西川「富の制圧」明治36-38
西川「富の制圧」明治36-38
雑誌「児童研究」は我が国における児童研究に決定的に寄与をしたと評価されているものだ。
明治31年11月にその「児童研究」創刊されているる。ここで取り上げるのは第一書房から復刻された第一巻(1-10号)。中々興味深い児童の心性研究資料が掲載されていた
鴨沂会雑誌12(明治32年11月刊)に高島が執筆した明治32年といえば彼が講師として京都府教育会から招かれて教師を対象とした児童心理学講習会を開催した年(明治32年6月24日)に当たる。当時の高島は
①師範学校教科用書・心理綱要 明治26年12月 普及社
②師範学校教科用書・内国教育史要 明治26年6月 普及社
③訂正増補心理漫筆 明治31年 開発社
を刊行しており、我が国の教育界から注目される存在だったことが判る。
高島による画期的な児童画の分析(明治31年)
ロンドン市中で見かけた子供の落書き絵。坪井は左向きの絵像が多いことを指摘し、それは右利きの人間が線を無意識のうちに中心に向かって引く形で描画するためにそうなったと説明している。坪井が科学的思考のできる人間であったことが判る。
漁村地域(千葉県安房郡船形(現在館山市船形))の児童が描いた様々の船の絵
民族学者が扱いそうなケイ(Kei)島民の描い洞窟内の壁に描かれた岸壁絵
児童画研究の方法を体系にに論じたのが、高島の弟子:児童心理学の関寛之の兄貴:関衛であった。
昭和8年。関衛の処女作は『天候と人生』、洛陽堂、大正8年。大正8年は弟の寛之が『児童学概論』洛陽堂から出した年に当たる。『天候と人生』は美術が専門の関衛からすると専門外の内容だが、中身はまことに素晴らしい。
<iframe width="425" height="350" frameborder="0" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0" src="https://maps.google.co.jp/maps?f=q&source=s_q&hl=ja&geocode=&q=Tanimbar+Kei,+Maluku,+Indonesia&aq=0&oq=Tanimbar+Kei+malu&sll=-6.024482,132.415466&sspn=0.488921,0.97435&brcurrent=3,0x0:0x0,0&ie=UTF8&hq=&hnear=Tanimbar+Kei,+West+Kei+Kecil,+Maluku+Tenggara,+Maluku,+%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%8D%E3%82%B7%E3%82%A2&ll=-6.024362,132.447902&spn=0.122231,0.178185&t=m&z=13&output=embed"></iframe>
大きな地図で見る
The History of Prehistoric
Research in Indonesia to 1950
Received 16 January 1968
R. P. SOE]ONO
●RELIGIOUS ART OF MALUKU TENGGARA. © NICO DE JONGE
MASTERPIECES IN THE COLLECTION OF THE NATIONAL MUSEUM OF ETHNOLGY AND THEIR CULTURAL CONTEXT
Digital publications of the National Museum of Ethnology
高島は舶来の歴史主義的&進化論的学説をうのみにして人間ー動物という尺度の中では子供は動物に近い存在、文明人ー原始(野蛮)人という尺度の中では子供は原始人に近い存在と考えていた。
本雑誌ではここで挙げた児童画と未開人の岩絵との形態的な類似性を指摘し、自説の正しさを再確認する形をとっている。
このようなイメージ研究を定式化することは明治30年ころの段階ではやっと緒に就いたところであり、中々説得的な論理(言語論理的説明)を展開することは至難の業だったろう。高島の当時の表象分析の水準は児童研究1-4(明治32年)掲載の「想像作用の研究」を読めば十分だろう。その着眼点と洞察力、学校教員に対する提言のどれをとっても画期的というか、その凄さ(=水準の高さ,むろん今日的に見れば不十分な面はあるのだが)には目を見張るものがある。
その後児童画を使った精神分析研究などが登場するだけだが、それらの研究の問題点は上滑りし、往々にしてフロイトやユングの夢分析レベル、下手を打つと、それらをベースにした「夢占い」に終わりやすいという点だろか。
高島は児童に寄り添った教育実践をした訳だ。したがっておのずから文部次官経験者沢柳政太郎(著『実際的教育学』同文館、1909年2月 )とは肌合いが・・・・。
関衛の児童画研究に与えた高島平三郎の影響
児童画と精神分析研究事例
LEROI-GOURHAN A. Le geste et la parole. TT. I - II Paris, 1964-65.
LEROI-GOURHAN A. Prehistoire de l'Art occidental. Paris. 1965 (1971,1998).
LEROI-GOURHAN A. Dictionaire de la prehistoire. Paris, 1988.
児童画の研究
子どもの絵の意味などについて書かれている本はあるか?
教育時論・教育壇・児童研究などに投稿した論文などは高島の人と思想を探る上で役立ちそうだ。
高島平三郎の児童研究の今日的評価
高島の研究は関寛之の実兄:関衛の著書『児童図画心理学』によって完成された。
明治31年11月にその「児童研究」創刊されているる。ここで取り上げるのは第一書房から復刻された第一巻(1-10号)。中々興味深い児童の心性研究資料が掲載されていた
鴨沂会雑誌12(明治32年11月刊)に高島が執筆した明治32年といえば彼が講師として京都府教育会から招かれて教師を対象とした児童心理学講習会を開催した年(明治32年6月24日)に当たる。当時の高島は
①師範学校教科用書・心理綱要 明治26年12月 普及社
②師範学校教科用書・内国教育史要 明治26年6月 普及社
③訂正増補心理漫筆 明治31年 開発社
を刊行しており、我が国の教育界から注目される存在だったことが判る。
高島による画期的な児童画の分析(明治31年)
ロンドン市中で見かけた子供の落書き絵。坪井は左向きの絵像が多いことを指摘し、それは右利きの人間が線を無意識のうちに中心に向かって引く形で描画するためにそうなったと説明している。坪井が科学的思考のできる人間であったことが判る。
漁村地域(千葉県安房郡船形(現在館山市船形))の児童が描いた様々の船の絵
民族学者が扱いそうなケイ(Kei)島民の描い洞窟内の壁に描かれた岸壁絵
児童画研究の方法を体系にに論じたのが、高島の弟子:児童心理学の関寛之の兄貴:関衛であった。
昭和8年。関衛の処女作は『天候と人生』、洛陽堂、大正8年。大正8年は弟の寛之が『児童学概論』洛陽堂から出した年に当たる。『天候と人生』は美術が専門の関衛からすると専門外の内容だが、中身はまことに素晴らしい。
<iframe width="425" height="350" frameborder="0" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0" src="https://maps.google.co.jp/maps?f=q&source=s_q&hl=ja&geocode=&q=Tanimbar+Kei,+Maluku,+Indonesia&aq=0&oq=Tanimbar+Kei+malu&sll=-6.024482,132.415466&sspn=0.488921,0.97435&brcurrent=3,0x0:0x0,0&ie=UTF8&hq=&hnear=Tanimbar+Kei,+West+Kei+Kecil,+Maluku+Tenggara,+Maluku,+%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%8D%E3%82%B7%E3%82%A2&ll=-6.024362,132.447902&spn=0.122231,0.178185&t=m&z=13&output=embed"></iframe>
大きな地図で見る
The History of Prehistoric
Research in Indonesia to 1950
Received 16 January 1968
R. P. SOE]ONO
●RELIGIOUS ART OF MALUKU TENGGARA. © NICO DE JONGE
MASTERPIECES IN THE COLLECTION OF THE NATIONAL MUSEUM OF ETHNOLGY AND THEIR CULTURAL CONTEXT
Digital publications of the National Museum of Ethnology
高島は舶来の歴史主義的&進化論的学説をうのみにして人間ー動物という尺度の中では子供は動物に近い存在、文明人ー原始(野蛮)人という尺度の中では子供は原始人に近い存在と考えていた。
本雑誌ではここで挙げた児童画と未開人の岩絵との形態的な類似性を指摘し、自説の正しさを再確認する形をとっている。
このようなイメージ研究を定式化することは明治30年ころの段階ではやっと緒に就いたところであり、中々説得的な論理(言語論理的説明)を展開することは至難の業だったろう。高島の当時の表象分析の水準は児童研究1-4(明治32年)掲載の「想像作用の研究」を読めば十分だろう。その着眼点と洞察力、学校教員に対する提言のどれをとっても画期的というか、その凄さ(=水準の高さ,むろん今日的に見れば不十分な面はあるのだが)には目を見張るものがある。
その後児童画を使った精神分析研究などが登場するだけだが、それらの研究の問題点は上滑りし、往々にしてフロイトやユングの夢分析レベル、下手を打つと、それらをベースにした「夢占い」に終わりやすいという点だろか。
高島は児童に寄り添った教育実践をした訳だ。したがっておのずから文部次官経験者沢柳政太郎(著『実際的教育学』同文館、1909年2月 )とは肌合いが・・・・。
関衛の児童画研究に与えた高島平三郎の影響
児童画と精神分析研究事例
LEROI-GOURHAN A. Le geste et la parole. TT. I - II Paris, 1964-65.
LEROI-GOURHAN A. Prehistoire de l'Art occidental. Paris. 1965 (1971,1998).
LEROI-GOURHAN A. Dictionaire de la prehistoire. Paris, 1988.
児童画の研究
子どもの絵の意味などについて書かれている本はあるか?
教育時論・教育壇・児童研究などに投稿した論文などは高島の人と思想を探る上で役立ちそうだ。
高島平三郎の児童研究の今日的評価
高島の研究は関寛之の実兄:関衛の著書『児童図画心理学』によって完成された。