まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

その名も 「流星軒」!

2016-07-29 15:54:42 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
今年になってから発見したお店、その名も 「カレー屋 流星軒」

4号線と平和通りがぶつかる交差点より少し北上したところにある 「サンクス」 の向かいにあります。

外観はこんな感じ。



いかにも怪しい感じです。

中に入るとユニークな店長さんが気さくに話しかけてきてくれます。

何回か通って話をうかがってみたところ、御自身がマンガ、アニメやアイドルが好きなオタク系なので、

その色を存分に出しながらお店づくりをしたそうです。

こちらのカレーは基本的にチキンカレーとビーフカレーの2種類。



あとはそれにライスや肉の量のバリエーションがある感じです。

さらに辛さのバリエーションもプラス5段階用意されています。



「激辛の世界」 と銘打たれています。

とにかく辛いという評判を聞きつけたので、

辛いもの好きの私としてはこれはぜひと思い、通い始めることになったのでした。

初めてうかがったときはLV1のチキンカレーを選択してみました。



LV1で十分辛いです。

ふだん 「CoCo壱番屋」 で食べている4辛と同じか、それよりもちょっと辛いくらいではないでしょうか。

たしかに辛いですがとても美味しいです。

この頃のチキンカレーには手羽元肉が2本添えられていました。

その次に行ったときにはLV2のビーフカレーにしました。



これは辛いです。

わたし的にはもうヤバイ感じです。

先ほどのメニューには、店長もかつてはここが限界点だったと書いてありましたが、

私もここが限界点かもしれません。

その後もまだLV3より上には進んでいません。

一度ちょい辛を頼んでみましたが、逆にそれは平和すぎてあまりにももの足りませんでした。

その後、こういう選択肢もあることに気づきました。



「あきらかにルー増し」。

説明文のなかにある 「全がけになります」 の意味がはじめよくわからず、

卵とかいくつかあるトッピングを全部かけるということなのかなと思っていましたが、

そういうことではなく、とにかくルーを増量するオプションだということに何回目かに気づきました。

「全がけ」 というのは白いライスがまったく見えなくなるまでルーを全体にかけるという意味なのです。

これは素晴らしい選択肢じゃないですか。

カレーを食べていて何が悲しくなるって、

ルーが足りなくなってライスだけ余ってしまうことほど悲しいことはありません。

たとえそうならなかったとしても、途中から残りのライスとルーの比率を十分に見定めて、

ライスだけが残ってしまわないように、一口ごとにあまりルーを多用しすぎないよう、

十分に気をつけてセーブしながら食べていくのってけっこうストレスフルだったりします。

これはぜひ一度 「あきらかなルー増し」 やってみたいものです。

というわけでやってみました。



これはスゴイです

まさに 「全がけ」 です。

ルーの残量を気にする必要は一切ありません。

というよりもルーのほうが確実に多いです。

ひとすくいのスプーン上で白いライス部分を見なくてすむなんていうレベルではありません。

ライスの一粒一粒をルーの海のなかで泳がせて、

一粒一粒がすべてルーをたっぷりまとっているという状態にして最後まで食べ続けることができます。

これは画期的です。

ここに至って初めて、ウガンダ師匠の 「カレーは飲み物である」 という名言は完成し、

一般人にも通用する普遍的真理と化するのだと思います。

他のカレー屋さんでもルー増量というサービスをやっているのは知っていましたが、

今までそれを利用したことはありませんでした。

「あきらかなルー増し」 というキャッチコピーに釣られて初めて注文してみましたが、

これはあきらかな別世界へと誘 (いざな) われる体験でした。

今後は別の店でもぜひルー増量を忘れずに付け加えてみたいと思います。

なお、今の写真は最近撮ったやつですが、チキンカレーの鶏肉が手羽元から胸肉に変わっています。

メニューには 「食べ易くなりました」 と書いてあり、たしかに若干食べやすくはなりましたが、

手羽元だってしっかり煮込んであってホロホロと肉ははがれるため別に食べにくくはなかったので、

肉のしっとり感や旨味から考えると、個人的には手羽元肉に戻していただきたいものです。

さて、激辛なカレーが食べられるということでうかがってみた 「流星軒」 ですが、

今のところLV2止まりで、調子のいい日はLV2、調子の悪い日や自重したい日はLV1と、

穏健な路線をさまよっています。

いつの日かLV3やLV5に挑戦する日が来るのか、

LV5を完食すると店内に写真を掲示してもらえるそうなのですが、

はたしてそんな日が訪れるのか、お腹具合と相談しながらじっくり考えてみたいと思います。

まあLV1やLV2で十分美味しいのですからそれで満足すればいいはずなんですが、

私の心のなかの少年が 「そんなにレイドバックしてていいのか」 とけしかけてくるんですよねえ。

挑戦するべきか、自重するべきか、それが問題だっ

ああ、どうしようかなあ…

明日の 『FAKE』 deてつカフェの打ち合わせ結果

2016-07-28 22:06:34 | 哲学・倫理学ファック
ただいまフォーラムの阿部さんと打ち合わせを終えてきました。

明日の 『FAKE』 de てつがくカフェに関していくつか新しい情報があります。



まずひとつめ。

明日のてつカフェに聴覚障害者の方から参加希望が表明されたため、

映画は日本語字幕付きプリントにて上映されるのと、

てつカフェにおいては手話通訳が付くことになりました。

障害者差別解消法がこの4月から施行されたことに伴って、

映画業界においてもさまざまな取り組みが行われているようです。

今回の映画 『FAKE』 もあの佐村河内氏を取り上げているということもあって、

フォーラム福島においても一度、日本語字幕付きプリントで上映していたそうなのですが、

てつカフェ当日にも聴覚障害者の方にご参加いただき、字幕付きで映画を見たあと、

手話通訳付きで哲学的対話を繰り広げることができることになりました。

これは私たちにとっても初めての試みであり、とても画期的なことだと思います。

ぜひ聴覚障害者の方々とともに佐村河内守氏について語り合いましょう。

続いてふたつめ。

明日はフォーラム3での開催となりますが、上映前からてつカフェの時間にかけて、

『ア・フィルム・アバウト・コーヒー』 のときと同じように、

市内のコーヒーショップが出店して、本格的なスペシャルティコーヒーを販売してくれるそうです。

とりあえず出店がはっきり決まっているのは、

「SAKAMOTO COFFEE」 さんと 「RIVER BEACH COFFEE」 さんです。

すごいですねえ。

スペシャルティコーヒーを飲みながらてつカフェができるなんて、どれだけ恵まれているんでしょう

ただし、スペシャルティコーヒーですので1杯淹れるのにけっこう時間がかかります。

できるだけ早めのご来場と早めの購入をオススメいたします。

最後に恒例の打ち上げに関してですが、

当初はフォーラム福島館内で立食形式でやることを考えていましたが、

けっきょくそれは難しいだろうと判断し、街中の 「轟座 (くるまざ)」 で開催することになりました。

映画館からちょっと離れていますが、

遅い時間に不確定な大人数を受け入れてもらえる店ということで、こちらになりました。

てつカフェ開始前に参加者数を確認しますが、

森達也監督と語り合える貴重な機会ですので、ぜひ皆さまご参加ください。

大人数での移動で開始時間が遅くなることは避けたいです。

土地勘に詳しい方はぜひ率先して足早に移動して、できるだけ早い開会にご協力ください。

以上、今決まったばかりのホットな情報でした。

明日は 『FAKE』 だ、森達也監督だあっ!

2016-07-28 17:15:08 | 哲学・倫理学ファック


明日はいよいよ 『FAKE』 de てつカフェ@フォーラム福島ですっ

18時00分から映画上映、

そして、20時過ぎくらいから森達也監督とともにてつカフェですっ

平日夜の開催となってしまいましたが、森達也ファンの皆さまからは、

「よくぞ監督を福島に呼んでくれた」 と激賞の言葉をいただいております。

まあお呼びしたのは私たちではなく、フォーラムの阿部さんなんですが…。

とにかく全国でも大ヒットを収めている話題のドキュメンタリー映画です。

見たら誰かと 「あれってどういうこと?」 と語り合いたくなること必至です。

さらに、まだ詳細は決まっておりませんが、

てつカフェ後には森監督を囲む会も予定しております。


(今日これから打ち合わせをするというあいかわらずの自転車操業です

森達也ファンにはたまらないでしょ。

でも特にファンというわけではない私だってめちゃくちゃ楽しみです。

森達也ファンもそうでない方も、

ぜひこの機会に 「シネマ de てつがくカフェ」 にご参加ください

2016年度前期授業終了!

2016-07-27 11:25:12 | 教育のエチカ
ただいま1限の授業を終えてきたところですが、

これをもちまして今年度の前期授業がすべて終了しました。

梅雨明けする前に前期は終わってしまいましたね。

夏の定番のこんなカッコで授業する機会も今年はとうとうありませんでした。



奇しくも今年度前期最後の授業は、あの大ポカをやらかした大学院の授業でした。

最初の5回を自分が担当し、その後9回はH先生とS先生に御担当いただき、

最終回の今日を私が締めるというのが、この授業開設当初からの組み立てですので、

今年に限ったことではないのですが、前期の最後に久しぶりに水曜1限があるということで、

昨日からけっこう緊張していました。

自宅に帰ってきてまず最初に目覚まし時計をセットしたり、夕食時にはちょっとお酒を控えめにしたり、

いつもより早めにベッドに入るようにしたり等、自分なりに最善を尽くして今日を迎えました。

けっきょく緊張のためなかなか眠ることができず、しばらくベッドで本を読むなど悪戦苦闘しましたが、

朝は問題なく起床することができました。

最終回は前期の授業全体を振り返ってもらう内容でした。

3つの問いに順番に答えてもらい、それをみんなでシェアするということをやっていたら、

けっこう時間がかかり、危うくいつものアンケートを実施する時間がなくなってしまうところでした。

その 「教育改善のための学生アンケート」 ですが、昨年度からシステムが変わり、

隔年で実施することになりました。

そして、今年度はアンケートを実施しない年に当たるのです。

ですから、本来でしたら今年は実施しなくてもよかったわけですし、

それを言ったらもともと大学院科目はアンケート実施対象科目から外されていますので、

今日の授業ではまったく何ひとつアンケートをやる必要はなかったわけですが、

私としては 「教育改善のための学生アンケート」 は毎年行うべきだと思っていますので、

「キャリア形成論」 や 「倫理学概説」 でも例年通り実施しましたし、

今日の大学院の 「地域文化創造特論」 でも実施させていただきました。

その結果はまた追い追い報告していくことにしたいと思います。

ただ、今年は実施年ではないので教務課のほうで集計はしてくれないはずで、

自分で集計しなければならないでしょう。

「倫理学概説」 や 「地域文化創造特論」 に関してはいつも、

教務課から結果が届けられる前に自分で集計していたから問題ないのですが、

「キャリア形成論」 は受講生が300名もいますので、

これを自分で (学生アルバイトを使ったとしても) 集計するのはちょっと大変そうです。

それと、「キャリア形成論」 は今年初めて私が世話人として全体を統括しましたので、

学生アンケートの実施・回収も私が行いましたが、

担当教員は私を含めて3名、関わってくれた教員はその他に3名いらっしゃいますので、

全員の同意が得られなければアンケート結果を外部に公表することができません。

というようなクリアしなければならないいくつかのハードルがありますので、

「キャリア形成論」 に関しては結果報告ができるかどうか、できるとしていつできるのか、

ちょっと見通しが定かではありません。

できるかぎり公表できるように努力してみたいと思います。

さてと、とにかく授業は終わった!

あとは採点の祭典だあっ

相馬2016最後の午餐

2016-07-22 13:10:01 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
昨日は相馬看護学校の 「哲学」 の授業の最終日でした。

最終回では授業全体を振り返ってもらいましたが、それはまた別にお伝えすることにして、

とりあえず、最初から波乱含みだった相馬ランチの最後を飾った店をご紹介することにしましょう。

腹痛のため昼食を抜いたり、久しぶりのお店に行ったり、いろいろあった今年度でしたが、

最終週にどこで食べるか相当悩みました。

「エンドレス」 には2回行き、2回ともハンバーグを食べましたので、

最後も 「エンドレス」 で締めて、ハンバーグ以外のものを食べるということも考えました。

いや、やはり最後は 「ふくしまや」 の頑固そばで有終の美を飾るべきでしょうか?

そう言えば、「井戸端よしお」 も今年はまだ1回しか行っていません。

うーん、どうしましょう。

看護学校でクルマを発進させた時点でまだどこに行くか決めかねたまま、

とりあえず駅のほうをめがけて走らせていました。

するとふと一軒の店が目に入ってきたのです。

こちらです。



「とんかつ大幸」 です。

駅からはちょっと離れたところ、駅と看護学校の中間地点くらいに位置するお店です。

こちらには一度もうかがったことがありません。

通り道ですのでよく目にはしていました。

特に初期の頃は行ってみたいなあと憧れていました。

糖質制限を始めてからは、当然こういうお店は定食メニューしかないでしょうから、

完全に選択肢から消え去っていました。

糖質制限ダイエットに終止符を打ってからは、定食メニューも怖くはなくなったのですが、

ただこのお店、駐車場がほとんどないのです。

店の前に3台も停めたらいっぱいで、たいてい駐車場は埋まってしまっていたのです。

というわけで 「エンドレス」 と同じ駐車場問題によりいつしか選択肢から外れていました。

ところが昨日、その前を通りかかったらクルマは2台しか停まってなくて、

1台分のスペースがあるのを発見してしまったのです。

(写真は食べ終わったあと、ちょうどお店も閉店となった時間に撮ったので駐車車両はありません。)

これは何かの啓示だろうと思い、思いきって入店してみることにしました。

中はまさに古びた定食屋さんのようなつくりです。

地元の方が何組か食事をされていました。

驚いたのはメニューです。

壁に張り出されているのですが、たった3つしかメニューがありません。

「とんかつ定食  500円

 えびフライ定食 600円

 かつ煮込み重  600円」

シンプルで、しかも激安です。

ワンコインでとんかつ定食が食べられちゃうんですか?

初めての来店ですし、一択でとんかつ定食にしてみました。

テレビを見たり、新聞を読んだりして待って出てきたのがこれでした。



みごとなとんかつ定食です。

ソースもたっぷりかかった状態で出てきました。

500円とは思えない充実ぶりです。

副菜がキュウリに頼りすぎているのが若干マイナスポイントですが、

安い値段で品数を揃えるにはしかたないでしょう。

とんかつも薄いと言えば薄いですが、



500円という値段を考えればケチのつけようはありません。

むしろ原価を抑えつつ、これだけのボリュームあるとんかつに仕上げた工夫を賞賛したいです。

ぜひとも残り2つのメニューにも挑戦してみたいものです。

というわけで、今年の相馬ドライブは新しい定番店を発掘する旅となりました。

最後の最後でまた新しい出会いのあったことに感謝したいと思います。

次に来るのはまた来年ということになりますが、

その日まで相馬の飲食店の皆さん、アベノミクスに負けず頑張って営業を続けていてください。

harashima again!

2016-07-21 19:42:21 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
昨日は久しぶりに 「harashima」 に行ってきました。

ちょうど1年ぐらい前 「harashima」 が復活したばかりの頃に、

Y先生の歓迎会を開いたときにこのブログでご報告したことがありました。

その後たしか1回くらい行ったことはあったのですが、そのときは報告するのを忘れていて、

その以降しばらく行く機会に恵まれませんでした。

久しぶりに訪れたお店の外観はこんな感じになっていました。



ん?

ちょっと感じが変わっています。

お店の方は 「新しく看板を作った」 と自慢していらっしゃいました。



これは看板ではなく黒板ですね。

これまではコース料理のみだったところ、アラカルトを始めたということで、

その日のメニューを書くための黒板を設置した模様です。

そんなこととは知らなかったので、昨日はすでにコースで注文してありました。

まずはカツオのカルパッチョ。



たたき状態のカツオも美味しかったですが、カラスミも2枚ほど添えられていました。

(キュウリの上に乗っかってるやつです。)

このカラスミはイタリアのものだそうです。

続いて地鶏のグリエ。



香ばしく焼き上げられた地鶏に削ったチーズがかけられています。

左上はカポナータだかラタトゥイユだか風のソース。

左下の薄い緑色の斜めの線はワサビのソースです。

このお皿もステキ。

そして、アラカルトのメニューの中にもあったスパゲティジェノベーゼ。



これは自分でも作れるけれど、やはりプロの作品は一味違います。

昨日は4人で行って、泡1本、赤3本開けましたが、主役のワインはこちら。



イタリア通のひとりの方が数あるイタリアワインのなかでも一番好きだというワインだそうです。

私は初めて飲みました。

干したブドウで作るワインで香りが特徴的で、抜栓した直後はアスファルトの匂いがするんだそうで、

この日は私たちのために15時に抜栓して待っていてくださったそうです。

恐くて値段は聞きませんでしたが、とても高級な味でした。

料理に戻って、魚料理はヒラメの白ワインソース。



AMARONEとのマリアージュは今ひとつだったので (どうしてもワインが勝ちすぎてしまう)、

濃厚な白ワインと一緒に食べてあげたかったですが、料理自体はとても美味しかったです。

最後の肉料理は、網あぶらで包んだイベリコ豚と仔牛とモッツァレラチーズのハンバーグ。



ハンバーグであることがこの写真じゃわかりづらいですね。

真ん中からチーズがとろけ出てくるんですが、それもこの写真じゃ伝わりませんね。

カットしたところの写真を撮っておけばよかった

これはワインとの相性も抜群で、一度食べ始めたらもう写真のことなどすっ飛んでいました。

みごとなメイン料理でした。

シェフは私たちのことを知り尽くしているので、

デザートはなく締めはチーズという飲兵衛向けコースでした。

料理もワインも堪能いたしました。

これだけ飲んで食べて1人1万円ぽっきりというのは大変お値打ち価格ではないでしょうか。

原島シェフ、このところ貧乏だったのでなかなかうかがえなくてすみませんでした

今後は、足繁くとはいかないまでも、もうちょっと真面目に通いたいと思います。

美味しい料理をありがとうございました。

ごちそうさまでした。

相馬14期生に病気が教えてくれたこと・まさおさまセレクト

2016-07-20 16:45:27 | 生老病死の倫理学
相馬の看護学校で行った 「病気が教えてくれたこと」 のワーク、

先日は各班の代表作品をご紹介しましたが、

今日はまさおさまセレクトの5作品をご紹介しましょう。


【家族】
普段私達は、家族とあたりまえのように話し、食事をとり、日々を過ごしている。そのため毎日の生活の中で、家族という存在の有り難さには中々気づかない。しかし、それがあるきっかけにより気づかせてくれることがある。それが、自分もしくは家族の病気である。
病気の症状は突然であった。母親が突然顔をまっさおにし動けずに横になったまま表情をこわばめていたのだ。この時は、知識もなくどう対処すればいいかわからず心配や不安におしつぶされそうで、家族を失うのではないかという思いでいっぱいだった。それからは、ふとした瞬間にその時のことを思い出される。
家族はいてあたりまえ。確かに健康であればそうなのだろう。
でも、あの時のように突然家族の危機に直面した際に同じことはいえなくなるだろう。家族は普段の生活の中で、学生である私の食事や経済面だけでなく精神的にも支えになっている。私は今、あの時のように何もできない自分ではなく、家族をいちはやく気づき対処できる自分になるために勉強している。


【大切な存在】
中学生のときに妹が手術をした。
先天性の疾患で辛抱中隔欠損症だった。
医師は 「悪化する前に見つかって良かったね」 と言った。
何が良いのか、当時の私には分からなかった。
「心臓の手術をする。」
ただその言葉だけが、頭の中をかけめぐった。
2つ年下の妹。
私よりもしっかりしてて、口うるさくて。
よくケンカをした。
何度、一人っ子だったら良かったのにと思ったことだろう。
それなのに、このときは、妹をいとおしく思えた。
手術は無事に終わった。
「ほっと肩をなでおろす」 ということは、こういうことかと思った。
あれから10年ぐらいになる。
妹は元気であいかわらず私よりもしっかりしていて口うるさい。
でも、さすがにケンカの回数は減った。
いつも近くにいて、それご当たり前で気づかなかった。
大切な存在。
仕方ないから、次の休みには買い物に付き合うことにした。


【話せるということ】
今まで風邪を引いても、大声で叫んだりしても声がかれることはなかった。でも、今、声が出ないという状態になってみて、人とのコミュニケーション (会話) がとても大切なことだと気付いた。
今はLINEとかで友人とも、連絡をとったりすることは出来るから…と思っていたが、一緒に住んでいる家族にさえも、うまく自分の思っていること、話さなきゃわからないことが伝わらないと思った時に、LINEやメールなど文字では伝わらないことがたくさんあると気付いた。相手に伝わらないモヤモヤ感はすごい孤立感で、苦痛であることを改めて知った。
いつもだったら友人と楽しく会話したり、不安だったり相談なども電話でできたのに…と思うと、すごい寂しいと感じた。
でも、友人も家族も私のジェスチャーだったり、小さく聞き取りにくい声を一生懸命聞き取ろうとしてくれているのをみて、それだけで嬉しさがあった。
声が出ること、友人と会話することがあたり前ではないわかった。ささいなことに対しても感謝しなければならないと思えた。


【おじいちゃんの想い】
おじいちゃんが認知症とパーキンソン病を発症した。
おじいちゃんは食べることが大好きで、病気が発症する前は自分で家の中のおかしを探し、ポケットにたくさんつめて、こっそりおかしを食べていた。
病気が進行し、今はベッドの上での生活がほとんどで、1日中話しかけても発話することがなかった。パーキンソン病の影響で腕の関節の拘縮がすすみ、自分で好きなものを食べることができなくなった。パーキンソン病に伴う嚥下機能の低下も進んでいた。
ある日お母さんがおじいちゃんに、看護師さんには内緒でオロナミンCを飲ませてみた。おじいちゃんはうまいなあと一言話した。これまでほとんど発話することがなかったおじいちゃんが自分から発言をしたことに家族みんなで涙を流して喜んだ。このとき初めて、日常生活の中で好きな時に好きなものを食べることができていることはありがたいことであると学んだ。おじいちゃんはずっと自分の好きなものを食べたいという気持ちが心の中にあり、発話がほとんどなくなった今、自分の気持ちを伝えることができずにいた時に、好きなものを食べたいという思いがお母さんに伝わり、あのうまいなあという発言につながっていったのだと思った。今後もおじいちゃんのお見舞いに行った時には、おじいちゃんが望むことは何かを表情や目で追いかけるものなどから知っていき、おじいちゃんに最後まで自分らしく生きてほしいと思う。


【私のパートナー】
”◯◯は、毎日お手伝い頑張ってくれてるから、神さまがちょっと休めって病気にしてくれたんだよ”
幼い私にも分かるように説明してくれた母。
家族や友達と離れて暮らしていて、毎日悲しかった。辛かった。
”頑張っていればすぐ家に帰れるよ”
その言葉を信じて毎日毎日頑張った。注射だって我慢した。
頑張れば、頑張った分だけ報われるということに、病気になって気づいた。
今は忘れている時もあるけど、たまに思い出して頑張る力に変えている。
”なんで病気になんか…” と思ったこともあったけど、
病気も、自分らしさの一部だって今は思えるよ。
これからもヨロシクネ。


いかがだったでしょうか。

いずれも各班の代表作品に選ばれていてもおかしくなかった力作と言えるでしょう。

特に、話せることの大切さを教えてもらった話が複数含まれていたのが特徴的です。

このワークをやってみた感想として、

「自分がなぜ看護師になろうとしたのかまで思い出すこともできました。

あの時、対処も何もできなかった自分があったからこそ、今看護師としての知識をつけ、

あの時とは違う自分になるために、実習や勉強がつらくても、

目標に向かっていっていることをあらためて考えることができました。」

と書いてくれた人もいました。

病気はさまざまなことを教えてくれるんだなあと再確認しました。

このワークをやったことで、少しは自分の疾病観、医療観、看護観を深めてもらえたでしょうか?

相馬の看護学校の授業はしばらく空いていましたが、明日で終了となります。

最後に4週間、2週間と空いてちょっと間延びしてしまいましたが、

この4ヶ月に渡る15回の学びを振り返り、みんなの胸に刻んでもらおうと思っています。

迷子のくんたま

2016-07-18 19:25:37 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
えーと、この連休に気がついたんですけど、冷蔵庫のなかにこんなものがありました。



燻製卵でしょうか?

その10個パックです。

取り出してみると、



もう、これはチョコレートかっ っていうくらい茶光りしています。

よく冷えているからか殻はつるっと剥けて、



中までしっかり燻製されており、殻を剥く最中からこうして剥けたあとも、

ずっと燻した香りが食卓のあたりに広がっています。

さて、質問です。

これはどこから来たんですか?

いつうちの冷蔵庫に収まったんですか?

買った覚えはまったくありません。

ただでさえ一人暮らしなので、生卵も10個パックを買うかどうかいつも悩むのくらいなので、

燻製のゆで卵の10個パックを買うほどの需要はうちにはないはずです。

どうしたんでしょう?

もらったんでしょうか?

誰から?

たしかに先週は、最近にしては珍しく何回もいろんな方々と外で飲む機会がありましたので、

そのどこかのタイミングで、ご一緒した人のうちのどなたかから頂戴したんでしょうか?

たぶんそうなんでしょう?

でも誰から?

すごいなあ、完全に記憶から抜け落ちてるなあ。

全部食べ終わる頃には思い出していることを期待したいと思います。

だけど、まさおさまに毒を盛ろうと思ったら簡単だよなあ。

酔っ払ってるときを見計らって食べ物渡せばいいんだからなあ。

いつ誰からもらったものかわからなくても平気で口にしちゃうし…。

これも美味しかったです。

たぶん御礼申し上げていないと思います。

お心当たりのある方は名乗り出ていただけると安心していただくことができます。

コメント欄かメッセージまたはメール送信でよろしくお願いいたします。

どこのどなたか存じませぬが、名乗り出ていただけなかった場合のことを考えて、

この場で御礼申し述べさせていただきます。

どうもごちそうさまでした

平成の夏の季語

2016-07-17 15:30:19 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
去年からはまっているココナッツオイルですが、



昨年の記事にも書いたように、室温25°Cくらいまではこんな状態です。



1年のうちのほとんどはずっとこうなんですが、

このところ梅雨あけはまだとはいえ気温は上がってきたので、

最近のココナッツオイルはこんな感じです。



もうサラッサラの液状です。

これを見られるのは夏のこの時期だけですね。

こういう季節限定の風物詩ってひょっとしたら季語として使えるんじゃないでしょうか?

「サラサラの椰子油」 で夏を表すとか、「白濁の椰子油」 で夏以外の季節を表すとか…。

ただ10文字も使ってしまうので、ちょっと俳句向きではありません。

短歌の場合は本来季語なんて要らないんですが、

せっかくですのでいくつか俳句と短歌を作ってみましょう。


 百五十まで白濁の椰子油 (やしあぶら)


 惚けバテに効くサラサラの椰子油


 コーヒーに溶けゆく白き椰子油 油膜でアンチエイジングかな


 透明の椰子油 (やしゆ) で炒める茄子トマト 秋冬とばして春に回 (かえ) らん


 ココナツがほのかに香るナポリタン 南国経由で和洋折衷


お粗末さまでございました

平成の時代の (平成の世ももう終わってしまうのかもしれませんが…)

新しい季語として定着してくれるとうれしいです。

逃げちゃ駄目だ 逃げちゃ駄目だ 逃げちゃ駄目だ

2016-07-15 18:20:34 | 飲んで幸せ・食べて幸せ
なんか3・11以後は毎回のような気もしますが、選挙が終わったあとは絶望感に打ちのめされて、

しばらくブログ更新をサボってしまう (というかブログを書く気が失せる) 傾向にあるようです。

しかし、まだ憲法が改正されてしまったわけではありませんし、

国民が自由に意見を表明する人権が停止されてしまったわけでもありませんので、

自民党によってこのブログが強制的に閉鎖されてしまうその日まで、

思ったことを自由に書き続けていかなければいけないと思います。

碇シンジくんが言ったとおり、何があっても、



逃げちゃ駄目ですよね。

先日、逃避のためにピンキーの伊藤さんと飲みに行った際に、ふとそう思わされました。

その日は伊藤さんに連れられて初めてのお店 『穴子料理 森ふじ』 に行ってきました。

そこにそのお店があることは前々から知ってました。

けっこう有名な店だという噂も聞いたことはありました。

ただ穴子料理ってピンポイントだよなあと思い、鰻屋さんに鰻を食べに行きたいと思うことはあっても、

なかなか穴子料理を食べに行きたいと思い切る機会に恵まれず、

その暖簾をくぐることは今までありませんでした。

伊藤さんとはいつも髪を切ってもらいながら、どこのお店に行ったとかの情報を交換しつつ、

今度はどこに一緒に飲みに行こうかと相談しているのですが、

伊藤さんが最近行こうとして行けなかったとのことだったので、

では今度ぜひ行ってみようとトントン拍子で話が決まったのでした。

カウンターで飲み始めましたが、目の前にはこんな作品 (?) が掲げられていました。



店主が自ら書いたのでしょうか?

オススメどおり、穴子の刺身と白焼きを頼んでみました。

穴子の刺身というのは初めて食べるような気がします。



なるほど、こんな色なんですか。

盛り方もそうですが、歯ごたえもフグ刺しに似ていてとても美味しいです。

鰻の刺身というのは聞いたことありませんが、穴子は刺身でも食べられるもんなんですね。

勉強になりました。

旬ということで鰹の刺身も頼みました。



こちらも分厚く切られた鰹が脂が乗っていて大変美味しかったです。

そして白焼きです。



鰻の白焼きは食べたことありますが、穴子の白焼きも初めてじゃないかな?

穴子って寿司ネタの蒲焼きか天ぷらでしか食べたことがないような気がします。

初めての白焼き、ほわっほわでとても美味しかったです。

塩で食べるように店主から指示されましたが、

一緒に盛られていた真っ黒な大根の漬け物と食べると、塩を付けずとも美味しくいただけました。

ほかにも穴子とお餅の湯葉揚げなどいろいろいただきましたが、

話とお酒と食べることに夢中になってしまい、写真を撮るのを忘れてしまいました。

さて、本題に戻らなきゃいけません。

今日は 『森ふじ』 の料理の話をするためにこのブログを書き始めたわけじゃありませんでした。

『森ふじ』 での気づきはトイレのなかでした。

お店のトイレってたまに気づきを与えてくれたりするもんですよね。

今回は、額とかではなく、ただのカレンダーでした。



「ゴリラ運転代行サービス」 がお得意さまのお店に配布しているらしいこのカレンダー。

毎月の標語が書いてあるんです。

アップにしてみましょう。



なるほど。

「蟻の穴から堤も崩れる」 ですか。

そうですよね。

そうなんです、ちょっとしたことからすべてが変わっていったりするんです。

まだあきらめちゃいけません。

逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ

何もかも投げだして亡命でもしてしまいたい気分を追いやって、

何とか蟻の穴を探し出していきたいと思います。

Q.『青い鳥』 の物語って哲学的にどういうお話なんですか?

2016-07-11 16:26:07 | 幸せの倫理学


これは看護教員養成講座の受講生の方からいただいた質問です。

正確には次のように聞かれました。

「Q.絵本の 『青い鳥』 の世界を哲学で説明するとどういう話なのか教えてほしいです。

   今回の講義を聞いたら私にも分かるようになりますか?」

いかがだったでしょうか?

私の 「哲学」 の講義を聞き終わって、あれがどういう話なのかわかるようになったでしょうか?

たぶんならなかったでしょうね。

あれに直接関係するような話はしませんでしたからね。

というか、私だってあの物語がどういう話なのかよくわかっていません。

だいたいのあらすじくらいなら聞いたような覚えはありますが、

子どものころにあの絵本を持っていたような気はしないし、

だからそもそも 『青い鳥』 のお話をちゃんと読んだことってないんじゃないかな?

ざっくりまとめると、チルチルとミチルという兄妹が幸せの青い鳥を探しに旅に出かけたけれども、

まったく見つけられずに家に戻ってみたら、我が家で前から飼っていた鳥が実は青い鳥だった、

というお話ですよね。

そのあらすじだけから判断するに、人は幸福をどこか遠いところに求めたがるけれど、

実は気づいていなかっただけで、幸福というのは自分の身近なところにあるんだよ、

ということを訴えている物語のように思えます。

それだけだとするならば、これは私がこのブログ (特に 「幸せの倫理学」 のカテゴリー) のなかで

常日頃から唱えていることと軌を一にすると言ってもいいでしょう。

はたしてそういうことを訴えたかったお話だったのでしょうか?

ちゃんと読んだ記憶がないのでまずはちゃんと読んでみる必要がありますね。

さすがに絵本を注文はしませんでしたが、ネット時代は便利なもので調べてみれば出てくるものです。

こんなサイトを見つけました。

「青い鳥」

あの物語が相当詳しく載っています。

これがどの程度要約されているものなのか、

それとも元々の物語がそのまま載せられているのか私にはわかりません。

が、先ほどざっくりまとめたあらすじに比べるといろいろな要素が入っているように思います。

最後の2文はこんなふうにまとめられていましたね。

「こうしてチルチルとミチルは、幸福とは気がつかないだけでごく身の回りに潜んでいるもの。

 しかも自分のためだけでなく、他人のために求めるとき、

 それははかりしれなく大きくなることを知ったのです。」

私が覚えていたのは最初の1文だけでした。

幸福とは自分のためだけではなく、他人のために求めるときはかりしれなく大きくなる、

というのもこの物語のテーマだったということについては今回初めて知りました。

これについても私は 「まさおさまの幸福の倫理学」 という講演をするときにはよく話をしていますが、

『青い鳥』 との関連は考えたことがありませんでした。

今後は 「幸福の倫理学」 の講演をするときには 『青い鳥』 の話を例に出してもいいかもしれません。

ただまあ、たしかに最後の2文はあのようにまとめられていましたが、

あの物語をあの2文に収斂するように読まなければいけないというわけでもありません。

トマス・マンの 『魔の山』 の一節を皆さんに解釈してもらいましたが、

絵本や小説などは、たった1文だけでも無限の解釈の可能性を秘めています。

ましてや哲学は、唯一の正解を認めない (どんな答えも疑っていく) 学問ですので、

「『青い鳥』 の世界を哲学で説明するとどういう話なのか教えて」 あげられるほど、

確固たる解釈なんてたぶん存在しないでしょう。

というわけで今回のお答えは次のようになります。


A.『青い鳥』 の世界を哲学で説明するとどういう話なのか教えてあげられるほど、

  確固たる解釈があるわけではないし、私の講義を聞いてもわかるようにはならないと思います。

  何度も何度も自分で読んで、自分なりに考えていくしかないのではないでしょうか。


ちなみに私がやっている 「てつがくカフェ@ふくしま」 では、

ときどき 「本deてつがくカフェ」 というものをやっています。

これは課題図書を1冊決めてみんなで読んできて、

そこに含まれる哲学的/倫理学的テーマについて語り合う会です。

これをやってみると、同じ本を自分とはまったく違ったふうに読んでいる人がいて驚かされます。

ぜひ質問者の方も、いろんな人と一緒にこの 『青い鳥』 を読んでみるといいと思いますし、

そのうち 「本deてつがくカフェ」 でも 『青い鳥』 を取り上げてみたいなと思いました。

そのときにはぜひご参加ください

Q.幸福であることはなぜ義務になりえないのですか?

2016-07-10 13:56:32 | カント倫理学ってヘンですか?
こんな質問をいただきました。

Q.「幸福であること」 はなぜ義務になりえないのか? 具体的な作品名は伏せるが、いわゆる 「ディストピアもの」 とされる作品を見てきて、この問いが頭に浮かんで以来、数年間自分なりの答えが出せないでいます。先生ならどう答えますか?

なんで具体的な作品名を伏せちゃうのかなあ?

それがわからないとどういう文脈でこの問いが生まれてきたのかがわからないじゃないですか。

どんな作品だったんでしょうね。

マンガとかアニメなんでしょうか?

ディストピアというのはユートピア (理想郷) の逆の社会のことですね。

どんな物語で、それが今回の質問にどう結びついたんでしょうか?

わからないので、こちらで勝手に答えられることを答えるしかありません。

質問者の意図にぴったりのお答えを出せるかどうかわかりませんが、

カント主義者としてごくごくカント的にお答えしていくことにしましょう。

カントは、幸福である (幸福になる) ことは義務ではない、と考えた哲学者の代表ですので、

なぜそれが義務でないのかに関してもひじょうにクリアに説明してくれています。

カントによれば、幸福であることが義務ではない理由は大きく言って2つあります。

まずはひとつめ。


A-1.幸福は、すべての人間がすでに現に有している目的であるがゆえに、
    わざわざそれを義務として強制的に課す必要がないので、
    幸福は義務にはなりえないのです。


例えば、「呼吸することは人間の義務である」 と言ったとしてもそれは無意味ですよね。

義務であろうがなかろうが人間は呼吸をしてしまうのですから。

同様に、食べたり飲んだりすること、寝ること、排泄することを義務とする必要もありません。

誰もが必ずしてしまうことを義務とすることはできないのです。

逆にこれらを禁ずることもできません。

呼吸しないこと、飲食しないこと…等々を義務にすることはできません。

そんなことは不可能ですから。

これらをもう少し限定して、1日に3回深呼吸することとか、1日に3度食事をすることとか、

肉は食べずに野菜だけを食べることとか、

ノンアルコールの飲み物だけを飲むこと (アルコール飲料は飲まないこと) とかであるならば、

それを義務とすることはできます (もちろん義務にしないこともできます)。

つまり、人が必ずすることを義務にするのは無意味であり、

人が必ずすることを禁ずる義務を課すことは不可能であって、

義務になりうるのは、するかしないかを選択可能であるような行為のみなのです。

そして、カントに言わせれば、幸福を目的とすること、幸福でありたいと願うことは、

すべての人間が不可避的にそれを求めざるをえない事柄であるために、

わざわざ義務として強制する必要がない、ということになるのです。

これがひとつめのバージョンの答えです。

続いてふたつめ。


A-2.どんなにすべての人間が幸福になりたいと思っているとしても、
    何が幸福かはひとりひとりまったく異なっているし、
    したがって幸福になるために具体的に何をすればいいかも明らかではなく、
    しかも幸福になれるかどうかは外的状況に依存する部分が多く、
    本人の行動や努力だけではコントロールできないので、
    幸福であること (幸福になること) は義務にはなりえないのです。


先ほどの答えは、ある種普遍性のある、誰もが納得する (可能性のある) 答えでしたが、

今度の答えはきわめてカントの幸福観に依拠した、カント固有の答え方となっています。

つまりカントは幸福というものを主観や経験によって大きく左右される不安定なものと考えており、

したがって、幸福になれと言われても、それをどうやって手に入れたらいいか、

そのために具体的にどんな行為をしたらいいかを客観的に定めることはできないと考えています。

そしてけっきょくのところ幸福は個人個人の主体的努力によって確実に得られるものではなく、

外的偶然によって結果的にもたらされるものだと考えています。

そのようなカントの幸福観に従うと、私たちは幸福になるために何かをすることはできないので、

何らかの私たちの行為と結びつくような幸福になる義務を考えることはできないし、

したがって、そういう義務を守ることもできない、ということになるのです。

例として適切かどうかよくわかりませんが、例えば 「カッコよくなれ」 と言われても、

何をカッコいいと言うのか人によって異なります。

見た目のカッコよさを考える人もいれば、言動のカッコよさを考える人もいたり、

性格や人間としてのカッコよさを思い浮かべるひともいるでしょう。

見た目のカッコよさに限定しても何をカッコいいとみなすかは千差万別でしょう。

そういう主観的な概念を用いてすべての人間に当てはまる義務を述べることはできません。

また 「金持ちになれ」 の場合、確実に金持ちになるにはどうしたらいいかがわからず、

どんなに頑張ったとしても最終的には外的偶然に左右される部分が多いでしょうし、

たとえ一時的に金持ちになれたとしても、いつまでも金持ちでいられるかどうかもわかりません。

そういう経験的・偶然的・結果論的概念も人間の義務を構成することはできないでしょう。

幸福というのは両者の性質を有するきわめて曖昧な概念なので、

「幸福になれ」 と言われても私たちは具体的に何かの義務を遂行することができないのです。

というわけで、カントの幸福観に従うならば、幸福であることは義務たりえないわけです。

カントの幸福観を離れて、もっと別の幸福観に立つならば、幸福になるための手段を特定し、

それを為せと義務として命ずることは可能になるかもしれません。

しかしその場合は、A-1で論じたことに戻っていくことになります。

幸福とは何かが全人類に共有されていて、しかも幸福になるための手段も明らかだとするならば、

その手段を選ばない人なんているでしょうか?

誰もがその手段を選択するに決まっていますよね。

だとすると 「幸福になれ」、「幸福になれるような行為を選択せよ」 という義務は、

誰に命じられるまでもなくみんなが実行してしまうのであって、

そのような義務は義務としては無意味ということになるのです。

以上が、幸福である (幸福になる) ことが義務になりえない理由です。

はたしてディストピアものの物語を読んで懐いて以来、数年間考え続けている問いに、

これでお答えしたことになるのか、もしもまだ追加の質問があるようでしたら、

もうちょっと質問の背景を説明した上で追加質問してみてください。

授業のワークシートでもいいですし、このブログのコメント欄でもいいですし、

直接メッセージやメールを送ってくださってもOKです。

さて、それではそろそろ選挙に行くことにしようかな。

みんな、ちゃんと投票に行きましたか?

幸・不幸は人それぞれかもしれませんが、棄権したら確実に不自由になりますよ。

アメリカ初の長編映画 『国民の創生』

2016-07-09 11:43:18 | 人間文化論
7月29日 (金) は 『FAKE』 でシネマdeてつカフェですが、

その約1週間前の7月23日 (土) には 「フォーラム福島」 で、

D・W・グリフィス監督作品 『国民の創生』 が上映されるそうです。



1914年撮影、1915年に公開されたサイレントの白黒映画で、

アメリカで初めての長編作品とのことです。

私は映画には疎いのでまったく知りませんでしたが、

先日一緒に飲んでいたときに、フォーラムの阿部さんがこの映画について熱く語ってくださいました。

グリフィス監督は 「映画の父」 と呼ばれているそうで、

この最初の長編映画でもさまざまな技法が試されているし、

俳優にスポットが当たるようになったのもこの映画からだったそうです。

時代が時代だったのでストーリーには人種差別的な色合いが含まれていて問題視されていた、

ということもちょっと奥歯に物のはさまったような感じで教えてくれました。

その後調べてみるとたしかに物語としてはトレランス (寛容) をテーマにしているものの、

それは南北戦争の頃の南部の白人と北部の白人のあいだの寛容であって、

黒人に関しては一貫して差別的に描かれていて、

上掲のポスターに描かれているのはKKKですが、それがこの映画のヒーローなんだそうです。

しかし、そうした問題を踏まえた上でも、この映画の歴史的価値が減ずるわけではないでしょう。

100年前の白人の価値観がそのままストレートに表現されているというのは、

倫理学的に見ても意味あることだと言えるのではないでしょうか。

映画の技法や映画の歴史のことはわからなくても一見の価値はありそうです。

その映画が 「フォーラム福島」 で7月23日に1回限り上映されるそうです。

昨年の3月に 「てつがくカフェ@ふくしま特別編5」 をフォーラムでやらせてもらったとき、

映写室にもおじゃまさせてもらったんですが、

『ニュー・シネマ・パラダイス』 で見たような映写機がドーンと据えられていました。

しかしながら、デジタル化の波は映画の世界にも及んでいて、

今ではほとんど映写機でフィルムを回すことはなく、すべてDVDでの上映になっているんだそうです。

ところが今回の 『国民の創生』 は、

国立近代美術館フィルムセンターからお借りしたフィルムでの上映ということで、

スタッフ一同今から戦々恐々としているという裏話もうかがいました。

フィルムをセットして回せばいいだけのことかと思っていましたが、

なんとフィルムは (元の165分版で) 12巻もあるそうで、これを次々と差し替えながらの上映で、

1回限りの上映でたぶんヘトヘトになり、これを何度も上映するなんて考えられない、

とあの映画の達人の阿部さんが顔をしかめて話してくれましたので、きっと本当に大変なのでしょう。

(今回上映されるのは125分版のようです。)

そんな阿部さんたちをはじめとするスタッフの皆さんの、

映写室での苦心惨憺ぶりを想像しながら見るのも一興かと思います。

7月23日 (土) 13時からはぜひ 「フォーラム福島」 で 『国民の創生』 をお楽しみください

『FAKE』 deてつがくカフェ・前売券販売中!

2016-07-08 15:58:01 | 哲学・倫理学ファック
今月のてつカフェは映画 『FAKE』 でシネマ de てつがくカフェです

ポスター完成して、すでに学内では掲示中です。



今回は福大の卒業生にポスターを作成していただきました。

東京在住のため一度もてつカフェ@ふくしまにご参加いただいたことはありませんが、

自らボランティアに名乗り出てくださいました。

どうもありがとうございました

さて、今回の映画 『FAKE』 は、あの佐村河内守氏を取り上げたドキュメンタリーです。

2014年に発覚したゴーストライター問題のあの方ですね。

その人に対して、オウム真理教を扱った 『A』 や 『A2』 を撮った森達也監督が密着取材し、

今回の衝撃のドキュメンタリーフィルムが完成しました。

森監督は 『ドキュメンタリーは嘘をつく』 というタイトルの著書も出しているほどの曲者です。

その森監督がなんとてつカフェ当日にご参加くださいます。

稀代の映像作家とともに真実とは何か、虚偽とは何かについて語り合いましょう。

私やぢゅんちゃんのほうで前売券も取り扱っております。

(もちろん 「フォーラム福島」 でも発売中!)

1,100円で絶賛発売中ですのでぜひご用命ください。

今回は森監督の来福予定に合わせての開催となったため平日金曜日の午後6時スタートです。

7月29日午後6時から上映を開始し、休憩をはさんで午後8時過ぎから哲カフェを始める予定です。

お仕事等で映画上映時間に間に合わないという場合は、7月23日から映画はやっておりますので、

あらかじめ見ておいていただき、7月29日の哲カフェから参加していただくことも可能です。

詳しくは 「てつがくカフェ@ふくしま」 のブログをご覧ください。

ぜひ映画 『FAKE』 で森達也監督とともに哲学カフェを楽しみましょう

『リビング福島』よ、お前もか?

2016-07-07 12:38:06 | グローバル・エシックス
今週配付された 『リビング福島』、ご覧になりましたか?

1面、2面は参院選の特集でした。

『リビング福島』 というのは福島県の福島市と郡山市近辺で無料配付されているタウン紙です。

私たちも 「てつがくカフェ@ふくしま特別編」 のときなどには広告を出させてもらっている、

福島市民、郡山市民にとってなくてはならない地域密着型情報メディアです。

その 『リビング福島』 で選挙のことが大々的に取り上げられていたのです。

今までそんなことあったかなあ?

こんなデッカイ扱いなんですよ。



この1面では衆議院と参議院の違いという小学校社会科の復習的内容。

「今さら聞けない参議院をおさらい」 ということだそうです。

こういう初歩の初歩みたいな啓蒙的な内容、私はキライではありません。

続いて2面はこんな感じ。



選挙権年齢が18歳以上に引き下げられたことを中心に、

若者の投票率が低いのでぜひ投票に行きましょうという話と、

そのために取り組んでいる福大や専門学校の若者たちの取り組みの話。

ひじょうに政治的中立性を保ちながら、投票を呼びかけるいい企画かなと思って読んでいました。

ところがっ

特集記事を読み終えてさらに先を読み進めていくと、

4面にドーンと公明党の全面ぶち抜きの広告が出てきました。

さらに先には8面に自民党、12面に民進党のぶち抜き広告です。

うーん、これには頭を抱えてしまいました。

まず 『リビング福島』 に今までこんな政党の全面広告が載ったことがあったでしょうか?

記憶が曖昧なので何とも言えませんが、あんまりこんなもの見た覚えがありません。

そして解せないのはなぜこの3党だけなのか、ということです。

今回の選挙では、候補者の名前を書く選挙区選挙だけでなく、

政党の名称または候補者の名前を書く比例代表選挙も行われます。

その場合の選択肢は上記の3党だけではないはずなのです。

特集記事では表向き政治的中立性を保っておきながら、

広告も含めた紙面全体では明らかに偏りがあります。

これが最近推し進められている 「政治的中立性」 の現れだと取るのは穿ちすぎでしょうか?

もちろんそれぞれの政党が 『リビング福島』 に広告を出したか出さなかったか

だけの問題なのかもしれません。

しかし、『リビング福島』 としては広告収入を得る恰好のチャンスだったはずです。

選挙目前に発行される号で選挙特集を組み、そこに広告出しませんかと持ちかければ、

全面広告にしたって大した出費ではありませんので、

どこの政党も喜んでお金を出したんじゃないかと思うのです。

それがあの3党だけしか広告が出ていないというところに胡散臭さを感じるのです。

ひょっとして最初からタイアップ記事だったのではないかという疑念も湧いてきます。

(このへんすべて憶測で書いていますので、間違っていたら訂正お願いします。)

それぞれの広告では当然のことながら 「改憲」 の 「カ」 の字にも、

「基本的人権」 の 「キ」 の字にも触れられていません。

私は今度の選挙の本当の争点は、日本国民が基本的人権を放棄するのか否かという、

ギリギリの選択を迫られている選挙だと思っていますが、

そのことは特集記事でも3党の広告のなかでもまったく触れられていないのです。

(なんと公明党は高額医療費の立て替え制度を改めました、ということだけの一点押しです!)

そして、特集記事が投票を呼びかけるキャッチフレーズはこうです。

「身近な生活を豊かにするために投票に行こう」

この大事な選挙でそこ押しですか?

せめて 「私たちの生活を守るために投票に行こう」 と書くべきだったんではないですか?

これは政治的中立性を装った争点隠しであり、

それはある特定の政党のための選挙運動にほかならないと思うのは私だけでしょうか?

『リビング福島』、たいへんお世話になっており大好きだっただけに残念です。

まあ、公共放送や大新聞、大メディアがこぞって 「政治的中立性」 の餌食になっている昨今、

たかだか地方密着型タウン情報紙に、報道のあるべき姿を要求しても仕方ないんですが、

新聞も取っておらず、テレビのニュースも見ない福島の若者たちが社会に接することのできる、

数少ないメディアのうちのひとつだっただけに、今回の選挙特集号には驚かされました。

とりあえず、福島大学や看護学校の学生の皆さん、

お願いですから、自分なりにきちんと情報を集めた上で今度の日曜 (までには)、

必ず選挙に行ってください