美里町の探検日記GP

津市美里町(旧美里村)に住んでいるコレクターです。コレクション自慢(?)のほか、津のこと、美里のことも書いていきます。

義犬塚(いぬづか)/津市美里町平木

2024-11-29 09:15:41 | 津のこと


津市美里町平木、
新長野トンネルの手前を左折し、旧国道に入ったところにある小さな御堂です。
この御堂は「義犬塚(いぬづか)」と呼ばれています。

この御堂の付近には、江戸時代まで犬塚村という村があり、
現在の地名も犬塚です。

こちらには「義犬塚」の伝承があり、
来年の干支であるヘビ(大蛇)が登場します。
この伝承をご紹介します。


(「義犬塚」の紙芝居/美里ボランティアガイド会)

室町時代のこと、長野氏の家臣に鹿間某という狩りの好きな男がいた。
狩りには猟犬が必要であったが、鹿間は猟犬を持っていなかったので、
寺の御堂に籠って「私に素晴らしい猟犬をお授けください」と願をかけた。

堂内で眠ってしまった鹿間の枕元に、観音様が現れ、
「明日の朝、東の海のほうに行きなさい。そこで犬を得ることができるだろう」と言った。
翌日、鹿間は海のほうまで歩いて行き、影重という村に非常に賢い犬がいると聞いて、
犬の持主を訪ね、犬を譲ってもらうよう懇願した。
鹿間は犬を連れて帰り、それからは毎回、犬を連れて狩りに出るようになった。

ある日のこと、いつものように犬を連れて山に入ると
犬が急に唸り声をあげ、鹿間の着物の裾に噛みつき、離そうとしない。
「おい、何をするのだ、離せ」と叱っても、犬はさらに大きな唸り声を出している。
「賢い犬だと喜んでいたが、気でも狂ったか」
鹿間は刀を抜き、犬の首をめがけて振り下ろした。
切られた犬の首は、鹿間の背後の藪の中へ飛んでいった。

鹿間が薮に入っていくと、そこには大きな大蛇が横たわっていた。
その大蛇の首には、切られた犬の首が噛みついていたという。
「大蛇が狙っているのに気付いて、私に教えようとしていたのか。
 そして切られても、私を助けようとしてくれたのか」
鹿間は犬に感謝し、御堂を建て、犬の首を埋葬した。
また犬の胴は、生まれ故郷の影重村に埋葬し、塚を建てたという。

この伝承は、山中為綱という津藩士が著した「勢陽雑記」に収録されています。
上記では、わざと四段にして書いてみましたが、
いわゆる「起承転結」がしっかり押さえられて構成されているという点で、
江戸時代に書かれた文章としては秀逸だと思います。

が、この伝承、美里だけでなく、
全国各地に似たような伝承があります。
鹿間は津市北部や鈴鹿市南部にある姓で、影重という地名も実在しますが、
この「自分の命を投げ出しても主人を守るのが誠の家臣である」というテーマが、
江戸時代の武家社会に受け入れられたことにより、各地に広まり、
その土地の人物や地名に置き換えられながら伝承されたものと想像します。

>追記
この昔話の原型は「今昔物語」の巻29第32話であったようです。
ただし「今昔物語」では、犬は生きたまま大蛇に喰らいつき、
感謝した主人に連れられて、家に帰ったことになっています。

地域の歴史・伝承・昔話 過去記事リスト

延命地蔵(津市美里町五百野)

目無し地蔵(北長野)

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