今回は、第六章・司法に関連する裁判員制度について書きます。
前回、書き忘れたのですが、憲法で『国民は、公開裁判を受ける権利』が保障されています。私は、この権利は非常に重要だと思います。北朝鮮では殆ど裁判無しで、政治犯だと言って処刑している様です。中国では、国家反逆罪は非公開裁判ですから、共産党に都合が悪い人間を抹消する事が出来ます。中国ではスパイ罪=国家反逆罪と言われています。旅行に来た外国人を、スパイとして逮捕すると(非公開裁判ですから、)外交の取引材料に使えるのです。
【はじめに】
2004年、小泉内閣の時に『裁判員の参加する刑事裁判に関する法律(裁判員法)』が制定されました。そして、2009年に最初の裁判員裁判が行われました。
裁判員法は、衆議院がインターネットに公開しています。そんなに長文の法律では有りません。一応、私はこのブログを書く前に読んで見ました。憲法よりは長文で、私の様な素人には読破するのに時間が掛かりました。解説記事もインターネットで読む事が出来ます。
【国民が参加する裁判の意義】
権力者が、一応裁判を開いても、自分に都合の良い判決を出すのは困ります。ヨーロッパ諸国では、市民の力が強くなって、権力者に勝手な裁判をさせない為に、裁判に市民が参加する様になったのでは?と思います。民主主義国家にとって、市民が裁判に参加する事は昔は重要だったのです。
明治維新の10年程前(1859年)に、時の権力者・井伊直弼が、吉田松陰、橋本左内などの有能な人材を死刑(斬罪、切腹、獄門)にしました。(安政の大獄です。) 明治政府を立ち上げた人達の先達が、権力者に粛清された記憶は生生しかったと推察しますが、(明治維新は権力の奪還でしたから)再発防止対策は取らなかったのです。 明治政府は、欧米諸国が採用していた市民参加の裁判制度は導入しませんでした。(明治政府は、それなりに法治国家を目指した改革は進めたと私は思いますが。)
戦後、GHQは日本に民主化を迫り、民主的な憲法草案を作成して半ば強制的に現在の憲法を制定させました。然し、何故か陪審制度は押し付け無かったのです。貴方は、何故だと思われますか?
憲法草案を作成したアメリカ人達は、『ヒットラーの様な独裁者が誕生出来ないほど、アメリカの民主主義は発展し、国民が参加する裁判の意義が薄れ、寧ろ、参加者に重りを背負わす事になるデメリットの方が大きい』と考えたのではないかと、私は思います。
裁判員制度によって冤罪が無くなる訳では有りません。一方、日本には死刑があります。裁判員裁判で死刑判決が出て、執行された後に冤罪だった事が判明したら!参加者達は、心穏やかには過ごせません。
【裁判員制度の目的】
裁判員制度の目的については、裁判員法の第1条に『・・・司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資すること・・・』と有ります。
上記の目的は、苦し紛れに考え出したものだと思います。言葉尻を捕らえる様で恐縮ですが、①市民が参加したら、どうして『信頼が向上』するのでしょうか? 現在の司法は、信頼を向上しなければならない状態なのでしょうか?
②市民を参加させたら、司法の理解が進むとは思えません。裁判員は、裁判の内容について一切口外してはならないのです!裁判員と補充裁判員以外の人は、密室で行われる審議の内容を知る事は出来ません。従って、『司法に対する国民の理解の増進』にはならないと考えます。
(私の提案) 裁判を国民が身近なものと感じ、理解を深める事が目的なら、傍聴者を大幅に増やす工夫をした方が効果的だと考えます。最も効果的なのは、中学校や高校の授業に裁判の傍聴を取り入れる事です。
① 各地の地裁を建て直すか、リホームして傍聴席を増やし、もっと沢山の人が入れる様にして、更に快適な空間にすべきです。
② 傍聴席の前を厚いガラス板で仕切って、傍聴席の音が判事側には漏れない様にする。子供達が傍聴した時、多少騒がしくなっても支障なく裁判が続けられます。お茶やコーヒーくらいは許容しましょう!勿論、裁判の音声は、スピーカーで傍聴席に流します。
③ 各地裁に傍聴者に裁判について解説する係員を配置し、説明資料を展示/配布する専用の部屋を設けましょう。
④ 混乱を避けるために、裁判所の表出入り口は傍聴人や記者が使用し、裏出入り口は判事、弁護士、検事など専用にする。
(余談) 日本の裁判所は韓国の様に世論を慮った(忖度した)判決は出していないとみています。正常で信頼されています。世論を慮るべきは国会議員です。時代に合う様な法律を制定したり、改正するのは国会の仕事です。裁判は、該当する法律の良し悪しを云々するのでは無く、その法律に従って白黒を付けるのです。ソクラテスの『悪法もまた法なり!』です。
【国民が参加する裁判の種類】
欧米諸国では、市民が裁判に参加する制度が採用されています。次の②と③の制度です。国によって、制度の細部は異なっています。
① 裁判員制 :日本独自の制度だと言って”裁判員制”と言う造語を作りましたが、一種の”参審制”です。日本では民間人は1件毎に選任されますが、参審制では、一般的に任期期間があり、その期間中に複数の裁判に関わるのです。ヨーロッパでは民事訴訟も扱う国が有るようですが、日本では重い量刑が課せられる可能性がある刑事事件に限定しています。
② 陪審制 :刑事事件では民間人だけで議論して、有罪/無罪を決めて、判事が刑の重さ(量刑)を決めます。民事訴訟では民間人が「どちらの主張が正しいのか?損害賠償金額』を決めます。 アメリカ、イギリスなどで採用されており、日本でも昭和の初期に15年間ほど採用されました。
アメリカでは、一部の州を除いて、陪審員の評決は全員一致が要求され、一人でも反対者がいたら、新たな陪審員達が選ばれて最初から裁判をやり直す様です。
アメリカの民事訴訟では、被告側が故意に証拠を隠蔽した場合は、被告が痛手を受けると思われる懲罰金を課します。例えば、放置しておくと死亡事故が発生する可能性が有る事を承知していたのに、金が掛かるので対策せずに販売し、A氏が亡くなったとします。損害賠償金の他に懲罰金の支払いが命じられるのです。懲罰金とは加害者を制裁し、痛手を被らせる金です。従って、同様の事件でも、被告が年間売り上げが10億円の企業と1兆円の企業では、懲罰金の額は1,000倍程違っても不思議では無いのです。
③ 参審制 :民間人と判事が、事実認定~量刑まで判断する制度です。ドイツ、フランスなどヨーロッパ諸国で採用されています。国によって”まちまち”の様ですが、民間人は1件毎に選任されるのでは無く、任期期間務めるのが一般的です。ドイツの任期は5年、フランスは1件毎です。中国も、一応は参審制で、任期は5年です。
【裁判員裁判の判決の見直し問題】
裁判員裁判の後に上告して、高裁が(過去のよく似た事件の刑の重さ(量刑)と比較して)「刑が重すぎる」と言う判断をするケースが有ります。
① 第1案 :過去の判例を重視するので有れば、裁判員裁判では有罪/無罪のみ決めて、(アメリカの様に)量刑は判事が決める様に法律を改正すべきです。市民は、残酷な事件や強欲で起こした事件については「重い罰を与えたい」と考えると推察されます。判例が正しいのか?市民の感覚が正しいのか?今後も裁判員制を続けるので有れば、市民感覚の方を重視すべきです。
② 第2案 :裁判員裁判では2回判決を出す案を提案します。先ず、有罪/無罪の判決を出します。その結論に被告/検察が不服なら裁判員裁判は結審とします。後は高裁で争うのです。被告側が有罪判決に異議が無ければ、弁護士と検事は、それぞれ自分に都合の良い判例を提示して量刑についてのみ弁ずる事にします。この案で有れば、”量刑の平等”はある程度キープが出来ます。
第2案では、被告が無罪を主張する事件は実質的に、高裁から始まる事になります。従って、前回提案しました、高裁の数を8か所(+支部6か所)→50か所に増やす必要が有ります。裁判員裁判は被告が有罪を認めている事案のみを取り扱う事になりますから、公判を何回も。何回も行う事が無くなります。何よりも良い事は、裁判員が冤罪事件と無縁になる点です。(誰かを庇うために被告が有罪を主張するケースが考えられますが、万一、有罪の判決を出しても裁判員が精神的負担を感じる事は無いでしょう。)
【附則の第2条 :施行前の措置等】
第2条 :政府及び最高裁判所は、・・・裁判に参加することの意義、・・・を具体的に分かりやすく説明するなど、・・・国民の理解と関心を深めるとともに、・・・主体的な刑事裁判への参加が行われるようにするための措置を講じなければならない。
本文の第1条:趣旨には、裁判員制が『司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上』とあります。附則の第2条では、『裁判に参加することの意義』と有ります。
本当の目的を、具体的に述べるべきだったのです。目的が明確になっていたら、裁判員裁判に参加する関係者全員(裁判員、判事、検事、弁護士)が、裁判員裁判を効率的に、より公正に運用する工夫が出来たと思います。今からでも遅くないですから、『○○と△△の為に裁判員制を採用する』と裁判員法に明記して欲しい!
【附則の第3条 :環境整備】
第3条 :国は、裁判員の参加する刑事裁判の制度を円滑に運用するためには、国民がより容易に裁判員として裁判に参加することができるようにすることが不可欠であることにかんがみ、そのために必要な環境の整備に努めなければならない。
裁判員法は2004年(小泉内閣で)に制定され、5年間もの準備期間を置いて2009年に施行されました。『環境整備が必要』だと、他の法律には殆ど例の無い記載が有るにも関わらず、何もしませんでした。近年の日本の政治家には”志”が無いのです!準備期間中に何も手を打たなかった内閣を整理しておきます。
小泉内閣(2001年4月~2006年9月)→安倍内閣(~2007年9月)→福田内閣(~ 2008年9月)→麻生内閣(~ 2009年9月)→鳩山内閣・・・
どんな環境整備が必要と思いますか? サラリーマンの場合は特別休暇制を企業に義務付ける。自営業や農民、漁民などには、代わりの人を雇える体制や補助金を検討する。・・・裁判員と補充裁判員の日当は現在1万円が上限だそうです!少な過ぎますよ!
【附則の第8条 :検討】
第8条 :政府は、この法律の施行後三年を経過した場合において、この法律の施行の状況について検討を加え、必要があると認めるときは、その結果に基づいて、裁判員の参加する刑事裁判の制度が我が国の司法制度の基盤としての役割を十全に果たすことができるよう、所要の措置を講ずるものとする。
裁判員法が施行されたのは2009年です。附則の第8条の規定に従って2013年に法制審議会で検討して、一部改正され2014年に施行しました。
問題点①: 公判が長引きそうな事案は、裁判員裁判には掛けないと改正しましたが、2018年の姫路地裁の裁判員裁判は207日間(公判70回)にもなりました。長すぎると思いませんか?曖昧な表現の改正をした為です。『原則として○○日を超えると予想される事案は裁判員裁判には掛けない』と改正すべきだったのです。(私は研究・開発に長年携わったので、曖昧な発言や表記が大嫌いです。)
問題点②: 「何年後に検討して見直せ」と明記した法律を、裁判員法以外に見た事がありません。画期的だと感心しました。2014年の改正時に次回の検討時期を明確に打ち出しているのでしょうか?
(余談) 会社の経営状態が悪化して、不祥事も続き社内改革が必要になった時に、ある重役が"社内会議の改革”を唱えられました。社外からアドバイザーを招き、議長になる年代の社員を集めて勉強会を開いてくれました。ポイントの一つは、会議出席者全員に発言させることでした。大学卒でも、自分の意見を殆ど持っていない社員が結構いて、全員に発言させるのは工夫が必要でした。裁判員裁判でだれが審議の進行役をするのか知りませんが、日本人には優柔不断の人が多いので、悪い人間が進行役になると『自分の考え方に皆を誘導する事』はそんなに難しく有りません。この点からも、日本には市民参加の裁判員制度は馴染まないと考えます。
(余談) 各国の国民性を実に見事に表したブラックジョークが、インターネットで読む事が出来ます。勤勉で従順と言う国民性は、先人や上司の指示には従うが、指示の無い事は『しない/出来ない』と言う事です。
前回、書き忘れたのですが、憲法で『国民は、公開裁判を受ける権利』が保障されています。私は、この権利は非常に重要だと思います。北朝鮮では殆ど裁判無しで、政治犯だと言って処刑している様です。中国では、国家反逆罪は非公開裁判ですから、共産党に都合が悪い人間を抹消する事が出来ます。中国ではスパイ罪=国家反逆罪と言われています。旅行に来た外国人を、スパイとして逮捕すると(非公開裁判ですから、)外交の取引材料に使えるのです。
【はじめに】
2004年、小泉内閣の時に『裁判員の参加する刑事裁判に関する法律(裁判員法)』が制定されました。そして、2009年に最初の裁判員裁判が行われました。
裁判員法は、衆議院がインターネットに公開しています。そんなに長文の法律では有りません。一応、私はこのブログを書く前に読んで見ました。憲法よりは長文で、私の様な素人には読破するのに時間が掛かりました。解説記事もインターネットで読む事が出来ます。
【国民が参加する裁判の意義】
権力者が、一応裁判を開いても、自分に都合の良い判決を出すのは困ります。ヨーロッパ諸国では、市民の力が強くなって、権力者に勝手な裁判をさせない為に、裁判に市民が参加する様になったのでは?と思います。民主主義国家にとって、市民が裁判に参加する事は昔は重要だったのです。
明治維新の10年程前(1859年)に、時の権力者・井伊直弼が、吉田松陰、橋本左内などの有能な人材を死刑(斬罪、切腹、獄門)にしました。(安政の大獄です。) 明治政府を立ち上げた人達の先達が、権力者に粛清された記憶は生生しかったと推察しますが、(明治維新は権力の奪還でしたから)再発防止対策は取らなかったのです。 明治政府は、欧米諸国が採用していた市民参加の裁判制度は導入しませんでした。(明治政府は、それなりに法治国家を目指した改革は進めたと私は思いますが。)
戦後、GHQは日本に民主化を迫り、民主的な憲法草案を作成して半ば強制的に現在の憲法を制定させました。然し、何故か陪審制度は押し付け無かったのです。貴方は、何故だと思われますか?
憲法草案を作成したアメリカ人達は、『ヒットラーの様な独裁者が誕生出来ないほど、アメリカの民主主義は発展し、国民が参加する裁判の意義が薄れ、寧ろ、参加者に重りを背負わす事になるデメリットの方が大きい』と考えたのではないかと、私は思います。
裁判員制度によって冤罪が無くなる訳では有りません。一方、日本には死刑があります。裁判員裁判で死刑判決が出て、執行された後に冤罪だった事が判明したら!参加者達は、心穏やかには過ごせません。
【裁判員制度の目的】
裁判員制度の目的については、裁判員法の第1条に『・・・司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資すること・・・』と有ります。
上記の目的は、苦し紛れに考え出したものだと思います。言葉尻を捕らえる様で恐縮ですが、①市民が参加したら、どうして『信頼が向上』するのでしょうか? 現在の司法は、信頼を向上しなければならない状態なのでしょうか?
②市民を参加させたら、司法の理解が進むとは思えません。裁判員は、裁判の内容について一切口外してはならないのです!裁判員と補充裁判員以外の人は、密室で行われる審議の内容を知る事は出来ません。従って、『司法に対する国民の理解の増進』にはならないと考えます。
(私の提案) 裁判を国民が身近なものと感じ、理解を深める事が目的なら、傍聴者を大幅に増やす工夫をした方が効果的だと考えます。最も効果的なのは、中学校や高校の授業に裁判の傍聴を取り入れる事です。
① 各地の地裁を建て直すか、リホームして傍聴席を増やし、もっと沢山の人が入れる様にして、更に快適な空間にすべきです。
② 傍聴席の前を厚いガラス板で仕切って、傍聴席の音が判事側には漏れない様にする。子供達が傍聴した時、多少騒がしくなっても支障なく裁判が続けられます。お茶やコーヒーくらいは許容しましょう!勿論、裁判の音声は、スピーカーで傍聴席に流します。
③ 各地裁に傍聴者に裁判について解説する係員を配置し、説明資料を展示/配布する専用の部屋を設けましょう。
④ 混乱を避けるために、裁判所の表出入り口は傍聴人や記者が使用し、裏出入り口は判事、弁護士、検事など専用にする。
(余談) 日本の裁判所は韓国の様に世論を慮った(忖度した)判決は出していないとみています。正常で信頼されています。世論を慮るべきは国会議員です。時代に合う様な法律を制定したり、改正するのは国会の仕事です。裁判は、該当する法律の良し悪しを云々するのでは無く、その法律に従って白黒を付けるのです。ソクラテスの『悪法もまた法なり!』です。
【国民が参加する裁判の種類】
欧米諸国では、市民が裁判に参加する制度が採用されています。次の②と③の制度です。国によって、制度の細部は異なっています。
① 裁判員制 :日本独自の制度だと言って”裁判員制”と言う造語を作りましたが、一種の”参審制”です。日本では民間人は1件毎に選任されますが、参審制では、一般的に任期期間があり、その期間中に複数の裁判に関わるのです。ヨーロッパでは民事訴訟も扱う国が有るようですが、日本では重い量刑が課せられる可能性がある刑事事件に限定しています。
② 陪審制 :刑事事件では民間人だけで議論して、有罪/無罪を決めて、判事が刑の重さ(量刑)を決めます。民事訴訟では民間人が「どちらの主張が正しいのか?損害賠償金額』を決めます。 アメリカ、イギリスなどで採用されており、日本でも昭和の初期に15年間ほど採用されました。
アメリカでは、一部の州を除いて、陪審員の評決は全員一致が要求され、一人でも反対者がいたら、新たな陪審員達が選ばれて最初から裁判をやり直す様です。
アメリカの民事訴訟では、被告側が故意に証拠を隠蔽した場合は、被告が痛手を受けると思われる懲罰金を課します。例えば、放置しておくと死亡事故が発生する可能性が有る事を承知していたのに、金が掛かるので対策せずに販売し、A氏が亡くなったとします。損害賠償金の他に懲罰金の支払いが命じられるのです。懲罰金とは加害者を制裁し、痛手を被らせる金です。従って、同様の事件でも、被告が年間売り上げが10億円の企業と1兆円の企業では、懲罰金の額は1,000倍程違っても不思議では無いのです。
③ 参審制 :民間人と判事が、事実認定~量刑まで判断する制度です。ドイツ、フランスなどヨーロッパ諸国で採用されています。国によって”まちまち”の様ですが、民間人は1件毎に選任されるのでは無く、任期期間務めるのが一般的です。ドイツの任期は5年、フランスは1件毎です。中国も、一応は参審制で、任期は5年です。
【裁判員裁判の判決の見直し問題】
裁判員裁判の後に上告して、高裁が(過去のよく似た事件の刑の重さ(量刑)と比較して)「刑が重すぎる」と言う判断をするケースが有ります。
① 第1案 :過去の判例を重視するので有れば、裁判員裁判では有罪/無罪のみ決めて、(アメリカの様に)量刑は判事が決める様に法律を改正すべきです。市民は、残酷な事件や強欲で起こした事件については「重い罰を与えたい」と考えると推察されます。判例が正しいのか?市民の感覚が正しいのか?今後も裁判員制を続けるので有れば、市民感覚の方を重視すべきです。
② 第2案 :裁判員裁判では2回判決を出す案を提案します。先ず、有罪/無罪の判決を出します。その結論に被告/検察が不服なら裁判員裁判は結審とします。後は高裁で争うのです。被告側が有罪判決に異議が無ければ、弁護士と検事は、それぞれ自分に都合の良い判例を提示して量刑についてのみ弁ずる事にします。この案で有れば、”量刑の平等”はある程度キープが出来ます。
第2案では、被告が無罪を主張する事件は実質的に、高裁から始まる事になります。従って、前回提案しました、高裁の数を8か所(+支部6か所)→50か所に増やす必要が有ります。裁判員裁判は被告が有罪を認めている事案のみを取り扱う事になりますから、公判を何回も。何回も行う事が無くなります。何よりも良い事は、裁判員が冤罪事件と無縁になる点です。(誰かを庇うために被告が有罪を主張するケースが考えられますが、万一、有罪の判決を出しても裁判員が精神的負担を感じる事は無いでしょう。)
【附則の第2条 :施行前の措置等】
第2条 :政府及び最高裁判所は、・・・裁判に参加することの意義、・・・を具体的に分かりやすく説明するなど、・・・国民の理解と関心を深めるとともに、・・・主体的な刑事裁判への参加が行われるようにするための措置を講じなければならない。
本文の第1条:趣旨には、裁判員制が『司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上』とあります。附則の第2条では、『裁判に参加することの意義』と有ります。
本当の目的を、具体的に述べるべきだったのです。目的が明確になっていたら、裁判員裁判に参加する関係者全員(裁判員、判事、検事、弁護士)が、裁判員裁判を効率的に、より公正に運用する工夫が出来たと思います。今からでも遅くないですから、『○○と△△の為に裁判員制を採用する』と裁判員法に明記して欲しい!
【附則の第3条 :環境整備】
第3条 :国は、裁判員の参加する刑事裁判の制度を円滑に運用するためには、国民がより容易に裁判員として裁判に参加することができるようにすることが不可欠であることにかんがみ、そのために必要な環境の整備に努めなければならない。
裁判員法は2004年(小泉内閣で)に制定され、5年間もの準備期間を置いて2009年に施行されました。『環境整備が必要』だと、他の法律には殆ど例の無い記載が有るにも関わらず、何もしませんでした。近年の日本の政治家には”志”が無いのです!準備期間中に何も手を打たなかった内閣を整理しておきます。
小泉内閣(2001年4月~2006年9月)→安倍内閣(~2007年9月)→福田内閣(~ 2008年9月)→麻生内閣(~ 2009年9月)→鳩山内閣・・・
どんな環境整備が必要と思いますか? サラリーマンの場合は特別休暇制を企業に義務付ける。自営業や農民、漁民などには、代わりの人を雇える体制や補助金を検討する。・・・裁判員と補充裁判員の日当は現在1万円が上限だそうです!少な過ぎますよ!
【附則の第8条 :検討】
第8条 :政府は、この法律の施行後三年を経過した場合において、この法律の施行の状況について検討を加え、必要があると認めるときは、その結果に基づいて、裁判員の参加する刑事裁判の制度が我が国の司法制度の基盤としての役割を十全に果たすことができるよう、所要の措置を講ずるものとする。
裁判員法が施行されたのは2009年です。附則の第8条の規定に従って2013年に法制審議会で検討して、一部改正され2014年に施行しました。
問題点①: 公判が長引きそうな事案は、裁判員裁判には掛けないと改正しましたが、2018年の姫路地裁の裁判員裁判は207日間(公判70回)にもなりました。長すぎると思いませんか?曖昧な表現の改正をした為です。『原則として○○日を超えると予想される事案は裁判員裁判には掛けない』と改正すべきだったのです。(私は研究・開発に長年携わったので、曖昧な発言や表記が大嫌いです。)
問題点②: 「何年後に検討して見直せ」と明記した法律を、裁判員法以外に見た事がありません。画期的だと感心しました。2014年の改正時に次回の検討時期を明確に打ち出しているのでしょうか?
(余談) 会社の経営状態が悪化して、不祥事も続き社内改革が必要になった時に、ある重役が"社内会議の改革”を唱えられました。社外からアドバイザーを招き、議長になる年代の社員を集めて勉強会を開いてくれました。ポイントの一つは、会議出席者全員に発言させることでした。大学卒でも、自分の意見を殆ど持っていない社員が結構いて、全員に発言させるのは工夫が必要でした。裁判員裁判でだれが審議の進行役をするのか知りませんが、日本人には優柔不断の人が多いので、悪い人間が進行役になると『自分の考え方に皆を誘導する事』はそんなに難しく有りません。この点からも、日本には市民参加の裁判員制度は馴染まないと考えます。
(余談) 各国の国民性を実に見事に表したブラックジョークが、インターネットで読む事が出来ます。勤勉で従順と言う国民性は、先人や上司の指示には従うが、指示の無い事は『しない/出来ない』と言う事です。