他人の持ち物にはみだりに触れてはならない。それは親子であっても同様である。子供のゲームのセーブデータを削除したらギャン泣きされて困ったと云う話を、何処かで読んだ。恐らくその人にとっては単なる0と1の羅列にしか見えなかったのだろう。ではそれが写真だったらどうか。あれもデータの塊に過ぎず、それを印画紙に転写しただけのものである。勝手に燃やされたりすれば、ギャン泣きはしないだろうが、怒りを覚える事も有るかも知れない。価値はデータ自体ではなく、それを保存するまでに過ごした体験に有ると思っている。データはそれを追想する触媒に過ぎない。思い出を踏みにじられて悦ぶ人もたまには居るかも知れないが、少数派だろう。個人の性癖にまでは立ち入らないが、所有物には多かれ少なかれそう云った思いが込められている。私がモノを捨てられないのはそう云った事情からなのであり、片付けが不得手な無精者だからでは決してないのである。