まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

「働けるのに無職で逮捕」に衝撃!

2012-09-28 07:05:25 | お仕事のオキテ
昨日は附属中学校に行って教育実習生の授業を見てきました。

ちょうど社会権のところをやっていて、

生存権やら勤労の権利、労働基本権などを教えていました。

そのなかで日本国憲法第27条の 「勤労は権利であると同時に義務でもある」

という話が出てきていたんですが、ちょうどそんなときにこんな記事を発見してしまいました。

「働けるのに無職で逮捕」に衝撃!

いや、たしかに義務でもあるわけだけど、だからってそんなことで逮捕されちゃうんだっ

この場合の 「働けるのに」 ってどういう意味なんでしょうか?

軽犯罪法で言うところの 「働く能力がありながら収入もないのに仕事もせず」 という部分は、

下手するとホームレスの人たち全員に当てはまってしまう可能性があります。

しかし、彼らが 「働けるのに」 働けないのは彼らの責任なんでしょうか?

むしろ新自由主義の金融資本家の皆さんが、

「働けるのに」 働かずに大儲けできるような社会の仕組みを作った皺寄せではないでしょうか。

今度の 「てつカフェ」 のテーマ、「おカネは大切か?」 にも関わってくる重大な問題です。

それにしても捕まえるべきもっと悪い人は他にいくらでもいるような気がするのですが…。

美しくない国

2012-09-27 07:12:41 | お仕事のオキテ
いやあ、ビックリしました。

「自民新総裁に安倍氏」 だそうで。

一度も支持したことのない政党なので誰が総裁になろうが知ったこっちゃないのですが。

安倍さんといえばあの 「美しくない辞め方」 第一号の元首相ですよね。

何人か並んだ候補のなかでまさかこの人だけはないだろうと思ってました。

あんなことした人でも5年も経てば返り咲けるということですか。

さすがは禊ぎの国です。

でもエグゼクティブからはほど遠いなあ。

なんだか美しくない国だ。

半分衣替え

2012-09-26 10:42:36 | 人間文化論
先週末くらいから一気に秋めいてきました。
そして今週の月曜日、とうとう長袖シャツに着替えました。
夏の間じゅう例のTシャツ、短パン姿か、
そうでなくとも、半袖シャツと長ズボンというカッコで過ごしてきましたが、
2、3ヶ月ぶりに長袖シャツのカムバックです。

私のなかでは半袖から長袖に着替えるタイミングが 「衣替え」 だと思っています。
学校に通っていた頃は10月1日が衣替えで、その日から冬服に切り替わっていました。
ウィキペディアによると、明治政府になって以降、制服の切り替え時期が制定されたようですね。
しかし、制服における夏服か冬服かという二者択一は日本の四季には合致しておらず、
大学生になって制服というものがなくなって以来、
四季やその日の気温に合わせてゆるやかに夏のいでたちから秋のファッションへ、
そして冬服へとだんだんと移行していくワザを身につけなければなりませんでした。
そんな中で私にとって 「衣替え」 と呼べるようなエポックメイキングな変化って、
ジャケットを羽織るようになるタイミングよりは、半袖から長袖へと着替えるタイミングだと思うのです。
春、夏、秋、冬のいでたちのなかでやはり夏服だけは飛び抜けて特徴的だと思います。
残りのスリーシーズンは、言ってみればどれくらい着込むかという量的な差にすぎませんが、
熱を逃がすことを目的としている夏服はそれらとは質的に異なると思うのです。
したがって、半袖から長袖に切り替わる時点こそが 「衣替え」 ではないかと思うのです。

それが今年はこの月曜日でした。
例年だと、長袖を着始めたあとまた暑さがぶり返してきて半袖に戻るということもあるのですが、
はたして今年はどうでしょうか?
しばらく半信半疑でしたが、なんだかもう暑さが戻ってくることはなく、
不可逆的に衣替えになってしまったような気配も感じられます。

ただしそれでも今のところまだ 「半分衣替え」 にすぎません。
たしかに外出するときは長袖ばかり着るようになっていますが、
室内着が夏服のままだからです。
夜寝るときはあいかわらずTシャツと短パンなのです。
さすがにもう夜エアコンをかけたり、タオルケットも何もかけずに寝たりということはなくなりましたが、
家のなかではまだTシャツと短パンで過ごしていられます。
これが長袖、長ズボンのジャージ (ユニクロ製) に着替えるようになると 「完全衣替え」 となります。
今までの経験からすると、半分衣替えから2週間も経たないうちに完全衣替えとなるはずです。
ただこの完全衣替えのタイミングは難しくて、
薄着で寝て風邪をひいてしまってようやく、ああもう完全衣替えをしておくべきだったんだと、
あとから気づくということが往々にしてあります。
今日あたりもちょっとヤバかったかなという気がしないでもありません。
しかし、脚の汗疹がまだ引かないうちにジャージに着替えるというのは、
ちょっと勇気の要る決断ではあります。
汗疹の完治が先か、風邪をひくのが先か、半分衣替えの季節の苦渋の選択です。

仕事の友 (その9) ・ Logicool エニウェアマウス

2012-09-25 07:15:11 | お仕事のオキテ

この 「お仕事のオキテ」 のカテゴリーのなかで時おり、
私の 「仕事の友」 を紹介してきましたが、今回久々の投稿です。
とはいえ、今日紹介するのはまだ買ったばかりの商品なので、
現段階では 「仕事の友」 と呼ぶには時期尚早のような気がしないでもありません。
でも、まだ半日くらいしか使っていませんがもう手放せなくなるのは必至と思われます。
ロジクールという会社のワイヤレスマウス、その名も 「Anywhere Mouse」 です。

そもそもこの商品を知ったのは、このあいだの 「9.11 小出さんと温泉だら飲みオフ」 のときでした。
Ustream中継の最中だったか終わったあとだったか忘れましたが、
会の最後のほうで主催者のおひとり座間宮ガレイさんが、
小出さんにそのワイヤレスマウスをプレゼントしますと言い出し、
これがどんなに素晴らしい商品であるかをプレゼンしはじめたのです。
座間宮さん曰く、これは 「人生を変えるマウス」 なのだそうです。
そのプレゼンを聞いていて私もどうしても欲しくなってしまい、すぐに注文したというわけです。
そのとき正確な機種名まで教えてくれました。
それがご覧いただいている 「Logicool Anywhere Mouse M905r」 です。

まずもってこのネーミングがステキですね。
「どこでもドア」 ならぬ 「どこでもマウス」 です。
会社的に一番の売りは、どんなところでもトラッキングできる、
つまり、ポインタを操ることができるということらしいです。
たしかに試してみると、もうマウスパッドなんてまったく必要ありません。
ガラステーブルの上だろうが布団の上だろうが、どこでも使えます。
パソコンを常に持ち歩いて飲み会の最中でもパソコンをいじっている、
座間宮さんのようなブロガーの人たちには手放せないアイテムだろうと思われます。
したがってこのマウスは出かけるときにも一緒に持っていくことが前提となっているようです。
箱を開いてみると、なんと持ち運び用のマウス入れまで付いてました。



真ん中に見えるレシーバーもUSBポートに挿しっぱなしでもいいような小ささです。
それにしてもラップトップコンピュータってマウスなしでも使えるように、
ホイールパッドとかがもれなくくっついているわけですが、
お出かけのときに専用の袋に入れてでもマウスを携帯してしまいたくなるほどの魅力は、
このどこでも使えるという特長だけではないはずです。
座間宮さんが力説していたのはこの↓スクロールホイールの威力でした。



真ん中にあるクルクル回すダイヤルですね。
これを回すことによって上や下にスクロールができるのですが、
今どきのマウスには大体どれにもこれは付いているでしょう。
ところでこのボタンの両脇に小さな左向きの矢印と右向きの矢印が描いてあるのですが、
皆さん、ご覧になれるでしょうか。
これはスクロールホイールをちょっと左に倒すことによって左スクロールができ、
ちょっと右に倒すことによって右スクロールができるという印です。
今までまったく気づいていなかったのですが、
私が現有していたマウスにも同じ矢印 (=機能) がちゃんと付いていました。
ただ、左スクロールとか右スクロールってはっきり言ってフツー必要ありません。
だから今まで一度もそんな機能を使ったことはなかったし、
そもそもそんな機能が付いているなんて知らなかったのです。

座間宮さんのオススメは、このまったく使わない機能を別の機能に割り当てることでした。
具体的には左スクロールアクションを 「コピー」 に、右スクロールを 「貼り付け」 に替えるのです。
設定を変更するためにはロジクールのHPから専用のソフトをダウンロードする必要がありますが、
やってみるとこれは物凄いですっ
例えば、私はもうさっきから使いまくっているのですが、
別の記事や別のHPにリンクを張るために、リンク先のアドレスをコピーし、
こちらの編集画面で該当語句にそのアドレスを貼り付けたいという場合、
いつもだったら、リンク先のアドレスの上で右クリックし、
開いたウィンドウのなかから 「コピー」 を選択して左クリックし、
こちらに戻ってきて該当語句の上でまた右クリックしてウィンドウを開き、
「貼り付け」 を選択して左クリックするという一連の作業をしなければなりませんでした。
全部で6工程ですね。
これが左スクロールアクションと右スクロールアクションの2工程だけで完了してしまうのです。
特に、開いたウィンドウの中にある8つぐらいの選択肢の中から1つを選択するために、
マウスを移動させるというちょっとした行程が意外とメンドくさいのですが、
これがまったく不要になるというのが画期的です。
小出さんは座間宮さんのプレゼンを聞いてもこの凄さがあまりピンと来ていないみたいでしたが、
ブログを書く際に (いやブログだけでなくどんな文章であれ)、
コピー&ペーストってムチャクチャ多用しますので、
この6工程が2工程に短縮されたら人生変わるだろうなあと私は直感的に理解しました。
そして今まさにそれを実感しているのです



このマウスにはさらに左側面に 「進む」 ボタンと 「戻る」 ボタンが付いています。
これも同じように設定変更が可能です。
座間宮さんのオススメは 「アプリケーションスイッチャ」 と 「One Touch Search」 だそうです。
私は自分の使用頻度を考えて、「One Touch Search (検索)」 と 「切り取り」 にしてみました。
今後、自分のライフスタイルに合わせてカスタマイズしていきたいと思います。
なお、先ほどのスクロールホイールですが、上からグッと押すことによって、
フツーの一般的なスクロールと高速スクロールを切り替えることができます。
フツーのスクロールはダイヤル式でカリカリと指で回してあげる感じ、
高速スクロールはホントのホイールみたいに一度回すと勝手にいつまでも回ってくれる感じです。
高速スクロールを使うと、例えばFacebookで数日前の記事を見ようという場合、
延々と下スクロールをしていかなければならないわけですが、
それがもう面白いようなスピードでどんどんスクロールしていくことが可能なのです。
座間宮さんのプレゼンでは触れられていませんでしたが、
この機能も今後そうとう活用されるのではないかと期待しています。

このマウス、はっきり言ってお高いです。
定価で8,680円、ネットで買っても7,000円前後はします。
しかしそれだけ払う価値は十分あるのではないでしょうか。
座間宮さんはある日レシーバー (あのちっちゃいやつ) を忘れてきてしまい、
その日だけホイールパッドで何とかやり過ごすということがどうしてもできず、
家電量販店に飛び込んでレシーバーだけ売ってくれないかと掛け合ってみたけど当然ムリで、
けっきょくレシーバー欲しさにもう1台マウスを購入してしまったとのことでした。
その気持ち、まだ半日しか使っていない私にもものすごくよくわかります。
ちょっと高いかもしれませんが、この価格はたんなるマウスの値段ではなく、
自分の時間を買う金額なのです。
自分の時間、もっと大げさに言うと自分の人生を買っているとも言えるかもしれません。
座間宮さんの言っていた 「人生を変えるマウス」 という表現はけっして誇張ではないと思います。
座間宮さん、ステキな品を紹介してくださってありがとうございました。
新しく加わった仕事の友として、末永いお付き合いをしていきたいと思います。


P.S.
そういえばこのマウスには単3の乾電池が2本入るんだけど、
1本だけでも稼働するようにできてるらしくって (持ち運びの際の軽量化?)、
そういう細かい気配りもさすがだなあと思います。
それにしても私は、別にロジクールから広告料もらってるわけでも、
アフィリエイト収入があるわけでもないのに、なんでこんなに熱く語っているんだろう?
久しぶりにモノ語りをしてしまいたくなるモノに出会ってしまったなぁ。
せっかくだから 「レビューブログ・grupo」 に投稿しとこっと。

映画 『神様のカルテ』 再説

2012-09-24 17:23:39 | お仕事のオキテ
小説 『神様のカルテ』1から3まで読んだんですが、
全部読み終わってみて改めて映画化された 『神様のカルテ』 のことを考えてみると、
いろいろと気になるところが出てきました。

まず、この映画のキャスティングは全体的にはよかったと思うんです。
妻の栗原榛名役の宮崎あおいは映画を見る前からはまり役だというのは明らかでした。
私は別に宮崎あおいのファンでも何でもないんですが、
栗原榛名のあの浮き世離れした可愛らしさと芯の強さというのは、
宮崎あおいでなければ表現できなかったような気がします。
救急外来師長の外村を演じた吉瀬美智子、
内科病棟主任看護師の東西直美を演じた池脇千鶴もいい人選でした。
その他、男爵役の原田泰造とか貫田先生役の柄本明とかいい配役に恵まれていたと思います。
それらに比べて、主役の栗原一止は櫻井翔でよかったんでしょうか?
いや、櫻井翔がどうこうというよりも演出の問題なのかな?
地方病院の激務で疲れ果てている感じを出そうとしているのはわかりましたが、
あまりにも覇気がなく描かれすぎていました。
疲れ果てて地域医療の現状に不満を抱きつつも、目の前の患者を助けるという信念に支えられて、
古臭い文学かぶれの言葉を使いながら飄々と仕事をこなしていく、
そういう原作の栗原一止のイメージとはだいぶかけ離れてしまっていたように思います。
特に 『2』 や 『3』 では栗原一止の毅然とした側面が表面化してきますから、
続編も映画化されるのだとすると、『1』 のドロンとした目の櫻井翔ではダメでしょう。
私が原作を読んでいたときのイメージでいうと、堺雅人あたりかなと思っていたんですが、
まあキャスティングは今さら言ってもしかたないので、
櫻井翔と深川栄洋監督に期待することにいたしましょう。

要潤が演じた同僚医師の砂山次郎も疑問が残りました。
これもキャスティングというよりはやはり設定、演出なのかなあ。
まず設定変更として、医大の同期ではなく先輩という位置づけになっていたように思います。
原作では、同期の気安い間柄 (ラポール) を前提とした上での悪口の応酬と、
いざというときのお互いの助け合いが物語にテンポをもたらしていたのですが、
映画ではそこらへんの面白さが全部カットされてしまっていました。
砂山が単純に医局 (大学病院) 寄りの人間として描かれていて、
医局に属しながらも本庄病院での仕事にやりがいを感じている砂山の深みが、
まったくスルーされてしまっているのが残念でした。

設定変更で一番気になったのは、栗原の上司の一人である内藤先生を、
完全に排除してしまったことでした。
原作では、本庄病院の内科には大狸先生と呼ばれる貫田先生と、
古狐先生と呼ばれる内藤先生がいて、
この2人が 「いつでも安心して受診できる病院を作ろう」 という理念の下、
「24時間、365日対応」 というムチャな医療を支えてきたことになっていました。
ところが映画はこの2人を1人にまとめてしまって、
古狸先生1人だけという設定に変えてしまったのです。
映画を見たときは尺の問題でこれも仕方ないかなあと思っていましたが、
『2』 を読んでみたらとんでもないことになっているじゃないですかっ!
古狐先生がいないと 『2』 は成り立ちません。
したがってもう 『2』 は映画化できないかもしれません。
何とか大狸先生に古狐先生の代わりをやらせることで 『2』 は乗り切ったとしても、
今度は 『3』 以降が続かなくなってしまいます。
やってしまいましたねぇ。
今頃、脚本家は頭を抱えているかもしれません。
ネタバレになってしまうのでこれ以上書けませんが、
原作を全部読み、映画も見た方は私のこの心配を共有してくださることと思います。

小説の映画化っていうのは難しいですね。
特にシリーズものの場合はある程度、原作の行く末がはっきりしていてくれないと、
どこを省き、どこを残さなきゃいけないのか、
どの役柄やどのエピソードをどこまで変えてしまっていいのか判断がつきません。
続編の映画化が危ぶまれるくらい設定変更を行ってしまった 『神様のカルテ』。
はたして 『2』、『3』 が映画化されるのかどうか楽しみに待ちたいと思います。

ホテル辰巳屋で哲カフェ!

2012-09-23 19:42:29 | 哲学・倫理学ファック
今度の土曜日、第13回てつがくカフェ@ふくしまが開催されます。
今回は初めての会場です。
なんと、ホテル辰巳屋でやっちゃいます。
ホテル辰巳屋といえば福島駅東口の目の前にある中合デパートの上階を占めるホテルです。
特別編のときのビューホテルも西口の目の前にありましたが、
あれよりもさらに駅に近い会場です。
贅沢です。
もちろん特別編のときほどの広い部屋は取っていませんが、
ホテルが淹れてくれるコーヒーor紅茶1杯つきです。
どうしてしまったんだ、てつがくカフェ@ふくしま
まあ、たんにいつものA・O・Zサイトウ洋食店が取れなかったというだけなんですが、
たまにはこういう贅沢もいいでしょう。
とはいえバジェット的に今後こんな贅沢ができる余裕がそうあるわけではありませんので、
この貴重な機会をお見逃しなく

そして、テーマもこの会場にふさわしく 「おカネは大切か?」 という初めて取り組む問題です。
おカネがあれば贅沢な会場で美味しいコーヒーを片手に哲カフェを行うことができますが、
しかし、哲カフェの議論にとって贅沢な会場やホテルのコーヒーはけっして不可欠ではなく、
いつものA・O・Zの小活動室や、杉っちマスターが淹れてくれるコーヒーで十分な気がします。
とはいえ、哲カフェに興じていられるのは生活の心配がそれほどないからかもしれません。
そんな小さな話ではなくもっと大きなところに目を転じるならば、
原発が推進されたのも、あれだけの事故が起きても原発から脱却できないのも、
すべてはおカネの問題だと言うこともできるでしょう。
はたしておカネは大切なのか、それともおカネよりも大切なものがあるのか、
贅沢な会場で美味しいコーヒーを味わいながら話し合いましょう!


第13回てつがくカフェ@ふくしま

テーマ :「おカネは大切か?」

日 時 : 2012年9月29日 (土) 開催時間 16:00~18:00

場 所 : ホテル辰巳屋 中合デパートビル8階 琥珀の間
 ※地図はこちら
   
    ※いつもとは違う初めての会場ですのでご注意ください!

費 用 : 無料 (ドリンク1杯つき)

事前申し込み : 不要(直接会場にお越しください)

ご不明な点は下記の問い合わせ先までご連絡下さい。

問い合わせ先 : fukushimacafe@mail.goo.ne.jp


Q.もしも動物が言語能力をもったら?

2012-09-22 17:06:59 | 人間文化論
これは三中ではなくて、看護教員養成講座でもらったんだったと思いますが、
こんな質問も頂戴していました。

Q.もし他の動物も言語能力をもち、人間の社会に動物が出てきたら、
  [人間は動物に] 支配されますか?
  それとも、支配されずに、人間が権力を持ち続けることができますか?

これは三中でのQ.4の続きの質問になっていますね。
日光の猿が進化して猿でなくなってしまったらどうなるのか、ということでしょう。
これはたいへん難しい質問です。
質問のなかで 「もしも言語能力をもったら」 と仮定しているのが重要です。
言葉を操れるようになる、それはすなわち、理性 (=考える能力) をもつということです。
さまざまな進化のしかたが考えられますが、
言葉をもち、理性をもつようになるということはまさに、
他の動物とは別格の、人間と同格の存在者になるということでしょう。
(私が人間中心主義者という意味でのヒューマニストであることはバレバレですね)
そうなったとき、当然、人間とその新しい生物とのあいだに抗争が生じることはたしかでしょう。
一般的に抗争が生じた時、その決着のしかたは3種類あると思います。

①一方が他方を絶滅させる。
②一方が他方を従属させ、支配する。
③両者が平和共存する。

①だと結果がクリアでわかりやすいですね。
生き残るのはどちらか一方だけです。
はたして人間が勝つのか、新生物が勝つのか。
これはやってみないことにはわからないでしょう。
新生物がどれほどの知能を備えているのか。
勝敗はそれ次第だと思います。

もしもこの路線で行くのだとしたら、新生物があまり知能を発展させないうちに、
あまり知識や経験を蓄積させないうちに早めに叩くことが必要でしょう。
しかし、なかなかそういうことはできないかもしれません。
話しはじめの赤ちゃんってカワイイですよね。
それと同様に日光の猿が話しはじめたらけっこうカワイイだろうと思うのです。
世界中のワイドショーで取り上げられて、それはもう人気者になってしまうと思います。
それを 「今のうちに絶滅させるべきだ」 と私が正論を唱えても、
だれも耳を貸してくれないでしょう。
そうこうするうちに敵は知能や知識を発展させて、
こちらの予想を超えた力を身につけてしまうかもしれない。
そうなったあとに抗争が勃発したら、やっぱり結果はどうなるかわからないですね。
人間が勝つか、新生物が勝つか、五分五分といったところでしょう。

質問者は②を前提で質問していらっしゃるようでした。
相手を絶滅させてしまわずに支配下に置くという方法です。
闇雲に①を考えるよりも②のほうが真っ当な考え方だと思います。
なぜなら相手は言葉を話すからです。
言葉をもっているのならば、それは大枠の部分で翻訳可能なはずで、
となるといずれ相互に意思疎通が可能になるはずです。
意思疎通が可能な相手を有無も言わさず絶滅させるというのは倫理学的に許されません。
ですので、②か③が倫理学的に許容されうる選択肢となります。

②の路線で行く場合、これもどちらが勝つのか答えはありません。
新生物の進化具合によりますし、時の運とかもあるでしょう。
そして、②の場合①のときと比べてさらに難しいのは、
ある時点での勝敗がその後もずーっと続くかどうか定かでないという問題があります。
一時的に人間が新生物を支配できていたとしても、
あるときに反乱が起きて逆転してしまう可能性があるからです。
人間の中でも長らく白人が黒人を、男性が女性を支配してきて、
未だにその支配は根強く残ってはいますが、
しかし少しずつその支配力は弱まりつつあります。
このように歴史のなかで支配―被支配関係は変更が可能なのです。
だから、人間が相手をずーっと支配し続けられるかというと、
なかなかそうはいかないだろうというのが私の予想です。

最後に③ですが、私はけっきょくこれに落ち着くのではないかと思っています。
以前に宇宙人問題をちょっとだけ論じたことがありますが、
実は今回の問題は宇宙人問題とまったく同じだと思っています。
つまり、理性をもつ人間以外の存在者とどのように接するべきか、という問題なのです。
そして、①絶滅させるか、②奴隷のように服従させるか、③平和共存するかという、
3つの選択肢があるとしたら、最終的に第3の道を選ばざるをえないと思うのです。
①は論外で、②は逆転可能なわけですが、
②で逆転したとしてもその支配もいつかまた逆転させられるかもしれません。
それを永遠に繰り返すかというと、人類史を見ているとそうはなっていないように思うのです。
各国、各民族は戦争を繰り広げて支配したりされたりを繰り返してきましたが、
けっきょくのところ国境を定めて平和共存に落ち着かざるをえないように思えます。
人種問題、男女問題はよりいっそう顕著ですが、
長年支配されてきたほうが支配を脱して、自らが支配する側に立とうとしているかというと、
けっしてそうではなくて、平等に共存することを目指しています。
したがって、プロセスにおいては支配したりされたりという関係が成り立ったとしても、
それが永続することはできず、けっきょく最後は平和共存に落ち着かざるをえないと思うのです。
というわけで、今回のお答えは以下の通りです。

A.人間が新生物を支配し続けるということは難しいでしょう。
  長い時間ののち、最終的には両者が平和共存するようになると思います。

三中生からの質問に答える

2012-09-19 17:37:09 | 哲学・倫理学ファック
昨日、三中生の感想用紙にやっと目を通していたら、
いくつか質問をいただいていたことに気づきました。
さーて、今さら答えたとして質問者に見ていただけるかわかりませんが、
遅ればせながらお答えしておくことにいたしましょう。

Q1.なぜこの仕事をしているのですか?

A1.下記のブログ記事をご覧ください。
  「Q.哲学・倫理学の先生になろうと思ったきっかけは?」
  「Q.哲学をやろうと思ったきっかけは何ですか? (その0)」
  「Q.哲学をやろうと思ったきっかけは何ですか? (その1)」
  「Q.哲学をやろうと思ったきっかけは何ですか? (その2)」
  「Q.哲学をやろうと思ったきっかけは何ですか? (その3)」
  「Q.哲学をやろうと思ったきっかけは何ですか? (その4)」


Q2.ほんのうはいでんでつたわるのですか?

A2.その通り、本能は遺伝で伝わります。
   誰からも何も教わらなくとも、ただ人間の子どもとして生まれてきただけで、
   遺伝子によってすでに最初から伝達されている能力が本能です。


Q3.いまもある人間のほんのうはどんなことがありますか?

A3.人間には本能がたくさんあります。
   身体を維持する機能はすべて遺伝によって伝わった本能だと言っていいでしょう。
   特に眠っているあいだにできていることはすべて本能です。
   心臓が動いたり、呼吸したり、消化したり、細胞分裂したり、
   そういったことは誰から教わらなくても誰でもできますね。
   また、さまざまな身体的欲求も本能と言えます。
   食欲、排泄欲、睡眠欲、性欲等々です。
   私は本能が壊れているとは言いましたが、本能がなくなったとは言いませんでした。
   性欲というのは人によって様々な形態をとりがちですが (つまり壊れている)、
   しかし誰しも何らかの形の性的欲求は感じるものでしょう (つまり性本能はある)。
   こんなふうに人間にはいろいろな形で本能があることはあるのです。
   なお、現代の科学ではあまり本能という言葉は使わなくなってきています。
   ちょっと難しいかもしれませんがこちらを見てみてください。


Q4.森が平和なままでずっと木の上にいても、猿は人間になっていたんでしょうか?

A4.はっきりとはわかりませんが、たぶん猿のままだったろうと思います。
   ちょっとした小さな環境変化だけでは、ちょっとした進化しか起こらないだろうと思います。
   猿から人間への進化というのはやはりものすごく大きな変化ですから、
   そうした大変化をもたらすためには、何か大きな環境変化が必要だったろうと思います。
   森の中、木の上というパラダイスを失うというくらいのことがないと、
   猿から人間への進化は起こらなかったんじゃないでしょうか。
   私は日光の猿に期待しています。
   彼らは森を失い、町に出てきて、人間との熾烈な生存競争を戦っています。
   近いうちに人間に絶滅させられてしまう可能性はものすごく高いですが、
   もしも何万年ものあいだこの生存競争に勝ち残ることができたとしたら、
   新しい動物へと進化を遂げることになるかもしれません。
   はたしてそれが人間であるかどうかはわかりません。
   ひょっとすると人間よりもはるかに高度な別の生き物になっているかもしれません。
   私が生きているうちにこの目で見ることができないのが残念ですが、
   ホモ・ニッコウズがどんな動物なのか想像してみるだけで楽しいです。


いずれも1年生からいただいた質問でした。
人間という動物の不思議さについてみんなもいろいろと考えてみてください。

福島第三中学校・メガ講演会

2012-09-18 20:46:30 | 人間文化論
ええっと、もう2ヶ月以上経ってしまいましたが、
福島第三中学校で行った講演会の振り返りを書いておかなければと思います。
7月13日、まだ梅雨は明けていなかったけれども相当暑かった日に、
全校生徒と保護者の方々、約600名の前で講演会をやってきました。
今までで最大規模です。
昨年、福島高校白河高校で300名規模の講演会をやって、
いつもの講演会との勝手のちがいに悩まされたものでしたが、
その2倍となるとこれはさらに圧巻です。
体育館が人でぎっしり埋め尽くされているという感じでした。
気温自体は今ほどの暑さではありませんでしたが、
体育館のなかは人いきれでものすごいことになっていました。
そんななかで中学生相手に講演をしてきたわけです。

講演会後2週間ほどして感想用紙が送られてきましたが、
封書ではなく小包でした。
回収枚数は450弱でしたが、それでもものすごい量です。
ちょうど大学も試験期間に突入してしまっていましたので、
とてもじゃないけれど集計する時間的余裕がありませんでした。
それに、ざっと見てみたところ、
今まで付けられたことのないような 「満足度1点」 という最低評価や、
「けっきょく何を言いたいのかわからなかった」 というような言葉ばかりが目について、
三中生からの評価にまっすぐ向き合う心の余裕もありませんでした。
試験の採点も終わり、夏休みの宿題も終わったところで、いよいよ覚悟して、
10cm以上の高さに山積みになった感想用紙を見てみようかという気になりました。

まず客観的数値をきちんと計算してみました
学年やグループにより満足度に大きな開きがあることがわかりました。

 1年生 4.02。
 2年生 3.66。
 3年生 4.20。
 保護者 4.2。
 教 員 3.67。
――――――――――
 全 体 3.97。

全体の満足度が4点を割っているというのは、
やはり相当低い評価と受け止めなければなりませんが、
あの福島高校のとき (3.91) よりはほんのちょっといい数字ですので、
倍の人数で、かつ中学生相手ということを考えると、
まあ善戦したとも言えるかもしれません。
それに、低評価の人の感想に 「暑いっ!」 という理由が多く、
この会を企画してくださった保護者の方も暑さを理由に3点評価でしたので、
暑かったのはぼくのせいじゃないのになあと思いながらも、
こういう時期のエアコンなしの会場での講演を引き受けてはいけない、
という教訓を胸に刻むことができました。
受講者の聴講コンディション管理というのも、主催者任せではなく、
講演者としてもはじめから考えなければいけないのでしょう。

先生方の感想用紙はたった3枚だけですのであまり統計的価値はないと思いますが、
2年生の評価だけがこんなに低いのはちょっと理由がよくわかりません。
今回の 「人はなぜ学び、なぜ働くのか」 という話はふだん、
大学生大学院生現職教員の先生方にもしている話ですので、
やはり中学生相手だとどうしても難しすぎるきらいはあるのですが、
だとすると1年生の満足度が一番低くなっていいはずですが、
2年生のほうが0.4ポイント近く低いというのはなぜなのでしょうか。
感想を見ても1年生よりも2年生のほうが、
「難しすぎてわからなかった」、「話の内容がよく理解できませんでした」 とか、
「けっきょく何が何だかわからなかったです」 というコメントが多かったです。
自我の目覚めはじめる中2くらいというのが、この手の話に一番興味ないのでしょうか?
今後にどう活かせばよいのか、ちょっとまだ自分としてうまく捉えきれない結果でした。

あとマイナス評価の理由として何人か書いてくれていたのは、
「下ネタが多すぎ」 ということでした。
例の 「性本能の壊れた動物」 というお話のことでしょう。
うーん、あれは全然、下ネタではないんだけどなあ。
「セックス」 とか 「オナニー」 という単語は倫理学的にはまったくNGワードではなく、
きわめて真面目に学問的にお話しさせていただいたつもりなんですが、
やはり中学生ぐらいだと刺激が強すぎる場合があるのでしょうか?
保護者の方も1名、次のように書いてくださっていました。

「驚いたこと。性についての話題…。
 大切なことですが、子供に面とむかって話したことがありません。
 恥ずかしい気持ちが先にたってしまいます。
 先生はご自分のお子さんがいたら、あんなふうに淡々とお話しできますか?」

自分の子どもに話せるかというのは、子どもを持ったことがないので断言できませんが、
たぶんぼくなら話してしまうんじゃないでしょうか。
倫理学をやってるとこういう問題を特別視することはなくなっていくのでしょう。
それともたんに私が下ネタ好きなだけなのでしょうか?
いやいや、これはぜひとも真面目に家庭でも学校でも語り合っておくべきことだと思います。
福島県は10代の人工妊娠中絶率が全国平均を上回っていますので、
中学生ともなればもうきちんと教育 (=文化の伝達) をしておく必要があるでしょう。

以上、マイナス評価の分析をしてきましたが、
勇気を出してじっくり読んでみるとマイナスなことが書いてあるのはそれほど多くはなく、
例えば、満足度2点と辛口評価だった人も感想として書いてくれたのは次のような文でした。

「サルのしんかがわかった。
 講師の人の話し方がおもしろかったです。
 ブログをぜひみたいと思います(笑)
 今日は暑い中ごくろうさまでした。
 べんきょうがんばります。」

満足度5点付けてくれてもおかしくない内容ですね。
その他の感想もほんのいくつか紹介しておきましょう。

【1年生】

「ぼくも勉強をいっぱいして人のためになにかをできるかっこいいおとなになりたいです。」

「内容は難しかったですが、とても分かりやすかったです。
 『ありがたいからありがとう』 という言葉が良かったです。」

「人間は本能が壊れた動物だということがちょっとショックだったけど、
 そのことが分かってよかった!」

「プリントなどで例を挙げてくれてわかりやすかった。
 話を聞いて初めて、人間の勉強、働く意味が分かった。
 この話もありがたい話だった。
 ありがとうございました。」

「たくさん共感することがあった。
 最近、親にはむかってしまっているので、
 今日、話をしてもらった事を思い出し、
 改めて、色々な事を考えなおしたいと思います。
 自分は、カッコイイ大人になりたいです。」

「自分の父さん、母さんがこんなにすごいことをしているなんて尊敬した。
 自分の身の回りにいる先生がたが僕たちのために
 こんな社会に向けてすばらしいことをしていたなんてびっくりしました。
 今日は、人はなぜ働くのか、なぜ学ぶのか分かったような気がしました。
 暑くてだらだらしてしまったけれど、とてもおもしろかったです。」

「人間はおそわるまでは何もできない動物で、
 今は文化を使って生きていくために学んで勉強しているのだと分かり、
 今は一生懸命答えがある問題を解いて、社会に出て、
 難しい答えがないことも自分で解けるように、勉強をがんばろうと思った。
 今日はすばらしいお話をありがとうございました。」

【2年生】

「勉強することが生きることにつながるということが
 今まで考えてもみなかったけど、今回の講演を通してよく分かった。」

「今まで聞いた講演の中で一番楽しかった。
 話し方がすごく親しみやすい話し方だった。」

「暑くてとてもねむかったけど、いい勉強になりました。
 ありがとうございました。」

「働いてお金をもらうだけではなく、他人も助けられる。
 自分も他人も喜ぶ。
 かっこいい大人の意味が分かりました。
 私も、かっこいい、すてきな大人になりたいと思いました。」

「サルから人間にどうやってなったのかが分かりました。
 学ぶことが重要なことが分かりました。
 勉強なんてしなくていいと思っていたけれど、
 やっぱり勉強しなきゃいけないのだと思いました。」

「勉強をすることの意味がよくわかりました。
 この講演を進路などに生かしていきたいです。」

「今までは、自分達がなぜ勉強するかなんて考えたこともありませんでした。
 これからは、この講演会で学んだことを意識して勉強に励むようにしたいです。
 自分は幸せな中の1人なので、その義務を精一杯果たせるようにしたいです。
 福島大学に行こうと考えています。
 もう一度会うことがあるかもしれません。」

【3年生】

「長くて難しい話だったけど、結果的に自分のためになったと思ったし、いい話だと思った。」

「話し方が軽くて聞きやすかった。
 例をあげたりしながら講演してくれたからすごく分かりやすかった。
 ファイルであおいでいいって言われた時に感動しました!
 P.S. おなかがすきました。」

「特に大事なところを何回も強調して言ってくれてすごく分かりやすかったです。
 みんなが暑くて疲れていても最後まで明るい口調だったのが、
 聞いててすごいと思いました。」

「勉強することですべてが役に立つわけではないが、
 勉強することで考えることが出来るようになるんだなと思った。
 人間は文化を作り、それを使って生きているんだと思った。
 わたしもいつか、だれかに 『勉強する意味』 について教えられるようになりたい。」

「今までの講演で一番聞きやすかったです!
 いつもなら途中で寝そうになるのに、今回はそうなりませんでした!!
 脳の発達とか…、文化とか…、本能とか…。あとついでにクモ (虫) とか…(笑)。
 ツッコミどころ、そこ!?とか、色々おもしろかったです。
 倫理にも、少しだけ何か興味が出てきました!!
 あと、クモにはなりたくないですね…。やっぱりコワイし…。
 それから、文化=自由!!…ってなんかいいです。
 たしかに個人個人、同じ人はいないし…。
 『本能の壊れた動物』 って何か残念だったけれど、言えてるなぁ…と思いました。
 『ノーブレス・オブリージュ』 いい意味ですね!!
 今日はありがとうございました!!」

「今回の講演会はとても楽しかったです。
 今までは、先生とか親はかっこよく見えなかったです。
 正直言うと、少しうるさいなと思いました。
 だけど先生とか親には、たくさん感謝しなければなりません。
 私もがんばって先生とか親みたいにかっこいい大人になってみせます。
 今回は本当にありがとうございました。」

「話し方がおもしろくてよかった。
 日本人にうまれたことじたいがラッキーだったり、
 今、自分が生きていることってゆーか
 生活できることがめぐまれてるってことがわかった。
 今を大切に生きようと思う。
 カッコイイ大人にがんばってなろうと思う。
 100人の中の1人になれるようにがんばりたい。
 とにかくがんばって生きようと思う!!
 P.S. かわごえたつやににてますね。(声と話し方)
 とてもよかったですょ。」

ほかにももう1人、「かわごえたつや」 に声と話し方が似てると書いてくれた人がいました。
「かわごえたつや」 ってテレビに出てるシェフの川越達也さんですね。
それは初めて言われたなあ。
どんな声でどんな話し方だったのか思い出せないので、今度注意して聞いてみようと思います。
三中の皆さん、暑いなか最後までご静聴いただきありがとうございました。
あれから2ヶ月も経ってしまって、
このブログを見てくれている人も減ってしまったかもしれないけど、
またいつかどこかで (できれば福島大学で!) お会いしましょう。
カッコイイ大人になってください

スターバックスの人魚

2012-09-17 18:48:20 | 人間文化論


小さいサイズだと見にくかったので、でっかい写真になってしまいましたがご覧ください。
スターバックスで売ってるコーヒーの袋です。
下の方におなじみのスターバックスのロゴがあります。
人魚ですね。
上にはそれとは別に人魚の絵が描かれています。
ロゴを見ても特に気にならなかったんですが、この絵はなんかヘンです。
「ANNIVERSARY BLEND」 と書かれた帯の上に尻尾がありますが、
帯の下にも尻尾があります。
尻尾が2つ?
と思ってロゴをよく見てみると、ロゴも右と左に尻尾が2つあります。
なんじゃ、こりゃあ?
皆さん、知ってました?

スターバックス・ファンには常識なんでしょうか?
私は特にスターバックス・ファンではないので今まで気づいていませんでした。
で気になってググってみたところ、初めて知ったことがいろいろありました。
まずは 「スターバックス」 で調べてみると、このロゴはセイレーンなのだそうです。
「セイレーン」 って何? と思って調べてみると、
「上半身が人間の女性で、下半身が鳥の姿をしているとされている海の怪物」 と書いてあります。
うそっ、人魚じゃなくて鳥人なの?
マンガ 『デビルマン』 に出てきた悪魔 「シレーヌ」 もセイレーンから来ていて、
たしかにシレーヌは下半身が鳥でした。
ただ、セイレーンの項を読み進めていくと、

「中世以降は半人半鳥でなく人魚のような半人半魚の怪物として記述されている。
 これは古代において海岸の陸地を目印に航海していたのに対し、
 中世に羅針盤が発明され沖合を航海出来るようになったことから、
 セイレーンのイメージが海岸の岩場の鳥から
 大海の魚へと変化したためではないかと考えられている。」

という記述が出てきました。
おおっ、技術発達とともに怪物の姿も変遷を遂げていたんですね。
たしかに、「人魚」 の項で調べてみると、
西洋の人魚伝説のひとつとして、ローレライとともにセイレーンも挙げられています。
スターバックスのロゴは、中世以降の人魚の姿になったセイレーンなんですね。

ちょっと遠回りしてしまいましたが、ここから本題に戻りましょう。
人魚の尻尾って2つもあっていいんですか?
人魚というくらいだから右足と左足があって、それぞれが魚の尻尾になっていて、
その2本で歩いちゃうってこと?
この疑問にもウィキペディアはちゃんと答えてくれていました。

「尾びれが1つと思われがちだが、古い絵などには2つの尾びれを持った物が多く描かれている。
 (ヨーロッパの古い紋章の中にも、2股に分かれた尾部を持つ人魚をかたどるものがあり、
 そのような紋章は、現代風にデザイン化した形ではあるが、
 今でもスターバックス・コーヒーやマドンナ社 (出版社) の商標の中に見ることができる。)」

さすがになぜ2股なのかということまでは書いていませんでしたが、
2股の人魚は珍しくないこと、それがスターバックスに引き継がれていることまで書いてありました。
うーん、ウィキペディア意外とやるじゃないか。
間違い記事ばかりでもないんだな。
それにしてもスターバックスのロゴは2股人魚姿のセイレーンだったなんて、
今さらながら目からウロコが落ちてしまいました。
こんなことはみんなご存知だったのでしょうか?
ヘェと思った人は 「いいね!」 ボタンを、
そんなの常識じゃんと思った人は 「ふんっ!」 ボタンを押してください。

ちょっぴり艶っぽい笑える画像

2012-09-16 18:06:39 | 性愛の倫理学
いつものMixiの 「笑える画像」 コミュより、「ちょっぴり艶っぽい笑える画像」 3連発です。

まずは 「心のカギ、身体のカギ」。



これはそれほど笑える感じじゃないかな。

でもわたし的にはいろいろ考えさせられてしまいました。

それぞれカギを握っているのはどっちなんだろう、とか。

続いて 「若いあの肉」。



電話番号まで入れてこんなことを宣伝しちゃうなんて!

「肉」 の一字が赤くなっているのも意味深。

そして最後はNHKの広報番組より 「おっぱい」。



まるで子どもの描いた絵じゃないかっ!

スタイリストか誰か気づかなかったんだろうか?

アナウンサーかわいそうすぎる。

羞恥プレイだっ!

中元返し

2012-09-15 16:59:08 | 飲んで幸せ・食べて幸せ

福島フルーツ研究会から桃が届きました。
もう10年以上もお中元の時期には福島フルーツ研究会の桃をお送りしてきました。
うちは年末にお歳暮を送ったりしているわけではないので、
こちらとしてはお中元という意味ではなく、桃の季節に福島の桃をお届けしていただけなのですが、
原発事故の起こった昨年はどうしようかちょっと悩んでしまいました。
いろいろ考えた挙げ句、けっきょく今まで通り福島の桃を送ることに決めました (こちら参照)。
昨年そう決めたので今年は何も悩む必要もなくやはり福島の桃をお送りしたのです。
例年好評を博すのですが、今年のあかつきはことのほか出来映えがよかったようで、
皆さんから大絶賛を頂戴しました。

年を経るごとに付き合いも増えていきますから、お送りする桃の数も増えていきます。
毎年注文し続けて、注文数がある程度増えた頃からでしょうか、
福島フルーツ研究会からお返しの品が届くようになりました。
リンゴジュースの詰め合わせなどです。
上得意として認定されたということなのでしょうか。
こちらはおかげさまでみんなから喜ばれているというのに、
その上こんなお返しまでもらって申しわけないなと思っていたところでした。
なんと今年はそのお返しの品が桃 (ゆうぞら) の詰め合わせ5kgセットだったのです!
そこにはお礼状が添えられていました。

「お礼状

 拝啓
  初秋の候、ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。
 今の福島をご理解の上、当福島フルーツ研究会のももを大量にご利用頂きご厚情のほど、
 生産者一同心より御礼申し上げます。
  少量ではありますがもも (ゆうぞら) を送らせて頂きました。
 皆さまに安全で美味しいももをお届けできる様、勉強・努力して参ります。
  今後とも、ご利用をお願い致します。
                                               敬具

                                      福島フルーツ研究会」

福島の農家は今本当に大変なんだろうと思います。
福島に暮らす者として、私も可能な限り応援していけたらと思っております。
私の話を聞いたFacebook友達 (小中学校時代の同級生) が今年注文してくださり、
とても美味しかったと喜んでくださいました。
美味しい桃を今まで通りの値段で買ってその味をただ楽しむ。
そんな支援の仕方もあるということを心の片隅に留めておいていただければと思います。

職階の法則

2012-09-14 18:17:39 | お仕事のオキテ
ある職階に就くことを目的としていた人がその職階に就くと迷惑である
やりたいことをやるためにその職階を必要とした人はやってくれる



組織のなかには 「部長になる」 ことや 「社長になる」 ことを切望し、

その目的のために暗躍・工作してまわるような人が必ずやいるものです。

そういう人が本懐を遂げたとき真っ先にすることは名刺を作ってみんなに配ることだったりします。

これは組織にとって不幸なことです。

こういう人は権力を行使することによってその地位にしがみつこうとします。

そして、ロクな仕事をしてくれません。

できるかぎり責任を取ることを回避し、その職階に求められる決断を下してくれません。

これに対して、組織のなかでやりたいことがあり、

それを果たすのに必要な力を得るためにある職階に就いた人は、

やるべきことをやってくれます。

そして、実はそういう人はたいていその地位に就く前にすでにその職責を果たしていたりします。

したがって、昇進させてみてうまくやれるかどうかが判明するのではなく、

すでにその職階にふさわしい仕事をできていた人が、後追い的にその地位に昇進するのです。

さて、政治の世界では総裁選だのなんだのと騒がしいことになっていますね。

この人たちはただ総裁 (=首相?) になることが目的なのか、

それともその地位に就いて何かやりたいことをきちんと持っているのか、

後者であることを祈りたいと思います。

『神様のカルテ2』 『3』

2012-09-13 19:11:03 | 生老病死の倫理学
       

先日、今頃になってやっと 『神様のカルテ』 を読みDVDを見たところですが、

その後、『神様のカルテ2』『神様のカルテ3』 を一気に読んでしまいました。

いやあ凄絶でした。

なにが凄絶かって?

現代の医療現場です。

自身が医師でもある夏川草介氏が書いているのですから、

ここに描かれた世界は現実の医療現場に限りなく近いのでしょう。

私は看護学校の授業ではわかったような顔をして、

「医は仁術なり」 と呼ばれていた時代はもう終わりましたなんて説明していましたが、

この過酷な現場で踏ん張っている人たちの働きを 「仁術」 と呼ばずしてなんと呼べばいいのでしょう?

『2』 でも 『3』 でも、主人公の働く本庄病院に新しい内科医がやってきます。

その2人は主人公の栗原一止とは相容れない医療観、医師観をもっています。

「主治医だからって24時間受け持ち患者のために駆けずり回るなんておかしいだろう」

と迫る医大時代の同期生。

「自己満足で患者のそばにいるなんて信じられない偽善者よ」

と糾弾するスーパー女医。

(注 : どちらも正確な引用ではありません。)

彼らとの確執を中心に物語は展開されていくのですが、

このシリーズの素晴らしさは善玉VS悪玉みたいな単純な図式に収斂してしまわないところです。

そういえば私は 『1』 の冒頭部分を読んだとき、

仕事にすべてを捧げるがゆえに妻とは疎遠になっていくというストーリー展開を予想していました。

しかし、栗原榛名という浮き世離れしたキャラクター設定によって、

私のような俗物の杞憂とはまったく無縁のさわやかな物語に仕上がっていきました。

同様に 『2』 も 『3』 も登場人物の絶妙なキャラクター設定によって、

過酷な医療現場を舞台としつつもギスギスしたところのない、

清々しい読後感の物語となっているのです。

これ以上はネタバレになってしまうので書けませんが、

医療関係を志す人にはぜひ読んでいただきたいと思います。

そして、医療とは無縁の人にもぜひ御一読いただき、

現代の医療がどれほど悲惨な状況に追い込まれているかということを知ってほしいと思います。

この本の登場人物たちのように、

「良心に恥じぬ」 神がかり的な人格者がそうそう実在するわけではありませんし、

たとえそういう人がいてもこんな状況下では道半ばで斃れざるをえませんので (『2』 参照)、

私たち国民が一度、医療制度のあり方についてきちんと考え直してみる必要があるでしょう。

そのうち 「本 de てつがくカフェ」 で取り上げてみてもいいかもしれません。

予習と思って皆さんも読んでみておいてください。



P.S.

『3』 まで読み終えてみて、やはり映画 『神様のカルテ』 には納得いかない部分が多々出てきました。

近々そのあたりのことについて再説してみたいと思います。

ナマ小出の宴

2012-09-12 13:59:13 | グローバル・エシックス
小出裕章さんとお会いしてきました。
いやあ濃い~1日でした。
夕食開始とともに Ustream での中継が始まり、
短い休憩をはさんで全部で6時間を超えるトークでした。
ナマで見てくださった方々は常時700名以上。
そのうち600名近くは最初から最後までずーっとお付き合いくださったようです。
ちょっと考えられない時代ですね。
そんな大勢の人に飲み会をずーっと見られているなんて。
しかも皆さん、リアルタイムで書き込みでツッコミを入れてくれています。
「小出さんのグラスが空いてるから誰か注いであげて」 には笑いました。
出演者はたった9名でしたが、総勢2000名~3000名による飲み会という感じでした。

小出さんからはたいへん実りあるお話をうかがえて本当によかったです。
話の内容については繰り返しません。
その中身はアーカイブで見ることができるようですので、そちらをご覧ください。
今日はどうでもいいような感想というか、わたし的にビックリしたことを書いておきます。

初めてお会いした小出さんは本当にカッコいい方でした。
まず背が高い!
研究者にしておくにはもったいないくらいのガタイをしていらっしゃいました。
特大の浴衣がつんつるてんになっちゃうくらい。
そして、声がムチャクチャいい!!
Ustream でも伝わったかと思いますが、
あの声で喋られちゃうとこちらは聞き入らざるをえない感じです。
小出さんのあの真摯な持論でなくとも、東電の記者会見原稿程度だとしても、
あの声で語られたら説得されてしまうんじゃないかというほど素敵な声でした。

もうひとつ驚いたのはご自分から 「先生」 ではなく 「さん」 づけで呼んでほしいと言われたこと。
以前に書いたことがありますが、大学によって 「先生文化」 のところと 「さん文化」 のところがあり、
京都大学というのは典型的な 「先生文化」 の大学のはずで、
京大の方相手に 「さん」 づけで呼んでくださいと頼んでも、
なかなか直してもらえないということがよくあるのです。
そんなところに籍を置いておられながら自らは 「さん」 づけを乞うというのは、
これはひじょうに小出さんという方の人となりを表す象徴的なことだろうと思いました。
フラットな関係を切望するその態度は、小出さんの研究姿勢をそのまま反映しているのでしょう。

ちょっと話は変わりますが、今回の会場となった犬鳴山温泉は、
大阪からずっと南下していった先の日根野という駅から送迎バスで15分ほどのところにあります。
このへんはほとんど和歌山県の近くで、駅のまわりもちょっとさびれた感じがするほどです。
この日根野駅の1つ手前が熊取駅なのです。
熊取と言えばご存知の方はご存知でしょう。
そうです、あの 「熊取六人衆」 の熊取なのです。
京都大学原子炉実験所には原子力利用の危険性を唱え続けてきた異端の研究者が6名いて、
小出さんはそのおひとりでいらっしゃるわけですが、
その京大原子炉実験所はこの温泉にほど近い熊取にあるのです。
今回の宿を紹介してくださったのも小出さん自身だそうです。
当初は研究所から自転車で行くから迎えはいらないとおっしゃられていたそうです。
(さすがに主催者が研究所まで迎えの車を出しましたが…)
問題は、〈京都〉 大学の原子炉実験所がなぜ大阪の片田舎、
ほとんど和歌山県に近い山奥にあるのか、ということです。
これはまさに 〈東京〉 電力の原発が営業圏外の福島県に建てられているのと同じ理屈です。
京大原子炉実験所は小さいながらも研究用の原子炉を保有しているので、
古都・京都のなかには危なっかしくて置いておけないからなのです。
小出ファンの皆さんはそんなこと百も承知だったようですが、
あいかわらず事前リサーチの足りない私はそんな情報にもビックリしてしまったのでした。

小出さんは朝食後すぐに研究所に戻っていかれました。
若者たちは疲れ切った様子でしたが、小出さんはあれだけ飲んだことを感じさせないくらい、
元気はつらつと、さわやかな笑顔で私たちと再会を誓って去っていきました。
なんだか夢のような2日間でした。
このムチャな企画に最後までお付き合いくださった小出さんに深く感謝申しあげたいと思います。
そして、仕掛け人の主催者のお2人、参加したブロガーの皆さん、
劣悪な環境で Ustream 中継を可能にしたボランティアスタッフの方々、
ネット経由でこの歴史的な試みの目撃者となってくださった皆さんに心より感謝申しあげます。
本当にありがとうございました。