慈善や奉仕という言葉にはとっても違和感を覚える。
なんかとってもはずかしいことのような・・・
慈善や奉仕活動を続けるためには全財産をはたいてはいけない。
今の財産、今の身分を維持している限りではじめて成り立つことなのだ。
慈善や奉仕活動を続けるためには、
金持ちはいつまでも金持ち、貧乏人はいつまでも貧乏人でなければならない。
日本ではもうひとつ慈善や奉仕活動が定着していないと感じるけど、これはこれでとってもいいことではないだろうか?
というのも日本には「お互いさま」という文化があるから。
貧しい人たちに何かしてあげても、それはお互い様、自分たちだっていずれ同じ立場になるかもしれないから。
災害にあった人たちになにかしてあげても、それはお互い様、自分たちだっていずれ同じような立場になるかもしれないから。
だから慈善や奉仕活動を受けた人は卑屈になるかもしれないけど、お互い様だったら、そこは対等な関係。卑屈になることはない。
これがもともとの日本の文化ではなかったのかな?
なんかとってもはずかしいことのような・・・
慈善や奉仕活動を続けるためには全財産をはたいてはいけない。
今の財産、今の身分を維持している限りではじめて成り立つことなのだ。
慈善や奉仕活動を続けるためには、
金持ちはいつまでも金持ち、貧乏人はいつまでも貧乏人でなければならない。
日本ではもうひとつ慈善や奉仕活動が定着していないと感じるけど、これはこれでとってもいいことではないだろうか?
というのも日本には「お互いさま」という文化があるから。
貧しい人たちに何かしてあげても、それはお互い様、自分たちだっていずれ同じ立場になるかもしれないから。
災害にあった人たちになにかしてあげても、それはお互い様、自分たちだっていずれ同じような立場になるかもしれないから。
だから慈善や奉仕活動を受けた人は卑屈になるかもしれないけど、お互い様だったら、そこは対等な関係。卑屈になることはない。
これがもともとの日本の文化ではなかったのかな?