今日、宝塚歌劇を観てきました。
宝塚歌劇月組公演
日本絵草紙「宝塚をどり」、
プチ・ミュージカル「明日への指針」、
グランド・レビュー「花詩集100!!」
こんなこと、書くとヅカファンの方からお叱りを受けますが、友人の娘さんが出演していたので観に行った程度なんです。(--;)
何回か観に行ってるのに、娘さん以外で顔と名前が一致する方は、トップの龍 真咲さんくらいなんです、スミマセンm(__)m
(誰に謝ってるんだか(^^;)
プチ・ミュージカル「明日への指針」は、洒落てて面白く、100周年記念の「宝塚をどり」もグランド・レビューも豪華で、楽しく観させていただきました。
楽しかったのですが、観劇中ずーと思っていたのが、"雛まつり2"で書いたように、「みゆきさんの声の届き方とは違うなあ」ということです。
ライブですし、龍 真咲さんの歌いっプリも堂々としてて、ステキなんですが、身体に染み込むとか、胸を鷲掴みにされるような響き方はしないんです。
大合唱の際も同じです。
"雛まつり3"で書いたように、基本が役者か歌手かの違いもあるんだろうなと思いながら観てました。
でも、終演後の客席の反応を見て、根本的な考え違いをしていたことに気づいたのでした。
客席を後にする方々の満足そうな笑顔、目の輝き、ハイテンションな会話。
みゆきさんのライブ後の客席と、または私と同じなんですよね。
よく考えたら、ファンが観てるんだから当たり前なんです。
だから、聞こえ方って発信者の力量とかではなく、受け手の私がどれくらい愛を感じてるかなんだろうなと。
要は、ファンかファンじゃないかで、声の届き方に違いがあるんだという、当然と言えば当然なことに今更気づきました。
葉子さん、千晶嬢、コビヤマ氏ごめんなさい。(>_<)
私は、みゆきさんのことが好きで、みゆきさんの声と相性がいいんだと思います。
みゆきさん本人が、
「自分の声って耳障りな声だと思ってんの、すごく。」(満月みゆき御殿1985年)って言ってた声が、私にとっては心地いい声だったので。
だから、聞こえ方が違ってくるんでしょうね。
心に響くってことですかね。
みゆきさんは、声に対してコンプレックスがあったようで、上記の「耳障りな声」の次に
「きく人に対してね、そんなにトゲトゲしいつもりじゃなく歌っても、すごくトゲトゲしいアピールと取られることが多いのね。声のタイプがそうだから、自分できになるわね。」、「きつい言葉をきつい声で言ったらさ、ききとりたいことも初めからシャットアウトしちゃうときってあるじゃない」
(満月みゆき御殿1985年)と。
また、「ROCKIN'ON JAPAN 2012 VOL. 411」のインタビューでも
学生の頃コンテスト荒らしと言われたことに対して、「先輩たちの間にはいったりなんかしてバンドでやるでしょ?わたしの声ってね、ハモんないんですよ、みんなでワッと歌うとひとりだけなんか妙~な声がはみ出るんで『もういい、おまえ声出さないで、頭数だけ揃えるから声出さないで口パクだけやってろ』って、おまえが来るとコンサートが荒れる、コンテストも荒れる、なのでコンテスト荒らし―声は出すなと言われたんですよ(笑)」と答えています。
また、同インタビューで子供の頃から歌は好きだったんでしょうと問われ、「合唱団には入ってましたけど、『女の子の声ではないので、男の子のパートに入りなさい』って男の子の中にひとりだけ入れられました、はい」、
「この仕事始めてから、正確に自分の出る音をどこからどこまでっていうのをやってきっちり探してみてもらったら、アルトでもなく、テノールだったんですよ。先生は正しかったんです」と応じています。
(上記抜粋は、原文のままです)
このコンプレックスがあったから、七色の歌声や歌い方、表現力を身に付けられたんじゃないかと、私は思うんです。
常に自己分析して、自己改革していく姿勢が尊敬の対象であり、見習うべき目標なんですよ、私には。(^^)
今週は仕事に忙殺されて、メールのチェック以外でスマホを見る気力が湧かなかったんですが、久し振りに書き始るとまとまらなくて、長々と脈絡なくてスミマセンm(__)m
お読みいただき、ありがとうございました。(^^)
では、また(^-^)
宝塚歌劇月組公演
日本絵草紙「宝塚をどり」、
プチ・ミュージカル「明日への指針」、
グランド・レビュー「花詩集100!!」
こんなこと、書くとヅカファンの方からお叱りを受けますが、友人の娘さんが出演していたので観に行った程度なんです。(--;)
何回か観に行ってるのに、娘さん以外で顔と名前が一致する方は、トップの龍 真咲さんくらいなんです、スミマセンm(__)m
(誰に謝ってるんだか(^^;)
プチ・ミュージカル「明日への指針」は、洒落てて面白く、100周年記念の「宝塚をどり」もグランド・レビューも豪華で、楽しく観させていただきました。
楽しかったのですが、観劇中ずーと思っていたのが、"雛まつり2"で書いたように、「みゆきさんの声の届き方とは違うなあ」ということです。
ライブですし、龍 真咲さんの歌いっプリも堂々としてて、ステキなんですが、身体に染み込むとか、胸を鷲掴みにされるような響き方はしないんです。
大合唱の際も同じです。
"雛まつり3"で書いたように、基本が役者か歌手かの違いもあるんだろうなと思いながら観てました。
でも、終演後の客席の反応を見て、根本的な考え違いをしていたことに気づいたのでした。
客席を後にする方々の満足そうな笑顔、目の輝き、ハイテンションな会話。
みゆきさんのライブ後の客席と、または私と同じなんですよね。
よく考えたら、ファンが観てるんだから当たり前なんです。
だから、聞こえ方って発信者の力量とかではなく、受け手の私がどれくらい愛を感じてるかなんだろうなと。
要は、ファンかファンじゃないかで、声の届き方に違いがあるんだという、当然と言えば当然なことに今更気づきました。
葉子さん、千晶嬢、コビヤマ氏ごめんなさい。(>_<)
私は、みゆきさんのことが好きで、みゆきさんの声と相性がいいんだと思います。
みゆきさん本人が、
「自分の声って耳障りな声だと思ってんの、すごく。」(満月みゆき御殿1985年)って言ってた声が、私にとっては心地いい声だったので。
だから、聞こえ方が違ってくるんでしょうね。
心に響くってことですかね。
みゆきさんは、声に対してコンプレックスがあったようで、上記の「耳障りな声」の次に
「きく人に対してね、そんなにトゲトゲしいつもりじゃなく歌っても、すごくトゲトゲしいアピールと取られることが多いのね。声のタイプがそうだから、自分できになるわね。」、「きつい言葉をきつい声で言ったらさ、ききとりたいことも初めからシャットアウトしちゃうときってあるじゃない」
(満月みゆき御殿1985年)と。
また、「ROCKIN'ON JAPAN 2012 VOL. 411」のインタビューでも
学生の頃コンテスト荒らしと言われたことに対して、「先輩たちの間にはいったりなんかしてバンドでやるでしょ?わたしの声ってね、ハモんないんですよ、みんなでワッと歌うとひとりだけなんか妙~な声がはみ出るんで『もういい、おまえ声出さないで、頭数だけ揃えるから声出さないで口パクだけやってろ』って、おまえが来るとコンサートが荒れる、コンテストも荒れる、なのでコンテスト荒らし―声は出すなと言われたんですよ(笑)」と答えています。
また、同インタビューで子供の頃から歌は好きだったんでしょうと問われ、「合唱団には入ってましたけど、『女の子の声ではないので、男の子のパートに入りなさい』って男の子の中にひとりだけ入れられました、はい」、
「この仕事始めてから、正確に自分の出る音をどこからどこまでっていうのをやってきっちり探してみてもらったら、アルトでもなく、テノールだったんですよ。先生は正しかったんです」と応じています。
(上記抜粋は、原文のままです)
このコンプレックスがあったから、七色の歌声や歌い方、表現力を身に付けられたんじゃないかと、私は思うんです。
常に自己分析して、自己改革していく姿勢が尊敬の対象であり、見習うべき目標なんですよ、私には。(^^)
今週は仕事に忙殺されて、メールのチェック以外でスマホを見る気力が湧かなかったんですが、久し振りに書き始るとまとまらなくて、長々と脈絡なくてスミマセンm(__)m
お読みいただき、ありがとうございました。(^^)
では、また(^-^)