テセウスの船と云うパラドックスが有る。テセウスがクレタ島からアテネに帰還した際に乗った船は、長年大切に保管されていた。傷んだ箇所の修繕を繰り返した結果、全ての部品が置き換わってしまったのだが、それを見た暇人(哲学者とも言う)が「これをテセウスの船と呼んでも良いのか」と云うどうでもいい疑問を投げ掛けた事によって生じた同一性問題である。だから何だってぇんだこの頭デッカチが、と保存に熱心だった人達はお怒りだっただろう。厳密に言えば同じものでは無いのは誰もが分かっているし、そう云う屁理屈をこねるから哲学者は嫌われるのである。テセウスの船とは言ってみれば共通認識の様なものである。皆がそう思っているから成立している概念であって、物理的に対応している必要は無い。初期のコードがほぼ残っていなくてもWindowsである事に変わりは無いのと同様であり、バージョン管理を導入すれば解決するかも知れないパラドックスなのである。