7月28日
東寺の現地講習会に参加して来ました
この日は大変だったんですよ~
JR高槻~山崎間で人身事故があったらしく電車が大幅に遅れていて、暫くホームにいたけど新快速も動いてそうにないんで、慌てて阪急電車に移動して京都へ向かいました
講習会は午後1時からだったんで、ご飯を食べる時間を入れても余裕のよっちゃんでいける時間に出たのに、なんかバタバタとして
結局ギリギリに着いてしまいました。
(ご飯だけは大丸さんでしっかり食べたけど
)
のりびり食べてたつけがここでまわって来てしまいました。(込んでたし
)
京都駅から近鉄電車に乗り換えるか、烏丸線で九条まで行って歩くか。
電車の乗り換え時間を考えたら、九条まで行って走った方が早いと思い九条まで行きました。
集合場所の南大門に着いた時には汗だく
南大門から蓮華門、太師堂などの説明を聞いたんだけど、ずっと外ばっかりでめちゃめちゃ暑かったです
しかし参加してはる皆さんはすごいです!
先生のお話を頂いた資料にびっしり書き込んだり、中にはノート持参の方も。
質問もバンバンしてはるし・・・。
そんな中初めて東寺に来た私はハァ~関心するばかりで、生徒と言うより完全にお客になっていました
真剣にお話を聞いてはる中・・・
こんな写真や
こんな写真を撮ってる私・・・
そして東寺背の子院 観智院を拝観させて頂きました
特別拝観の時のみ公開されるんですが、そう言えばお盆にライトアップされるって仰ってたような・・・。
国宝に指定されてる客殿は1605年 北政所(ねね)の寄進により再建されたもので、桃山時代の書院造りで、住宅建築として貴重なものになんだそう
このお庭は客殿の前に広がる五大の庭
弘法大師により唐から日本に密教を持ち帰る帰国の途中海が荒れ、その時守護の海神に守られ海が静まっていくのが表現されているんだとか。
置かれている石は独鈷舟とそれを守護する亀、しゃち、水鳥、龍。
わかりづらい石もありますが、龍は上手いこと龍の頭に見えますね(写真ちょっと遠すぎ
)
このお庭は昭和に作られた庭らしいです。
こちらの門から出入りされてた時にはなかったんだそう。
お庭に面したお部屋のには宮本武蔵筆と伝わる床の間の「鷲図」と襖絵の「竹林図」があるんです
で~んとデッカイ床の間に鷲が描かれてましたが、なんか薄くなっててわかりづらかったです
そして廊下はうぐいす張の廊下
実は実際行ってる時は全然気づいてなくて、グッドタイミングで翌日やってた「美の京都遺産」で知りました
中庭の四方正面の庭
こちらの庭の方が古いらしい。
観智院では自由散策の時間があったので、廊下に座ってお庭を眺めたり、ご本尊の五大虚空蔵菩薩像を見たりしていました。
五大虚空蔵菩薩は獅子・像・馬・孔雀・カルラに乗ってはるんですが、そのうちのカルラは手塚治虫さんの火の鳥のモデルになったと仰っていました。
そして奥にある茶室 楓泉観に。。
この茶室に一乗下り松の決闘の後、吉岡一門から追われていた宮本武蔵が隠れていたんだそうです。
観智院には3年間くらいいてはって、その時長谷川等伯に絵を習いはったんだそうです。
小さな襖を開けると、こんなところに階段が・・・
(勝手に襖開けていいんかい
)
隠れるにはもってこいや~ん
これは講習会に参加されてた方が教えて下さいました
講堂、金堂を拝観し、五重塔へと向かいました
五重塔も通常は非公開なんで、ガードマンのおっちゃんが開け閉めしてはりました。
現在の五重塔は5代目で、徳川家光により再興されたそうですね。
中は狭いので2班分かれての拝観。
中央に大日如来に見立てた心柱があり、その周りに金剛界四仏が安置されています。
年月とともに他の四本柱は塔の重みで縮み、五重塔全体が低くなってしまった結果、重量のかかってない心柱が屋根を突き上げてしまったんだそうです。
そこで心柱の下の部分を切りはったそうです
台の部分の扉を開けると、その柱を見る事が出来き、暗闇に移動したため柱に描かれてた極彩色が残ってるのも見れます。
暗いので先生が懐中電灯で照らしてくれます。
これからも老朽化してくることだから、また心柱が屋根を突き上げることもあるのかな~
五重塔の高さって55mだそうですが、徐々に低くなるんやろか
次の班が拝観してはる間に五重塔前にある瓢箪池を見に行ってみました。
そしたら亀がたくさん泳いでるの
亀って陸地とか石のとこでじっとしてるのは見るんだけど、あまり泳いでるとこって見た事なかったです。
池の前に立ってたら、餌でももえらると思ったのか迫って来ました
講習会も無事終わり帰路に着いたんですが、帰りもまだJRはごったがえしていてどっと疲れました