事実は小説より奇なり・・・とは言いますが、まさにそう思わされることが次々に起こります。
未だオフィシャルには発表されておらず、ごく一部の人間しか知らないのですが、本ブログにかなりの頻度で登場するN浜くんが3月いっぱいで退社するそうです。
N浜くん退社の話を教えてくれたのは仲良くしているT君なのですが、T君自身も偶然その事実を知ってしまい、リーダーから固く口止めされているので誰にも言わず(もちろん本人にも)黙っていてほしいと懇願されました。
N浜君は私が紹介する形でこの会社に最初は派遣で入ってきました。
私の元いた会社の同僚から「優秀な若い子が居るけど、Mikiさんが働くクライアントさんは人を募集していないだろうか」と相談を受けのがきっかけでした。
N浜くんの話(退社の件も含め)を語るには、私がこの業界に入ったきっかけから話す必要があります。
長い長いお話になりますがお付き合いください(笑)
今から15年前。
PCがちょっと得意なだけの、ITは全くの素人のパート主婦だった私が、ネットの求人サイトの情報を鵜呑みにし、とある小さな会社にエントリーしたのがこの業界に足を踏み入れるきっかけでした。
国内超大手のITベンダーで事業部長だったY氏が早期退職し、会社を立ち上げたのです。
その会社の立ち上げメンバーとして入社したのが私でした。
当時は業界も今よりうんと景気がよく、優秀な人材は大手に行ってしまい、私のような素人(しかもおばちゃん(笑))くらいしかそんな小さな会社に集まってこなかったのかもしれませんが、なんにせよ全くの素人だった私を雇い入れてくれた社長には今でも感謝しています。
その社長が拾ってくれたから今の私があるのですから。
起業はしたものの、経営のノウハウもないY氏が最初に取り組んだのは、自分のコネクションを使い、元いた大手ベンダーに自社の社員を派遣で出すことでした。
このブログを始めた最初の年、私の超大手ベンダーでの派遣人生が始まりました。
当初は3人だった会社も、みんなの努力で社員も増え、2013年の春には20人規模の会社にまで成長していました。
その直後、クライアントである大手ベンダーの都合で、私の所属していたチームがプロジェクト閉鎖になり、私を始め同じ会社に所属する10数人分の派遣先を探さなくてはならない事態に陥りました。
未来のある若手の派遣先をなんとか確保し、さぁ私の行き先は?
となった時、私はY氏から「あなたの行き先は見つけられない。申し訳ないけど辞めてもらえないか」と言われたのです。
物凄くショックでした。
会社発足時から唯一残っていた私を放り出す社長に対し、当時は憎しみさえ覚えました。
派遣先がないことは自分でも理解していました。
所属していたチームでの職歴はあっても、社長のコネの通用しない他社でエンジニアとしてやっていけるとは思えませんでした。
けれど、今の規模にするにあたって最大の功労者でもある私を『派遣先がないから』と、平気で放り出す社長が許せませんでした。
捨てる神あれば拾う神ありとはよくいったもので、大手ベンダーの同じフロアで働くSさん(今でもワイン女子会で年一で会う女性です)に、彼女が所属する派遣会社に登録しないかと誘われたのです。
家にこもる気のなかった私は、すぐに一般派遣スタッフとして登録し、大学でIT系の講師をしたりと頑張り始めた頃、Y氏の会社に残る後輩たちが私を頼ってきたのです。
発足時のメンバーである私を簡単に切る社長のやり方に不満が爆発した数名がY氏の会社を辞めてMikiさんの会社に入りたいと言い出したのです。
Y氏の会社の中で選りすぐりの優秀なエンジニア数名を引き抜くことに私はなんの迷いもありませんでした。
所属していた派遣会社が、社員拡充プロジェクトが発足したばかりだったこともあり、私の提案に両手をあげて賛同してくれました。
そして、年収大幅アップで彼らをY氏の会社から引き抜いたのです。
そんな功績が讃えられ、私は一般派遣スタッフから、世界有数の外資系派遣会社の社員になったのです。
後にも先にも、私の人生において最大のラッキーだったと思います(笑)
引き抜いた彼らからは感謝され(なんといっても世界規模の会社の社員になれたのですから)私は私で彼らの功績のお陰で社員になれたのです。
そんなうまい話がいつまでも続くことはなく・・・・(泣)
たった2年で私はその会社から放り出されたのです(笑)
詳しくは書きませんが、自分がY氏の会社から引き抜いた一番信頼していたFくんの裏切りによるものでした。
自分が一番信頼していた後輩に裏切られることがこれほどまでにダメージを食らうものなのかと感じると同時に、それまで何も感じていなかったY氏のことが思い起こされたのです。
事情はどうあれ、私はY氏の会社からF君はじめ、主力数人を引き抜いたのです。
私が首謀者であることを知ったY氏はどんな気持ちだっただろう?
今の私と同じ思いをしたんだろうか・・・と、Y氏に対して自分が行った行為を初めて申し訳ないと思ったのです。
それからしばらくして今の派遣会社から声がかかり、私は1年半のブランクを経て今のクライアント先に派遣で働き始めました。
今の会社で働き初めて半年ほど経った頃、Y氏の会社がピンチであることを風の噂で知ったのです。
数年前の私の時と同じく、またしても派遣先が見つからず、優秀な若手を路頭に迷わせているとのことでした。
Y氏の会社は私がいた頃と同じく、自分の元いた大手ベンダー頼りの営業しか行っておらず、そのベンダーの大幅な組織変更により派遣先であった一つのプロジェクトが消滅したのです。
私は何年かぶりに社長の携帯に電話を入れ、そして今自分がいるクライアントが人を募集していることを伝えたのです。
そんな縁で入ってきたのがN浜くんです。
通常、企業は新規口座を開くことを嫌います。
既存の取引先から人を入れることを良しとし、新規の会社と取引することはしないのですが、私の口添えもあり、イケメンリーダーがN浜くんとの面談を進めてくれたのです。
N浜くんの面談の席で、私はY氏と4年ぶりに顔を合わせたのです。
N浜くんが優秀で、やる気満々な若手だったこともあり、イケメンリーダーはN浜くんの採用を決めました。
かくして、Y氏の会社との取引が始まったのです。
N浜くんを入れることで私は自分が行ったY氏への裏切りを帳消しにしたと思いました。
Y氏がどう感じているか確認したことはありませんが、後日N浜君経由で「一度は引き抜かれたけれど、今回恩返しをしてくれて感謝してる」と言ってたらしいと聞いたことはあります。
ところが・・・です(笑)
そんな経緯で派遣として入ってきたN浜君なのですが、結局はクライアントである今の会社がN浜くんをプロパーとして引き抜いたのです(汗)
もちろん、N浜くんの強い希望があったからです。
「Mikiさんの紹介で入ってきたんですけど、Y氏を裏切って今の会社のプロパーになっていいでしょうか」
まるで私が最初からプロパーに引き抜くために今の会社を紹介したかのように取られても仕方ありません。
またしても私はY氏を間接的ではあるけれど、裏切るような形になったのです(笑)
通常、派遣先が派遣元から社員を引き抜くことはご法度とされています。
なので今の会社はN浜くんを引き抜くことに関して違約金の形で数百万をY氏に支払いました。
N浜くんが半年間働いた場合発生する金額相当を支払う形で円満解決したのです。
一時はY氏に罪滅ぼし(と言えるかは疑問だけれど)をし、それが結局はまたしてもの引き抜き・・・・
私とY氏との因縁がこんな形で終演を迎えるとは思ってもいませんでした。
Y氏の会社と今の会社。
N浜くんにとってどちらがいいかなんて火を見るより明らかです。
会社の規模、給料体系、福利厚生・・・何もかも今の会社が圧倒的に上です。
N浜君は私との縁で今の会社の社員になれたことを殊の外感謝しており、その言葉を聞くたびに、Y氏をまたしても裏切る形になったことなどなんてことないと思うようになりました。
ことの発端は、8年前、私を冷たく放り出したことです。
あの時、私を放り出していなかったら、N浜くんのことなど起きていないのです。
もちろん、放り出してくれたから今の私があるというのも事実です。
Y氏からしてみたら、自分が拾った素人のおばちゃんが、この年齢までしぶとく生き残るとは思ってもいなかったでしょうし、私自身もそれは本当に驚いています。
15年前のあの時、まさか自分がこんな長きに渡りこの世界で生きているとはまるで予想できませんでした。
ここまでがN浜くんと私との関わりの全容です。
晴れてプロパーになり、順風満帆とも思えた彼のこの会社での歴史が今月末で終わろうとしています。
次回の記事でいよいよN浜くんの退社にまつわるお話を書こうと思います。
未だオフィシャルには発表されておらず、ごく一部の人間しか知らないのですが、本ブログにかなりの頻度で登場するN浜くんが3月いっぱいで退社するそうです。
N浜くん退社の話を教えてくれたのは仲良くしているT君なのですが、T君自身も偶然その事実を知ってしまい、リーダーから固く口止めされているので誰にも言わず(もちろん本人にも)黙っていてほしいと懇願されました。
N浜君は私が紹介する形でこの会社に最初は派遣で入ってきました。
私の元いた会社の同僚から「優秀な若い子が居るけど、Mikiさんが働くクライアントさんは人を募集していないだろうか」と相談を受けのがきっかけでした。
N浜くんの話(退社の件も含め)を語るには、私がこの業界に入ったきっかけから話す必要があります。
長い長いお話になりますがお付き合いください(笑)
今から15年前。
PCがちょっと得意なだけの、ITは全くの素人のパート主婦だった私が、ネットの求人サイトの情報を鵜呑みにし、とある小さな会社にエントリーしたのがこの業界に足を踏み入れるきっかけでした。
国内超大手のITベンダーで事業部長だったY氏が早期退職し、会社を立ち上げたのです。
その会社の立ち上げメンバーとして入社したのが私でした。
当時は業界も今よりうんと景気がよく、優秀な人材は大手に行ってしまい、私のような素人(しかもおばちゃん(笑))くらいしかそんな小さな会社に集まってこなかったのかもしれませんが、なんにせよ全くの素人だった私を雇い入れてくれた社長には今でも感謝しています。
その社長が拾ってくれたから今の私があるのですから。
起業はしたものの、経営のノウハウもないY氏が最初に取り組んだのは、自分のコネクションを使い、元いた大手ベンダーに自社の社員を派遣で出すことでした。
このブログを始めた最初の年、私の超大手ベンダーでの派遣人生が始まりました。
当初は3人だった会社も、みんなの努力で社員も増え、2013年の春には20人規模の会社にまで成長していました。
その直後、クライアントである大手ベンダーの都合で、私の所属していたチームがプロジェクト閉鎖になり、私を始め同じ会社に所属する10数人分の派遣先を探さなくてはならない事態に陥りました。
未来のある若手の派遣先をなんとか確保し、さぁ私の行き先は?
となった時、私はY氏から「あなたの行き先は見つけられない。申し訳ないけど辞めてもらえないか」と言われたのです。
物凄くショックでした。
会社発足時から唯一残っていた私を放り出す社長に対し、当時は憎しみさえ覚えました。
派遣先がないことは自分でも理解していました。
所属していたチームでの職歴はあっても、社長のコネの通用しない他社でエンジニアとしてやっていけるとは思えませんでした。
けれど、今の規模にするにあたって最大の功労者でもある私を『派遣先がないから』と、平気で放り出す社長が許せませんでした。
捨てる神あれば拾う神ありとはよくいったもので、大手ベンダーの同じフロアで働くSさん(今でもワイン女子会で年一で会う女性です)に、彼女が所属する派遣会社に登録しないかと誘われたのです。
家にこもる気のなかった私は、すぐに一般派遣スタッフとして登録し、大学でIT系の講師をしたりと頑張り始めた頃、Y氏の会社に残る後輩たちが私を頼ってきたのです。
発足時のメンバーである私を簡単に切る社長のやり方に不満が爆発した数名がY氏の会社を辞めてMikiさんの会社に入りたいと言い出したのです。
Y氏の会社の中で選りすぐりの優秀なエンジニア数名を引き抜くことに私はなんの迷いもありませんでした。
所属していた派遣会社が、社員拡充プロジェクトが発足したばかりだったこともあり、私の提案に両手をあげて賛同してくれました。
そして、年収大幅アップで彼らをY氏の会社から引き抜いたのです。
そんな功績が讃えられ、私は一般派遣スタッフから、世界有数の外資系派遣会社の社員になったのです。
後にも先にも、私の人生において最大のラッキーだったと思います(笑)
引き抜いた彼らからは感謝され(なんといっても世界規模の会社の社員になれたのですから)私は私で彼らの功績のお陰で社員になれたのです。
そんなうまい話がいつまでも続くことはなく・・・・(泣)
たった2年で私はその会社から放り出されたのです(笑)
詳しくは書きませんが、自分がY氏の会社から引き抜いた一番信頼していたFくんの裏切りによるものでした。
自分が一番信頼していた後輩に裏切られることがこれほどまでにダメージを食らうものなのかと感じると同時に、それまで何も感じていなかったY氏のことが思い起こされたのです。
事情はどうあれ、私はY氏の会社からF君はじめ、主力数人を引き抜いたのです。
私が首謀者であることを知ったY氏はどんな気持ちだっただろう?
今の私と同じ思いをしたんだろうか・・・と、Y氏に対して自分が行った行為を初めて申し訳ないと思ったのです。
それからしばらくして今の派遣会社から声がかかり、私は1年半のブランクを経て今のクライアント先に派遣で働き始めました。
今の会社で働き初めて半年ほど経った頃、Y氏の会社がピンチであることを風の噂で知ったのです。
数年前の私の時と同じく、またしても派遣先が見つからず、優秀な若手を路頭に迷わせているとのことでした。
Y氏の会社は私がいた頃と同じく、自分の元いた大手ベンダー頼りの営業しか行っておらず、そのベンダーの大幅な組織変更により派遣先であった一つのプロジェクトが消滅したのです。
私は何年かぶりに社長の携帯に電話を入れ、そして今自分がいるクライアントが人を募集していることを伝えたのです。
そんな縁で入ってきたのがN浜くんです。
通常、企業は新規口座を開くことを嫌います。
既存の取引先から人を入れることを良しとし、新規の会社と取引することはしないのですが、私の口添えもあり、イケメンリーダーがN浜くんとの面談を進めてくれたのです。
N浜くんの面談の席で、私はY氏と4年ぶりに顔を合わせたのです。
N浜くんが優秀で、やる気満々な若手だったこともあり、イケメンリーダーはN浜くんの採用を決めました。
かくして、Y氏の会社との取引が始まったのです。
N浜くんを入れることで私は自分が行ったY氏への裏切りを帳消しにしたと思いました。
Y氏がどう感じているか確認したことはありませんが、後日N浜君経由で「一度は引き抜かれたけれど、今回恩返しをしてくれて感謝してる」と言ってたらしいと聞いたことはあります。
ところが・・・です(笑)
そんな経緯で派遣として入ってきたN浜君なのですが、結局はクライアントである今の会社がN浜くんをプロパーとして引き抜いたのです(汗)
もちろん、N浜くんの強い希望があったからです。
「Mikiさんの紹介で入ってきたんですけど、Y氏を裏切って今の会社のプロパーになっていいでしょうか」
まるで私が最初からプロパーに引き抜くために今の会社を紹介したかのように取られても仕方ありません。
またしても私はY氏を間接的ではあるけれど、裏切るような形になったのです(笑)
通常、派遣先が派遣元から社員を引き抜くことはご法度とされています。
なので今の会社はN浜くんを引き抜くことに関して違約金の形で数百万をY氏に支払いました。
N浜くんが半年間働いた場合発生する金額相当を支払う形で円満解決したのです。
一時はY氏に罪滅ぼし(と言えるかは疑問だけれど)をし、それが結局はまたしてもの引き抜き・・・・
私とY氏との因縁がこんな形で終演を迎えるとは思ってもいませんでした。
Y氏の会社と今の会社。
N浜くんにとってどちらがいいかなんて火を見るより明らかです。
会社の規模、給料体系、福利厚生・・・何もかも今の会社が圧倒的に上です。
N浜君は私との縁で今の会社の社員になれたことを殊の外感謝しており、その言葉を聞くたびに、Y氏をまたしても裏切る形になったことなどなんてことないと思うようになりました。
ことの発端は、8年前、私を冷たく放り出したことです。
あの時、私を放り出していなかったら、N浜くんのことなど起きていないのです。
もちろん、放り出してくれたから今の私があるというのも事実です。
Y氏からしてみたら、自分が拾った素人のおばちゃんが、この年齢までしぶとく生き残るとは思ってもいなかったでしょうし、私自身もそれは本当に驚いています。
15年前のあの時、まさか自分がこんな長きに渡りこの世界で生きているとはまるで予想できませんでした。
ここまでがN浜くんと私との関わりの全容です。
晴れてプロパーになり、順風満帆とも思えた彼のこの会社での歴史が今月末で終わろうとしています。
次回の記事でいよいよN浜くんの退社にまつわるお話を書こうと思います。