みちのくの風の旅人

米沢・山形・東北の自然や文化を季節の便りとして届けています。

東日本大震災から5年 ② 大地震2011年3月11日

2016-03-11 14:20:39 | 東日本大震災に寄せる想い

 今日でちょうど大地震から丸5年を迎えた。今朝米沢では小雪がパラついき肌寒かったが、日中には薄日も射して、この時期としては普通の天候だった。

 窓の外では、散歩で出くわした犬同士が大きく吠えた音が聞こえた。6時半頃だった。7時過ぎには徐々に通勤の車が多くなり、8時前には小学生の集団登校がピークを迎えた。我家の孫たちも慌しく保育園に出掛けて行った。

 昼頃に上杉神社近くの伝国の杜に出掛けて来た。置賜文化ホールのロビーでは、午後から開催予定の「復興のつどい・追悼式」の準備が進んでいた。ホールに献花台があったので、献花をして帰って来た。

 

 

  ↑  神社の参道には、雪灯篭まつりの灯篭製作のために郊外から運んで来た雪の名残りがあった。

 


   

   NHKラジオで、福島県伊達市から3人の子供たちと山形市に自主避難している女性がインタビューに答えていた。

   小さな子供達の親として震災・原発事故直後の川柳が紹介されていた。

        行く末を 線量計に 計られる

 


 

 当たり前の事が当たり前に来るであろうと思っていた5年前、朝元気であいさつを交わした家族が引き裂かれた。

 東日本大震災から5年、もう時期午後2時46分の激震の時が近付いている。

 


 

 

 下の写真は、前回のブログの続きの写真である。(2013年5月福島県相馬市で撮影)

 ↑ 堤防を越えた津波は、住宅地や田畑を襲い、2年以上経っているのに水たまりが残っていた。

 


   ~ あ の 日  あ の 時  の  記 憶 ~

 3月11日午後2時46分、震度5強の地震がいきなり襲ってきた。揺れが3分ぐらい続いた。立っているのがやっとの状態だった。学校の渡り廊下が波打った。こんな地震は初めての経験であった。50年以上生きて来て、幾度か地震を経験した中では、1964年(昭和39年)の新潟地震が最も記憶に残る恐れを感じた地震だった。しかし、今回の地震はかつての地震をはるかに凌ぐ巨大な地震だった。高校入試の採点業務は一旦中止し、校舎の破損状況や、実習室や教室の点検確認に追われた。テレビには大津波に飲まれて行く町が撮し出されていた。その後更に追い討ちを駆けるように、東京電力福島第一原子力発電所の事故のニュースが飛び込んで来た。

 その後約2週間、テレビから通常の番組が消えた。幸い米沢は停電にならなかったが、県内外で停電が発生した。また、製油所の破壊によって、ガソリンの供給が激減し、早朝から2時間並んでようやく10リットル入れられる程度だった。1ヶ月後の4月半ばになって、長時間並ばずにガソリンが入れられるようになった。高校では修了式・離任式も中止となり、4月初旬まで生徒たちは自宅待機となった。

  

  ~ ~ 

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