まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

年の終わりに 「私の時代は終わった。」

2015-12-31 08:36:55 | 性愛の倫理学
ホント、プライベート以外は暗く辛いことばかりで何ひとついいことのなかった2015年、

その最後を締めくくるにふさわしい出会いが年末にありました。

たぶん Facebook か何かで流れてきた情報だったと思いますが、

たまたま見てみたら一発でハマってしまいました。

加藤はいねさんという方の 「私の時代は終わった。」 というブログです。



タイトルからしてものすごいですね。

副題にはブログ主の素性が明記されています。

「This is the blog written by the eternal virgin.」

こちらは35歳処女の看護師さんが書かれているブログなのです。

それ系の話題と、看護師としての失敗談と、とにかく自虐ネタしかありません。

私のブログもけっこう自虐ネタ満載だと自負しておりますが、

このブログと比べたらまさおさまのブログなんて、

屈折的自己愛野郎の自己陶酔型オナニー行為にすぎないでしょう。

はいねさんはもう徹頭徹尾、自虐に徹しきっています。

涙と爆笑なしには読めません。

電車やバスのなかで読むのは避けたほうがいいでしょう。

それから1本1本の記事がけっこう長いです。

その代わりといっては何ですが、むちゃくちゃ寡作です。

2001年の9月から始まったブログみたいですが、年に10本も書いていません。

今年なんてたった2本だけです。

しかし、それがもう傑作なのです。

(実ははいねさんは 「エロマンティック」 という別のブログもやってらっしゃいますが、

 そちらも似たような更新ペースであっという間に全部読み終わってしまいます。)

ちなみにはいねさんは上掲のトップ画像をご覧になってもわかるように、

マンガやドラマなどに精通したオタクです。

しかも、私よりも20歳近く年下とは思えないほど古い作品もきちんと押さえています。

そういう元ネタなんかも知っているとよりいっそう楽しむことができるでしょう。

それでは、全部読破するのもさして大変ではありませんが、

せっかくですのでまさおさまセレクトでこれはゼッタイに必読という記事をご紹介しておきましょう。

まずはこちらから。

30歳のときに、9年目にして初めて救命病棟に配属されての失敗談。

「昨日、うちの病棟でアリアドネの弾丸を見かけました。」

続いて33歳バースデイのときの処女ネタ。

「風よ!炎よ!雷よ!我が剣となって、この悲しみの大地に処女を貫け!ゴゴゴゴゴゴッ!」

同じく33歳処女ネタ。

なぜこの人にはこんな神がかり的な出来事が舞い降りるんでしょうか?

「人の宮殿を笑うなっ!」

34歳で新たな挑戦をして、またとんでもないことになっています。

「魂のよもぎ蒸し!」

そして、最新作。

クリスマスネタと誕生日ネタが重ね合わされていると同時に、

看護師失敗談と処女 (=ファーストキス) ネタも重ね合わされているという、

はいね氏の集大成と言っても過言ではないでしょう。

「オッケー、キリスト。ところで、あたしの誕生日の話も聞いとく?」

ああ、面白かった。

この辛く苦しい1年を吹き飛ばせるぐらい笑っていただけたでしょうか?

来年こそは、はいね氏にもすべての日本人にもよい年が訪れることを期待したいと思います。

肩が冷える

2015-12-30 17:44:36 | 生老病死の倫理学
福島の冬って21年前からずっと変わらず寒いはずですが、

今年になって寒さの感じ方が急に変わってきました。

肩が冷えるんです。

昼間起きているときもそうですが、とりわけ夜寝るときに肩が寒いんです。

今年初めて五十肩になって、健康診断のお医者さんや接骨院の先生などに、

肩を冷やさないように注意してくださいと言われて、それを気をつけるようになったんですが、

それまでは夜寝てるときも特に肩の冷えを気にかけたことはありませんでした。

片腕を布団の外に出して肩も冷やしながら就寝するなんていうことはごく当たり前にやっていました。

そのために五十肩になってしまったのかもしれませんが、

そうなる以前はそのポーズによって肩が冷えるとか肩が寒いなどと感じたことはありませんでした。

むしろ涼しくて気持ちいいなあくらいに思っていたと思います。

ところがこの冬は肩が寒いんです。

インフルエンザのときみたいにゾクゾクするとまでは言いませんが、

さすって温めてあげないとヤバイと感じるぐらいに冷えているんです。

これは老化現象のひとつなんでしょうか?

それとも福島の冬が今年になってパワーアップしているのでしょうか?

皆さんのなかで今年から急に肩が冷えるように感じている方はいらっしゃいますか?

そして、この症状にはどう対処したらいいのでしょうか?

例えば、新幹線に乗ると座席に通信販売のカタログがあって、

冬季期間には毎年こういう感じの商品が掲げられています。



例年だったら 「こんなもの買う人いるの?」 と冷笑しながら見ていたものですが、

今、本気でこれ買おうかどうか迷っています。

というか、半分以上買うほうに心が傾いています。

これ購入したことある方、効果のほどご教示お願い申し上げます。

これ以外に何かいい対処法をご存知の方もぜひ教えてください

あれ?

これ2個組なんだあ。

こんな物が2個もあってもなあ。

どうしようかなあ?

看護学校「哲学」レポート・「人間とは何か?」「哲学とは何か?」

2015-12-29 17:53:19 | 哲学・倫理学ファック
たしか去年の年末も年賀状のあと白河と郡山の看護学校のレポートや試験の採点をしていました。

本来なら2ヶ月くらい前にレポートや答案を届けられているのですから、

とっくの昔に採点も終わっていなければならないはずなのですが、

やはり学期中は毎日の授業に追われてなかなか採点まで手が回りません。

そんなわけで今年もまったく同じことをしているわけです。

というか、前期の相馬の看護学校のレポートの採点だって、

実はついこのあいだやっと終わらせたばかりなのです。

みんな力作を書いてきてくれるので、ついつい読むのと採点するのに手間取ってしまうのです。

今日は相馬の看護学校の 「哲学」 のレポートの中から、3人の力作をご紹介しましょう。

レポートの課題は、「哲学」 の授業で学んできたことの中で、

自分の考えが最も深まったと思えるテーマを1つ以上挙げ、

1.それについて当初どんな 「思い」 や 「感じ」 を懐いていたのか、

2.授業の中でどんなことを学んだのか、

3.それによってどのような 「考え」 へと深まったのか、詳しく述べてください。

さらに、4.今後の自分の人生にどう関わるかといった観点から書き足してもかまいません。

というものです。

たいていみんな1つのテーマだけでは規定字数を満たすことができないので、

3つから6つくらいのテーマを選んで書いてきてくれます。

今回はその中でも、「人間とは何か?」 と 「哲学とは何か?」

というテーマで書いてくれたものをピックアップしてみました。


Aさん
 哲学の授業では、哲学とは何か?人間とは何か?というような基礎的なことから医療者として考える死生観について深く考え学ぶことが出来た。今回特に印象的で、授業を聞いて私の考えが変わったことは、人間の生きる意味と人間はなぜ他人を思うことが出来るのかである。授業を聞く前は、病気の人を看病し、病気を治そうとすることに何の疑問も抱いていなかった。それは人間の本能であるとすら思っていた。しかし、授業で人間の発達について考えると弱者を守ろうとするのは他の生物ではない概念であると知った。そもそも、人間とはこの地球上で一番発達している生き物であると思っていたが、別の見方では本能の壊れた生き物であるという見方もあり優れている部分だけではないと知ることができた。
 小野原先生の考える人間の特徴で、昔、人類は樹上生活者である猿人類で、狩りを行うために言葉や道具を発達させるうちに脳が発達しさらに高度な言葉(理性)や道具を発達させた。また、狩りを行うスタイルから農耕・牧畜技術を身に付け、貯蓄や保存を行うことで狩りを行わなくても安定した食を保つことができ、時間に余裕を持つことが出来た人間は高度な文明・文化を築いたとある。この発達から、身を守る生存本能や種の繁栄のための性本能など自然界で生きるために必要な本能を失い、人間は生き延びるためにさらに文明・文化を築いた。また、脳の発達に伴い脳が大きくなったことで母親の体内に長くいることが出来なくなり、赤ちゃんは一人では何も出ないうちに生まれてくる。自然界であったら真っ先に標的となり餌食となるが文化によって守られている。このことから、人の生きる意味は、種の生殖繁栄だけでは伝えられない、非遺伝的な適応能力を次の世代に文化を伝えることではないかと考えられ、そのために学習が必要になると授業を通して学ぶことが出来た。
 この授業を受けてからは、人間の一番の特徴は、言葉や理性を持っていることだけではなく文化を発展させたことにあると思った。元々は生きるために狩りをして食料を得るために発達させた知能がいつしか生存本能を壊していたのはとても不思議に思った。発達した本能で、人間には目に見えないものまで認識できるようになった。例えば、お腹一杯のライオンは目の前にシマウマが通っても明日生きるための狩りを行わない。しかし、人間は「未来」という存在を認識しているために明日生き続けるために備えるということをする。アリやリスといった生き物も冬を越すために貯蓄をしたりするものもあるが人間ほど長けている生き物はいないのではないかと思う。いつでも美味しい物が食べられる文化は、先人達が築き上げた文化の上に成り立っているのだと思うと、発達させた文明・文化を引き継ぎ、次の世代へと繋ぐことが人間の生きる意味の一つであると感じた。
 また、人間のもう一つの特徴として、弱者の世話をすることがある。冒頭で言った私の考えが大きく変わったのはこのことで、人間はなぜ他人を思うことが出来るのか、他人のために個人を犠牲にすることが出来るのか疑問に思っていた。人間の特徴の授業を通じて、他の人たちも人は理性や感情を持っていることが他の生物と違っている部分と思っていた。このことは脳の発達によって本能が壊れ、無くした本能を補うために文化ができたことによって、他の人間を守ることはイコール文化を守ることになることに繋がるのではないかと私は考える。だから、人間は他人を思い・守ることが出来るのだと思った。本能で身を守ることができなくなった人間はひとりで生きることが出来ない、そのために他の誰かと繋がって生きているのではないかと私は考える。また、人間の特徴についての授業の際に「ありがたい話」も聞いて他の誰かの存在の大きさに気付いた。転んだら誰かが手を差し伸べてくれる、消しゴムを落としたら拾ってくれるなどの当たり前と思ってしまうような行動も自然界の決まりではない。自分が生きていることすら当たり前ではない、従って他人のために何かすることは当たり前ではない、本当は他人が自分に何かをしてくれることは有り得る
ことが難しい、だから「ありがとう」は「有り難う」なのだと知ることが出来た。誰かのために何か出来ることは本当に素晴らしいことなのだと気付くことができた。
 これまで、人間の生きる意味について考えたことはなかったが、今回の授業を通して考えることができた。私が考える人間の生きる意味とは、発達させた文明・文化を引き継ぎ、次の世代へと繋ぐことが人間の生きる意味の一つであると感じた。人間の生きる意味は、大昔に森を出た時から人間の生きる意味は無限大の可能性を持つようになり、その意味は人によって違っていて日々、変わっていくのだと思った。今回の授業を通して学んだことは、今後の人生において、自分の存在価値や違うライフステージに立った時により良い道を選択するための手段になるのではないかと思う。私は勉強はあまり好きではないが、人間が作り上げてきたこの高度な文化の中で生きるために学習は必要なことなのだと思う。今の私がここに居て、好きなことをして楽しむ生活は自由で素敵ですが、その生活を送るためにはその分の努力やリスクが必要となるのだと思った。そのために、私たちには学ぶことが必要なのだと思ったら、少しは勉強も自分の人生を彩るスパイスのようなものなのだと思うことが出来た。「看護」という文化を学び、次の世代へと繋ぐことは看護師を目指すものとしての使命でもあると思うので、一生学びながら自分も違う誰かにこの経験や知識、心を繋いでいける看護師を目指したいと思う。また、「ありがたい話」で気付いたように、誰かの支援を受けて、自分は助けられているという感謝の気持ちを忘れず、「ありがとう」をきちんと伝えられる人間になりたいと思う。


Bさん
テーマ:①人間とは
 私が19歳のころ、すごく悩みが多かった時期がありました。人間って何だろう。なんでこんなに面倒くさいのだろう。何もかもが嫌でした。小学校からよく先生に言われていた、「みんなちがってみんないい」この考え方は何となくそうなのだろう、そう思わなきゃいけないのだろう、と思いながらも人の考えを受け入れることができなかったことも多くありました。
 授業の中で、小野原先生の「人間とは」の話を聞いてから、人間は様々な工夫の中から今の人間になって、「本能の壊れた動物である」の説には衝撃を受けました。生きていくことが本能だとすれば、生きる意味を考えて死を意識したりするのは本能が壊れているというのが興味深く、本能を忘れてしまった、不器用な人間を愛しく思いました。また、人間が作り出したものはすべて非遺伝的適応能力で自然によって決定されていない、自由であることは無限の可能性があるというように考えられる、ということも学びました。
 私は、自分が悩んでいた時のことを振り返って、とても人間らしい行動をしていたのだと思いました。最近は、人間とは何かを考えることも少なかったのですが、行き詰まって悩んだときには、この人間らしさを思い出して悩んでいる自分のことも好きになれそうな気がしました。また、今回学んだ「人間とは」の考え方は、私にとって人とかかわるときに必要な視点になると思います。まず、自分の知っている常識が世間一般の過半数が知っているものだとしても、必ずしも、その人の知っている常識とは同じではないのかもしれないと疑問に思うことができるからです。その方の学習してきたこと、伝達されてきたことは私と同じはずはないし、本能で獲得するものでないのなら、全く同じということのほうが難しいのではないかと思ったからです。小学校の先生の「みんな違ってみんないい」の言葉が今になってようやく、意味がわかった気がします。
 私は、これから看護師という職業に就こうとしています。そこでは異なる生育環境の様々な文化を獲得してきた人たちと出会います。今回学んだ視点を生かして、先入観なく対象となる方を見ていけたら、その人の言葉の意味や、感情をより理解していけるのではないかと思いました。
 このテーマの中では私自身が母親という社会的役割を持っているため、母性本能についての話は特に興味深く感じました。「母性本能」とはよく聞く言葉で、母親になれば自然と芽生えるものだと思っていました。子どもは言葉では表せないほどに可愛く、愛しいという気持ちもあります。しかし、母親なのに、意見の対立やタイミングのズレで、瞬間的に子を憎く思うこともあります。自分が子どもを怒ってしまい、祖母のもとへ駆け寄って慰められていたり、「ママと保育園に行かない」といわれると、自分は母親失格ではないか、母性本能が芽生えなかったのではないかと自信を無くしてしまうときもありましたが、講義を受けてから、悩んだり迷ったりしながら、子どもに教えられながら、自分の中の母性観を育み、母親として成長していけばいいのだと思うようになりました。
 3年次の母性看護学の実習では、私が受け持った患者さんは、家庭背景に複雑な事情があり、精神的な疾患も持っていました。産後も赤ちゃんよりも自分のことを考える傾向にあるとのことで育児放棄を不安視されていました。もちろん世の中にはそのような悲しいニュースも聞きます。子を持つ母親の立場としては、あってはならないことだと考えています。しかし、本能が芽生えなかったことが原因ではなく、母性本能という文化の環境に触れる機会が少なかったというだけで、生育歴や範囲の環境も大きく影響していると考えました。だからこそ、これからの可能性は無限であると考えました。看護師は患者にとって健康や正常な経過の知識・技術を伝え習得していくための重要な環境因子であるという意識を持って接することで問題点を把握しながらも、患者さんの母性観を育むチャンスを大切にする関わりができると考えました。実習で関わる5日間の中で私にできることは限られていましたが、コミュニケーションの中でその方の促進因子に注目した声かけや、指導の実施を行うことができました。
 このテーマの全体を通して感じたことは、文化は自由で無限なものだからこそ文化を正しく理解することが大切だと思いました。正しく理解し、次の世代につなげていくことが人を傷つけることのない思いやりにつながっていくのだと思います。そして、自分なりにたくさん考え獲得した知識を、自分の子供にも時間をかけてしっかり伝えていかなくてはいけないと思いました。看護師としては、自分が患者さんにとっての環境の一部であるとう意識と責任感を持ちかかわっていくことを大切にしたいと思いました。


Cさん
テーマ:「哲学とは/看護と哲学」
1.看護学校で「哲学」の授業があることを何となく知っていて、哲学と看護の結びつきがあり、哲学が看護にどんな意味をもつのかわからなかった。スーツを着たおじいちゃん先生がお堅い授業をするイメージをずっと持っていた。哲学は学んだことがなかったので、多少興味はあったが、授業中絶対眠くなるだろうと覚悟はしていた。
2.「哲学」とは何かという問に対し、『哲学とは根本的に考えること』であることを学んだ。物事が成り立っている根本、土台、前提に対して疑問をぶつける、疑うこと(=発想の転換)だとわかった。あたり前と思っていることに対して、本当にそうなのかと疑い、考えていく学問であることがわかった。また、哲学の授業を受けて、看護師こそが哲学者であるということに衝撃を受けた。ソクラテスは「哲学とは魂の世話をすることである」と言っている。医者は身体の世話、哲学者は魂の世話、そしてその両方の世話をするのが看護師であることを学んだ。
3.4.若い小野原先生が講義してくださり、イメージしていた堅苦しい授業ではなかったので、「哲学」への興味が湧いた。「哲学とは何か」の問いに対し根本的に考えること、すなわち発想の転換であることを学び、物事を少し柔軟に考えられるようになった。当たり前と思っていること自体が当たり前じゃなく、広い視野で物事を捉えるようになった。看護においても、病院が昔から今まで変わらず続けていることやこれにはこうであることに対し、ほんとうにこのままでいいのか、このケアでいいのかと常に考える必要があると考える。ケアを提供する私たちのためである以前に患者さんがより良くケアを受けられることが一番である。病院実習に行くと、ナースコールの呼び出しを受けるのは必ず新人看護師である。おそらく、新人が受けることが風潮で、それこそ当たり前になっている。新人は多くを経験し、学んでいかなければならない。風潮はなかなか変えることは新人の力では難しいかもしれないが、おかしい、なぜだろうという気持ちは持ち続けたい。看護をしていく上で、これでいいのかという視点をもって看護していくことは大切だと思う。また、患者の思いの表出を助けることも看護にとって重要である。患者さんが伝えたいことには看護のヒントが隠されているかもしれない。その人にとって「何をすべきか」を考えること、常に考えることは新しい発想の始まりである。日常のささいなことから発想の転換をして考えてみる。思いがけないひらめきが出てくるかもしれない。また考えを変えれば、イライラせずに楽になるかもしれない。辛いことを少しでもプラスに考えられるようになることも哲学で学んだことである。私自身、「~すべき」人間である。本当にそうかと哲学的思考で自分自身に問うことで、もう少し人生が楽に楽しくなると考える。哲学では考えることは楽しいことだと学び、他の人の意見を聴くことの大切さも学んだ。自分の思いを人に伝えること他の人の思いや考えを聴くことはコミュニケーションで重要になる。相手がどう考え、どう思っているかを聴くことは、より一層物事を根本的に考えられるようになる。私が思っている当たり前が、他の人にとって当たり前じゃないこと、様々な意見があること、人それぞれの価値観や個性があること、これらすべて看護につながると考える。


以上、3名のレポートからの抜粋でした。

いかがだったでしょうか。

どれも力作揃いですね。

私の授業でいろいろと自分に重ね合わせて考えてくれたんだなと嬉しくなります。

さて、こうしてまた逃避している場合ではない。

白河と郡山のレポート採点に取りかからねば!

お正月ディスプレイと岸井さんの一輪挿し

2015-12-28 10:21:44 | グローバル・エシックス
とうとうクリスマスも終わってしまいました。

来年までクリスマスソングを聞けないと思うと残念でしかたありません。

と思っているあいだに誕生日も来てしまいました。

54歳です。

四捨五入して50歳でいられるのもあと1年だけ。

来年誕生日を迎えると四捨五入して60代の仲間入りです。

いや別に四捨五入しなくていいんですけど。

(10の位で四捨五入すればとっくの昔に100歳でしょ、とか言わないの。)

さて、先日1年ぶりにディスプレイ変更したばかりでしたが、

クリスマスも終わったことでお正月ディスプレイに変更しました。



今回はまだお正月を迎えていませんので、なんちゃってお正月ディスプレイではなく、

本格的なものを目指しました。

とはいえ一昨年とは趣向を変えたいので、お重は用いず焼き物をいくつか配してみました。

その中で今年一番フィーチャーしたかったのはこれ。



招き猫でもなく、ペアの起き上がり小法師でもありません。

こちらの一輪挿し。



焼き物としての価値がいかばかりか私にはわかりかねるのですが、

これは伯母からの戴き物です。

そして伯母はこれをあの岸井成格 (きしいしげただ) さんから戴いたそうなのです。

そうです。

『ニュース23』 のコメンテーターを務めていて、

「安保法案は憲法違反であり、‟メディアとしても”廃案に向けて声をずっと上げ続けるべき」 という

きわめて常識的なコメントを発したことに対し、産経新聞の一面にそれを糾弾する意見広告を出され、

同番組を降板させられることになった、あの岸井成格さんです。

(リンクを張っておいたウィキペディアの記述は政治的公平性を欠いていますのでご注意ください。)

以前にまさおさまの黒歴史について書いたことがありますが、

あの伯母は石井事務所を辞めたあと、銀座でクラブを開業し、

そこに石井事務所時代の知り合いがたくさん来てくださっていたのですが、

その頃からの知り合いだったのか、その後、誰かの紹介で来てくださったのか、

当時毎日新聞社に勤めていた岸井さんは伯母の店のお得意様だったそうです。

一時期その店でバイトしていた私の母は、その後やはり銀座で小料理屋を開店しましたが、

そこにも岸井さんは来てくださっていたのではないでしょうか。

ぼくもどちらだったか両方だったか、何度か岸井さんにお会いしたことがあります。

その後、伯母の店も母の店もつぶれてしまい、

岸井さんとお会いすることもなくなってだいぶ経ってから、

ある日急に岸井さんがテレビに出ていてびっくりしたものでした。

そんな付き合いのなかで伯母がいつこの一輪挿しを岸井さんにもらったのか知りませんが、

岸井さんからの戴き物であることは裏側を見るとはっきりわかります。



「岸井寿郎」 と彫ってありますね。

岸井寿郎というのは岸井さんのお父様で、国会議員を務めたこともある方なのです。

とはいえ戦前のことのようですので、さすがに伯母も直接の面識はなかったのではないでしょうか。

この文字の反対側にはさらに何か彫ってありますが、



これが何と彫ってあるのか、それが誰の名前なのかはわかりません。

とにかく、これはそういう縁のある品なのでした。

民主主義の危機、報道の危機の年の年始を飾るにふさわしい品ではないでしょうか。

新しい1年がこれ以上ひどいことにならないよう祈るばかりです。

1年前にてつカフェポスター完成っ!

2015-12-27 09:38:10 | 哲学・倫理学ファック
2016年1発目のてつカフェのポスターが、なんともう完成しましたっ

すでに学内や次回会場である 「イヴのもり」 には貼り出されていますっ!

それがこちら。



まだ2015年だぜ。

2016年なんて1年後だぜ。

なんか仕事早くね

別人みたいじゃね

いまだかつて翌年のポスターが前年のうちに出来上がっていたことがあっただろうか?

いや、ないっ!

なんて自画絶賛していますが、まあたんに日程的な問題なんです。

例年、3月の特別編が 〈3.11〉 絡まりってことで3月11日近辺に開催されるのですが、

今年は関係者各位の都合により3月6日 (日) にホテル辰巳屋で開催されることに決まりました。

ふだんのてつカフェは月の半ば以降、第3か第4週末あたりに開催されていますが、

特別編が第1か第2に開催されるもので (来年は第1日曜!)、それに合わせるために、

新年最初のてつカフェあたりから少しずつ日程を前倒ししていかなくてはならないのです。

で、来年の場合は暦の問題もあって、第1週末が三が日、第3週末がセンター試験となると、

第2週末しか選択肢がないじゃないですか。

というわけで1月9日 (土) に第34回てつがくカフェ@ふくしまが開催されることになったのですが、

1月4日 (月) の仕事始めにポスター作ってそれから貼り出してたんじゃ、

マーケティングとしては完全に負けです。

ということに冬休み突入直前に辛うじて気が付いて大慌てで作成してみたのでした。

ですから今回も相当な手抜きで、【現場/当事者から考えるシリーズ】 の第1弾だった、

第32回てつカフェのポスターを使い回しています。

とはいえ、今回は事例を提供してくださる (株)ささき牛乳の佐々木光洋さんの画像を探したところ、

(株)ささき牛乳の公式ウェブサイトやその他ウェブ上にカッコいい写真を見つけることができたので、

なかなかオシャレな仕上がりになったのではないかと若干ほくそ笑んではいます。

ということで新年1発目のてつカフェは年明け間もなくです。

皆さまお忘れなきよう、新しい手帳に日程を書き込んでおいてください

卒業生よ、お前もか

2015-12-25 17:23:54 | お仕事のオキテ
イベント告知だけしてその後ブログで報告するのを忘れていましたが、

「知事と若者の“ふくしま・まちづくり”意見交換フォーラム」 に行ってきました。

「川内村若者ふるさと再生検討会」 でお世話になった、

福島県保健福祉部こども・青少年政策課の方からのお誘いでしたので、

顔だけでも出しておこうと思ったのです。

第1部は (株)いろどり 代表取締役・横石知二氏の講演でした。

徳島県の過疎・高齢化に悩む町を葉っぱビジネスで再生させた方だそうで、

「まちを変えるヒント」 というタイトルでとても手慣れた感じで魅力的な話をしてくださいました。

第2部は 「知事と若者による意見交換フォーラム」 で、

まずは浜通りグループ、中通りグループ、会津グループのそれぞれの代表者から、

若者の 「まちづくり企画」 で策定されたアイディアが発表されます。

おそらくこれは私たちが 「川内村若者ふるさと再生検討会」 でやったのと同じことでしょう。

地域の青年男女を集めて町を活性化させるための企画を立ててもらったようです。

川内村のときは村内で話し合って、成案を村長に提出しておしまいでしたが、

今回は3つのグループに分かれて話し合い、最後にそれを知事の前で発表するという、

大がかりなイベントになっていました。

しかも司会はフリーアナウンサーの堀尾正明氏だし、



お笑いコンビ母心のおふたりはこの日のイベントだけでなく、

話し合いの場にもオブザーバー参加していたそうです。



どれだけお金かけているんだ、福島県保健福祉部こども・青少年政策課はっ

と思いながら各グループの発表を聞いていたんですが、

中通りグループの発表者のお名前が何だか聞いたことあるような名前です。

まさおさまゼミの卒業生と同姓同名なんです。

もともと座っていた席からはステージが遠すぎて顔がよく見えなかったので、

席を移動して写真を撮ってみました。



そこからでも確認できず、ズームで限界まで拡大した写真を見てみても確信はもてませんでした。

グループ発表は終わり、知事やゲストの横石氏、母心のおふたりを囲んでのフォーラムになりました。



貼り出された漢字の氏名を見てやっと確信できました。



やはりうちのゼミの卒業生でした。

小説 『図書館戦争』 を私に教えてくれて、「図書館員の倫理」 という卒論を書いた山口茜さんです。

山口さんは2012年度の卒業生です。

いやあ、まさかこんなところで会えるとは。

知事や横石さんともしっかりやりとりしていました。



会が終了したあと会いに行ってみたら、壇上から私の姿が見えていたらしく、

彼女も 「なんで先生がこんなところに」 と驚いていたそうです。

私が川内村の検討会に参加したのは2013年で、彼女が卒業したあとのことです。

あの小野原先生がこの手の地域のイベントに参加したりするなんて想像もしていなかったそうです。

たしかに彼女が在学していた頃は、

私だって自分がこういうことに関わるようになるとは微塵も思っていませんでした。

そんなこと言ったら彼女だってそうです。

『図書館戦争』 を読んで図書館倫理で卒論を書いたけれど図書館司書を目指したわけでもなく、

早々に一般就職を決め、同期4人のなかでも最も地域の活動とかから遠そうだった彼女が、

まさかまちづくりイベントの話し合いに参加して、

あまつさえそのグループ代表として発表者まで買って出ようとは、

卒論指導教員の私から見ても意外としか言いようがなく、

名前を聞いても顔を遠目に見てもマイク越しに声を聞いてもなかなか信じられなかったのでした。

彼女も勤めている会社がこういうことに熱心で、県から会社にお声がかかり、

若手社員のなかから彼女が抜擢されてこのイベントに狩り出されたのだそうです。

ホント、「卒業生よ、お前もか」 という感じですが、

ひいき目に見て3人の発表者のなかで一番しっかりしたプレゼンテーションをしてくれていたので、

特に私の手柄でも何でもないんですが、ちょっと鼻高々でした。

Facebook とブログに写真付きでアップすることの許可をもらった上で、

お互いに慣れないことしちゃってるけど頑張ろうね、と笑い合いながら別れたのでした。

という、思いもかけない再会のご報告でした。

福島大学管弦楽団第44回定期演奏会

2015-12-24 22:29:57 | 人間文化論
長らく頑張ってきた 「文化創造論」 ですが、

スポーツ・芸術創造専攻の2年生の必修科目として開講されていたのは去年までで、

昨年入学した今年の2年生からはもう必修科目ではなくなりました。

というか専攻共通科目という枠組み自体がなくなったので、

「文化創造論」 も晴れてお役御免となったわけです。

ただし、旧カリキュラムの学生たちで2年生のときに単位を取らなかった人がまだ残っていますので、

そういう人たちのために今年度までは開講することになっていました。

で、どうせ開講するなら新カリキュラムの人たちにも選択科目として受講可能なようにしておきました。

まあ、必修でもないのにわざわざ取りに来る酔狂な人はいないだろうと思っていましたが…。

旧カリの学生で未受講な学生はほんのわずかであり、今年は何人で授業をやることになるのか、

あまりに少ない場合にはやり方を考えなければいけないなあと悩んでいたところ、

旧カリの学生で受けに来たのはたった1人でしたが (他の未受講者は卒業する気はないのかっ?)、

なんと新カリで受けに来てくれた酔狂な人が20人もいて、

授業自体は何とかこれまでどおりの計画に基づいて進めることができております。

ただし、旧カリの1人は声楽の学生ですが、

新カリの人たちはほぼ全員スポーツの学生ばかりで (1人だけ他専攻の学生)、

音楽と美術の学生は旧カリの1名を除いてまったくいないのです。

この授業は音楽と美術とスポーツを融合させて新しい文化を創造することを目標にしていますので、

今後どのように授業を運営していったらいいか悩ましいところです。

前置きが長くなってしまいましたが、というわけでいつもだったら受講生から連絡を受け、

それに基づいてブログ上で告知をするという流れになっていたわけですが、

今回は誰からの情報提供も受けていませんが、大事な情報ですので共有しておきます。

うちのオケのコンサートがあります。



福島大学管弦楽団第44回定期演奏会
日 時 : 2015年12月27日(日)  開場13:30/開演14:00
場 所 : 福島市音楽堂大ホール

入場料 : 300円 (小学生以下無料)
指 揮 : 野口芳久
曲 目 : チャイコフスキー バレエ組曲「くるみ割り人形」 シベリウス 交響曲第2番

<プレイガイド> 中合福島店2番館4階 中合友の会 024-521-5151
          福島大学生協サービスカウンター 024-548-5141
<お問い合わせ先> 実行委員長三浦彩水 (080-6059-3223)


クラシックミュージックが好きな方もそうでない方も、

とりあえず新しい文化に触れてみたいと思っている方もそうでない方も、

今度の週末は音楽堂大ホールに集合ですっ!

アボカド・クリスマスツリー

2015-12-23 09:55:40 | 人間文化論
我が家の階段箪笥をクリスマス・ディスプレイに替えたことはすでにご報告しましたが、

先日東京に行ってきたとき、東京の家もクリスマス飾りが施されていました。

東京の家は我が家のような一点豪華主義ではなく、

ちょっとした小物を家中のあちこちにちょこんと置いておくという方針で飾り付けられています。

リビングのキャビネットの上にはこんなサンタクロース。



我が家のようないかにもサンタクロースというようなサンタさんではなく、

テディベアを小脇に抱えた、何だか雰囲気のあるサンタさんです。

同じキャビネットの反対側の端には、こちらもいかにもクリスマスツリーという感じのしないツリー。



これはフェルト製です。

そこに、壊してしまった別のちっちゃなツリーに付いていた飾りを、

安全ピンでむりやり取り付けたのだそうです。

若干大きさがちぐはぐなのはそのせいです。

トイレには別のフェルト製のツリーが。



トナカイもフェルト製です。

ここはトイレタンクの上です。

普通今どきの家庭用トイレタンクというのは上部が手洗い場所になっていますので、



そこにこうして物を飾ったりはできないはずですが、

こちらはトイレの中に小さな手洗い場が付いているという豪勢なつくりなので、

こんなところもディスプレイ場所として活用できるわけです。

その小さな手洗い場の脇にはこんなものも飾られています。



これはもともとクリスマス用の品ではなく、

お義母さんの好きなゾウの置物コレクションのひとつだったのだろうと思われます。

(実用可能なタワシというわけではないと思いたい。)

それに小さな赤い帽子をかぶせてあげるとクリスマス飾りに大変身です。

とまあこんな感じであちこちに小さいグッズがちりばめられているわけです。

そんななかでひときわ異彩を放っていたのは、フェルト製ではないクリスマスツリーでした。

こちらです。



本物の木にクリスマスデコレーションが施されています。

とはいってもまったくクリスマスツリー然としていないツリーです。

これはアボカドの木です。

お義母さんが食べ終わったアボカドの種を試しに鉢に植えてみたら、

こんなに立派に成長したんだそうです。

前に見たときよりもさらに背が高くなったように見えます。

まだアボカドは生らないそうですが、この調子でいくと収穫も夢ではないかもしれません。

それをクリスマスツリーにしてしまったんですね。

とはいえアボカドの木は枝が細いのでクスリマス飾りに耐えられるようにはなっていません。

そこでよく見るとこんな補強がしてありました。



テグスというんでしょうか、細い糸で枝と枝が結ばれていました。

あまりクリスマスツリーっぽくはないですが、この家らしいオシャレなツリーでした。

我が家とは趣を異にする、お義母さんのセンスあふれるクリスマス・ディスプレイでした。

「うちの3姉妹」 LINEスタンプ!

2015-12-22 19:46:23 | 人間文化論
松本ぷりっつのブログ 「うちの3姉妹」 (現在は 「おっぺけですけどいいでそべつに」) から、

先月より 「うちの3姉妹LINEスタンプ」 が発売になりました。

これが可愛いので、120円かかるのですがさっそくゲットしてしまいました。

上記リンク先でその一部を見ることができますが、全40種類が用意されていてお買い得です。

すでに使いまくっていて、「うちの3姉妹」 をご存知の方には大変好評を博しております。

せっかくですので40種類のスタンプを全部ご紹介してしまいましょう。

ただ 「うちの3姉妹」 を知らない方にはパッと見何のことかわからないものもあると思われますので、

それに関しては、該当の元記事をリンクしておきました。

自分、どれだけファンなんだろう?

そしてどれだけヒマ人なんだろう?

(ヒマではありません ただの逃避行動です



たっとぅーん

あねとーね!

OKだわよ

めんね?

あい!!

ばめ!!

ぺこり

ばっばーい

いいでそべつに

んねしゃしゃす!

びしっ

たいて~ぷ?

なお、元記事の絵とスタンプの絵が違っている場合がありますが、

たぶんスタンプのために描き下ろしたものも多いのだと思われます。



ぎゃーす。

ぐるるるるる

てへ☆

たいへんたいへんおおだいへん

どうしましょうかしら…

おーみーごーとー!

あはははは☆

いいことおもちついた!

だめなの?



はーくおいれ!

てれれてってってん!!



じゃんばい じゃんばい

ごはんぱれたい

はむはむはむ

いそいでくれぜ!

しぱしぱ しぱしぱしぱ





ねむい



最後の8つは使い方が一目瞭然なのでもうリンク張ってません (というか元ネタ探すのに疲れた)。

ほーほほほほ

グッ

くすん

プッ





はー

コラーッ

以上、40個のスタンプでございました。

どうです?

欲しくなっちゃったでしょう?

そんな人は今すぐこちらへGO!

「うちの3姉妹」 LINEスタンプ普及のために一肌脱いでしまいました。

ぷりっつ先生、これで売り上げ伸びたらキックバックよろしくんねしゃしゃす!


P.S.

そういえば久しぶりに 「おっぺけですけどいいでそべつに」 の最新記事を読んだのですが、

フーちゃんの破壊力はあいかわらずで爆笑してしまいました (「両方干して」)。

3姉妹の長女のフーちゃん、もう高校1年生のはずなんですが…。

島田雅彦 『虚人の星』

2015-12-21 17:28:17 | グローバル・エシックス
一昨日は 「〈憲法9条〉 を哲学する」 でてつカフェでした。

世相を反映してか珍しく生真面目な対話が交わされました。

それに向けての予習というわけではなかったのですが、

島田雅彦の最新作 『虚人の星』 を読んできました。



実は私、島田雅彦氏とは東京外国語大学ロシヤ語学科で同級生でした。

私たちが在学中に氏は 『優しいサヨクのための嬉遊曲』 で作家デビューしました。

その初期の頃の作品はよく読んでいましたが、

大学院に進学してから哲学書を読みまくらなければならなくなって、

いつの間にか島田作品からは離れてしまっていました。

ところが最近、ネットを通じてミョーにたくさん島田雅彦の名前を見かけるようになりました。

「作家・小説家の島田雅彦氏、安倍晋三総理大臣を 「歴史上最悪の首相」 と発言」

「なぜ日本の政治はこれほど 「劣化」 したのか? 幼稚な権力欲を隠さぬ与党とセコい野党 特別対談 島田雅彦×白井聡」

なんといっても 「優しいサヨク」 なわけですから、

私と政治的立場は近いだろうなあとは思っていましたが、

ここまで私の考えていることをそのまま代弁してくれているとは知りませんでした。

そして、この2つ目の記事の冒頭で氏の最新作のことが簡潔に紹介されていました。

「島田雅彦氏の話題の新作 『虚人の星』 は、
 「血筋だけが取り柄」 の首相と七つの人格をもつスパイの物語だ。
 この首相はかぎりなく 「あの人」 を思わせる。」

ね? たったこれだけ読んだだけでもなんだか面白そうじゃないですか。

これは今この時期にこそ読むべき小説ではないでしょうか。

小説は文庫本で読むのが好きでできれば文庫化されるまで待ちたい私でしたが、

こればかりは時機を逸してはいけないのでさっそく単行本で手に入れました。

タイトルの 『虚人の星』 がすでにパロディ的ですが、

登場人物の氏名や各節のタイトルなどもパロディ満載です。

登場人物のほうでいくとまず主人公は星新一ですし、その恩師は宗猛でもうそのままです。

日本側の政治家は松平、上杉、北条、織田などなど。

アメリカの政治家はハンチントンメニエルアルツハイマーで、これはもう遊びすぎ?

節のタイトルはこんな感じです。

「レインボーマン」、「心の内のドラえもん」、「みなしごハッチ」、「のび太の無意識」 等々。

これらはいずれも私たちの世代にはたまらないアナロジーですが、

それぞれひじょうに深い意味が込められているのです。

本のタイトルにある 「虚人」 という言葉は多重人格者を表しています。

スパイと首相、2人の主人公が多重人格者であることを意味すると同時に、

日本という国そのものが多重人格的であることを意味しています。

日本国憲法第9条を持ちながら、同時に世界有数の軍隊である自衛隊をも擁する国、日本。

この小説は、上記のような笑えるわかりやすいアナロジーを多用しながらも、

現代日本を取り巻く表と裏の複雑な政治情勢を意外なほどリアリスティックに描きつつ、

改憲すべきか、せざるべきか、というギリギリの選択に向けて突っ走っていきます。

先ほどの紹介文のなかで 「この首相はかぎりなく 「あの人」 を思わせる」 と書かれていましたが、

それは父も祖父も首相経験者であるという設定部分だけの話であって、

二面性をもったどちらの人格にしても、

「あの人」 よりもはるかに理知的で現実主義的な人物として描かれていました。

そう設定しないことにはまともな小説に仕上がらなかったのでしょう。

最後の結末は 「優しいサヨク」 向きのほんわかした方向性にまとめられていたので、

私の Facebook 友達の皆さんにも受け入れてもらえると思いますが、

この小説の真骨頂はそのラストの演説よりは、

多重人格を生きざるをえない日本という国のリアルを描ききったところにあると思いました。

「あの人」 もアメリカに対してヘラヘラ諂ってばかりいないで、

日本の首相として言うべきことはガツンと言うためのお手本として、

この小説を一度は読んでおいていただきたいものだと思いました。

リーガルって海外メーカーじゃなかったっけ?

2015-12-18 15:37:45 | 人間文化論
冬に向けて新しい靴をゲットしました。

リーガルのショートブーツです。



ボルドー色というのでしょうか、とても素敵な色です。

スリッポンで履きやすいというのもありましたが、決め手はこのソールでした。



まるでスタッドレスタイヤのようです。

そうなんです、これは雪道対応の靴として売られていました。

昨年は雪の積もった金谷川の公園の階段で下まで滑り落ちましたし、

一昨年は朝の学内で、前の何人かが滑ったのを見て用心しながら歩いていたにもかかわらず、

同じ場所で滑って、両足が宙に浮くというマンガのような壮大な転び方をしたことがあるので、

これ以上尾てい骨を打たずにすむようにスノーブーツ的なものがほしいと思っていたのでした。

そうしたらたまたま靴屋さんでリーガルのこれが売っていて目が釘付けになりました。

この靴、名前がすごいんです。



「COROBANSHO」。

えっ? 「転ばんしょ」 ですか?

これは日本語のダジャレ?

リーガルって海外のメーカーじゃなかったですか?

念のためウィキペディアで調べてみたところ、やはりアメリカの会社でした。

ただしリーガルの商標権を獲得したリーガルコーポレーションという日本の会社もあるみたいです。

そこが開発したのでしょうか?

誰がこの名前を付けたんだろう?

うーん、謎だ。

はたしてこれで文字通り雪道でも転ばんでしょうということになるのか、

実際の効能については雪が積もったらまたレポートいたします。

てつカフェだから湯呑み画像にしたのか?

2015-12-15 17:17:22 | グローバル・エシックス
第33回てつがくカフェ@ふくしまのポスターを作成しました。



作成したといってもお気づきの人はお気づきでしょうが、

第30回てつカフェのときのポスターの画像をちょこちょこっと入れ替えて、

データを更新しただけですから、手抜きといえば手抜きです。

ちょっと諸々あって大慌てで作ったので許してください。

このポスターで何が気に入らないって、中央の湯呑みの画像です。

日本国憲法第9条の条文が入っている画像を使おうというのは最初から決めていて、

ヤホーで画像検索し、いくつか候補を選んでありました。

その様々な選択肢のなかからわざわざこの湯呑みの画像を選んだのは、

てつがくカフェだからカフェっぽさを前面に押し出すために、

本来ならコーヒーカップやティーカップの画像があったらいいのだけれど、

さすがに日本国憲法なのでカップの類いに書かれた画像は見つからず、

次善の策として湯呑みに条文が書かれたものがあったからそれをセレクトしたんだろう、

なんていうふうに勝手に思われるのが本当にイヤなのです。

そんな強引にカフェっぽさを演出したかったわけではまったくありません。

もっと素朴に、これが一番カッコいいだろうなと心に決めていたものはあったのです。

それを使って作ってみた第1案がこちらです。



ね、ごくフツーでしょ。

こちらは 「第二章 戦争の放棄」 という小見出しもきちんと書き込まれていますから、

「政治的中立性」 を担保するために一緒に使用した自民党改憲草案の

「第二章 安全保障」 という小見出しとも対比ができてひじょうにいいのではないかと思っていました。

ところがプリントアウトしてみると、条文の文字がボヤけてしまってよく読めないのです。

ヤホー画像検索で見てみたときはとてもクリアに写っているいい写真だと思っていたのですが、

JPEGファイルとして改めて開いてみると意外と小さな写真で、拡大に耐えられなかったようです。

このままではクッキリと読み取れる改憲草案に比べて、

風前の灯の日本国憲法をまるでそのまま象徴しているようで、

これでは 「政治的中立性」 が保障できないと判断して画像差し替えを決断しました。

そういう観点からいくつか持って行っていた選択肢を見直してみると、

あの湯呑みの画像が一番条文がクッキリはっきり写し出されていたのでそれを選択しました。

さらに 「政治的中立性 (笑)」 に配慮して、純ちゃんが告知ブログに書いた文章も載せておきました。

かくして完成したポスターは学内各所と、てつカフェ会場の 「南国ダイニングバーTUKTUK」 と、

いつもてつカフェを開かせていただいている 「イヴのもり」 に張り出させていただきました。

まあ、これを見て来てくださる方がどれくらいいるかは不明ですが、

現在開講中の 「戦争と平和の倫理学」 を取ってくれている学生さんたちは、

授業の内容に (テストの答案にも) 直結するテーマですから、

きっと大挙して押しかけてきてくれるはずです。

今年最後のてつカフェ、大いに楽しみたいと思います。

大いに楽しむといえば、年の瀬ですからてつカフェ後は忘年会になります。

忘年会についての大切なお知らせもありますので、

そちらも忘れずにご覧になってからご参加ください。

この週末は 〈憲法9条〉 で哲学するぞぉっ、おおーっ

平綾さんですか?

2015-12-14 19:08:03 | 性愛の倫理学
以前に米倉涼子の名前が思いだせなくなって柴咲コウと混同してしまうという記事を書きました。

その後、似たようなパターンで綾瀬はるかと新垣結衣を混同してしまうという記事も書きました。

今回は2人がごっちゃになるという現象ではなくて、単独の人の名前が全然出てこなくなりました。

この方です。



よく見かける方ですよね。

たしか俳優ではありませんでしたか?

と言っても出演したドラマや映画のタイトルが思い浮かぶわけではまったくありません。

むしろバラエティ番組でよく見かけるのかな?

もうちょっとセクシーなショットだとこんな感じ。



こちらの写真からするとモデルとかグラビアアイドルなのかもしれません。

ただ名前が出て来ないんです。

いや、もう皆さんおわかりだと思いますが、画像を探してくることができたっていうことは、

今はもう答えは知っているんです。

ただその正解に行きつくためにはものすごく苦労しました。

いつものように誰だっけ、誰だっけと思いながら 「あ」 から順番に考えていきました。

そして 「は行」 まで行ったときに突然頭のなかに 「ひらあや」 という苗字がひらめきました。

漢字にすると 「平綾」 でしょうか?

平綾、平綾、うん、そんな感じの名前だった気がする。

だけど普通苗字が出てくればファーストネームのほうも後からオマケでくっついてきそうなものですが、

下の名前がまったく思い浮かびません。

しばらく平綾、平綾と唱えているうちにようやく平綾真理というフルネームを思いつきました。

それでググってみますがあの写真の方どころか有名人は1人もヒットしません。

漢字が違うかもしれないので平仮名で 「ひらあやまり」 と入力してみたところ、

あれ、なんかおかしいな?と気づきました。

「ひらあやまり」 って 「平謝り」 じゃありませんかっ

お笑いタレントか 『謝罪の王様』 の登場人物でもないかぎり、

女優やグラビアアイドルにそんな芸名付けるわけないですよね。

平綾という苗字に真理という名前の組み合わせはありえないということがはっきりしました。

そこでファーストネームはあきらめて 「平綾」 だけで検索してみました。

そうすると 「平綾」 という苗字の人ではなく 「平野綾」 という声優さんがヒットしました。

お、この人だったかもしれないと画像検索もしてみました。



なるほど。

平野綾さんは声優ばかりでなく幅広くタレント活動をしているらしくとても可愛らしい方ですが、

私が探しているあの方ではありません。

「綾」 の漢字もいけないんでしょうか?

そこで 「平」 と 「あや」 と入力して検索してみました。

するとトップで出てきたのは 「平山あや」 という人でした。

うーん、これかな?

なんか 「ひらやまあや」 って言いにくくて確信が持てません。

でもウィキペディアの記述によるともともとは 「平山綾」 だったものを平仮名に改めたのだそうです。

この人なんでしょうか?

「平山あや」 で画像検索してみます。

すると、おおーっ、ビンゴでしたっ

あなたは 「平山」 さんでしたか。

たいへん失礼いたしました。

あやうく 「平綾真理」 さんだと信じ込んで拡散してしまうところでした。

これでまた宇宙の謎がひとつ解けて本当によかったです。

それにしても名前のわからない物名前の思い出せない物や人のことを、

何とかうまいこと調べる方法ってないもんなんでしょうか。

今年は自宅でジョン・ロック飲み

2015-12-13 19:44:51 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
昨日は1年ぶりにあの卒業生たちが集まってくれました。

ジョン・ロック飲みのメンバーです。

このエプロンをくれた人たちですね。



昨年は年も押し詰まっていてこのエプロンを使うことができなかったので、

今年はみんなを自宅に招いてエプロン姿を披露することにしました。



パーマかけたてで頭がクルクルになってますが…。

自宅に呼んだのはいいのですが、あいかわらずの手際の悪さで、

みんなが到着したときはまだ料理が二品しかできていませんでした。

まずはスパークリングワインで乾杯するための苺です。



これを料理と呼んでいいのかは疑問ですが、何となくクリスマスっぽい雰囲気は醸し出せました。

映画 『プリティ・ウーマン』 でシャンパンとイチゴの組み合わせが世に知られるようになった、

という小ネタを披露しましたが、映画が古すぎて誰も見たことある人がいませんでした。

もう一品は鯛のカルパッチョというか、要するに刺身サラダです。



これらをつまんでいただきながら、私は三品目と四品目の用意を続けていました。

慌ただしく調理に熱中していたので写真を撮るのを忘れてしまいましたが、

三品目は白菜と豚ばら肉のミルフィーユ蒸しでした。

いつもはキャベツで作っている 「いろいろ野菜の重ね蒸し」 という料理を、

今回は鍋の残りが大量にあったので白菜で代替しました。

どうもこの料理は毎回写真を撮り忘れる傾向があるようで、

見た目けっこうインパクトのある料理なのですが、まだこのブログ上でお披露目できていません。

ほぼ同時にできた四品目はチーズフォンデュです。



結婚式の引き出物としていろいろ選べるカタログのなかからフォンデュ鍋をセレクトしましたので、

とうとう念願のパーティデビューを果たすことができご満悦です。

ここまで出したところで料理は休憩し、しばらく歓談を楽しみました。

さすがはまさおさまゼミの卒業生たち、近況報告がすんだあとは、

「大人とは何か」 などの哲学的テーマをめぐって高尚な会話が繰り広げられました。

議論が落ち着いたところで魚料理を供します。

本日の魚料理は、メヌケのボイルです。



メヌケという魚はいつもエスパルの魚屋さんに売っていて何だろうと思っていましたが、

調べてみるとけっこう美味しい高級魚だそうで、今回初めて買ってみました。

それをどう調理するか?

最近ハマってる 「秘密結社ブドゥ党」 という糖質制限系のブログのなかで、

「やみつき必至! 寝てる間もないくらい簡単にできる白身魚料理」 という記事がありましたので、

「白身魚の塩茹で」 に挑戦してみました。

元はというとC.W.ニコル氏がエッセイ集で紹介していた 「魚の最も美味しい調理法」 だそうです。

ソースの量が5人分にしては少なかったので写真ではあまり美味しそうに写っていませんが、

たしかに簡単だし、とても美味しくいただくことができました。

これでしばらく歓談したあと、最後はクリスマスっぽく定番のチキン料理で締めました。



「鶏の白ワイン蒸し」 ですね。

こうしてブログを書くために振り返ってみると、

蒸し料理ばかりかぶってしまっていたことに今さらながら気づきましたが、もはや手遅れです。

蒸し料理というのはいったん仕込んでしまえばあとは蒸し上がるのを待つだけですから、

パーティのときには重宝するメニューです。

それにこの酔っ払った人たちはメニューの構成なんて意に介していないようでした。



彼らは神奈川、岩手、仙台から集まってきて日中はレンタカーで山形観光してきたそうで、

高畠ワイナリー土産のスパークリングワインと赤ワインを持ってきてくれましたので、

私が用意していたワインも含めてけっこうな量のアルコールを消費しました。



深夜2時くらいまで語り合ったところで私はソファで寝てしまい、

途方に暮れた彼らはホットカーペットの上でごろ寝していたそうです。

誠に申しわけないことをしてしまいました

風邪とかひいていないといいのですが…。

それはともかく大掃除も完了した我が家での久しぶりの人寄せ、

ホストの私だけは十分楽しませていただきました。

この仲良しの同期卒業生たちがいつまでジョン・ロック飲みを続けられるのか、

今後の成り行きを興味深く見守りたいと思います。

前途多難なドライブ人生

2015-12-12 12:58:13 | ドライブ人生論
先日、人権啓発セミナーのあとタイヤ交換のためにオートバックスに行ってきたことを報告しましたが、

実は冬タイヤを買うことになってそれでおしまいではなく、まだ続きがあったのでした。

うちのクルマ、このところキーの調子があまりよくありませんでした。

このクルマをもらった当初からセンサーを使った開け閉めはあまり感度がよくなかったため、

昔ながらにキーをキーシリンダーに差し込んで開け閉めしていたのですが、

しばらく前から、キーでドアを開けるときにうまく一発では開けることができず、

1回ドアロックを解除したあと、もう一度キーを回してあげないとドアが開かなくなっていて、

何なんだろうなあこれはと思っていたところ、

ある日急に、今度は逆にドアロックがまったくできなくなってしまい、

キーを回しても空回りして鍵を掛けることも解除することも何もできなくなってしまいました。

これは一大事ですので、オートバックスでタイヤ交換するときに、

キーの具合が悪いのでもしも直せるようなら直してくださいともお願いしたのでした。

ところが見てもらった答えは、うちではどうしようもありませんので、

ディーラーに見てもらったほうがいいですよとのことでした。

やっぱそうですよねえ。

まあキーの問題だからオートバックスで何とかなるとはそんなに期待していませんでした。

というわけでディーラーに連絡を取って行って参りました。

見てもらったところ、キーシリンダーの奥にある何だかが折れてしまっているとのことでした。

というか、そもそもその何だかはけっこう脆いものらしく、

キーをキーシリンダーに差して解錠するなんていうことはあまりやるべきことではないんだそうです。

今どきのクルマはセンサーで開けるのが基本なのだそうで、

キーをキーシリンダーに差し込んで回すのは緊急のときくらいにしたほうがいいそうです。

そんなことまったく知りませんでした。

けっきょくキーシリンダーを交換しなければならないそうです。

なんとキーに合ったキーシリンダーをドイツ本国で作製してもらわなければならないそうで、

3週間ぐらい時間がかかるそうです。

しかも、タイヤほどではありませんが、それに近いぐらいのけっこうな出費なのです。

なんてこったい

唯一救われる情報は、キーセンサーによる開閉が全然できなくなっていると思い込んでいましたが、

それは思い過ごしだそうで、今でもちゃんと機能しているとのことでした。

BMWのキーセンサーは日本車のように無線式ではなく赤外線式なので遠くからは開閉できず、

テレビのリモコンのように近距離からきちんと受信器に向けて照射しないといけないんだそうです。

私は鍵穴に向けてボタンを押していましたが、そこには受信器はないんだそうで、

受信器の付いているバックミラーに向かって照射すればちゃんと開閉できるとのことでした。

キーセンサーが機能しているのであればキーシリンダーはムリに直さなくてもいいのでは、

とも聞いてみましたが、万が一のときに開閉できず窓を割るしかなくなるので、

やはり修理はきちんとしておいたほうがいいと勧められ、けっきょく出費は避けられませんでした。

しかもそれだけでは収まらず、さらに追い打ちがありました。

うちに帰ってみると2通の知らせが届いていたのです。

ひとつは年明け早々に自動車免許の更新をしなければならないという知らせです。

現在ゴールド免許なのですっかり忘れていましたが、前回からもう5年も経ってしまったようです。

免許更新にはそれほどお金はかからないとは思いますが、

こないだの完全勝利した健康診断で、唯一ヤバイ結果だったのは視力でした。

前回の更新のときもギリギリの数値だったのに、今回はマジでヤバイです。

免許更新の際にはひょっとするとメガネを新調しなければいけないかもしれません。

すると冬タイヤとは言わないまでもキーシリンダーぐらいのお金がかかってしまうでしょう

さらにもうひとつ、自動車整備工場から来年3月に車検が切れますよという知らせも来ていました。

オー・マイ・ゴッド

前回の衝撃の車検切れ事件からもう2年も経ってしまいましたか。

あとからあとから出費がかさむなあ

もう相当古いクルマですし、

冬タイヤとキーシリンダー合わせても足りないぐらいの金額を覚悟しないといけないでしょう。

これを機にクルマそのものを替えたいところですが、

自動車わらしべ長者の私は自分の都合でクルマを替えることができません。

どなたかご不要になったクルマを持て余している方はいらっしゃらないでしょうか?

ジャガー、ポルシェ、プリウス等、車種も年式も問いません。

遠くまででも取りにうかがいます。

タダで頂戴できるのがベストですが、クルマの状態によっては薄謝をお払いすることもありえます。

年式が古いからと買い取ってもらうことをあきらめて、

業者にお金を払って廃車にしようとお考えの皆さま、

ぜひ一度まさおさまにご連絡くださいますよう何とぞよろしくお願い申し上げます