ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

里山再生~ボランティア

2012年09月14日 18時24分54秒 | 田舎暮らし
里山再生とは人の金を当てにしない、人の無償奉仕を当てにしない、で自分たちでやることだと思う。
ボランティアはあくまで村の人たちが自立できるまでのお手伝い、
村の再生は村の人しか出来ないのだ。
「よそ者が勝手なことするな!」ではなく、
「再生のために・・・こんなことをしたいのだけど、手伝ってほしい!!」
というのが正しい姿なのだ。
でも現実、ボランティアの人たちをあまりに当てにしすぎているのではないだろうか??
ボランティアの人たちは別に里山が廃村になったってすこしも生活に困らない。
やる気をなくしたら去っていく。
学生は就職したら去っていく。
それをどうして非難できるだろうか?

だからボランティアはお客様、「やらせる」のではなく「やってもらう」なのだ。
そこには感謝の気持ちがないといけない。
ところが「えっ、予算がない?そんなものボランティアにやらせとけばいいじゃんないか!」
というとんでもない役人がたまにいる。
どうやらボランティアをただ働きする使用人だと思っているらしい。
とんでもない!!と言いたい。
アホかと言いたい!!
ボランティアの人たちに対して感謝の気持ちを忘れてはいけない。
本当は自分たちがやらないといけないことを、自分たちの代わりにやってくれているんだから。
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里山再生~延命医療

2012年09月14日 17時56分43秒 | 田舎暮らし
里山の再生って、もしかしたら延命医療をやってるだけなのでは?と、時々思う。
いくらイベントをして都会から人を呼び寄せても活気付くのはその日だけ。
翌日にはまたひっそりとした村に戻る。
そして残るのは主催者やスタッフの自己満足と疲労だけ。
いくら補助金や寄付金をつぎ込んでも・・・
ボランティアの人たちの無償奉仕があっても・・・
ほんの数年間、廃村になるのを伸ばすだけではないだろうか?
そんなことをして、日本のほんの、ほんの、一部の里山の再生が出来たとしても、
長期的にはほとんどの集落が廃村になるのは避けられない。
それなら延命医療を拒否して村の死を見届けるのが本当は正しいのではないだろうか?
「郷に入りては郷に従え!」とか「よそ者が勝手なことするな!」とか言ってよそ者を排除する人たちは、
もしかしたら延命医療を拒否するという、
よそ者を頼りにしないで自分たちだけで暮らしていくという、
それはそれでりっぱな姿勢なのではないだろうか?
もっともその一方で「補助金をもっとよこせ!」と考えてるとしたらそれはちょっとどうかな?とは思うけど・・・
でも近頃本当に思う、
里山の再生って無駄なことではないかな、と・・・・・・
コメント (4)
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