星くず雑記

日々の出来事は煌めく星くずのように…

令和6年3月スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』

2024年03月20日 11時26分21秒 | 歌舞伎
歌舞伎を観続けて幾星霜…
スーパー歌舞伎の初観劇でした。

思えば、一昨年春
團子の若武者ぶりに、澤瀉屋の将来を期待したもの。
現代的な長身でスタイルが良く
三代目猿之助と浜木綿子の容姿(華やかさ)、
父の聡明さを受け継ぎ、
従伯父の四代目猿之助に学んだならば、
どれほど素晴らしい俳優になるか、と。
(一般人の方なので写真は分かりませんが、
元CAのお母様も、スラリとした端正な方なのでしょう)

昨年の事件の直後、
代役を引き受けた彼の姿は鮮烈でした。
旦那二人(猿翁・段四郞)を一挙に失い、
若旦那一人は(四代目猿之助)長期的に舞台に立てず
もう一人の若旦那(中車)も事情あり、となった澤瀉屋を
潰さない、潰れないという存在感を示したのは、
天性のカリスマ性、華やかさを感じさせるものでした。

スーパー歌舞伎は、三代目猿之助が46歳で創始し、
・養成所出身者の活躍の場を開いた
・演劇の新ジャンルを築いた
・歌舞伎鑑賞の間口、ファン層を広げた
ものと認識しています。

とは言え、私のような保守的なファンにとっては
「三代目猿之助が新橋演舞場の方でやってる
古典歌舞伎とは違うもの」
という認識で、三代目が健在な当時から
今まで観たことはありませんでした。

一昨年になって初めて、
スーパー要素を排した、歌舞伎座『三国志』で
四代目猿之助の姿に涙を流して感動し、
やっとスーパー歌舞伎を観てみようかなと思った次第です。

私個人として仕事上の大失敗があり、
世界的にもウクライナ紛争開戦で辛く悲しい時期でしたから
「平和な国をつくる」というメッセージが、強く心に刺さりました。

三代目猿之助の映像を集めて観るようになり
もちろん『ヤマトタケル』も観ました。

その上で、新たな看板俳優である團子が主演となり
澤瀉屋が再スタートする本公演に足を運ぶことにしました。
本来、この時期の新作『鬼滅の刃』で主演となるはず、でした…

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あらすじに関しては多くを割きませんが、
古代史ファンとしては、
劇中の固有名詞や、歴史人物の描かれ方に不満もあります。
(例えば帝(みかど)ではなく、大王(おおきみ)か
天皇(すめらみこと)であるべきでは?等)

それを圧倒的な迫力で、
独特の世界観に引き込む魅力のある
脚本であるとも思います。

三幕は明らかに加筆されていましたが、
ワカタケルの場面は、かなり冗長になり、
余韻を損なうものでした。

最後のラインナップで、
帝とヤマトタケルが手を取り合って和解する演出、
帝は手を握り直していました。

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三代目猿之助がスーパー歌舞伎を演じていたのが
40-50代であったことを思えば、
20歳になったばかりの團子は、
圧倒的な若さと華やかさで、目を引きます

激しい立ち回りでも息を切らすことがなく、
(当時の)三代目猿之助が持ち得なかった
若さと長身は、圧倒的なアドバンテージであり
幸先の良い初主演だと思いました。

今回の團子の姿に、
歌舞伎のテクニックと、現代劇風の演出や
洋舞風の群舞を取り入れた、スーパー歌舞伎を
ゼロから創始した三代目猿之助の偉大さを
改めて感じました。

※ただし、もともと世襲や門閥によらない抜擢をしてきただけに、
事情が事情(三代目の病気療養が発端)とは言え、
結局世襲に落ち着かざるを得なかった、
いまの澤瀉屋を残念に思うファンの方がいるのも分かります。

いつまでも祖父や従伯父のコピー、
では無いと思いますが、歌舞伎界において
やはり先達の面影を感じさせる姿は
ファンにはたまらないものです。

また、この作品が世に現れたときの、
作り手(出演者やスタッフ)、
観客の熱狂を想像させます。
邦楽をベースにしたオリジナル音楽の情感に、
豪華な衣装は、古代日本というよりは
より広くオリエンタル・ファンタジー風で独創的。
また二幕の炎(焼津)や、荒波(走水)の、
フラッグや布を使った表現は、ミュージカル的であり、
これを歌舞伎と融合させるアイデアの斬新さ。

そして、俳優を志していた大学生、
香川照之青年が、どのような心境だったか…

また、その名を継いだ四代目猿之助の
葛藤にも思い至ります。

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日舞を始めたのも、歌舞伎界入りもやや遅く、
また学業との両立を家風とするだけに、
先に歌舞伎座主演を果たした
成駒屋の次男三男(中村福之助・歌之助)や
高麗屋の市川染五郎の後ろにいた團子ですが、
思いがけず主演と一門を「背負わねばならず」、
しかも圧倒的な光輝を放つのですから、
ショービジネスの一寸先は分かりません。

成駒屋の三兄弟(&児太郎)は
もっと活躍の場が開かれて欲しいものです。

また團子におかれても、
コストがかかり、ロングランしなければならない欠点を持つスーパー歌舞伎だけでなく
古典の舞台に立つ機会が失われないことを願います。

いつの時代の誰とは言いませんが、
実力が欠ける、と評される俳優、
それもビッグネームであればあるほど
情けないものはありませんから。

今回のヤマトタケルを観ながら、いずれ團子で
『双生隅田川』の最後の激しい舞踊など
観てみたいなあと思いました。

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團子に三代目の面影を重ねながら
スーパー歌舞伎が、
まるで(三代目猿之助の血を引く)團子の登場
待っていたかのような作品・ジャンル、と言いたいのですが
ここに至るまで、大勢の俳優たちが
スーパー歌舞伎文化を繋ぎ発展させてきた功績を忘れることはありません。

受け継がれて、上演を重ねたからこそ、
「三代目猿之助のやってる新しい何か」ではなく
(一過性のサブカルではなく)文化としての普遍性を持ち、
演劇の一ジャンルとしての地位を確立できたのです。

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昨年の四代目猿之助の事件は、
最終的に自殺幇助での判決となりました。

発端となったハラスメント疑惑はうやむやなまま。

本来、ハラスメントは、それぞれの組織・集団の中で解決すべきことで、
週刊誌の刺激的な記事で世に訴えるのは、
最終手段であるべきでした。

四代目猿之助が、演出やキャスティング、そして主演まで果たす八面六臂の活躍振りで、
彼に負担、そしてパワーが集中しているのは明らかでした。
(歌舞伎に限らない、芸能そのものの特質とも言えます)
外部の舞踊家や俳優を積極的に受け入れる澤瀉屋、場合により松竹において、
ハラスメント対策や相談・解決の仕組みが構築されていたか、
この点は検証や改善が必要でしょう。

一方、明らかに誇張した記事(※)や
彼がオープンにしていない性的指向のアウティング(※※)は、
適正な「報道」の枠を超えたものとして、憤りを感じています。
※一例として、
・四代目猿之助が團子を厳しく指導したことを妬みや嫌がらせとした記事
(後継者候補の弟子に熱心な指導をするのは至極当然であり、その動機を曲解)
・歌舞伎界の改革として、男女混成に言及
(「前進座」歌舞伎が顕在であることを知らない、低質なライターによる記事。男女混成の東宝・前進座等は松竹より興行的に成功していない)
※※香川照之父子の歌舞伎入りに際し、未来の段四郎・猿之助になる「團子」の名が与えられたことで、四代目猿之助が実子又は養子の「後継者を作らない」意思は多分に推測可能でした。
とは言え、そこから類推される彼の性的指向をスキャンダラスに噂するのは、人格の尊重に反する行為です。

ところで私は、裁判の中で、四代目猿之助が
舞台復帰の可能性に言及したことに驚きました。
自殺、と言う道を選んでしまった以上、
世を捨て、舞台人を辞める決意をされたかと思いました。

四代目猿之助の舞台に大きな感動をもらった身として
彼の優れた才能が、永久に失われるのはあまりに惜しい。
一方、当然のことながら、
事件の発端であるハラスメント疑惑に対し、
被害を申し出た方との和解や、再発防止策がなされることが絶対に必要です。
未来に続くクリーンな業界であるべく
・師弟関係(親子、養子を含む、愛情と信頼が担保される関係)での厳しい指導と
・ハラスメント
の別は、きちんとつけるべきです。

その上で、ひとり生き残った四代目猿之助こと喜熨斗孝彦氏が、
心穏やかに、徐々に現実に向き合われ、またいつの日か、
(表舞台とは限らず、脚本、振付、指導など様々な形で)
芸事の才能を発揮されることを願っています。

ただし、観客やスポンサーの支持を受けるかは、また別の話です。

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三代目猿之助の発病以来、約20年間の澤瀉屋の歩みが
「無かったこと」にならないよう、
この間に澤瀉屋や、あるいは歌舞伎界から
距離を置いた方々に思いいたしつつ
新たな「ヤマトタケル様の時代」の到来に大きな期待を寄せます。





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令和5年六月大歌舞伎(昼の部)引き込まれる演技

2023年06月14日 21時50分53秒 | 歌舞伎

昨年のスキャンダルから再起をかける市川中車(香川照之)に加え

その妻役は、先月の事件の影響で、4代目市川猿之助から

配役変更で中村壱太郎に。

初日を迎え、評判がかなり良いので、急遽チケットを取りました。

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ところで『傾城反魂香』「土佐将監閑居」の主人公

浮世又平は、「吃音症」の設定です。

今日では、程度により障害者手帳取得も

可能な症状の一つです。

本作が、特定の疾患(障害)を題材にしていますが

差別への苦悩や、支え合う夫婦愛、又平の意外な特技等を描いており

現代に通じる、普遍的な内容だと感じました。

(ただし古語である特性上、一部は今日では差別用語もありました)

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吃音症の絵師である又平(市川中車)には、

おしゃべりな妻おとく(中村壱太郎)がいる。

又平は、師匠を見舞いに訪れたが、

「土佐」の名字を授かることが叶わない。

そこに農村の村人たちが虎を追ってやって来る。

又平の弟弟子修理之助(市川團子)が、

絵から逃げ出した虎に対し、宙に虎を描き

見事に退治し、この功で土佐姓を授かる。

弟弟子に先を越されたばかりか、農民に侮辱される。

序盤のかなり長い時間、又平には台詞がありません。

上手く話せないもどかしさや、屈辱的な仕打ちを

台詞なしに表現する中車は、さすが現代劇の名優だと思いました。

最初に話し出すところでは、観客にも笑いがあり

残念ですが、多くの方が「差別する側の視点」で観ています。

又平夫婦の登場タイミングは、今回は澤瀉屋型であり、

一般的な音羽屋型と異なるそうです。

初代猿翁はこの澤瀉屋型を演じ、一方の

現猿翁(3代目猿之助)は合理性やリアリティからこれを廃し

澤瀉屋としても久しぶりだそうです。

(※詳しくは市川猿三郎さんブログをおすすめします→記事

 

さらに雅楽之助(歌昇)が現れ、

誘拐された姫君の窮状を伝える。

師匠は吃音の又平にも、若い修理之助にも

姫君救出に向かわせることを躊躇う。

又平は強く姫君救出の任を願い出るが、これも聞き入れられない。

結局、修理之助が遣わされるが、又平は修理之助に

すがりついてまで、激しく同行を願い出る。

修理之助は又平を振り切って、救出に向かう。

師匠も退出する。

中車の熱演が圧巻で、涙を流しながら無念さ悔しさが

吃音の台詞と共に、ここぞとばかりあふれ出てきます。

修理之助も、又平の激しさに困惑した様子(の演技)。

歌昇が、場面は短いのですが、激しい動きや見得で

重厚な芝居の中で、印象に残ります。

それにしも、ジャンプしてお尻から落ちる振りは

(そう見えないけれども)痛そう…

 

夫婦二人きりになると、絶望した又平は死を決意する。

おとくは師匠の筆と硯を借り、夫に手渡す。

又平は手水鉢に自画像を描くと、それが反対側に映る。

いよいよ死のうと、おとくが水盃を交わすため

手水鉢に向かうと、

絵が反対側に抜けていることに気づく。

これをコミカルなやり取りで又平に伝えると、

師匠が再び奥から現れ、又平の技能を認め、土佐性を授ける。

修理之助とのやり取り以降、

死を覚悟した夫婦のやり取りに、観客席も静まり返り

「差別される側」に共感して中車に引き込まれていきます。

二人が見つめ合い、おとくが死を共にする決意を述べるところなど

夫婦の強い信頼関係を感じさせる演技でした。

おとくが小声で「お借りいたします」と、筆を借りるところも、感情移入しながら観ました。

ただ、おしゃべりで早口な役柄もあいまって、

僅かに台詞が聞き取りづらいところもありました。

長い間、重厚な演技が続いたところで、手水鉢の奇跡に気づいたところから、

コミカルな温かいやり取りに戻ります。

 

女中お百(寿猿)が裃を手渡し、又平が着替える。

又平は実は、節(メロディ)があると滑らかに喋れるので

姫君救出に支障は無いらしい。

意気揚々と出発しようとする又平の歩き方を注意するが、

結局、いつもの又平らしい、ちょこちょこ歩きをするのだった。

裃の着付けの構造が分かり、感心しながら見入ってしまいました。

中車は非常に、表情の表現が豊かな方ですね。

寿猿さんは出演してることが、もはや奇跡。

 

又平の家に、姫君:銀杏の前が逃げ込み、夫婦は姫を匿う。

追っ手が現れるが、大津絵の精が現れ対決する。

大津絵の精4人のうち、3人が澤瀉屋のベテラン幹部俳優で、

ここに各家の御曹司達が絡む組み合わせ。

次世代の育成を兼ねたキャスティング。

先月『不死鳥~』でキュートな女形だった男寅は立役に。

新悟の鯰の精(垂らした髪の女性)も、長身が活きて不思議と妖艶。

中車はその日舞経験から「踊れない」とされ、見得で何とかしている振付ですが

前幕に続き、ストーリーの連続性を感じ、

またコミカルでもあり、とても楽しく拝見できました。

修理之助は、救出できず、どこで何してるのかな…?

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『児雷也』

山中の庵で、児雷也(芝翫)は、

美しい女性(孝太郎)と惹かれ合う。

二人の腕には同じ様な痣があり、互いが許嫁であると気付く。

児雷也は、ガマガエルの妖術を授かり

追っ手と探り合う。

ガマガエルに変身して難を逃れると、再び人間の姿に戻る。

約30年前、特撮戦隊もの『カクレンジャー』に登場した、

アメリカ出身忍者のジライヤ(演ケイン・コスギ)は、

当時人気でした。しかし、歌舞伎座の演目としては

かなり珍しいようです。

短時間にまとめようとして、かえってよく分からないまま

終わってしまった印象。

芝翫も孝太郎も恰幅があり、若々しさに欠けるのが残念。

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『扇獅子』

5人の芸者達の舞い。

せり上がりで、フェアリーゴッドマザーのごとく

福助が登場。花の枝を振ると

芸者達が赤獅子の頭を被って再登場し、毛振り。

前半はそれぞれの芸者に性格が見えて、個性的。

特に最初の三人(児太郎、壱太郎、新悟)がそれぞれ魅力的だし、

続く二人(種之助、米吉)は、あどけなさが残る。

ただし、後半の毛振りになると単調でつまらなかった。

米吉と新悟が、ここでは全く上手に見えず残念。

(※日舞素人による、あくまでも印象です。)

 

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福助が病に倒れた以降、初めて観ました。

歌右衛門襲名目前に大病を発病、

さらに深刻な後遺症を患ったことは

なによりご本人やご家族が無念なことと思います。

 

私は「美貌の女形」として福助をよく覚えていますので

フェアリーゴッドマザーのごとき姿に感動しました。

ただ、かつての福助のような、

存在感ある女形が全然いないことに、寂寥を感じます。

 

以前、福助SNSにアップされた、児太郎時代の画像が

現児太郎にそっくりで驚きました。

私は児太郎に期待しているのですが、

実父は病で、おじ達(芝翫や、18勘三郎)も…

となると、活躍の場が少なく残念です。

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演目全体として、『児雷也』と『扇獅子』が今ひとつ。

『傾城反魂香』は、劇場の空気そのものを変えるような演技が印象深く、

中車の代表作になり得ると思いました。

 

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令和5年六月大歌舞伎(幕見席復活!)夜の部のみ

2023年06月05日 21時57分15秒 | 歌舞伎

歌舞伎文化を応援したい気持ちから、

何とか行く機会を増やせないか、と思った矢先、

6月より幕見席復活 ゜∀゜!!となり、

しかも初日の6/3にちょうど都心で用事があることから

帰りがけに『義経千本桜』の狐忠信のみ観てきました。

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なお私は、歌舞伎座新築後、幕見席ははじめてです。

エレベーターも設置され、

入口もロビーも、とっても綺麗ですね。

新システム初日は、

「前日券(指定席)」は、コアな歌舞伎ファンと

ライトな観光客(欧米系の方多し)が半々くらい。

「当日券(サイドのみ自由席)」は外国人観光客ばかりでした。

幕見席後列からの眺めです。

手すりは残念(新築時に、ガラスタイプにならなかったのね…)。

前列だと、座高が低いと残念な位置に手すりがかかるので、

後列の方が良いかも知れませんね。

大向こう(かけ声)が前から聞こえるのも、新鮮な感じ。

お値段の割りに、大満足です。

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三代目猿之助が大胆なケレン(宙乗り、早変わり)を取り入れ

それを継いだ四代目猿之助のライフワークのため、

澤瀉屋の派手な演出ばかり印象に残ります。

私も、團子のどこに三代目の面影を感じたのか検証したく

三代目の狐忠信をDVDで観たばかりでした。

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主演の松緑は、ここ最近、舞踊の評判が良く

素人目にも安定感があり、動物の躍動感に加え

そして精霊としての神秘性を感じます。

(私は日舞未経験なので詳しく分かりません…)

 

澤瀉屋とは引っ込む/再登場する位置が違い、

屋敷中を駆け回る、俊敏な狐(の化身・精)としての印象を受けました。

最期も宙乗りではないので、どうやって幕切れになるかと思ったら、

花咲か爺さんのように、桜の木に登っていくのですね。

文字通り、地に足が着いたシンプルさが心地よく、

とても楽しめました。

幕見席からだと、欄干が少し太かったり、

頭を伏せた松緑が手をもにょもにょしてる

(=早変わりのための準備?)が見えたり、

舞台機構も楽しめます。

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4月、連獅子で沸きに沸かせた左近は、

若々しく、まだ少年らしい声。

(祖父・父世代と同じく三之助で売り出すより、

より年齢の近い染五郎や團子と組んだら、

三者三様の魅力が引き立つと思うのですが…

大事に育てて欲しい、若手俳優さんです)

 

静御前の魁春は、登場時には年齢を感じたのですが、

芝居が進むに連れて、どんどん美しく見えて不思議でした。

(例えるなら、写真加工アプリで

自動的にフィルターがかかっていくような感じ)

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来週は幕見で昼の部『傾城反魂香』…と思ったら

元々の予定がキャンセルになってしまい

浮いたお金で、2等席を買い足しました。

(残念、なのか何なのか…w)

四週連続の歌舞伎鑑賞ははじめてですf(^_^)

 

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令和5年5月明治座代役公演と『この恋は雲の涯まで』②

2023年05月28日 16時02分48秒 | 歌舞伎

<第2幕:下の巻>

金国の宮廷。幼王衛紹王(中村米吉)の傍らには、姉紫蘭姫(壱太郎:二役)がいる。

乾竜の紹介で、知盛一行が王の前に参上する。

紫蘭は知盛に一目で心惹かれ、舞を披露させるが、

紫蘭の婚約者で金国乗っ取りを画策する宰相武完(下村青)が、非礼であると止めさせる。

部下らは反発するが、知盛は素直に慣習の違いと無礼を認めて引き下がる。

紫蘭は武完に、知盛に心惹かれたことなどを告げる。二人の歪な関係が露わになる。

設定が完全に『この恋は~』と同一(笑)。発表の時系列では『不死鳥よ~』が先なので

これが後に『この恋は』第2部の原型なんだなあと思いました。

紫蘭が心惹かれた一方、知盛は紫蘭への反応が薄いです。

 

紫蘭は知盛を自らの元へ呼び寄せ、酒を口にさせる。毒が入っていると脅すが、

知盛は紫蘭のような高貴な方がそのようなことをするはずは無いと告げ、

また信頼の証として、一人で参上したと話す。

紫蘭は知盛の誠実さと度胸に、さらに魅了され誘惑するが

知盛は「紫蘭様にうり二つの女性」を想っていると、姫の誘惑を拒む。

想い人を告げるくだりは、『この恋は~』と(以下略)

この中国?モンゴル風衣装が、長身の團子に実に似合っていました

「匂い立つような」という表現がぴったりの美しい姿とオーラでした。

動き始める際に、マントを胸下あたりで少しつまむ仕草がたまらないです。

※さらに脱線:

 OSKの桜花昇ぼる悠浦あやとに、雰囲気がそっくりです。

 長身でスタイルが良く、品があり、周囲を明るくする陽の雰囲気、

 柔和さと凛々しさを併せ持つような…。宝塚とは、また違う、歌劇向きの雰囲気。

 

落胆した紫蘭の元に武完が現れ、高貴な姫君が異国の男に拒まれた惨めさを煽る。

「俺は蛇遣い、お前は蛇」とマインドコントロールしていき、

紫蘭は「知盛を殺して!」と絶叫するに至る。

この様子を紫蘭の妹蓮花(男寅)が見ており、蓮花は衛紹王に報告する。

武完は怯むことなく知盛殺害の必要性を述べ、揉み合いの中で蓮花が死ぬ。

武完役の下村青は、劇団四季出身とのこと。

圧倒的な歌のパワーと、禍々しさで、紫蘭の乙女心を踏みにじり

マインドコントロールしていきます。歌は『エリザベート』の「最後のダンス」にそっくり…

男寅もキュートさが印象に残る。

 

武完は乾竜に知盛殺害計画を告げる。

一方、宋の官吏も、この5年のうちに情勢が変わり、源氏の世となった今、

宋で知盛を受け入れられないと、説明する。

板挟みになった乾竜は、せめて自らの手で知盛を介錯したいと申し出る。

あくまで武人としての名誉を尊重しようとする乾竜。

ここで、隼人のルックスの良さや貴公子ぶりで、乾竜の高潔な振る舞いが際立ちます。

 

しかし、衛紹王が単独で知盛の幕舎を訪れて危機を告げると、

そこを武完が襲撃(クーデター)する。

知盛は武完を倒し、自らと王を守るが、乾竜と王に自らを殺すよう依頼する。

このまま宋に行っても、宰相不在の金が攻め込まれるのは不可避。

金を守るため、立派な君主となるよう王を説得する。

御伴するという部下に、知盛は「壇ノ浦以来死に場所を探していた」と話し、

「死んではならぬ」「生きよ」と説得する。

再びの激しい立ち回り。殺陣は模造刀とは言え、棒を振り回すわけですから、安全管理上

振付は全て計算されたものです。團子本人はもちろん、周囲の方も良く合わせたと思います。

説得のくだりのセリフ回しが、三代目猿之助(現猿翁)にそっくりでした(※歌舞伎役者としての最大級の賛辞)。

第1幕同様、今の状況と重なり、場内すすり泣き。

 

乾竜はなおも拒むが、知盛はあえて剣を取り、彼に襲い掛かる。

二人の立ち回りは互角だが、知盛が乾竜の剣を自らに刺す。

瀕死の知盛は、乾竜の腕の中で不死鳥を思い描き、やがて絶命する。

瀕死の知盛が、最初は片手(左手の指)だけを小さく、しかし細かく動かし、

最後は両手を動かして、ついに事切れる。

この演技は誰のものを手本にしたのだろうか…

 

美しい幻想(スモーク)の中、若狭をはじめ大勢の人々に見守られる中

知盛は不死鳥となって昇天する。(第2幕:幕)

團子がとにかく美しかったです。

急遽の代役、しかも事件の帰結が見えない中、

とにかく澤瀉屋を中心とした出演者の団結の核心になろうと

必死に務めたことがうかがえます。

(寿猿によれば)中車”若旦那”が出演者に団結を促す声を発したそうですね。

なお、こんな感じの動線でした。

花道のスッポンから、一度垂直に上がって、腕を広げてスパンコールも眩い衣装がはためくと

瞳を閉じて(若狭の形見の)笛を取り出して口にし、少し下ってから

またゆっくりと3階の鳥屋に羽ばたいていきました。

 

宙乗りって、こんなに高くまで上がるっけ…?

高所恐怖症だったら大変だろうなあ…等と思っているうちに昇天。

ミラーボールの輝きや、スパンコールの煌めきが眩く幻想的で

本当に美しい宙乗りでした。

笛を取り出して口に当てた瞬間の、

その伏し目がちな表情が心に焼き付きます。

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余韻の中5分弱位拍手したところで、「夜の部の準備がございますので…」という趣旨のアナウンスがかかり

徐々に退場していく人が増えました(私もここで退場)。

報道では、4分半→5分→7分、とどんどん長くなっています(笑)

最後まで残った方が7分くらい続けたんですかねえ。

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作品そのものの話に戻ると、

邦楽を使っていない、等、古典歌舞伎の枠組みからは外れています。

しかし、三代目猿之助がスーパー歌舞伎を新ジャンルとして確立した今となっては

より広義の「歌舞伎」の一つとして、十分受け入れられるものです。

(歌劇ファンでもある私個人としては「歌舞伎スペクタクル」と言うより

「歌舞伎ミュージカル」とか「レビュー歌舞伎」の名称がしっくりきます)

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先週の隼人の記事でも述べましたが、舞台公演は上演を中止すれば

収入が完全に断たれます。映像作品のように、配信やレンタルで根強い人気や収益を、となりません。

この日も団体客が入っていました。

"The show must go on"の慣用句のように、舞台公演は続けざるを得ないのです。

 

そういう中で、主演を引き受けた團子はもちろんのこと

相手役として受け止めた壱太郎や隼人、脇を固めたベテラン陣、

激しい立ち回りを合わせた出演者の方々、稽古代役の方

(猿之助とは身長体重が違うので)急遽衣装をサイズ直ししたり、宙乗りの調整をしたりと

大勢の裏方さん、劇場のスタッフさんら

大勢の方の力で成し遂げた代役公演だと思います。

改めて、公演を続けたこと・歌舞伎文化を繋いだことに、感謝と敬意を表します。

 

芸達者で人気も知名度もある猿之助主演でしたから、キャンセル多数でもやむを得ない所ですが、

「せっかくだから代役も観てみたい」と思わせたのは素晴らしいことです。

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今回は團子個人の、技術より、とにかく熱量(勢い・気迫)が圧倒的で、

すさまじい輝き・香気を放っていました。

(以前團子本人も、澤瀉屋は熱量がすごい、と語っていましたね。)

今回、中一日+1週間でここまで三代目や四代目を彷彿とさせる演技になったのも

彼がSNSにアップしていたように、日頃から古い映像などで研究した賜物でしょう。

 

昼の部代役公演で團子に劣らずキラキラしていた

20代以下の歌舞伎俳優は、隼人くらいのもので、

團子の熱演に呼応した壱太郎・米吉も大健闘(この二人は30代前半組)。

※名誉のために、夜の部の米吉は、揺れ動く心を熱演しすごく良かったです。

 隼人は一回り年上で、テレビドラマ主演もしているわけですから

 その安定感や煌めきは、非常に貴重な存在だと思います。過小評価されて欲しくないです。

 

昨年来、福之助も芝居が上手いなあと思っていたのですが

4人組セット扱いなこともあり、今回はすっかり霞んでしまいました。

團子が思いがけず(しかも嫌な形で)全国的な注目を受け、ファンの動揺や期待を背負う中、

それらに見事に応えた姿に、若手の皆さんも良い刺激を受けて奮起して欲しいです。

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晴れやかな舞台ではありましたが、

四代目猿之助休演の経緯が経緯だけに、今後の澤瀉屋一門の行く末や、

来月以降の猿之助出演公演の変更(代役?演目変更?)等

現実には課題が山積しています。

 

これらの諸課題や、澤瀉屋の負の部分、再興の期待を

若い團子一人に負わすことなく、彼の学業や

(年齢相応の)修練の機会が確保されることを願ってやみません。

 

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歌舞伎は特殊な世界で、ファン以外の方に忌避されがちな「世襲」

後継者を幼少から確保し、ファン(特にタニマチ/パトロン)を繋ぎ留め、

稽古場(不動産)や演目(著作権)等の様々な「遺産」を円滑に継承する点で

優れた制度である面もあります。

世襲や男性のみ、というルールを廃した団体が大きな勢力になっていないのが

一つの答えになっています。

一方、主演なのにポスターの扱いが小さい、等弊害があるのも事実です。

 

いま歌舞伎が嫌な形で注目されており、ファンとして本当に残念に思います。

改善すべき点を改善し、今後も続く芸術であって欲しいと期待します。

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令和5年5月明治座代役公演と『この恋は雲の涯まで』①

2023年05月28日 13時32分24秒 | 歌舞伎

段四郎ご夫妻と四代目猿之助の件に関する考えは、

先週時点と変わりありません。

5/18午前中に事件があり、5/18-19昼の部は中止、

5/20以降は未定という状況でした。

5/19昼頃、5/20昼の部も市川團子の代役で続行と発表があり、

直ちに、夜の部と共にチケットを購入しました。

5/20、團子代役主演の昼の部初回が大好評で、その後一気に完売しました。

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先週夜の部で中村隼人主演を観た際の様子を

舞台ファン以外の方に伝えると、何故観劇に行くのかピンと来ない様子。

①出演者やスタッフを、金銭・座席を埋める点で応援したい

②休演の四代目猿之助が作り上げたものを見届けたい

(③もともとチケットを持っていた/ツアーに組み込まれていた)

(④稀有な事件なので、興味本位で)

と言った所ではないでしょうか。私は①②です。

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そもそも、本公演歌舞伎スペクタクル:不死鳥よ 波濤を越えて』の特徴は

植田紳爾による作品であり、宝塚歌劇『この恋は雲の涯まで』との類似性が高いことです。

 

<植田作品時系列>

1973年(昭和48年)宝塚『この恋は雲の涯まで』 ※振付に二代目尾上松緑

落ち延びた義経が蝦夷経由で中国へ渡ろうとするが、船が悪天候に見舞われる。

海神の怒りを鎮めるため、静が入水する(1幕のみ※1)。

1979年(昭和54年)歌舞伎『不死鳥よ波濤を越えて』

落ち延びた知盛が中国へ渡ろうとするが、海の神の怒りを買うと愛妾若狭の乗船を拒まれる。

知盛は「命よりも大切な」若狭を選ぶが、その言葉に満足した若狭は自決する(第1幕※1)。

宋を目指す一行は、途中の金で足止めされる。金には幼帝と悪い大臣がいる。

知盛は悪い大臣を倒すが…(第2幕※2)

1992年(平成4年)宝塚『この恋は雲の涯まで』全2幕の一本ものに再構成。

第1幕は初演と同じ。

宋を目指す一行は、途中の金で足止めされる。金には幼帝と悪い大臣2人がいる。

義経は静と再会する。しかし「命よりも大切な」という言葉に満足した静は悪い大臣①の愛妾である身を恥じて自決する。

義経は悪い大臣①を倒すが、国王に尽くす彼の真意を知る。

悪い大臣②の攻撃に、義経は宋ではなくモンゴルの民のために決起し、ジンギスカンと名乗りを上げる(第2幕※2)

…ということで、この両作品の類似性を踏まえると、より楽しめるかと思います。

なお、本作はツケ打ちこそあれど、邦楽がほとんどなく、さらに歌唱もあるため

「歌舞伎」というより「歌劇」です。

(ここまで前置きw)

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5/20昼時点で、明治座公式サイトから取れた席(1x列4x番)です。

澤瀉屋系の宙乗りがあると、2階席が被ってしまうのは残念ですが、まあまあ観やすいと期待。

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<第1幕:上の巻>

スクリーンにタイトルが映されただけで盛大な拍手。

幕開き、白拍子の華麗な舞(※女性舞踊家も数名いる)で平氏の優雅な世をイメージさせる。

不死鳥の船に乗った平知盛(市川團子)と愛妾若狭(中村壱太郎)が登場し、知盛の歌唱。

平通盛の愛妾で白拍子の一人:陽炎役の笑也の瞳が潤んで見えた。目の下にキラキラしたワンポイント有るが…

四代目猿之助のキーのままなので、團子は歌い辛そうだが問題なし。

 

途端に荒々しい源平の戦い(壇ノ浦の戦い)の場面。

知盛も血まみれになって奮戦、海に飛び込む。

若狭は側近と共に自決しようとするが、源氏方に捕らえられる。

再登場した血まみれの知盛が、長刀をペロリと一舐めする。

そっと口づけるようであり、上品かつ耽美でゾクゾクした。

(猿之助なら、もっと濃厚な感じだったのかなあ…)

 

知盛は小舟に一人。

敗戦を悟り、碇の綱を体に結び付けて、碇を頭上に持ち上げる。

ここの團子が素晴らしい熱演でした。

重い碇を持ち上げるまでに、美男が苦悶する表情の美しいこと。

(実際に必死に演技しているはずですので、現実の熱演と、役柄の苦悶が相まった姿)

なお、持ち上げる所で、暗転になってしまいますが、古典歌舞伎の『碇知盛』のオマージュですので、飛び込んだのは明らか。

 

その後、知盛は宋の宰相の息子:楊乾竜(中村隼人)の支援で、屋島に落ち延びる。

一方、若狭と陽炎は置屋に拾われた。陽炎は通盛を想いつつもすでに客を取っているが、若狭は拒み続けている。

二人の元に知盛の部下が訪れ、二人を連れて行こうとするが陽炎は残る。

置屋の主は実は源氏方の武将で、陽炎に若狭らの行方を問いただす。陽炎は殺される。

「お約束の展開」ですが、陽炎の覚悟が泣かせます。

まあ貞操観念は『この恋は~』と全く同じです。

 

(いつの間にか)再会した知盛一行の元に、乾竜の率いる船団が到着するが、

水夫たちは「海の神の怒りを買う」と、女性の乗船を拒む。乾竜は知盛を説得するが、

知盛は「命よりも大切な若狭」や乳母:師の尼を置いて行けぬと、逆に中国行きを取りやめようとする。

尼らは若狭を説得するが、若狭は「自ら別れを告げることは無い」と言い放ち、小屋に閉じこもる。

知盛が若狭を捜しに訪れると、白拍子姿になった若狭が現れ、

愛された喜びと感謝を胸に抱き断崖から身を投げる。

知盛は発狂寸前となり、断崖で「お前が死んで私が喜ぶと思うのか」と絶叫する。(上の巻:幕)

乗船を巡るやりとりは、声の抑揚が四代目猿之助そっくりでした(※歌舞伎役者としても、代役としても最大の賛辞表現)。

(広く公開されている)代役公演初日の写真と異なり、澤瀉屋風に赤いラインを目の下にハッキリと太く入れており

それがまた、最後の絶叫のシーンで声の裏返り具合の演技が四代目や三代目を感じさせ、

かつ自殺を嘆くセリフに場内すすり泣き。

 

【次の記事に続く】

 

ところで、知盛は、どんな態度で

やっぱり中国に連れていってもらいたいと、乾竜に頼んだんですかねえ…

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