ペドロランド日記

スペインの国際村「ペドロランド」を中心にフランスとイギリスに発信地を移しながら、日々の出来事を綴っています。

バルセロナ小旅行

2016-03-22 17:07:21 | 旅行
バルセロナ小旅行


28年ぶりにバルセロナを訪れた。目的は、サッカー観戦。サポーターズ仲間と一緒だったが、私たちだけ一泊延長して、試合観戦後、バルセロナ観光を楽しんだ。

1992年のオリンピックを経て、バルセロナはずいぶんと変わったものだ。胡散臭いけど、活気のあった昔の雰囲気が懐かしいが、綺麗でおしゃれになった。

今どこにいるかと言うと…

2011-05-26 15:24:18 | 旅行
ご無沙汰しました。

今、イギリスにいます。5月4日(水)にスペインの家を出発し、北スペインのパンプローナの近く、タファリャに一泊した後、5日(木)にスペインの家に到着した。フランスに10日間滞在した後、5月16日(月)にフランスの家を出発し、サンマロで一泊して、イギリスのトレーラーハウスに翌火曜日に到着し、10日間が経とうとしている。

まずは、スペインはタファリャの話から。



スペインの家からフランスの家までの道のりの中間点に当たるのがサラゴサ。タファリャはそよりちょっとフランス寄りということで、地理的な理由だけで選んだ。典型的なスペインの町だと思う。夕方5時頃、広場に行ったら、ものすごい数の子供がいた。こんなに大勢の子供を一度に見たのは初めて。広場の周りのカフェでは、子連れのお母さんたちがコーヒーを飲みながら、おしゃべりをしていたりする。

ホテル・ベレッチャは3つ星ホテル。ダブルルーム一泊82ユーロ、駐車場代1日8ユーロ。駐車場は狭くて、出入り口は動きが取れないので、よっぽど運転に自信がある人以外にはお勧めできない。ホテルの部屋自体はエアコンも寒いくらいよく効いているし、バスルームのアメニティーも充実していて、清潔で文句なし。

ナバラ地方の公用語はカスティリア語だが、ホテルの名前でもわかるように、この辺りではバスク語も広く話されているようだ。



夕食はホテルのレストランで。ワイン付きで15ユーロの日替わり定食はお得であった。一泊82ユーロはちょっと高いと思ったが、夕食の安さで挽回。スペインでは当然のことだが、レストランは午後9時にならないと開かないのだった。スペインのイギリス人地域に長く住んでいるとつい忘れてしまう事実である。

わたしは、メインコースにチュラスコを注文した。チュラスコというと、南米帰りの日本の友人が料理してくれたブラジル名物を思い出すのだが、スペインでは豚肉をはじめ、グリルした肉一般を指すらしい。炭火の風味がして、さっぱりしておいしかった。付け合せは赤ピーマン。これがメインというと、ボリュームが少ないようだが、前菜がパエリャやスパゲティなど炭水化物中心の選択肢なので、十分。メインに必ずイモを付けてボリュームを出すイギリス料理とは違う。

エル・ウエルターノで食べ損なったウサギとアーティチョークのパエリャは、昼食に止まった高速道路沿いのレストランの日替わり定食で食べることができた。ウサギ肉は小骨が多い。危うく、歯の詰め物を失うところだった。ここの定食は12ユーロで、ワインがテーブルに1本付く。一人で食べても1本。しかも、水差しなどに入ってくるのではなくて、真新しいボトルがそっくり出てくる。たぶん、1本1ユーロくらいの安いワインだろうが、飲み残しはどうするのだろうかと、貧乏性のわたしは心配するのだった。

ベルジュラック

2010-10-09 17:03:04 | 旅行

今日のフランス・ドルドーニュ地方の天気はときどき

 

 

 

ベルジュラックは、我が家から40キロほど離れたところにある。美しい町だと聞いていたが、近くにありながら、誤って市の立つ日に車を乗り入れてしまった以外は、行ったことがなかった。夏のホリデーシーズンも終わった木曜日に、ベルジュラックを訪れてみることにした。

見所は、古い市街地のようである。勝手がわからず、市役所前の駐車場に車を止めて、歩いてみたが、川岸の駐車場に車を止めて、そこから、古い市街地に入るのが、ベストのよう。

14世紀の家というのもあって、古い市街地に並ぶ家々は美しかった。ベルジュラックといえば、シラノであるが、映画館の名前がシラノ、マツダのディーラーがシラノという名前だった。


カトリック王フェルナンドの食卓

2010-07-23 12:44:49 | 旅行
今日のフランス・ドルドーニュ地方は一時ちょっと涼しくなって今日の最高気温は23度。

パラドールの特色のひとつは、レストランのお国自慢メニュー。レストランの内装は中世の雰囲気をかもしだしているところが多い。最近は、それぞれのパラドールで、30ユーロ弱で中世の食事を一口ずつ試すことができるメニューを用意している。ウェートレスやウェーターは民族衣装に身を包み、雰囲気たっぷり。ソス・デル・レイ・カトリコの中世メニューは、"La Mesa de Fernando El Cato'lico"と名づけられている。

まず前菜は、地元独特のパンに、ひよこ豆のクリーム(フマスそのもの)にいわしのマリネを添えたもの。それに、子ヤギのパイ、ムーア風ナス(キッシュみたい)。もう一品メニューにないものがついていた。これは何なのか不明。子ヤギのパイはとてもおいしくて、これだけ大きなサイズにして、メインとして出してもいいくらい。



次は、ポリオル"Porriol"鍋ということだが、要するにリークのスープ。なぜか油揚げの味噌汁を連想する味だった。

メインは、出てきただけで驚き。



要するにチキンのシチューなのだが、プレゼンテーションが変わっている。上に添えられているのは、ゆで卵の黄身。味付けは、白ワインに鳥のだし、アーモンド、ニンニクとローストしたサフランだそうな。

正餐が終わった後、これに使われたパンは貧しい人々に配られたということである。現在のパラドールでは、空洞にしたパンの中身は、ミガス(パンくずを揚げたスペインの伝統料理)に使われているに違いない。このパラドールにもミガスがアラカルトメニューにあり、しっかり翌日の朝食のビュッフェにも含まれていた。

デザートは、梨のコンポートのシナモンソース添え。



これはアラカルトメニューでもデザートとして選べるのだが、フルーツだからベジタリアン向きと思ったら大間違い。肉のストック、アーモンドとシナモン入りの牛乳で梨を煮てあるそうだ。仕上げにはバラの香りが付けられている。

最後に給仕長と思われる若い男性(スペイン人ではなくて、東欧人のようだった)が、このメニューの解説が英語とスペイン語の両方で書かれたパンフレットを持ってきてくれた。



簡単なレシピーも含まれている。アラゴン地方の料理の特色は、ムーア人(イスラム教徒)とユダヤ人の影響を受けていること、特にシナモンやサフラン、ナツメグなどのスパイス類がふんだんに使われていることらしい。

その後、隣のバーで無料のコーヒーをいただくことができた。

オリーテのパラドールは3つ星だったのに対し、ここは4つ星。設備もずっとすばらしく、内装も実に品がよく、センスもよかった。部屋もオリーテより大きく、バスルームもシンクを2つ備えて、豪華。料金はオリーテより安かった。レストランの中世メニューの内容(値段は均一のようだ)もオリーテよりよかったが、アラカルトメニューの値段はオリーテよりも高かったようだ。幹線道路より40キロほど外れることになったが、それだけの価値はある一泊だった。




ソス・デル・レイ・カトリコ

2010-07-20 15:12:20 | 旅行
今日のフランス・ドルドーニュ地方は31度



スペインの我が家からフランスの我が家へと移動する途中で、パンプローナの南東約40キロのところにあるソス・デル・レイ・カトリコ(カトリック王のソス)という小さな村のパラドールに一泊する。ナバラ地方のパンプローナのほうに近いものの、行政区としては、アラゴン地方のサラゴサに属する。ここは、昔ナバラ王国による侵略に対するアラゴン王国の防御最前線となった5つの村の1つである。名前は、カスティリヤ王国のイザベラ女王と結婚し、二国を統合することで、スペインの基礎を作ったアラゴン王国国王のフェルナンド5世がここで生まれたことにちなむ。端から端まで15分くらいで歩けてしまう山の上の小さな村(標高619メートル)。

村全体が国の文化財に指定されていて、自分の家といえども、勝手に手を加えることができないそうだ。パラドールは城や修道院などの歴史的建物を改装したものが多いが、ここのパラドールは近年になって建てられたものらしい。が、周りの建物にあわせて、アラゴン風の建築様式を保っている。

写真は、パラドールから望んだ村(左上)、町並み(右上)、教会入口(左下)、修道院を改装した村役場(右下)



ソスで見つけた謎の銅像。映画監督のようだ。2つ並んだ椅子のうち右側はスペインの女優の名前が入っている。有名な女優ではないようだが、レコンキスタという映画に出演していることから、フェルナンド5世にちなんだ縁か?




夏のスペイン

2010-07-16 18:34:37 | 旅行
6~7月をスペインで過ごすのは4年ぶりくらいのことだ。いかに暑いかを忘れていた。

6月12日にフランスからスペインに来たときには、いつもは茶色で退屈なスペイン中央部の風景が緑に変わっているのが新鮮だった。ここ数年フランスとスペインへの移動には、サラゴサを経由する北スペイン横断ルートを取っているのだが、スペインからフランスへの移動は3月、フランスからスペインへの移動は10月だったので、6月のスペインを見るのは久々のこと。この時期には、不毛だとばかり思っていた大地に小麦と思われるものが栽培されていた。高速道路の中央分離帯および沿道には、北スペインではエニシダが咲いていて、南下するにつれて、次第に赤・白・ピンクのオリアンダー(セイヨウキョウチクオウ)が見られるようになった。

その1ヵ月後に再び同じ道を北上すると、穀物の収穫が終わったようで、緑は茶色に変わり、オリアンダーの花が北上していた。6月中旬にエニシダが咲いていたところがオリアンダーに代わっている。よく見ると、枯れたエニシダの枝の下からオリアンダーが咲いているところもあった。

今回の道中泊は、牛追いで有名なパンプローナから40キロほど離れた、ソス・デル・レイ・カトリコのパラドール。北スペインはさぞかし涼しいであろうと期待していたが、到着してみると気温は28度であった。やっぱりここも暑い。



オリーテ

2010-06-21 18:14:11 | 旅行
今日のペドロランドは

スペインに到着して1週間。先週は月曜日から3日間雨だった。近年ペドロランドの天気はおかしい。昔は、4月頃に夏が来たと思うと、9月中旬くらいまで毎日30度以上の晴天が続いたものだったが、最近は実に変わりやすい。先週後半からやっと晴れて暑くなった。

さて、これはフランスからスペインに移動する道中に1泊したオリーテの写真。



オリーテのパラドール(スペインの国営宿泊施設)に泊まったが、受付・食堂部分は城の一部となっている。この中世の城は、1500年代にナバラの国王カルロス3世によって建てられた。

この日は、城の隣のサンタ・マリア教会で結婚式が行われることになっていたようで、町中に「結婚免許皆伝」という文字と一緒に博士帽にマント姿の新郎の写真の印刷されたポスターが貼られており、バーでは、新郎の同じ写真をプリントしたオレンジのティーシャツを来た若い男性たちのグループがたむろっていた。近くのホテルからは着飾った男女が現れてくる。

この晩はイングランドのワールドカップ初試合。ホテルにチェックインすると、まっさきに部屋のテレビチャンネルをチェックする。デジタル放送・衛星放送完備で、スポーツチャンネルも充実しているので、絶対にイングランドの試合は見られるだろう。午後8時半のキックオフに備えて、7時に食事をする予定で、ホテルのレストランをチェックする。が、レストランが開くのは8時半からであった。近くのレストランを探すが、どこもみな8時半開店。スペイン人は夕食を取るのが普通9時からと遅いのである。すっかり忘れていた。

幸いイングランドのゴールは開始4分後にやってきた。最初の30分を見た後、レストランに行って食事をする(次の記事)。

右下の写真の黒いピラミッドは、オリーテ版ルーブル美術館のつもり?


聖ヨハネの火祭り

2009-06-30 12:45:15 | 旅行
6月24日は洗礼者・聖ヨハネの日で、前夜にはあちこちで火祭りが行われる。昨年は、フランスのわが村、サン・マルシャルでも焚き火とお食事会が行われた。スペインのアリカンテでは、サン・フアンの火祭りとして、1週間くらい毎晩ストリートパーティーやら、行列やらお祭り行事が行われる。

6月23日は、アンドラ・ラ・ヴェリャでも、午後から爆竹が鳴り響き、とてもうるさかった。公園ではコンサートや花火大会などもあったようだ。

わたしたちは翌朝6月24日の朝、フランスの我が家に向けて出発したが、この日は一部祭日ということで、交通量も少なく、スムーズにアンドラを脱出した。

アンドラの建物

2009-06-30 12:44:00 | 旅行
アンドラには、スレートの屋根に石の建物が多い。重苦しい感じがして、アンドラ風の建物は好きではないと夫は言うが、グレーのスレートの屋根は雪景色に映えてとても美しいだろうとわたしは思う。

写真はアンドラ・ラ・ヴェリャのサン・エステベ教会。この中には、アンドラのロマネスク様式の教会のミニチュアが飾られていて、たいへん興味深い。

アンドラの食べ物

2009-06-30 12:42:29 | 旅行
アンドラでは、ホテルで2食、ホテルの近くのバーで2食しかしなかったのだが、ほかのレストランのメニューなどを見ると、スペインの影響が強いように思った。特に、タパスはあちこちで見かけられる。それも、トルティージャ(スパニッシュオムレツ)やパタタス・ブラバスなどのようなスペインのタパスの定番は必ず含まれている。パエリャも人気。

バーでは、夏のこの時期、あちこちでオルチャータを宣伝中で、スペイン(特にバレンシア地方)に帰ったような気分だった。

ウェイトレスなどサービス業についているのは外国人が多いようで、話をした若いウェイトレスは、ロシア人とポルトガル人だった。どちらも、英語はあまりできなくて、スペイン語かフランス語ならということだった。

若い人が多くて(特にフランスの田舎に住んでいると平日の日中若い人を見かけることは滅多にない)、この国の将来は安泰だという気がした。もっとも、外国人も多いに違いない。この国には、ヒッピー的な雰囲気も漂っているのだが、それはスキーリゾートのせいかもしれない。夏は仕事をして金を稼ぎ、冬はスキー三昧なんていう若者も多いのだろう。