
端島(はしま)は長崎の外港の島々の中でもっとも遠い端にある島
軍艦に似てるので軍艦島ともいわれている。
乗客はそこそこ多かった。
それでも多分定員の半分もいないだろう。
遠いところから来た人が多かったようだ。

船が港を出るとすぐに東山手、南山手が見えてくる。
(写真の右手の丘が南山手)
ここは外国人居留地だったところ。
こどもの頃は荒れてはいたけどまだちらほら人が住んでいた。
今はグラバー苑として一箇所に集められた死んだ町。
死んだ町を見ても少しも楽しくない。
それに観光客でごった返す南山手よりはしっとりした東山手の方が好きだ。
写真左に大きなとんがり屋根が見えるけどこれは洋館でもなんでもない、
東京の電鉄系のホテル。
景観を乱すまいとしてこんな形にしたのだろうけど、隣に小さく見える国宝・大浦天主堂にまるで「勝った!」と言ってるようだ。
普通のビルだったらそれほど違和感はなかったのに、変に細工をしたばかりに景観をまったく台無しにしている。
それに大浦天主堂から見る長崎港は昔は絵葉書などになる絶好の景観だったのだけど、今ではこのホテルに邪魔されて見ることが出来ない。
このホテルが出来てからもう40年近く経つ。
愚劣さの象徴としてこのホテルを永久保存してほしいものだ。
長崎港は鶴の港と言われてきた。
その形が鶴にそっくりだったからだ。
でも今では誰も港を見ても鶴を連想する人はいないだろう。
埋め立てられて港はずいぶん狭くなった。
もうこれ以上埋め立てて港を破壊しないでほしい。
南山手の対岸は三菱重工の造船所。
長崎は三菱の城下町。
三菱造船・三菱電機・三菱製鋼の3社でもっていた。
でも造船の凋落とともに長崎の町も凋落していった。
造船所にはタンカーと自衛隊のイージス艦が修理の為に入っていた。
イージス艦の写真を撮ったけど、軍事上の機密保持の為にあえてここには載せない。
(本当は手振れで撮るのを失敗しただけなのだけど)

まもなく最近出来た女神大橋をくぐる。
この橋を過ぎると外港。
美しい島々が現れる。