まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

クララが立った (Part2)

2011-03-31 23:36:38 | お仕事のオキテ
以前にもこんなタイトルでブログを書いたような気がしますが…。
大学の研究室のパソコンが起ち上がってくれました



ほとんどあきらめていたんです
別に机から落っこったとかいうわけではなかったんですが、
長時間揺さぶられ続けましたから、揺さぶり症候群とかなにかで、
CPUがやられちゃったのかなとか思っていたんです。
まあ、パソコン自体はけっこうもう旧型で、
新年度には買い換えなきゃいけないかなとも思っていましたので、
機械自体には未練はなかったんですが (まだXPですし)、
あれやこれやのファイルが失われたらちょっと立ち直れそうもありません。
パソコンはもうダメとしても、なんとかファイルだけ救えないものかと、
それだけを心配する毎日でした。
(命の心配をしている皆さんにとってはアホみたいな問題に聞こえるでしょうが、
 研究者にとってはこれはこれで死活問題なのです。)
ただいくら心配でも、こんな状態↓でしたから、



パソコンのそばに近づくことすらできず、配線のチェックとかまったくできなかったのです。
というわけで、今日はこの右壁面のほうの整理に取りかかりました。
こちらも見るからにどうしようもない感じでしたが、
人間の努力というのはちゃんと成果をあげるものなのですね。
数時間の作業の後、こんなふうに↓パソコンや配線への道が開かれました。



で、配線等々をいろいろといじくってみたあげく、
ひょっとするとこれは?というある仮説に至り着きました。
すなわち、これはパソコンがいかれてしまったのではなく、
電気のコンセントがいかれてしまっただけではないのだろうか、と。
これまでパソコン等々、うちのブレインたちに電源を供給していたのは、
研究室の一番奥にある、右壁面の本棚のちょっと脇にあるコンセントでした。
ところがこの木製の本棚が、あの地震のため少しずつ動いてしまっていたのか、
元の位置よりもずれてしまっていて、そのコンセントや、
そこにささっているプラグを圧迫してしまっているのです。
そのコンセントからいろいろとタコ足配線をして、
いろいろな機器のための電気調達をしていたのですが、
どうも、それらすべての電気が通じていないような感じなのです。
で、ちゃんと生きている私の研究室の一番手前のコンセントから、
何本もの延長をコード使って電源を引いて、パソコンの安否確認を行ってみたのです。
そうしたら、ビンゴ
ちゃんとパソコンは起ち上がってくれるじゃありませんか

「クララが立った、クララが立った

今日からこのパソコンのことをクララと呼んであげることにしましょう。
最初はセットアップメニューなのか、ファイルチェックとか始めてしまい、
ちょっとビビりましたが、しばらくしたらちゃんといつもの画面が戻ってきてくれました。
まずはマイドキュメントを調べてみたら、
これまで作成してきたファイルはちゃんと生き残っています。
メールチェックもしてみたところ458通も未読メールがたまっていて、
まあ20日間もメール受信できなかったんですから当然といえば当然ですが、
(むしろ少ないくらい?)
いろいろな方々からのお見舞いや安否確認のメールが届いていました。
これからゆっくりと皆さんに返信していきたいと思います。

そして、今後はこまめにファイルのバックアップをし、
大学外からも大学のメールサーバーにアクセスできるように設定しておこうと思います。
万が一のときに備えておかなくてはいけないとわかってはいるのですが、
実際にこういう目に遭うまで人はなかなか動かないものですね。
この20日間で骨身にしみるほど思い知らされました。
東日本から遠く離れて今回被災せずにすんだ皆さんには、
特にこの教訓を役立てていただきたいと思います。

遠い道のり

2011-03-30 18:34:07 | お仕事のオキテ

半分落ちかかったこの表札にすべてが象徴されているように思えますが、

研究室の片づけにやっと取りかかり始めました。

なんせ、この状態↓のままほったらかしにしていたのですから、





どうやったら復旧できるのか、気が遠くなりそうです。

とりあえず、この散乱している本をいったん外に出す作業に取りかかりました。

スチール製の本棚は壁にしっかりと取り付けられていたために、

今回の震災で倒れてきたりせずにすんだのですが、

相当長時間揺さぶられたために、取り付け用の金具とかが壊れてしまったりしています。

したがって、落ちた本をすぐに本棚に戻すことはできず、

おそらく落ちなかった本も含めて、いったん全部外に出し、

業者さんに棚を取り付け直してもらう必要があるでしょう。

というわけで、まずは落ちているやつを廊下に出していきます。

始めた頃はまったく進展しないのではないかと心配していましたが、

コツコツとやっていたら、なんとかここまで↓進みました





久しぶりに床が見え、私のいつもの定位置であるデスクとチェアまでの道が確保されました。

これで電話が鳴ったら取りに行くことができます。

ちなみにまだ床にいろいろ残っていますが、これは震災前からこうでしたので、

地震による被害ではありません。

今日のところは、左壁面の本棚から落ちた本の撤去だけでしたが、

それだけで廊下はこんなこと↓になってしまいました。





左側の本棚に残ってる本もけっこうあるし、

右壁面の残骸↓なんてまったく手つかずだというのに、今後どうなってしまうんでしょうか?





そして、こんなこと↓になってしまっている書類キャビネットも先行き不安





まあ、始業時期も遅くなったことだし、ゆっくりのんびりやっていきましょう。

変わったこと、変わらなかったこと (その2) ・ うちの3姉妹

2011-03-27 20:13:04 | 幸せの倫理学
3月11日以降 (正確には停電が解消した3月12日以降)、
とにかくよくニュースを見るようになりました。
情報がないというのは本当におそろしいことで、
自分が中通りで見聞きしたこと以外、
今回の震災の全貌がどんなものだったのかというのはまったくわからなかったわけで、
東北全土で実際にはどんなことが起こっていたのか、
それはもうイヤというほどニュースを見まくりました。
それに当時も今も福島に関してはずーっと発災中なわけで (福島だけではすみませんね)、
福島原発がどうなっているのか、どうなっていくのか、
それはもう眼を皿のようにしてウォッチし続けていなくてはならないわけです。

それにしても今回の震災がもたらした、想像を超えた被害の足跡と、
一歩進んでは三歩くらい後退しつつ、どんどん悪化していく原発の様子を、
毎日のように追いかけていると、どんどん気が滅入っていき、
さすがのポジティブ・シンキングの私もどんよりした暗い気分に沈んでいってしまいます。
これはすこぶるマズイ状態で、なんとか気分を盛り上げなくてはなりません。
ブログの師匠のお友だちの言葉は、その意味でものすごーくよく理解できます。
「お願い、何か前向きになれるメールちょうだい」
師匠はこれに答えるようにその後たくさんの前向きな情報を発信してくださっていて、
それにはたいへん勇気づけられました。
この場を借りて御礼申し上げます。

そんななか、最近になって新たに私の習慣となったことがあります。
それがこれ ↓ ですっ!

変わったこと (その2) ・ うちの3姉妹

短歌の師匠のブログで紹介されていて初めて知り、
私もこのブログで一度取り上げたことがありますが、
松本ぷりっつという漫画家さんの子育てマンガブログ 「うちの3姉妹」 です。
何が習慣になったのかというと、これを片っ端から読むことにしたのです。

前はカテゴリーごとに攻めてあれやこれや読んでいましたが、
とにかく2005年から始まっているブログで蓄積が膨大で、
とてもじゃないけど全部見るのはムリだろうなあと思っていたのです。
しかし、今回こういう事態が起きて、とにかく笑いとポジティブな気持ちを求めていたときに、
たまたまここを見に行って、This Is It ! と思ったのです。
それ以来、カテゴリーごとに拾い読みしていくのではなく、
過去のアーカイブに行って、2005年10月の第1回めから全部読み始めたのです。
だいたい1日に1ヶ月分だけ見るようにしています。
ついつい後を引いてもっと見てしまうときもありますが、
1日のなかのどこかの時点で、これを見てげらげら笑うという時間を設けるようにしたのです。
これはけっこう自分的にはいい習慣だと思います。
そういう時間をむりやりにでも作っておかないと、
こんな状況下では精神が参ってしまうでしょう。
それに子どもの話というのはめちゃくちゃ癒やされます。
そして彼らの中にこそ、未来と希望と夢があるという気がしてきます。
最近、落ち込みがちだという皆さん、騙されたと思ってぜひご覧になってみてください。

変わったこと、変わらなかったこと (その1) ・ 毎日の朝シャン

2011-03-25 05:26:37 | 幸せの倫理学
今回の震災がもたらした壊滅的被害から比べると、
福島県中通りは比較的、被害が少なくてすんだと言えるのかもしれません。
本とともに暮らしている私は、大学でも自宅でも、
大量の本が部屋中にひっくり返るという被害に遭いましたが、
この大災害の中でそれくらいですんだことはむしろラッキーでした。

しかしながら、それくらいですんだ福島県中通りであるにもかかわらず、
ライフラインの復旧にはものすごく手間取り、
公共交通網にいたっては未だに復旧する目処が立っていないというところに、
今回の震災の爪痕の深さを感じることができます。
福島駅のそばの我が家は、翌日には停電から解放されましたが、
水道は1週間以上回復せず、ずっと断水したままでした。
電気 ・ ガス ・ 水道 (うちはオール電化なのでガスは関係ありませんが) という、
現代生活の根本を支えるライフラインのうち1つでも欠けるとどうなるのかということを、
今回の震災によって実体験として思い知らされることになってしまいました。
一度でもこういう経験をしてしまうと、
それまでのごく当たり前の日常生活のありようがガラッと変わってしまいます。
私個人に関しての話ですが、今回の経験を経て変わったことと、
変わらなかったことを順次記していきたいと思います。


変わったこと (その1) ・ 毎日の朝シャン

もともと私は寝ぐせがつきやすい体質 (髪質?) なので、
朝起きるとたいてい髪がしっちゃかめっちゃかになっています。
これを元通り修正して何事もなかったかのように出勤するためには、
一度完全に頭を濡らしてドライヤーをかけ直さなければなりません。
毎朝必ずそれをしなければならないわけですから、
夜お風呂に入ってシャンプーしドライヤーで乾かすのはムダ以外のなにものでもありません。
というわけで、私はだいぶ以前から朝シャン派でした。
お風呂にシャワーがついているのが当たり前になった頃から、
(昔は家庭のお風呂にシャワーなんてなかったんですよ)
夜の入浴はやめて、朝シャワーを浴びてシャンプー ・ セットをするという生活になりました。

ところが、今回の長期断水により、朝シャンどころか、
シャワーを浴びることもできなければ、
お風呂に入ることもできないという生活を強いられることになりました。
けっきょく丸々1週間、風呂もシャワーもなしで生きたことになります。
つらつらと思い返してみるに、これは私の長い人生の中でも完全に初めての経験です。
これはツラかったですねぇ。
食べるものや飲み水に困っている方々もおられることを考えれば、
これくらいどうということないじゃないかと理性的には理解できるのですが、
感覚的、肉体的にはやはりツライものはツライです。
これだけ長期化すると、髪の毛を中心として身体中から放たれる異臭には、
自分の鼻がそのうち慣れてきてしまいましたし、
(うしろから風に吹かれるとときどきツンと臭いますが)
こんなに頭を洗わずにいると、髪の毛がペッタリしてきて、
寝ぐせなんて問題にならなくなってくるのだなという発見もありましたが、
とにかく自分の身体がイヤでイヤでしょうがないという感覚に苛まれました。

1週間の耐乏生活ののち温泉に行って久しぶりに髪と身体を洗い、
湯船にゆっくりつかったときには、本当に心からの幸せを味わうことができました。
そして、ごく当たり前の日常生活行為だと思っていたものが、
なんと贅沢な営みだったんだろうと深く感謝せずにはいられませんでした。
「有り難い」 とはまさにこのことです。
いつもみんなに言っていることなのに、自分は心底それを理解してはいなかったのだなと、
若干反省モードに入ってしまいました。

さて、その後ですが、今回のこの経験を経て、毎朝シャワーを浴び、
シャンプーをしなければならないという思い込みからは解放されたように思います。
寝ぐせなんてどうでもいいじゃないか、
1日や2日くらい身体を洗わなくてもまだ全然臭くないじゃないかと、
鷹揚に構えていられるようになりました。
それと同時に、風呂やシャワーってどれくらい水を消費しているんだろうと、
恐ろしいと思ってしまう感覚も身についたのかもしれません。
ふと気づくと、あれ今日シャワー浴びなかったなとか、
いやそういえば昨日も髪洗ってないんじゃないかななんていう日が増えています。
おそらくこれはいい傾向なのでしょう。
しだいに生活が復旧して、なんでも好きなだけ使える日常に戻ってしまうのではなく、
日々の有り難みに感謝できる感覚を維持していきたいと思います。

お詫び

2011-03-23 15:39:36 | お仕事のオキテ
この間いくつかの記事をアップしてきましたが、
その中に、表現が適切でないと思われるものがありましたので、
それらの記事を削除させていただきました。
誤解のない表現に改訂できればまたアップすることもあるかもしれませんが、
当面のあいだそれらの記事を非公開とさせていただきます。
誤解を与えてしまった皆さまにはこの場を借りて陳謝させていただきます。
本当に申しわけありませんでした。

なお、それらの記事に対してコメントをくださった学生の皆さん。
どの意見も真摯に受けとめ、ずっと悩み続けております。
いただいたコメントをなかったことにしてしまいたくはないので、
あれらの記事を完全削除してしまうのではなく、
なんらかの形で再アップできるようにしたいと考えておりますが、
(あるいは他の方法もあるのかもしれません)
とりあえずコメントとともに記事を非公開にすることをお許しください。

ファミタク

2011-03-20 23:20:03 | お仕事のオキテ
東京の町を歩いていたら、こんな店というか看板を見つけました。



24時間オープンの卓球ホールだそうですが、名づけて 「ファミタク」 です。
ただ通りから見るかぎりコンビニエンスストア 「ファミリーマート」 しか見当たりません。
(節電のためわかりにくいかもしれませんが)
特に買いたいものがあったわけでもないですが、とりあえず入店してみました。
一見したところ普通のコンビニなんですが、奥のほうに仕切られた一角があります。



東京でも物資不足でがら空きの商品棚向こうに、
ガラスで区切られたスペースがあります。
よくよく覗き込んでみると、その向こうでみんなが卓球をしているではないですか。



もう夜の9時を過ぎているというのに、6台ある卓球台のうちの5台が埋まっていて、
本格的な衣装の人もいれば、普段着でやっている人もいますが、
とにかくみんな卓球に興じています。
気になってしょうがなかったので、店の人にうかがってみました。

「なんでこんなところに卓球場があるんですか?」

それに対してファミマの店員さんは丁寧に答えてくださいました。

「もともとここのテナントは以前ファミリーレストランだったんですが、そこが撤退して、
 で、うちのファミリーマートがここに移転してくることになったんです。
 でも元ファミレスですからコンビニをやるには広すぎて、
 なのにここはワンフロア全部での契約にしなくてはいけなくて、
 余ったスペースをどうしようか考えたところ、
 ちょうどオーナーの息子さんが卓球の選手だったので、
 それじゃあ卓球場にしちゃおうかという話になったんです。
 奥の卓球場は資本的にはファミリーマートとは関係ないんですが、
 いちおうファミリーマートにお墨付きをいただいて、
 『ファミタク』 という名称を使わせてもらえることになりました。」

ここまで全部ぶっちゃけて教えてもらえるとは思っていませんでしたが、
丁寧に全部説明くださりありがとうございました。
というわけで、ファミリーマートの奥に24時間卓球場 「ファミタク」 がある光景でした。
『ナニコレ珍百景』 に投稿しちゃおうかな。
(ひょっとするとすでに取り上げられているのかもしれませんが…)

危機管理に関する専門家の意見 (修正版)

2011-03-19 17:08:08 | お仕事のオキテ
この間、さまざまな専門の方々に危機管理に関する意見を聞いております。
それをいくつかご紹介します。

1.災害の進行に伴う3段階

災害には3段階があるのだそうです。
「発災期」、「復旧期」、「復興期」 の3段階です。
今回の震災では、大地震と大津波という災害が広範囲にわたって襲いました。
その傷跡はあまりにも激しく、復旧にはまだまだ手間取りそうです。
電気、通信すらまだ通っていないところがあり、ガスや水道もまだまだです。
そしてなんといっても交通、輸送の復旧が信じられないほど遅れています。
それによって物資の流れも極端に悪くなっています。
東北から関東の多くの地域は今、そういう長くツライ 「復旧期」 を過ごしているわけです。
復興の時期を迎えるのはまだ先のことでしょう。

しかし、例外があります。
復旧どころか、まだ発災中のところがあるのです。
そうです、福島第一原発の問題です。
ここでは11日からトラブルが発生し始めて、
その後時間の経過とともにさらなるトラブルが続発し、
被害がじわりじわりと広がりつつあります。
あの大津波が町を呑み込んだスピードとは正反対に、
目に見えない形で本当に少しずつゆっくりと周辺に広がっていっているのです。
最初は3キロ、次に10キロ、そして20キロ、30キロと波が押し寄せています。
今のところ30キロのところで止まっているかのように思えますが、
それはこの災害が目に見えないからであって、
国際社会の評価では、30キロなんかを軽く超えて、
さらに災害範囲は広がっているという見方が主流のようです。
日本政府のトップや当事者である福島県がそうは判断していないというだけのことであって、
実際のところ放射線被害の波がどこまで押し寄せているのかは計りしれません
しかしいずれにせよ、福島県において災害が現在進行中であることはまちがいありません。
福島県はまだ復旧でも、復興でもなく、発災の最中なのです。

2.予防原則

復興支援のエキスパートの方によると、復興支援は復興期にするべきことなので、
発災中である現在はきちんと身を守ることのほうが大事なのだそうです。
けっして私の行動を正当化しようと思ってこの話を紹介しているわけではありません。
専門家の判断として、今はそうすべき時期だということです。
そして、その方の話によると、この時期に大切なのは 「予防原則」 だそうです。
津波が本当に来てから、津波を自分の目で見てから逃げるのではなく、
津波注意報が出されたら、たとえ来ないかもしれなくとも高台に逃げなければいけないのです。
もしも来なかったら、来なくてよかったねと笑って戻ればいいのです。
それを怠ってしまうと、本当に来てしまったときに逃げ遅れてしまうのです。
その方によると、「予防原則の立場に立つのであれば、
どうしてもそこにいなくてはならない理由、そこでなくてはならない理由がないのであれば、
そこを去るという判断をするのが賢明だろう」 とのことでした。

また、原子力の専門家の方にもお聞きしたのですが、
では今回の原発の問題で 「予防原則」 に立つとするとどの程度の人が避難するべきか。
これは、専門家でも難しい判断だそうなのですが、
現在の20キロ圏内避難、30キロ圏内屋内退避というのは明らかに不十分で、
全体に風は海上に向かって吹いているはずなのに、北西に位置する福島市でも、
10マイクロシーベルトパーアワーを超える放射線が観測されているので、
やはり少なくとも米軍が出した、
80キロ圏内避難命令というぐらいが適切ではないか、とのことでした。
ちなみに、内田樹氏は 「疎開のすすめ」 という一文を書き、
東日本一円の人に西日本への疎開を勧めていました。
これはちょっと煽りすぎかもしれませんが、
予防原則に立つならばそれくらいでもいいのかもしれません。
「その備えが結果的に無駄だったとしても、それは非とされるべきではない。
 むしろ喜ぶべきことである。」

3.避難距離よりも避難回数

同じ原子力の専門家の方によると、
現在は、最低限の想定範囲の人に避難を指示し、
その人たちは避難圏から外れたすぐ近くのところに避難しているわけですが、
これはチェルノブイリのときとまったく同じ構図なんだそうです。
あのときの悲劇からまったく何も学んでいないと怒っていらっしゃいました。
最初の避難民は、やっとの思いで避難したのに、
次々と、避難先を遠方へ遠方へと移動させられたのだそうです。
それに対して原発について知識のある人や原発関係者たちは、被害の拡大の可能性を意識して、
最初から、用品準備をして、思い切って遠方に移動していたのだそうです。
最初から、大きく事故エリアから離してあげることが、
被災者のたび重なる移動をせずにすみ、結果として、楽になるのだそうです。
また、避難先を近くにしてしまうと、避難指示エリアが拡大された場合、
避難してきた人と、拡大された避難指示エリア内の人が、
二重になって新たな避難所に駆け込むという、難しい状況が生じるとのことでした。
避難距離よりも、避難回数の方が、被災者にとって大きな負担になるので、
最初から、思い切って遠隔地に避難させてあげたほうがいいのだそうです。

福島市では、今、福島大学をはじめとして各学校で被災者の受け入れを行っています。
その対応に当たっている方々の御苦労や善意は本当に素晴らしいと思いますが、
上述したように、まだ現に発災中であるときに、
しかも他の地域に比べて放射線値の高い福島市に受け入れてしまうことは、
結果的に被災者の方々にご負担をかけてしまうことになるのではないかと心配です。
トップの方々の冷静でかつ大局的な判断を望みたいところです。

救われる何気ない一言

2011-03-18 10:48:23 | 幸せの倫理学
ブログの師匠がお友だちから 「お願い、何か前向きになれるメールちょうだい」 と頼まれ、

河北新報に載ったニュースを紹介されていました。

ブログの弟子のぢゅんちゃんが我が家のパソコンを使って、

「爆心地への励ましを!」 というメッセージを書いていました。

はたしてこういう非常時にも通用するかどうかわかりませんが、

日常のなかで他人の何気ない一言に助けられた話を披露しあうトピックがありましたので、

とりあえずご紹介しておきます。

本当はこういう時じゃないときに紹介したかったし、

ヤフーニュースでも取り上げられたからすでにご存知の方も多いとは思いますが、

まあいいでしょう。


「他人の何気ない一言に助けられた」


「他人の何気ない一言に助けられた <2>」


たぶん今もこんな何気ない一言が、被災地の各所で交わされているのだろうと思います。

私たちはお互いに助け合い支え合い、必ずやこの危機を乗り越えてみせますっ!

I am in Tokyo.

2011-03-17 21:18:15 | グローバル・エシックス
いろいろなことがあって、いろいろ考え、相当悩みましたが、

今、私は東京に来ています。

福島に残ってがんばっている人たちのことを思うと、

胸が張り裂けそうな気持ちになりますが、

とにかく私は今は東京にいます。

これ以上は何も言葉にすることができません。

Anyway, I Shall Be Back To Fukushima Soon!

脳死と原子炉圧力容器

2011-03-15 00:10:48 | 生老病死の倫理学
こういうときにどうでもいい話ですが、
福島原発のニュース報道を見ていて、あるアナロジー (類比) を思いつきました。
福島第一原発の1号機、2号機、3号機ではいずれも同じ事象が生じていて、
原子炉圧力容器内の圧力が高まっており、
燃料棒を冷却するための水位が下がっているそうです。
そこで、ここに海水を注入しようとしているのですが、
それがなかなかうまくいっていないようです。

私は原子力発電所の専門家でもなんでもないのでテキトーなことを言いますが、
これって脳死が起きるときの頭の中の状況と同じような気がするのです。
むろん私は脳死に関する専門家でもありませんので、
そちらの知識もテキトーですが、私の理解するところによると、
脳死の発生する機序というのはこうです。
(いちおう立花隆氏の書物で学びましたが、間違っていた場合は私のせいです)
脳の一部が病変や損傷を受けることによってブワーッと腫れ上がっていきます。
脳が腫れ上がっていくと、頭蓋骨の容積は一定ですので、
脳内圧力がどんどん高まってしまいます。
そうするといくら心臓が動き続けて血液を送り出していても、
脳の圧力のほうが高いため、脳に血液が届かなくなってしまうのです。
血液が来ないと脳細胞が生存できなくなってしまい、
脳が細胞レベルで死んでいってしまう。
つまり、心臓は動いているのに脳が死んでしまうという脳死状態が発生するのです。

原発のニュースを聞いていて、
この脳死が発生するメカニズムのことを思い出してしまいました。
みんな (特にマスコミの方々は) 圧力容器に海水をどんどん入れて冷やせばいいじゃん、
と思っているようですが、たとえ液体であっても、
圧力が高まっているところにじゃんじゃん入れるのは困難だろうと思うのです。
したがって、まずは圧力容器内の圧力を下げる必要があるだろうと思うのです。
つまり、発生した気体を抜いてあげる必要があるわけです。
しかし、その気体は放射性物質を含んでいるはずですから、
その気体を抜くということは、放射性物質を原発の外へ排出するということになります。
そうすると今度はマスコミは、それは安全なのか、
なんでそんなものを外に排出するんだと騒ぎ出します。
それを聞いていると、うーんそこはツッコミどころじゃないんじゃないかなあ、
と思ってしまうわけです。

今回の場合、まずは何が何でも核燃料を冷却し落ち着かせる必要があります。
それに成功するか失敗するかを世界中が固唾を呑んで見つめているわけです。
失敗すれば最悪の場合、大核爆発が起こりチェルノブィリ級の大惨事にもなりかねません。
万一成功すれば、日本は末永くその偉業を褒め称えられることになるでしょう。
3号機の建屋が爆発したときに、作業員の安全にちゃんと配慮していたのか、
なんていう質問をしていたマスコミがいましたが、
はっきり言って今そんな事態ではないという程度の認識はマスコミだけでなく、
日本国民全員がもつべきだろうと思います。

ちょっと話が大げさになってしまいましたが、
脳死が起こるメカニズムと原子炉圧力容器の話はなんとなく似ているなあ、
というどうでもいいお話でした。

原発クライシス

2011-03-14 21:08:42 | 生老病死の倫理学
テレビを見ていて、関東の計画停電の問題がトップニュースだったりすると、
はぁ?という気分になります。
福島に住んでいる者にとっては、福島第1原発の問題が喫緊の国家的危機だと思うのですが、
関東の皆さんの不自由はそれにまさる大問題なのでしょうか?
いや、もちろんそれはそれで大問題であることは当然ですし、
日本が初めて経験するクライシスであることもわかるのですが、
福島原発は下手するとチェルノブィリ以来の大惨事となりかねない状況です。
もしもそんなことになったら、
関東だって停電や電車のストップどころの話ではすまなくなるでしょう。
しかも、その原発が福島にあるというのは、
東北の人間には何の関係もない話なのです。
あれは東北電力ではなく、東京電力の発電所なのです。
それがあんな状態になったのだから、関東で電力が足りなくなるのは当然でしょう。
何が頭に来るってマスコミの論調です。
こんな非常事態であるにもかかわらず、政府であれ東電であれ現地レポーターであれ、
とにかく隙あらば誰かを批判しようという態度が許せません。
今は人のあら探しをすることではなく、
日本がなんとか立ち直っていく方途をみんなで摸索してほしいと思います。

日本激震!

2011-03-12 22:52:48 | 生老病死の倫理学
皆さん、いろいろとご心配いただきありがとうございました。
昨日は、地震発生直後にケータイから写メつきでブログ投稿しましたが、
あの時点ではこんなに大事 (おおごと) と思っていなくて、
「ぼくは無事です」 という一言を書くのを忘れておりました。
まあ、私のことをよくわかっている方は、
あの文面から私の無事を察してくださったようですが、
(のんびり研究棟の7階で写メを撮ってるという時点でわかるんでしょうね)
いらぬ心配をおかけしてしまったことをお詫び申し上げます。

あのブログ投稿直後から、ケータイはメールも電話もつながらなくなってしまい、
続報をお伝えすることができませんでした。
余震も続いていましたから、研究室の修復もあきらめ、
家に帰ることにしましたが、電車も止まっていますし、帰る手段がありません。
クルマもすぐに4号バイパスが大渋滞になり、
タクシーを呼んでも全然来ないという状態になってしまっていました。
雪が降っていたので躊躇していましたが、
しばらくしたら雪が止んで晴れ間が見えてきましたので、
思い切って歩いて帰ることに決めました。
途中、あちこちの被災状況を確かめたり、
ちょっとした人助けをしたりなど道草を食いながらの旅でしたが、
およそ2時間、1万4千歩ほどの行程でした。
大学から家まで歩いてたった1万4千歩にしかならないということに愕然としました。

今はまたケータイからメール送信できなくなっているので、
途中で見た被災状況のご報告は別の機会にしようと思っていますが、
大学から福島市街地に近づくほど被害の状況がひどくなっているのが感じられました。
とはいえ、マスコミ等で伝えられている惨状に較べたら、
中通りは比較的軽傷ですんだといえるのではないでしょうか。
特に津波に襲われた浜通りをはじめとする太平洋沿岸地域の人々に較べたら、
あの大地震でこれくらいですんでよかったと言えるくらいだと思います。
私もまだ宮城県で連絡のつかない人たちが大勢います。
皆さんの御無事を心よりお祈り申し上げます。
そして、あの原発がこれ以上の惨事をもたらさないことを強く強く願っています。

飲み会シーズン突入!

2011-03-10 12:29:25 | がんばらないダイエット
3月といえば送別会です。

いよいよ飲み会連チャン・ウィークに突入です

今日から、木金、日月と続きます。

初日の今日なんて、送別会のダブルヘッダーです。

まずは17時から Glow Lamp の初年度打ち上げ飲み。

その後、19時から若手の先生たちによる転出される先生の送別会。

いくら、石原式朝だけ断食が、夜はいくらでも飲食してもいいと言ってるとはいえ、

飲み会を2つもかけ持ちするヤツがいるなんて、

さすがの石原先生も想定していなかったでしょう。

しかも、2つめの飲み会が終わってもまだ21時。

先生方の送別会のほうにはあの悪名高きT&Aコンビがいるのですから、

その後がないわけがありません。

今日の総摂取カロリーがどれくらいになるか想像もつきません。

昨年、最大体重を記録してしまったときもたしかこんな感じだったんだよな。

Glow Lamp のほうではできるだけ抑えながら飲むようにしたいと思います。

(まあ、そんなことができればの話ですが…)。

とにかく体重増は避けられないでしょうが、

それよりも心配なのは飲み過ぎて明日を失ってしまうことです。

ふなちょにクギを刺されている3月末締切の大事な仕事もあるし、

夜は飲み会続きとはいえ、昼間は健気に働きたいと思います。

今日は夕方になったら例の 「ウコンの力 (顆粒)」 を呑んでおくことにしよっと。

「てつがくカフェ@ふくしま」 参加者の皆さまへ

2011-03-09 19:25:00 | 哲学・倫理学ファック
なんかまだずっと先のことと思っていましたが、

「てつがくカフェ@ふくしま」 の開幕が近づいてきていますね。

3月26日 (土) の15:00から第1回が開催されること、

「てつがくカフェ@ふくしま」 のブログができたことはすでにお伝えしたところです。

そのブログには現在、「てつがくカフェ@ふくしま」 の設立趣意書や、

てつがくカフェの進め方に関する説明書き (草稿) などがアップされています。

第1回に参加されるおつもりの方はすでにお読みいただいたことと思いますが、

参加しようかどうしようか悩んでおられる方もぜひ一度見ていただけると、

「てつがくカフェ@ふくしま」 がどんなことをしようとしているのか、

ちょっとイメージできるかもしれません。

ぜひ御一読をお願い申し上げます。