最近、ロシア文学に親しんでいます。特にチェーホフが好きです。
『ワーニャおじさん』は読んで感動しました。これがリアリズム文学なのですね。
青空文庫でも読めますから、興味を持った方はぜひお読みください。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001155/card51862.html
ところで、ゴーゴリというロシア・リアリズムの元祖ともいうべき人間が
いるのですが、彼の作品を単なる娯楽作品としてしかみなさないような、
私に言わせれば「なんじゃそりゃ」という解釈があるらしい。
『罪と罰』、『赤と黒』をはじめ、問題ある訳ばかり載せる
光文社の古典新訳文庫シリーズにもゴーゴリの『鼻・外套』がありますが、
この本に至っては落語調で書かれています(注1)。
ロシア文学の古典を落語で表現するってどういう神経してんだと
私は思うのだが……これは言ってみれば、夏目漱石の『坊ちゃん』
を演説にしてしまうような凄いことですよ?
「さぁーさぁー、お立会いー!親譲りの無鉄砲で、
小供の時から損ばかりしておりますがー!」なんて書かれたら
卒倒するでしょう?しない?そうかよ!
『坊ちゃん』が江戸っ子の口調で語られているからって単に
ぎゃはぎゃは笑えるだけの作品ではないように、ゴーゴリの作品も
楽しいだけの内容ではないのですが、その辺を無視した訳のような気がします。
ゴーゴリ自体は、徹底して現実と対決する主義だったようです。
彼は劇作の心構えとして、「全人類にみえる笑いと、全人類の目のつかぬ
不明の涙をとおして生活をよく眺めまわせ!」と考えていました。
半世紀以上も前に出版されたソヴィエト大百科事典の説明では
「笑いと涙の融合、こっけいなものと悲劇的なものの組み合わせが
生活の複雑さと諸矛盾をより深く解明することを可能とさせた」
と評価しています。
同じく、彼は喜劇『検察官』について
「ロシアにあるいっさいの悪を……なによりも異常に公正を人間に
求めているような場所や事件において行われている一切の不正を
ひと塊りに集め、一挙にしてその全てのものを嘲笑してやろうと思った」
と書いているのですが、あるロシア研究者(政治学)
のサイトを見たら、
小説家になってからもお笑い劇として書いた
『検察官』や『死せる魂』は作者の意図を離れて
社会批判の書として高く評価されてしまう。
(http://web.sapporo-u.ac.jp/~oyaon/)
と書かれていました。
ちゃんと全集読んだのかこいつ?
大体、下級役人として苦渋を味わってきた人間が
軽い気持ちで喜劇を書いたりはせんでしょう。
私自身も喜劇を書いたことがありますが、基本的にはギャグ満載、
しかし本質的にはシリアスを念頭にしていました。
ゴーゴリは芸術に関しては並々ならぬこだわりをもっていましたから、
現代社会の腐敗をそのままに表現することは彼のプライドにも関ることで、
喜劇だから落語にしてしまえーなんて考えは著者を裏切る行為では?
百歩譲って『検察官』はお笑い劇で片づけても、
叙事詩の『死せる魂』を戯曲と説明するこの学者様は一体何なわけ?
この先生、例の如くソ連に対しては「ゆるせん!」という態度を
取っており、それはロシア革命直後の社会からして「ゆるせん!」そうです。
おかげで、人間関係に苦しんで自殺したはずのマヤコフスキーが
ソ連社会の矛盾に苦しんで死んだことになっているし、
ドストエフスキーの一押しの作品が『悪霊』になっているという有様。
どうも単なるコメディー作家にされるゴーゴリといい、
レーニンと反目してたことにされているゴーリキーといい、
ロシア研究者の一部にはソ連からの影響をそぐために、
彼らの作品を洗浄しようとする動きがあるようです(注2)。
両者とも、ソ連の社会主義リアリズムのルーツとみなされて
いますから、ソ連公認の文学論は否定したいがゴーゴリやゴーリキーは
サルベージしたいと考えている人間の中に、共産思想とかい離させようと
して、そりゃどうよと言いたくなる解釈がされているような……?
インターネットでのロシア文学作家の紹介は、慰安婦問題と同じぐらい
のレベルだと思うのですが、よりによって政治学者が率先して歪んだ
解釈をするなよなーと思うわけです。
(注1)知り合いのルソーの研究者の方が、古典新訳文庫で出ている
社会契約論は誤訳が多いと苦言を呈していました。ここで言う
誤訳とは解釈が間違っているという意味だそうです。
反共左翼の藤井だからどうよとは思いますが、トロツキーの
永続革命論も誤訳ばかりだそうですし、ここ最近の新訳ブーム
は、かえっていい加減な理解を読者に植え付けてはいませんか?
(注2)ゴーリキーは革命直後にはレーニンと対立しましたが、
その後は和解して、休養先のドイツやイタリアでも
革命を否定する亡命者と論争したり、レーニンの死を知り
彼を讃える回想録を書いたりと、何だかんだで最後まで
党の人間だったと思います。
ていうか、党の文化政策の中心人物だったこの男を
反ソだったとするのは無理があるのではないかと。
『ワーニャおじさん』は読んで感動しました。これがリアリズム文学なのですね。
青空文庫でも読めますから、興味を持った方はぜひお読みください。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001155/card51862.html
ところで、ゴーゴリというロシア・リアリズムの元祖ともいうべき人間が
いるのですが、彼の作品を単なる娯楽作品としてしかみなさないような、
私に言わせれば「なんじゃそりゃ」という解釈があるらしい。
『罪と罰』、『赤と黒』をはじめ、問題ある訳ばかり載せる
光文社の古典新訳文庫シリーズにもゴーゴリの『鼻・外套』がありますが、
この本に至っては落語調で書かれています(注1)。
ロシア文学の古典を落語で表現するってどういう神経してんだと
私は思うのだが……これは言ってみれば、夏目漱石の『坊ちゃん』
を演説にしてしまうような凄いことですよ?
「さぁーさぁー、お立会いー!親譲りの無鉄砲で、
小供の時から損ばかりしておりますがー!」なんて書かれたら
卒倒するでしょう?しない?そうかよ!
『坊ちゃん』が江戸っ子の口調で語られているからって単に
ぎゃはぎゃは笑えるだけの作品ではないように、ゴーゴリの作品も
楽しいだけの内容ではないのですが、その辺を無視した訳のような気がします。
ゴーゴリ自体は、徹底して現実と対決する主義だったようです。
彼は劇作の心構えとして、「全人類にみえる笑いと、全人類の目のつかぬ
不明の涙をとおして生活をよく眺めまわせ!」と考えていました。
半世紀以上も前に出版されたソヴィエト大百科事典の説明では
「笑いと涙の融合、こっけいなものと悲劇的なものの組み合わせが
生活の複雑さと諸矛盾をより深く解明することを可能とさせた」
と評価しています。
同じく、彼は喜劇『検察官』について
「ロシアにあるいっさいの悪を……なによりも異常に公正を人間に
求めているような場所や事件において行われている一切の不正を
ひと塊りに集め、一挙にしてその全てのものを嘲笑してやろうと思った」
と書いているのですが、あるロシア研究者(政治学)
のサイトを見たら、
小説家になってからもお笑い劇として書いた
『検察官』や『死せる魂』は作者の意図を離れて
社会批判の書として高く評価されてしまう。
(http://web.sapporo-u.ac.jp/~oyaon/)
と書かれていました。
ちゃんと全集読んだのかこいつ?
大体、下級役人として苦渋を味わってきた人間が
軽い気持ちで喜劇を書いたりはせんでしょう。
私自身も喜劇を書いたことがありますが、基本的にはギャグ満載、
しかし本質的にはシリアスを念頭にしていました。
ゴーゴリは芸術に関しては並々ならぬこだわりをもっていましたから、
現代社会の腐敗をそのままに表現することは彼のプライドにも関ることで、
喜劇だから落語にしてしまえーなんて考えは著者を裏切る行為では?
百歩譲って『検察官』はお笑い劇で片づけても、
叙事詩の『死せる魂』を戯曲と説明するこの学者様は一体何なわけ?
この先生、例の如くソ連に対しては「ゆるせん!」という態度を
取っており、それはロシア革命直後の社会からして「ゆるせん!」そうです。
おかげで、人間関係に苦しんで自殺したはずのマヤコフスキーが
ソ連社会の矛盾に苦しんで死んだことになっているし、
ドストエフスキーの一押しの作品が『悪霊』になっているという有様。
どうも単なるコメディー作家にされるゴーゴリといい、
レーニンと反目してたことにされているゴーリキーといい、
ロシア研究者の一部にはソ連からの影響をそぐために、
彼らの作品を洗浄しようとする動きがあるようです(注2)。
両者とも、ソ連の社会主義リアリズムのルーツとみなされて
いますから、ソ連公認の文学論は否定したいがゴーゴリやゴーリキーは
サルベージしたいと考えている人間の中に、共産思想とかい離させようと
して、そりゃどうよと言いたくなる解釈がされているような……?
インターネットでのロシア文学作家の紹介は、慰安婦問題と同じぐらい
のレベルだと思うのですが、よりによって政治学者が率先して歪んだ
解釈をするなよなーと思うわけです。
(注1)知り合いのルソーの研究者の方が、古典新訳文庫で出ている
社会契約論は誤訳が多いと苦言を呈していました。ここで言う
誤訳とは解釈が間違っているという意味だそうです。
反共左翼の藤井だからどうよとは思いますが、トロツキーの
永続革命論も誤訳ばかりだそうですし、ここ最近の新訳ブーム
は、かえっていい加減な理解を読者に植え付けてはいませんか?
(注2)ゴーリキーは革命直後にはレーニンと対立しましたが、
その後は和解して、休養先のドイツやイタリアでも
革命を否定する亡命者と論争したり、レーニンの死を知り
彼を讃える回想録を書いたりと、何だかんだで最後まで
党の人間だったと思います。
ていうか、党の文化政策の中心人物だったこの男を
反ソだったとするのは無理があるのではないかと。