星くず雑記

日々の出来事は煌めく星くずのように…

『ガラスの仮面』47巻

2011年07月27日 22時59分02秒 | 小説・漫画・アニメ
ガラスの仮面 47 (花とゆめCOMICS)

桜小路くんが……

なんだか、速水さんとマヤが一気に進展した感じ。


ちなみに私は桜小路くん派です。
そうだよ、工事だよ、はうだよw
桜小路くんは、マヤの紅天女に欠かせない役者なので
男女としてではなく、いわば戦友として
マヤとは切っても切れない関係が続くと予想。

すっかり黒化した紫織さんも、簡単には婚約破棄してくれないでしょうし…
最後に忘れずに亜弓さんが出て来て、
また次の巻が気になります。

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先日、和田慎二先生が死去されました。
有名な話ですが、「ガラスの仮面」には
和田先生の「スケバン刑事」とコラボしたシーンがあります。

えー、美内先生、健康管理に気をつけて
どうか『ガラスの仮面』を完結させてください。

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映画『死の秘宝 Part2』感想

2011年07月17日 13時49分44秒 | 海外文学
ハリポタ眼鏡欲しさに、ワーナーマイカルで観てきました。
正直、不満だらけです。

ロンハー的にはまあ満足、
ルートン的には、第6作『混血のプリンス』に続き不満。


(以下、ネタバレを含む)


<感想>
なんで、テディが登場しないんだ(怒)
・しょっぱなから字幕が「自由なしもべ妖精」(怒)
・Alwaysの訳を統一しろ(怒)
・ネビルナ捏造乙w
・マルフォイさん帰っちゃったw

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Part1では、ピント外だけど
あんなにルートンで映り込んでたのに、
結局、私の期待を全て裏切ってくれましたとも。
あの手は何だ、あの手は……(無念)
Luke Newberry がテディをやるんじゃなかったのか?
テディがいないなら「19年後」の意味が無い。

アンドロメダ・トンクスは、
姉:ベラトリックスはヴォルデモートの側近中の側近だし
妹:ナルシッサ・マルフォイはマルフォイだしw
娘:ニンファドーラは姉に殺され、夫も娘婿も姉も失うと言う
純血・混血・マグル生の差別意識や対立に起因する
英国魔法界の動乱を象徴するような女性です。
彼女には、孫のテディ・ルーピンだけが残された。

そして生後数週間〜1ヶ月強で両親を失ったテディは、
ハリーやヴォルデモートのように孤独で不幸な少年時代を送るのではなく、
「19年後」に健全な青年に育ち、幼なじみで美貌の恋人も
親しく交流するGodfather(後見人・代父・名付け親)ハリーもいる。
ハリーとシリウスには望めなかった幸福な義理の家族の姿がある。

なので「19年後」というのは、
主要メンバーが大人になりました、
その子供達がホグワーツに入学します、
めでたしめでたし(^ω^)
というそれだけのサービス場面ではありません。
テディの存在が、不幸の連鎖が終わったことを象徴しているのです。

100歩譲って、ルーピン&トンクス夫妻がまるごとカットでも
テディというのは非常に重要な存在で、削るべきでは無かったと思います。
特典映像で何かしら補完されることに期待します。

--
Alwaysについて、
スネイプとリリーがそれぞれ発言しています。
静山社版に合わせるのではなく、
二人とも「ずっと」で良いんじゃないかと思いますけどね。

松岡佑子の静山社版で許せないのは
(固有名詞を含む)訳語が統一されていないことです。
同じ言葉が使われていると言うのは、重要なポイントですから
日本語版でそれが楽しめないと言うのは残念です。
※関連リンク:ハリポタ日本語版の不思議

セブリリは、海外・国内問わず二次創作で見かけたまんまで
逆にびっくりしましたw



(ネタバレここまで)


はじめてハリポタを観たのが2002年初頭で
原作(和書)を一気に読みました。
その後、中学・高校〜完結までリアルタイムで読んでいました。

私の年齢が変化したこともあるのですが、
主人公トリオより、兄世代が気になってたまりません。
一応、リアルタイム時からチャーリーが気になってはいたのですが。
この先、親世代、爺世代へと関心が移っていくでしょう。
それはそれで楽しみだったりします。

続作があるなら、後日談よりは
第二次世界大戦を背景に、
ダンブルドアとグリンデルバルドの愛と死闘……
(※ダンブルドアはゲイです)
というダングリとかめっちゃ見たいですww

-----
2001-11の映画シリーズには
突っ込みどころも不満もあるのですが、
残りは原作(洋書)を読みつつ、妄想で脳内補完しますw

ハリポタは世界史に残る作品ですから、
ひとつの時代に立ち会えたことは、感慨深いです。

ありがとうJKR!

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映画『小川の辺』感想

2011年07月16日 20時46分07秒 | テレビ・映画
珍しく、母が観に行きたいと言ったので
(多分、テレビの宣伝番組を見て)
水曜レディースデーなので観賞してきました。

感想を一言で述べれば、
……途中までは良かったのに orz

<あらすじ>
佐久間森衛は農業政策の批判が余りにも的確であったばかりに
藩主のプライドを傷つけ、そのために謹慎を余儀なくされていたが
佐久間は妻:田鶴とともに脱藩する。
田鶴の兄:戊井朔之助は、佐久間討伐の命を受け
戊井家に仕える新蔵とともに、行徳へ向かう。
そして、ついに小川の辺に佐久間夫妻の隠れ家を見つける…


<感想>
脚本における佐久間のキャラクターの書き込み不足を、
田鶴役の菊池凛子が、致命的なものにしてしまった。


(以下、ネタバレを含む)



田鶴は前半まったく登場せず、
幼い頃のエピソードや娘時代の着物で
さんざんひっぱた所に、
嫁入り直前の田鶴と新蔵のエピソードで初登場する。
これが、実に酷いw
菊池凛子に、嫁入り前の娘の初々しさや神経質さ
まったく見られないので、思い詰めたような切なさより
格下の新蔵を逆レイプせんばかりの骨太さや頭の悪さばかりが目立つ。

田鶴のもうひとつの見せ場は、
佐久間が斃れた後、その仇を取ろうと兄に立ち向かう所だ。
しかし、脚本において中途半端に
佐久間のキャラクターを膨らませたため、
その書き込み不足が致命的なものになったと感じる。

田鶴の狂乱や怒りは全く感じられない。
それは、前半で彼女が夫に脱藩を勧める場面が無く
彼女が命懸けで守ろうとしたものが見えないことに起因する。
なので、「気性が激しい」のではなく、
単に「馬鹿」なだけではないかとしか感じられない。
そして田鶴が立ち向かったらと、誰もが心配するほどの
剣術の腕前のはずが、ヘロヘロ過ぎて、
あまりにも拍子抜けである。
だいたい、原作のクライマックスは兄妹対決であり、
佐久間と朔之助のそれではない。
映画で、クライマックスやオチが何度もあるのは
落ちつかないので良くない。

前半であれだけひっぱって、
鑑賞者が田鶴のイメージを膨らませた中
出て来たのがこれじゃあ、がっかり。
脚本の欠点を、菊池凛子が決定づけてしまったと思う。

--
次に、佐久間についてだが、原作より
「朔之助との友情」ばかりを重視し、
田鶴との「夫婦の絆」、佐久間の一本気な性格や正義感というものが
あまりにも書き込み不足である。

この映画に足りなかったのは、なんといっても「佐久間夫妻の絆」である。
原作では、はっきりと
田鶴は、朔之助の推測に間違いなければ、
夫に脱藩をすすめたのである。
謹慎している佐久間に、さらに重い処分がくだることを、
女の直感で見抜いたのかも知れなかった。
田鶴は、それほど強く夫と結ばれていたとも言える。
(原作:『小川の辺』から引用)

とあるのだ。
この部分が余りにも弱い。弱すぎる。

田鶴が夫に脱藩を勧めたのは何故か。
地位も名誉も(収入も)失った夫に三行半を突きつけず
脱藩を勧めたのは何故か。
この部分が、この短編小説のキモになる部分である。

もうひとつ原作にあって映画に無い(弱い)のは、次の部分だ。
沈黙している朔之助の脳裏を、
佐久間森衛に寄りそって、どことも知れない野道を、
顔をうつむけて急ぐ田鶴の姿が小さく遠ざかろうとしていた。
(原作:『小川の辺』から引用)


原作では、「寄りそって」るんだよ、「寄りそって」!

--
したがって、佐久間夫妻の絆の描写が弱いせいで
新蔵の想いも浮かび上がってこない。

戊井家の奉公人である彼が朔之助に同行を願い出る場面で
原作では戊井一家の会話を盗み聞きしたことを咎められる。
しかし映画でカットされたことで、
田鶴と新蔵の関係がさらに弱いものになってしまった。

また、田鶴にとっては「初恋の男」なだけで、
少なくとも佐久間の妻となってからは、それ以上でも以下でもない。
佐久間が実兄の手によって死に、
守るべきものも愛するものも失った時、
幼時と同じように田鶴を支えるのが、新蔵である。
全てを失った田鶴が不幸になるのではなく、
また別の人生が始まることを予感させる結末なのだ。

映画で前半のうちにフラグを立てまくったのは失敗で
物語のラストで、はじめて存在がクローズアップされるべきであった。

--
最後に、ヒガシはひたすら格好よく、
彼を魅せるための映画だった。
だがそれが、諸悪の根源かも知れない。

ディレクターズ版でも特別版でも何でも良いから、
脱藩を勧めるシーンまたは、
田鶴と佐久間の絆を感じられるシーンが追加されることを願いますw




(ネタバレここまで)


そういうわけで、(客観的に)良い映画でも無いと思いますし、
(主観的に)好きな映画でもありません。
期待していただけに残念でした。

ところで、佐久間の、というより片岡愛之助の場面が少ないのは
彼の私生活のごたごたと……関係ないと良いなあ。

闇の穴 (新潮文庫)原作は、とても短い小説です。

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