義理父が他界しました。
満77歳、享年79歳です。
肺がんで余命1年と宣告されたのが2月。
1年持たず、半年で旅立ちました。
宣告を受けた時点では、本当にガンですか?
と、医師の診断を疑うほどとっても元気そうだったので、私と旦那はすぐに家族旅行を予約しました。
本ブログにもアップした飛騨方面への1泊旅行です。
お蕎麦を食べる、中央道を走る、高山を散策する、それら全ては義理父にとっておそらく最後。
運転席の後ろのシートが義理父の定位置で、振り向けば義理父の姿がある・・・この景色をあと何回見れるんだろう?
そんなことを思う度に切なくなる気持ちを抑え、務めて普段と変わりなく過ごすことに徹しました。
義理母は義理父の置かれている状況を受け入れることが出来ず、旅行中であるにも関わらず
「抗がん剤治療を受けるようにあんた達この旅行中に説得してよ!!」と何度も言いました。
勿論本人の目の前で です(汗)
義理父は宣告された時点で延命治療をしない決断をしていました。
診断された時にすでにステージ4の末期で、手術は勿論、放射線治療も出来ないと医師から伝えられたことを受けての決断です。
義理母はそれをどうしても受け入れられませんでした。
抗がん剤治療を受けて欲しいと、一緒に暮らす娘と二人、泣きながら訴えたのですが、義理父は頑なに拒否したのです。
旦那と私は本人の意志を尊重するという意向だったのですが、義理母は容赦なく
「あんたたちは一緒に暮らしていないからそんな冷たいことが言えるんだ!!」
と非難しました。
冷たいか?
何が冷たいの?
冷たいの定義ってなんだ?
完治することはなく、抗がん剤治療をしたからといって余命が伸びる確率は極めて少ない と医師から言われており、本人も治療を拒否しているのに、抗がん剤治療を受けさせたがる義理母と義理妹の心理を、私と旦那は理解することが来ませんでした。
残された僅かな時間を普段と変わらず過ごしたい・・・と本人が思っているであろうことは明白で、その本人の意志にできる限り寄り添うのが私達残される者の使命ではないのか?
旦那がいくら説得しても、
「家族の私達が長く生きて欲しいって望んでるのに、どうしてお父さんは聞き入れてくれないの?」
「お父さんは私達家族のことを思ってくれない!!」
「家族のために生きようとしてくれない!!」
と、毎日毎日泣きわめき、怒り、落胆し、そして息子である私の旦那と大喧嘩・・・を繰り返していました。
5月
これが本当に義理父との最後の旅行となった松本。
国宝松本城をガラケーで写していた義理父の姿は今も私の目に焼き付いています。
「お父さん!!まだまだ元気でいてもらわないとダメだからね!!分かってる?私の反対を押し切って抗がん剤治療をしないって決めたんだからね!!余命一年より長生きするってことなんだよね!!」
と、移動中の車中、旅館での晩ごはん、朝食、松本城散策中、あらゆる場面で思い出す度に義理父に向かって吐き捨てる義理母。
いやいやいや
この旅行の意味分かってる?
本当に最後なんやで?
もうちょっとなんかこう・・・あるじゃん?
「Mikiちゃん あんたってやっぱり涙の一つも出ないんやね。やっぱり冷たいね」
これを言われた時にはマジではっ倒してやろうかと思いました(笑)
泣いたから優しい
泣かないから冷たい
そんな単純な思考で判断するな!!
「お母さん、私達は旅行に行ったけれど、今のうちにKちゃん家族(旦那の妹で、一緒に暮らす娘)と一緒に外食だけでもいいからでかけたらどぉ?」
と助言すると
「あの子たちはあんた達と違って優しいから、どっかに出かける度にお父さんが長生きできるようにってお守りを買ってきてくれるよ!そんなね、今のうちしかないとか、そんな縁起悪いことは言わない子達なの!!」
いやぁーーー縁起悪いか??(汗)
ま、いいか。
所詮嫁は他人。
何をいっても何をしても義理母を満足させられることは出来ないのです。
お通夜、告別式は本当に疲れました。
旦那が喪主だったので、喪主の妻としての役割をこなすだけで大変でした。
顔も知らない親戚、近所の人たちを次から次へと紹介され、挨拶に明け暮れ、お茶を出し、会場へと誘導し・・・
「お嫁さんよくやってくれるねぇ」
と、誰かが私に向けて労いの言葉を発すると
「なに言っとるの!!Kちゃん(娘のこと)のほうがどんだけやってくれたか分からんよ!!あの子達(私達夫婦のこと)は一緒に住んでないからなにもしてないんだよ!それと思ったら私とKちゃんはどれほど辛かったか・・・」
といちいち否定する義理母。
いやいやいや
私のことが大嫌いだったから早い段階で長男の旦那ではなく、娘と暮らすことを決めたんやん?(笑)
しかも、長男の旦那と話し合いをすることもなく・・・です(汗)
「あんたは将来年寄りの面倒をみるタイプじゃないもんね(笑)Kちゃんたちは優しいから私達とうまくいやっていけるんだわ」
と言われた20年前のことを私は一生忘れません。
もしかしたら、私と結婚していなければ旦那は長男として一緒に暮らし、両親と過ごす時間をもっと持てたのかも知れませんが、知らん知らん知らん(笑)
そんなの考えてもしゃーーーないもん。
やっぱ私
あのお義母さんきらいやわぁ~(笑)
最初っから合わないことは分かってて、無理して合わせようとも思わず、たまの顔出しと、年に一度の家族旅行の距離感で23年過ごして来ましたが、お義父さんがいなくなった今、家族旅行も消滅だな。
お義父さん
松本からの帰り道、「次は秋に彦根城見に行こうよ」と約束したよね。
実現できなくて寂しいです。
満77歳、享年79歳です。
肺がんで余命1年と宣告されたのが2月。
1年持たず、半年で旅立ちました。
宣告を受けた時点では、本当にガンですか?
と、医師の診断を疑うほどとっても元気そうだったので、私と旦那はすぐに家族旅行を予約しました。
本ブログにもアップした飛騨方面への1泊旅行です。
お蕎麦を食べる、中央道を走る、高山を散策する、それら全ては義理父にとっておそらく最後。
運転席の後ろのシートが義理父の定位置で、振り向けば義理父の姿がある・・・この景色をあと何回見れるんだろう?
そんなことを思う度に切なくなる気持ちを抑え、務めて普段と変わりなく過ごすことに徹しました。
義理母は義理父の置かれている状況を受け入れることが出来ず、旅行中であるにも関わらず
「抗がん剤治療を受けるようにあんた達この旅行中に説得してよ!!」と何度も言いました。
勿論本人の目の前で です(汗)
義理父は宣告された時点で延命治療をしない決断をしていました。
診断された時にすでにステージ4の末期で、手術は勿論、放射線治療も出来ないと医師から伝えられたことを受けての決断です。
義理母はそれをどうしても受け入れられませんでした。
抗がん剤治療を受けて欲しいと、一緒に暮らす娘と二人、泣きながら訴えたのですが、義理父は頑なに拒否したのです。
旦那と私は本人の意志を尊重するという意向だったのですが、義理母は容赦なく
「あんたたちは一緒に暮らしていないからそんな冷たいことが言えるんだ!!」
と非難しました。
冷たいか?
何が冷たいの?
冷たいの定義ってなんだ?
完治することはなく、抗がん剤治療をしたからといって余命が伸びる確率は極めて少ない と医師から言われており、本人も治療を拒否しているのに、抗がん剤治療を受けさせたがる義理母と義理妹の心理を、私と旦那は理解することが来ませんでした。
残された僅かな時間を普段と変わらず過ごしたい・・・と本人が思っているであろうことは明白で、その本人の意志にできる限り寄り添うのが私達残される者の使命ではないのか?
旦那がいくら説得しても、
「家族の私達が長く生きて欲しいって望んでるのに、どうしてお父さんは聞き入れてくれないの?」
「お父さんは私達家族のことを思ってくれない!!」
「家族のために生きようとしてくれない!!」
と、毎日毎日泣きわめき、怒り、落胆し、そして息子である私の旦那と大喧嘩・・・を繰り返していました。
5月
これが本当に義理父との最後の旅行となった松本。
国宝松本城をガラケーで写していた義理父の姿は今も私の目に焼き付いています。
「お父さん!!まだまだ元気でいてもらわないとダメだからね!!分かってる?私の反対を押し切って抗がん剤治療をしないって決めたんだからね!!余命一年より長生きするってことなんだよね!!」
と、移動中の車中、旅館での晩ごはん、朝食、松本城散策中、あらゆる場面で思い出す度に義理父に向かって吐き捨てる義理母。
いやいやいや
この旅行の意味分かってる?
本当に最後なんやで?
もうちょっとなんかこう・・・あるじゃん?
「Mikiちゃん あんたってやっぱり涙の一つも出ないんやね。やっぱり冷たいね」
これを言われた時にはマジではっ倒してやろうかと思いました(笑)
泣いたから優しい
泣かないから冷たい
そんな単純な思考で判断するな!!
「お母さん、私達は旅行に行ったけれど、今のうちにKちゃん家族(旦那の妹で、一緒に暮らす娘)と一緒に外食だけでもいいからでかけたらどぉ?」
と助言すると
「あの子たちはあんた達と違って優しいから、どっかに出かける度にお父さんが長生きできるようにってお守りを買ってきてくれるよ!そんなね、今のうちしかないとか、そんな縁起悪いことは言わない子達なの!!」
いやぁーーー縁起悪いか??(汗)
ま、いいか。
所詮嫁は他人。
何をいっても何をしても義理母を満足させられることは出来ないのです。
お通夜、告別式は本当に疲れました。
旦那が喪主だったので、喪主の妻としての役割をこなすだけで大変でした。
顔も知らない親戚、近所の人たちを次から次へと紹介され、挨拶に明け暮れ、お茶を出し、会場へと誘導し・・・
「お嫁さんよくやってくれるねぇ」
と、誰かが私に向けて労いの言葉を発すると
「なに言っとるの!!Kちゃん(娘のこと)のほうがどんだけやってくれたか分からんよ!!あの子達(私達夫婦のこと)は一緒に住んでないからなにもしてないんだよ!それと思ったら私とKちゃんはどれほど辛かったか・・・」
といちいち否定する義理母。
いやいやいや
私のことが大嫌いだったから早い段階で長男の旦那ではなく、娘と暮らすことを決めたんやん?(笑)
しかも、長男の旦那と話し合いをすることもなく・・・です(汗)
「あんたは将来年寄りの面倒をみるタイプじゃないもんね(笑)Kちゃんたちは優しいから私達とうまくいやっていけるんだわ」
と言われた20年前のことを私は一生忘れません。
もしかしたら、私と結婚していなければ旦那は長男として一緒に暮らし、両親と過ごす時間をもっと持てたのかも知れませんが、知らん知らん知らん(笑)
そんなの考えてもしゃーーーないもん。
やっぱ私
あのお義母さんきらいやわぁ~(笑)
最初っから合わないことは分かってて、無理して合わせようとも思わず、たまの顔出しと、年に一度の家族旅行の距離感で23年過ごして来ましたが、お義父さんがいなくなった今、家族旅行も消滅だな。
お義父さん
松本からの帰り道、「次は秋に彦根城見に行こうよ」と約束したよね。
実現できなくて寂しいです。