- 松永史談会 -

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徳富蘇峰『大正の青年と帝国の前途』、民友社、大正5年

2013年10月24日 | 教養(Culture)




















徳富蘇峰『大正の青年と帝国の前途』、民友社、大正5年、 506ページに対する『中央公論』 1917年1月掲載の吉野作造の評論文だが、
以下の文章は青空文庫からの転載だ。

「尤も此書を明治の初年より大正の初めに至る青年の思想の変遷史として見れば非常に面白い。第二章以下第八章に至る約四百頁、即ち本書の三分の二は、此史的記述に捧げられたものであつて、中に固より著者の考も多く説かれてあるけれども、大体に於て事実の記述である。第九章の英・独・米・露の説明も亦有益なる記述である。第一章と第十章とは相照応するもので、大正時代の記述であるが、著者の大正の青年に関する観察も大正時代に関する観察も大体に於て我々に教ゆる所少くない。斯う云つて見れば全部悉く我々の読んで益を得るもの多い訳であるが、然し著者の期するが如き、今日の青年を啓導して新日本の真個忠良なる臣民たらしむるの経典たるを得るや否やは大に疑なきを得ない。何故かの説明は予輩にも十分に分らない。唯何となく斯く感ずる。何故かく感ずるかを実はいろいろ自分で考へて見た。十分なる答案はまだ得てゐないが、事によつたら老年の人に多く見る、所謂現代の社会並びに現代の青年に関する適当なる理解の欠如といふ事が其主なる原因をなして居るのではあるまいか。

蘇峰先生に限つた事ではない、明治以前の教育に育つた多くの尊敬すべき我々の先輩は、動(やや)もすれば今日の青年に忠君愛国の念が薄らぎつゝあると云ふ。又国家について遠大なる志望が欠けて居ると云ふ。又は国家
の強盛に直接の関係ある問題――例へば軍備問題の如き――に興味を感ずる事極めて薄いと云ふ。之は如何にも其通りで、此等の批難は今日の多数の青年に当嵌る。故に我々は今日の青年に忠君愛国の念を鼓吹し、其志望を遠大ならしむべきを勧め、殊に軍備上の義務の如きは之を光栄ある義務として尊重し、且つ進んで之に当らしめんとする先輩の苦衷を諒とする。此等の点を盛んに鼓吹し主張し論明するのは、今日の青年を啓導する一つの手段には相違ない。然しながら問題は然う云ふ事を説いて果して啓導の目的が達せらるゝか否かといふにある。少くとも弥次馬が運動会でチヤンピオンを後援するが如く、無責任にヤレ/\と騒ぐといふ事が適当な方法かどうか。少くとも最良の方法かどうかと云ふ事は問題である。今日の時代は明治初年の時代ではない。況んや明治以前の時代では断じてない。遠大の志望を持ての、国家的理想を体認して志を立てろのと抽象的の議論を吹かけてそれで青年が振ひ起つた時代もあれば、そんな事を聞いて之を鼻であしらう時代もある。斯う云ふ重大な問題を鼻であしらふのが即ち今日の青年の堕落であるといへばそれ迄であるけれども、兎に角時代の相違は之を認めなければならない。此時代の相違を認識することなくして、昔流の嗾(け)しかけ方針では今日の青年は恐らく断じて動くまい。」

底本:「日本の名随筆 別巻96・大正」作品社
   1999(平成11)年2月25日発行
底本の親本:「吉野作造選集3」岩波書店
   1995(平成7)年7月

大谷光瑞(こうすい)「慨世余言」、民友社、大正6


大谷光瑞年譜

大谷光瑞全集のコンテンツ(抜粋)
•第9巻: 放浪漫記
•避暑漫筆
•閑餘随録
•濯足堂漫筆
•鵬遊記
•地中海遊記
•第10巻: 支那の將來
•滿洲国の將來
•海外投資に就て
•帝國の前途
•支那の國民性
第12巻: 続濯足堂漫筆,随想,研究,論叢,旅記所感
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