かつて斑尾山を登った帰り道に偶然ですが
高野辰之記念館と言う案内板を見かけました。
せっかくだから寄って行こうと言う事になり、向かっておりました。
曲がりくねった田舎道で、制服姿の少年達に会ったので
道順を尋ねたのです。その返答には驚き、感嘆したものです。
「高野辰之博士(はかせ)の記念館へは・・・・・」と大変分かり易い説明でした。
感心させられた事とは、自分たちの郷土の立派な先人を「博士」と呼んでいる事でした。
多分周りの大人達(村とか学校とか)が、そのような指導をしているか、
或いは、親御さんがそのように呼んでいて、それが少年達にも浸透していたのでしょう。
その地は北信濃、豊田村。現在は町村合併で呼び名が変わっているかも知れません。
稲田は黄金色に染まり、道に落ちている栗の実を「拾っていきましょ」と、
声かけてくれるおじさんがいて、山里の秋の日の事でした。
今、あの日の少年達は立派な青年になっているのだろうなぁ、と、
歌が流れてきた時などにはなつかしく思い出します。
<高野辰之>
明治~昭和にかけての国文学者。
唱歌の作詞者として知られている。
長野県豊田村出身。
主な歌に
「故郷」・・・・・兎追いし かの山
「朧月夜」・・・・菜の花畑に 入日薄れ
「紅葉」・・・・・秋の夕日に 照る山紅葉
「春が来た」・・・春が来た 春が来た どこに来た
など多数あります。
高野辰之記念館と言う案内板を見かけました。
せっかくだから寄って行こうと言う事になり、向かっておりました。
曲がりくねった田舎道で、制服姿の少年達に会ったので
道順を尋ねたのです。その返答には驚き、感嘆したものです。
「高野辰之博士(はかせ)の記念館へは・・・・・」と大変分かり易い説明でした。
感心させられた事とは、自分たちの郷土の立派な先人を「博士」と呼んでいる事でした。
多分周りの大人達(村とか学校とか)が、そのような指導をしているか、
或いは、親御さんがそのように呼んでいて、それが少年達にも浸透していたのでしょう。
その地は北信濃、豊田村。現在は町村合併で呼び名が変わっているかも知れません。
稲田は黄金色に染まり、道に落ちている栗の実を「拾っていきましょ」と、
声かけてくれるおじさんがいて、山里の秋の日の事でした。
今、あの日の少年達は立派な青年になっているのだろうなぁ、と、
歌が流れてきた時などにはなつかしく思い出します。
<高野辰之>
明治~昭和にかけての国文学者。
唱歌の作詞者として知られている。
長野県豊田村出身。
主な歌に
「故郷」・・・・・兎追いし かの山
「朧月夜」・・・・菜の花畑に 入日薄れ
「紅葉」・・・・・秋の夕日に 照る山紅葉
「春が来た」・・・春が来た 春が来た どこに来た
など多数あります。