自己記録が続きます。
お越しくださいました皆さますみません。。。
雨の長谷寺詣でを終え、門前の土産屋さんに入った。
お茶を御馳走になりながら
何とはなしに話してみた。
吉隠の公民館(廃校になった校舎跡)へ行きたいけれど
タクシーだとここ長谷と榛原とどちらから行くのが近いですか と。
そうしたところお店のお兄さんが
「歩きだとずっと上り道で大変ですし
ここからタクシーがいいんじゃないですか?
店がなかったら僕が乗せて行ってあげたいですが」
そう言ってタクシー会社と連絡を取って下さり、
その場所がわかるかどうかまで確認して下さった。
私は歩きを覚悟の万葉歌碑めぐりだったので、
雨のその日はとうにあきらめていたのだった。
程なくしてタクシーが到着。
女性のドライバーさんであった。
榛原の方で、この仕事に就かれてもう20年になるとの事。
途中、棚田の美しい所では車を止めて見せてくださったり、
目当ての公民館へは迷うことなく横付けして下さった。
公民館の背後の山なみのどこかに但馬皇女のお墓があった事だと思われる。
但馬皇女をいたみ、穂積皇子が詠んだと言われる一首である。
『 降る雪はあはにな降りそ吉隠の猪養の岡の寒からまくに 』
吉隠を後にして再び長谷へ車を走らせていただく。
長谷寺の辺りを過ぎてしばらく走った所で国道わきの細い道に入って車は止まった。
ここでも横付け
川のほとりの草を避けてみた。
但馬皇女の歌碑の場所。
『 人言を繁み言痛み己が世にいまだ渡らぬ朝川渡る 』
但馬皇女は平安京に住居があったのではないかといわれているようなので
なぜ長谷の辺りに歌碑があるのか分からないが、
朝の川を渡って穂積皇子に会いに行ったのであろうと思うと
一途な、しかし世間の人々に噂されるような恋であるにもかかわらず、
これほどまで強く傾いて行かれる・・・強い女性だったのであろうナ。
穂積皇子は後年、大伴坂上郎女と結婚している。
あきらめていたこの両方の歌碑を訪ねる事が出来たのは・・・
長谷の観音さまのおみ足に触れさせていただいたからなのか
前日の三輪山の霊験なのか。。。?
幸運な二日間の歌碑めぐりであった。
ドライバーさんに、お店のお兄さんに感謝!!
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お越しくださいました皆さますみません。。。
雨の長谷寺詣でを終え、門前の土産屋さんに入った。
お茶を御馳走になりながら
何とはなしに話してみた。
吉隠の公民館(廃校になった校舎跡)へ行きたいけれど
タクシーだとここ長谷と榛原とどちらから行くのが近いですか と。
そうしたところお店のお兄さんが
「歩きだとずっと上り道で大変ですし
ここからタクシーがいいんじゃないですか?
店がなかったら僕が乗せて行ってあげたいですが」
そう言ってタクシー会社と連絡を取って下さり、
その場所がわかるかどうかまで確認して下さった。
私は歩きを覚悟の万葉歌碑めぐりだったので、
雨のその日はとうにあきらめていたのだった。
程なくしてタクシーが到着。
女性のドライバーさんであった。
榛原の方で、この仕事に就かれてもう20年になるとの事。
途中、棚田の美しい所では車を止めて見せてくださったり、
目当ての公民館へは迷うことなく横付けして下さった。
公民館の背後の山なみのどこかに但馬皇女のお墓があった事だと思われる。
但馬皇女をいたみ、穂積皇子が詠んだと言われる一首である。
『 降る雪はあはにな降りそ吉隠の猪養の岡の寒からまくに 』
吉隠を後にして再び長谷へ車を走らせていただく。
長谷寺の辺りを過ぎてしばらく走った所で国道わきの細い道に入って車は止まった。
ここでも横付け
川のほとりの草を避けてみた。
但馬皇女の歌碑の場所。
『 人言を繁み言痛み己が世にいまだ渡らぬ朝川渡る 』
但馬皇女は平安京に住居があったのではないかといわれているようなので
なぜ長谷の辺りに歌碑があるのか分からないが、
朝の川を渡って穂積皇子に会いに行ったのであろうと思うと
一途な、しかし世間の人々に噂されるような恋であるにもかかわらず、
これほどまで強く傾いて行かれる・・・強い女性だったのであろうナ。
穂積皇子は後年、大伴坂上郎女と結婚している。
あきらめていたこの両方の歌碑を訪ねる事が出来たのは・・・
長谷の観音さまのおみ足に触れさせていただいたからなのか
前日の三輪山の霊験なのか。。。?
幸運な二日間の歌碑めぐりであった。
ドライバーさんに、お店のお兄さんに感謝!!
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