昨日 『万能鑑定士Qの事件簿Ⅴ』 の話をしましたが、
それを読んでて一番ビックリしたのはフランスの日の長さの話ではなくて、
小説のなかにピーター・シンガーが出てきたことでした。
ピーター・シンガーと言えば、倫理学研究者なら誰でも知っていのですが、
現代の生命倫理の分野でひじょうに過激な思想を唱えて賛否両論を巻き起こした、
オーストラリア出身の倫理学者です。
功利主義の立場を徹底させて、快苦を感じる能力の有無が人格か否かの境界線であるとし、
動物でも快苦を感じる能力があるならば人格としてみなすべきであると主張する一方、
人間でも快苦を感じる能力を喪失していれば人格とは認められないと主張しました。
後半の議論がナチスを彷彿とさせるということでものすごいバッシングを食らいましたが、
前半の議論を推し進めた 『動物の解放』 という著書は、
動物の権利や動物の解放を唱える人々のバイブルとも呼ぶべき著作となりました。
それが小説のなかの会話でフツーに出てきてしまうんです。
しかも、けっこう専門的な話をしています。
こんな感じです。
「読書家のあなたなら、ピーター・シンガーの 『動物の解放』 は読んだでしょ?
動物は人と同じく、苦痛を感じる。
だから人と同じ配慮を受けねばならないのよ。
種が異なることを盾にして差別を容認するのは、種差別以外のなにものでもないわ」
「ピーター・シンガーの著書とアニマル・ライツの思想には開きがある。
あなたも気づいているでしょう。
彼は人と動物に同等の配慮が必要だといってるだけ。
動物に権利を持たせろとはいってない」
知ってる人にはわかるけれど知らない人にはこのビミョーな違いはなかなかわからないでしょう。
まさか小説のなかにピーター・シンガーが出てきて、
犯人も主人公もこんなに彼の思想を深く理解しているなんていう展開になるとは思いませんでした。
一般読者の方々はこの会話にどこまで付いていってたのでしょうか?
ピーター・シンガーもこんな娯楽小説のなかに登場させてもらってきっと本望でしょう。
この小説を読んで 『動物の解放』 も読んでみようと思う人がどれだけいるかわかりませんが、
彼の思想がここまで広がりをもったということで十分ではないでしょうか。
なかなか現代の思想家でこれほどの影響力をもつということはありませんね。
私もこれくらいラディカルな尖った思想を提唱してみたいものだと思います。
という、ちょっとビックリしたというご報告でした。
それを読んでて一番ビックリしたのはフランスの日の長さの話ではなくて、
小説のなかにピーター・シンガーが出てきたことでした。
ピーター・シンガーと言えば、倫理学研究者なら誰でも知っていのですが、
現代の生命倫理の分野でひじょうに過激な思想を唱えて賛否両論を巻き起こした、
オーストラリア出身の倫理学者です。
功利主義の立場を徹底させて、快苦を感じる能力の有無が人格か否かの境界線であるとし、
動物でも快苦を感じる能力があるならば人格としてみなすべきであると主張する一方、
人間でも快苦を感じる能力を喪失していれば人格とは認められないと主張しました。
後半の議論がナチスを彷彿とさせるということでものすごいバッシングを食らいましたが、
前半の議論を推し進めた 『動物の解放』 という著書は、
動物の権利や動物の解放を唱える人々のバイブルとも呼ぶべき著作となりました。
それが小説のなかの会話でフツーに出てきてしまうんです。
しかも、けっこう専門的な話をしています。
こんな感じです。
「読書家のあなたなら、ピーター・シンガーの 『動物の解放』 は読んだでしょ?
動物は人と同じく、苦痛を感じる。
だから人と同じ配慮を受けねばならないのよ。
種が異なることを盾にして差別を容認するのは、種差別以外のなにものでもないわ」
「ピーター・シンガーの著書とアニマル・ライツの思想には開きがある。
あなたも気づいているでしょう。
彼は人と動物に同等の配慮が必要だといってるだけ。
動物に権利を持たせろとはいってない」
知ってる人にはわかるけれど知らない人にはこのビミョーな違いはなかなかわからないでしょう。
まさか小説のなかにピーター・シンガーが出てきて、
犯人も主人公もこんなに彼の思想を深く理解しているなんていう展開になるとは思いませんでした。
一般読者の方々はこの会話にどこまで付いていってたのでしょうか?
ピーター・シンガーもこんな娯楽小説のなかに登場させてもらってきっと本望でしょう。
この小説を読んで 『動物の解放』 も読んでみようと思う人がどれだけいるかわかりませんが、
彼の思想がここまで広がりをもったということで十分ではないでしょうか。
なかなか現代の思想家でこれほどの影響力をもつということはありませんね。
私もこれくらいラディカルな尖った思想を提唱してみたいものだと思います。
という、ちょっとビックリしたというご報告でした。