まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

足悪化

2011-06-29 23:06:57 | 生老病死の倫理学
理由もなく痛くなってしまった右足首ですが、

2日間ほどシップしたりして治ったと思ってその後ほったらかしていたら、

また痛んできてしまいました。

その後新たに痛めたということはありえませんので、

やはり完治していなかったということなのでしょう。

なんでこんなにいつまでも苦しめられるのでしょうか?

急遽またシップを再開し、できるだけ自動車通学するようにし、

階段は使わないようにしているのですが、鈍痛がなかなか引いてくれません。

ひょっとすると骨折しているのでしょうか?

いわゆる疲労骨折?

ああ、完全におじいちゃんだっ。

そして、昨日あたりからは右足ばかりでなく、

左足のあたりも痛くなってきているような気がします。

右足をかばいながら生活していたせいでしょうか?

それとも、これらはそもそも捻挫とかは関係なく、放射線のせいなのでしょうか?

(今の時期は何が起ころうとも放射線のせいだと言うとみんなが納得してくれるし…)

というわけで、一時期無事治りましたと言っていた右足首の痛みにあいかわらず苦しんでいます。

やはり、会津の整体院に通わなくてはならないのでしょうか?

それにしてもあの日に何があったんだろう?

得意技メニュー

2011-06-28 22:33:05 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
昨日もまたぢゅんちゃん夫妻と飲んでしまいました。
どうもこのところ月曜日の夜に飲むというのが定着してしまっているようです。
わざとそうしているわけではないのですが、
週の頭に、てつがくカフェの相談をしようという話になり、
いつにしようかと考えているうちにじゃあ今日にするかということになってしまうのです。
今週はうちの妻が福島に来ていますので、
ぢゅんちゃん夫妻に久しぶりに会いたいと言っていたこともあり、
では小野原邸でディナーしながら打合せしようと、話が急に決まってしまったわけです。

料理上手な妻が家にいるので、メニューの決定から買い物、調理まで全部おんぶにだっこで、
私は助手に徹すればいいだろうと楽勝気分でいたのですが、
ディナーパーティの本日開催決定を伝えると、私は6時まで仕事があるから何もできないよ、
というまさかの返答が返ってきました。
あらかじめ予定は聞いていたはずなのですが、どうやら私が勘違いしていたようです。
一気に大パニックです。
私は自分の手料理でパーティを開催することもありますが、
そういうときはあらかじめ数冊のテキストとにらめっこしながら時間をかけてメニューを決め、
必要な買い出し品をすべてリストアップして買い物に行き、
テキストの指示を1個1個確かめながらのんびり料理していくのです。
(そして、けっきょく開始時間には間に合わなくなる。)
ところが今回はテキストなしにメニューを決め、買い物をしなくてはなりません。
しかも、買い物時間も含めて開始まで2時間しかないのです。

ヨークベニマルに向かいながら頭をフル回転させていました。
とにかく、何度か作ったことがあって、材料をすぐに思い出せそうな、
それでいてぢゅんちゃんたちにはまだ食べさせたことがないようなメニューで、
なおかつそんなに時間をかけずにできるものは何かと頭のなかで一所懸命検索していました。
幸いなことに今回は4人だけのディナーなので、
いつもの大皿料理とはちょっと違う感じでメニューを組み立てられそうです。
また、ワインもネット通販で赤、白、泡と大量に仕入れてありましたから、
飲み物の心配もいりません。
けっきょく以下のようなラインナップにしてみました。

1.一昨日の残り物の葉っぱ類にむきエビを追加して作るサラダ
2.いろいろ野菜の蒸し煮
3.厚揚げと豆苗の炒め物
4.フランスパンとオリーブオイル
5.さくらんぼとブルーベリー
6.鶏肉の白ワイン煮
7.イタリアン豆腐 (湯豆腐にオリーブオイルをかける)
8.ペンネ・ブルーチーズ (本当はゴルゴンゾーラがよかったけど売ってなかった)
9.アスパラ卵ぽん (炒めたアスパラの上に目玉焼きをぽんと載せる)

この中で2と6と8は材料が定かではないのですが、
何回も作ったことがあったり、最近作ったばかりだったりするので、
なんとかなるのではないかと考えました。
いちおうフィーリングで買い物をしてきて、
家に着いたら速攻でテキストを確認しましたが、
足りなかったのは2のために必要なじゃがいもだけでした。
ぢゅんちゃんのお腹を満足させるためには、じゃがいもがあったほうがベストでしたが、
まあなくてもなんとかなるでしょう。
他はすべて揃っていたので、このところアル中ハイマーで下げていた自己評価を、
だいぶ回復させることができました。

買い物から帰ってきたら残りは1時間強しかありませんでしたが、
1と4と5はすぐにできるはずですから、
時間がかかりそうな2と6の仕込みさえできればなんとかなりそうです。
2は、大鍋にキャベツを敷きズッキーニ、にんじん、ベーコン、たまねぎを重ね、
塩、コショウ、オレガノを振るということを3回繰り返します。
最後にコンソメスープを100ccふりかけて火にかけるだけです。
6は耐熱袋に鶏のもも肉と、白ワイン、オリーブオイル、水、塩、コショウを入れておきます。
ソースはオリーブオイルにタマネギのみじん切り、ニンニク、オリーブ、ケッパーを入れ、
火を通し、塩、コショウで味付けすれば出来上がりです。
ここまでやっておけば、あとはお客さんがいらしてから、
耐熱袋ごと沸騰したお湯に突っ込んで煮ていけばOKです。
おかげさまで今回はお客さんを迎える前にビールを飲んで一息つく余裕がありました。
3は仕事を終えた妻に任せればいいでしょう。
8はシメですから、宴たけなわのときに作り始めればオッケーで、
テキストで確認したところ特に下ごしらえとかも何も必要なさそうです。
7と9はみんなのお腹具合をみながら作ればいいやと思っていましたが、
ペンネを大量に茹でたおかげで、けっきょく作らずにすみました。

今回は急に1人でパーティ料理を作らなければならなくなりましたが、
なんとか無事にやり遂げることができました。
手軽にできてそこそこ美味しい料理をすぐに思いつくことができたのが勝因でしょう。
こういういざという時のために得意技メニューをもっておくことは大事ですね。
しかもこの私がじゃがいもを除いてすべての材料をテキストも見ずに思い出すことができたなんて!
やるじゃないか、まさおさま。
自己効力感が上がりまくって、けっきょく泡1本、赤3本空けてしまいました。
しかし、新たにねんざすることもなく、朝もスッキリ目覚めることができました。
うーん、幸せだあ

〈ともだち〉 は100人もできない

2011-06-27 07:24:38 | 教育のエチカ
土曜日に第2回 「てつがくカフェ@ふくしま」 が開催されました。
今回のテーマは 「〈ともだち〉 とは誰か?」。
第1回と同じく14名の参加者を得て、熱い議論が交わされました。
とても楽しかったし、とても多くの気づきを得ることができました。
議論の内容は 「てつがくカフェ@ふくしま」 のブログにアップされていますので、
そちらをご覧ください。
私もいろいろと 〈ともだち〉 に関して考えさせられましたが、
今日はそのなかでも一番考えの深まった点について。

昨年度、仙台での書評カフェで雨宮処凜 『ともだち刑』 を読んで語り合って以来、
女の子たちの 〈ともだち〉 関係って想像を絶して過酷なものだなあと思っていましたが、
今回の女性参加者の皆さんからも、
やはりリアルに厳しい 〈ともだち〉 付き合いの実態が語られました。
最初に自己紹介も兼ねて簡単に 〈ともだち〉 に関するイメージや問題意識を話してもらいましたが、
女子校出身の方々からはどちらかというとネガティブな言葉しか出てきません。
それはどうも男子の一般的な捉え方とはちょっと違っているようです。
そのあたりを語り合うなかで、年長の女性参加者からは、
やはり自分も学校時代は 〈ともだち〉 付き合いで悩むことが多かったけれど、
社会人になってからその呪縛がだんだん薄れてきたようだという経験談が語られました。
これには関連する意見がいくつか出され、私もなるほどなあと思いました。

子どもから大人になるにつれて 〈ともだち〉 関係は変化していくのだ、
というのが今回一番学びが深まった点でした。
あるいは、これも今回の議論のなかで明らかになってきた概念の区別を用いて言うと、
子どもにとっては何でもかんでも 〈ともだち〉 ですが、
大人になると、〈仲間〉 と 〈ともだち〉 と 〈親友〉 を区別するようになると言えるかもしれません。
〈仲間〉 とは同じ目的を共有している人たちのことです。
〈仲間〉 というとプラスの価値を含んでいるかもしれないので、
〈同僚〉 くらいのほうが価値中立的でいいかもしれませんが、
学校時代の同じクラスや同じ部活の人たちなんかをイメージしていますので、
ここでは 〈仲間〉 と名づけておくことにします。
人はまったく無関係な人と知り合うことはできませんから、
最初はまず 〈仲間〉 としての人間関係が作られていきます。
〈仲間〉 というのは目的が共有されているあいだだけ存続します。
学校や部活を卒業してしまうとそれっきりになってしまう人たちというのは、
実は 〈ともだち〉 ではなくただの 〈仲間〉 だったということになります。
部活の 〈仲間〉(特に体育会系の部活仲間) とは相当濃厚な付き合いになりますので、
〈仲間〉 と 〈ともだち〉 の違いはわかりにくいかもしれませんが、
クラスメイトであれば、授業を一緒に受けているからといって、
ただちに 〈ともだち〉 であるわけではないというのはわかりやすいかもしれません。

〈仲間〉 との対比で言うと、その共有している目的とは離れて、
あるいは、目的が解消してしまった後でも付き合えるのが 〈ともだち〉 です。
社会に出て働き始めると、〈仲間〉(=同僚) と 〈ともだち〉 の区別はクリアになります。
しかし、学校時代というのは閉鎖的な空間ですので、
〈仲間〉 と 〈ともだち〉 の区別がはっきりしていません。
特に小学校の低学年において、教師の指導の下にクラスメイトはみな 〈ともだち〉 である、
〈ともだち〉 でなければならないみたいな価値観が押しつけられますので、
子どものなかになかなか 〈仲間〉 と 〈ともだち〉 の区別が育っていきません。
「♪1年生になったらともだち100人できるかな♪」 という歌も罪作りだと思いますが、
よく考えてみると、普通の人であれば 〈ともだち〉 が100人もできるわけないのです。
人間関係には濃淡があるはずで、〈仲間〉 や 〈知り合い〉 なら100人いてもいいですが、
〈ともだち〉 がそんなにいたら身がもたないでしょう。

〈ともだち〉 のなかでも特に親しい人が 〈親友〉 です。
〈親友〉 の定義のなかに 「排他性」 (=私たちだけ) を含めるべきかどうか、
私はまだ考えが定まっていませんが、
とにかく、相手のことをものすごく信用していて、
たんに一時的ではなく一生付き合っていけそうな人が 〈親友〉 でしょう。
〈親友〉 と呼べる相手はごくごく少数だけのはずです。
女性参加者の方々にはだいたい皆さん 〈親友〉 がいらっしゃるようでしたが、
男性参加者のなかには 「ぼくには親友はいないなあ」 と言う人が多かったです。
いずれにせよ、〈ともだち〉 と 〈親友〉 も区別されるべきだと思いますが、
女子校の人間関係のなかでは、
〈ともだち〉 という言葉は 〈親友〉 というぐらいの強い意味で用いられているようでした。
そこでは明らかに排他性が含意されており、
○○ちゃんと 〈ともだち〉 である場合、△△ちゃんとは遊んではならない、
というような拘束性が生じてくるのだそうです。
これに反した場合、嫉妬が生まれ、そこから 「ハブ」 とか 「いじめ」 に発展するのだそうです。

私などは、〈親友〉 なんて作ろうとして作るものではなく、
長い付き合いのなかでだんだん誰が自分にとって 〈親友〉 であるのかがわかってくる、
というようなものなんだろうと思うのですが、
子どもたちにとっては、〈仲間〉 と 〈ともだち〉 と 〈親友〉 が全部いっしょくたで、
「ともだち作り」 という言葉の下にそれらを 「作らなければいけない」 と思い込まされている、
というのが今の日本の子どもたちの不幸の元凶のような気がします。
子ども時代はとりあえず 〈仲間〉 と 〈ともだち〉 さえいればいいと思います。
そして 〈ともだち〉 だって 〈仲間〉 のなかから自然とできてくるのですから、
親や教師をはじめとする大人たちは、ともだちを作ることを推奨するのでなく、
むしろただの 〈仲間〉 との付き合い方を教えてあげるべきではないでしょうか。
ともだち作りの呪縛から解放してあげることが、子どもの教育にとって何よりも重要ではないか、
なんていうことを哲学カフェの本題からは外れていますが、ボーッと考え続けていました。

とりあえず今現在 「ともだち付き合い」 のことで悩んだり、苦しんだりしている
小中高校生のみんなには (大学生も含む?)、
もしも悩んだり苦しんだりしなければいけないような人間関係なら、
そもそもそれは 〈ともだち〉 ではないのかもしれないよと言ってあげたいですし、
また、今はその悩みが人生のなかでなによりも重要なことのように思えるかもしれないけれど、
大人になれば実はけっしてそんなことはなかったのだということがわかるはずで、
長い時間をかけて 〈ともだち〉 や 〈親友〉 は自然とできてくるのだから、
今の段階で、ともだちがいないとか、ともだちを失いそうなんていうことを、
あまり深刻に悩まなくてもいいんだよ、と言ってあげたいと思います。

福島高校進路講演会

2011-06-24 20:33:25 | 人間文化論
6月21日に福島高校で行った進路講演会のワークシートが届けられました。
結論から先に申し上げますと、今回の満足度は3.91。
今までこの手の出前講座で4点台を割り込んだことなんてありませんでしたし、
大学の授業評価アンケートでもここ最近、4点未満なんて取ったことはなかったので、
大失敗と言っていいでしょう。
福島高校の皆さん、本当に申しわけありませんでした。
わざわざ私を指名して呼んでくださった先生方にも会わせる顔がありません。

今回、高校の先生方には本当にいろいろとお心配りいただきました。
主催者側のやる気が満ち溢れていたと言っていいでしょう。
事前に詳しく生徒の皆さんの状況を教えてくださった上で、
どんな講演会を望んでいるのかなど丁寧にブリーフィングしてくださいました。
受け身で聞くだけになってはいけないからと、
講演会の1週間ほど前に事前学習会まで開いて、
今回のテーマ (いつもの 「人はなぜ学び、なぜ働くのか?」 です) について、
自分で考えてみたり、みんなと話し合ってみる時間をわざわざ作り、
そのワークシートをあらかじめ私のところに届けてもくださいました。
さらに、生徒たちがちゃんとメモを取れるように手配してくださったり、
講演会の会場セッティングに関しても私の意向を確かめてくださいました。
ここまでいろいろとやっていただいたというのに…。

今回の講演がいつもとちょっと違うというのは、薄々感づいていました。
事前のワークシートでは 「人はなぜ勉強しなければならないのだと思いますか」
ということについて書いてもらっているのですが、
事前学習の時間を取ってもらったということを差し引いても、
答えの内容がけっこう深くて、みんなすでにちゃんと一家言をもっているのです。
まあ中学生と比べればレベルが高いに決まっていますが、
なんだかそれを読んでいると、わざわざ私が行って話す必要もないかなという気がしてきます。
それと、今回は3年生相手の講演会だったのですが、
学年全員合わせると316名もいるのだそうです。
南会津のほうだと、中学校では全校生徒合わせても100名は超えませんし、
高校でもやはり3学年で150名くらいだったりするので、
なんとなく私のなかでそれくらいが標準規模になってしまっていましたが、
福島市内の高校は1学年でそんなにいるんだと驚いていました。

しかしながら、人数に関して言うと、驚き方が足りなかったですね。
もっとその数字を真剣に受け止めていろいろと考えておくべきでした。
会場セッティングに関して意向聴取があったとき、
「演壇をステージ上に準備し、生徒を各クラス三列(横24人)で着席させようと考えていますが、
 講師の先生の中には、ステージの下で話したいとおっしゃる先生や、
 生徒も半円形に座らせる形も考えられますが、いかがいたしましょうか。」
というきめ細かい選択肢を御提示いただいたのですが、
自分の話し方のスタイルとして、壇上で話すよりもできるだけみんなと近いところで話したいと考え、
ステージの下でみんなに半円形に座ってもらって話したいと即答していたのです。
これがなんといってもミスジャッジでしたね。
今回は3年生全員プラス保護者の方々も若干名聴きにいらっしゃるということで、
先生方も含めると350名くらいのオーディエンスだったでしょうか。
よく考えてみると、私はそんなに大勢の前で話したことってたぶん一度もありません。
福島大学人間発達文化学類1年生全員必修の 「キャリア形成論」 だって270名くらいです。
あの授業だって、L-4教室といううちの大学で最も大きい階段式の教室でやってるから、
なんとか成り立っているのです。
今回はそれよりも多い人びとを相手に話すということがきちんと頭に入っていませんでした。

みんなが待ち構える体育館にうしろから入っていったとき、
すでにあちゃーという感じがしていました。
ちょっと見にくいですが、後ろから見るとこんな感じです。



こんなに大勢の人間相手に話すことはもう二度とないかもしれないと思い、
記念に講演会終了後、ステージに上がって写真を撮らせていただきましたが、
上から見てもこんな感じです。



これ以上ワイドに写すことができなかったのですが、
左右にもう倍以上人が広がって座っているのです。
一番後ろの人なんてステージ上から見たって遠くに小さく見えるぐらいです。
これをステージの下から見ると、後ろのほうの人たちはほとんど頭が重なってしまって見えません。
こちらから顔が見えないということは、相手からすると、
自分に向かって話してもらっている気がしないのではないかと危惧していましたが、
感想を読んでみるとそれどころではありませんでした。
マイクを使って喋っていたので聴き取れないなんてまったく想像もしていなかったのですが、
相当多くの人から 「声が小さくて聞こえなかった」 とのお言葉を頂戴してしまいました。
大学に赴任して以来、声が聞こえないなんて言われたことは一度もなかったのでショックでした。
おそらく声が小さいというよりも、体育館のなかでマイクの音が割れてしまって聞こえなかった、
と書いてくれた人もいて、おそらくそういうことだったのかなとも思いますが、
どちらにせよそれは私の責任です。
いつもだったら後ろの人までちゃんと声が聞こえているか確認するのに、
あまりの人数に圧倒されて舞い上がってしまったのか、そうした基本的なことを怠っていました。
そういえば、福島高校の生徒さんたちはとてもノリのいい人ばかりで、
私の話にいろいろとヤジというか合いの手を入れてくださっていたのですが、
それがなんといっているのかほとんど聞き取れなかったので、
こちらが聞き取れないということはみんなも聞き取れていないんじゃないかと考えてみるべきでした。

同様に、ホワイトボードを用意してもらっていたのですが、
これだけの人数を相手にして、しかもステージの下に置いたホワイトボードでは力不足でした。
後ろのほうの人にも見えるようにと、ホワイトボードの下半分は使わないようにしたのですが、
どうやらそんな問題じゃなかったようです。
これも板書の字が汚いと言われたことはありますが、
字が見えないなんて言われたことは一度もなかったので、
今回多くの人からホワイトボードの字が全然見えなかったと書かれてショックを受けました。
ステージの上で講演していたらホワイトボードの字は見えたのか、
よけいに遠くなるからマーカーの細い線はより見にくくなってしまうのか、
今となってはもう確かめてみることもできませんが、
そういう細かい配慮が足りなかったなあと悔やんでも悔やみきれません。
声は聞こえない、字は見えないと、基本中のキがなっていないのですから、
厳しい評価を受けることになるのは当然といえば当然です。
大学に赴任して17年目にしてこういうところで躓くとはまったくもって不徳の致すところです。

講演内容に関しては、多くの皆さんは好意的に評価してくださっていました。
例えばこんなことを書いてくださった人がいらっしゃいました。

「非常に興味深い内容だった。ものすごく考えさせられる時間だった。
 今はもう、受験勉強がどうので、勉強というか、
 与えられるものとかやらなきゃいけないことばかりに追われて、
 考えるということから逃れていたけど、あらためて考えることが必要だと実感した。」

「震災があって、人が作り出したものはいつか壊れてしまうことを知り、
 立派なものを作って、生活が便利になっても仕方がないのではないかと考えたことがありましたが、
 人が作ったものを恨むことは、人を恨むことになるし、
 文化の存在をないがしろにすることは、自分が人であることから逃げることにもなるので、
 それではいけない、やはり文化はよりよい方へ、守り伝えていくものだと思いました。」

講演会後の質問コーナーでも、普通ほとんど質問なんて出なかったりするんですが、
ひじょうに鋭い質問が3つも出されて、私も回答に窮してしまうくらいでした。
あまりうまく答えられなかったなあと未だに若干悔いていますが、
そういういい質問が出されるというのは、とても熱心に話を聞いてくださったからだろうと思います。

しかしながら、内容に関しても若干厳しい意見を頂戴しました。
「あたりさわりのない話でした」 とか 「興味がわかなかった」 とか。

「あまり目新しい話じゃなかった。
 そんなに感動もなくて、あーんー、そうそうっていう感じ。
 あまり興味もてなかった=情報量が少ない。
 あとちょっと説教っぽかったです。」

これだけ大勢の人間相手だと全員を満足させるのはムリなので、
そのあたりはあまり反省はしていません。
情報量を多くしてしまうと、大部分の人にとってわかりにくくなってしまいますし。
ただこの演題、このところちょっと説教臭くなってしまっているかもとは思っていたので、
そのへんは今後改善していけたらと思います。

それからけっきょく結論がわかりにくかったという声も多かったです。
特に 「人はなぜ学ぶのか?」 という事前学習でも一所懸命考えた問いに対して、
きちんとした答えを提示されなかったと感じた人は多かったようです。
一言で言うならば、「文化を身につけないと人は生きていけないから」
ということになるかと思いますが、
皆さんの事前学習ワークシートを見せてもらって、
「人はなぜ学ぶのか?」 に関してはみなさんそれぞれちゃんとした考えをもっているようなので、
私なりの答えをあまり押しつけてもなあと思ってしまい、
自分の答えをきちんとまとめた形でお伝えしなかったのがいけなかったですね。
やはり、あらかじめ問いを与えられて、それについて考えさせられてしまっていたのですから、
皆さんが納得するかどうかは別として、講演者なりの答えをはっきりと提示する必要がありましたね。
これも、結論をはっきりさせるというのも講演における基本中のキなんですが、
やはり人数に圧倒されて舞い上がってしまったのか、その基本をきちんと実行できませんでした。

うーん、いろいろと反省点の多い講演会になってしまいました。
しかし、私にとってはたいへん得るところの多い機会でした。
こんなに大勢の前で話すという機会がまた与えられるかどうかわかりませんが、
もしもそんなときがあったら、今回学んだことをきちんと活かしていきたいと思います。
そしてなによりも福高生のパワーに触れられたことが一番の収穫でした。
県下随一の進学校ということで、勝手に優等生のお坊ちゃまお嬢ちゃまを連想していたのですが、
とんでもない、溢れ出すパワーに圧倒されまくりでした。
君たちがこれからの福島を支えてくれるのならFUKUSHIMAは大丈夫だと確信しました。
100人のうちの1人として世界中にはばたいてください!

実習制度の必然性

2011-06-23 21:34:10 | 教育のエチカ
先日書いた 「モルモット」 の話の続きです。
あのときは、実習校の生徒から実習生に向けた
「私たちはあなたがたのモルモットではありません」 という言葉を紹介し、
顧客の立場からすればこの言葉は真理である、と結論づけました。
この結論自体に変更はありませんので、
これから実習に行く人たちはこの言葉を胸に抱いて教育実習に臨んでほしいと思いますが、
別の観点からすると、これとは別の考え方、見方もできるという話を今日は補足しておきます。

もともと本能の壊れた動物である人間の場合には、
本能の代替物である文化を次世代へと伝達していくことが大事である、
ということは私がいつも繰り返し強調している点です。
生まれながらになんらかの能力を本能として備えている人間はいないのですから、
どんな能力にせよ、それは教育と学習を通じて後天的に身につけていくしかありません。
例えば、教員としての資質というものに関しても、生まれながらの先生という人はいないわけで、
教員になるためにはそのための教育と訓練を積まなければなりません。
これは医者であれ、スーパーのレジ係であれ同じことです。
この教育や訓練はもちろん現場に出る前にあらかじめ入念に行われる必要がありますが、
しかし、実際に現場に出て経験してみないとわからないこともたくさんありますので、
どんな職業においても実習とか研修という制度が用意されているわけです。
つまり、まだ一人前になったわけではない訓練途上の人間が現場に出るということが、
どうしても必要になってくるのです。

どんな組織であれ、新しい人材を育成していかなくては組織の存続をはかることができません。
したがって、学校教育という制度にとっては教育実習制度は不可欠ですし、
医療制度にとっては研修医の制度は不可欠です。
教育実習生や研修医はまだ未熟であるがゆえに実習、研修に来ているわけですから、
経験を積んだ教員や医者と同じようなパフォーマンスを発揮できるはずがありません。
「うまくいかなくて迷惑をかけること」 はあるに決まっているのです。
ですから、前回ご紹介した実習生の挨拶は、
(「うまくいかなくて迷惑をかけることもあるかもしれないけれど、よろしくね」)
実習という制度からするならば当然のことであり、とても誠実な言葉であったとも言えるのです。

顧客の立場からすれば現場に立つ者にはプロフェッショナルとしてのパフォーマンスを求めたくなります。
しかし、人類的な立場に立って文化の伝承という観点からものを見るならば、
一人前でない者が現場に立つということは、文化のなかに必然的に織り込まれたことなのです。
そのギャップを埋めるために存在するのが指導員の先輩たちです。
実習生がミスをしないよう目を光らせ、ミスをした場合にすぐにフォローできるよう寄り添います。
万が一のときには実習生に代わって責任も取らなければなりません。
その仕事の心労たるや並大抵のものではないと思います。
なかには、ただでさえ忙しいのに実習生の面倒をみている余裕なんてないと口にする人もいますが、
ほとんどの方々は、この責任重大でかつ骨の折れる仕事を率先して引き受けてくださっています。
それは、自分たちも実習によって育ててもらったがゆえに今があるということを理解しているからですし、
新しい人たちをどんどん育成していかなければ、けっきょく自分たちの首を絞めることになるわけで、
文化の伝承システムというのはそもそもこういうものなのだということをわかっているからなのでしょう。

前回と今回ではまったく逆の話をしているように聞こえるかもしれませんが、
私のなかでは一貫しているつもりです。
実習生にはあくまでもプロとしての自覚をもって実習に臨んでもらいたいと思いますし、
しかし、制度としては半人前の者が現場で働きながら学ぶということは人間社会にとって不可欠であり、
そこで失敗したりミスしたりということは避けられないことなんだろうと思っています。
問題は心構えですね。
最初から失敗してもいいやなんていう甘い気持ちで臨んだら、
「私たちはモルモットじゃありません」 とクギをさされてしまうことになるでしょう。

ともだちとは誰か?

2011-06-22 18:00:11 | 哲学・倫理学ファック
いよいよ第2回 「てつがくカフェ@ふくしま」 が近づいてまいりましたっ

今週の土曜日です。

今回のテーマは 「ともだちとは誰か?」。

前回の重苦しいテーマとはうってかわって、誰でもいくらでも話せるテーマです。

大学生や高校生の皆さんにも参加してもらえるとありがたいです。

ともだちがたくさんいる人。

ともだちが少ない人。

ともだちづきあいに悩んでいる人。

どこからがともだちかわからない人。

友情と恋愛のはざまで苦しんでいる人。

『走れメロス』 に涙してしまう人 (逆に笑っちゃう人)。

『こころ』 の 「先生」 が許せない人 (またはとてもよくわかるという人)。

『ともだち刑』 の 「あなた」 みたいな人に翻弄されている人 (翻弄している人)。

「オペレーションTOMODACHI」 という響きに素直に喜べない人 (感動した人)。

どんな方でもできるだけ多くの方々に参加していただければと思います。

今回はどんな対話が繰り広げられることになるのかとても楽しみにしています。



       第2回 「てつがくカフェ@ふくしま」

テーマ : 〈ともだち〉とは誰か?

日 時 : 2011年6月25日 (土) 16:00~18:00

場 所 : A・O・Z (アオウゼ) 大活動室3 (MAXふくしま4F)

       ※ワーナー・マイカル・シネマズ福島のビルの4階です。

またやっちまった

2011-06-21 21:09:02 | 生老病死の倫理学
今日は福島高校で講演をしてきたのですが、感想用紙を後日送ってもらうことになりましたので、
それが届き次第、報告させていただくことにいたします。
で、昨日のことなんですが、25日 (土) に迫ってきた
第2回 「てつがくカフェ@ふくしま」 の打ち合わせのため、
ぢゅんちゃん、すずめさんと夕食を一緒に取ることになりました。
場所は 「サイトウ洋食店」。
店主の斎藤さんは第1回のてつがくカフェにも来てくださいましたし、
美味しいという噂はかねがね聞いていましたので、
一度おうかがいしたいと思っていましたが、
何回か予約しようとトライしてみたものの、いつも本日貸し切りのため申しわけありません、
とお断りされてしまって、なかなかチャンスがなかったのです。
昨日もダメモトで電話してみたところ、やっと念願がかないました。
牛頬肉の赤ワイン煮込みをはじめとしてどれも絶品で、
打ち合わせもそこそこに美味しい料理に舌鼓を打ってばかりいました。

洋食店で夕食といってもこのメンバーですから、当然アルコールが入ります。
今日の講演会もあるので、お酒は控えめにしておこうと心に決めていたのですが、
料理につられるようにワインもどんどん進んでしまい、
けっきょく自制心が働かなくなるくらい飲んでしまいました。
「サイトウ洋食店」 を後にしたあとは、「ルラーシュ」 というワインバーへ。
そこでもさらに飲みまくり、けっきょく記憶を失うほど飲んでしまいました。
「ルラーシュ」 からどうやって帰ってきたのか、
さらにどこか飲みに行ったのか、ラーメンを食べに行ったりしたのかなどまったくわかりません。

今朝、なんだか右足のくるぶしのあたりが痛くって目が覚めました。
自分の家のベッドだったので一安心ですが、
まったく着替えないまま寝ていました。
ベッドに寝ているといっても、ベッドに対してちゃんとタテになって寝ているのではなく、
ヨコになって寝ています。
ヨコだから全身がベッドに乗っておらず、足がピョーンとベッドの外に出た形で寝ていました。
こんな形で何時間寝ていたのでしょうか?
そんな寝方をしていたから足が痛くなったのか、
それとも昨晩記憶を失ったあと、どこかで足をひねったりして痛めてしまい、
足が痛いからベッドの外に出して寝ていたのか、まったくわかりません。
わからないけど痛いのです。
たぶん捻挫している感じの痛さです。

今日1日かけてだんだん痛みが増してきています。
もう普通には歩けない感じで、右足を引きずりながら歩いています。
何やってんだろうなあ。
なによりも恐ろしいのはこうなってしまった理由がわからないということです。
マズイなあ。
老人性ボケが進行している上にアル中ハイマーだから救いようがありません。
まだ帰巣本能のおかげで自宅に帰ってこられているからいいけど、
そのうちゴミ捨て場かなんかで目を覚ましたりしちゃうようになるのでしょうか?
行く末が本当に心配です。
皆さん、そこいらで倒れている私を見かけたら助けてあげてください。
なにとぞよろしくお願い申し上げます。

モルモット

2011-06-20 06:27:44 | 教育のエチカ
附属学校園での教育実習を終えて戻ってきた学生たちから聞いた話。

控えめなうちの学生たち、着任の日、生徒さんたちに向かってこんなふうに挨拶したのだそうです。

「うまくいかなくて迷惑かけることもあるかもしれないけれど、よろしくね。」

それに対して、たぶん着任式の場ではなく後で個人的にだったんだろうと思うけど、

ある生徒さんからこんなふうに言われたそうです。

「私たちはあなたがたのモルモットではありません。」

きついですね。

さすがは教育実習慣れしている附属の生徒さんのお言葉です。

本当に厳しいです。

でもまったくその通りです。

教生の先生 (教育実習生) といえども、生徒たちにとっては先生。

教生の先生の授業といえど、生徒たちにとっては年間カリキュラムの中の大事な1コマ。

未熟とか養成期間中ということを言い訳なんかにされてはたまりません。

スーパーやファミレスで 「研修中」 のバッジをつけた人に担当されても、

同じ金額払うんだからミスを多目に見てあげようなんて思わないし、

病院で研修医にあたってしまい誤診なんかされたらゼッタイに訴えます。

顧客の立場から見たならば、「私たちはあなたがたのモルモットではありません」 は真理なのです。

9月に教育実習に行く皆さんはこの言葉を真摯に受け止めて、心して行ってきてください。



しかし、ここにはものすごく難しい問題が含まれていることもたしかです。

これについてはまた別の機会に論じることにいたしましょう。

歴代最高アクセス

2011-06-17 17:16:37 | このブログについて
昨日は424アクセスと歴代最高を記録してしまいました。

ランキングで1954位と2000位以内に入ったのも初めてです。

これに次ぐ記録は今年の5月10日の419アクセスでしたが、

その後は低迷気味で300前後を行ったり来たりしていたので、

あの記録は当分塗り替えられないだろうと思っていたのですが、

予想外の記録更新となりました。

「柴崎コウ」 のどこがよかったのでしょうか?

以前に 「アメトーーク」 をネタに書いたときにアクセス数が上がったことがありましたので、

やはり、柴咲コウで検索して柴咲ファンがたくさんやってきてくれたのでしょうか?

しかし、私のタイトルは 「柴崎コウ」 でしたから、正しく入力したらヒットしなかったろうと思います。

柴咲ファンであるにもかかわらず、私と同様 「柴崎コウ」 と思い込んでいる人が

100人くらいいたということでしょうか?

不思議だ。

そういう意味では5月10日の419アクセスもよくわからなかったんですよね。

あの日はホームページを久々に更新しましたというどうでもいいネタだったし。

ただその日はブログを書いたのが遅い時間だったので、その日のネタに食いついたというよりは、

前日5月9日の 「無銭飲食」 が皆さんの琴線に触れたのかもしれません。

そういう意味では、高アクセスに共通しているのはボケ老人の自虐ネタなのかもしれません。

だとすると、たぶんこれからもこの手のネタはいくらでも発生してくると思われるので、

わがブログの未来は安泰だと言っていいでしょう。

問題は、いろいろやらかしてしまったときに、ブログ書くまで覚えていられるかだけです。

柴崎コウ

2011-06-16 13:13:08 | 生老病死の倫理学
この人 ↓ の名前がいつも思い出せなくなるんです。



ドラマや映画や、最近ではバラエティでもよく見かけますが、

誰だっけといくら考えても、「柴崎コウ」 という名前しか頭の中に浮かんでこない。

でも、たしか柴崎コウは 『Dr.コトー診療所』 とか 『ガリレオ』 に出ていた人で、

この人とはちょっと違う気がする。

たしか柴崎コウはこんな人 ↓ だったよな。



若干似ていなくもないけど、やっぱり別人だよな。

じゃあ誰なんだろう?

んーと。

えーと。

柴崎コウ?

ダメだ、この名前しか出てこない…。

私は人の名前が思い出せなくなったとき、「あ」 から順番に五十音を試してみたりします。

赤坂? 相沢? 安藤? 今井? 伊藤? 石原? ………

まあ、この方式で上手く思い出せたことはまずないんですが。

たいてい途中で挫折しちゃうし。

けっきょく今日の 『はなまるマーケット』 にゲストとして出ていて、

スーパーで名前が表示されていたのでやっとわかりました。

この人は 「米倉涼子」 でしたね。

「よ」 まではなかなかいかないし、いったとしても 「よねくら」 は思いつかないよなあ。

もちろん初めて知ったわけではないので、言われればそうそうとわかるのですが、

すぐにまた忘れてしまうのです。

そして、柴崎コウしか浮かばなくなってしまう。

ボケがどんどん進んでいるようです。

しかし、これからは思い出せなくなったら自分のブログを開いて、

「柴崎コウ」 でブログ内検索すれば一発で答えがわかるわけです。

素晴らしいっ!

みごとなリカバリーだ。

きっと今後この記事を何度も自分でチェックしに来ちゃうんだろうなあ。

どうだい、まさおさま。

米倉涼子だよ、思いだしたかい。

でもボケ老人だから、どうせまた忘れちゃうんだろうなあ。

忘れたらまたおいで。

大学院必修科目 「地域文化創造特論」

2011-06-15 18:10:09 | お仕事のオキテ
水曜日の1限は大学院の必修科目 「地域文化創造特論」 でしたが、
私の担当の5回分が今日で終わり、来週から白石豊先生にバトンタッチです。
この科目は教育学研究科が改組されて人間発達文化研究科が設立されたときから、
地域文化創造専攻の必修科目として置かれた授業です。
学校教員養成をメインとしていた教育学研究科から、
学校教員に限らず人材育成のエキスパートを養成する人間発達文化研究科となり、
その中の地域文化創造専攻では、地域支援エキスパートの養成を目指しています。
特にうちのような博士課程のない修士課程のみの大学院は、
研究者養成をしているわけではなく、社会に出て働く専門職業人を養成しているわけですから、
ただ専門の研究だけをしていればよいわけではなく、社会人としての専門能力を身につけ、
さまざまな形で人間の発達を支援していける人材に育ってもらわなければなりません。
そういう機能を果たすべく設けられたのが 「地域文化創造特論」 なのです。
私の担当する5回では次のようなことをやってきました (シラバスより)。

第1回:オリエンテーション
 新研究科 「人間発達文化研究科」 ならびに 「地域文化創造専攻」 の特色、
 本授業の狙いについてオリエンテーションを行う。
 同じ専攻の仲間がどのような力を伸ばそうとしているのか確認する。

第2回:人はなぜ学びなぜ働くのか
 学ぶこと、働くことの意義を根底から問い直し、
 「文化」 というキーワードで人間を捉え返していくとともに、
 大学院での学びがすべて社会に出てから生きていくことを理解する。

第3回:大人の力
 一人前の大人として生きていくためにはどのような力が必要であるかを、
 ワークショップ形式で考えていく。
 その上で、「学類学修指標」 を用いながらセルフモニタリングを行っていく。

第4回:社会人としての自立とプロフェッショナルの資格
 社会人として生きていく際に基盤となるセルフ・ファウンデーションを確立することの重要性を学ぶ。
 また、プロフェッショナルの由来に遡って、プロには何が要求されるかを考えていく。

第5回:プロフェッショナル倫理 ―パターナリズムの危険性―
 プロフェッショナルに求められる倫理はいかなるものか。
 特に専門家が陥りやすいパターナリズムについて解説するとともに、
 プロがミスを犯したり、ウソをついてしまうメカニズムを解き明かす。

第1回目は要するに自己紹介なんですが、
地域文化創造専攻は国・英・数・社・家・音・美・体というバラエティに富んだ人たちの集団ですので、
お互いに何を研究しているのかを語り合うとともに、
大学院の2年間でどんな力をつけたいのか、その力をもって将来どんな社会人になりたいのか、
についても1人1人発表してもらいました。
普通、大学院に入学してくる人は自分の専門研究を究める、という意識しかもっていません。
しかし、その人たちに上記のような問いを投げかけ、自己紹介してみるように促すと、
それなりにいろいろと答えてくれます。
そうやって 「問いの力」 を活用しながら、専門職業人としての意識を涵養していくのが狙いです。

第2回目はいつもの演題ですね。
中学生にも高校生にも大学生にも現場の先生たちにもしている話です。
受講者の中には、大学1年のときの 「キャリア形成論」 と2年のときの 「文化創造論」 で、
すでに2回聞いている人も含まれていますが、そんなことはおかまいなしです。

第3回目は、大人になるには、大人として生きていくにはどんな力が必要だろうかと問いを投げかけ、
グループに分かれてKJ法を用いて意見をまとめてもらいます。
これが一番盛り上がる回ですね。
「学類学修指標」 を用いて今の自分がどれくらいの力を備えているかも、
セルフ・モニタリングしてもらいましたが、
大学卒業しているとはいえ満点評価という人はなかなかいないです。

第4回目は、ビジネス・コーチングの考え方を少しだけ紹介しながら、
セルフ・ファウンデーション (自己の基盤) がしっかりしているか振り返ってもらったり、
仕事の優先順位について考えてもらったりしたあと、
プロフェッショナルとは何かについてレクチャーしていきます。

第5回目の今日は、3年前に新潟市民病院で行った講演のパワーポイントを使いながら、
プロフェッショナル倫理についてプレゼンテーションしていきました。
特にパターナリズムや、ミスとウソについて熱く語りました。

たぶん大学院でこんな授業をやっているなんて、大学関係者の方々は驚かれることでしょう。
しかし、彼らはこんな授業からでもいろいろと学んでくれているようです。

「大学院に入ったのは 『専門を極めるため!』 という思いが強かったのですが
 (勿論それも大切だとは思います)、でも専門を極めた後私たちは 『大人』 になるので、
 そういった意味で 『大人』 や 『プロ』 について考える、よい機会になりました。
 また、色々な科目の人と接する機会があって、自分にはないような視点からとらえた考え方や意見、
 まとめ方などに触れることができたのも有意義だったと思います。
 なので座学でずっと講義を聞くようなタイプではなく、毎回やり方がちがうのも、
 新しい発見が多くて面白かったです。」
 
「普段の生活の中でほとんど考えたことのないことを
 考えたり話し合ったりすることが出来たのが一番の学びであった。
 しかもそのほとんどは自分が社会に出て働くにあたって必要なことばかりであったと思う。
 今回の講義の内容を親にも聞かせてあげたいと思った (倫理、犯人探し症候群など…)。
 大学でこのような形式の授業はあまりなかったので楽しかった。
 また、数少ない院生同士のつながりの場となって良かったと思います。」

「小野原先生の授業はつくづく 『問いの力』 について考えさせられる機会であると思っていました。
 ”勉強って何だろう?”、”プロフェッショナルってどんな人?” などなど、
 普段それに直面したり、目標にしているはずのものを 『あえて問う』 ということは
 自分の内面と向き合う貴重な時間であったように感じました。
 最近、ゼミなどで○○くんが、人の選びとってきた必然的形と、
 本能の崩壊により文化を発展させてきた人間についてよく話をしています。
 それに近いようなことを私も考えるし、
 自然とこの授業の内容を他の時間に思い出すようになっていました。
 頭で考えるだけでなく、『みる、書く、話す』 など体感することを通して
 身体的な記憶に残る授業を私もしてみたいと思いました。」

「全体を通して、学ぶことの意味、学ぶという意識の作り方について教えて頂きました。
 生活の中にはいたる所に学びがあり、
 その人の意識次第で豊かな人生 (喜びの多い人生) を作れるのだと感じました。
 今、2年間の過ごし方と2年後について不安な日々を送っているので、
 4回目のセルフ・ファウンデーションの話がとても印象に残りました。
 たくさんの思考が毎回脳内を騒がせていますが、整理や結びつけ、追加など、
 より吸収できるような土台作りに努めたいと思いました。
 他の分野の方々のお話も聞けて、楽しい授業でした。
 ありがとうございました。」

「私は、福島大学の院に入学して、ただ専門的な力をつけたいという思いだけで入学しました。
 しかし、この講義を受けて、
 もっと根本的なもの (人として、大人として、プロとして) を学ぶことになって、
 改めて考えさせられました。
 これからどのようなことを意識して学んでいけばいいか、
 また、職業人 (プロ) になった時、どのように生きていけばいいかなど、
 人として大切なことを学ぶことができました。
 この講義が1年の最初にあってよかったです。」

皆さん、お疲れさまでした。
次回からは白石豊先生による、コーチングやコミュニケーション・スキルに関する講義です。
さらにディープに大人の力、プロの力を学んできてください。

山形の文化?

2011-06-14 18:54:31 | 人間文化論
先週末、山形に行ってきて 「麦きり」 という文化についてご報告しましたが、
ほかにも山形では変わったものに出会ってきました。
それらが山形に固有の文化かどうかはリサーチ不足のためよくわからないのですが、
とりあえず 「山形の文化?」 としてご報告させていただきます。

今回初めて 「ホテルステイイン七日町」 というところに泊まりました。
ここがなんだかいつものホテルとは勝手が違っていて、戸惑うことばかりでした。
まずタクシーが着いて下り立ってみてもどこにホテルがあるかよくわからないのです。
どうやら旧山形松坂屋の建物をホテルに改装したようなのですが、
ビル全体がホテルなわけではなく、一部を間借りしているようです。
そういうホテルは珍しくもないのですが、何を遠慮しているんだか、
外からパッと一目見て 「ホテルステイイン七日町」 だとわかるような表示が何もないのです。
うーん、控えめだあ。
そして、ビルの中に入ってもどこからがホテルなのかよくわかりません。
フロントも控えめな感じで、一度は行き過ぎてしまいました。

そうやってやっと見つけたフロントでチェックインをすませると、
こんなもの ↓ を渡されました。



こちらのホテルはカギではないんです。
最近はどこのホテルもカードキーなんかになってきていますが、
そのカードキーすらありません。
で、紙に暗証番号が書いてあって、入り口でこれを入力して部屋に入るようになっているのです。
ドアノブのところにこういう装置が付いています。



こんなシステムは初めて見ましたね。
たぶんどのお客さんも初めてだから最初は戸惑うでしょう。
したがってフロントにはこんな物 ↓ が置いてあって、
チェックインのときに入室のしかたがレクチャーされます。



面白いですねえ。
チェックイン後に出かけたりするときに、キーをフロントに預けたり、
深夜に戻ってきてキーをまた受け取ったりという手間がいりません。
また、私の場合ビジネスホテルではあまり必要ありませんが、
家族で温泉などに泊まったときにこのシステムになっていると、
みんなで一斉にお風呂に行ったりするときに便利です。
更衣室でキーを盗まれる心配や、いちいちフロントに預ける手間がありませんし、
男湯と女湯に分かれて入り、どちらが先に戻ってこようが関係なく、
暗証番号さえ覚えておけば、各自入室することができます。
これが山形発祥の文化がどうかよくわかりませんが、
ぜひ全国に、とりわけ温泉地にこのシステムを伝播してほしいと思いました。

さらにこのホテルが変わっているのは入室してみるとこんな感じ ↓ なのです。



この1枚の写真の中に3箇所、間違い、じゃなくて変わったところがあるのですが、
皆さんお気づきでしょうか?
まず左手に簡易キッチンがあります。
これがヘンですね。
長期滞在型のホテルにはよくあるのでしょうか。
私はホテルではこういうの初めて見ました。
たった1泊ではまったく使いませんでしたが…。

そして右手には洗濯機まであります。
ドアを開けて左手にこれが見えたときには一瞬ギョッとしました。
コインランドリーがどこかの階に設置されているというビジネスホテルはよくありますが、
室内に洗濯機があるのは初めて見ました。
完全に長期滞在を想定していますね。

もうひとつの間違い (じゃなくて変わったところ) はわかりましたか?
そうです。
こちらのホテルの部屋には玄関 (下足場?) があって、
そこで靴を脱ぎスリッパに履き替えるようになっているのです。
土足禁止なのですね。
いやあ変わったホテルです。
山形人というのはたとえホテルであっても家庭的なものを求めるのでしょうか、
でも今までもいくつか山形のホテルに泊まったことはありますが、
こんなのは見たことなかったから、やはり山形とは関係なく、
ステイインホテルズがこうした新方式を採用しているだけなのか、
とにかく変わったホテルでした。
トイレがウォシュレットじゃなかったので私にはちょっと向いていませんが、
それを除けば部屋も広めだしとても快適でかつ安価ですので、
山形にお越しの際はぜひご利用になってみてください。

このホテルにチェックインし、七日町の居酒屋での主将会に出かけ、
麦きりとかを食べてきたわけですが、
解散後、いつものようにすぐにホテルに戻る気にもならず、
といってどこか知ってる店があるわけでもなく、街をぶらぶら歩いていたわけです。
そうしたらホテルのそばに 「女酒場アルベ」 という看板を発見しました。
女酒場?
うーん、怪しいです。
何なんでしょう?
いわゆるガールズバーの類でしょうか?
知らない街でそんなところに入ったらどれだけボラれてしまうかわからないので、
分別ある大人としてはそこは黙って通り過ぎました。
で、さらにあちこちぶらぶらしていたのですが、
あまり心惹かれるお店もなく、けっきょくホテルに戻ることにしたのです。
その帰り道に再び女酒場の前を通りかかりました。
すると、お客さんを送っていったところだったのか、
ママさん (と後に発覚した女性) がちょうど店の外にいたので、
「ここは何のお店ですか? 女酒場って書いてあるけど…」 と思い切って聞いてみました。
すると、「ただの居酒屋ですよ」 というお答えです。
だったらボラれることはないかと思い、ブログネタにという好奇心も手伝って、
「女酒場アルベ」 に入ってみることにいたしました。

入ってみたところやはり、ただの居酒屋というのはちょっと違うだろうという感じでした。
たしかに居酒屋のように食べ物のメニューは充実しています。
リーズナブルな値段で美味しそうなメニューがたくさん用意されていました。
シメの麺類やご飯物もいろいろあります。
しかし、アルコールのほうは、もちろんレパートリーはいろいろ揃っているのですが、
価格体系が普通ではありません。
1時間飲み放題1,000円なのです。
お通しの300円とともにこれが基本料金になります。
そして、先ほどのママさんはカウンターのお客さんのあちこちに付いて、
お酒をご馳走になっていました。
私のところにも付いてくれて、1杯飲みながら話し相手になってくれました。
このシステムは完全にスナックです。
お店にはほかにも女性が3名くらい、
男性が2名くらい (男もいてちょっとビックリしました) 働いていました。
その女性たちもお客さんに付くということはあるのかもしれませんが、
カウンターも満席でしたし、奥の畳敷きの小部屋 (4人テーブル×4台) も満席で、
お酒やら料理やらを運ぶのが忙しそうで、
その日は彼女たちがお客さんに付いている様子はありませんでした。
男性スタッフは料理担当のようで基本は厨房にいましたので、
彼らがお客さんに付くということもないのでしょう。
ママさんだけがお客さんのご馳走になるというシステムなのでしょうか?

こちらのママさんはスナックをやっていたそうなんですが、
料理メインの店をやりたいと思い、スナックは妹さんに任せ、
この女酒場を最近開店したのだと話してくれました。
30代前半の美人ですからスナックでも人気だったろうと思いますが、
気っぷのいい、Gパンが似合う感じの女性でもありますので、
たぶんこちらの店でのほうが生き生きと働けるのでしょう。
居酒屋なのかスナックなのかダイニングバーなのか、何とも分類のしようがありませんが、
この 「女酒場」 という新しい業態が山形から全国へ広がっていくことを期待します。
だって、私は翌日ダンスの試合がありましたので長居することはできず、
1時間も経たないうちにおいとましたのですが、
麦きりとかのおかげでお腹いっぱいだったためツブ貝の煮物を1品頼んだだけでしたので、
お会計はたったの1,800円くらいですんでしまったのです。
これは安いです。
価格破壊です。

今度はもうちょっと時間を気にせず飲めて、お腹も空いてるときに来てみたいです。
そうするといくらぐらいかかるのか試してみたいです。
山形大学の諸君、ぜひぼくの代わりにレポートしてください。
ちなみに、私の後からやってきて私の隣りに座った常連さんらしき人物は、
ママさんからのリクエストに応えて赤ワインのフルボトルを開けていました。
うーん、あんなことをするといくらぐらい取られるんだろう?
興味津々だあ。
しんさん、山形に行く機会があったらぜひお試しください。
きっと、しんさん好みの店だと思いますよ。


P.S.
「アルベ」 というのは、「あるよね。ここにあるでしょ。」 という意味の山形弁だそうです。
福島で姉妹店を開業するとしたら 「女酒場アルダベシタ」 になるのでしょうか。

300人自己分析 ・ 90分一本勝負

2011-06-13 21:18:29 | お仕事のオキテ
先週に引き続き、今日も 「キャリア形成論」 を担当しました。
今日のテーマは 「自分とは」。
300人相手にたったの90分で全員に自己分析をしてもらおうという無謀な試みです。
しかしながら、この授業案は私のブログの師匠、中間玲子先生が開発した素晴らしい教案で、
中間先生が転出されてから私がそのまま引き継いで授業をしておりますが、
スベらない授業の鉄板といってもいいくらい、例年評価の高い授業となっております。
コンセプトは 「マインドマップを用いた自己分析」。
いくつかのお題でマインドマップを制作していってもらいながら、
しだいに自己分析に慣れていってもらうという授業案です。

まずマインドマップについて簡単に説明することから始めました。
マインドマップってこのブログで紹介したことありましたっけ?
こんなような感じ ↓ で1枚の紙に放射状にキーワードを並べていくノート法のひとつです。



この手法を用いて、最初はいわゆる 「偏愛マップ」 を作ってもらいます。
中心トピックを 「My Favorite Things」 として、
自分の好きなものをどんどん書き出していってもらうのです。
この授業案の一番のミソはこの部分なのですが、
偏愛マップ作成を自己分析の導入にするというのがなによりもスゴイのです。
自己分析というのはけっこう精神的にキツイ作業です。
特に若者の場合、自分に正面から向き合った経験がほとんどありませんから、
そういう人たちに自己分析を強いると、百害あって一利なしといった結果になりかねません。
そのため最初から自己の内面に向き合わせるのではなく、
まずは自分の好きなもののことを考えてもらうことによって、
軽い気持で楽しい雰囲気で自己分析に誘って (いざなって) いこうというのです。
実際、次のような感想が多く聞かれました。

「自己分析をして、ペンが止まらない自分にビックリしました。
 やってみてすごい楽しかったし、今の自分が自然と表れるみたいでちょっと恥ずかしかったけど、
 やって絶対プラスになりました。
 何回やっても違う事が出て来て、また人と見せ合うコトでさらに仲良くなれそうだし、
 今後もやってみようと思う!!!!!!」

「マインドマップで自分の好きなモノを書いていると、
 先生がおっしゃったように本当に楽しくなっていきました。
 いきなり、長所や短所と言われてもなかなか言いにくいけど、
 マインドマップを使えば自己分析がしやすくてとても良いなと思いました。
 これを機にもっと自分を理解して、マインドマップも有効活用していきたいと思います。」

「今回、自分のことを考えてみて、
 このように自分のことを考える機会はなかなかないのだなと思いました。
 自分がどんなこと、ものが好きなのか、自分がどのような人間なのか知ることができました。
 まだ、書ききれてないのですが、家に帰ってじっくり考えてみたいです。
 そして友達と見せ合ったりしたいです。」

今日はあまり時間がないので、10分強くらい時間を取って、時間内に書けるだけ書いてもらいました。
10分のあいだにスラスラ書いていく子もいれば、すぐに筆が止まってしまう子もいます。
それはかまいません。
とにかくまずは、自分の好きなもののことを思い浮かべてみることからスタートしました。
書ききれなかった分は授業終了後に完成させておくようにお願いしておきました。
友だちと見せ合うと話が盛り上がるよということと同時に、
そのマップは世界中にたった1枚しかないマップで、
君たち以外のだれもそんなマップを書くことはできない、
かけがえのないものなのだということも付け加えておきました。

こうした導入を経て、いよいよ自己分析のマインドマップを作成してもらいます。
中心トピックに自分の氏名を書き込み、
過去・現在・未来の順番で自分のことを書き出していってもらいます (時間は15分程度)。
過去に関しては、経験や転機、影響を受けた人びとなどについて書き出してもらいます。
特に経験に関しては、自分が輝いた経験、苦しかった経験、
それを乗り越えた経験などをできるだけ具体的に思い出してみるように指示しました。
次にそれらを踏まえて現在はどうなっているのか、
特技や能力、興味・関心、長所や短所などを書き出してもらいました。
そして未来に向けて、どんな夢や目標をもっているのか書いてもらいます。
このように過去 → 現在 → 未来という、
時間軸に沿って書いていってもらうというのがこの授業案の第2のミソで、
こうすることによっていろいろな気づきを得てもらうことができるのです。

「自己分析をして、過去も振り返ってみると、自分が思ったよりいろんなことを経験していて、
 いろんな面を持っていることに気づきました。
 今までは ”今” とか ”すぐ先の未来” しか見ていなかったと思います。
 過去の自分、今の自分、ずっと先の自分を主観的・客観的にもう一度考えたいと思います。」

「自己分析をしてみて、昔の自分と今の自分の価値観ががらりと変わっているし、
 いろいろな面で成長していることが実感できて嬉しく感じた。
 短所が多かったけど、長所も書くことができたし、
 今の本当の自分と向き合えた気がした。」

「自分の長所や短所がマインドマップを書く前までは
 中学 ・ 高校の頃のままで終わっていましたが、
 大学生になって一人暮らしをしている今、自立できた部分も、
 今までなかった親への感謝などの感情も新たに感じられていて、
 少しではありますが成長しているんだなと思いました。
 この4年間、前向きに積極的に物事に取り組むことで、
 いくらでも変われる要素がある!と実感できました。」

この自己分析をやってもらうときに2つ注意すべきことがあります。
1つは、偏愛マップなら書けるけれど、
自己分析になるとパタッと筆が止まってしまう子が必ずいるというか、
たぶん半数近くの学生はたいていそうなのだということを忘れてはいけません。
大学1年生が急に自己分析しろと言われてほんの15分ほどで書けるわけはないのです。
これもこの時間内で書けなかったとしても当たり前なので、
家に帰ってからゆっくりやってみてほしいということを付け加えますが、
今の段階ではたとえいくら時間をかけたとしても、
それでもなかなかマップを埋めることができない子も少なからずいるはずなのです。
そういう子たちのために次のように付け加えることにしています。
君たちはまだ大学1年生なので、今の段階でたくさん自己分析を書き出せなかったとしても、
全然心配する必要はありません。
大学4年間の学びはこれまでよりもはるかに深いので、
2年半とか3年後にはマップを埋め尽くせるようになっているはずです。
ただしボーッと日々を過ごしていると何年経っても白いままだから、
経験を積み、長所や特技を増やしていくよう意識しながら学生生活を送ってください。
とまあ、そんなような言葉を沿えるようにしているのです。

「自己分析についてなかなか書くことが思い付かなかった。
 それでも今 『書けない』 ということに気付くことが出来て良かったとプラスに考えて、
 これから人に自信を持って話せるような経験、体験をしていきたい。
 自分にしかない強みのポイントを増やしてもっと強くしていきたい。」

「今回マインドマップを使って自己分析をしてみて、
 自分は自分の事を何もわかっていないと思った。
 長所、短所と書いてマップを拡大しようとしてみても、
 一向に拡大することなくペンが止まったままになっていた。
 それが、自分のコミュニケーション能力不足につながっているのだと思った。
 自分という人間を知る事ができない人に他人の気持ちを理解してあげる事は難しいと思う。
 よって、これからコミュニケーション能力の向上のために、
 まず自分自身を知って、長所・短所を知り、
 他人と交流する自分なりの方法を考えていけばいいと感じた。」

もう1つの注意点は、これは日本人の特性なのか、大学生の特性なのかわかりませんが、
自己分析をやってもらうと、短所はいくらでも思いつくけれど、
長所がさっぱり思い浮かばないという人がとても多いので気をつけなければなりません。
これに関しては、短所をポジティブな言葉に言い換えれば長所になるんだ、
ということを教えてあげなくてはなりません。
「飽きっぽい」 というのは 「好奇心旺盛」 ということですし、
「鈍感」 というのは 「物事に動じない」 ということなのです。
つまり、長所と短所は同じ特徴を表しているものであって、
ポジティブな表現をするかネガティブな表現をするかだけの違いなのです。
これってキャリアカウンセリングの世界ではごく当たり前の知識ですが、
学生たちは本当にこういうことを知らないんですね。
けっこうこれがヒットしている学生さんが多かったです。

「『短所も含めて特徴だ』 という教えに驚きました。
 これまで短所は欠点、見て見ぬフリをするものという印象を抱いてきました。
 しかし一度視点を変えてみると、特徴、つまり強みになるということです。
 短所と長所を挙げればつねに短所ばかりが多くなってしまいがちでした。
 けれど今度からはその欠点を 『言い直す』 ことから始めて、
 プラスの発想、ポジティブ思考を養っていこうと思いました。」

「自分の短所も強みにして、という言葉で元気づけられました。
 短所について悩むこともあったけど、その必要はないと分かりました。
 これから自己理解を意識して、授業1時間1時間を大切にしていきたいと思います。
 3年の間に、着実に力をつけていきたいです。」

「自己分析をしてみて出てきた短所について、
 ポジティブな言葉に変えられるものもあれば変えられないものもありました。
 変えることによって気持が楽になって、変えられないものをみつけることで、
 どこを改善すべきなのかはっきりとしました。
 自己分析をすることで今まであいまいだった 『自分』 を少し整理できた気がします。」

最後に、「ナラティブ ・ アプローチ」 というものに挑戦してもらいました。
ナラティブ ・ アプローチとは、「自己」 を、
自分についての 「物語 (ナラティブ)」 の集積として捉える考え方です。
その物語は、本人が主人公であり、過去・現在・未来で首尾一貫していて、
主観的にも客観的にも (自分の見たものと他人から見たものが) 一致していることが望ましいです。
学生たちには次のような課題をやってもらいました。
自己分析の結果を踏まえて、次の文章の空欄を埋めて物語を作ってもらうのです。

「過去の私は、(                                 ) でした。

 現在の私は、(                                 ) です。

 将来の私は、(                                 ) になっています。」

初めの頃はこれは学生には難しいのではないかと思っていたのですが、
ここまで順番にやってきたことを踏まえて、みんなちゃんと物語を書いてくれるので驚きです。
しかも、これを書いてみることでさらに気づきは深まっているようです。

「今までの経験はすべて、途中で区切れるようなものではなく、
 ひとつの大きな流れだったのだと思いました。
 その結果として今の自分があります。
 少しずつでも確かに自分が変わってきたということがわかりました。」

「以前 (小 ・ 中 ・ 高とそれぞれの学生時代) の自分と今の自分はやはり異なっていて、
 以前、こんな人になりたいなーと思っていたことを少しずつですが、
 クリアできているのでは、と感じました。
 そのため、今、自分がこんな人になりたいなーと思うことを実現させる努力をするべく、
 この福島大学での4年間の生活を充実したものになるよう、
 積極的に何事にも取り組んでいきたいと感じました。」

「自分というのは、始めから ”こういう人” と決まっているのではなく、
 日々の出来事や人との交流でどんどん変わっていくのだということが、とても印象に残った。
 今までは 『自分はどうせ○○だから』 と、決めてかかって物事を考えていたが、
 それは絶対してはいけないことだと感じた。
 実際に自己分析を進めていく上で、
 過去の自分と今の自分は180度ぐらい違っていることに気付いた。
 とてもうれしい気持ちになった。
 『自己』 とは自分についての物語であるという言葉にハッとさせられたが、
 そのことを意識して日々前進していきたいと心から思った。」

こんな感じでたった90分で300人相手に自己分析のさわりを体験していただきました。
今年はこれまでの反省を踏まえて、
時間内にマインドマップを完成できなくてもいいと割り切って授業をしましたので、
最後の感想文を書く時間もたっぷり取れて、余裕をもって90分で講義を終了することができました。
本当に慌ただしい自己分析の時間でしたが、これでもけっこう彼らには意味があったようです。

「自分が本当に心の底から頑張ったり夢中になったことは、
 今でも場面やその時の気持を鮮明に思い出すことができた。
 でも、当時は、頑張った! と思ったことでも、今はそうでもなかったりする。
 将来、おばあちゃんになった時でも鮮明に覚えていられるような経験を
 もっともっと増やしていきたい。」

「自分を見直してそれを書き出す。
 日常ではなかなかしないことを今回やりました。
 普段何げない生活にも私がいて、行動していて、言葉を発する。
 その中で自分がどんな人間なのかを考える。
 とても不思議な感覚でした。
 でも、自分って ”こういうところもあるんだ” っていう発見があったり、
 なかなか面白くできたと思います。
 マインドマップを書くにあたって、難しかったですけど、
 いざ書いてみると、今ここにいて、生きていて、生活していて…。
 すごく当たり前だけどすごいことなんだって感じました。
 何かにつまづいた時や落ち込んだ時、自分を見直すってことをして、
 客観的に見ていくようにしていきたいなと思いました。」

「今までの自分の経験や自分の好きなものを書き出してみたら、
 自分のことが少しわかった気がしたし、すごく楽しかった。
 くやしかったこと、すごくうれしかったこと、自分にとって大切な人、
 など自分の心を整理して、少し向きあえた気がした。
 こういう自分はきらいだな、
 こういうところはきらいじゃないなとかいろんなことを思った。
 もっとじっくり時間をかけてまたマインドマップをかいてみようと思う。
 なりたい自分になるためにがんばろうという気になった。」

学生の皆さん、慌ただしかったですがお疲れさまでした。
今日のマインドマップを完成させ、これからも何度もやってみて、自己理解を深めていってください。
師匠、こんな感じであいかわらずキャリア形成論やっております。
たった90分で300人相手にこれだけの気づきをもたらすことができるなんて、
本当にスゴイ授業案だと思います。
どうもありがとうございました

東北学連ダンス大会 ・ 2011年度初公式戦

2011-06-12 21:44:54 | ダンス・ダンス・ダンス
今日は山形で社交ダンスの夏大会でした。
ゴールデンウィークに盛岡で行われた試合は非公式戦として開催されましたので、
公式戦としては今日が今年度初です。
そして、今日の試合は今年度初というばかりでなく、
いろいろな意味で初めて尽くしの試合となりました。

夏大会は新入生のデビュー戦であると同時に、
上級生にとってはスタンダード (昔のモダン) 、ラテン、それぞれの総合力を競う4種目戦です。
そして、例年この試合をジャッジしてくださるのはプロの先生なのです。
しかも今年はとても贅沢なキャスティングでした。
審査委員長は、アマチュア時代48歳にしてスタンダードの全日本チャンピオンとなり、
その後プロに転向し、引退後も世界の最先端のダンス理論を日本に紹介している伊藤明先生
さらには、高校生のときにアマチュア全日本チャンピオンに輝き、国内では不敗のままプロとなり、
10ダンス (スタンダード+ラテン10種目競技) チャンピオンともなっている、
現役バリバリのトッププロ、瀬古薫希 (まさき)、瀬古知愛 (ちあき) カップル
今回は久しぶりにプロのデモンストレーションも見ることができる、
盛りだくさんの大会となりました。

試合ではなんといっても山形大学が初の団体優勝を飾ったのが印象的でした。
このところ山形大学は部員数が増えていて、大学全体としても力をつけてきていたのですが、
どちらかというとラテンダンサーが多く、スタンダードの選手層が薄いため、
なかなか団体優勝には手が届かずにいました。
今年もその傾向は変わっておらず、ラテンでは上位決勝に山大の選手がズラリと並ぶにもかかわらず、
スタンダードでは4年生の選手がおらず、上位決勝に残ったのは3年生の1カップルのみ。
今回もまた総合優勝は逃すのかと思われましたが、
この3年生カップルが他大の4年生カップルを押しのけてスタンダード4種目戦で優勝、
さらにラテンでは1位から3位までを山大カップルが独占する快挙で、
(しかも1位は先日このブログにコメントを寄せてくれたトーカイリンさんでした)
みごとに初の団体総合優勝を遂げることができたのです。
山形開催の試合で初優勝を飾ることができたというのは本当にめでたいことです。
私も大学時代、自分の引退試合で自身初めて優勝することができたのですが、
その試合で東京外国語大学も初めて団体優勝を果たすことができ、
自分の優勝よりも団体優勝のほうに感激して涙をこぼした覚えがあります。
ダンスというのは基本的には個人競技なのですが (個人といってもカップルだけど)、
学生競技ダンスだけは団体成績も争うので、
ともに学び切磋琢磨してきた同期の仲間たちや、
自分たちが育ててきた後輩たち、自分たちを育ててくれた先輩たちとともに勝利を祝えるというのは、
学生競技ダンスならではの醍醐味と言えるでしょう。
山形大学の皆さん、本当に初優勝おめでとうございました。

競技会終了後、瀬古カップルのデモンストレーションがありました。
当初は、スタンダード1曲、ラテン2曲ほどを披露していただくために、
計15分ほどの時間を取ってあっただけだったのですが、
思いのほか試合が順調に進み、30分ほど時間の余裕ができたので、
たっぷり時間を取って東北学連史上初めての試みが行われました。
まずは瀬古カップルによるワルツのデモンストレーションです。



1年生にこんなもの見せたら目の毒ではないかというくらい素晴らしい踊りでした。
このあとすぐにラテンのデモンストレーションに移るのではなく、
ここで伊藤明先生から今日の試合への講評とともに、ワンポイントレッスンをいただきました。
いや、ワンポイントどころではなくファイブポイントかシックスポイントくらいあったでしょうか。
しかも、瀬古カップルに模範演技をさせたり、自ら知愛さんと組んで実演してみせてくれたり、
最新のダンス理論を織り交ぜてとてもわかりやすく、かつ刺激的なレッスンでした。
この写真 ↓ は瀬古カップルに実演してもらって、男女の組み方を教えてくださっているところ。



こっち ↓ は何のことかわからないかもしれませんが、
伊藤先生が知愛先生と組んでクイックステップについて教えてくださっているところ。



スタンダードだけで優に30分以上時間をかけてデモ+レッスンをしていただきました。
その後、瀬古カップルがラテンの衣裳に着替えて再登場しました。
10ダンスプレイヤーとはいえ、自身はラテンのほうが得意という瀬古先生が、
ラテンに関して講評をくださり、東北ダンサーの共通の欠点について指摘した上で、
ではどうしたらいいかという模範演技のデモンストレーションを見せてくださいました。
課題が多いというパソドブレとルンバを踊ってくださいました。



ラテンでもやはり30分近く講義と踊りを頂戴することができました。
プロによるデモンストレーション自体が久しぶりだったのですが、
それがただのデモではなく、公開レッスンという形になったことによって、
東北学連の諸君にはものすごく深い学びになったことと思います。
一般来場の方々もやはり瀬古プロのデモがあるということで大勢つめかけていましたが、
最後まで残って食い入るように話を聞き踊りを見つめていらっしゃいました。

東日本大震災という悲劇を被った東北のダンス界ですが、
前回のダンススポーツ大会といい、今回の夏大会といい、
今までになかったような新たな試みに取り組み、
復興に向けて力強い歩みを進めることができているように思います。
入部したばかりの1年生の試合のジャッジから始まり、
最後の素晴らしいデモとレッスンまで丸1日東北学連に力を貸してくださった、
伊藤明先生、瀬古薫希先生、知愛先生、本当にありがとうございました。

麦きり

2011-06-11 23:59:14 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
明日が山形大学でダンスの夏大会ですので、今日は山形に来ています。

前日の今日は主将会が開かれました。

全東北学生競技ダンス連盟の会長、副会長、開催校の顧問、各校の主将のほかに、

明日審査をしてくださるプロの先生方、さらに山形のアマチュアダンス組織の会長さんたちなど、

20名近くが集まって、ダンス談義に花が咲きました。

その飲み会のシメにそばが出てきたのかなと思ったのですが、

ちょっと麺が太い感じでそばにしては出来が悪いように思います。

山形の方々に聞いてみたところ、これはそばではなく 「麦きり」 なのだそうです。

そば粉ではなく小麦粉で作っているので、そばというよりはうどんに近い感じです。

おそらく秋田県の稲庭うどんが一番これに近いのではないでしょうか。

そばよりは太く、うどんよりは細くて、でもとっても飲み会のシメにはいい感じです。

これまで山形には何回も来たことがありましたが、

この 「麦きり」 をいただいたのは初めてです。

山形大学の学生さんは、「麦きり」 って日本の麺の一種として、

日本国民全員が知っているものと思っていたそうです。

文化って地方によって全然ちがうんですね。

今回は 「麦きり」 に出会うことができてよかったです。

「秘密のケンミンSHOW」 とかけっこうこまめにチェックしているつもりなんですけど、

まだまだ私の知らない地方固有の文化があるのでしょうね。

人間の文化の無限の可能性が感じられました。