- 松永史談会 -

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大教育者高島平三郎の愚痴

2013年10月14日 | 教養(Culture)
高島平三郎の愚痴を加藤敏之「森田生馬と雑誌『児童研究』」、北海道教育大紀要55-1(平成16年9月)、PP.173-181を高良武久編『森田生馬(東京帝国大学では呉秀三門下)全集第五巻』、1975、白揚社刊から引用した記事で紹介している。


学者というのは公明正大・客観・中立でなければならないはずだが、仲間意識がつよく、素性のよくわからない人物の研究というのは、慎重を期して信用がおけないと考える部分がある。そういう気持ちが健全な形で発揮されればどこにも問題はないが・・・・。度を超すと醜悪な事態を惹起する。

大泉溥が『高島平三郎著作集』解説(57頁)で高島の沢柳政太郎著『実際的児童学(正しくは”実際的教育学”)』に対するコメントを捉え、余りに浅薄で柳沢が何故にこうした思い切った問題提起をせざるをえなかったのかを高島はまるで理解できていないと痛烈に批判している。この沢柳は東京帝国大学哲学科出身の文部官僚で、官尊民卑思想を教育行政に持ち込み、しかもこれまでの高島らが実践してきたことをまったく無視したやや高踏的な論調に対して、やはりその辺が、高島としては学術面でプライドを傷つけられたというのか、あるいは学術面での疎外感として受け止められ、積年の恨みというのか、コンプレックスというのか・・・・同年代の沢柳に対しては従来から高島にとって何かしら癪に障るところがあったのかなかったのかな~(see→高島「沢柳政太郎『従来の教育学の価値を論ず』へのコメント」、教育学術界19-6、33-37頁)。わたしは大泉の「余りにも浅薄」という心ない表現にもちょっと首をかしげたくなる。

高島の苦労は痛いほどよく理解できるが、講演の席上話題にするあたり、よほど癪に障ったのか、彼の性格か・・・・、ある程度、後輩学者たちに対する戒めの言葉となったはずだ。しかし、今もむかしも状況は大して変わらないかな
高島が経歴・業績面で人一倍苦労していたことは、例えば東洋大学に提出した兼任教員調書(昭和6-11年)に記載された「心理学概論、本務校:立正大学、学歴:元良勇次郎につき哲学を修む」[『東洋大学百年史・資料編一、52、69頁』、清水乞「日本児童研究会(日本児童学会)と哲学館(東洋大学)」、井上円了センター年報 = Annual report of the Inoue Enryo Center(19) , pp.101 - 135 , 2010-09-20 , 東洋大学井上円了記念学術センター
ISSN:1342-7628
]からもよく伺える。高島ほどの心理学者にしてそうだったから・・・・・
高島は心理科学研究会歴史研究部会編「日本心理学史の研究」(京都・法政出版、1998)の中で、一章(小児研究、217-247頁)をさいて業績が適切に紹介(執筆者:石井房枝)されており、問題はないだろ。
わたしのような門外漢からみても高島平三郎のたとえば落書き調査とか、詩歌に謳われた小児のあり方そして小児と玩具との関係にする高島の注目点などに見られる発想の斬新さはいまだに陳腐化していないように思われる。

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