星くず雑記

日々の出来事は煌めく星くずのように…

裁判所に傍聴に行ってきた

2011年06月22日 16時24分37秒 | 社会
東京裁判所に、社会科見学に行ってきました。

東京の場合、同じ建物に
・東京高等裁判所
・東京地方裁判所
・東京簡易裁判所
が入っていて、
さらに知的財産権高等裁判所やら、
東京検察審査会(第一〜第六まで)やら
法務関連の様々な組織があります。

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節電のため、館内は薄暗く、かえって厳かな緊張感ある雰囲気でした。

傍聴は、自由に出入りできるので、
1階でためになりそうな裁判を探して、
各階の法廷に出向きます。

それにしても、実に裁判の多いこと。
当たり前と言えば当たり前なんですけどねw

まずは、サラ金トラブルの法廷(地裁)へ。
これが、実に多い!
同じ裁判官が、連続してたくさんの事案を扱います。

次に、刑事事件の法廷へ(高裁)へ。
判決を連続して3つ傍聴しました。
幸か不幸か、どれもエグい犯罪ではなかったのですが、
なんと言うか、哀れですね。

刑事事件の被告は、手錠をはめられ縄をかけられて出廷するのですが、
傍聴席には、私のような学生と、
傍聴マニア的な女性と、観光客がちらほら。
誰も、事件の直接の関係者ではありませんが、
裁判になるとこういう人たちに傍聴されてしまう。

刑事にしろ、民事にしろ
できるだけ裁判所のお世話になりたくないなと思いました。

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帰りは、隣の赤レンガ棟へ。
無料の展示スペースがあるのです。

そこで、昭和22年まで使われていたと言う法服が
展示されていました。
これが、奈良時代の冠風の帽子をかぶっていたんですね。
今の法服も、どことなく和服風で悪くないとは思いますが。

とてもためになった一日でした。

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2008年8月15日の靖国参拝記

2008年08月16日 08時56分25秒 | 社会
下着はおろか、Tシャツまで汗でぐっしょりする暑さだった。
2008年8月15日、玉音放送から63年目の夏…



10時頃、九段下駅に到着。人が沢山いる。
機動隊員もおり、物々しい雰囲気だ。
恐らく、左翼テロリストに備えているのだろう。

地上、靖国神社へ向かう道では、様々な市民団体・個人がビラを配布している。
新追悼施設反対・外国人参政権・チベット・台湾関連の署名運動、
そして自分たちの考えを書いた冊子や新聞も…



ネットで既にその活動を知り、趣旨に賛同できる団体には、
思わず「頑張って下さい」と声をかけてしまった。


正面の参道から境内に向かう。
横には沢山のバスが停車していた。
バスに内部付けられた札を見ると、それらは各県からの遺族会の方々であった……



手水場で身を清めて、境内に入る。
神社内の日章旗(日の丸)は全てが半旗。
しかし日章旗を掲げ黒い服で統一した右翼団体は異質だった。
写真撮影は禁止とのことだが、こっそり撮影している個人はたくさんいた。

お賽銭を投げ入れ、二礼二拍手して祈る。
非常にシンプルな願いだ。
日本国が道を誤たぬよう、どうかお力をお貸しください」と祈った。
道を誤るとは、民族の伝統・文化を軽視した売国行為、
そして異様な愛国心によって戦争に突き進むこと
そのどちらもあってはならないと思う。
とにかく、靖国に英霊を増やしたくはない。

拝礼の列から離れると、遊就館方面に長蛇の列ができていた。
境内の桜が木陰を作り、ベンチに座って休息されるご老人も。
この桜の木は、恐らく奉納されたもので、色々な部隊の札がかかっている。
この日は、軍服を着たご老人がいらした。
一言声をかけて、写真を撮る若者(2-30代)が沢山。

正午までにはかなり時間があったので、帰ることにした。

休憩所?売店の前で、古い軍歌の冊子を開いて、
三味線の伴奏と共に歌うご老人がいらした。
軍歌を耳にしたのはその位。
声は小さく、音程も今イチだったけれど、その方は思いを込めて歌っていたのだと思う。

国歌が流れ、玉音放送が流れた。
おそらく、国民会議の方々によるものだと思う。
日本が大きく変わった日だ。胸が一杯になった。

参道脇、軍服を着たご老人が。
そして、古びた海軍の軍服を着て、軍刀を持って写真を撮ってもらう少年。
家族だろうか、あの古びた軍服にも思い入れがあるのだろう。

ただし、その場にいたモンペ・セーラー服・三つ編みの女性には
腹立たしい思いしか感じない。
帰り、駅で、こちらも旧海軍の礼装姿の青年とすれ違う。
コスプレするなら、コミケに行けよ
ご自身、ご家族の思い入れのある軍服なら、まだ分かる。
だが、靖国、それも終戦記念日のこの日は、コスプレをする日ではないはずだ。

サヨクの攻撃・右翼の崇拝、それぞれの対象になっているのは嘆かわしい。
自然な気持ちで、靖国に向かい合うべきではなかろうか。

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私はクリスチャンになれない

2007年12月15日 08時04分48秒 | 社会
昨日は、大学のクリスマス集会のようなイベントがあり、
サークルで賛美歌を歌ってきました。

考えて思ったのは、
私はキリスト教を信仰することは出来ない
ということ。
中高で聖書を習ったこともあり、興味を持ったので
一時期プロテスタントの教会学校にも通っていました。
そして、キリスト教に対して信仰は持てないという結論に至りました。

何故か。
ひとつは、ここ何年か神道に傾倒して
自然の中に神々が宿る、他宗教・異文化への寛容性
がやはり日本土着の宗教だけに、日本と言う風土に適しているし
日本で生まれ育った私には一番ピンと来るのです。

キリスト教は他者への愛や寛容を説き、教会に集う方も
驚く程親切で、優しい方が多い。
ところが、布教することがひとつの重要な事であり、
それは各地の土着の宗教・文化破壊に繋がるのではないか
という疑念がありました。
日本の場合は、幸か不幸か神道は何でも吸収してしまうのでw
クリスマスもキリストの生誕を祝うより
贈り物を贈り合い、家族をはじめ親しい人とごちそうを食べる日になっています。

ちなみに日本で特定の信仰を持っている人は非常に少なく、
神道×仏教(葬式)×キリスト教(結婚式)
となんでも混ぜこぜなため、宗教人口が非常に多い(2億人超)です。
無宗教(not無神論)と言っている人も、
ありがたいものは何でも信じる神道の寛容性…というか
おおらかさがベースだと思います。

講話の中で…
「もしも生まれたばかりのイエス様を
世界中の人が見られたら、争いごとは無くなるんじゃないかと…」

…それはない。

キリスト教は元を正せばユダヤ教の分派ですが、
ユダヤ教サイドから見ると、マリアは婚前交渉をしたふしだらな娘で
イエスは神の息子の名を騙る不届き者なわけで…
宗教とは関係のない次元で、赤ん坊を見て幸福な気持ちになれるのも
「宝子」という言葉が示すよう、子供を大切にする文化のある一部の地域だけでしょう。

布教と言う行為が、善意に寄るものなのは理解できますが
正直、余計なお世話と言う気もするのです。
それぞれの地域に、それぞれの風土に合った宗教(に類するもの)
が存在するので、何故それを認められないのでしょうか。
何故、唯一神とその息子が処女降誕したことを信じさせたいのでしょうか。
善意…だけでは十分な理由にはならないでしょう。

欧米(キリスト教)的民主主義を「布教」しようとするから
こじれにこじれ続けているのではないかと。
中東(イスラム教)的民主主義を確立するのに協力すれば、
少なくとも当面その地域の人々も幸福になれるのではないかと思うのです。

日本は、素晴らしいモデルケースでした。
国家神道と言う明治時代以来の異様な状況で、
戦争に敗北し連合軍の支配下に置かれました。
新たにもたらされた「民主主義」を歓迎して受け入れ、
むしろ連合軍…というよりアメリカに感謝し、武力抵抗も無く
欧米人にとっても、我々にとっても幸せだったでしょう。

だからといって、天皇をはじめ文化そのものを失ってはいませんし
パン食の新たな習慣や、クリスマスなる宗教行事を
融合してしまったのも、神道ベースの賜物かと。
もっとも、「日本的民主主義」は企業との癒着や、情にすがるなど
本来あるべき「民主主義」の姿とはかけ離れていますが…

クリスチャンの方も、キリスト教そのものも否定する気はないですが、
その理想と現実のあまりのかけ離れぶりに、
当面私は信仰を持つことは無いでしょう。

この結論に結びつくまで、7年間かかりました。
以前はキリスト教はおろか、神道・仏教さえもほとんど知りませんでした。
それぞれの宗教に対し、それなりの文献資料を読み
宗教施設を訪れて考えた結果です。

なんかすっきりした!

なお、キリスト教の讃美歌は大好きです。
あくまで、異文化、異教として、
キリスト教とその文化に対する敬意は
持ち続けると思います。
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