ペドロランド日記

スペインの国際村「ペドロランド」を中心にフランスとイギリスに発信地を移しながら、日々の出来事を綴っています。

国中が免税店

2009-06-30 12:41:47 | 旅行
アンドラの通貨はユーロ。間接税は4パーセントで、関税はないのか、関税率が低いのか、タバコ・香水・ガソリンが安い。とにかくガソリンスタンドと香水店の多いこと。国全体が免税店のようだ。

観光案内所でもらったパンフレットによると、人口は83,000人で、レストランの数は350、店の数は2,000。ホテルの合計床数は37,800。

このパンフレットによると、店の開店時間は、月~金午前9時半から午後8時まで、土・8月中は午前9時半から午後9時まで、日曜・祭日も営業となっているが、わたしの見た感じだと、午後1時半~4時まで休業のところが多いようで、そういう意味ではスペインに近いようだ(フランスは正午~午後2時)。

駐車場も多かった。そして、警察官や交通監視員(写真・カラフルな制服がかわいい)も多くて、警察官が街角で交通誘導をしている姿もよく見かけられた。

アンドラという国

2009-06-30 12:34:05 | 旅行
実は全然予習をしないで行ってしまったのだが、どうしてプリンシパリティ(公国)なのに、プリンス(大公)がいないのだろう?宮殿もないみたいだし、と滞在中不思議に思っていた。モナコのようなおしゃれな大公一家のいる公国を想像していたのである。

帰ってきてインターネットで調べたら、アンドラの国家元首は、フランス大統領とスペインのウルヘル司教の共同元首だそうだ。1993年にフランスから独立。なんだかもっと前からあったような気がしたが、意外にも新しい国なので驚いた。

観光案内所でいただいたパンフレットによると、アンドラはカタロニア語を公用語とする世界で唯一の国であり、スペイン語とフランス語、英語も使用されているということだ。

わたしにとって最初に出会ったアンドラ人は、トンネルの料金所の女性だったのだが、「ボンジュール」と呼びかけると、「オラ」と返された。で、それからはスペイン語に切り替えることにした。レストランのメニューなどは西語・仏語・英語の3カ国で書かれていることが多いが、英語はそれほど通じない。もっとも、「英語はちょっとしかできない」と言う人がとても上手だったりして、半分は謙遜かもしれない。

首都、アンドラ・ラ・ヴェリャの中には、フランスの郵便局が大きな建物を街中に構えていたり、街角にアンドラの郵便ポストとスペインのポストとが並んでいたり(写真)、なかなかおもしろいお国事情だった。

アンドラへ

2009-06-30 12:31:54 | 旅行
今日のフランス・ドルドーニュ地方は最高気温34度

先々週の土曜日から4泊5日で、南フランスからアンドラにかけて旅行した。スペイン国境に近いペルピニャンに、イギリスの知人が貸し別荘を1週間借りたので、遊びに来ないかというお誘いがあったため。ついでに、ちょっと足を伸ばして、ピレネー山脈の真ん中にある小さな公国・アンドラに行くことにした。

ペルピニャンで2泊した後(風がとても強かった)、アンドラまでは130キロほどの道のりなのだが、これが実に5時間もかかった。まず、途中、フランス国内で交通渋滞にあう。原因は、鉄道の踏み切りの遮断機が下りたまま、上がらなくなってしまったため。1時間近くして、やっと警察と鉄道会社の車が来て、車の列が動き始めた。なんのことはない、鉄道会社の人が、遮断機の棒を「うーん」とがんばって自力で持ち上げている間に、警察官が片側ずつ交互に車を誘導するという、ごく原始的な解決方法であった。これを編み出すのに1時間もかかったわけである。フランスの非能率的さと対応の遅さには呆れてしまった。

その後は、ピレネー山脈沿いの曲がりくねった道。景色は美しいが、時間がかかってもなかなかアンドラへの距離が縮まらない。おまけに、夏のウォーキングと冬のスキーが観光シーズンとなっているこの辺りでは、その合間の今が道路工事のピーク時らしくて(天候もいいし)、あちこちで工事のため片側通行の交通規制が敷かれていた。また、金を払ってトンネルを利用したら、出口で道路工事のための迂回路が設定されていて、せっかくトンネルを使って避けた山道を半分くらい戻ったのではないだろうか。

アンドラ公国内に入ると、さすがにシーズンオフのため、静かだなと思ったのもつかの間、首都、アンドラ・ラ・ヴェリャに向かう唯一の幹線道路が渋滞。ここでまた1時間近く、動かぬ車の中で座っていた。原因は交通事故。

やっと予約したホテルを探し当てたときには、ぐったり。ホテルの部屋で一息ついた後、夕暮れのアンドラ・ラ・ヴィリャの街をほんのちょっと、ホテル界隈を散歩する。

サン・ジャン・ド・コル (4)

2009-05-22 17:49:04 | 旅行
もう1つの見所の教会は11世紀末の建立。幸いこれは、イギリス人の手を逃れたようである。

というわけで、緑のペリゴールへの日帰り旅行はおしまい。ペリゴール地方は、色別に4つに分かれていて、北部に当たるこの辺りはペリゴール・ヴェールと呼ばれる。森や牧草地が広がることからこの名前が付いたらしい。ちなみに我が家は、白に含まれるようだ(紫にもとても近いけど)。灰色・白の石灰岩からその名前の由来とのこと。

サン・ジャン・ド・コル (3)

2009-05-22 17:32:57 | 旅行
家々は美しいのだが、まるで映画スタジオのように生気がなくて、人工的な感じ。たぶん、小さな村にしては、妙に広い道のせいだろう。昔は、ここはノントロンからティヴィエに向かう幹線道路に当たり、乗合馬車や馬が行きかったそうだ。だから、現在のひっそりとした村には似つかわしくないほど道路が広いのかもしれない。

サン・ジャン・ド・コル (2)

2009-05-22 17:31:51 | 旅行
教会前のバーにて、冷たいビールで一息。ラ・ペルラ(スペイン語で「真珠」)という名のタパス・バーである。客は、赤ん坊連れのフランス人夫婦、3人組のオランダ人観光客にわたしたち夫婦だけ。外のテーブルに着いても、ウエイターが注文を取りに飛んでくるわけでもなく、実にのんびりしていた。

観光協会の事務所に頼めば、城の門を空けてくれるそうなのだが、その事務所は閉まっているので、塀の外から眺めるだけ。夏の観光シーズンになれば、この事務所は開くのだろうか?

サン・ジャン・ド・コル (1)

2009-05-22 17:29:39 | 旅行
ブラントームで昼食を取った後、そこから10キロほど北東に向かったサン・ジャン・ド・コル(St Jean de Cole)という村に足を伸ばす。Coleは川の名前らしい。去年訪れたオーブテールと同様、この村も「フランスでもっとも美しい村の一つ」に選ばれているようである。人口は340人だそうだ。

ここの見所はその町並み(「フランスでもっともすばらしい屋根」の栄冠にも輝いたとのこと。航空写真がないのが残念。)のほかに、城と教会である。城はもともと12世紀に建てられたが、百年戦争中にイギリス人に焼かれて、現在の建物は15世紀に再建されたものだそうである(と、村の英語サイトに書いてあった。どんな気持ちでこの文をイギリス人に向けて書いたのであろう?)。

ブラントーム(3)

2009-05-20 13:33:37 | 旅行
本格的な夏のツーリストシーズンになったら、さぞかし混むのだろうなという感じ。この日もフランス人生徒の遠足やら、イギリス人の観光客などが見られたが、わりとのんびりしていた。町は思ったよりずっと小さい。あっという間に中心地を一回りしてしまった。

ブラントーム(1)

2009-05-20 13:32:05 | 旅行
昨日の天気はのち

フランスに来て1ヶ月ちょっと。昨日は我が家から50キロほど離れたブラントーム(Brantome、oの上に三角屋根がつきます)までドライブをした。ブラントームは別名「ペリゴール地方のベニス」と呼ばれ、町の中心をドロンヌ川が囲む。