本書は日清日露戦争後の都会青年を中心とした頽廃した当時の世相を批判し、国家や地域社会における社会的統合のあり方や、社会の成員としての個人のあり方に関して提言した修養(=倫理道徳)関係の書籍だ。
社会主義者や無政府主義者たちが言う天皇を中心とした体制変革論を否定し、国民的統合のための国民一人一人の意識改革を「心的革命」の必要性を説いている。
西川光次郎「心懐語」、1910,10が出版された翌月刊行されており、西川光次郎と本書を書いた高島平三郎とは思想面(心的革命論)で共感しあうところがあったかもしれない。
現代の傾向と心的革命
著者: 高島平三郎
中味は警世家(=評論家)高島平三郎の日清・日露戦役後の世相批判と問題解決提言だ。
青年に対しては一瞬一瞬をただベストを尽くす。これだけでも立派な人格のものとなれると説いており、高島の人生訓は分かりやすい
ざっと目を通してみたが、高島の思想(人生観・社会観)や幕末生まれの高島が感じた明治維新後半世紀、すなわち近代国家としての成長期(高島は人生の疾風怒濤期に当たる青年期に比定)明治末の世相の一端が手に釣るように伝わってくる。
中味は(1)・・理想と主義、(2)・・・他律の人と自律の人、(3)・・・さらに人生の戦を戦うべし、(4)・・・現代の悪傾向について、(5)…なんぞ進みて自ら取らざる(この章だけ講演速記風)。
高島がいう悪傾向とは個人主義の蔓延、低格人類の精神、国家観念の希薄化、厭世悲観的傾向、危険思想の浸透、不健全なる文学、拝金的傾向、在上者の不道徳、マスコミの横暴、学校内の混乱(学生のストライキなど),宗教家の堕落など。なお、悪傾向の中に「尊徳主義の鼓吹」という項目がある、これは誤った尊(報?)徳主義の鼓吹を指すのであろうか。本書全体の論旨は(a)悩める青年心理に対する提言という点と、(b)混乱する青年国家の社会問題を、次へのステップに飛躍するときに経験する青年の悩みと同類の問題として受け入れつつ、当面の問題点(社会問題、世相の中の悪しき部分)を列挙し、それに対する高島流の解決方法の提言という点とを結ぶ基軸a-b上に展開される。当時の日本社会を、老衰した江戸時代の日本が若返り、まさに人生発達の諸類型中の「青年期」に至る過程にあるという解釈は社会進化論的思考の発露といえよう。
青年たちの無気力(華厳の滝への投身自殺件数200件超、青年の厭世悲観的傾向)、学内での学生たちの横暴(教師批判&ストライキ)を嘆き、いわゆる軟教育の弊害として射幸心を挑発し、「貧民的低格的横着根性を養成」と嘆きつつ、中等以上の学校での教師の指導力(実力と人格の修養)UPが必要だと。
また、何事も国家秩序を守るという観点から、青年たちの中で流行する危険思想としての社会主義&無政府主義(落第生が自暴自棄となり高等遊民化し、彼らの中より社会主義者・自然主義者誕生の母体)、個人主義の弊害を嘆き、不健全な文学(例えば自然主義文学、ある種のロシア文学)、拝金主義や大官巨商の贅沢を戒めなどなど。
他律を戒め、青年の自立を奨めること、「何とかなるではなく、何とかする」べしというのが最終章の「なんぞ進みて自ら取らざる」を付け加えたことの真意だろ。
宗教家の堕落を批判する一方で、現代の悪弊を改善する方策としては「生命ある宗教の内面的救済」が有効だと・・・・。その後高島自身は道学関係の人との交わりを維持しつつも日蓮の研究を行ったようだ。
個人主義は世界文明の進歩の一つの成果ではあるが、学理的基礎の上に個(個人)と全体(国家・世界)との調和を前提としたものであるべきだ指摘している。
本書の後半(173ページ以後)は文学士木山君の質問に答えるという形での講演筆記風。
高学歴青年たちの悩みに答えている。
国民の愛国心というものは理屈からおこるものではなく言い知れぬ感情から来るのだ。皇室を有難い、大事だという精神は同様に理屈から来たのではない(230ページ)。わたしはこのような人類生活の中心点が社会には必要だと考えている。しかし、皇室を方方につくることはできないので、そのようなセンターとしわたしは学校を考えている。ことに小学校をその地方地方の理想の淵源にしたいと常に考えてきた。以後、しばらく自治協会でも講演したようだが、高島得意の神村須江分校(成功事例・・学校を地域住民にとっての真善美の淵源にした・・・・230-231ページ)の話題が続き、最後は何事も他力本願ではだめで、自身で行動して自分を取り巻く問題解決を図れるだけの力を養っていこうという風に講演は締めくくられるのだ。
白樺派の文芸運動を展開する武者小路実篤はここで高島が批判した問題学生(高等遊民)そのものだった。
本書には前年73歳で亡くなった亡母の教え(「太閤様は免状なしでも天下を取った」とか武士とは・・・・・小さな利害関係で争わないものなどなど)というフレーズがよく出てくる。
高島の弟子:下澤瑞世の著書にも高島が母親から受けた教え・感化について言及しているが、それは明治41年になくなった亡き母に対する追慕の情の発露だっただろか。
「天地に恥じない生き方、度量大きく、大人の生き方」・・・これらはいずれも母からの教えだったようだ。
高島の本には武士道の精神が垣間見れる。
後記)
「国家はお互い仲よくして居ても同盟して居ても敵である」(119頁)・・フムフム これは現代にも通じる名言だ
戦争に勝って、ロシアの文化が日本に流入。嘆かわしいことで、精神的帝国主義を主張したい。文学者には発奮して一旗幟を立てて国民文学を待望(137ページ)。新しい文学運動も「不健全な文学」と決めつけ、かたずけてしまう部分は高島の年齢のせいだろか。
「実践道徳」(227頁)・・・・ン? 西川光次郎の洛陽堂から出した著書『實踐道徳簡易入門』(1911)というのがあったな~。
心的革命、「国の根本は人間精神」(223頁)、二宮尊徳にならって「道徳の方面から実行主義を採って風俗を直し、人心を直していきたい」(同上頁)。かかる高島の思いは新渡戸の弟子であった西川光次郎の転向後の生き方と不思議なくらい合致している。
本書が刊行された1910年に幸徳秋水らによる大逆事件が起きている。明治維新から半世紀、よちよち歩きの立憲君国体を揺るがすことは絶対に許せなかった。高島が指摘するような世相に活を入れ体制引き締めるために明治政府は幸徳事件をやむを得ず仕組んだのだろか。
社会主義者や無政府主義者たちが言う天皇を中心とした体制変革論を否定し、国民的統合のための国民一人一人の意識改革を「心的革命」の必要性を説いている。
西川光次郎「心懐語」、1910,10が出版された翌月刊行されており、西川光次郎と本書を書いた高島平三郎とは思想面(心的革命論)で共感しあうところがあったかもしれない。
現代の傾向と心的革命
著者: 高島平三郎
中味は警世家(=評論家)高島平三郎の日清・日露戦役後の世相批判と問題解決提言だ。
青年に対しては一瞬一瞬をただベストを尽くす。これだけでも立派な人格のものとなれると説いており、高島の人生訓は分かりやすい
ざっと目を通してみたが、高島の思想(人生観・社会観)や幕末生まれの高島が感じた明治維新後半世紀、すなわち近代国家としての成長期(高島は人生の疾風怒濤期に当たる青年期に比定)明治末の世相の一端が手に釣るように伝わってくる。
中味は(1)・・理想と主義、(2)・・・他律の人と自律の人、(3)・・・さらに人生の戦を戦うべし、(4)・・・現代の悪傾向について、(5)…なんぞ進みて自ら取らざる(この章だけ講演速記風)。
高島がいう悪傾向とは個人主義の蔓延、低格人類の精神、国家観念の希薄化、厭世悲観的傾向、危険思想の浸透、不健全なる文学、拝金的傾向、在上者の不道徳、マスコミの横暴、学校内の混乱(学生のストライキなど),宗教家の堕落など。なお、
青年たちの無気力(華厳の滝への投身自殺件数200件超、青年の厭世悲観的傾向)、学内での学生たちの横暴(教師批判&ストライキ)を嘆き、いわゆる軟教育の弊害として射幸心を挑発し、「貧民的低格的横着根性を養成」と嘆きつつ、中等以上の学校での教師の指導力(実力と人格の修養)UPが必要だと。
また、何事も国家秩序を守るという観点から、青年たちの中で流行する危険思想としての社会主義&無政府主義(落第生が自暴自棄となり高等遊民化し、彼らの中より社会主義者・自然主義者誕生の母体)、個人主義の弊害を嘆き、不健全な文学(例えば自然主義文学、ある種のロシア文学)、拝金主義や大官巨商の贅沢を戒めなどなど。
他律を戒め、青年の自立を奨めること、「何とかなるではなく、何とかする」べしというのが最終章の「なんぞ進みて自ら取らざる」を付け加えたことの真意だろ。
宗教家の堕落を批判する一方で、現代の悪弊を改善する方策としては「生命ある宗教の内面的救済」が有効だと・・・・。その後高島自身は道学関係の人との交わりを維持しつつも日蓮の研究を行ったようだ。
個人主義は世界文明の進歩の一つの成果ではあるが、学理的基礎の上に個(個人)と全体(国家・世界)との調和を前提としたものであるべきだ指摘している。
本書の後半(173ページ以後)は文学士木山君の質問に答えるという形での講演筆記風。
高学歴青年たちの悩みに答えている。
国民の愛国心というものは理屈からおこるものではなく言い知れぬ感情から来るのだ。皇室を有難い、大事だという精神は同様に理屈から来たのではない(230ページ)。わたしはこのような人類生活の中心点が社会には必要だと考えている。しかし、皇室を方方につくることはできないので、そのようなセンターとしわたしは学校を考えている。ことに小学校をその地方地方の理想の淵源にしたいと常に考えてきた。以後、しばらく自治協会でも講演したようだが、高島得意の神村須江分校(成功事例・・学校を地域住民にとっての真善美の淵源にした・・・・230-231ページ)の話題が続き、最後は何事も他力本願ではだめで、自身で行動して自分を取り巻く問題解決を図れるだけの力を養っていこうという風に講演は締めくくられるのだ。
白樺派の文芸運動を展開する武者小路実篤はここで高島が批判した問題学生(高等遊民)そのものだった。
本書には前年73歳で亡くなった亡母の教え(「太閤様は免状なしでも天下を取った」とか武士とは・・・・・小さな利害関係で争わないものなどなど)というフレーズがよく出てくる。
高島の弟子:下澤瑞世の著書にも高島が母親から受けた教え・感化について言及しているが、それは明治41年になくなった亡き母に対する追慕の情の発露だっただろか。
「天地に恥じない生き方、度量大きく、大人の生き方」・・・これらはいずれも母からの教えだったようだ。
高島の本には武士道の精神が垣間見れる。
後記)
「国家はお互い仲よくして居ても同盟して居ても敵である」(119頁)・・フムフム これは現代にも通じる名言だ
戦争に勝って、ロシアの文化が日本に流入。嘆かわしいことで、精神的帝国主義を主張したい。文学者には発奮して一旗幟を立てて国民文学を待望(137ページ)。新しい文学運動も「不健全な文学」と決めつけ、かたずけてしまう部分は高島の年齢のせいだろか。
「実践道徳」(227頁)・・・・ン? 西川光次郎の洛陽堂から出した著書『實踐道徳簡易入門』(1911)というのがあったな~。
心的革命、「国の根本は人間精神」(223頁)、二宮尊徳にならって「道徳の方面から実行主義を採って風俗を直し、人心を直していきたい」(同上頁)。かかる高島の思いは新渡戸の弟子であった西川光次郎の転向後の生き方と不思議なくらい合致している。
本書が刊行された1910年に幸徳秋水らによる大逆事件が起きている。明治維新から半世紀、よちよち歩きの立憲君国体を揺るがすことは絶対に許せなかった。高島が指摘するような世相に活を入れ体制引き締めるために明治政府は幸徳事件をやむを得ず仕組んだのだろか。