少しずつですが自分の中での感情の手放しを、実感できるようになりました。
全てはバランスなんだなと感じてます。
ずっとモヤモヤとしたものがありました。
世の中が何か変だよ!という違和感に気付く人、気付かない人。
気付かない人の方がかなり多くて、それは集合意識での数の問題だけなのだろうか?という疑問。
楽しい事にフォーカスしていたら大丈夫だというけど、確かにそうなのだろうけど。
でも楽しい事大好きの友人は言ったんだ。
ワクチンの件も自分に何も問題が起きなかったら、そっちには興味がなかったと。
私が言う話も興味がないのでスルーしていたと。
友人は楽しい事しか興味がなくて、そんな彼女の感性に私も気付かされる事が多々ある。
だけどテレビの話とかを凄く信用してて、マスクで肌が荒れ始めてもマスクは効果があると検証されたからやるし、働いている店のルールには従うと言ってた。
ワクチンは自分の体に問題が起きたからやらないけど、マスクを外す気は全くないし、外す人はマナーの問題(周りの事を思いやれない)とさえ思っている。
つまりマスクは良いと検証されたという話を信じるから、別にマスクの有害にも興味が持てないし調べたりもしない。
むしろ肌荒れは化粧品が合わなかったせいだとも考えている。
それって世の中が変だという意識ではないって事だよね。
楽しい事にフォーカスしていても、日常で違和感を感じることはあまりないんだ。
もう一人、別の友人ともワクチンの事で最近話をした。
彼女は高校時代の友人で昔からのランチ仲間です。
ワクチン3回目を打つというので、私なりにラインや手紙でヤバいよと言う情報を送っていたけど、彼女の意思は頑として動かなかった。
彼女はコロナに感染したくないし絶対大切な人に移したくないと言う気持ちと、長年看護師として予防接種のメンバーとして学んだ事や、妹二人も看護師という関係性での情報交換で出した結論だった。
私はその結論を尊重する事にした。
だって彼女の人生は彼女のものだから、私がとやかくいう筋合いはないのだ。
彼女が今世で計画してやろうとしている事だとしたら、チャレンジャーだなとさえ思えてくる。
二人の友人の話を聞いて、私が思ったのは「人は経験でしか気付きが起きないのだろうか」という漠然とした疑問。
だったら周りでいろんな事を言っても、その人が経験しない限り意味がないのか?
いや、情報を知らない(一方的に知らされる情報だけを信じる)からだろう。
だから情報をいろんな所に置いといて、その人がその情報を自発的に見にきた時だけ、生きた情報になるのかもしれない。
選択肢が増える事で、自分で考えるきっかけになる。
つまり本人の自発的な行動があって、初めて目覚めていくと思えた。
その人にそれがなければ、いくら周りが言ったところでスルーされる。
だから情報を置いておくのは、種まきなんだ。
タネを蒔いた段階で、それは蒔いた人の手元を離れる。
そして、その人には過去のものとなってくる。
でも知らない人が蒔いた場所に来て、その種を知って、その人の花が咲くかもしれない。
友人たちも近い未来に私が話した言葉を思い出し、別のタネを探すかもしれない。
そうだね。開花までは時間はかかるけど、それを楽しみに待てるよ。
そう考えたら闇も、思考のタネの開花には必要な存在なのかもしれないね。
誰かが知らないうちにトップの闇の存在を無くしていた(闇が反転して光になった)としても、底辺にいる人たちの意識がこれまでと変わらなかったら、自分の現実に闇があったことさえ気付かない。
それでは何も変わらないし、今までの善悪も越えられないのかもしれない。
闇が多すぎても苦しくなるし、少な過ぎても意識変革は起きにくい。
ちょうど良いバランスで、全ては循環しているのかもしれないと思えた。
そしてそれは自分にも言える事だった。
異変に気付かない友人たちに心を悩ませて自分が重い意識に巻き込まれるのでもなく、自分だけ見ていればいい(周りは変えられないので仕方がないから見ない)というのでもなく、タネはちゃんと蒔きたいからここに蒔いて置くけど、あくまでも介入出来るのは自分の現実だけだというバランス感覚が大切だと感じた。