第によっては代表作品として選ばれていてもおかしくなかったんではないかと、
まさおさまがセレクトした作品をご紹介していきましょう。
ちょうど来月の 「てつがくカフェ@ふくしま」 のテーマが、
「〈病〉 とは何か? ―病気が教えてくれたこと―」 となりましたので、
(これは私ではなくもう1人の世話人が私のブログを見て言い出したことですっ!)
ぜひ皆さんも、何か病気が自分に教えてくれたことはなかったかどうか思い出して、
できることなら彼らの作品を参考に一度エッセイ風に書き留めてみるといいかもしれません。
それではご覧いただきましょう。
【Aさんの作品】
私には祖父母が合わせて3人いる。父方の祖母と母方の祖父母。3人とも何度も病気になり、何度も入退院を繰り返してきた。普段は正直口うるさい存在にしか思わないけれど、病気になって入院されると、いてくれることへの有り難みを感じた。反抗期の頃は特にひどい接し方しかしてなくて 「うるさい」 とか 「わずらわしい」 とすら思っていた。それでもお見舞いにいくと、ただ椅子に座っているだけなのに 「ありがとう」 と言われた。そのとき、「わずらわしい」 と思っていた自分が恥ずかしくて情けなかった。つい3ヶ月前、、母方の祖母が胃癌で手術をしたときも、別に死ぬってわけじゃないのに 「助かりますように」 とか 「悪化しませんように」 って祈ったりした。いつもなら神頼みなんてしないし、そもそも手術の前のムンテラの時点で把握できているはずなのに、弱りきった姿を見ると冷静さを欠く自分がいた。病気はやっぱり教科書だと思う。そうでなければ鏡。自分の知らない自分に気づかされるし、普段思ってもいないことを考えさせられる。自分の弱いところを目の前に突きつけてくるものだと思う。祖父母が高齢になって病気になったからこそ気づけた自分の一面。祖父母の病気は治ってほしいけれど、病気はいろいろ教えてくれたので、病気には感謝したい。
【Bさんの作品】
「子どもは2人欲しいね。」 「お前の子どもはデブだろうな。」 友達と話して笑っていた。そんな将来に希望を持っていた日々が、一言で崩された。「私は子どもは産めなくなるの?」 沢山泣いた。手術後、ある言葉で更に泣いた。「大丈夫だよ。」
「健康で生きている」 それがどれだけ幸せなのか気づかされた。「健康に産んでくれてありがとう、お母さん」。「健康に育ててくれてありがとう、お父さん」。「病気を治してくれてありがとう、お医者さん」。全てに感謝して生きていこうと決めたよ。
【Cさんの作品】
もう亡くなってしまったが、私の祖父は亡くなる10日ほど前、段差から落ち、頸椎を損傷した。そのため身体がまったく動かなくなり寝たきりの生活を病院で送っていた。祖父は元気な時はとても頑固で、よく祖母や母 (祖父からすると娘) とケンカをしていた。どちらかというとよく怒っていたイメージがある。
祖父は自分で自分のことは何でも出来たし、何か必要な物があれば何でも作る器用な人だった。車庫を作ったり、くつ箱を作ったり、離れの家を作ったり、何でも出来た。厳格で決して ”ありがとう” と言わない人だった。何かすると逆におせっかいと思われてしまうような人だった。
そんな祖父が入院し、自分のことが何一つできなくなってしまうとある変化が起きた。私たち家族が面会に行くと、嬉しそうに笑顔になった。元気な時は私たちと話す時は怒っている表情ばかりみせていたが、いつもにっこりとした笑顔でむかえてくれた。また、祖父が車いすに乗せられてリハビリにむかおうとしていたため、私たち家族が帰ろうとすると、私たちが帰るのをずっとずっと遠くから寂しそうな表情でみていた祖父の姿が今でも忘れられない。
私はどんなに厳格な祖父であっても、1人で入院生活を送ることはとても心細いことなんだと思った。また、病気で入院している家族にとって頼れるのはやはり家族であり、家族の大切さを改めて感じることが出来、家族に感謝して過ごしていきたいと思う。
【Dさんの作品】
今までとは違う感覚が私を襲った。そう、インフルエンザが。
朝から終始気だるさを感じ、歩くことも、食べることも、起きていることすら辛かった。毎日のように6:30に鳴るアラームがその日からはただの雑音となっていた。今まで通りの生活はできない。学校にもいけない。友人や彼女にさえ会えない。このとき、今まではめんどくさい、嫌いと思っていた学校も恋しかった。
インフルエンザに苦しめられている間は、今までの生活がどんなに楽しかったか、治ったあとは何がしたいかといろいろ考えることができた。
ベッドにいる間は、時間がゆっくりと過ぎ、物事を考えるにはいい時間だった。2日もすれば薬は効き、苦しみはなくなった。
自分の体が動く、ご飯を食べられる、水がゴクゴク飲める。
自分はまた元通りになったんだ。そう思うと、喜びなどの感情がこみあげてきた。そして、また今まで通りの生活は始まる。普段できることは、普通ではない。
そんなことを2年に1度程インフルエンザは教えてくれる。
【Eさんの作品】
ある日、普段と変わらず朝食を食べていると、父が茶わんを落とした。父の手はひとりでにふるえており、普通じゃないと当時の私でもわかった。入院してすぐに倒れた父は歩けなくなり、目も見えなくなっていた。普段は仕事で忙しく、休日も寝てばかりいる父と、ゆっくり話す時間ができた。私は父の事をたくさん知れたし、父がいつも家族を支えるために頑張ってくれていたことに気が付いた。
病気は疲れた体を休めるためになるのではないかと思った。改めて自分や家族を見つめ直すために病気になったのではないか。
目が悪くなった父だが、今では家族をしっかり見ることができるようになった。
【Fさんの作品】
私はじんたいを断裂し、2ヶ月間車いすや松葉杖の生活を送りました。毎日毎日、片足だけの生活でした。立つこと、歩くことで精一杯だし、段差や階段は1人じゃ登れないし、私は毎日が苦痛でした。泣いていました。
でも、つらいことばかりじゃなかったです。物を持っていたら、手を差しのべて持ってくれる、嫌な顔もせずに、階段をのぼれるように後ろから支えてくれる 「友だち」。「大丈夫ですか」 と声をかけてくれる 「見知らぬ人」。トイレやお風呂も困らないようにと一生懸命工夫してくれる 「家族」。
わたしは、1人じゃなにもできなくて、はじめて人の支えや力のありがたさを感じました。立って普通に歩けるって幸せなことだと感じました。人の心って 「あったかいな」 と感じました。それから、リハビリをして今の私は普通に歩くことができます。時々、そんなことは忘れて、歩いていて当たり前って思っちゃうけど、この右足には、多くの人のあたたかい気持ちがつまっていて、今わたしはここに立てています。
【Gさんの作品】
祖父は突然死んだ。心筋梗塞である。私が手を握っている中、少しずつ動かなくなって最後には目を開けたまま祖父は天井を見つめていた。
一瞬で後悔した。何を後悔したかと言うと、一番にこの出来事を 「うるさい」 と感じた事だった。その日は水泳の合宿へ出かける初日だったから、まだ起きる時間じゃないのに一階の部屋から聞こえてくる母と祖母のさわいでいる声がうるさかった。
涙があふれて動かなくなった祖父に 「おじいちゃん、ごめん」 しかくり返せなかった。私の水泳を一番に応援していてくれたのがおじいちゃん。半年先の試合の日程までも覚えてくれていたのもおじいちゃんだけ。早朝練習の送り迎えを5分前行動ルールで毎日送ってくれたのもおじいちゃんだった。なんで死んでからしか思い出せなかったんだ。そうも思ったが、少なくとも人の死が私にとっては感謝の気持ちでいっぱいにさせる事が分かった。それだけじゃない。祖父のおかげで私は、たくさんの人に支えてもらい生きていることが分かった。感謝は身近にあるほど感じづらいのかもしれないが、私は後悔しないためにも感謝の気持ちはその場で言葉にすべき事を学んだ。
【Hさんの作品】
中学校の時に肺炎で3週間入院した。学校を休むことへの嫌悪感でいっぱいだった。勉強が遅れる、帰るところがあるのかという不安でいっぱいだった。
小児科で周りの子にはいつもだれかしらが付き添ってくれていた。私は1人だった。みんなよりも少しだけお姉さんだからしっかりしようとしていた。看護師さんもみんな私と大人のように接した。嬉しかった。でもやっぱりさみしかった。
そんなとき1人の看護師さんはいつも優しく、元気に明るい声で話しかけてくれた。話を聞いてもらったわけではないし、不安を話したわけでもないけど、その看護師さんのことが退院してからもずっと印象に残っていた。そして 「あの人のようになりたい」 と思った。私が看護師を目指すきっかけを病気が、入院が、その看護師さんがくれた。
そして今、実習でその看護師さんから指導を受けている。やっぱり、その人のようになりたいとあらためて思った。
いかがでしょう。
なかなか力作揃いだったのではないでしょうか。
突然こんなお題を出されて、ほんの20分くらいでこんなエッセイを書けてしまうものなんですね。
皆さんに病気が教えてくれたことはどんなことだったのでしょうか。
ぜひ来月のてつカフェで熱く語ってください。
各グループの代表作品をアップいたしましたが、
ワークシートの採点を終え、全員のエッセイを読ませていただきましたので、
今回は代表作品にはノミネートされなかったものの、
グループ編成次第によっては代表作品として選ばれていてもおかしくなかったんではないかと、
まさおさまがセレクトした作品をご紹介していきましょう。
ちょうど来月の 「てつがくカフェ@ふくしま」 のテーマが、
「〈病〉 とは何か? ―病気が教えてくれたこと―」 となりましたので、
(これは私ではなくもう1人の世話人が私のブログを見て言い出したことですっ!)
ぜひ皆さんも、何か病気が自分に教えてくれたことはなかったかどうか思い出して、
できることなら彼らの作品を参考に一度エッセイ風に書き留めてみるといいかもしれません。
それではご覧いただきましょう。
【Aさんの作品】
私には祖父母が合わせて3人いる。父方の祖母と母方の祖父母。3人とも何度も病気になり、何度も入退院を繰り返してきた。普段は正直口うるさい存在にしか思わないけれど、病気になって入院されると、いてくれることへの有り難みを感じた。反抗期の頃は特にひどい接し方しかしてなくて 「うるさい」 とか 「わずらわしい」 とすら思っていた。それでもお見舞いにいくと、ただ椅子に座っているだけなのに 「ありがとう」 と言われた。そのとき、「わずらわしい」 と思っていた自分が恥ずかしくて情けなかった。つい3ヶ月前、、母方の祖母が胃癌で手術をしたときも、別に死ぬってわけじゃないのに 「助かりますように」 とか 「悪化しませんように」 って祈ったりした。いつもなら神頼みなんてしないし、そもそも手術の前のムンテラの時点で把握できているはずなのに、弱りきった姿を見ると冷静さを欠く自分がいた。病気はやっぱり教科書だと思う。そうでなければ鏡。自分の知らない自分に気づかされるし、普段思ってもいないことを考えさせられる。自分の弱いところを目の前に突きつけてくるものだと思う。祖父母が高齢になって病気になったからこそ気づけた自分の一面。祖父母の病気は治ってほしいけれど、病気はいろいろ教えてくれたので、病気には感謝したい。
【Bさんの作品】
「子どもは2人欲しいね。」 「お前の子どもはデブだろうな。」 友達と話して笑っていた。そんな将来に希望を持っていた日々が、一言で崩された。「私は子どもは産めなくなるの?」 沢山泣いた。手術後、ある言葉で更に泣いた。「大丈夫だよ。」
「健康で生きている」 それがどれだけ幸せなのか気づかされた。「健康に産んでくれてありがとう、お母さん」。「健康に育ててくれてありがとう、お父さん」。「病気を治してくれてありがとう、お医者さん」。全てに感謝して生きていこうと決めたよ。
【Cさんの作品】
もう亡くなってしまったが、私の祖父は亡くなる10日ほど前、段差から落ち、頸椎を損傷した。そのため身体がまったく動かなくなり寝たきりの生活を病院で送っていた。祖父は元気な時はとても頑固で、よく祖母や母 (祖父からすると娘) とケンカをしていた。どちらかというとよく怒っていたイメージがある。
祖父は自分で自分のことは何でも出来たし、何か必要な物があれば何でも作る器用な人だった。車庫を作ったり、くつ箱を作ったり、離れの家を作ったり、何でも出来た。厳格で決して ”ありがとう” と言わない人だった。何かすると逆におせっかいと思われてしまうような人だった。
そんな祖父が入院し、自分のことが何一つできなくなってしまうとある変化が起きた。私たち家族が面会に行くと、嬉しそうに笑顔になった。元気な時は私たちと話す時は怒っている表情ばかりみせていたが、いつもにっこりとした笑顔でむかえてくれた。また、祖父が車いすに乗せられてリハビリにむかおうとしていたため、私たち家族が帰ろうとすると、私たちが帰るのをずっとずっと遠くから寂しそうな表情でみていた祖父の姿が今でも忘れられない。
私はどんなに厳格な祖父であっても、1人で入院生活を送ることはとても心細いことなんだと思った。また、病気で入院している家族にとって頼れるのはやはり家族であり、家族の大切さを改めて感じることが出来、家族に感謝して過ごしていきたいと思う。
【Dさんの作品】
今までとは違う感覚が私を襲った。そう、インフルエンザが。
朝から終始気だるさを感じ、歩くことも、食べることも、起きていることすら辛かった。毎日のように6:30に鳴るアラームがその日からはただの雑音となっていた。今まで通りの生活はできない。学校にもいけない。友人や彼女にさえ会えない。このとき、今まではめんどくさい、嫌いと思っていた学校も恋しかった。
インフルエンザに苦しめられている間は、今までの生活がどんなに楽しかったか、治ったあとは何がしたいかといろいろ考えることができた。
ベッドにいる間は、時間がゆっくりと過ぎ、物事を考えるにはいい時間だった。2日もすれば薬は効き、苦しみはなくなった。
自分の体が動く、ご飯を食べられる、水がゴクゴク飲める。
自分はまた元通りになったんだ。そう思うと、喜びなどの感情がこみあげてきた。そして、また今まで通りの生活は始まる。普段できることは、普通ではない。
そんなことを2年に1度程インフルエンザは教えてくれる。
【Eさんの作品】
ある日、普段と変わらず朝食を食べていると、父が茶わんを落とした。父の手はひとりでにふるえており、普通じゃないと当時の私でもわかった。入院してすぐに倒れた父は歩けなくなり、目も見えなくなっていた。普段は仕事で忙しく、休日も寝てばかりいる父と、ゆっくり話す時間ができた。私は父の事をたくさん知れたし、父がいつも家族を支えるために頑張ってくれていたことに気が付いた。
病気は疲れた体を休めるためになるのではないかと思った。改めて自分や家族を見つめ直すために病気になったのではないか。
目が悪くなった父だが、今では家族をしっかり見ることができるようになった。
【Fさんの作品】
私はじんたいを断裂し、2ヶ月間車いすや松葉杖の生活を送りました。毎日毎日、片足だけの生活でした。立つこと、歩くことで精一杯だし、段差や階段は1人じゃ登れないし、私は毎日が苦痛でした。泣いていました。
でも、つらいことばかりじゃなかったです。物を持っていたら、手を差しのべて持ってくれる、嫌な顔もせずに、階段をのぼれるように後ろから支えてくれる 「友だち」。「大丈夫ですか」 と声をかけてくれる 「見知らぬ人」。トイレやお風呂も困らないようにと一生懸命工夫してくれる 「家族」。
わたしは、1人じゃなにもできなくて、はじめて人の支えや力のありがたさを感じました。立って普通に歩けるって幸せなことだと感じました。人の心って 「あったかいな」 と感じました。それから、リハビリをして今の私は普通に歩くことができます。時々、そんなことは忘れて、歩いていて当たり前って思っちゃうけど、この右足には、多くの人のあたたかい気持ちがつまっていて、今わたしはここに立てています。
【Gさんの作品】
祖父は突然死んだ。心筋梗塞である。私が手を握っている中、少しずつ動かなくなって最後には目を開けたまま祖父は天井を見つめていた。
一瞬で後悔した。何を後悔したかと言うと、一番にこの出来事を 「うるさい」 と感じた事だった。その日は水泳の合宿へ出かける初日だったから、まだ起きる時間じゃないのに一階の部屋から聞こえてくる母と祖母のさわいでいる声がうるさかった。
涙があふれて動かなくなった祖父に 「おじいちゃん、ごめん」 しかくり返せなかった。私の水泳を一番に応援していてくれたのがおじいちゃん。半年先の試合の日程までも覚えてくれていたのもおじいちゃんだけ。早朝練習の送り迎えを5分前行動ルールで毎日送ってくれたのもおじいちゃんだった。なんで死んでからしか思い出せなかったんだ。そうも思ったが、少なくとも人の死が私にとっては感謝の気持ちでいっぱいにさせる事が分かった。それだけじゃない。祖父のおかげで私は、たくさんの人に支えてもらい生きていることが分かった。感謝は身近にあるほど感じづらいのかもしれないが、私は後悔しないためにも感謝の気持ちはその場で言葉にすべき事を学んだ。
【Hさんの作品】
中学校の時に肺炎で3週間入院した。学校を休むことへの嫌悪感でいっぱいだった。勉強が遅れる、帰るところがあるのかという不安でいっぱいだった。
小児科で周りの子にはいつもだれかしらが付き添ってくれていた。私は1人だった。みんなよりも少しだけお姉さんだからしっかりしようとしていた。看護師さんもみんな私と大人のように接した。嬉しかった。でもやっぱりさみしかった。
そんなとき1人の看護師さんはいつも優しく、元気に明るい声で話しかけてくれた。話を聞いてもらったわけではないし、不安を話したわけでもないけど、その看護師さんのことが退院してからもずっと印象に残っていた。そして 「あの人のようになりたい」 と思った。私が看護師を目指すきっかけを病気が、入院が、その看護師さんがくれた。
そして今、実習でその看護師さんから指導を受けている。やっぱり、その人のようになりたいとあらためて思った。
いかがでしょう。
なかなか力作揃いだったのではないでしょうか。
突然こんなお題を出されて、ほんの20分くらいでこんなエッセイを書けてしまうものなんですね。
皆さんに病気が教えてくれたことはどんなことだったのでしょうか。
ぜひ来月のてつカフェで熱く語ってください。