先日、12年の闘病生活をして他界した義叔母。
私の母には弟が一人。そのお嫁さんだ。
叔父さんは教師生活を続け、最終的には校長にまでなった人だが、私が子供の頃は、何となく近寄りがたく、また無口で余計な事は言わない・・・お愛想が無い・・人でもあった。
亡くなったおばさんは、家庭的で料理や裁縫も旨く、祭壇の横にはパッチワークの作品がたくさん飾られた。笑顔の素敵なおばさんだった。
どちらかというと、純日本的な家庭。奥さんがいなければ、お箸すら見つけられない亭主 と言った感じだ。
叔母さんは12年の間に入退院をくり返し、昨年末頃からホスピスに入るようになっていた。
告別式を終え、お斎の席での叔父さんの挨拶が始まった。
小さな弱々しい声ではあったが、その言葉一つ一つを噛み砕くように語った
《発症して12年、そしてこの10ヶ月は毎日欠かさず病院に行き、そばにいた。
妻が病気になった事で、たくさんの事を学ばせてもらいました。
人を思いやる事を知りました。人の大切さを知りました、そして人を愛する事を知りました》
挨拶を終えた叔父さんは席に着くなりハンカチで目頭をずっと押さえていた。
今の叔父さんには昔の威厳もプライドも無かった。
そこには本当の愛を知って、無くした一人の弱々しい素敵なおじさんがいた。
私の母には弟が一人。そのお嫁さんだ。
叔父さんは教師生活を続け、最終的には校長にまでなった人だが、私が子供の頃は、何となく近寄りがたく、また無口で余計な事は言わない・・・お愛想が無い・・人でもあった。
亡くなったおばさんは、家庭的で料理や裁縫も旨く、祭壇の横にはパッチワークの作品がたくさん飾られた。笑顔の素敵なおばさんだった。
どちらかというと、純日本的な家庭。奥さんがいなければ、お箸すら見つけられない亭主 と言った感じだ。
叔母さんは12年の間に入退院をくり返し、昨年末頃からホスピスに入るようになっていた。
告別式を終え、お斎の席での叔父さんの挨拶が始まった。
小さな弱々しい声ではあったが、その言葉一つ一つを噛み砕くように語った
《発症して12年、そしてこの10ヶ月は毎日欠かさず病院に行き、そばにいた。
妻が病気になった事で、たくさんの事を学ばせてもらいました。
人を思いやる事を知りました。人の大切さを知りました、そして人を愛する事を知りました》
挨拶を終えた叔父さんは席に着くなりハンカチで目頭をずっと押さえていた。
今の叔父さんには昔の威厳もプライドも無かった。
そこには本当の愛を知って、無くした一人の弱々しい素敵なおじさんがいた。
出棺の時同級生が校歌を合唱して見送った。
帰る時、駅に向かう道の脇に真っ赤な彼岸花が咲き、金木犀が香っていた。どんなに悲しくても、空は青く晴れ渡っていた。これからも彼岸花と金木犀と青い秋空を見ると弘朗君を思い出す事だろう。 合掌
白血病は今治らない病気では無いのですが、抵抗力が落ちていたのでしょうか・・・
お父様とお母様の言葉のなかに、しっかりとしたお別れが出来ていたようにも思えます。
毎日ニュースで流れる突然の事故死などほど、家族共々やりきれない思いはないですものね。
合掌