夏の季節に蟻は田畑を歩きせっせと小麦や大豆を集め回った。
それを見た甲虫、「みんながのんき過ごしてる時に精が出るんだね」と笑った。
蟻は何にも言わないで、ただただせっせと黙々と食べ物を集め続けた。
そして冬が来て大雨で牛の糞が流されたとき、
甲虫は飢えて食べ物のおすそわけを蟻に願いに行った。
蟻は言った
「ねえ、甲虫さん。あなたが私を笑ったときあなたが働いてたらこんなことにはならなかったでしょうにね」
この話の教訓にイソップはやっぱりイソップらしく、
盛ん時将来のことを考えない人は時節が変わった折りにひどく不幸なめにあうものです、と締めくくっている。
そこでこの話、ぐうたら百姓らしくついつい突っ込みたくなる。
でもその前に、
この話は「蟻とキリギリス」という話で知られている。
蟻がせっせと働いてる時キリギリスはバイオリンを引き遊んで暮らしていた。
そして冬が来て困った困った・・・という話。
あるいは「蟻とセミ」という話でも知られている。
やっぱり冬が来て困った困ったという話。
でももともとは「蟻と甲虫」。
甲虫ってカブトムシ?
でも牛の糞が流されて困った困った・・・というと、
きっと甲虫とはカブトムシではなくコウチュウ。
きっとカブトムシなどを含む甲虫類、
それも糞を食べて生きるダイコクコガネやフンコロガシやエンマコガネだったのだろう。
でもそれはまあどうでもいい。
問題は最後は蟻が甲虫の生き方を笑ったという話。
蟻は1年以上生きる。
でもカブトムシは、他の甲虫類もたいていそうだけど・・・、
1年くらい土の中で冬眠生活を終わった後、地上に出てわずか2か月くらいしか生きられない。
残されたわずか2か月!
残された時間を、今までできなかったことを精一杯やって終わりたい!と誰でも思うだろう。
仕事を辞め、精一杯旅行や趣味に時間を使いたいと誰でも思うだろう。
これを非難できる?
人はみな違う。
皆好きなように生きたらいい。
蟻の生き方もカブトムシの生き方もみな正しい。
それを見た甲虫、「みんながのんき過ごしてる時に精が出るんだね」と笑った。
蟻は何にも言わないで、ただただせっせと黙々と食べ物を集め続けた。
そして冬が来て大雨で牛の糞が流されたとき、
甲虫は飢えて食べ物のおすそわけを蟻に願いに行った。
蟻は言った
「ねえ、甲虫さん。あなたが私を笑ったときあなたが働いてたらこんなことにはならなかったでしょうにね」
この話の教訓にイソップはやっぱりイソップらしく、
盛ん時将来のことを考えない人は時節が変わった折りにひどく不幸なめにあうものです、と締めくくっている。
そこでこの話、ぐうたら百姓らしくついつい突っ込みたくなる。
でもその前に、
この話は「蟻とキリギリス」という話で知られている。
蟻がせっせと働いてる時キリギリスはバイオリンを引き遊んで暮らしていた。
そして冬が来て困った困った・・・という話。
あるいは「蟻とセミ」という話でも知られている。
やっぱり冬が来て困った困ったという話。
でももともとは「蟻と甲虫」。
甲虫ってカブトムシ?
でも牛の糞が流されて困った困った・・・というと、
きっと甲虫とはカブトムシではなくコウチュウ。
きっとカブトムシなどを含む甲虫類、
それも糞を食べて生きるダイコクコガネやフンコロガシやエンマコガネだったのだろう。
でもそれはまあどうでもいい。
問題は最後は蟻が甲虫の生き方を笑ったという話。
蟻は1年以上生きる。
でもカブトムシは、他の甲虫類もたいていそうだけど・・・、
1年くらい土の中で冬眠生活を終わった後、地上に出てわずか2か月くらいしか生きられない。
残されたわずか2か月!
残された時間を、今までできなかったことを精一杯やって終わりたい!と誰でも思うだろう。
仕事を辞め、精一杯旅行や趣味に時間を使いたいと誰でも思うだろう。
これを非難できる?
人はみな違う。
皆好きなように生きたらいい。
蟻の生き方もカブトムシの生き方もみな正しい。