そこはバーチャルな儘でいいんじゃないかな。VRヘッドセットOculusの創業者パーマー・ラッキー氏が斬新な試作品を発表した。ゲームオーバーになったら物理的に爆発し、プレイヤーの頭を吹っ飛ばすらしい。画面の「Game Over」と云う文字に反応する様なので、そう云う絵柄のTシャツを着た対戦相手とマッチングされない事を祈りたい。何も本当に爆薬を仕込まなくてもブルブル震えたりビリビリ痺れたり程度で済ませれば十分に思えるのだが、バーチャル時代の最先端を切り拓く鬼才にとっては物足りなかったのかも知れない。頭が吹っ飛ぶのは御免蒙るが、VR空間の行動がフィードバックされるギミックは没入感に大きく係る要素であり、研究開発も盛んである。特に触覚の伝達はゲームよりも医療等の遠隔操作の分野で活用が期待されている。ラッキー氏にはもう少し穏便な製品開発を希望するが、サイバーパンクなノリも維持して欲しいと云う矛盾した気持ちを抱いているのである。
テクノロジー発動!プロフェッショナル、ケイスケ・ホンダの人気が一部地域で爆上がりである。大金星のドイツ戦の実況解説でAbemaTVに出演し、的確な状況判断コメントと本音丸出しのヤジが「居酒屋に居るやけにサッカーに詳しいオッチャンっぽい」と大好評である。次のコスタリカ戦も解説するそうなので、お暇であれば地上波と同時視聴したら面白いと思う。大人の事情が複雑に絡み合うテレビに比べ、ネット配信は色々な面でユルい。放送コードの様な倫理基準は有って無い様なものなので、プロフェッショナルが舌打ちしようが興奮の余り「○○○○」と口走ろうが、現時点では一切お咎め無しである。だから迷惑系Youtuberが棲息していられるのであるし、彼らを庇う心算は微塵も無いが、そう云うルール無用のカオスは隅っこで良いから存続させて欲しいと願っている。漂白されていない毒と薬が混然一体となった「見世物」は確かにお子様に見せたくないが、私が見たいのである。
気長に注視したい。幅広い品揃えで有名なSteamであるが、中には本当に変なのも有る。「10年間このゲームをプレイしない」とか何でそうしたのか良く分からないゲーム内実績が有ったりする。ズルをしてPCの時計を10年後以降にセットすれば簡単にクリア出来るし、実際そうした人が居た様だが、画面表示がおかしくなるバグに見舞われたそうである。どうやら2038年問題に引っ掛かったらしい。UNIX系OSでは時刻を32bit整数型で実装している箇所があちこちに残っており、その限界が2038年に到来する。WindowsやmacOSでは32bit時代の古いアプリを使わなければ問題無いらしいが、実際にその時が来てみないと分かったものではない。家電等もコスト削減の為に廉価なCPUを用いている可能性が有るので、物持ちの良い人は注意した方が宜しい。16年も先の話だから大丈夫でしょ、と20年以上も先送りされているので、夏休みの宿題同様、切羽詰まらないと手を付けない人の性を甘く見てはならないのである。
人類の誤り補正・補完能力は優秀である。それ故に引っ掛かる罠も有る。埼玉大学で個人情報の漏洩が発覚した。教員がメールの転送を設定する際、宛先を「gmai.com」と打ち間違えた事が直接の原因である。普通は送信先不明で突っ返されるものだが、「gmai.com」と云うドメインを取得している何者かが、メールを全部取り込んでいたらしい。そうやって窃取した個人情報の使い道が皆目見当がつかないのだが、「知人に粗忽者が居る人リスト」としてダークウェブで販売されているのかも知れない。ちなみに「gmial.com」も存在するので、メアドの手入力は極力控えた方が宜しい。そう云うのをドッペルゲンガー・ドメインと呼ぶらしい。自腹を切ったジョークの場合も有るが、紛らわしい名前で迷惑を被っている本物に買い取らせようとする悪質な例も多いそうである。どんなにゆうゅしうなのりょうくであってもかならずじくゃてんはそざんいするのであり、かどなしよんうはきもんつなのである。
統計は使い勝手の良い道具である。それ故に過信も招き易い。標本が人間である社会科学で、その傾向が顕著である。私は100万回で1人が死亡した事例が有る全身麻酔手術を2回、500万回で1人が死亡した大腸内視鏡検査を4回受けた事が有る。尻の穴にカメラを突っ込んだら死ぬ理由が今でも分からないのだが、そう云う体質だったと云う可能性が有り得るのが人間のややこしさである。統計的に99.9999%の安全が観測されていたとしても、その事実は個人の安全を担保する訳では無い。人体の構造は概ね似た様なものだから医学が成立するのだが、個体の独自性とか特異性とかの非統計的要素は除外せざるを得ない。要するに過去の実績がどうでも自分にやってみなけりゃ分からないのであり、それで大当たりを食らったら運が悪かったと思うしかない。より安全な選択をする上で統計は心強い味方になってくれるのだが、一定の閾値を超えてから先は神頼みと大して変わらないのである。