まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

相馬看護13期生に 「病気が教えてくれたこと」 まさおさまセレクト

2015-05-26 23:01:27 | 生老病死の倫理学
先日、「相馬看護13期生に病気が教えてくれたこと」 と題して、
各グループの代表作品をアップいたしましたが、
ワークシートの採点を終え、全員のエッセイを読ませていただきましたので、
今回は代表作品にはノミネートされなかったものの、
グループ編成次第によっては代表作品として選ばれていてもおかしくなかったんではないかと、
まさおさまがセレクトした作品をご紹介していきましょう。
ちょうど来月の 「てつがくカフェ@ふくしま」 のテーマが、
「〈病〉 とは何か? ―病気が教えてくれたこと―」 となりましたので、
(これは私ではなくもう1人の世話人が私のブログを見て言い出したことですっ!)
ぜひ皆さんも、何か病気が自分に教えてくれたことはなかったかどうか思い出して、
できることなら彼らの作品を参考に一度エッセイ風に書き留めてみるといいかもしれません。
それではご覧いただきましょう。


【Aさんの作品】
私には祖父母が合わせて3人いる。父方の祖母と母方の祖父母。3人とも何度も病気になり、何度も入退院を繰り返してきた。普段は正直口うるさい存在にしか思わないけれど、病気になって入院されると、いてくれることへの有り難みを感じた。反抗期の頃は特にひどい接し方しかしてなくて 「うるさい」 とか 「わずらわしい」 とすら思っていた。それでもお見舞いにいくと、ただ椅子に座っているだけなのに 「ありがとう」 と言われた。そのとき、「わずらわしい」 と思っていた自分が恥ずかしくて情けなかった。つい3ヶ月前、、母方の祖母が胃癌で手術をしたときも、別に死ぬってわけじゃないのに 「助かりますように」 とか 「悪化しませんように」 って祈ったりした。いつもなら神頼みなんてしないし、そもそも手術の前のムンテラの時点で把握できているはずなのに、弱りきった姿を見ると冷静さを欠く自分がいた。病気はやっぱり教科書だと思う。そうでなければ鏡。自分の知らない自分に気づかされるし、普段思ってもいないことを考えさせられる。自分の弱いところを目の前に突きつけてくるものだと思う。祖父母が高齢になって病気になったからこそ気づけた自分の一面。祖父母の病気は治ってほしいけれど、病気はいろいろ教えてくれたので、病気には感謝したい。


【Bさんの作品】
「子どもは2人欲しいね。」 「お前の子どもはデブだろうな。」 友達と話して笑っていた。そんな将来に希望を持っていた日々が、一言で崩された。「私は子どもは産めなくなるの?」 沢山泣いた。手術後、ある言葉で更に泣いた。「大丈夫だよ。」
「健康で生きている」 それがどれだけ幸せなのか気づかされた。「健康に産んでくれてありがとう、お母さん」。「健康に育ててくれてありがとう、お父さん」。「病気を治してくれてありがとう、お医者さん」。全てに感謝して生きていこうと決めたよ。


【Cさんの作品】
もう亡くなってしまったが、私の祖父は亡くなる10日ほど前、段差から落ち、頸椎を損傷した。そのため身体がまったく動かなくなり寝たきりの生活を病院で送っていた。祖父は元気な時はとても頑固で、よく祖母や母 (祖父からすると娘) とケンカをしていた。どちらかというとよく怒っていたイメージがある。
祖父は自分で自分のことは何でも出来たし、何か必要な物があれば何でも作る器用な人だった。車庫を作ったり、くつ箱を作ったり、離れの家を作ったり、何でも出来た。厳格で決して ”ありがとう” と言わない人だった。何かすると逆におせっかいと思われてしまうような人だった。
そんな祖父が入院し、自分のことが何一つできなくなってしまうとある変化が起きた。私たち家族が面会に行くと、嬉しそうに笑顔になった。元気な時は私たちと話す時は怒っている表情ばかりみせていたが、いつもにっこりとした笑顔でむかえてくれた。また、祖父が車いすに乗せられてリハビリにむかおうとしていたため、私たち家族が帰ろうとすると、私たちが帰るのをずっとずっと遠くから寂しそうな表情でみていた祖父の姿が今でも忘れられない。
私はどんなに厳格な祖父であっても、1人で入院生活を送ることはとても心細いことなんだと思った。また、病気で入院している家族にとって頼れるのはやはり家族であり、家族の大切さを改めて感じることが出来、家族に感謝して過ごしていきたいと思う。


【Dさんの作品】
今までとは違う感覚が私を襲った。そう、インフルエンザが。
朝から終始気だるさを感じ、歩くことも、食べることも、起きていることすら辛かった。毎日のように6:30に鳴るアラームがその日からはただの雑音となっていた。今まで通りの生活はできない。学校にもいけない。友人や彼女にさえ会えない。このとき、今まではめんどくさい、嫌いと思っていた学校も恋しかった。
インフルエンザに苦しめられている間は、今までの生活がどんなに楽しかったか、治ったあとは何がしたいかといろいろ考えることができた。
ベッドにいる間は、時間がゆっくりと過ぎ、物事を考えるにはいい時間だった。2日もすれば薬は効き、苦しみはなくなった。
自分の体が動く、ご飯を食べられる、水がゴクゴク飲める。
自分はまた元通りになったんだ。そう思うと、喜びなどの感情がこみあげてきた。そして、また今まで通りの生活は始まる。普段できることは、普通ではない。
そんなことを2年に1度程インフルエンザは教えてくれる。


【Eさんの作品】
ある日、普段と変わらず朝食を食べていると、父が茶わんを落とした。父の手はひとりでにふるえており、普通じゃないと当時の私でもわかった。入院してすぐに倒れた父は歩けなくなり、目も見えなくなっていた。普段は仕事で忙しく、休日も寝てばかりいる父と、ゆっくり話す時間ができた。私は父の事をたくさん知れたし、父がいつも家族を支えるために頑張ってくれていたことに気が付いた。
病気は疲れた体を休めるためになるのではないかと思った。改めて自分や家族を見つめ直すために病気になったのではないか。
目が悪くなった父だが、今では家族をしっかり見ることができるようになった。


【Fさんの作品】
私はじんたいを断裂し、2ヶ月間車いすや松葉杖の生活を送りました。毎日毎日、片足だけの生活でした。立つこと、歩くことで精一杯だし、段差や階段は1人じゃ登れないし、私は毎日が苦痛でした。泣いていました。
でも、つらいことばかりじゃなかったです。物を持っていたら、手を差しのべて持ってくれる、嫌な顔もせずに、階段をのぼれるように後ろから支えてくれる 「友だち」。「大丈夫ですか」 と声をかけてくれる 「見知らぬ人」。トイレやお風呂も困らないようにと一生懸命工夫してくれる 「家族」。
わたしは、1人じゃなにもできなくて、はじめて人の支えや力のありがたさを感じました。立って普通に歩けるって幸せなことだと感じました。人の心って 「あったかいな」 と感じました。それから、リハビリをして今の私は普通に歩くことができます。時々、そんなことは忘れて、歩いていて当たり前って思っちゃうけど、この右足には、多くの人のあたたかい気持ちがつまっていて、今わたしはここに立てています。


【Gさんの作品】
祖父は突然死んだ。心筋梗塞である。私が手を握っている中、少しずつ動かなくなって最後には目を開けたまま祖父は天井を見つめていた。
一瞬で後悔した。何を後悔したかと言うと、一番にこの出来事を 「うるさい」 と感じた事だった。その日は水泳の合宿へ出かける初日だったから、まだ起きる時間じゃないのに一階の部屋から聞こえてくる母と祖母のさわいでいる声がうるさかった。
涙があふれて動かなくなった祖父に 「おじいちゃん、ごめん」 しかくり返せなかった。私の水泳を一番に応援していてくれたのがおじいちゃん。半年先の試合の日程までも覚えてくれていたのもおじいちゃんだけ。早朝練習の送り迎えを5分前行動ルールで毎日送ってくれたのもおじいちゃんだった。なんで死んでからしか思い出せなかったんだ。そうも思ったが、少なくとも人の死が私にとっては感謝の気持ちでいっぱいにさせる事が分かった。それだけじゃない。祖父のおかげで私は、たくさんの人に支えてもらい生きていることが分かった。感謝は身近にあるほど感じづらいのかもしれないが、私は後悔しないためにも感謝の気持ちはその場で言葉にすべき事を学んだ。


【Hさんの作品】
中学校の時に肺炎で3週間入院した。学校を休むことへの嫌悪感でいっぱいだった。勉強が遅れる、帰るところがあるのかという不安でいっぱいだった。
小児科で周りの子にはいつもだれかしらが付き添ってくれていた。私は1人だった。みんなよりも少しだけお姉さんだからしっかりしようとしていた。看護師さんもみんな私と大人のように接した。嬉しかった。でもやっぱりさみしかった。
そんなとき1人の看護師さんはいつも優しく、元気に明るい声で話しかけてくれた。話を聞いてもらったわけではないし、不安を話したわけでもないけど、その看護師さんのことが退院してからもずっと印象に残っていた。そして 「あの人のようになりたい」 と思った。私が看護師を目指すきっかけを病気が、入院が、その看護師さんがくれた。
そして今、実習でその看護師さんから指導を受けている。やっぱり、その人のようになりたいとあらためて思った。


いかがでしょう。
なかなか力作揃いだったのではないでしょうか。
突然こんなお題を出されて、ほんの20分くらいでこんなエッセイを書けてしまうものなんですね。
皆さんに病気が教えてくれたことはどんなことだったのでしょうか。
ぜひ来月のてつカフェで熱く語ってください。

相馬看護13期生に 「病気が教えてくれたこと」

2015-05-22 08:50:49 | 生老病死の倫理学
昨日は感想だけお伝えした看護学校での新しいワーク 「病気が教えてくれたこと」 の、
各グループ代表作品をご紹介していきましょう。
昨日引用したなかに 「感動部門だけでなく面白部門もあって、聞いていて楽しかった」
という感想があったことにお気づきだったでしょうか。
実は、全7班中3つのグループがいわゆる 「面白部門」 だったのですが、
昨日も述べたように彼らはまだ若いですのでそれほど病気体験が豊富なわけではありません。
ですから、それはそれで彼らにとっての大切な病気からの学びだったのだろうと思います。
それでは、13期生に病気が教えてくれたこと、ご堪能ください。


【1班の代表作品】
病気にかかった昔の自分は、毎日が嫌いだった。
1日に何回も飲む薬。
定期的に行かなければならない病院、採血、検査。
学校を早退して、友だちとサヨナラする時間が嫌だった。
そんな時にいつも思ってたことがある。今でも思いだす。
「なんで私なんだろう…。私だけ? みんなと違うの?」
子どもながら疑問ばかりだった。
でも、
いつも傍らで支えてくれる母、治そうと一緒に向き合ってくれる先生、看護師さん。
何かに気づかされた自分がいた。
「病気なんかに負けたくない」
「お母さんを心配させたくない」
そう思うようになった数年後、病気に勝つことができた。
私の戦いは終わったのだ。
それと同時に、病気は自分を強くしてくれる ”友だち” へと変化した瞬間だった。


【2班の代表作品】
普段とかわらないある日、その時は突然におとずれた。
口の中におかしな感覚がやってきた。口内炎だった。
翌日から壮絶な戦いが始まった。
歯をみがくのもおかしをたべるのも授業をうけてる時すらいたい。
一番いたいのは汁物をのむ時。死にたくなる。
毎日クイックショットをふきかけ、ケナログをぬり痛みにたえた。
薬をぬる時すら痛い。
が、一週間後戦いはおわった。私は勝った。

やつから様々なことを学んだ。
ゆっくりかむこと。口の中に食べ物を多く入れないこと。
大好きなスープやみそ汁がのめなくなること。
やつへの殺意が芽ばえた時もあった。
食べたい物を食べれないという葛藤。
痛みをおそれ、食べるのをちゅうちょしてしまう自分の弱い意思。
いろいろ経験した。その中で気づいたことがある。
太ってから、やつとの戦いが多くなってきたことを。
やつは私に ”おまえ太ってんの自覚しろ” といっているのだということを。
分かった。やせる。
教えてくれてありがとう。


【3班の代表作品】
ノンフィクション。
私は腹痛、吐き気がひどく、病院を受診した。血液検査を行い、Drは 「炎症反応が高いから胃腸炎ですね。おそらく食べすぎでしょう」 といった。しかし私はご飯を食べすぎたと一言もいってない。体型で判断されてしまったのだ。薬を処方されても効かずにご飯も食べれなかったため、別の病院の救急外来を受診した。診断は虫垂炎で早急の手術が必要だった。手術後3日間は食事が摂れずに点滴での給油。病室には普段では食べれない見舞いの果物やお菓子の誘惑。やっと食べれるようになったころには看護師さんが 「○○くんじゃ病院食は足りないでしょう、大盛りにしてあげる」 と言ってくれたので、自分の体型にはメリットもあるんだなと思いつつ、3日間も断食をしたことのない私は、食べれないことがこんなにも苦しいことで、普段1日3食たべていることがこんなに幸せなことなのかと教えられる出来事だった。


【4班の代表作品】
鼻風邪をひいた。
その週に限って大好物のご飯ばかりでる。お母さんの作るご飯はいつも美味しい。
悔しいことに鼻がつまって味がしない。
鼻風邪は、ご飯を美味しく食べれる日々の有り難みを教えてくれた。ありがとう。
だけど、風邪が治ってからのご飯は好きな物がでなかった。


【5班の代表作品】
毎日なにげなくお弁当ができあがっていたり、夜ご飯、朝ご飯がつくってあって、家の中はいつもきれいに掃除されていることが当たり前だと思っていた。そんな中急に母がお腹の痛みを訴えすぐ入院することになってしまった。その日から自分のことに加え家事や妹の面倒を見ながらの生活が始まった。学校のことと家事を両立するのはものすごく大変だった。家の中に一人いないだけで家の中がものすごく広く感じて静かに感じた。毎日母のことばかり考えて不安な気持ちをおさえ、妹の世話や家事をできる限りやった。そんな中、私が休みの日に母のお見舞いに行った。なぜかわからないが母の顔を見ただけで涙がこぼれた。母は、腸閉塞になっており2週間ほど絶飲・絶食であったため、ひとまわり小さくなっていた。そんな母をみた時に母の大変さを身にしみて感じた。また、家族の大切さも改めて感じた。そのため、母への感謝の気持ちを忘れず、家族のありがたみを忘れずに生きていきたい。


【6班の代表作品】
私は1才頃から左大腿部に大きな、大人の拳ほどの腫瘍がありました。見つけたのは私の祖母で、ある日突然 「太ももが腫れている」 ということで病院へ行きました。病名は 「リンパ管腫瘍」 でした。良性のもので、手術で取れば問題ないのですが、当時21才の母は医学に関する知識はほとんど無かったため、「一人娘の足を手術するなんて」 と大きなショックをうけていました。大人ばかりが入院していた整形外科の病棟に入院して、私と母の闘病生活が始まりました。
手術したのは3~4才頃でした。左大腿部の腫瘍は筋肉とゆ着していたため、少しの筋肉といっしょに切ってしまったので、術後の痛みと下肢筋力を回復するためのリハビリはとてもつらかったです。
ちょうど私と母が病と闘っているときに、1本の電話が入りました。「(祖父の名前)ちゃん、脳梗塞で倒れた」 と知らされました。母にとっては実父なのでショックが大きかったと思います。祖父は一命をとりとめることができましたが、私と母はA市に住んでおり、祖父母はB市に住んでいたので、顔を見にいくことが出来なくてとても心配し、つらい思いをしました。母と私は病院で折り紙を買って病室で二人、千羽鶴を折りました。A市は父方の地元だったので母にとっては知らない土地なので頼れる人もいない孤独な場所だったと思います。しかし、1日中私につき添い続けている母も、1日の中でほんの数回だけ喫煙所にたばこを吸いに行っていました。その喫煙所には、様々な病気をかかえる患者さんが集い、その中で、優しい言葉をかけてくれたり、互いにがんばろうと励まし合っていたと後に聞きました。
病のおかげで学んだことは、人と人のあたたかさ、優しさと、歩けることのよろこび。母とすごした病室の思い出が、今の私を支えてくれています。あのときの手術の傷は20cmほどのケロイドで残っていますが、それは、私と母が頑張った勲章であり、この傷は他者から見たら不格好ですが、それが私の一番の誇りです。


【7班の代表作品】
祖母にいつも甘えていた。それなのに祖母に言われたこと、名前を呼ばれたのに無視をしてしまった。
私が旅行に行っている時、祖母が脳梗塞で倒れた。それを知ったのは旅行から帰ってきた時だった。その日、私はあんな態度を取ってしまったことに対して自分が許せなくくやんでいた。笑顔を見せる祖母の姿を見て心がほっとした。
現在祖母は車椅子での生活をしている。私がその日学んだことは 「くやむことはしないこと」、「家族のありがたさ」 を思い過ごしていくことの大切さを学んだ。今、私は祖母に話しかけたり、楽しく生活している。祖母が一緒にいれることに対して私は 「感謝」 しているし、家族がそばにいることを 「当たり前」 だと思ってはいけないと感じている。


いかがだったでしょうか。
ユーモラスなものもありつつ、本当に壮絶な闘病体験談もあって感動的でした。
発表に際しては、本人が読み上げるのではなく、
代表作品の作者とは別に読むのが上手かった人を選出してその人に発表してもらいました。
発表を始めようとしたところ、学生のひとりがさっと前に走り出て、
マイクとスピーカーの用意をして最初の発表者に手渡してくれました。
それほど広い教室ではないので、いつものグループ発表ではマイクなんて使っていませんが、
今回のワークはマイクを通して聞いたほうがより感動的でした。
その場でさっと書いたエッセイにしてはどれもよくできているのではないでしょうか。
ゆっくり文章の推敲をする時間を与えられなかったので、
若干、文章表現に難も見られますが (ら抜き言葉や主語・述語の非対応など)、
明らかな誤字脱字や語の重複以外はそのままにしておきました。
ワークシートを返却するときはきちんと添削して返還してあげたいと思います。
このあと私もゆっくりみんなのエッセイを読ませていただきますが、
代表作品以外にもぐっと来るものがあったらまたご紹介していきたいと思います。

初挑戦 「病気が教えてくれたこと」 グループワーク

2015-05-21 17:02:08 | 生老病死の倫理学
今年度の最初に書きましたが、看護学校の 「哲学」 は今年からコマ数が1つ増えました。
これまでは毎回2コマずつ×7回=14コマやって、あとはテストでよかったのですが、
今年からテストとは別に15コマ開講しなければいけないことになりました。
これまでもマイナーチェンジを繰り返しながら講義を行ってきましたが、
1コマ増えるとなるとマイナーチェンジではすみません。
自分でいうのも何ですが、昨年までの授業計画はある種、完成しておりましたので、
ここに1コマ増やせと言われてちょっと途方に暮れておりました。
で、前回6回目まではこれまで通りに行い、
最終回の2コマ分を何とか水増しすることにしようというところまでは事前に計画を立てて、
あとはその時に考えればいいやと放っておいたわけです (ギリギリスですので)。
まだまだ先と思っていましたが、思いの外早く 「その時」 はやってきてしまいました。
というわけで、前日の昨日になってやっと、
どんな内容、どんな課題を増やせばいいかと本気で考え始めたわけです。

いろいろと考えた結果、新しい内容を増やすことは断念しました。
私のモットーの1つ 「自分が話す量ではなく、学生が吸収できる量を最大化する」 を貫いたわけです。
したがって、内容は増やさずに、課題を追加して学びを深めてもらおうと決めました。
すると問題は、どのような課題を追加したらいいかということになります。
看護学校の 「哲学」 の授業では (「倫理学」 の授業も同様)、
第3回目以降ずっと死について考えてもらってきました。
自分なりの死生観を確立してもらうためにも、
ふだんめったに考えることのない死について考えてもらうことは必要だと思ってのことです。
しかし、本来、病院や看護師が日常的に相手にするのは死ではなくて病気です。
ですので、疾病観、患者観を確立するためには病気についても考えてもらいたいところです。
そのために2012年からは、『病気が教えてくれたこと』 をテキストに取り上げ、
いくつかのエッセイを抜き出して印刷して配ったり、
2013年には教科書として買って全部読んでもらったりもしました。
残念ながらすぐに絶版になってしまったため教科書に指定できたのは1年のみでしたが、
去年と今年は再び、エッセイの中から4つを厳選して宿題として読んできてもらい、
読んでみて自分なりに何を感じたかを書いてもらうというワークを例年通り行いました。
今年はここにもう1つワークを追加することにしたのです。
課題はこうです。

「あなたが病気から教わったことは何ですか。
 自分の病気でもいいし、家族や友人の病気でもかまいません。
 病気が教えてくれたことをエッセイ風にまとめてください。」

これをひとりひとりに書いてもらったあと、グループ内で発表し、
グループの中の最優秀作品を選んでもらって、それを今度は全体の前で発表する、
というワークを考えついたのです (「着想」 だけは任せてください!)。
はたしてこのワークがヒットするかどうか、昨日思いついた時点では半信半疑でした。
みんなまだ20歳そこそこと若いですので、そもそも大病をしたことがあるかどうか、
病気をしたとしてもそこから学びを得るほどだったかどうか予想がつきませんでした。
また、病気の問題というのはプライバシーに触れることですので、
それを書いたり、みんなに聞いてもらったりということに抵抗があるのではとも思いました。
とはいえ他にいいワークも思いつかず、とりあえず今年は試しにということで、
これをやってもらうことにいたしました。
別にプリントに載っていたような入院するほどの病気でなくても、
口内炎や風邪くらいでも何か学びはあるんじゃないとか、
みんなの前で読んだり読んでもらったりするからそのつもりでカッコいい文章を書いてねとか、
いくつか注意事項を口頭で補足してから取りかかってもらいました。

結論から言うと、このワーク、やってみて本当によかったです。
これを書くのにどれくらい時間がかかるかも未知数でしたが、
みんな20分~25分くらいかけて一生懸命書いてくれていました。
7つのグループの代表作品を発表してもらいましたが、
いずれもあのエッセイコンテストの入賞作品に負けずとも劣らない力作ばかりでした。
ワークシートの最後の感想のところに、このワーク (4番目のワーク) はどうだったか、
来年の後輩たちにも続けてやらせていいと思うか書いてくれるようにお願いしたところ、
下記のような感想ばかりが寄せられました。


●4のエッセイはとても良いと思います。自分の体験をエッセイにすることで改めて気づかされることもたくさんあるし、みんなのエッセイを読むことで 「そういう思いをしている人がいる」 ということが分かる。代表作以外も読んでみたいと思ったので、今後も続けた方が良いと思いました。

●自分自身が病気から教わったことを読まれるのは恥ずかしかったが、病気をした人がどういうことを考えているかが分かってよかった。これからも、様々な本を読んで、患者さんを知るきっかけにしたいと思った。

●4についてグループ内でこんなにも良いエッセイが出てくるとは正直思わなかった。フィクション、ノンフィクション、様々なものがあったが、どれもその物事について深く考えたものであり、よい学びとなった。また自分が書く上でも、過去の体験をふり返り考えていく良い機会となった。そのため今後も行っていって良いと思った。

●エッセイでは、○○さんが読んでいた内容が、自分がつい先日経験したものと似ていて、感じていたことも同じようなことであったため、感動した。また、感動部門だけでなく面白部門もあって、聞いていて楽しかった。様々な人の考え方や感じ方、とらえ方を学ぶことができ、自分の考えの視野も広がるため、このような授業はとても良い学びになると感じた。

●今日の発表を聞いて、死や病気についてそれぞれ学んだことがあり、それを聞くことによって私もまた学んだ気がします。自分の人生のあり方や家族がいることの大切さを再確認出来た日でした。今日の発表は、クラス皆で病気・死について考えられる良い機会だと思います。今後も行うべきだと思います! 感動しました。

●4について、病の大小やその対象が自分であってもそうでなくてもみんな多くを学んでいて、そのような見方、感じ方ができると思った。私は幸せなことに、病気の経験もなく周りにも多くはいない。そのような人の気持ちを分からないんじゃないかという不安もあった。でも今日で、分からなくてよいから一緒に感じようと思えました。

●4番は自分の体験だけでは分からない他人の体験からどのようなことを学んできたのかを知るいい機会となった。小さな病気でも、視点を少し変えればこんな学びもできるのかと新たな発見もできた。今後も続けるべきと思った。

●グループで話し合ったエッセイはとても良かった。自分にもあてはまる所があって、感情移入してしまい泣いてしまった。病気や死はすべてが悪い事じゃないと知ることができました。成長するチャンスなんだと思いました。

●4はすごく恥ずかしかった。しかし、人として看護師としての考えに大きく影響するような、リアルな話は貴重だと思う。鼻風邪やイレウスまで病気は様々だが、その人に与えるものは大きい。それをみんなで共有できるような授業は大切だと思うため続けてほしい。私も祖父のことの他に病気からたくさん学んだことを思い出すことができました。今後の生活に学びをいかしていきたいです。

●4のみんなのエッセイはとても良かったと思う。みんなの気持ちとかもわかったし、自分も振り返って改めて当たり前じゃない、ということに気付けた。毎日、学校とかいやだなと思うことは多いけれど、学校に来れるのも当たり前のことではなく、幸せなことだと思う。

●病気は得るものがあると考えるのは初めてだったが、あらためて考えてみると、病気から得られることはたくさんあると感じた。この授業でエッセイを書くことでさらに考えさせられました。病気はマイナスなことの方が多いけど、プラスをつくれるような関わりをしたいと強く感じた。この授業を来年からもぜひやってほしいです。


ご紹介したなかに 「恥ずかしかった」 という意見が2つありましたが、それも肯定的な文脈だし、
それ以外にやめるべきだという意見はひとつもありませんでした。
来年からは自信をもってこのワークを続けていこうと思います。
代表作品に選ばれた人たちには、せっかくだからブログに掲載したいと思うが、
それは困るという人はワークシートにそう書いておいてくださいともお願いしましたが、
掲載を辞退してきた人もひとりもいませんでした。
というわけで代表作品をご紹介していこうと思いますが、
今日はもう打ち疲れたので、明日掲載することにいたします。
乞うご期待

小説 『イニシエーション・ラブ』

2015-05-19 09:48:23 | 性愛の倫理学
一昨年、『陽だまりの彼女』 のチケットをくれた義弟から、
今度は映画 『イニシエーション・ラブ』 のチケットを頂戴しました。



堤幸彦監督作品で、義弟はこれまで 『明日の記憶』 他何本かご一緒させていただいているようです。
監督からご指名いただいたのでしょうか、有り難いことです。
今度のアート・カフェと同じ5月23日封切りだそうで、ぜひ見に行ってみようと思います。

さて、チラシによるとこの映画 「最後の5分全てが覆る。あなたは必ず2回観る」 んだそうで、
「甘く切ない、一見純粋なラブストーリーが、最後の2行で驚愕のミステリーへと変貌する」
映像化不可能と言われた原作を、新たな映像的ギミックを用いて、
原作とは異なるエンディングで描いた映画なんだそうです。
なんだか気になるじゃないですか。
『陽だまりの彼女』 にも相当ビックリさせられましたが、
さすがにあれも映画にしたって最後の5分までは引っ張らなかったし、
小説も最後の2行でどんでん返しというわけではありませんでした。
「最後の2行で驚愕のミステリーへと変貌する」
うーん、どういうことか気になって気になってしょうがないですね。
というわけで、本来なら小説 → 映画の順になるのはキライなのですが、
原作とはエンディングが異なっているそうですし、
映像化不可能と言われた原作をどう映画化したかという観点で見ることもできそうなので、
小説を先に読んでしまうことにしました。
本屋さんではすぐに見つけることができました。



文庫本がチラシと同じ写真のカバーだったからです。
これは映画公開に合わせて急遽付け足されたもののようです。
1枚はがすと元のカバーが出てきました。



今どきの出版社は大変ですね。
しかしこういう努力によって本の発行部数は伸びていくのでしょう。
チラシには130万部を超えた (2015年1月現在) と書いてありましたが、
新しいカバーでは150万部突破と書かれていました。
こうした細かい営業努力によってさらに20万部も売り上げを増やしたのですね。
素晴らしい!
それはさておき。

読みましたよ。
みごとに騙されました。
本当に最後の2行でした。
ここまで煽られたわけですから、相当注意深く読んだつもりでした。
で、途中いくつかあれっと思う点は見つかり、その違和感はたしかに間違っていませんでした。
それを説明できるいろんなパターンを考えていました。
『陽だまりの彼女』 なのか、『完全なる首長竜の日』 なのか、はたまた 『シックス・センス』 なのか…。
けっきょくそこまで荒唐無稽なトリックはまったく用いられていませんでしたし、
それにも気づいて、何となくオチもわかりかけていたので、
半分くらいはトリックを見破っていたと言ってもいいのかもしれません。
ただ、やはり最後の2行を読むまで完全には見抜けていませんでした。
ホントに騙されました。

そして、トリックがわかって全編を思い返してみると、本当にゾッとしました
こえぇ~
何が怖いかはネタバレになる可能性があるので書きませんが、本当にやられました。
怖いです。
それについて誰かと語りたいです。
すでに読んだ方、ぜひオフ会開いて直接語り合いましょう。

タイトルの 「イニシエーション・ラブ」 というのは、
子どもから大人になっていく通過儀礼として誰もが通らなければならない恋愛、
永遠に続く恋愛などないということに気づかされる恋愛体験のことだそうです。
これ自体、十分におもしろいテーマだと思います。
そして、イニシエーション・ラブを経験してしまった者はその後どうするのか?
恋愛に懐疑的になって場当たり的な恋愛を重ねるようになるのか、
惰性とあきらめに満ちた結婚生活を送っていくしかないのか、
それとも、もっと積極的な解決策がありうるのか…。
おっと、いけない。
これ以上はぜひ 『イニシエーション・ラブ』 を読んで考えてみてください。

そして、本当にこの小説は映像化不可能だと思います。
小説だからこそ成り立つミステリーでした。
これをどうやって映画化したんでしょうか?
ぜひ観てみたいと思います。

五十肩

2015-05-18 07:59:12 | 生老病死の倫理学
自虐ネタのひとつとして早く書かなきゃと思っていたんですが、

追い込まれているうちに書き忘れていた話題がありました。

私、今年の2月ごろから五十肩になってしまいました。

四十肩とか五十肩とか呼ばれる疾患が存在するということは知っていましたが、

40歳になっても50歳になっても発症する気配がなく、

自分、老眼もまだ来ないし、150歳まで生きちゃうだろうなと思ってる人間だから、

老化とは無縁なのかななんてとてつもなく甘い気分でいたのですが、

とうとうというか、53歳を迎えたある日突然やってきてしまいました。

左肩のみです。

特に何か痛めたということもなく、急に日常のちょっとした動作で痛みが走るようになったのです。

腕を上げる動作もイヤですが、それよりもちょっと後ろに引くという動作がヤバイです。

ジャケットを羽織るときとか、背中を拭くために両腕でバスタオルを背中に回すみたいな、

本当に何気ない動作でやられます。

そのわりに腕立て伏せとかは大丈夫なのです。

一番キツイのは、右ハンドルのクルマの運転席に座っていて、

助手席の後ろに設置してあるゴミ箱にゴミを捨てるなんていうときで、

どうということのない動作なのにピキーンと来てしまうのです。

いろいろ情報を集めてみると、2~3ヶ月で治ったという話をよく聞くのですが、

私の場合、すでに4ヶ月目に突入していて一向に治まる気配がありません。

先日は初めて、てつカフェメンバー御用達の 「天神マッサージ」 に行ってしまいました。

それでしばらくのあいだちょっと調子よかったのですが、

また戻ってしまいましたので、今後も通い続けてみようかなと思っています。

それと、東京にあるあの 「エレパルス」、肩に貼ってやってみたらことのほか気持ちよかったので、

福島でも1台買ってしまいました。



まさか自分がこういうもののお世話になるとは思っていませんでした。

やっぱり老いてきてるなあ。

五十肩の効果的な治療法、皆さまからの情報をお待ち申し上げます。

Q.宇宙人はいると思いますか?

2015-05-17 22:55:31 | 哲学・倫理学ファック
いい質問ですね。
この問いにお答えする前に、まずは問いを問い直しておきましょう。
この問いに答えるためには、「そもそも宇宙人とは何か?」 という問題を確定しなければなりません。
これに関しては以前に書いたことがあるので、そちらを参照してください。
簡単に言うと、宇宙人というのは宇宙生物 (=地球外生命体) のなかでも
ロゴス (理性=言語) を備えた存在者だけを指す概念であるということができるでしょう。
宇宙にもいろいろな生物がいるかもしれません。
生物と言われて虫や爬虫類や哺乳類みたいな動物を真っ先に思い浮かべる人もいるでしょうが、
地球上でも生物と言えばそういった動物よりも植物や菌類みたいな生物のほうが、
はるかにたくさん存在しています。
それよりもさらに多くの細菌原生生物などの微生物が存在しています。
そういったより単純な生物が進化を遂げてより複雑な生物が無数に誕生してきたのであり、
その果てに知性を有する存在者である人間が生まれてきたわけです。
おそらく宇宙 (=地球外) においても同じような進化を経るはずで、
まったく生命の存在しないところから突然ロゴスをもった宇宙人が誕生したりはせず、
ごくごく単純な生命から始まって、長い進化の歴史をたどったあとでやっと、
知性をもった存在者が誕生するかもしれないし誕生しないかもしれないのだろうと思います。

というわけで順番に考えていく必要があります。
宇宙人の存在を考える前に宇宙生物の存在について考える必要があります。

Q-1.宇宙生物は存在すると思いますか?

これに対してはこうお答えしておきましょう。

A-1.宇宙生物は存在するだろうと思います。

そもそも無機物の世界から最初の単細胞生物が誕生する確率ですらめちゃくちゃ低いそうです。
フレッド・ホイルはそれを10の4万乗分の1と計算し、
「がらくた置き場の上を竜巻が通過し、その中の物質からボーイング747が組み立てられる」
のと同じくらいの確率だと言ったそうです。
ただ彼はだからこそ、むしろ生物は地球上で発生したのではなく、
宇宙のどこかで発生して進化を遂げ、胚珠によって宇宙全体に広まったという仮説を唱えました。
現代科学においても、生命は地球上で誕生したのではなく宇宙で生まれ、
隕石か何かに付着して地球上にもたらされたのだという説が主流になりつつあるようです。
『ジュラシック・パーク』 で有名なマイクル・クライトン『アンドロメダ病原体』 という小説で、
地球外生命体との遭遇というテーマに関して、
人はつい宇宙人との出会いを想像してしまいがちですが、それよりもはるかに大きな確率で、
地球外微生物や病原菌などとの接触の可能性があることを描いています。
そう考えてくると、宇宙に生物がいてもおかしくないどころか、
むしろその可能性のほうが高いような気もしてきます。
さて、ではそうした地球外微生物が進化を遂げて、
知性を持った地球外生物、すなわち宇宙人もまたどこかに存在しているのでしょうか?

Q-2.宇宙人はいると思いますか?

これは一気に難しい問題です。
まあどう思うかだけ答えればいいようですので、こう答えておきましょう。

A-2.人間以外に知性を持った存在者が宇宙に存在する確率はものすごく低いと思いますが、
    宇宙の広大さとその歴史の長さを考えるならばいてもおかしくないのではないかと思います。

私が研究しているカントは、地球以外の太陽系の惑星のどこかに知性をもった存在者がいると信じ、
全財産を賭けてもいいと豪語していました。
現代の私たちは地球の外の惑星のことを探索することができるようになり、
太陽系の惑星に宇宙人が住んでいないことは明らかになりました。
そんな近くには当然いないでしょう。
しかし、宇宙はこれだけ広大で歴史も長いのですから、その無限にも近い空間と時間のどこかで、
進化の過程で地球人以外に知性をもった存在者が誕生していてもおかしくないと思うのです。
全財産を賭けるほどの度胸はありませんが、
まあ宇宙人はいつかどこかにいたのではないだろうかと思うのです。

これで質問にお答えしたことになるとは思いますが、
実は質問者には、実際には問いとして発してはいないけれども、
本当は聞きたかった (あるいは、本当は聞くべきだった) もうひとつ別の質問があったのではないでしょうか?
それはこれです。

Q-3.宇宙人に会えると思いますか?

たんに宇宙のどこかに宇宙人がいるかどうかではなく、
その宇宙人に会えるかどうかのほうが重要な問題だったのではないでしょうか?
実際にはこの質問はいただいていないわけですが、
ついでですのでこれにもお答えしておきましょう。

A-3.私たち地球人は宇宙人には会えないと思います。

先ほど私は、無限にも近い空間と時間のなかだからこそ宇宙人がいるにちがいないと書きました。
ということは、宇宙人がどこかに存在するとしても、
それは地球とははるかに離れたところであるにちがいありません。
そんな無限とも言えるほど遠く離れたところに宇宙人がいたとしても、
そんな彼らとどうやって会うことができるのでしょうか?
私たちのほうから行くにしても、向こうから来てくれるにしても、
いずれにしてもまず無理ではないでしょうか。
どうやって探したらいいかという問題もありますし、
たとえ見つかったとしてもそこまで行き着けるのかという問題もあります。

さらに問題なのは、時間に関しても無限に近い幅があるということです。
宇宙ができたのが138億年前、地球ができたのが46億年前、
地球ができてから現在までを1年として換算すると (地球カレンダー)、
人類の誕生は12月31日の23時37分頃だそうです。
人類が誕生してからまだ30分も経っていないのです。
宇宙人たちの歴史もそんなに長いものではないでしょう。
しかも、知性をもった生物の歴史がそんなに長く続くとも思えません。
ホモ・サピエンス以外の原人や旧人がことごとく滅びてしまっていることからしても、
知性をもっているからといって長い繁栄期間を誇れるかというとけっしてそんなことはなく、
昨今の日本や世界の様子を見ていても、
知性をもっているがゆえに愚かな選択をして短命に終わりそうな気配がぷんぷん漂っています。
とすると、地球人の生息期間と宇宙人の生息期間がぴったり重なるのも難しいでしょう。
同時期に生息していなければ、たとえ互いに存在していたとしても出会うことはできません。
もちろん、同時に生息していたとしても、互いにたどり着けるかどうかもわからないのです。

というわけで、たとえ宇宙人が存在している (存在していた) としても、
地球人と出会える確率はめちゃくちゃ低いだろうと思うのです。
ましてや宇宙人が本当に存在している (存在していた) かどうかもわからないわけです。
そう考えると地球人が宇宙人に会える可能性はほとんどゼロに近いと言わざるをえないでしょう。
私はUFOの目撃証言を否定するものではありませんが、
それは、UFOという言葉がたんに 「未確認飛行物体」 という意味しかもたないからです。
ですからUFOを見たという人はたしかに、
正体を確認できない空を飛んでいるように見える何かを見たのでしょう。
ただそれが、宇宙人の作った空飛ぶ円盤であるとは私にはまったく信じられないのです。
宇宙人との遭遇なんてとても夢のあるお話ですが、
なかなか現実はそう上手くはいかないでしょう。
宇宙人との出会いに期待を寄せるよりも、
地球人どうし殺し合わずに共存していくことを心配したほうがいいかもしれません。
ひょっとして何万年か後にどこかの宇宙人が地球にたどり着いたとき、
核戦争で地表がすべて破壊し尽くされていたり、
核廃棄物による放射線に覆われて巨大化したゴキブリばかりが跳梁跋扈している、
なんていうことになっていないことを切に願います。

タモリ流豚のしょうが焼き

2015-05-15 11:56:36 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
昨日、Yahoo!を見ていたら 「ネットで話題の無料動画」 として、

「タモリ伝説レシピ豚のしょうが焼き」 というサイトが紹介されていました。

何やら気になって覗いてみたところ、

「タモリ倶楽部」 でタモリが披露したという豚のしょうが焼きのレシピが動画で紹介されていました。

肉をつけ込まず油も使わずに簡単にできるのに美味しいとのことで、

さっそくチャレンジしてみることにしました。

サイトをご覧いただくとわかると思いますが、このレシピ、

材料や調味料の分量から切り方まですべてが 「お好みで」 なのです。

というわけでテキトーに作ってみました。

まずは生姜をすりおろしました。



生姜はいろいろと身体にいいので思いきって多めにおろします。

動画ではチューブ入りのおろし生姜を使っていました。

そこへ酒と醤油とみりんを入れて 「お好み」 の味のタレを作ります。



生姜が多すぎて舐めると相当辛いですが、辛めが 「お好み」 ですので満足です。

続いて材料を 「お好み」 の大きさに切っていきます。



玉ねぎは残り物を使ったので量が少なめです。

玉ねぎはできるだけ薄く切るのが私の 「好み」 です。

続いて豚ロース。

1人分160g買ってきました (糖質は抜くつもりだったので少し多め)。



こちらは間違えて自分の 「好み」 よりも小さく切りすぎてしまいました。

ここに小麦粉を加えます。



どれぐらいが適量なのかまったく見当がつきませんがテキトーに加えました。

けっこう入れちゃってから、しまった小麦粉は糖質だったと気づきましたが手遅れです。

覆水盆に返らず、あきらめてよく混ぜ込みます。



この段階で塩コショウは何もしていません。

これを十分熱したフライパンに、油を引かずに投入していきます。



そして、両面に焼き目がつくまで炒めていきます。



豚ロースから脂が出てきているのがご覧いただけるでしょうか。

そうしたら玉ねぎを投入します。



玉ねぎは透明になるまで炒めるのが私の 「好み」 です。

透明になったら最初に作ったタレを全部流し込みます。



タレが全体に絡まったら完成です。

付け合わせの野菜とともにお皿に盛り付けます。



タモリ流豚のしょうが焼きの完成です!

写真は光の加減であまり美味しそうに写っていませんが、食べてみるとたしかに美味でした。

小麦粉をまぶして焼いたので肉がカリカリしています。

フツーのつけ込むタイプのしょうが焼きでは得られない食感です。

しかも、つけ込んでいなくてもタレの味はちゃんと全体に沁みわたっています。

タレを舐めた時点で相当辛く感じていましたが、出来上がりはほとんど辛みは感じませんでした。

それよりも少量のみりんと、一緒に炒めた玉ねぎから来る甘味のほうが強く感じられます。

小麦粉によって封じ込められた豚肉の旨味が引き立ちます。

油も使っていないからカロリーも控えめですし、何と言ってもとても手軽に作れます。

これは今後うちの定番になるでしょう。

タモリさん、極旨カンタンなレシピをありがとうございました

相馬ドライブへんてこ標識

2015-05-14 17:23:50 | ドライブ人生論
相馬ドライブの道中で見かけるヘンな看板に関して以前にご報告したことがありますが、

今回はヘンな標識です。

それがあるのは、相馬から福島大学へ戻る途中の318号線です。

318号線というのは、115号線と114号線を結ぶ抜け道です。

以前は115号線で4号まで戻ってきて、そこから南下していたものですが、

4号線がけっこう込んだりするので、4号線を迂回するルートを開発しました。

ひょっとすると距離的には少し遠回りになっているのかもしれませんが、

318号線はクルマの通りが少ないですし、何と言っても信号がひとつもないので、

4号線を経由するよりも確実に早く着けます。

山道のわりにちゃんと全線センターラインがあって、

対向車とのすれ違いに苦労したりすることもありません。

ただし道路整備があまり行き届いておらず舗装道路にけっこう穴が空いていたりして、

タイヤが穴にはまってガタンと鳴るくらいならいいんですが、

たまにやって来る対向車が穴を避けるため突然こちら側の車線にはみ出してきたりするので、

それだけはちょっと気をつけなくてはなりません。

おっとよけいな話が長くなってしまいました。

問題の標識は相馬から115号線を走ってきて、

この318号線へと左折して800mほど走ったところにあります。

こちらです。



8.5 kmも先の話の予告標識なのです。

ここから8.5 km走ると114号線にぶつかり、

左は川俣方面、右は福島方面だよと教えてくれています。

そんな先のことをこんなに早く予告されても覚えちゃいません。

伝説の 「ジャスコ110km先」 には遠く及びませんが、

お店の看板ではなく、れっきとした交通標識であるというところが笑えます。

そして驚くのは、8.5 km先にはこういう標識がないということです。

やっぱりこれを覚えておけということなのでしょう。

なんでこんな標識が設置されてしまったのか。

答えは簡単です。

この標識を通り過ぎて振り返ってみましょう。

するとこうなっています。



そうなんです。

たぶんこちら側が表というかメインなんですね。

114号線のほうから318号線に入ってここまで走ってくると、

あと800mで115号線にぶつかり左は福島、右は相馬方面ですよと教えてくれているわけです。

せっかくこの標識のためにポールを立てたので、

裏側にも反対方向のクルマのための標識を付けておこうということになったのでしょう。

ポールの有効利用ということだったのだと思いますが、

はたしてその倹約精神は有意味だったのでしょうか?

この標識に助けられている人がどれだけいるかはわかりませんが、

とりあえず私としては、ひとつブログネタをいただくことができました。

どうもありがとうございました

崩壊の前日

2015-05-12 22:07:11 | お仕事のオキテ
本日は研究室で卒論ゼミを開催できませんでしたっ

だってこうだったんですもん。



いや、まだこれは何とかなるはずです。

ただ今日はお昼休みにてつカフェのポスターを大会議室で作っていて、

(ポスター作成用の巨大プリンターが大会議室にあるんです)

それがなかなかうまくいかなくて、ふと気づいたらゼミ開始ギリギリになっていて、

あわてて戻ってきたのでゆっくり片づけるヒマがなかったのです。

もう1時になって学生たちも来ていましたから、これから片づけるのはあきらめて、

昨年度まで使っていた別室で急遽ゼミを行うことにしたわけです。

だからまだこれは崩壊してしまったわけではありません。

ただ 「崩壊の前日」 という感じではあります。

これを一気に片づけてしまわずに、このまま忙しさにかまけていると、

あっという間に崩壊していくでしょう。

ここが踏ん張りどころです。

「キャリア形成論」 の授業をやったために300人分のワークシート×2回分があります。

泊まり込みで論文を書いていたときの夜食の 「こっこ」 や歌舞伎揚げもあります。

お菓子は食べてしまえばすむことですが、ワークシートは捨てるわけにはいきません。

早く採点と転記をしないことにはどこかに追いやるわけにもいかないのです。

いつもこれのせいで崩壊が始まるんだよなあ。

ヤバイ、ヤバイ。

別の部屋に移ろうと研究室を出て行くときに、

ゼミ生たちが小声で 「早かったね」 と囁き合っているのを聞き逃しませんでした。

崩壊するのが早かったねという意味なのでしょう。

いや、まだ崩壊したわけではないっ

なんとかここから持ち直してみせるぞっ

年1回の盛岡ナイト

2015-05-10 19:12:16 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
本日開催の競技ダンス部春大会のために昨日から盛岡入り。
最近、前夜に開催される主将会が21時スタートとなったので、
主将会の前にいつもの焼肉屋 「HAKO」 に行こうとしたらまだ準備中でした
食べる気満々だったので今さら21時まで待つこともできず、
近くの良さげなお店に入ってみました。
「オリーブの実」 というパスタとピザのお店です。
パスタとスプマンテを頼んだところ、お通しにパンが出てきてしまいました。



また糖質大摂取だあっ
パスタは季節のオススメ、岩手県産春キャベツと桜えびのアンチョビパスタにしました。



乾麺と生パスタを選べて生パスタを選んだからか、量が少なくてラッキー
これなら主将会後にまた戻ってきて 「HAKO」 で冷麺を食べられるかもしれません。

そして、今度こそいつもの 「The bar 佐藤」 へ。
まずはスタンダードハイボールをいただきます。



このお店ではお通しにコンソメスープとかが出るのでうれしいです。
続いて樽原酒ラフロイグ。



さらにジンリッキー。



どれも美味しいです。
味はいつもと変わらないのですが、
1年ぶりに来てみるとやはりこちらも大きな変化があってビックリさせられました。
エレベーターのところにこんな貼り紙がしてあってうすうす予感はしていたんですが…。



なんと 「The bar 佐藤」 の2号店 「The bar H」 が去年の11月にオープンしたんだそうです。
ホテルロイヤルの中に開店したそうで、現在盛岡では唯一のホテル内バーだとのことです。
で、オーナーの佐藤さんはそちらにいらっしゃるということで不在でした。
「The bar 佐藤」 のほうは、
去年、うつくしまふくしまバーテンダーコンクールに出場していた渡辺さんが任されていました。



お店を任されて満面の笑顔です。
コンクールのときの話で盛り上がりました。
それにしても、こんなご時世に景気のいい話だあ\(^o^)/
佐藤さんにお会いできなかったのは残念でしたが、
ホテルロイヤルと言えば 「HAKO」 のすぐ裏ですので、
(というよりは 「HAKO」 がホテルロイヤルの裏と言うべきでしょう)
主将会が終わったあとにまとめて行けるかもしれません。

ギリギリの時間になったので主将会に向かいました。
主将会というのは各校の主将 (4年生) と、連盟会長や副会長など私たち来賓とが会食する場です。
例年、盛岡で開催するときは 「三寿司」 という、納豆巻き発祥の店として名高い名店にうかがいます。
と思っていつもの 「三寿司」 に向かったのですが、
いつもなら店の前で待っていてくれているはずの案内係の学生がいません。
お店に入って聞いてみてもそんな予約は受けていないとのこと。
途方に暮れて半泣きになったところに迎えの学生が来てくれました。
三寿司さんはいくつか支店があるのですが、
本店で開催と連絡があったのでいつものところだなと思ってそこに行ったのですが、
いつもの店は総本店なんだそうです。
今年のお店はそれとは別の大通本店というところだったのだそうです。
きっと間違えてるだろうなと思って迎えに来てくださったそうです。
けっきょく遅刻になっちゃいましたし、たいへん失礼いたしました。

三寿司では刺身や天ぷらや煮魚などのコース料理をいただきました。
2時間半ぐらい今後の東北学連のあり方など真面目な話を肴に飲み続け、
ラストオーダーのお酒も飲み終わって、今日のコースはお寿司のつかないコースだったのかな、
これなら冷麺ぐらいは食べられそうだなと安心していたところにシメがやって来ました。



あっ、やっぱり。
そりゃそうですよね、お寿司来ますよね。
上手く写ってませんが名物の納豆巻きももちろん含まれています。
これ見たら食べないわけにいきませんね。
パンに麺にお米に、糖質大摂取だあっ

それでも口がどうしても冷麺を求めるのでけっきょく 「HAKO」 に向かいました。
ところが驚いたことにあいかわらず 「準備中」 のままでした。
なんだ、休みだったのか。
だったら 「準備中」 ではなく 「本日休業」 と出しておいてくれたらいいのに
でも、あの濃厚スープの冷麺を食べられなかったのは残念でしたが、
さらに冷麺でダメ押ししたりせずにすみ、不幸中の幸いでした。

気を取り直して 「The bar H」 に向かいます。
ホテルの2階にありました。
が、着いてみるともう閉店時間まぎわになってしまっていました。
さっきの貼り紙にしっかり書いてあったのにちゃんと見ていませんでした。
でも、佐藤さんはすぐに私に気づいて、どうぞどうぞと迎え入れてくださいました。



いつもの暖かい笑顔です。
1年に1度しかうかがわないのにちゃんと覚えていてくださって、たいへん有り難いことです。
2号店開店の経緯などいろいろと話してくださいました。
本店との差別化のため、こちらの店では後ろに見える樽原酒とシャンパンを主体にしているそうです。
10種類ものシングルモルトが樽原酒で楽しめます。



こんなふうに樽から注がれます。





ちなみに、この方は2号店開店のために他店からスカウトしたバーテンダーさんで、
この方も去年の福島でのコンクールに出場していたそうです。
けっきょくメニューのなかからスモーキーなウィスキーばかりチョイスしてもらって、
3種類も飲んでしまいました。



とっくに閉店時間過ぎてるというのに長っ尻で申しわけありません。
穴蔵のような感じの本店とはちがい、こちらは一面ガラス張りで夜の街がよく見えて、
ブルーライト盛岡という感じで素敵でした。
ホテル内バーということで15時とか17時などけっこう早い時間から開けていて、
明るい時間のこのお店もきっと素敵なことでしょう。
「The bar H」 の 「H」 は 「浩美」 の 「H」 ですかと聞いてみたところ、
「Hotel」 の 「H」 ですとのことでした。
真偽のほどは定かではありませんが、自己申告を信じておくことにいたしましょう。
年に1回しか来ないのでけっきょく毎年同じ店ばかり回っていたのですが、
自然に行きつけのお店が増えてしまいました。
来年からどうやって全部を回るか作戦を考えなければいけません。
うれしい悲鳴ですね。

P.S.
けっきょくひどく飲み過ぎてしまいました。
朝はホテルロビーに7時50分集合とのことで、1時間前に目覚ましをかけておいたのですが、
スヌーズを止めて二度寝してしまいました。
フロントから8時10分に電話をもらってそれでようやく飛び起きました
そこから歯も磨かずヒゲも剃らないで荷物をまとめて下りていきました。
2日続けての大遅刻です。
副会長の神宮さん、OB・OGジャッジの皆さん、岩手大学の大会実行委員の皆さん、
本当に申しわけありませんでしたっ

福大図書館仮オープン&生協書籍売場

2015-05-09 18:51:06 | 教育のエチカ
ちょっとご報告が遅くなってしまいましたが、長らく工事中で閉鎖されていた福島大学の図書館が、
このたび仮オープンいたしましたっ
ん?
仮オープン?



たしかに 「仮オープン」 と書いてありますね。
仮オープンって何ですのん?
話すと長くなるんですが、福島大学の図書館はできてから相当経ち、
震災を経て建物が老朽化し、何よりも蔵書量が限界を迎えてしまい増築が待ち望まれる状態でした。
しかしながら、うちの図書館はすでに一度増築したこともあり、
今の御時世、そう簡単に再度の増築を許してもらえるような感じではありませんでした。
ところがっ
近年、図書館に新しい流れがやってきたのです。
昔は図書館と言えばシーンとしていて、ちょっとでも私語をすると怒られるようなスペースでした。
そういう、ただ黙って本を読みひとりで勉強するというスペースから、
学生たちが集まって資料を片手にああでもないこうでもないと議論しながら学んでいく、
今流行りのアクティブラーニングを展開できるスペースへと変わるべきだということになったのです。
そういうスペースを 「ラーニング・コモンズ」 と呼んだりします。
で、福島大学の図書館もただ増設するのではなくラーニング・コモンズを新設しますっ!
という計画を立てたところみごとに採択されて、今回の大がかりな工事となったわけです。
図書館脇にあった駐車場をつぶして、そこに大きな新しい建物が建てられました。
それに合わせて旧館のほうも外観はそのままですが、内装をがらっとリフォームしました。
で、今回はその旧館のほうだけが仮オープンしたというわけなのです。

旧館のほうも内装工事は終わりましたが、まだ中の装備が調えられたわけではなく、
正面入口から入っていくと、ガランとした雰囲気が漂います。



ここから左側を見ると、巨大な飲食スペースが広がっています。



スペースは広いですが、まだテーブルやイスが足りてない感じですね。
そして正面から右のほうを見るとこうです。



何にもないですね。
たぶんここがラーニング・コモンズになるのではないかと思います。
(写真撮りすぎちゃったので、どれがどこの写真だったか記憶が曖昧ですが…)
ラーニング・コモンズの手前のところに2階へ上がる階段があります。



これまで1階左手奥にあった図書貸し出しカウンターは2階に移動になりました。
2階に上がっていくとこうです。





まだ稼働していませんでしたが、ここで学生証を通して入館することになるのでしょう。
ここを通った左手にカウンターがありました。



ただし、これが最終的な形態なのかどうかよくわかりません。
本格オープンを待ってもう一度探険に来てみようと思います。

さて、1階に戻りますが、あの左手の巨大な飲食スペースの奥に、
生協の購買部が新たにオープンしていました。



雑誌を除いて書籍売場は全部こちらに移動してきました。
ほかに飲食スペースで食べるための軽食類がここで売られるようです。
レジの左手奥にも書籍売場は続いています。



まだきちんと調えられた感じではありませんが、それでも本の量はだいぶ増えていました。
専門書も、まあ満足のいくほどではありませんし、
なぜ今どきこのラインナップを揃えたんだと疑問に思うものもないわけではありませんが、
とにかく今までが貧弱すぎたので、以前よりは少し充実したと言えるでしょう。
せっかくなのでその場で買っちゃいました。



右側の 『正義への責任』 はまったくノーチェックだった本ですが、
書店で現物を見て買うという、近年ほとんどやったことのなかった購買行動をしてしまいました。
左側の開沼さんの 『はじめての福島学』7月のてつがくカフェの課題図書です。
すみません、まだ読んでないどころか買ってもいなかったのでした。
そして、写真には写っていませんが、先日ご紹介した 『書店ガール2』 も、
実はこのときいっしょに買ったのでした。
『書店ガール』 読んでても感じましたが、やはり本は本屋で買わなきゃいけないですね。
このところつい便利さに負けてネットで買ってばかりでした。
反省しなければいけないと思います。
図書館がリニューアルオープンしたのをきっかけに本との付き合い方を見直したいと思います。

Q.最近読んだ本は?

2015-05-07 00:21:49 | 性愛の倫理学
特に、オススメとか最近読んで一番よかったとかそういうことでなくていいんですよね?

ただ単純に最近読んだ本をお答えすればいいんですよね。

では、端的にこうお答えしておきましょう。

A.碧野圭 『書店ガール2』 を読みました。



現在、『戦う! 書店ガール』 とタイトルを変えてドラマ化され放映中のようですね。

しかし、ドラマ化されたから読んだわけではありません。

いちおう録画はしてありますが、『アルジャーノン』 のようにすぐに見てはおらず、

初回から録りっぱなしで放置してあります。

小説のほうは以前に前作を古本で買って読んだことがあり、そこそこ面白かったのですけれど、

すぐにシリーズに飛びついて全巻読破しようと思うほどの情熱はなく、

Book Off で安く売ってたらそのうち買って読んでもいいかなあという程度でした。

その後なかなか Book Off では売りに出ていなかったのですが、

たまたまある新刊書店で見つけたため (そのあたりの事情についてはそのうち書くかも)、

古書でもないのに勢いで買ってしまったのです。

そもそもこのシリーズは新刊書店の苦悩を描いている小説ですので、

古本屋 (しかも Book Off という巨大チェーン店) で買うことに、

倫理学者として若干の後ろめたさを覚えていたのかもしれません。

いずれにせよ、あまり積極的ではなくたまたまの勢いで買い読むことになりました。


前作はそこそこ面白かったのになんでこんなに消極的なのかというと、

ドラマのほうのこのポスターをご覧ください。



この2人が主人公なのですが、そこに書いてある通り水と油の相容れない2人で、

前作の前半は仕事でもプライベートでもことあるごとに反目しあっていました。

その女どうしのいがみあいというのは現実世界でもよくあるのでしょうし、

それをまたとてもうまく描けているとも思うのですが、

あまりにもリアルというか、ホントに読んでいてこちらの気分が悪くなってくるぐらい、

2人はとことん対立し合い、すれ違い合っていたのです。

前半でそこまで描いておいたがゆえに、最後まで読んでいくと、

おおっ素晴らしいと感動も一入 (ひとしお) なのですが、

しかし、その感動で帳消しにならないくらい、前半の後味の悪さはいつまでも残っているのです。

いやホント、働く女性のいろいろな問題をみごとに描けていると思います。

なんだけどなあ……。

というわけで、第2作を読むのにもそれほど積極的になれずにいたわけです。

ていうか、第2作では何が問題として浮上してくるか、

第1作を読んだ段階である程度予想がついていました。

今度はキャリアウーマンどうしの対立ではなく、

働く女性とそれに理解のない夫 (やその親) との対立です。

第1作からその布石は打たれていましたが、第2作はその読み通りの展開となりました。

これがまた本当にイヤな感じなのです。

ぼくなんかから言わせると、こんな夫やその親っていくらなんでも古すぎるんじゃないのと思いますが、

でも、昨今の政治風潮を見渡すとたぶんこんなやつらはまだまだ掃いて捨てるほどいるんでしょう。

その旧態依然とした価値観や物言いが、読んでいて本当に頭に来ます。

読者にそう思わせるっていうのはそれはそれで作者の力量なのだと思いますが、

ただひたすら本気で頭に来るのです。

今回も話の展開は私の願った方向に進んでくれますし、

中で紹介されている働く女性寄りの議論やら経験談はとてもタメになる話だったと思いますが、

しかし、そこに至るまでの夫 (やその親) の言動はまさにモラルハラスメントとしか言いようがなく、

読んでいてむかっ腹が立つのを禁じえませんでした。

最終的にはとってもいいお話だったと思いますので、ぜひ皆さんに読んでいただきたいと思いますが、

読んでる途中で激しくムカムカするかもしれないということはご忠告申し上げておきたいと思います。

とにかく、一度読み始めたら一気に最後まで読み終えることをオススメします。

私は現在いろいろと追い込まれているために本来なら小説なんて読んでるヒマはないのですが、

どんなに追い込まれていてもトイレではものすごく時間をかけるタイプですし、

そのためにトイレの中には常に読み物がたくさん置かれていて、

その中の一冊として今回のこの 『書店ガール2』 を買ってきたので、

いつものように一気に読み終えるのではなく、けっこう時間をかけて読破することになりました。

そういう読み方をするとどうしても前半部分のイヤなところと長い時間付き合わなくてはなりません。

そんな読み方はオススメしません。

一気に読み進めて最後の爽快な部分にできるだけ早く到達する、

そういう読み方ができる余裕があるのであれば、この本はとてもいいと思います。

特に働く女性、働きながら子どもを産み育てようという女性にぜひ読んでいただきたいです。

いや、ちがうな。

これは女性よりもまず先に全男性が読むべき本だと思います。

付き合ってる彼氏には必ずこれを読ませて、彼が亜紀に共感できないようだったら、

とっとと別れることをオススメします。

相馬ドライブの友

2015-05-03 12:15:55 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
相馬の看護学校は9時00分から1時間目の授業が始まります。

クルマでの所要時間は1時間半弱。

ワークシート等を印刷してもらう時間とか朝の大事な用事をすませる時間とかの余裕を見て、

7時過ぎくらいには出発しています。

朝早いドライブですので眠気が大敵。

モーニングコーヒーが相馬ドライブの大切な友です。

去年までは途中のコンビニで缶コーヒーを買うようにしていました。

ヘルシアコーヒーがあるとベストですが、最近なかなか置いているコンビニがありませんし、

特にヘルシアコーヒーをホットで売っているお店は皆無です。

そこで今年からは持参するという方法を試すようになりました。

ささき牛乳さんイチ押しの楓舎のコーヒーをちゃんとドリップし、

「ニッセイのおばちゃん」 にもらった蓋付きの保温カップに入れます。



そして、今流行りのココナッツオイルも溶かします。



当然、油の被膜が張っちゃうわけですが、



フタをしてしまえば見えないから気になりません。



フタをするとココナッツの香りも半減してしまいますが、

アルツハイマー予防やアンチエイジングの効能が重要なわけですし、

それよりも何よりもモーニングコーヒーはカフェインさえ入っていてくれればOKなわけです。

缶コーヒーに較べて量が多いので相馬までもちますし、最後まで温かく飲めます。

フタのおかげで運転中でも飲みやすいのも便利です。

この方法は今後定着していきそうです。


さて、その帰り。

再び大学までの90分のドライブがあります。

昼食をとった直後ですので、朝とはまた違った形で眠気が襲う可能性があります。

ここはいつものように缶コーヒーを買おうと思ってセブンイレブンに寄ったときにふとひらめきました。

セブンイレブンと言えば2013年から売り出したセルフ式ドリップコーヒーがバカ売れじゃないですか。

で、ダメモトで店員さんにお願いしてみました。

「ドリップコーヒーがほしいんですが、カップはあるのでカップなしでもいいですか?」

バイトの店員さんは困惑して、バックヤードの店長さんに尋ねてきてくれました。

戻ってくるとカップを見せてくださいと言われ、

カップを渡すとまたバックヤードに走っていきます。

そんなこんなでけっきょくOKをもらうことができました。

念願のセルフドリップです。



もちろんサイズはL。



2回に分けてたっぷり時間をかけて抽出されていきます。

紙資源の節約にもなりますし、温度も保たれ、運転中も飲みやすいといいことづくめです。

というわけで、相馬ドライブの友は朝は楓舎のココナッツオイルフレーバードコーヒー、

帰りはセブンカフェということで決定いたしました。

Q.行きつけの飲食店は?

2015-05-03 00:06:29 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
行きつけのお店を聞かれました。
他にもこういう質問もありました。

「Q.相馬のうまい所、お昼はどこで食べているんですか?」

最初の質問も、私が福島で通っているお店のことを知りたいのではなく、
相馬の行きつけの飲食店を聞いているのでしょう。
私の福島での行きつけの店の情報を聞いたって何の役にも立たないでしょうからね。
というわけで、相馬の行きつけの店をご紹介します。

数年前までは115号線で福島方面に10分ぐらい走ったところにある、
「間乃次郎庵」 というお蕎麦屋さんが行きつけの店でした。
人里離れた緑に囲まれたところにあるお蕎麦の美味しいお店で、
4月~5月の限定された期間にのみ顔を出すだけだったのに、
店主も女将さんも息子さんもぼくのことを覚えてくれていて、
一度、無銭飲食してしまったときも快く見逃してくれた有り難いお店でした。
ところがこのお店、一昨年から休業していて、昨年にはそのまままさかの閉店をしてしまいました。
震災後、相馬視察に来た方々も必ずお連れしていたお気に入りの店を失い本当に残念でなりません。

そんなわけで 「間乃次郎庵」 なきあとどこでお昼を食べるか悩んだ私は、
Facebook 上で情報提供を募り、相馬在住の方から、
「ばりお食堂」「そば処 ふくしまや」 を教えてもらいました。
さっそく行ってみたところどちらも大当たりで、現在の行きつけの店になっています。
麺好きの私は、パスタなら 「ばりお食堂」、お蕎麦なら 「ふくしまや」 と使い分けています。
いずれも相馬駅のすぐそばにありますから、皆さんもご存知なのではないでしょうか。
知らない方は、両店についてはブログに書いたことがありますので、リンク先を見てみてください。

というわけで新しい行きつけができて安心していた私は、
1週目、2週目は 「ふくしまや」 でお蕎麦をいただき、
3週目以降は 「ばりお食堂」 に通おうと計画を立てていました。
というのも 「ふくしまや」 さんでは特にお店の方と面識があるわけでもなく、
ただの客として通っているだけなのですが、
「ばりお食堂」 のシェフは1人でお店を切り盛りしていてむちゃくちゃ忙しいだろうに、
たまにしか来ない私にも気軽に話しかけてくれて、
「間乃次郎庵」 のときのように仲よくなってしまったので、一度うかがってしまったら、
あとは来週もまた来てくださいねということになるだろうなと読んでいたからです。

で、3週目の先週、満を持してうかがってみたのですが、
こんなふうにシャッターが下りていて、お休みでした。



とても残念でしたが、不定休みたいなことを言っていたので、
たまたま運が悪かったのだろうと思い、その日はちょっと急いでいたというのもあって、
近くの中華料理店 「李龍」 でお昼を食べて帰りました。
ここの中華もとても美味しいです。
そして何と言っても料理が出てくるのがむちゃくちゃ早いです。
お店はお客さんでいっぱいなのに、
注文してからのんびり Facebook をする間もなくすぐに出てくるのです。
急いでいるときには特にこちらのお店はオススメです。
私はここの五目あんかけ焼きそばがお気に入りです。

そして、今週。
再度 「ばりお食堂」 に挑戦しました。
ところがなんと、こう↓だったのです



ひょっとしてこちらも閉店してしまったんでしょうか?
駐車場にクルマが停められているのは、ここを空き地と思って誰かが不法駐車しているのでしょうか?
2週続きの思わぬ結末に打ちひしがれながら、代わりのお店に足を伸ばしました。
この日はそれほど急いでいなかったので、ほんのちょっと遠出しました。
相馬駅前の信号を左折し、「ばりお食堂」 の前を通り過ぎ、
踏切も越えて延々とまっすぐ走ると、とてもお店なんてないようなまばらな住宅地のなかに、
オシャレではあるけれど知らなければ通り過ぎてしまうようなこんなお店が現れます。



道の左側にのぼりがたくさん立っているから、それを探していけば見つかるでしょう。
変わった名前のお店です。



お店の名前が 「井戸端よしお」 です。
しかもコンセプトが 「酒の肴と中華そば」。
お客さんがいらっしゃったのでお店のなかの雰囲気は撮れませんでしたが、
壁際にはコンセプト通りの陳列があります。



夜は酒と肴が美味しいのでしょう。
ただし、こんな辺鄙なところまでクルマ以外の交通手段があるとは思えないので、
誰がここでお酒を飲めるのか不思議でなりません。
いずれにせよ私はランチ利用ですので、中華そばをいただきます。



節系の香りの強い、好きキライがはっきり分かれるタイプのラーメンです。
私は雑食派なのでこういうのも全然OK。
ここでの定番は味玉中華そば (ネギ抜き) です。
見てお分かりの通り、チャーシューもシナチクもよく味が沁みています。
とすると味玉も美味いに決まっているでしょう。
割るとこうですよ。



ゆで卵ではなく味玉と呼ぶのならばぜひこうあってほしいという典型的な味玉です。
味玉中華そばを満喫して帰途につきました。
帰りがけ、来た道を戻っていくと、なんと 「ばりお食堂」 がこうなっていました。



おお、やってるじゃないかあ。
閉店してなかったんだあ、よかったあ
それにしてももう1時半近くです。
こんな時間に開店するのって何かヘンですよね。
で、クルマを降りてもうちょっと寄ってみるとこうでした。



なるほど、仕込中ですか。
閉店はしてないけど、ランチ営業はやめたのかもしれませんね。
そもそも夜にワインと一緒にいただきたくなるようなお店でしたし、
昼は一人で切り盛りするのは相当たいへんそうでしたから、
ディナー営業のみに集中することにしたのかもしれません。
行くたびにメニューが変わる垂涎のパスタをお昼ご飯にいただけなくなるのはとっても残念ですが、
シェフの力が尽きてお店がなくなってしまうよりはよっぽどましです。
相馬在住の皆さん、ぜひお誘い合わせの上ディナーに行ってあげてください

さて、「ばりお食堂」 の健在を見届けて、福島への帰途についたところ、
115号線を走っていたら、衝撃の光景に出くわしました。



「間乃次郎庵」 跡です。
2年前に営業をやめて以来、いっこうに工事が始まるふうでもなく、
ただバリケードで封鎖されているだけでしたし、
先週通りかかったときもあいかわらずそのままだったのですが、
とうとう工事が始まってしまったようです。
あの閉店を告げる看板が掲げられていた太い立派な木も含めて、
建物を囲んでいた木々がすっかり伐採されていました。





2年前からわかってはいたことですが、
行きつけのお店が本当に姿を消してしまうということはとても悲しいことです。
こういう思いをしなくてすむよう、贔屓のお店はしっかりと応援していかなくてはと思います。
私にこんな質問をした皆さんは、ぜひ今回紹介したいくつかのお店を、
私の代わりに年間通して盛り上げてあげてください

Q.和食派、洋食派その他、料理は何派ですか?

2015-05-01 16:30:36 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
授業中の代表質問では 「Q.目玉焼きはしょうゆ派ですか、ソース派ですか?」 との質問をいただき、

「どっちに見える?」 と逆質問したら 「しょうゆ派に見えます」 とみごと当てられてしまいました。

目玉焼きを食べるときは、マンガ 『おいしい関係』 のなかで紹介されていた、

「目玉焼き丼」 にして食べるのが私の定番ですので、

(熱々のご飯に半熟目玉焼きをのせ、しょうゆを2、3滴たらしかきまぜて食べる)

目玉焼きはどうしてもしょうゆ派になってしまうのです。

で、今回の質問ですが、カッコで次のように書き添えてありました。

「(和食が好きそうに見えます)」

なるほど。

目玉焼きに限らず全体的に私は和風な感じの人間に見られているんですね。

さて、実際はどうなんでしょう?

和食も好きだし、洋食も好きだし、それだけじゃなく中華だって大好きだし、

雑食派というのが一番当たっているような気もするのですが、

しかし、主食に何を食べているかというのを考えてみると、

少なくとも和食派とは言い難いような気がしてきました。

私、自宅ではほとんどご飯を食べないんです。

2kg入りの小袋で買ってきたお米が1年や2年、平気で残っていたりします。

ご飯そのものがキライなのではなく、一人暮らしで帰宅後にお米を研いで炊くよりも、

パスタなどを茹でたたほうが早いからというのがその理由ですが、

本当に和食が好きであれば、いくら面倒でもちゃんとお米を炊いて食べてますよね。

それに私の場合、たまにお米を炊くときも、白いご飯におかずと味噌汁というこてこての和食ではなく、

カレーを作ったからターメリックライスとか、土鍋でオリーブごはんなど、

とても和食と呼べないような形でご飯をいただいているのです。

そして、それよりもはるかに高い頻度で、フランスパンとチーズとワインですますみたいな、

お前はクリスチャンかというような晩餐をいただいていることが多いのです。

というわけで、今回の質問に対しては次のようにお答えしておきましょう。


A.基本、自分は雑食派だと思っていますが、どちらかと言えば洋食派寄りではないでしょうか。


今回もどうでもいいような情報でしたね。

次回は、今回の問題とも関連するちょっとは有益な情報をお伝えしたいと思います。