わたしがねてる
ときでも動いて
くれる心ぞう
ねてるときでも
心ぞう・・・が
その心ぞうを“からだ”が護っています。
その心ぞうも“からだ”も護っているのが・・・
『安心』と『安全』を形に!した“いえ”なのかなぁって・・・
“いえ”・・・
家庭という名の人であったり・・・
家屋という名の器であったり・・・
“いえづくり”って深い!?・・・
共通していえるコトは・・・
そこに“生命”があるっていうコトなのかなぁって思います。
家庭には家族が・・・
家屋にも家族が・・・
その形態や暮らし方は千差万別だとは思いますが・・・
生きている、息づくっていうコトがキーワード?ポイント?なんですよねぇ・・・
人って年月をかけて成長をしていきます。
ところがある日を境に老いという世界へ・・・
その時期やタイミングは千差万別でルールもない??
その度合いだって人によって全く違う??・・・
でも?
“いえづくり”っていう括りで言う“家”って
一度建てるとそのまま終の棲家っていうケースが多い??
そう考えると“いえづくり”ってもっとシンプルな方が良いのでは??って
ふと思いました。
6畳一間に全員で!?衣食って昔のドラマのような世界??も実はあり??(笑)
そう考えると畳という床仕上げ、布団という寝具の存在ってまさに万能だった!??
そうかシンプルな“いえづくり”かぁ・・・なにか新しいヒントがそこに!?