先日動画で、とある神社を訪れた時の様子を紹介していました。
茨城の海の近くの住宅街に小さな森があって、その森に囲まれた伝統ある神社だそうです。
泉神社という名前の通り、素晴らしく透明度の高い泉がありました。
その泉を動画で紹介していて、本当に行って見てみたいなーと思う程でした。
すると動画で道筋を案内してくれたのです😆
車に乗って向かっているカメラ目線で、まるで私が後ろに同乗しているような感覚(笑)
神社に着いた時風が物凄くて、龍神さんが撮影者を物凄く歓迎している様子が伺えました。
お〜!よくきたな〜!!そんな感じで勢いよくパタパタと旗がなびいてました。
最後に海から昇る赤く染まった朝陽も動画で見せてくれて、とても素敵な場所でした。
いつかは行ってみたいと思う場所の一つです。
それでその境内とか神社を見ていた時に、今まで自分が見ていなかった別の視点が見えたのです。
もしかしたらこの神社は神聖な泉をずっと護ってくれていたのかもしれないなと。
隠すことで護る。
神社に人は集まってくるけど、いろんな存在の気を自分に集める事で、自分が跳ね返す事で、泉を純粋な形のままで護っていたのかなと思えたのです。
前は建物なんてなくて、自然がそこにあった。
自然はなんでも受け入れるからこそ、純粋さを保つことも難しくなってくる。
それを危惧した龍神さんが神様となって建物を建てて、こっちがパワースポットだよと人を呼び、想念を一気に引き受けた。
龍神さんにはそれを跳ね返す力があったから。
言わば縁の下の力持ちみたいな。
その支える熱い想いを、この神社を見ていて感じました。
泉が神聖で純度の高い透明度を保っていられたのも、相互で協力して出来た聖域だからなんだなーと思ったのです。
どちらかが欠けても成り立たない場所です。
神社の捉え方を考えさせられました。
本当にどんな場所にも感謝なんだなーと思えます。
そんな聖域が日本には数え切れないくらいあって、だから日本は日本のままでいられたのかもしれないですね。
そんなことを考えさせられたステキな動画でした。