珍しく、母が観に行きたいと言ったので
(多分、テレビの宣伝番組を見て)
水曜レディースデーなので観賞してきました。
感想を一言で述べれば、
……途中までは良かったのに orz
<あらすじ>
佐久間森衛は農業政策の批判が余りにも的確であったばかりに
藩主のプライドを傷つけ、そのために謹慎を余儀なくされていたが
佐久間は妻:田鶴とともに脱藩する。
田鶴の兄:戊井朔之助は、佐久間討伐の命を受け
戊井家に仕える新蔵とともに、行徳へ向かう。
そして、ついに小川の辺に佐久間夫妻の隠れ家を見つける…
<感想>
脚本における佐久間のキャラクターの書き込み不足を、
田鶴役の菊池凛子が、致命的なものにしてしまった。
(以下、ネタバレを含む)
田鶴は前半まったく登場せず、
幼い頃のエピソードや娘時代の着物で
さんざんひっぱた所に、
嫁入り直前の田鶴と新蔵のエピソードで初登場する。
これが、実に酷いw
菊池凛子に、嫁入り前の娘の初々しさや神経質さ
まったく見られないので、思い詰めたような切なさより
格下の新蔵を逆レイプせんばかりの骨太さや頭の悪さばかりが目立つ。
田鶴のもうひとつの見せ場は、
佐久間が斃れた後、その仇を取ろうと兄に立ち向かう所だ。
しかし、脚本において中途半端に
佐久間のキャラクターを膨らませたため、
その書き込み不足が致命的なものになったと感じる。
田鶴の狂乱や怒りは全く感じられない。
それは、前半で彼女が夫に脱藩を勧める場面が無く
彼女が命懸けで守ろうとしたものが見えないことに起因する。
なので、「気性が激しい」のではなく、
単に「馬鹿」なだけではないかとしか感じられない。
そして田鶴が立ち向かったらと、誰もが心配するほどの
剣術の腕前のはずが、ヘロヘロ過ぎて、
あまりにも拍子抜けである。
だいたい、原作のクライマックスは兄妹対決であり、
佐久間と朔之助のそれではない。
映画で、クライマックスやオチが何度もあるのは
落ちつかないので良くない。
前半であれだけひっぱって、
鑑賞者が田鶴のイメージを膨らませた中
出て来たのがこれじゃあ、がっかり。
脚本の欠点を、菊池凛子が決定づけてしまったと思う。
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次に、佐久間についてだが、原作より
「朔之助との友情」ばかりを重視し、
田鶴との「夫婦の絆」、佐久間の一本気な性格や正義感というものが
あまりにも書き込み不足である。
この映画に足りなかったのは、なんといっても「佐久間夫妻の絆」である。
原作では、はっきりと
田鶴は、朔之助の推測に間違いなければ、
夫に脱藩をすすめたのである。
謹慎している佐久間に、さらに重い処分がくだることを、
女の直感で見抜いたのかも知れなかった。
田鶴は、それほど強く夫と結ばれていたとも言える。
(原作:『小川の辺』から引用)
とあるのだ。
この部分が余りにも弱い。弱すぎる。
田鶴が夫に脱藩を勧めたのは何故か。
地位も名誉も(収入も)失った夫に三行半を突きつけず
脱藩を勧めたのは何故か。
この部分が、この短編小説のキモになる部分である。
もうひとつ原作にあって映画に無い(弱い)のは、次の部分だ。
沈黙している朔之助の脳裏を、
佐久間森衛に寄りそって、どことも知れない野道を、
顔をうつむけて急ぐ田鶴の姿が小さく遠ざかろうとしていた。
(原作:『小川の辺』から引用)
原作では、「寄りそって」るんだよ、「寄りそって」!
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したがって、佐久間夫妻の絆の描写が弱いせいで
新蔵の想いも浮かび上がってこない。
戊井家の奉公人である彼が朔之助に同行を願い出る場面で
原作では戊井一家の会話を盗み聞きしたことを咎められる。
しかし映画でカットされたことで、
田鶴と新蔵の関係がさらに弱いものになってしまった。
また、田鶴にとっては「初恋の男」なだけで、
少なくとも佐久間の妻となってからは、それ以上でも以下でもない。
佐久間が実兄の手によって死に、
守るべきものも愛するものも失った時、
幼時と同じように田鶴を支えるのが、新蔵である。
全てを失った田鶴が不幸になるのではなく、
また別の人生が始まることを予感させる結末なのだ。
映画で前半のうちにフラグを立てまくったのは失敗で
物語のラストで、はじめて存在がクローズアップされるべきであった。
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最後に、ヒガシはひたすら格好よく、
彼を魅せるための映画だった。
だがそれが、諸悪の根源かも知れない。
ディレクターズ版でも特別版でも何でも良いから、
脱藩を勧めるシーンまたは、
田鶴と佐久間の絆を感じられるシーンが追加されることを願いますw
(ネタバレここまで)
そういうわけで、(客観的に)良い映画でも無いと思いますし、
(主観的に)好きな映画でもありません。
期待していただけに残念でした。
ところで、佐久間の、というより片岡愛之助の場面が少ないのは
彼の私生活のごたごたと……関係ないと良いなあ。
原作は、とても短い小説です。