私は平成以降に現れた右翼、小林よしのり、東浩紀、三橋貴明、
最近では百田尚樹や古市憲寿等々を新右翼と勝手に呼んでいる。
非常に大雑把な分け方だが、一言で言うと、
以前の右翼に感じられた男らしさ、汗臭さが感じられないのだ。
古い右翼、旧右翼の代表的人物として三島由紀夫が挙げられるだろう。
三島は、男らしさ、雄々しさ、猛々しさ、
一言で言えば強さに美を見出す男で、生前の彼は老いることを非常に恐れていたという。
三島が腹を切ってサムライのような死にざまを見せた後も、
その遺体は若者のように筋骨隆々、張りのある肌だったそうだ。
その彼が自殺する直前に入稿したのが遺作『豊饒の海』だが、
同作は人間の生の華やかさと虚しさを輪廻転生を題材に描き切っており、
戦後日本文学の金字塔の一つとして評価しても差し支えない。
特に傑作なのが最終部「天人五衰」だ。
天人五衰とは仏教用語で、六つの世界(六道)の最高の世界、
天道に住まう人間(天人)が死の間際に現れる5つの兆しを意味する。
衣裳垢膩(えしょうこうじ):衣服が垢で油染みる
頭上華萎(ずじょうかい):頭上の華鬘が萎える
身体臭穢(しんたいしゅうわい):身体が汚れて臭い出す
腋下汗出(えきげかんしゅつ):腋の下から汗が流れ出る
不楽本座(ふらくほんざ):自分の席に戻るのを嫌がる
要するに、体中が腐るのをただ耐えなければならないわけだ。
人間の場合、老衰や疲労によるダメージを少しずつ蓄積しながら死ぬのだが、
天人の場合、それらを一挙に味わうわけで、その苦しみは地獄の16倍だと言われる。
三島は、この言葉をもって自身のペシミズムを究極の美に高めた。
物語の最後で、語り手は、転生を繰り返したはずの男が
「実は初めから存在しない」ことを彼の恋人から聞かされる。
豊饒の海は、次のように結ばれている。
--------------------------------------------
これと云って奇功のない、閑雅な、明るくひらいた御庭である。
数珠を繰るような蝉の声がここを領している。
そのほかには何ひとつ音とてなく、寂莫を極めている。この庭には何もない。
記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。
庭は夏の日ざかりを浴びてしんとしている。・・・
--------------------------------------------
強い日本をひたすらに信じてきた三島。だが、そもそも、それは存在したのか?
経済成長とは裏腹に、先の見えない戦後日本の不穏な気配を敏感に感じとった三島。
豊饒の海は一人の作家のパーソナルな内省と、ソーシャルな現実批判を描いた作品なのである。
左翼には彼が右翼だったというだけで作品を全否定する人間がいるが、
少なくとも彼の持つ類まれな芸術性だけは評価しなければならないだろう。
(http://danshi.gundari.info/neto-uyo-out-arrested.html)
仮に三島が生きていたら、上の右翼雑誌を見て、そのナヨナヨしさに絶句したに違いない。
近年、論壇に登場してきた面々をみると、
三島のような知性も男らしさも全然感じられない人物が実に多い。
それ以前に「強い日本」を象徴しようと努める姿勢が一切ない。
彼らは一言でいえば、日本が弱いことを前提にして話を進める傾向がある。
嫌韓にせよ、それは日本が「イジメられている」ことへの非難にすぎない。
そして、彼ら自身、どこかアニメや漫画のようなナヨナヨしたものを
クール(カッコ良い)とみなし、クールを愛する自分はカッコ悪くないと弁解している。
日本が戦争になったらどうすると聞かれて、逃げると答えた古市憲寿などは好例だ。
彼は自著で対談相手として、アイドルグループを指定していたりする。
小林よしのりもアイドルヲタクだし、東もアダルトゲームの愛好家と来る。
三橋はアニメの人物の格好をするパーティを自民党の費用を使い開き、
従来の保守派政治家の顰蹙を買った(当然だ!)
こういった女々しさ、情けなさを古参の右翼は非常に嫌っている。
その典型的な人物として、石原慎太郎がいると思う。
石原の思想というのは、
「人権だの民主主義だのグダグダほざいてお上に守られようとする前に、
ちったぁ、自分で何とかしたらどうなんだ」といったもので、
弱さを強調して他人(政府)に同情(保護)されようとする考えが嫌いなのである。
http://danshi.gundari.info/neto-uyo-out-arrested.html
↑
このサイトのように、新右翼=ヲタクというイメージを持つ人間は多い。
私の個人的経験でも、靖国神社で花見をするほどの右翼だった先輩が、
大のアニメ好き&ゲーマー、変な語尾をつけて話す(多分登場人物のマネなのだろう)
と大変、無気味な方だったので、右翼に対するイメージは非常に悪い。
実際、ネトウヨ反共ブロガー(笑)であるキンピーちゃんのサイトを見ると、
必要ないのにアニメのアイコンや画像が用いられていて、驚きあきれてしまう。
(彼もまた靖国参拝を楽しんでいる人間だったりする)
こういうヲタクくさいアクションから感じられるのは、
彼らはゴッコ遊びに興じているだけではないかという疑念である。
若年者に対して
自衛隊に入ろうという新右翼は多いが、工事現場で働けという新右翼は少ない。
冷静に考えれば、自衛隊などろくに戦いもせずに国税で飯ばかり食ってる連中だ。
絶対、ブルーカラーの労働者のほうが、この国のために働いている。
また、アニメを「クールジャパン」と美化している連中は多いが、
彼らが同じくらいの情熱をもって、日本文学の布教に努めているのを見たことがない。
はたして彼らが万葉集や平家物語を原文で読んでいるかどうか。非常に疑問である。
本当に日本文化を愛しているならば、サブカルチャーよりもメインカルチャー、
つまり、雅楽や水墨画や和歌、古典文学に習熟&布教しているはずだ。
最低でも三島文学や石原文学に精通していなければカッコ悪いのではないだろうか?
先述の先輩やキンピーちゃんが靖国参拝に興じる姿を見ると、どこか、
そういう儀式を行うことで自分が愛国者になれたという感覚にひたっているだけで、
本気で内政や外交について変革を望もうとする姿勢が全く感じられないのである。
三島のような祖国へ対する真剣さが微塵もない。
今こそ新参の右翼は三島を見習い、サブカルチャーから足を洗い、
古典に習熟し、筋トレに励み、男らしく汗をかくべきではないだろうか。
連中がどう言おうと、新右翼のイメージは悪い。
サブカル好きの愛国ゴッコに熱中する頭カラッポのアホ集団。
なんでもかんでも中国や韓国のせいにする遠吠えが得意技の烏合の衆。
他国にはそう思われている。欧米、アジア問わずに。
まだ遅くはない。万が一、この記事を読んだネトウヨがいるならば、
今日から筋トレと古文読解に励んでほしい。特に後者は必要不可欠だ。
この国で愛国を叫ぶならば。
最近では百田尚樹や古市憲寿等々を新右翼と勝手に呼んでいる。
非常に大雑把な分け方だが、一言で言うと、
以前の右翼に感じられた男らしさ、汗臭さが感じられないのだ。
古い右翼、旧右翼の代表的人物として三島由紀夫が挙げられるだろう。
三島は、男らしさ、雄々しさ、猛々しさ、
一言で言えば強さに美を見出す男で、生前の彼は老いることを非常に恐れていたという。
三島が腹を切ってサムライのような死にざまを見せた後も、
その遺体は若者のように筋骨隆々、張りのある肌だったそうだ。
その彼が自殺する直前に入稿したのが遺作『豊饒の海』だが、
同作は人間の生の華やかさと虚しさを輪廻転生を題材に描き切っており、
戦後日本文学の金字塔の一つとして評価しても差し支えない。
特に傑作なのが最終部「天人五衰」だ。
天人五衰とは仏教用語で、六つの世界(六道)の最高の世界、
天道に住まう人間(天人)が死の間際に現れる5つの兆しを意味する。
衣裳垢膩(えしょうこうじ):衣服が垢で油染みる
頭上華萎(ずじょうかい):頭上の華鬘が萎える
身体臭穢(しんたいしゅうわい):身体が汚れて臭い出す
腋下汗出(えきげかんしゅつ):腋の下から汗が流れ出る
不楽本座(ふらくほんざ):自分の席に戻るのを嫌がる
要するに、体中が腐るのをただ耐えなければならないわけだ。
人間の場合、老衰や疲労によるダメージを少しずつ蓄積しながら死ぬのだが、
天人の場合、それらを一挙に味わうわけで、その苦しみは地獄の16倍だと言われる。
三島は、この言葉をもって自身のペシミズムを究極の美に高めた。
物語の最後で、語り手は、転生を繰り返したはずの男が
「実は初めから存在しない」ことを彼の恋人から聞かされる。
豊饒の海は、次のように結ばれている。
--------------------------------------------
これと云って奇功のない、閑雅な、明るくひらいた御庭である。
数珠を繰るような蝉の声がここを領している。
そのほかには何ひとつ音とてなく、寂莫を極めている。この庭には何もない。
記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。
庭は夏の日ざかりを浴びてしんとしている。・・・
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強い日本をひたすらに信じてきた三島。だが、そもそも、それは存在したのか?
経済成長とは裏腹に、先の見えない戦後日本の不穏な気配を敏感に感じとった三島。
豊饒の海は一人の作家のパーソナルな内省と、ソーシャルな現実批判を描いた作品なのである。
左翼には彼が右翼だったというだけで作品を全否定する人間がいるが、
少なくとも彼の持つ類まれな芸術性だけは評価しなければならないだろう。
(http://danshi.gundari.info/neto-uyo-out-arrested.html)
仮に三島が生きていたら、上の右翼雑誌を見て、そのナヨナヨしさに絶句したに違いない。
近年、論壇に登場してきた面々をみると、
三島のような知性も男らしさも全然感じられない人物が実に多い。
それ以前に「強い日本」を象徴しようと努める姿勢が一切ない。
彼らは一言でいえば、日本が弱いことを前提にして話を進める傾向がある。
嫌韓にせよ、それは日本が「イジメられている」ことへの非難にすぎない。
そして、彼ら自身、どこかアニメや漫画のようなナヨナヨしたものを
クール(カッコ良い)とみなし、クールを愛する自分はカッコ悪くないと弁解している。
日本が戦争になったらどうすると聞かれて、逃げると答えた古市憲寿などは好例だ。
彼は自著で対談相手として、アイドルグループを指定していたりする。
小林よしのりもアイドルヲタクだし、東もアダルトゲームの愛好家と来る。
三橋はアニメの人物の格好をするパーティを自民党の費用を使い開き、
従来の保守派政治家の顰蹙を買った(当然だ!)
こういった女々しさ、情けなさを古参の右翼は非常に嫌っている。
その典型的な人物として、石原慎太郎がいると思う。
石原の思想というのは、
「人権だの民主主義だのグダグダほざいてお上に守られようとする前に、
ちったぁ、自分で何とかしたらどうなんだ」といったもので、
弱さを強調して他人(政府)に同情(保護)されようとする考えが嫌いなのである。
http://danshi.gundari.info/neto-uyo-out-arrested.html
↑
このサイトのように、新右翼=ヲタクというイメージを持つ人間は多い。
私の個人的経験でも、靖国神社で花見をするほどの右翼だった先輩が、
大のアニメ好き&ゲーマー、変な語尾をつけて話す(多分登場人物のマネなのだろう)
と大変、無気味な方だったので、右翼に対するイメージは非常に悪い。
実際、ネトウヨ反共ブロガー(笑)であるキンピーちゃんのサイトを見ると、
必要ないのにアニメのアイコンや画像が用いられていて、驚きあきれてしまう。
(彼もまた靖国参拝を楽しんでいる人間だったりする)
こういうヲタクくさいアクションから感じられるのは、
彼らはゴッコ遊びに興じているだけではないかという疑念である。
若年者に対して
自衛隊に入ろうという新右翼は多いが、工事現場で働けという新右翼は少ない。
冷静に考えれば、自衛隊などろくに戦いもせずに国税で飯ばかり食ってる連中だ。
絶対、ブルーカラーの労働者のほうが、この国のために働いている。
また、アニメを「クールジャパン」と美化している連中は多いが、
彼らが同じくらいの情熱をもって、日本文学の布教に努めているのを見たことがない。
はたして彼らが万葉集や平家物語を原文で読んでいるかどうか。非常に疑問である。
本当に日本文化を愛しているならば、サブカルチャーよりもメインカルチャー、
つまり、雅楽や水墨画や和歌、古典文学に習熟&布教しているはずだ。
最低でも三島文学や石原文学に精通していなければカッコ悪いのではないだろうか?
先述の先輩やキンピーちゃんが靖国参拝に興じる姿を見ると、どこか、
そういう儀式を行うことで自分が愛国者になれたという感覚にひたっているだけで、
本気で内政や外交について変革を望もうとする姿勢が全く感じられないのである。
三島のような祖国へ対する真剣さが微塵もない。
今こそ新参の右翼は三島を見習い、サブカルチャーから足を洗い、
古典に習熟し、筋トレに励み、男らしく汗をかくべきではないだろうか。
連中がどう言おうと、新右翼のイメージは悪い。
サブカル好きの愛国ゴッコに熱中する頭カラッポのアホ集団。
なんでもかんでも中国や韓国のせいにする遠吠えが得意技の烏合の衆。
他国にはそう思われている。欧米、アジア問わずに。
まだ遅くはない。万が一、この記事を読んだネトウヨがいるならば、
今日から筋トレと古文読解に励んでほしい。特に後者は必要不可欠だ。
この国で愛国を叫ぶならば。