さびしさに 宿を立ち出でて ながむれば
いづこも同じ 秋の夕暮れ 良遷法師
(あまりの寂しさのために、庵をでてあたりを見わたすと
どこも同じように寂しい秋の夕暮れであるよ・・。)
秋の山里にせまる夕暮れのもの寂しさ。
いづこも同じ 秋の夕暮れ 良遷法師
(あまりの寂しさのために、庵をでてあたりを見わたすと
どこも同じように寂しい秋の夕暮れであるよ・・。)
秋の山里にせまる夕暮れのもの寂しさ。
向田さんのエッセイが好きでよく読んでいたので出掛けました。
テレビドラマの脚本家でもあり、直木賞作家でもある向田さんについては
かなりリアルタイムでドラマを見た記憶もあります。
会場には、向田さんの直筆の原稿や手紙・愛用品・器がお見事です。
特に洋服は、マネキンに着せて見学しやすいようになっていました。
昭和56年の8月22日、台湾の高雄に向けて出発した飛行機事故で
亡くなられました。当事のカレンダーに20日~25日まで旅行の予定が
囲ってありました。
作家吉行淳之介さんの「懐かしい人々」という本の中で
吉行さんと向田さんが対談した様子が記されていますが
向田さんは、一年二組の邦子ちゃんのように笑顔が素敵で
「風のように爽やかな人だった」と記憶しています。
25年以上経ってもなかなか忘れがたい魅力と才能の持ち主です。
テレビドラマの脚本家でもあり、直木賞作家でもある向田さんについては
かなりリアルタイムでドラマを見た記憶もあります。
会場には、向田さんの直筆の原稿や手紙・愛用品・器がお見事です。
特に洋服は、マネキンに着せて見学しやすいようになっていました。
昭和56年の8月22日、台湾の高雄に向けて出発した飛行機事故で
亡くなられました。当事のカレンダーに20日~25日まで旅行の予定が
囲ってありました。
作家吉行淳之介さんの「懐かしい人々」という本の中で
吉行さんと向田さんが対談した様子が記されていますが
向田さんは、一年二組の邦子ちゃんのように笑顔が素敵で
「風のように爽やかな人だった」と記憶しています。
25年以上経ってもなかなか忘れがたい魅力と才能の持ち主です。
心にも あらでうき世に ながらへば
恋しかるべき 夜半の月かな 三条院
(心ならずも、このつらくはかない世に生きながらえていたならば、
きっと恋しく思いだされるにちがいない。
この夜更けの月であるよ・・。)
万感を胸にこみあげさせる夜半の月。
恋しかるべき 夜半の月かな 三条院
(心ならずも、このつらくはかない世に生きながらえていたならば、
きっと恋しく思いだされるにちがいない。
この夜更けの月であるよ・・。)
万感を胸にこみあげさせる夜半の月。
春の夜の 夢ばかりなる 手枕に
かひなく立たむ 名こそ惜しけれ 周防内侍
(短い春の夜の夢ほどの、はかないたわむれの手枕のために
何のかいもない浮名が立ったとしたら、なんとも口惜しいことです。)
春の夜のはかない恋のたわむれ。
かひなく立たむ 名こそ惜しけれ 周防内侍
(短い春の夜の夢ほどの、はかないたわむれの手枕のために
何のかいもない浮名が立ったとしたら、なんとも口惜しいことです。)
春の夜のはかない恋のたわむれ。
第6回
語り手 瀬戸内寂聴さん
華麗な恋愛の遍歴の末、須磨に流されるという挫折を味わった源氏は
都に戻ってくる。
冷泉帝は、源氏が本当の父親であるという事実を知り
父親を臣下として扱っていてはいけないということで
帝より位の高い立場となる。
まさに源氏の世となり、「六条院」という広大な邸が完成する。
四つの町を春夏秋冬とふさわしい植物を植え
春の町には、最愛の后「紫の上」と暮らす。
源氏はやがて四十歳となり、(今でいうと還暦に近い)
さすがに穏やかに暮らすはずであったが、若い14・5歳の「女三の宮」が
浮上する。
登場人物が四百三十名とかでもう名前が覚えきれなくなってしまったのですが
紫の上の堪え忍ぶ姿が何とも痛ましい。病に臥せってしまうのもわかります。
子供のころから源氏の好みに育てあげられて源氏の他に頼る人がいないのですから。
次回を楽しみにいたします。
語り手 瀬戸内寂聴さん
華麗な恋愛の遍歴の末、須磨に流されるという挫折を味わった源氏は
都に戻ってくる。
冷泉帝は、源氏が本当の父親であるという事実を知り
父親を臣下として扱っていてはいけないということで
帝より位の高い立場となる。
まさに源氏の世となり、「六条院」という広大な邸が完成する。
四つの町を春夏秋冬とふさわしい植物を植え
春の町には、最愛の后「紫の上」と暮らす。
源氏はやがて四十歳となり、(今でいうと還暦に近い)
さすがに穏やかに暮らすはずであったが、若い14・5歳の「女三の宮」が
浮上する。
登場人物が四百三十名とかでもう名前が覚えきれなくなってしまったのですが
紫の上の堪え忍ぶ姿が何とも痛ましい。病に臥せってしまうのもわかります。
子供のころから源氏の好みに育てあげられて源氏の他に頼る人がいないのですから。
次回を楽しみにいたします。