さて、本能が壊れたままでは人類は生き残っていくことができません。
ではどうしたのでしょうか?
本能が壊れてしまった代わりに、
人間は本能の代替物として 「文化」 を自ら生み出しました。
ここで言う 「文化」 は文化人類学で言う文化なので、一番広い意味の文化です。
文化人類学では 「文化」 のことを 「非遺伝的適応能力」 と定義しています。
本能が遺伝によって親から子へと伝えられるのに比して、
文化は遺伝によって伝えられるものではありません。
文化はDNAとは関係なく、人間が環境に適応するために、
脳を使って自分たちで生み出した生きるための力なのです。
人間が産まれたときに遺伝によって受け継いでいたこの身体以外の、
産まれたあとに人類が自ら作り出したものはすべて文化です。
机や鉛筆や衣服など私たちの身の回りにある有形のモノ (=道具) はすべて文化ですし、
言語や貨幣や国家や学校などの無形の制度もすべて文化です。
人間は 「本能の壊れた動物」 であるがゆえに 「文化的動物」 となりました。
「文化的動物」 というのはちょっとわかりにくいのでもう少し詳しく言うと、
人間は 「文化を生みだし、文化を使って生きていく動物」 なのです。
文化には本能とは異なる2つの大きな特徴があります。
まず文化はセミの生殖能力などとは異なり、
遺伝によって親から子へと与えられていないので、
産まれたあとに後天的に習得 (親の側からすると伝達) しなければなりません。
これには膨大な時間がかかります。
靴の履き方、ボタンの留め方、箸の持ち方からはじまって、
電話の使い方からパソコンの使い方に至るまで、
すべて産まれたあとに習得した技術です。
産まれたときに最初からできたことなんて何一つなくて、
すべてひとつひとつ親や先生やいろいろな人から教わって身に付けたはずです。
今使っている言語のすべての単語も全部産まれたあとに覚えました。
皆さんがどれだけの単語を知っているか知りませんが、
すべてをリセットしてイチからまた覚え直すとなったら、
どけだけ時間がかかると思いますか。
それだけの時間をかけてひとつひとつ順番に覚えてきたのです。
セミはミンミン鳴くのに音楽学校に通って鳴き方を習ったりしませんし、
クモもクモの巣を作るのに建築科で学んだり工務店で修行したりしません。
遺伝によって自然とできてしまいます。
人間の場合はすべてが後天的学習ですから、
修得までにものすごく長い時間が必要になります。
文化のもうひとつの特徴は、自由で無限の可能性をもっているということです。
私たち人間は、クモみたいに巣を作る本能を遺伝によって賦与されていません。
だから放っておくと人間は誰も巣を作ることはできません。
大部分の人間は一生、自分で巣を作ることはしないし、作り方も知らないままでしょう。
しかし人間はその代わりに、「家」 という文化を作りました。
これは本能ではなく文化なので、遺伝によって決定されていません。
クモは自分の身体から出る糸を使って勝手にクモの巣を作ることができますが、
しかし、ああいう素材でああいう形でああいう色のクモの巣しか作れません。
人間は本能によって自然に自分の住処を作ることはできませんが、
しかし人間が文化として後天的に作り出した家は、
横穴式住居であったり、竪穴式住居であったり、高床式住居であったり、
果てはタワーマンションまで、
いろいろな形、色、大きさの家を作ることができます。
本能が壊れている代わりに、人間には自由という無限の可能性が開かれているのです。
言葉も道具も制度も倫理も、すべては文化です。
人間が自分で自由に生み出したものです。
だから、人間の言葉も衣服もすべてのものが、ものすごい多様性に富んでいるのです。
逆に言うと、自由で無限の可能性があるからこそ、
先ほど述べた習得と伝達に関してはよけいに時間がかかるということになります。
以上が、本能の代替物としての文化の特徴になります。
皆さんは18年以上かけて数多くの文化を学んできましたが、
さらに4年かけてより高度な文化を学ぼうとしています。
人間発達文化学類には7つのコースがあって、
それぞれでまったく異なる高度な文化が伝達されます。
しかも大学を卒業したら文化の習得は終わりではなく、
現代は生涯学習の時代と言われていて、
社会に出てからも一生涯、文化の習得は続いていきます。
したがって教育という仕事は学校の先生の専売特許ではなく、
社会のどんな職場においても教育という仕事は必要とされています。
人間が本能の壊れた動物である以上、
教育という仕事が人間の社会からなくなることは絶対にないのです。
皆さんにはこの人間発達文化学類で、高度な文化を学ぶと同時に、
その文化を伝える力 (広い意味での 「教育」 を担う力)
も身に付けていただきたいと思います。
人間は文化を習得・伝達することによって発達していきます。
そういう人間の発達を支援する力を育成するのが、
この人間発達文化学類なのです。
長ったらしい名前ですが、その名前には、
人間の根本特徴にも遡る深い意味が込められていたのです。
ぜひこの4年間で高度な文化とそれを伝達する力を身に付けてください。
ではどうしたのでしょうか?
本能が壊れてしまった代わりに、
人間は本能の代替物として 「文化」 を自ら生み出しました。
ここで言う 「文化」 は文化人類学で言う文化なので、一番広い意味の文化です。
文化人類学では 「文化」 のことを 「非遺伝的適応能力」 と定義しています。
本能が遺伝によって親から子へと伝えられるのに比して、
文化は遺伝によって伝えられるものではありません。
文化はDNAとは関係なく、人間が環境に適応するために、
脳を使って自分たちで生み出した生きるための力なのです。
人間が産まれたときに遺伝によって受け継いでいたこの身体以外の、
産まれたあとに人類が自ら作り出したものはすべて文化です。
机や鉛筆や衣服など私たちの身の回りにある有形のモノ (=道具) はすべて文化ですし、
言語や貨幣や国家や学校などの無形の制度もすべて文化です。
人間は 「本能の壊れた動物」 であるがゆえに 「文化的動物」 となりました。
「文化的動物」 というのはちょっとわかりにくいのでもう少し詳しく言うと、
人間は 「文化を生みだし、文化を使って生きていく動物」 なのです。
文化には本能とは異なる2つの大きな特徴があります。
まず文化はセミの生殖能力などとは異なり、
遺伝によって親から子へと与えられていないので、
産まれたあとに後天的に習得 (親の側からすると伝達) しなければなりません。
これには膨大な時間がかかります。
靴の履き方、ボタンの留め方、箸の持ち方からはじまって、
電話の使い方からパソコンの使い方に至るまで、
すべて産まれたあとに習得した技術です。
産まれたときに最初からできたことなんて何一つなくて、
すべてひとつひとつ親や先生やいろいろな人から教わって身に付けたはずです。
今使っている言語のすべての単語も全部産まれたあとに覚えました。
皆さんがどれだけの単語を知っているか知りませんが、
すべてをリセットしてイチからまた覚え直すとなったら、
どけだけ時間がかかると思いますか。
それだけの時間をかけてひとつひとつ順番に覚えてきたのです。
セミはミンミン鳴くのに音楽学校に通って鳴き方を習ったりしませんし、
クモもクモの巣を作るのに建築科で学んだり工務店で修行したりしません。
遺伝によって自然とできてしまいます。
人間の場合はすべてが後天的学習ですから、
修得までにものすごく長い時間が必要になります。
文化のもうひとつの特徴は、自由で無限の可能性をもっているということです。
私たち人間は、クモみたいに巣を作る本能を遺伝によって賦与されていません。
だから放っておくと人間は誰も巣を作ることはできません。
大部分の人間は一生、自分で巣を作ることはしないし、作り方も知らないままでしょう。
しかし人間はその代わりに、「家」 という文化を作りました。
これは本能ではなく文化なので、遺伝によって決定されていません。
クモは自分の身体から出る糸を使って勝手にクモの巣を作ることができますが、
しかし、ああいう素材でああいう形でああいう色のクモの巣しか作れません。
人間は本能によって自然に自分の住処を作ることはできませんが、
しかし人間が文化として後天的に作り出した家は、
横穴式住居であったり、竪穴式住居であったり、高床式住居であったり、
果てはタワーマンションまで、
いろいろな形、色、大きさの家を作ることができます。
本能が壊れている代わりに、人間には自由という無限の可能性が開かれているのです。
言葉も道具も制度も倫理も、すべては文化です。
人間が自分で自由に生み出したものです。
だから、人間の言葉も衣服もすべてのものが、ものすごい多様性に富んでいるのです。
逆に言うと、自由で無限の可能性があるからこそ、
先ほど述べた習得と伝達に関してはよけいに時間がかかるということになります。
以上が、本能の代替物としての文化の特徴になります。
皆さんは18年以上かけて数多くの文化を学んできましたが、
さらに4年かけてより高度な文化を学ぼうとしています。
人間発達文化学類には7つのコースがあって、
それぞれでまったく異なる高度な文化が伝達されます。
しかも大学を卒業したら文化の習得は終わりではなく、
現代は生涯学習の時代と言われていて、
社会に出てからも一生涯、文化の習得は続いていきます。
したがって教育という仕事は学校の先生の専売特許ではなく、
社会のどんな職場においても教育という仕事は必要とされています。
人間が本能の壊れた動物である以上、
教育という仕事が人間の社会からなくなることは絶対にないのです。
皆さんにはこの人間発達文化学類で、高度な文化を学ぶと同時に、
その文化を伝える力 (広い意味での 「教育」 を担う力)
も身に付けていただきたいと思います。
人間は文化を習得・伝達することによって発達していきます。
そういう人間の発達を支援する力を育成するのが、
この人間発達文化学類なのです。
長ったらしい名前ですが、その名前には、
人間の根本特徴にも遡る深い意味が込められていたのです。
ぜひこの4年間で高度な文化とそれを伝達する力を身に付けてください。