江戸川乱歩全集を読むのを途中でやめて、今宮沢賢治全集を読んでいる。
どちらも読むのは中学以来だ。
江戸川乱歩を読むのは少年探偵団物はせいぜい中学生まで、
大人向きの物もせいぜい20代までではないだろうか。
でも宮沢賢治は今読んでもとても面白い。
本当の名作というものはやっぱりどんな世代の人にも愛される作品を言うのだろう。
ただいろいろ本を読んだ後で宮沢賢治を読むと、短編作家だったことが惜しまれる。
「グスコーブドリの伝記」にしても「ポラーノの広場」にしても長編小説のあらすじを読んでいるような気になる。
今まで日本の小説というと短歌や俳句の影響だろうか、文章を短く切り詰め、大河小説でなくもっぱら短編小説ばかり。
でももう志賀直哉の時代は終わった。
今ではものすご~く長い小説を書く人もいる。
大河小説の伝統は「源氏物語」以来もともと日本にもあったものだ。
「平家物語」も長いし、滝沢馬琴は大河小説作家だといってもいいだろう。
シェークスピアだって(特に喜劇は)駄弁だ。
駄弁作家だ、駄洒落作家だ。
でも駄弁は決して悪いことじゃない。
言いたいことを言うには、書きたいことを書くには、それ相当に言葉が字数がいる。
短編を読むとそこらへんがむずがゆく感じる。
今、宮沢賢治全集を読んでいる。
むずがゆく感じながらも面白く読んでいる。
どちらも読むのは中学以来だ。
江戸川乱歩を読むのは少年探偵団物はせいぜい中学生まで、
大人向きの物もせいぜい20代までではないだろうか。
でも宮沢賢治は今読んでもとても面白い。
本当の名作というものはやっぱりどんな世代の人にも愛される作品を言うのだろう。
ただいろいろ本を読んだ後で宮沢賢治を読むと、短編作家だったことが惜しまれる。
「グスコーブドリの伝記」にしても「ポラーノの広場」にしても長編小説のあらすじを読んでいるような気になる。
今まで日本の小説というと短歌や俳句の影響だろうか、文章を短く切り詰め、大河小説でなくもっぱら短編小説ばかり。
でももう志賀直哉の時代は終わった。
今ではものすご~く長い小説を書く人もいる。
大河小説の伝統は「源氏物語」以来もともと日本にもあったものだ。
「平家物語」も長いし、滝沢馬琴は大河小説作家だといってもいいだろう。
シェークスピアだって(特に喜劇は)駄弁だ。
駄弁作家だ、駄洒落作家だ。
でも駄弁は決して悪いことじゃない。
言いたいことを言うには、書きたいことを書くには、それ相当に言葉が字数がいる。
短編を読むとそこらへんがむずがゆく感じる。
今、宮沢賢治全集を読んでいる。
むずがゆく感じながらも面白く読んでいる。