まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

『わがままに生きる哲学』 刊行!

2016-04-30 14:13:05 | 哲学・倫理学ファック
来週の土曜日は 「本 de てつがくカフェ」 です。

課題図書はぢゅんちゃんが執筆・編集のひとりに加わった 『わがままに生きる哲学』 です。



元はといえばぢゅんちゃんの師匠である佐藤和夫さんが言い出しっぺの本です。

佐藤和夫さんは2年半前の 「第3回エチカ福島」 で高橋哲哉さんとともに講師を務め、

あのときもずいぶん型破りな哲学を披露してくださいました。

自らの門下生たちとともに編んだ今回の 『わがままに生きる哲学』 は、

タイトルそのままにその学風を存分に発揮した内容となっています。

サブタイトルは 「ソクラテスたちの人生相談」。

実際に寄せられた具体的な23問の人生相談に対して、執筆者6名のソクラテスたちのうち、

各問につきだいたい2名くらいがランダムに答えていきます。

寄せられた質問はこんな感じ。

「Q.転職を繰り返しています。私は社会の落ちこぼれなのでしょうか?」

「Q.子どもをもちたくないと思うのは 『不自然』 なことなのでしょうか?」

「Q.仕事にやりがいを感じなければいけないのでしょうか?」

質問もけっこうわがままな問いが多いですが、それに対する回答はさらに輪をかけてわがままです。

私は看護学校で出される質問 「Q.哲学を学んでよかったことは何ですか?」 に対してよく、

「A.哲学を学んだら生きるのがラクになりました」 とお答えしていますが、

この本を読むとまさに物事の根っ子から疑ってかかる哲学の考え方がよくわかり、

それによってだんだんと生きるのがラクになっていくのではないでしょうか。

この重く苦しい現代日本社会のなかで押しつぶされそうになっている人たちにとって必読の書です。

前回のてつカフェのときには刊行前に先行販売しましたが、

4月20日付けで正式に刊行され、アマゾンhontoネットストア等でも入手可能になりました。

もちろん福島市内では西沢書店で引き続き絶賛発売中です。

今度の 「本 de てつがくカフェ」 にはソクラテスの何人かも参加してくださるそうです。

ぜひこのゴールデンウィーク中に購入して一読し、5月7日のてつカフェにお集まりいただき、

わがままなソクラテスたちとともに哲学的対話を楽しみましょう

どうしちゃったんだ、福島の時刻表?

2016-04-29 19:33:34 | お仕事のオキテ
JRでは毎年3月にダイヤ改正が行われます。

福島駅発着の電車なんてほんの数えるほどしかないわけで、

福島に暮らす者は主要な電車の発車時刻を暗記できてしまうくらいなんですが、

その数少ない電車がダイヤ改正時期にはビミョーにちょっとだけ発着時刻が変わるわけです。

ですのでその時期には福島駅の電車時刻表をもらわなければなりません。

それに暗記できるのはせいぜい在来線ぐらいで、新幹線になるともうムリですから、

(在来線よりも新幹線のほうが倍以上本数が多いので…)

なんにせよ電車の時刻表は、福島に暮らす者にとってはマストアイテムなわけです。

で、今年ももらいましたよ。

そうしたらいつもと様子が違うんです。

最初に東口でもらって、それではダメだということがわかったので、

西口の新幹線口のところで別のヤツをもらいました。

というわけで今年は2種類もらいました。

こちらです。



上のが最初にもらったやつ。

下のがあとからもらったやつ。

どちらもとにかく長いんです。

で、まずは上の最初にもらったやつをよく見てみましょう。



オモテというんでしょうか、「JR時刻表」 と書かれている表紙に該当するページに隣接するページは、

10ページにわたってすべて上段が福島―仙台間の東北本線、下段が奥羽本線。

どちらも私の生活にはまったく関係ありません。

そして、この写真でちゃんと見えるかどうかわかりませんが、

いわゆるよく本屋で売っていたり、みどりの窓口に置いてある、分厚い時刻表と同じスタイルで、

福島駅に停まるやつも停まらないやつもすべての電車の、

全停車駅の全発車時刻が掲載されている、最も詳しいタイプの時刻表です。

そのすべての情報が私にはまったく必要ありません。

ウラ側を見てみましょう。



やっと東北本線の必要な部分が出てきました。

といっても私に必要なのは福島―金谷川間のたった3駅分、

せいぜい福島―郡山間くらいの情報があれば十分事足りるんですが、

ご丁寧なことに黒磯―福島間のすべての情報が掲載されていますから、

福島駅に停まらない電車の情報も相当多いです。

しかも下段は水郡線だし。

さらに右のほうを見てみると、こうです。



磐越西線、磐越東線、はては只見線まで載っていました。

そして、ザッツオールなんです。

そうなんです。

この最初にもらった時刻表には新幹線のダイヤがまったく載っていないのでした。

これでは用をなしません。

というわけで新幹線乗り場のほうに行って、

新幹線のダイヤが載ってる時刻表をくださいと頼んでみたわけです。

それが最初の写真の下に写っていた時刻表です。

こちらはさらに驚愕でした。



たしかに東北新幹線のダイヤは載っていました。



が、東北新幹線ばかりでなく北海道新幹線も含めて、

なんと東京から新函館北斗駅までのすべての駅の発車時刻が記されているのです。

むろん、福島に停車しない 「はやぶさ」 や 「はやて」 もすべて載っています。

このバカ長い時刻表のほとんどは私には関係ありません。

ウラは在来線なんですが、



まずは東北本線のうちの仙台―花泉間でしょう。



次に仙台と山形を結ぶ仙山線でしょう。



最後は陸羽東線です。

こんなものもらってどうしろというのだ

こんなの開いて乗りたい電車を探しているうちに電車に乗り遅れてしまいますよ。

去年までは福島駅発着の在来線、新幹線のみを掲載した時刻表が配られていたんですが、

どうやらこういうところで経費節減しようとしたのか、

福島県全域で使用できる時刻表と (ただし在来線のみ)、

新幹線用に関しては宮城県全域で使用できる時刻表とに統合してしまったようです。

使えねえ

もらったときに駅員さんに 「なんでこんなのにしちゃったんですか?」 って聞いたら、

「ホントにそうですよねえ」 と駅員さんも困惑気な顔でした。

何やってるんだ、JR東日本。

サービス低下も甚だしいぞっ

けっきょく自分に要らないところを切り捨ててみましたが、

それでもこれだけの分量が残ってしまいました。



うーむ、福大生協でくれるみたいなやつを自分で作るしかないのかなあ?

ああ、面倒くさいなあ。

「キャリア形成論」 ガイダンスに対する違和感

2016-04-28 20:06:17 | 教育のエチカ
一昨日もお伝えしたとおり、「キャリア形成論」 第1回目のワークシートの課題は、

「キャリア形成論ガイダンスで印象に残ったこと (なるほどと納得したこと、違和感を感じたことなど) を、書いてください。」

というものでしたから、300人中ほんのわずかでしたが、
ガイダンス内容に対する違和感を書いてくれた人も数名いました。
今日はそのうちのひとつをご紹介いたします。

「第1回キャリア形成論ガイダンスを受講して、緊張感のある中、自分のキャリア形成は既に始まっており、自分で切り開いていかなければならないのだと強く自覚した。しかしながら、啓発されるとともに、ガイダンスの中には違和感をおぼえる指導がいくつかあった。まずメモをとるのがよいという指導である。そもそも、教員の方々がわざわざテキストを用意し、そこに必要事項を記入してくださっており、その上前に立って口頭で説明してくださっているのに対し、顔を下に向け、相手の方を向かないというのは大変失礼にあたると思う。心にひびくような言葉は、本当にひびいたのなら、容易に忘れることはないだろうというのが私の考えだ。また、自主的に取り組むよう指導もあったが、このようなレベルの低い指導を受けるとは思わなかった。低いレベルの集団と思われているのか、と感じた。教員の方々に見直してもらえるよう気をひきしめ、態度を改めていきたい。これからの自分の成長につながるようこの講義を生かしたい。」

こういうふうに率直に自分の思ったことを書いてくれる人はありがたいですね。
この人は大きく言ってふたつの違和感を挙げてくれました。
「大事なことは書き留めよう」 という指導に対する違和感と、
「大学では何事にも自主的に取り組もう」 という指導に対する違和感です。
どちらも大切なご指摘ですね。

まずは、人の話を聞くときにメモを取りながら聞くべきかどうか、という問題について。
この人は、相手が話しているときにメモを取りながら聞くのは失礼だと考えており、
書き留めたりせず、相手の方をきちんと向いて話を聞くべきだと考えています。
その理由を2つ挙げています。
ひとつは、テキストに書いてあることをさらに口頭で説明してくれているのだから、
それをわざわざ書き留める必要はない、という論点。
もうひとつは、心に響く言葉は容易に忘れたりしないのだから書き留める必要はない、という論点。

前者についてはその通りだと思います。
たしかに、せっかくテキストが配られていて、そこに記載されている内容だとしたら、
大事だと思ったらせいぜいそこにアンダーラインしたり丸で囲んだりするくらいでよくて、
それをわざわざ書き留める必要はないでしょう。
そういう意味では、一昨日ご紹介したノート代わりのメモのようなワークシートの3番目のやつ、
あれは、そもそもわざわざ書き留めるような内容ではなかったと言えるでしょう。
しかしながら、1番目と2番目に例示した人のワークシートに書かれていた内容は、
(例えば 「コミュニケーション能力とは初対面の人と話す能力である」 とか
 「大学では主体的に学ぶ姿勢が求められている」 など)
テキストのなかには記載されておらず、先生方がただ口頭で発言されただけの内容だったので、
こういうことは忘れないように書き留めておくということは必要でしょう。
(ワークシートではなく、自分のノートかテキストのなかに書き留めてほしいですけどね。)

もうひとつの論点に関して言うと、これは人と場合によりけりと言わざるをえません。
この世にはむちゃくちゃ記憶力のいい人がいるということを私は知っています。
日常のささいな出来事から人の発言まで、それはもうことごとく記憶できてしまえる人がいます。
そういう人が知り合いにいるととても便利ですので、
記憶力に問題を抱えている私はそういう人たちのことを 「外付けハードディスク」 と呼んで、
事あるごとに 「あの時ってどこの店に行ったんだっけ?」 とか
「あの飲み会のとき◯◯さんは何喋ってたっけ?」 と、記憶の補完をお願いするようにしています。
そういう記憶力を持ってる人って本当にうらやましいですが、
そういう人はそんなにざらにいるわけではありません。
こういう人であれば、授業中やインタビュー中にノートやメモを取ったりする必要はないでしょう。
しかし、人類の大多数はそうではないですし、大学生のほとんどはそうではないのです。

したがって 「心に響くことは容易に忘れないのだから書き留める必要はない」 という主張に対しては、
2つの観点から反論しておきたいと思います。
ひとつは主張の前半部分を認めたとして、
でもそうすると、心に響かなかったことは容易に忘れてしまうわけですね。
ひょっとすると、聞いたその時には心に響かなかったことが、
後々になって実は大事なことだったということが判明するということがありえます。
たぶん大学で教わることの大半はそうだろうと思います。
最初のうち大学の先生方が話していることのほとんどはみなさんの心に響かないはずです。
それは高校までの学びによって皆さんの中に芽生えた関心と、
大学教員が研究対象としていて授業のなかで話してくれる、
ものすごく繊細な最先端の問題意識とが乖離しているからです。
たぶん最初のうちは先生たちが何を話しているのか、
何を問題にしているのかまったくわからないかもしれません。
でも、その学問への理解が深まってくると、
ああ、あの時に先生が言っていたあの話ってそういうことだったのかあ、
と後になってその重要性に気が付くということがありえるのです。
ですから、今は心に響かない (からすぐに忘れてしまうような) ことのなかに
大切なカギがひそんでいるかもしれません。
そう思うと、書き留めておくことは必要だという気がしてきませんか?

もうひとつは主張の前半部分に対する反論です。
この人の想定とは異なり、人間は心に響いたことだって忘れてしまう場合があります。
先に挙げたような記憶力のいい人にはわからないかもしれませんが、
その場でどんなに素晴らしいと感動して聞いていても、
その中身を忘れてしまうという人がこの世には存在するのです。
かく言う私自身がそうですし、これまでの教職経験からすると、大学生の多くもそうです。
だからそういう経験に基づいて、私たちは皆さんに書き留めなさいと警告しているわけです。
したがって、相手の話を聞くときにメモを取りながら聞くことは、
基本的には失礼なことではありません。
むしろメモを取らずに聞くほうが失礼かもしれません。
せっかく時間を割いて話してくれたのにそれを忘れてしまったらただの時間のムダですからね。
ただ、たしかにずーっと下を向きながら話を聞くというのも、
話す側からするとあまり気分のいいものでないと受け止められることはありえます。
ですから、このへんはさじ加減ということになるのですが、
相手の目を見て話を聞きながら、
ポイントポイントでさっとメモを取るというワザは身につけてもらいたいものです。
あるいは最初に相手の承諾を得て、録音させてもらうということもありえますが、
初対面の方の場合はなかなか録音させてくださいとも言いづらいものです。
ですので、適度に相手の顔を見ながら、適度にメモを取るワザを身につけてください。
こんなふうに書いてくれていた人もいました。

「メモを取らないと記憶にほとんど残らないという話をきいて、今までは、メモをとるのに集中して話が聞けなくなってしまうと思い、メモをとってこなかったが、記憶に残そうという意識でメモをとったらいつもより話が頭に入ってきたので、これからも意識してメモをとろうと思った。」

さて、2番目の違和感に話を移しましょう。
大学では自主的に取り組むよう指導しましたが、
そんなレベルの低い指導を受けるとは思わなかった、という違和感です。
そういう違和感を感じてくれたなんて、たいへん頼もしいですね。
大学生がこういう方ばかりだと、私たち大学教員もラクなんですが…。
大学生たるもの自主的に取り組むのは当たり前だとわかっている方ばかりだといいのですが、
残念ながら、そういう学生ばかりではないのです。
初沢先生からもお話があったように、15%の学生が留年したり退学したりしてしまいます。
自主的に取り組んでくれなかった結果でしょう。
また、たとえそうはならなかったとしても、大学に入学してきたばかりの大学生は、
高校のときまでの習慣が身についてしまっていて、
全部先生の言うとおりにやっていればよかった生活から気持ちを転換できていません。
一昨日紹介したワークシートのなかにも、高校と大学の違いに対する戸惑いが書かれていましたね。
ですから、ああいう指導は新入生には当然必要な指導であって、
一概に皆さんのことをレベルが低いとみなしているわけではないのです。

第3回の授業で、何でも当たり前と思ってはいけないという話をさせていただきました。
人間は自己中心的に考えがちな動物ですので、
自分にとっての当たり前をすべての人にとっての当たり前だと思い込む癖があります。
優秀な人は、他のみんなも優秀であって当たり前だと思いますし、
怠惰な人は、他のみんなも怠惰だと思い込みます。
大事なのはいろんな考え方の人、いろいろな価値観の人がいるということをわきまえておくことです。
今回の違和感を表明してくれた方が教員志望なのかどうかはわかりませんが、
どんな職業に就くにせよこの人間発達文化学類で学ぶからには、
人間の発達・成長を支援することのできる広い意味での教育者になっていただきたいと思います。
そして、教育者にとって大事なのは、自分と同じタイプの人間のみを相手にするのではなく、
自分とまったく違うタイプ、まったく違うレベルの人間をも相手にできなければいけないということです。
大学生なんだからこんなことできて当たり前、○○なんだからこんなこと知っていて当たり前、
というような先入見をもって臨んでしまうと相手の発達・成長を助けることはできません。
一度自分の常識を疑ってみて、いろいろな人間がいるということを受け入れる必要があるでしょう。
かく言う私たちも、自分の大学時代と引き比べて、
今どきの大学生が自分の思っていた大学生像とかけ離れていることを痛感する経験を何度もして、
だんだんとああいう指導も必要なんだとわかってきた次第です。
高い志をもって入学してきた方にとってはカルチャーショックなこともあるかもしれませんが、
それもまた大事な学びのひとつだと思って、
けっして相手に合わせる必要はありませんが、いろいろな人間と付き合ってみてください。

驚愕の検査結果

2016-04-27 13:38:19 | 生老病死の倫理学
昨日、2週間前にやってもらったピロリ菌検査の結果を聞きに病院に行ってきました。

内視鏡検査をやってる最中から 「ピロリ菌のいそうな胃ですね」 とつぶやかれていましたから、

私としても覚悟はできていました。

そもそもこんなにストレスも何にもない人生送っている人間が、

胃炎とかポリープっておかしいですよね、何か雑菌でもいるのでない限り。

ピロリ菌に感染していても内服薬で除菌することもできると聞いていましたので、

覚悟を決めて検査結果を聞きにいったわけです。

その結果がこれでした。



先生の前に座るなりこれを見せられたわけですが、字も小さいし何のことやらよくわかりません。

結論から言うとピロリ菌はいなかったそうです。

えええーっ、ピロリ菌いないの

相当ビックリしました。

この表の 「判定」 の欄に 「(-)」 と記されているのが、ピロリ菌陰性という意味だそうです。

もうてっきりいるものと思って、この2週間は胃のなかのピロリ菌を感じながら、

「あ、動いた」 とか言いながら生きてきたわけですが…。

もうピロリ菌陽性を前提としてブログ記事の文章を練り上げつつあって、

「これからは私のことを 『ピロリ菌』 と呼んでください。

 女子高生のあいだでは 『ピロリ菌』 というのはカッコいい人の代名詞みたいですから。」

というシメのセリフまでできあがっていたのに…。

そうかあ、いなかったのかあ。

けっきょく慢性胃炎やポリープの原因は特定されませんでした。

原因は不明だけど、対症療法的に今までの胃酸を抑える薬を服用していけば、

痛みが再発することもないのではないかということで、今回は大量に処方されました。

何だかスッキリしない結末です。

身体を張った自虐ネタでドッカンドッカン笑いが取れると思っていたんだけどなあ。

とりあえず今後は暴飲暴食に気をつけて、胃炎をだましだまし生きていこうと思います。

皆さまの期待を大きく裏切ってしまい、本当に申しわけありませんでした

「キャリア形成論」 のワークシートにはどんなことを書けばいいのか?

2016-04-26 07:25:23 | 教育のエチカ
昨日、「キャリア形成論」 のガイダンスのときにいただいた質問にいくつかお答えしておきましたが、

今回は、それらとはちょっと毛色の違う質問にお答えしておきます。

ガイダンスでは、毎回のワークシートを5点満点で採点するとお伝えし、

そのうち出席点分は2点で、残り3点分は書いてある内容に応じて加点すると申し上げました。

そうしたらこんな質問をいただきました。


「Q.ワークシートに書く内容はこのような感じで大丈夫でしょうか?」


なかなかいい質問ですね。

今までこんなふうに確認されたことはありません。

この人はワークシートにはこんなふうに書いてくれていました。


「職業人レポートは、これから私たちが社会で生きていくために必要な厳しい道の一つなんだと思いました。私はまだバイトを何もしていないのですが、これからバイトや自動車学校など、新しい世界に入って上手に生きていくためにこの授業で学んだことを活かしていこうと思います。そしてその中で知り合った人々に、コミュニケーション力を鍛えるためにもレポートのインタビューをしたいと思いました。」


内容的には自分なりの決意や考えを書いてくれていますのでこのような感じで大丈夫ですが、

おおかたの皆さんと比較するとちょっと書いてある内容が少ないですかね。

ですので、これだと5点満点ではなく4点 (出席点2点+記述点2点) ぐらいかなあ。

もちろんこの方よりも短いのもあって、こんなのがありました。


「自分に意識的に負荷をかけることは常に意識しているべきだと感じた。これからの自分のために、丁寧な言葉遣いや、大学生としての自覚をこの4年間で少しずつ身につけていきたい。」

「自分に負荷をかけることで成長できる、という話は理想的な行動の指針をシンプルに示していると思った。コミュニケーション能力を伸ばす場合に当てはめる、常に新しい人に会うことが成長につながるといえる。」


こんな感じだと自分なりに考えたことが希薄で、

ほとんど授業内容の繰り返しになってしまっていますので、3点といったところでしょう。

たった1行だけこんなふうに書いてくれた人がいました。


「主体性 [引用者注:主体的?] に学ぶことをこれからは意識したいと思います。」


これは短いですね。

これぐらいなら授業の大半寝ていたとしても書けますよね。

いちおう授業内容のメモではないので3点にしてあげるか、

もう記述点は0点にしてしまって2点にするか悩ましいところです。

それにしてもあれだけワークシートをノート代わりにするなと注意したにもかかわらず、

ワークシートに教員が話したことを箇条書きにしている人が数名いました。

こんな感じです。


「キャリアは人生の軌跡であること。
 いまから将来の選択をせばめるのではなく広げることが必要なこと。
 自らに厳しい道を選ぶことが成長への鍵であること。
 主体的に学ぶ姿勢が求められていること。
 民間への就職という道もあること。」

「コミュニケーション能力とは友達と話す能力ではなく、初対面の人と話す能力
 高校のときのように受動的に行動するのではなく、
 能動的に行動しないと大学4年間が無駄になってしまう。
 教員を目指してやっていても民間企業に入る人がたくさんいる。」

「(1)今後の講義の進め方:15回を1セメスター中に、担当のアドバイザーを専門ごとに交代しながら進めていく。
 (2)評価方法とレポートについて:出席点が40%、レポートが60%とし、その内容で評価していく。
 (3)ワンデイ・インターンシップ・レポートについて:6、7月に開催するバスツアーに参加し、レポートを提出する。内容を評価。出なければFとなる。
 (4)職業人インタビュー:3人インタビューをし、それぞれ質問をし、レポートにまとめる。」


まあ、たしかに今回のワークシートには、

「キャリア形成論ガイダンスで印象に残ったこと (なるほどと納得したこと、違和感を感じたことなど) を、書いてください。」

とありましたので、この人たちには上記のようなことが印象に残ったのかもしれませんが、

その話のどこがヒットしたのか、それを聞いて自分はどう考えたのかを書いてくれないと、

これではただのノートと同じですよね。

特に3番目の人なんて、まるっきり授業の進め方、単位の取り方のことしか書いてなくて、

そんなことしか印象に残らなかったのかと、こちらとしてはとても残念な気分になってしまいます。

しかも、(2) の評価方法のところは聞き間違ってますからね。

正しくは、「平常点が70%、レポートが30% (職業人レポートまたはインターンシップ・レポート)、

平常点のワークシートは5点満点で採点し、そのうちの2点分 (40%?) が出席点、

残り3点分 (60%?) は書いた内容で加点する」 となります。

あのガイダンスを聞いてどうやったら 「レポートが60%」 なんて話が出てくるのでしょう?

全然、印象に残っていないじゃないですか。

うーん、ちょっと心配だぞ、今年の1年生。

なんにせよ、こういうノート代わりの箇条書きの人たちはワークシート点は2点になります。

でも、こういう人たちは少数派で、大多数の人たちは、

ワークシートいっぱいに自分の考えたことを書いてくれていました。

こういうのは文句なしに5点満点です。


「初めて 『キャリア形成論』 という言葉を大学に入学してから耳にしました。今日、ガイダンスを受けてキャリア形成論は社会に出るための準備なのだと感じました。自分がいかに社会に出てから必要とされる人材になれるか、この授業で大切にしていきたいと思います。自分に厳しくすることで卒業してからの自分のキャリアになるのだと思います。そのために受け身で授業を受けるのではなく、積極的に攻めていこうと思います。月曜日の1時間目ということで朝は早いですが、大変なのは先生方も一緒だと思うのでしっかりと授業を受けたいです。そしてテキストは絶対忘れないようにしたいです!!!」

「キャリア形成論のガイダンスを聞いて、改めて自分から主体的に行動することの必要性を感じました。ガイダンスで何度も [引用者注:入学式後のさまざまなガイダンスのことと思われる]、大学は高校とは違うということを言われましたが、今日のガイダンスで、その違いは今まで与えられていたものがなくなるのだと気付きました。今までは課題には問題が書かれていて、それを解いて提出すればよかったのですが、これからは自分が問題を見つけ、それに解答しなければならないのだと思います。大学生は高校生の延長だと考えていましたが、そうではなく福島大学の看板をせおっていることを自覚して自分に負荷をかけてキャリアアップしたいと思います。」

「『書き留めなければ何も行わなかったのと同じこと』。この言葉がとても印象に残った。今までの生活と大きく異なり、履修登録など、能動的な行動の大変さを感じている。社会に出て、恥のないよう 『キャリア形成論』 を通して言葉遣い、身だしなみ、電話のかけ方など基本から自分を見直していきたいと思う。特に言葉遣いについては、普段敬語と思って使っていたものがふさわしくない言葉遣いであったりするため、今後注意していきたい。ワンデイ・インターンシップ・バスツアーなど、福島大学では1年生から机上の学習だけではなく、実践実習のチャンスが多いため、自ら行動して活用していきたい。」

「履修登録が未だ決まらず、昨日の夜に、『もう楽な授業をとろうかな』 と思って寝ました。今日、先生方のおっしゃられた、『楽な道より辛い道を』、『福大に入ったらどうしたいと思っていたか』、『入学費分学べ』 というお言葉を聞いて、やはり楽な授業ではなく (もちろんそのような軽い授業などあるわけありませんが)、興味がある、やりがいのありそうな授業をとることにしました。また、大学では、将来へ向けた科目をとった方が良いのだろうかとも思っておりましたが、『選択肢を広げる選択を』 と聞いて、もっと様々なことに目を向けてみようかと思いました。たくさんの視野をもった人物になりたいと思います。」

「最も印象に残ったのは 『コミュニケーション能力』 についての説明です。親しい人間だけではなく、仲の良くない人間や苦手に思う相手にもきちんとした態度で接することを意味すると聴きましたが、意外に思いました。特に私は狭い人間関係を好む性格なので、将来のためにも、この授業中に、様々な人に話を聞いて、広い見識をもちます。最初の授業から様々な事を沢山教えていただき、全てのことを覚えきれたわけではありませんでしたが、コミュニケーション能力・言葉使い、手紙の書き方など、全て 『人間関係』 を築いていく上で必須の能力であることが分かりました。この学類では 『広い人間関係』 を作ることがテーマなので、今日の授業でこれから学ぶことがいかに多いか、社会で人間関係を築いていくことはそう簡単ではないことがわかりました。高校までの 『座学』 だけではなく、フィールドワークを数多く経験し、これまで以上に人との関わり方を学んでいきます。」

「今自分にできることだけをやっているだけでは成長することができないということに対して、納得することができ、再確認することができました。また、接点のない他の企業の方々などとコミュニケーションをとることの大切さも再確認することができました。私は高校時代よく、自分の恩師である部活の顧問の先生に、他の学校の生徒・先生たちがやっていないようなことをやり、すごい選手や強い選手を育てる先生の真似をしろと言われてきました。また、他の学校の人達と交流しろとも言われました。そうすることにより、新しい情報やたくさんの経験をつむことができます。しかし、私は、このガイダンスを受けた後、コミュニケーションを取ることは大切だが、どのようにコミュニケーションをとり、どのような表情・態度・目の置き場・話し方をすれば、相手は気持ちよく話せるのかもっと考えていくべきだと思いました。」

「中学校までは充実した日々を送ることができたと自負していますが、高校3年間は思い返すと、心が満たされるような達成感やキャリアはなかったと思います。ガイダンス内で今後の活動の概観を知ることができましたが、教室内での授業だけでなく校外の自主活動でも学ぶことが多くなるだろうと感じました。職業人レポートでのインタビューを含め、正式な場所や目上の方と接する際の身だしなみ、言葉遣いなどをきちんとしようとする姿勢が、相手に対しての誠意として伝わるだろうし、そういった自主的に働きかける姿勢は、大学生活しかり、社会人になるにあたっても重要なことになると思いました。年齢を重ねて自由度が高くなる環境へと移り変わっていますが、キャリアを積むことで、自由に勝る責任を負う必要があると改めて思いました。キャリア形成論以外でもその心持ちを忘れずに、厳しい選択をし続け、社会に出ても恥ずかしくない人間に成長できるよう努力をしようと思います。」


ただの第1回目のガイダンスだったのに、皆さん多くのことを学んでくれたようでうれしいです。

ただし、人間というのは熱しやすい反面冷めやすく、

せっかく学んだ大切なことをすぐに忘れてしまえる動物です。

今回心に刻んだことを何度も反芻しながら、

先輩や友人が差し伸べる 「楽な道」 への魔の手を振り払って、

自分を成長させる有意義な4年間を送ってください。

「キャリア形成論」 ガイダンスに対する質問

2016-04-25 00:09:34 | 教育のエチカ
1年生全員必修の 「キャリア形成論」 ですが、今年は私が世話人を務めることになりました。
私が講義するのは例年通り2回だけですが、他の先生方が講義する回も基本的に毎週出て、
ワークシートの回収や、場合によっては採点も私がしなければならない場合もあります。
大変だあ
先々週の第1回目のガイダンスも私が仕切らせていただきました。
初めての経験で、ただのガイダンスだというのに思いの外時間がかかってしまい、
ワークシートを書く時間があまり取れなかったりなど、いろいろ反省点がありました。
また私の説明が悪かったのか、ワークシートにはさまざまな質問が書かれていました。
大事な質問にはこの場 (まさおさまのブログ) でお答えしておきます。

【基本的な質問】

Q1.欠席の回数が 「5回以上」 と 「5回を超える」 の2種類の表記があるがどちらが正しいのか?
A1.これは大変失礼いたしました。
   10回以上の出席を義務づけているのですから、
   「5回を超える」=「6回以上」 の欠席が不可 (=F) となります。
   いちおう5回まではセーフですが、しかしこの授業を5回も休んでいるようでは、
   15% (留年・退学組) の仲間入り間違いなしですよ。

Q2.レポートはワープロで打つべきか?
A2.テキストに綴じられたレポート用紙の枠の中にワープロで打つのは大変だと思います。
   例年、先輩たちは手書きで書いて提出してくれています。

【職業人レポートについての質問】

Q1.記載されている質問以外の質問を行った場合、職業人レポートのどこに記入すればいいのでしょうか?
A1.空いている欄があればそこに質問とともに記入してもらえればOKですが、
   たぶん表は表で埋まるだろうから、裏のスペースに記入してください。
   その際、表の一番下に 「→裏に続く」 等と書いておいていただけると見落としを防げます。

Q2.企業などは、幼稚園や保育所でも良いのでしょうか?
A2.これは職業人レポートに関する質問なのでしょうね。
   だとしたら幼稚園や保育所に勤める方でOKです。

Q3.職業人レポートを作成する時、自分でインターネットなどで調べた所や、人に聞いた所に勝手に連絡してアポイントを取っても良いのでしょうか?
A3.職業人レポートのほうはすべて自分でやっていただきますので、
   自分で相手を選んで、自分でアポイントメントを取ってインタビューしてください。

Q4.アポイントメントを取るのは初めてなので不安です。訪問先は自分でインターネットなどで調べるのですか?
A4.不安なのはわかりますが、自分で調べて自分で手配するのが課題ですので頑張ってください。
   自分を成長させるために少し自分に負荷をかけてみましょう。

Q5.職業人レポートでのアポイントメントは、SNSなどでも取って良いのでしょうか? アポイントメントを twitter などで取る人を見かけるので。
A5.最近では twitter や Facebook などのSNSが仕事で使われることが増えてきましたが、
   基本的にSNSは互いに面識のある者どうしの通信手段です。
   面識のない方にSNSでアポを取るのは失礼ですし、
   面識のある方でも、今回の課題に関しては電話またはメールで連絡を取ってください。

Q6.何の面識もない人に突然、依頼するのは失礼にならないか?
A6.基本的にはその通りです。
   しかし、就職活動というのはそういうものなのです。
   ですので初対面の方に失礼のないよう細心の注意を払ってお願いしてみてください。
   また、相手の方には断る権利がありますから、その覚悟も必要です。

Q7.全く知らない、興味の向かない職種にインタビューしに行くのは失礼にあたらないか?
A7.これも基本的にはそうかもしれません。
   だからこそ、そういう相手を選ぶ場合はよけいに失礼のないよう気をつけて、
   事前の下調べなどを十分にしてから行ってください。
   よく知らない・興味のない職業へもインタビューするようオススメしたのは、
   皆さんの可能性や視野・知見を広げてほしいからです。
   インタビューをすることが決まったら、できるかぎり予備知識を仕入れてからうかがってください。

Q8.職業人レポートの際、スーツで行くと良いとおっしゃっていましたが、入学式で着たようなもので良いのでしょうか? それとも就職活動で使えるような黒一色のスーツを新たに購入した方が良いのでしょうか?
A8.入学式でどんなスーツを着たのか知りませんが、ラメ入りとか原色とかでないかぎり、
   一般的なスーツを持っているのであればわざわざ新たに購入する必要はありません。

Q9.敬語表現は普段使用しないものなので、いざという時にぎこちなくなりそうなのですが、外出し店に行ったりすることで練習したほうがいいのですか?
A9.いい心がけですね。
   その時になって突然使おうとしても上手くいくものではありませんので、
   今のうちからあらかじめ練習しておくに越したことはありません。
   職業人インタビューも、最初はわりと身近な人から始め、
   身近な方だからといってタメ口でインタビューするのではなく、
   面識のない方に対するインタビューの練習のつもりで、
   正しい敬語を用いてお話をうかがってみましょう。
   可能であれば、正しく敬語を使えていたかフィードバックを頂いてみたり、
   間違っていた場合には、もう一度やり直させて頂いたりするといいかもしれません。

【ワンデイ・インターンシップ・バスツアーについての質問】

Q1.ワンデイ・インターンシップ・バスツアーは費用 (バス代など) がかかるのか?
Q2.バスツアーの費用はどのくらいかかるのか?
A1+A2.バス代は太っ腹の福島大学が全額負担しますので、皆さんは費用の心配は無用です。

Q3.ワンデイ・インターンシップの訪問先に学校は含まれるのか?
A3.残念ながら今年度は学校は含まれていません。

Q4.インターンシップを申し込むとなったときどのくらいの企業の選択があるのか?
A4.4月11日現在で約20社ほどの訪問先が確定していましたが、
   5月9日にはさらに増えていることと思います。

Q5.ワンデイ・インターンシップへの参加の際、必ず生協で扱っている保険への加入が必要なのでしょうか?
A5.生協で扱っている保険でなければならないということはありませんが、
   新入生合宿等もあるでしょうし、大学生活での万一のことも考えて、
   何らかの保険に加入しておくことをオススメします。

Q6.バスツアーの件で、病院に行ったときは診断書を見せるのは納得しました。身内の不幸の場合は特に書類は必要ないのですか?
A6.正式な書式があるわけではありませんが、やはり、いつどなたが亡くなり、
   いつどこで葬儀等が行われたのかを明記した文書 (忌引き届) を提出してください。

【職業人インタビューとワンデイ・インターンシップの関係についての質問】

Q1.職業人レポートを提出する場合でも、ワンデイ・インターンシップには参加する必要があるのでしょうか?
A1.どちらかのレポートを提出すればよいので、
   職業人レポートを選択した人は、ワンデイ・インターンシップに参加する必要はありません。
   (A2+A3もご覧ください。)

Q2.職業人にインタビューした人も、インターンシップに参加することは可能ですか?
Q3.職業人レポートを書こうとしている人はワンデイ・インターンシップには参加できないのですか?
A2+A3.参加できます。
      ただし、いったん申し込んだらドタキャンは厳禁です。
      また、せっかく参加したのですから、
      ワンデイ・インターンシップ・レポートも書いて提出してくれてもOKです。
      その場合は加算して成績評価します。

Q4.ワンデイ・インターンシップ・バスツアーの実施が8月初旬になった場合、第15回の授業の際に職業人レポートを提出する必要はあるのでしょうか?
A4.必要ありません。
   ワンデイ・インターンシップ・バスツアーが終了次第、
   ワンデイ・インターンシップ・レポートを提出してください。

とりあえず、主要なところは以上です。
他にもいくつか質問をいただいていますが、
それらはタイプの違う質問ですのでまた別の機会にお答えすることにいたします。

『福島10の教訓』

2016-04-24 16:53:09 | グローバル・エシックス
昨年度末、研究室の片付けをしたときに、テーブルの上の堆積物の山のなかから、

ブログネタにしようと思っていたいろいろなものが発掘されました。

そのうちのひとつがこちらです。



『福島10の教訓』 というタイトルのブックレットです。

副題は 「原発災害から人びとを守るために」。

福島ブックレット刊行委員会というところが刊行した、72ページの薄い小冊子です。

てつカフェのときに参加者のどなたかから頂戴して、

これは素晴らしいと思ってブログでご紹介するつもりでいたのですが、

研究室のなかで行方不明になってしまい、ずっと捜索願いが出されていた物件です。

それが何ヶ月ぶりかで発掘されて、ようやく日の目をみることになりました。

とても薄い読みやすいブックレットですが、中身は濃厚です。

とりあえずこの本の骨子、福島の10の教訓を書き出しておきましょう。

教訓1 「安全神話」 にだまされてはいけません

教訓2 緊急時には、まず避難することが基本です

教訓3 緊急時には、情報へのアクセスと行動の記録が重要です

教訓4 包括的な健康調査と情報開示を受けることは被災者の権利です

教訓5 生産者・消費者が参加する検査体制を作ることが必要です

教訓6 放射線による汚染を完全に除去することはできません

教訓7 原発労働者に対する健康管理を確立させなければなりません

教訓8 生活とコミュニティの再建という視点が欠かせません

教訓9 被災者の権利と救済のための法律は、被災者自身の参加によって作るものです

教訓10 事故被害を 「原発のコスト」 に算入しなければなりません

これらはまさに福島の教訓と言えるでしょう。

こんな基本的なことがこうした冊子にまとめられなければならなかったのはなぜかというと、

これらの大切な大切な福島の教訓が、日本では何ひとつきちんと受け止められていないからです。

あれだけの大惨事があったにもかかわらず、

そこから何ひとつ学ぼうとしない日本って何なんでしょうか?

現政権には1ミクロンも期待していませんが、ゆとり世代が選んでくれるであろう次回以降の政権に、

これらの大切な教訓を託したいと思います。

Q.哲学者の中で一番言っていることも顔もイケメンな哲学者の偉人はだれですか?

2016-04-23 08:27:12 | 哲学・倫理学ファック
これも初めていただいた質問です。

最近の若い方々は 「イケメン」 ということにものすごくこだわるんですね。

哲学者にまでイケメンを求めますか?

しかも、言ってることも顔もイケメンって

「言ってることがイケメン」 の意味がおぢさんにはよくわかりません

別の方からはこういう質問もいただいていました。

「Q.哲学の中ででてくる一番いい名言や教えは何ですか?」

これだったらシンプルでお答えしやすいんですけどねぇ。

さて、どうお答えしましょうか?

とりあえず顔がイケメンの哲学者を思い出してみましょう。

といっても哲学者をそういう観点で見たことあんまりないからなあ。

名前や思想を知ってるだけでどんな顔か知らないという哲学者もけっこういるし。

うーん、たまたま写真を見てこの人いい顔してんなあと思ったことがある、という人としては、

ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの名前を挙げることがでしょう。

この人です。



カッコよくないですか?

若い頃のこの写真はさらにイケメンだと思うのですが。



哲学者で顔がイケメンというと、ホント私としてはこの人しか思い浮かびません。

さて、ではこの人は言ってることもイケメンなのでしょうか?

ヴィトゲンシュタインは20世紀前半に活躍した哲学者で、

言語哲学とか分析哲学と呼ばれる一派のなかでも超難解な本を書いたことで有名な方です。

で、私は言語哲学とか分析哲学とかは苦手で、特にこの人の思想にはまったくついて行けず、

残念ながら1冊も読破できた本がありません。

ので、彼の言ってることについてはイケメンかどうかを判断することができません。

私の力不足で本当に申しわけありません。

彼の有名な言葉としては 「語りえぬものについては沈黙しなければならない」 というのがあります。

いかにも言語分析哲学者らしい言葉だとは思いますが、このセリフは果たしてイケメンでしょうか?

ちょっと私には判断つきかねるので、判定は皆さんに委ねたいと思います。

他にイケメンの哲学者はいるでしょうか?

もう誰も思い浮かばなかったのでググってみることにしました。

するとやはりヴィトゲンシュタインの名前はわりと上位のほうで出てきていました。

しかし、ヴィトゲンシュタインを抑えて筆頭に出てきたのはこの方の画像でした。



こちらは日本の現存する哲学者、國分功一郎さんです。

最近マスコミとかにもよく登場していますので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんね。

難しい専門書もたくさん書いていますが、『哲学の先生と人生の話をしよう』 といった、

私のブログなんかよりもはるかにわかりやすく、

しかも深いことが書いてある本なんかも出版されていますので、

ぜひ一度読んでみるといいでしょう。

そのなかにはこんな一節があります。

「ガリ勉がいけないということではないのです。

 これをやっておけば自分の人生は大丈夫なのだという “信仰” に頼ってしまうことがまずいのです。」

どうです?

言ってることもイケメンじゃありませんか?

さて、「哲学者 イケメン」 でググっていたらこんなアプリにも遭遇しました。

「恋におちた哲学者 ~イケメン哲学者、恋愛の名言」

哲学者の恋愛に関する名言を集めたアプリで、

しかもそれぞれの哲学者のイケメンな顔がイラストで描かれているのです。

アプリはダウンロードせずにチラッと中を覗き見してみましたが、

正直言ってちょっとこれは詐欺に近いショーバイだなあと思いました。

お言葉のほうはいいんです。

いずれも語っている内容はイケメンだと言えるでしょう。

しかしイラストのほうはいくら何でも美化しすぎてやしませんかという感を拭えません。

例えば、ぼくのキライなヘーゲルがこうですからね。



ヘーゲルをここまでイケメンに描けるのであれば、

ぼくの大好きなカントだって絶世の美少年に描くことは可能でしょう。

残念ながらこのアプリに美形カントが出てくるかどうかは知りませんが、

カントはこんな顔をしていました (写真のなかった時代なので肖像画ですが)。



こっちはさらに精悍です。



少なくともヘーゲルよりはイケメンですよね。

そしてカントは言ってることもイケメンですよ。

「私たちの内なる道徳的実践理性は断固たる拒否権を発動して次のように宣告する。

 いかなる戦争もあるべからず。

おおお~っ、カッコいいなあ、シビれるなあ~。

これは哲学の中で出てくる一番いい名言であり、一番いい思想だと私は信じています。

うん、やっぱり今日の質問に対する答えは次のようにまとめておくことにしましょう。

A.一番言ってることも顔もイケメンな哲学者は18世紀の哲学者イマヌエル・カントに決定しますっ

Q.ゆとりだと思う時は?

2016-04-22 08:42:10 | 教育のエチカ
初めて頂戴した質問です。
もともとは2つの質問がいっぺんに問われていました。

「Q.ゆとりだと思う時は?
 ゆとりだからと言われなくてすむ、言われるのを減らせる考え方は?」

最初これを読んだとき何を問われているのかわかりませんでした。
最初の質問だけ読んで、自分がゆとりを感じるのってどういう時かなあとか考えてました。
論文の締め切りよりも早く論文が書き終わったときかなあ (そんなことはほとんどないけど) とか。
そういう質問じゃなかったんですね。
「ゆとり世代」 って意味なんですね。
言葉を補って最初の質問を書き換えると、

「Q-1.若い人たちを見て 『ゆとり世代』 だなあと思うのはどういう時ですか?」

という質問だったんですね。
それに続く質問も書き換えてみると、

「Q-2.『ゆとり世代』 だからと言われなくてすむためには、
      『ゆとり世代』 と言われるのを減らすためには、どういう考え方をすればいいですか?」

という感じになるんでしょうね。
なるほど。
皆さんは 「ゆとり世代」 だったんですか。
そういう自覚あります?
うちは元教育学部なので 「ゆとり教育」 という言葉はよく耳にしていましたが、
特定のある人々を指して 「ゆとり世代」 と呼んだりするのは聞いたことがなかったので、
今回の質問は私にとってひじょうに目新しい感じがしました。
ちょうど今クールはクドカン脚本のドラマ 「ゆとりですがなにか」 が放映されていますので、
そういう意味でもタイムリーでした。



順番にお答えしてみましょう。

A-1.若い人たちを見てこいつら 「ゆとり世代」 だなあと思ったことは一度もありません。

うん、ホントないですね。
調べてみると、ゆとり世代という概念は多義的みたいですが、
1987年生まれ、今年 (2016年に) 29歳になる世代から下を指すことが一般的のようです。
学校が週休二日制になって以降の 「ゆとり教育」 を受けた世代のことみたいです。
大学教員にはまだその世代が入ってきていなくて、
同僚として付き合ったことがないから実感できないのかもしれません。
教え子としてはもうだいぶ前から出会っているはずですが、
たぶん学問分野の関係で私はまだ大学生を見て、ああ、ゆとり世代だなあと思ったことはありません。
歴史学や地理学の先生たちはだいぶ前から学生の基礎知識のなさを指摘するようになっていました。
しかし、哲学・倫理学の場合、そもそも 「倫理」 を履修してきている学生はごく少数のため、
大学で授業をやる場合も高校での既習得知識を前提として授業をしていませんので、
高校時代に知識を詰め込んであるかどうかが関係ないのです。
むしろ自分で調べて自分で考えてもらうほうが大事ですので、
いわゆる 「ゆとり教育」 を受けてきている学生のほうが頼もしいと言えるかもしれません。
卒論の出来を比べてみても、ダントツに優秀な作品はすべて近年のゆとり世代が書いています。
今回こういう質問をいただくまでゆとり世代のことを意識したことがなかったんですが、
言われてみるとゆとり世代は、私にとって見るとけっこうスゴイ人たちなのかもしれません。

だけど一般的には 「ゆとり世代」 というのは差別語、軽蔑語なんですよね?
ドラマ 「ゆとりですがなにか」 を見ていると、
世間一般ではこういうふうに捉えられているんだなあというのが戯画的にわかって面白かったです。
打たれ弱い、粘り強さがない、自己都合優先、相手の気持ちに鈍感、常識がない、
といった感じでしょうか?
そんなふうに言われ続けたら、それはそう言われなくてすむには、
そう言われることを減らすためにはどうしたらいいかと考えたくなるのもムリないでしょう。
どうなんでしょう?
皆さんにはそういう特徴があるんですか?
私の教え子たちを見るかぎり、あんまりそういうイメージはないのですが…。

万が一そういう特徴がこの世代一般に認められるとしても、
それは 「ゆとり教育」 のせいではないだろうと私は推測しています。
ゆとり教育のせいで学力が低下したという議論がありますが、私はそれには賛成しかねます。
これについてはいろいろと専門的な議論があるようなのでそちらにお任せしますが、
私はゆとり教育というのはさまざまな意味で必然だったと理解しています。
ひとつは、学校を週休二日制にしなければいけなかったという意味で。
今どき学校で働く公務員にのみ週休一日制を強要するというのは平等の観点から許されません。
日本全体が週休二日制になった以上、学校も週休二日制にする以外の選択肢はありませんでした。
しかし、そんなことは些末なことです。
高度情報化社会を迎えて、学力の意味は変わらざるをえなかったのです。
知識を詰め込んでそれをどれだけ覚えていられるかという意味の学力は、
コンピュータがなかった頃の社会人に求められた学力でした。
パーソナル (個人的) コンピュータが普及した現在、
その手の暗記力はPCに任せておけばよいのです。
今の大人はどうやって自由に情報を引き出し、その情報を活用して新しいものを生み出せるか、
そういう力が求められています。
それが現代求められている新しい学力なのですから、
以前なら暗記していることを求められていた知識を彼らが覚えていないからといって、
学力が低下したと騒ぎ立てること自体がナンセンスなのです。
そういう意味では、ゆとり教育のひとつの象徴とされる 「総合的学習の時間」 というのは、
完全に学校任せ、教員任せにしてしまったという点で疑問は残るものの、
現代に求められる学力を育むための枠組みとしては有意義だったのではないかと思っています。

したがって問題はゆとり教育というよりも、
皆さんが置かれている社会状況のほうにあるような気がします。
例えば、私よりも上の 「団塊の世代」 の人々は、ベビーブームの頃に生まれて同世代の数が多く、
学校時代はものすごい競争にさらされて、そのなかで勝ち残らなければなりませんでした。
しかし大学を出てしまえば (進学率15~20%) あとは終身雇用と年功序列制度に守られたわけです。
学校よりも社会のほうが温かかった時代です。
それに対してゆとり世代の皆さんは、少子化、それに伴う大学全入時代の到来によって、
学校時代は厳しい競争にさらされることもなく大切に大切に育てられてきました。
ところが就活時期以降は一転、就職氷河期のあおりを受け正規雇用もままならず、
何とか就職できたとしても、いつリストラされるか、いつ会社そのものが潰れるかもわからない、
新自由主義の荒波のまっただ中に放り出されるのです。
ぬるま湯の学校時代の先に冷徹な (場合によってはブラックな) 社会が待ち受けているわけです。
そりゃあ適応できるわけがないですよね。

そういう社会の側の変質をきちんと捉えないまま、
若い世代の自己責任に帰すための議論が 「ゆとり世代論」 なんじゃないかと思っています。
そんな時代のなかで、「ゆとり世代」 だからと言われなくてすむためには、
「ゆとり世代」 と言われるのを減らすためには、どうしたらいいんでしょうか?
残念ながら私にはまったく皆さんに提示してあげられる答えがありません。
ただご質問は 「どういう考え方をすればいいですか?」 という問いでしたので、
「考え方」 ということで唯一言いうることがあるとしたらこうでしょうか?

A-2.もう大人 (上の世代) は守ってくれない、自分の身は自分で守るしかない、
    この生きにくい社会を生きやすく変えるためには、自分たちの手で変えるしかない、
    と覚悟を決めるしかないと思います。

けっきょくこれも自己責任論になってしまうんですが、たぶんこういうことじゃないかと思います。
ご両親や学校の先生たちが君たちを大事に守ってくれたような、そういう環境はもう戻ってきません。
どこかに頼れる、信頼できる大人や上司がいるわけではないのです。
今の仕事や上司が気に入らないからといって逃げ出しても、
それに代わるよりよい選択肢がどこかにあるわけではありません。
だからどんなにツラくてもブラックでも堪えろと言いたいのではなく、
自分たちの手で変えていくしかない、というのが私の結論です。
職場のなかでもそうでしょうし、社会全体としても自分たちの手で変えていくしかありません。
だから選挙にもちゃんと行きましょう。
今の日本は、ゆとり世代を食い物にして老人たちだけが美味しい思いをし続ける道を選んでいます。
ありとあらゆる手段を駆使して君たちを洗脳し、君たちが選挙に行かずに (あるいは行ったとしても)、
唯々諾々と今の日本の方針に従ってくれるように導いています。
皆さんは、ゆとり教育で培った新しい学力を武器に、彼らの方略を見抜き、それを出し抜き、
新しい社会を自分たちの手で築き上げていくしかないでしょう。
それを成し遂げることができたなら、もう誰も 「ゆとりだから」 などと蔑むことはなく、
むしろ 「ゆとりだからこそ」 やり遂げてくれたと賞賛するようになるのではないでしょうか。
書き始めたときはこんなふうに筆が進むと思っていませんでしたが、
なんか熱いメッセージになってしまいました。
ダメな大人から若い皆さんに贈るエールだと思ってお聞き流しください。

謝罪のまさおさま

2016-04-21 19:13:55 | お仕事のオキテ
衝撃の事件から一夜が明けました。

昨日は、午後ずーっと怒濤の連チャン会議だったので、

あの件に関しては何もアクションを起こすことができませんでした。

今日も、先週と今週のみなんですが瞬間風速的に、めちゃくちゃ忙しく長い1日です。

木曜日ですから早起きして朝から相馬ドライブです。

なんせ昨日あんなことがあったばっかりですから、朝起きられるかどうか戦々恐々としていました。

もちろん晩酌はせず、ちゃんと寝間着に着替えて日が替わらないうちにベッドに入りました。

目覚ましをかけることも怠りませんでしたが、目覚ましが鳴る前に目は覚めました。

いつもより少し早めの行動で、危なげなく相馬のお仕事を完了させることができました。

今日は 「井戸端よしお」 で味玉中華そばをいただき、

お腹が痛くなることもなくまっすぐ大学に戻ってきました。

大学に着くやいなや卒論ゼミです。

120kmの旅の疲れをいやすヒマもありません。

本来ならゼミが終われば本日のノルマは終了でいいはずですが、

先週と今週は夜間主現代教養コースの1年生向けオムニバス科目 「社会と人間」 が当たっていて、

7限 (19:40~21:10) の授業があるのです。

朝の9時から夜の9時過ぎまで12時間労働のハードワークです。

運転の時間も入れると14時間労働になります。

さて、卒論ゼミが終了してから7限まで少し時間が空きますので、

この間に昨日の失態に対するリアクションを起こすことにしました。

というわけでこんな文書を作成しました。



受講生の皆さんに対する謝罪文ですね。

カッチョ悪いなあ

未だかつて受講生の皆さんにこんな文書を配布した教員がいたでしょうか?

これはもはやレジェンドですね。

何度も推敲してやっと書き上がったときは5時を過ぎていました。

人数分プリントして大学中をかけずり回り、

大学院生がいるはずのそれぞれの研究室に持参しましたが、

さすがに時間が遅かったのか受講生にはひとりも会うことはできませんでした。

しかたなく各研究室のドアポケット等に文書を残してトボトボと帰ってまいりました。

直接の謝罪は来週の水曜1限に行うことにいたしましょう。

ああ、それにしてもみんなに会わせる顔がないなあ

もうこの授業、引責辞任しちゃおうかなあ。

ヤッチマッタ━━━━(>_<)━━━━ッ!!!!

2016-04-20 19:20:10 | 生老病死の倫理学
本日はやらかしてしまいました

久しぶり?

いやこういうのは教職歴22年間で初めてかもしれません。

たしかに昨日は飲み会でした。

でも2次会までしか行きませんでしたし、

慢性胃炎とポリープ持ちですから食べすぎたり飲み過ぎたりしないよう気を付けていましたし、

だからシメのラーメンにも行かずに12時前には帰ってきていたんです。

しかし、なぜかちゃんとベッドに入らずソファで眠ってしまっていたようです。

寝間着にも着替えず飲んで帰ってきたままのカッコでソファに横になっていました。

そうしたらピンポーンとチャイムが鳴ったので、

こんな時間に誰だろうと思ってインターホンの画面を見てみたら、ゆうパックの人でした。

こんなものが届きました。



湖池屋からの荷物です。

開けてみるとこんなものが入っていました。



Facebook か何かで流れてきた広告で、

工場直送のできたてのポテトチップスというのがとても美味しそうだったので注文していたのでした。

いやいや、そういうことじゃない。

こんな写真を撮っている場合ではないっ。

ゆうパックの宅配がやってくるということは今はもう何時なんでしょう?

時計を見てみると9時22分でした。

ん?

9時22分?

え?

あれ?

もう朝?

9時22分?

今日って水曜日だよね?

水曜日って1時間目の授業があったよね?

1時間目は8時40分から10時10分までだよね?

ん?

9時22分?

ガビーーーーーーーーーーーーン

私、やっちまいました。

授業をすっぽかしてしまいました。

大学院の必修の授業です。

授業開始から30分以上過ぎていますので、

たぶん院生たちはどうしたんだろうと不審に思いながらもう解散しているだろうとは思いましたが、

いちおう事務の方に電話して本日休講とお知らせしてもらうようにお願いはしておきました。

いやあ、それにしても会議をすっぽかしたことはよくありましたし、

授業に遅刻したこともたまにありましたが、

完全に授業を寝過ごしてしまったのは初めてでした。

なんであんなに爆睡してしまったんだろう?

チャイムが鳴ったときまだ夜中だと思い込んでいました。

帰ってきてからそんなに時間が経っていたなんてまるで信じられませんでした。

明日は1限だからと思って早く帰ってきたつもりだったのになあ。

なんでこんなことに…。

とにかく院生の皆さん、本当に申しわけありませんでしたっ

それにしてもこの授業、大人の力とかプロフェッショナルの心得みたいな話をしなきゃいけないのに、

どの面下げてそんなことを語ればいいんだろう。

カッチョ悪いなあ

Q.自分とは異なる職業を 「あんなのは」 というのはなぜなのでしょうか?

2016-04-19 18:08:15 | お仕事のオキテ
昨日の質問と同じではないものの、似ている部分、重なる部分があったため、

昨日いっぺんにお答えしてしまおうかとも思いましたが、いちおう分けることにしました。

正確にはこんなふうに聞かれていました。

「Q.自分の仕事に誇りを持つことは大事だと思いますが、

   自分とは異なる職業を 「あんなのは」 というのはなぜなのでしょうか?」

うーん、今どきこんなこと言う人がいるんですか?

困ったものですね。

まあヘイトスピーチとかも流行っているようですし、

自己中心的な人は昔に比べて増えているのかもしれないですね。

それに比べて質問者の方はとても冷静ですね。

そういうことを言う人の心情を察しようと自分なりに想像してみた仮説が前半部分なのでしょうね。

自分の仕事に誇りを持っているから、その反動として他の職業を蔑む。

たしかにそうなのかもしれません。

とにかく、昨日お話しした自己中心性の問題がここにも現れてきているのは間違いないでしょう。

自分が苦労してその職に就き、日々努力してその仕事を続けていっているわけですから、

その仕事を誇りに思い、それこそがいい仕事だと思うというのは人間の性 (さが) と言えるでしょう。

しかしながら、だからといって自分とは異なる職業を 「あんなのは」 と蔑んだりするでしょうか?

いただいた短い質問の文章だけからでは、どういう場面の発言か十分理解できなかったのですが、

この発言者は自分とは異なる職業を片っ端から全部 「あんなのは」 と蔑んでいたのでしょうか?

たぶんそういうことではないのだろうと思うのです。

何かある特定の職業を指して、それに関してのみ 「あんなのは」 と言ったのではないでしょうか。

もしもそうだとすると、自分の職業以外のすべての職業を蔑んでいるということではなく、

したがって、たんに自己中心性によって自分の職業以外はすべてダメに見える、

というような問題ではないのでしょう。

これは私の仮説にすぎないので一般化できるかどうかはわかりませんが、

自分の職業に誇りを持っている人は、他人の職業に対しても敬意を払える人ではないかと思います。

自分の仕事に誇りを持っている人というのは、自分の仕事の辛いところ大変なところをわかっており、

日々それに耐えながら、でもその仕事にやりがいを感じて頑張っているのだろうと思うのです。

そういう人は、自分の仕事ばかりでなく他人の仕事にも理解があるのではないでしょうか。

自分の職場近辺でも関連職種のさまざまな人々と触れ合い協働しているでしょうし、

まったく触れ合うことのない別業種の仕事であっても、自分の仕事と同様、

それらが辛くて大変なことはありつつも社会に必要な大切な仕事であるということはわかるでしょう。

なので、自分の仕事に誇りを持って誠心誠意取り組んでいる人は、

そう簡単に他人の仕事を蔑んだりはしないし、できないのではないだろうかと私は思うのです。


さて、そうだとすると自分とは異なる職業を 「あんなのは」 とバカにするという事態は、

どういう場合に発生するのでしょうか?

ひとつは、ある特定の仕事に対する差別や偏見がある場合でしょう。

それがどういう仕事なのかは、その人の育ってきた環境や接してきた人々によりけりでしょう。

とにかく何らかの偏った情報や誤った情報を与えられ続けることによって、

ある職業に対して差別や偏見がその人の心にこびりついてしまっているのではないでしょうか。

つまり、自分とは異なる職業すべてをバカにしているのではなく、

ある特定の職業に対して偏見をもっていてそれを 「あんなのは」 と軽蔑しているのだと思われます。

そして、そういう差別や偏見がどういう場合に表に出て来てしまうのか?

人間は昨日も述べたとおり、何らかの色メガネを持ってしまっていますから、

誰だって差別や偏見のひとつやふたつは持ち合わせているだろうと思うのです。

ただふだんはそうしたものは心のなかで思うだけで、

それを他人に向かって表明するような下品なことは慎みます。

それがポロッと外に出てしまうのはどういうときか?

それは、自分の仕事に誇りを持てていない場合ではないかと想像します。

辛いばっかりでやりがいもなく何のためにこんな仕事をしているのかわからないけれど、

生きていくためにはそれをやり続けるしかない、そういう状況に追い込まれてしまったとき、

人は自分より下のものを探してそれを攻撃することで自分の心の安定を図ろうとする、

そういうメカニズムが働くのではないかと思うのです。

ヘイトスピーチとか差別が発生するメカニズムもそれに似ているように思います。

自分に余裕があって自信があって、自分の仕事に誇りを持てているとき、

人はことさら他人のやっていることにケチをつけたりバカにしたりしないだろうと思うのです。

自分のやっていることに誇りが持てなくなったとき、

攻撃の刃が外に向かうのではないかと私は想像するのです。


今回は想像の話ばかりになってしまいました。

昨日の問いは哲学・倫理学の範囲内で答えられましたが、

今日の問いは心理学に属する問題ですので、完全に私の専門外です。

そういうこともあって昨日の問いと今日の問いには別々に答えさせていただきました。

これはあくまでもまさおさまの仮説にすぎないということをお含みおきの上、お聞き流しください。

ですので今回は 「A.○○○○」 というように答えとしてまとめることは控えます。

皆さんも自分なりに調べたり、自分で考えたりしてみてください。

Q.なぜ上に立つ人は、自分の言うとおりにすれば大丈夫だと思うのでしょうか?

2016-04-18 14:49:05 | お仕事のオキテ
哲学に関する質問であるかどうかは別ですが、これ自体はとてもいい質問ですね。

こういう質問に対しても哲学的・倫理学的にお答えしてみましょう。

まずは上に立つ人かどうかは置いておいて、

そもそも人間というのは自己中心的に物事を考えてしまいがちな生き物です。

これはどうしたって仕方のないことです。

私たちは、自分の目で物を見、自分の耳で聞き、自分の鼻で匂いを嗅いで生きているのですから、

自分というフィルターを通してしか世界を受け取ることができません。

しかも人間は五官を通して世界をありのままに受け止めているわけではなく、

自分の好き嫌いや常識という網の目によって、世界を自分に合わせて変形させて受け取ります。

同じ緑色のキュウリを見たとしても、

Aさんはみずみずしいシャキッとした歯ごたえのさわやかな食べ物として捉えるかもしれませんが、

Bさんは鼻の曲がる悪臭を放つ意味不明の虫のエサと捉えているということがありうるでしょう。

AさんもBさんも、自分とは違う捉え方があると知るまでは、

自分の捉え方が唯一の正しい物の見方だと信じて疑うことができません。

2人とも自分の生まれや育ってきた環境のなかで培われた色メガネを通して世界を見ていて、

その色メガネを外したことがないのですから、

自分の見ている姿が物の正しい姿だと信じ込むしかないのです。

物の見え方だけですらこうなのですから、人間はどのように生きたらいいか、

どういうときにどういう行動をしたらいいか、といった人生に関わるような問題については、

よりいっそう人は自分の信念に凝り固まってしまいがちになります。

ましてや上に立つ人というのは、自分のやり方で成功して上に立てるようになった人たちです。

皆さんのようにまだ若くて社会に出たことのない人間であれば、

自分のやり方にいろいろと迷いもあるだろうし、絶対的自信は持てていないことでしょう。

しかし、自分のやり方でたまたま成功してきてしまった人たちは、

自分のやり方に自信を持ち、それが唯一の成功への近道だと信じ切ってしまうのです。

したがって、自分以外の人も自分の言うとおりにすれば大丈夫だと思い込み、

善意から自分の言うとおりにするように教えてあげているのです。

しかしよく考えてみれば、そのやり方はその人だから上手くやれただけかもしれませんし、

今はもうその時とは全然状況が変わってしまっていてそのやり方では通じないかもしれません。

哲学的にはこういうのは 「単称汎化の誤り」 と呼ばれています。

ある誰かにたった1回こっきり当てはまったケースにすぎないものを、

誰でもいつでも成立することだと強弁してしまう誤謬です。

まあ哲学 (特に論理学) を勉強している相手になら、

「それって単称汎化の誤りですよね」 とひとこと言ってあげれば、

相手はすぐに自分の過ちに気がついてしおしおと自分の言い分を引っ込めてくれると思いますが、

哲学や論理学をちゃんと理解している人なんてめったにいないのでそううまくはいかないでしょう。

先にも言ったとおり上に立つ立たないに関係なく、人間というのは自己中心的な生き物ですので、

自分の言うとおりにしておけば大丈夫だと言ってくる人がいたら、

「ありがたい教え、どうもありがとうございます」 と感謝しておき、

あとは自分の頭で考えて、本当にその通りにしていればいいのか、

それとも自分なりに工夫して所々アレンジしなければならないのか、

自己責任で物事に取り組むようにしましょう。

今回の答えは以下のようにまとめておくことにいたします。


A.そもそも人間は自己中心的な生き物なので、自分のやり方が正しいと思い込みがちです。

  ましてや人の上に立つ人は、自分のやり方で成功してきた人であるため、

  他人も自分の言うとおりにすれば大丈夫だと、単純に信じてしまうことが多いからです。

【閲覧注意!】 生まれて初めての胃カメラ

2016-04-17 18:32:06 | 生老病死の倫理学
この記事には気色悪い画像が含まれています。
  食事前の方やショックに弱い方は閲覧には十分ご注意ください。


先々週ナゾの腹痛に襲われ、せっかくの相馬でランチを食べられず

そのまま病院に直行したことをご報告しました。

病院ではその場でエコー検査をしてもらいましたが、特に大きな疾患は発見されませんでした。

胃炎や胃潰瘍などはエコー検査では見つけられないそうで、

それらを調べるためには内視鏡検査 (いわゆる胃カメラ) が必要だそうです。

実は私、胃カメラを呑んだことがありません。

もうずいぶん前から健康診断の際に内視鏡検査を勧められていましたが、

死ぬほど苦しかったとか、人生で一番ツラかったとか、その手の経験談しか聞いたことがなく、

そこまで侵襲的な検査に手を染める気にまったくなれなかったのです。

しかし今回はきっとそういう話になるんじゃないかなあという予感はしていました。

もういい歳ですしね。

だからこそ 「ある物」 が置いてあるところをあらかじめ探してあの病院に行ったわけです。

「ある物」 というのは経鼻内視鏡のことでした。

口から胃カメラを呑むのではなく、鼻から胃カメラを入れるというやつです。

こんな感じですね。



経口内視鏡よりもはるかにラクだという噂を聞いていたので、

どうしても胃カメラということになったらぜひ経鼻内視鏡にしたいと思っていたのです。

なぜラクかというと2つの理由があるようです。

こちらです。



ひとつはそもそも管が細いということ。

実際、「クリニック21」 には経口内視鏡と経鼻内視鏡の両方が備えられていましたが、

たしかにこの写真にあるとおり、誰が見ても明らかなくらい太さが違っていました。

そしてもうひとつは舌に当たらないということだそうです。

こればかりは両方経験してみないと違いはわからないでしょうが、

あのぶっといのを口から突っ込まれたらそりゃあ吐きそうにもなるでしょう。

というわけで臆病者の私としては、どうしてもやるとなったら経鼻がいいと思っていたのです。

調べてみるとだいぶ普及してきているようで、福島市にもけっこう置いてある病院はありました。

そのなかから我が家に一番近い病院を選んで行ったわけです。

エコー検査のあと、私が一度も内視鏡検査をやったことがないと言うと、

ではせっかくですからやっておきましょうということになり、

そう来るだろうと思って経鼻内視鏡がある病院を選んでこちらにうかがったんですと応ずると、

先生は、オッ、そこまで知っていたのか、こいつやるな、という顔になって、

では経鼻でということですぐに予約を取り、翌週5日後に検査を行うことになりました。

それまでに処方された薬で腹痛が完治してしまったら、

せっかくの胃カメラがまったくのムダになってしまいますが、

何にせよ一度は内視鏡検査をやっておいたほうがいいのだろうと覚悟を決めました。

案の定、ちょうど薬を5日分のんだらきれいさっぱり腹痛は治まっていましたが、

もはやいたしかたありません。

胃カメラを呑む当日がやってきてしまいました。

検査の12時間前から飲食は禁止でしたが、それは大した試練ではありませんでした。

飲酒禁止とも言われませんでしたが、わざわざ飲む気にもなりませんでしたし…。

当日は、まずは消泡剤というんでしょうか、白い液体を飲まされました。

それでしばらく放置されてから、検査室に通されました。

そこのベッドの上で、消泡剤を胃全体に行き渡らせるために、

横になったまま2、3度自力でぐるぐる回らされました。

それから、どちらの鼻がよく通っているか聞かれ、そちらの鼻にスプレーされます。

そのあとジェル状のものを鼻の穴のなかに塗られました。

そのどちらか (あるいは両方?) が麻酔だそうです。

塗布後、ほとんど時間を置かないまま短めのチューブが差し込まれます。

鼻のけっこう奥まで差されましたが大した痛みはありませんでした。

しばらくしたらそれを抜き、次は胃カメラと同じ太さのものですと言われ、

また別のチューブを差し込まれました。

これも先のものと同じで、大して苦しいものではありません。

これもそれほど時間の経たないうちに抜かれて、いよいよ本番です。

あの経鼻内視鏡のチューブが鼻から挿入されていきます。

万年鼻づまり気味の私は鼻を通るところを一番恐れていましたが、

鼻は意外とあっさり通り抜けてくれました。

それよりもノドを通るときが一番ツラかったです。

ちょうどのどチンコの内側あたりでしょうか。

けっこうむせ返ってしまいましたが、それよりも痛いという感じでした。

ゲホゲホしたのはほんのしばらくの間だけで、

そこから先は食道も胃も特に何も感じませんでした。

ただ胃カメラが入っているあいだずっと、のどチンコの内側のあたりに軽い痛みはありました。

経鼻内視鏡の場合、鼻から入っているのでずっと会話ができ、

あとは先生とモニターを見ながら説明してもらったり質問したりして検査していきました。

これは帰りがけにもらった写真ですが、こんな感じの映像ですね。

【ここから先、閲覧注意!】





ワン





トゥー





スリー








一番最初に一番奥まで突っ込んで、十二指腸のあたりを検査し、

そこから胃の出口、胃の中、胃の入口へと戻ってきて、最後に食道を見ておしまいです。

経口内視鏡のほうがカメラが大きいので検査時間は短くてすむそうです。

経鼻の場合は一度に映る範囲が狭いので、カメラをあっちこっちに動かして時間がかかるそうです。

そうして診てもらった結果、慢性胃炎とポリープが複数確認されました。

ポリープは良性だそうですが、それがあちこちにありました。

腹痛の原因はこれらの胃炎とポリープだったんだろうということになりました。

ストレスを感じたことのない私ですから、

まさか自分の胃の中に胃炎やポリープがあるとは思っていませんでした。

調べてみるもんですね。

そして、先生によるとどうも私の胃はピロリ菌が居そうな胃だとのことでした。

そうです、今はやりのヘリコバクター・ピロリですね。

それなら納得いきます。

暴飲暴食ばかりでろくな食生活送っていませんからね。

ストレスよりは菌に冒されていると言われたほうが私らしい気がします。

というわけで採血されてピロリ菌の検査もすることになりました。

その結果は後日出ることになっていますので、結果が出次第またご報告いたします。

ちょっと苦しかったけど、ブログネタとしていつまでも引っ張れてうれしいです

とにかく、生まれて初めての胃カメラは、

経鼻にしたから痛みも軽微ですんだというご報告でした。

Q.ずっと福島に残るのか?

2016-04-16 19:56:41 | 哲学・倫理学ファック
この手の質問は福島大学に赴任してきた当初、大学生たちからよくされました。

関東からやってきた人間は福島に来てもすぐに故郷に帰ってしまうと思われているんでしょうか?

そう言えば4年前に看護学校でもこんな質問をいただいたことがありました。

「Q.福島は好きですか?」

あれは震災・原発事故の翌年でしたし、そう聞きたくなったんでしょうね。

今回のご質問ですが、これもやはり震災・原発事故を承けての質問なんでしょうか?

「ずっと残るのか?」 という問い方はちょっと意味深ですよね。

ま、「福島は好きですか?」 という問いにも端的にお答えしましたので、

今回も端的にお答えしておきましょう。


A.私はずっと福島に残りますっっっ!


だってマンション買っちゃったんだもん。

いや別にマンションが惜しいとかいうわけではなく、

むしろ今なら福島のマンションは高く貸したり売ったりできるだろうけど、

福島が気に入って福島にずっといようと思ったからマンション買ったわけで、

その後に震災・原発事故が来ちゃったけど、

あれによってよけいに福島への愛着は強まってしまいましたね。

もちろんうちに小さい子どもがいたりしたらこんな風に考えられたかどうかわかりませんが、

幸い一人暮らしだったのでいろいろ悩まずにすみました。

安心してください、私はずっと福島に残ります。