NHKの朝ドラ「だんだん」は毎日楽しく見ている。
ただちょっと長すぎたかもしれない。
最近どうも間延びして感じられる。
それにテーマもぼやけてきて、ちょっといろんなことを盛り込みすぎたような感じがする。
もうちょっと早く終わっても良かったのではないだろうか?
ところでこのテーマ曲にはいつも違和感を感じる。
歌になぜ歌詞があるかというとそれは歌詞の内容を人に伝えたいため。
歌はしゃべれ、せりふは歌え、という。
そのためには詞の区切りやアクセントなどが大切で、これを無視するととてもわかりにくい歌になってしまう。
言葉ははっきりしているのにとても聞き取りにくいのだ。
袖振り合うも多生の縁とぉ 古(いにしえ)からのぉ伝えどおり
この世で出逢う人とはすべてぇ 見えぬ糸でつながってぇる
天が描いたシナリオみそい あなたと私 しあうの
時に愛して 時には泣いて やがて固い絆え~と
どんなに細い縁(えにし)の糸をぉ~ 物語運んでくうる
と、聞こえる。
縁とぉ、古からのぉ、すべてぇ、つながってぇる、・・という歌い方は竹内まりや節とでもいうのか、波に揺られているようで別段悪くはない。
次の「天が描いたシナリオに沿い」が「シナリオ みそい」に聞こえて「みそい、って何?」と聞きたくなる。
これは言葉にきり方の問題だろう。「シナリオに 沿い」というところを「シナリオ に沿い」と歌ってるのでとても聞き取りずらい。
「あなたと私 知り合うの」も「あなたと私 しあうの」に聞こえ、「えっ何をし合うの?」と妙な想像をしてしまう。
最後のアクセントを無視して急に高くなる「縁の糸をぉ~」もどうも気になってならない。
最近の歌は良くこのような節まわしが目に付く。
歌がまず歌詞の内容を伝えるものならば普通にしゃべるように伝えて欲しい。
この歌は言葉がはっきりしてるだけに逆に気になってならない。
ただちょっと長すぎたかもしれない。
最近どうも間延びして感じられる。
それにテーマもぼやけてきて、ちょっといろんなことを盛り込みすぎたような感じがする。
もうちょっと早く終わっても良かったのではないだろうか?
ところでこのテーマ曲にはいつも違和感を感じる。
歌になぜ歌詞があるかというとそれは歌詞の内容を人に伝えたいため。
歌はしゃべれ、せりふは歌え、という。
そのためには詞の区切りやアクセントなどが大切で、これを無視するととてもわかりにくい歌になってしまう。
言葉ははっきりしているのにとても聞き取りにくいのだ。
袖振り合うも多生の縁とぉ 古(いにしえ)からのぉ伝えどおり
この世で出逢う人とはすべてぇ 見えぬ糸でつながってぇる
天が描いたシナリオみそい あなたと私 しあうの
時に愛して 時には泣いて やがて固い絆え~と
どんなに細い縁(えにし)の糸をぉ~ 物語運んでくうる
と、聞こえる。
縁とぉ、古からのぉ、すべてぇ、つながってぇる、・・という歌い方は竹内まりや節とでもいうのか、波に揺られているようで別段悪くはない。
次の「天が描いたシナリオに沿い」が「シナリオ みそい」に聞こえて「みそい、って何?」と聞きたくなる。
これは言葉にきり方の問題だろう。「シナリオに 沿い」というところを「シナリオ に沿い」と歌ってるのでとても聞き取りずらい。
「あなたと私 知り合うの」も「あなたと私 しあうの」に聞こえ、「えっ何をし合うの?」と妙な想像をしてしまう。
最後のアクセントを無視して急に高くなる「縁の糸をぉ~」もどうも気になってならない。
最近の歌は良くこのような節まわしが目に付く。
歌がまず歌詞の内容を伝えるものならば普通にしゃべるように伝えて欲しい。
この歌は言葉がはっきりしてるだけに逆に気になってならない。